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異世界料理道  作者: EDA
第三十九章 南の実りと東の颶風
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エピローグ ~希望の光~

2018.11/26 更新分 8/8

・今回の更新はここまでです。次回からはまた1話ずつ更新する予定ですので、再開まで少々お待ちください。

《颶風党》の騒乱から、4日後――灰の月の26日である。

 その日、俺たちはまた城下町に向かうことになった。

 デルスが正式にジェノスと食材の売買を契約することになったので、それを見届けることになったのだ。


 その日は屋台の営業日であったので、その仕事を終えてから城下町に向かう。見届け役は俺とレイナ=ルウのみで、護衛役はアイ=ファとジザ=ルウのみだ。《颶風党》は捕らわれた17名の他に仲間はいないと断じられて、ジェノスの警戒態勢も解除されていた。


 ジザ=ルウに関しては、護衛役であると同時に、見届け役も兼任しているのだろう。これは、次代の族長たるジザ=ルウが関わるに値するほど、森辺の民にとっても大きな出来事であるはずだった。


「やあやあ、お待ちしていたよ。それでは、そちらに掛けてくれたまえ」


 俺たちが招かれたのは、貴賓館ではなく会議堂であった。王都の監査官と面談したり、ムスルの行く末を合議したりするのに使われた、あのお馴染みの建物だ。

 そこで待ちかまえていたのはポルアースと、その上司にあたる外務官、および財務官なる人々であった。マルスタインは認可を与えるだけで、いちいちこういった場に立ち会うことはないのだそうだ。


 卓の上には物々しい羊皮紙めいた巻き物の書面が準備されている。いわゆる証文というやつなのだろう。デルスはその文面を隅から隅まで読み尽くして、最後の余白に自分の名を記し、手形を押した。なおかつ、控えとしてまったく同じものが準備されていたので、それにも同じ処置をほどこして、懐に収める。


「これで契約成立だね。いやあ、無事に話がまとまって、ほっとしているよ」


 ポルアースは、笑顔でそのように述べたてていた。


「それにまさか、あれほどの食材をすでに持参していたとはねえ。これで明日からでも、食材を皆に売り渡すことができるよ」


 デルスは《南の大樹亭》に預けていた荷車に、大量の食材を保管し続けていたのである。それらはすべて城下町に運び込まれて、すでに別室に収められていた。


「では、これが今回の分の代価となります。どうぞお確かめください」


 財務官たる壮年の男性が、ずしりと重そうな革袋をデルスに差し出した。

 中に収められているのは、大量の銀貨である。デルスは手馴れた指づかいでその枚数を確認してから、革袋をかたわらのワッズに手渡した。


「でもあれは、本来の契約の半分の量なのだよね?」


 ポルアースが確認すると、デルスは「はい」とうなずいた。


「ですから、本来であれば商品をお届けするのはふた月に1度となりますが、このたびはひと月後に新たな商品をお届けいたします」


「そうすると、ジェノスとコルネリアはトトスで半月という距離だから、戻ってまたすぐに出立することになってしまうね。その際も、デルス殿が自ら届けてくれるのかな?」


「はい。最初の1年ほどは、自分の手で荷運びの仕事を果たしたく思っております」


「そうか。では、またひと月の後にお会いできる日を心待ちにしているよ」


 そうして席を立ち上がりかけたポルアースは、「あ、そうだ」と座りなおした。


「そういえば、あの食材は何と呼ぶべきだろうねえ? 証文にも、タウの豆で作りし新たなる食材としか書きようがなかったのだけれども、呼び名がないと何かと不自由なのではないかな?」


「はい。自分もそのように思いまして、あの商品に名をつけることにいたしました」


「ほお、何と名づけたのかな?」


 デルスはちらりと俺のほうを見やってから、言った。


「ミソ……と、そのように名づけたく思います」


「ミソ。聞きなれない名前だね。……というか、それはアスタ殿の故郷の食材の名前ではなかったかな?」


「はい。他にめぼしい名前を思いつくことができませんでしたので、アスタの故郷の食材にあやかることにいたしました。タウ豆のミソ、とでもお呼びくだされば幸いであります」


 ポルアースは、愉快そうに微笑んだ。


「了承したよ。ジェノスで売りに出す際にも、その名前を使わせていただこう。……では、もう盗賊団に怯える必要もないけれど、道中は気をつけてくれたまえ」


 そうして今度こそ、ポルアースを始めとする人々は立ち上がろうとした。

 デルスがそこに「お待ちください」と声をかける。

 そのころんとした太い指先は、せわしなく自分の鼻をさすっていた。


「これはこのたびの商売の話とは、まったく関わりのないことなのですが……貴き方々のお時間を、もう少しだけ拝借させていただいてもよろしいでしょうか?」


「うん? 何かな? 僕はべつだん、かまわないけれど」


 他の2名の貴族たちも、けげんそうな面持ちで椅子に座りなおしている。その姿を見返しながら、デルスはいっそうせわしなく指先を動かした。


「自分はこの数日間、ジェノスで過ごして、さまざまな話を聞くことができました。それで、ジェノスの貴き方々であれば、自分のように卑賤の人間が分をわきまえぬ言葉を口にしても、鷹揚に許してくださるのではないかと……そのように考えた次第であります」


「ふむ。ますます謎めいてきたね。いったい、どのような話であるのかな?」


「それは……トゥランなる領地に住まう、北の民たちの処遇に関してであります」


 俺は驚いて、かたわらのレイナ=ルウと目を見交わすことになった。

 デルスがそのような話を切り出すとは、まったく聞いていなかったのだ。


「ほお、北の民たちの。先日の盗賊団の一件で、何か思うところでもあったのかな?」


「はい。やはりジェノスの領内に北の民を置くというのは、少なからず危険がともなうことなのでありましょう。恐れ多きことながら、ジェノスの貴き方々は、この先も北の民を奴隷として扱っていくおつもりなのでしょうか?」


 外務官と財務官が、いくぶん眉をひそめておたがいの表情を探っていた。

 それはジェノスの人間にとって、きわめてデリケートな話題であるのだ。

 しかしポルアースは、小さからぬ好奇心を宿した面持ちで、デルスの姿を見やっていた。


「それはまあ、数百名もの北の民を、迂闊に動かすことはできないからねえ。……実のところ、あれはトゥランの前当主が自分の思惑のために集めた奴隷であるので、僕たちとしても少々もてあましている面があるのだよ」


「……トゥランの前当主は、1年ほどの昔に爵位を剥奪されて、先の青の月に魂を返されたそうですな」


「うん。当主の代替わりをした際に、色々な案があがったのだけれどね。余所の領地に売り払うべきだとか、いっそ処刑してしまうべきだとか……しかし、それはそれでまた色々な苦労や問題がつきまとうので、けっきょく見送られることになったんだ」


 そう言って、ポルアースはにこりと微笑んだ。


「デルス殿には、何か妙案でもあるのかな? よかったら、是非とも聞かせていただきたいところだね」


「は……しかし自分はしがない商売人である上に、南の王国の民でもあります。西と北の確執について口をはさむなどというのは、本来許されざるべき行いであるのでしょうが……」


「かまわないよ。それが僕たちの意に染まない話であれば、笑って聞き流すことにしよう。それを理由に、このたびの契約を破棄するような真似はしないよ」


 デルスは鼻をこするのをやめて、意を決したようにポルアースを見据えた。


「では、お話しさせていただきましょう。しがない商売人の戯れ言としてお聞きくだされば幸いであります」


「うんうん。それで、どのような話であるのかな?」


 デルスはいったん目を閉じて、軽く深呼吸をしてから、言った。


「ジェノスで暮らす北の民たちは……南方神に神を移させるべきではないでしょうか?」


 室内に、緊張感が走り抜けた。

 一拍置いてから、ポルアースが「ふむ」とふくよかな下顎をまさぐる。


「北の民が、南方神に神を移す……そのような話は、これまで聞いたこともないね」


「はい。マヒュドラとジャガルの間には、セルヴァとシムの領土が広がっておりますために、これまでまったく関わりがありませんでした。四大王国の中で、もっとも縁の薄いのが、マヒュドラとジャガルでありましょう。我々は、敵でない代わりに友でもなかった――それゆえに、両国の間で神を移そうとする人間も現れなかったのだろうと思われます」


「道理だね。見知らぬ土地の見知らぬ神の子になりたいなどと願う人間がいるわけもない。しかしそれは、トゥランで暮らす北の民たちも同様なのではないかな?」


「そうかもしれません。しかし、南方神に神を移せば、奴隷ではなく自由の身として生きることができるのです」


 デルスは、こらえかねたように大きな団子鼻をさすった。

 どうやらこれは、彼が真剣になったときのサインであるようなのだ。


「このままトゥランで奴隷として生きるか、見知らぬ土地で南の民として生きるか――盗賊団などに仲間入りするのではなく、ひとりの善良な民として田畑を耕し、伴侶を娶って、子を生すことも許されるとなれば、心を動かす者もいるのではないでしょうか?」


「ふむ……」


「また、ひとたび神を乗り換えれば、再び北方神に神を戻すことなど、許されるはずもありません。それでしたら、セルヴァの方々にとっても不安は残りますまい。そして、仇敵たるマヒュドラに利する行いにもならないはずです」


「デルス殿の言うことは、わからなくもない。でも、どうして南の民たるデルス殿が、そのようなことを申し立てているのかな? デルス殿とて、北の民の行く末を案じる理由はないだろう?」


「自分が案じているのは、ジェノスの行く末であります。領内に北の民などを置いていれば、また思わぬ災厄を招き寄せることになるのではないかと……僭越ながら、そのように考えた次第であります」


 静かな声に確かな力感をみなぎらせながら、デルスはそのように述べたてた。


「また、トゥランの北の民たちは、戦を知らぬ温和な気性であると聞いたので、南の民となったのちも、セルヴァに害をなす恐れはないのではないかと考えました。そんな悪辣な人間たちであれば、このたびの盗賊団の申し入れを断ることもなかったでしょうからな」


「ふむ、なるほど……」


「そして、もう一点。こちらのワッズをご覧ください」


 そう言って、デルスはぽけっとしている相棒を指し示した。


「自分は北の民を目にしたこともありませぬが、こういった先祖返りの南の民は、北の民と風貌が似通っていると聞いております。そして、先祖返りという言葉が示す通り、北の民と南の民は、四大王国が建立される以前、同じ血族だったのではないかという伝承が残されております。600年以上の歳月を経て、血の縁もへったくれもないとはお思いでしょうが……風貌が似通っているならば、北の民たちが南の王国で暮らしていても、疎外感や孤立感を覚えることなく、同胞としての絆を深めることもまだ容易いのではないでしょうか」


「確かにね。髪や瞳の色は異なるが、骨格や顔立ちなどにはずいぶん似通ったところがあるのだと思うよ」


 そのように述べながら、ポルアースはふわりと微笑んだ。


「いや、実に興味深い話だったよ。だけどこれは、とうてい僕たちの手に負えるような話ではないだろうから……ジェノス侯に意見をうかがうことにしよう」


「こ、このような話をジェノス侯にお伝えするのですか?」


 財務官が、泡を食った様子で声をあげる。

 ポルアースは「ええ」と笑顔でそちらを振り返った。


「僕たちの君主は、ジェノス侯でありますからね。いまの話に理があるとお思いになれば、きっと正しき道をお選びなさることでしょう」


「し、しかし、そのような真似をしたら、また王都の者たちに何を言われるか……」


「もちろん、このような話をジェノス侯の独断で進めることはできません。もう間もなく、王都の方々はジェノスに到着されるでしょうから、そちらの方々におうかがいを立てればいいのです。そう考えれば、絶妙の頃合いではありませんか」


 そうしてポルアースは、またデルスに向きなおった。


「僕はすべてを、ジェノス侯に託そうと思うよ。だからそれまで、この話はご内密に。……森辺の方々もね」


 数日前と同じように、ポルアースは唇の前で指を立てていた。

 俺は笑顔で、「はい」とうなずいてみせる。


 北の民が南方神に神を移すだなんて、そのようなことは考えつきもしなかった。

 しかし、森辺の民などはもっと複雑な経緯のもとに、西の民となったのだ。それに比べれば、まだしも苦労は少ないのではないかと思われた。


(驚いたな。まさかデルスが、こんなことを考えていたなんて)


 デルスは懐から出した織布で、額をぬぐっていた。

 彼は彼で、貴族の反感を買ったりはしないか、不安でならなかったのだろう。

 そんなデルスを安心させたいかのように、ポルアースはにこりと微笑んだ。


「デルス殿も、すべてをジェノス侯に任せてもらえるかな? きっとジェノス侯も、王都の方々の前でデルス殿の名を出したりはしないだろうからさ。君たちさえ口をつぐんでいるなら、王都の方々の目が君たちに集まることもないと思うよ」


「もちろんでございます。……分不相応な言葉の数々、どうぞご容赦くださいますようにお願いいたします」


「うん。それじゃあ今度こそ、話はおしまいだね」


 それが、退室の合図であった。

 デルスとワッズ、それに森辺から訪れた4名は、一礼をして部屋を出る。しかしその後も小姓や武官の目があったので、俺たちが心置き無く言葉を交わせるようになったのは、送迎用のトトス車に乗り込んでからだった。


「いやあ、驚きました。デルスは、あのようなことを考えていたのですね」


 御者台の人物の耳をはばかって、俺は小声で語りかけた。

 デルスは「ふん」と大きな鼻を鳴らしている。


「あのポルアースという貴族であれば、むやみに眉を逆立てたりはすまいと考えたのだ。こんな話で商売を台無しにされたら、たまらんからな」


「そのような危険を抱えながら、貴方は北の民たちのために進言をしたのだな」


 ジザ=ルウが、糸のように細い目でデルスを見つめている。

 デルスはそちらに、気安く手を振った。


「べつだん、分の悪い賭けではなかった。問題は、ジェノスの領主や王都の連中がどう考えるかだろう。特に王都の連中などは、北の王国に恨み骨髄であるはずだからな」


「しかし、貴方の言葉には確かな理が備わっているように思えた。あの北の民たちは、かつて自分の身を張って、ジェノスの衛兵たちを救ったこともあるほどであるのだから、自由を得ても西の王国に牙を剥くことはあるまい」


「ああ。そういう話を聞いてなけりゃあ、俺だってこんな話を持ちかけたりはしなかったよ。いくら気の毒な境遇とはいえ、北の民たちの復讐に手を貸すなんて、まっぴらだからな」


「しかし貴方は、自分の不利益もかえりみずに、北の民たちのために尽力した。その志は、得難きものであろう」


 ジザ=ルウが町の人間にそのような言葉を向けるのは、至極珍しいことであった。

 しかしデルスは感じ入った様子もなく、にやりと笑っている。


「俺はべつだん、そこまで親切な人間じゃない。これだって、自分の利益になると思ってやったことだ」


「このような話で、貴方に利益が生じるのか?」


「ああ、大いにね。……コルネリアの俺の畑は、いつでも人手が足りてねえんだよ。屈強の北の民がそいつを手伝ってくれりゃあ、大助かりなのさ」


 デルスの悪ぶった言葉に、ジザ=ルウはふっと微笑んだようだった。


「貴方はひと月ののち、またジェノスを訪れるのだな?」


「ああ。黒の月の終わり頃だね」


「そのときは、またルウの家に招こう。再び家長ドンダや最長老ジバと言葉を交わしてもらいたく思う」


「そいつはありがたい申し出だ」


 そのように言いながら、デルスは俺に向きなおってきた。


「だけど、今晩世話になるのは、お前さんの家だからな。ミソはたっぷり準備してるから、また上等な料理を頼むぜ、アスタ?」


「ええ、おまかせください」


 俺は心からの笑顔で、そのように応じてみせた。

 多くの人々に暗い影を落とした、今回の事件――シルエルの巻き起こした騒動が、このような未来を指し示すことになったのだ。これらがすべて神の描いた星図であるのなら、デルスの星も燦々と輝いていることだろう。


 だけど俺たちは、人の子だ。神の思惑なんてわからない。

 だから俺は、デルスと巡りあえた幸運を、母なる森と父なる西方神に感謝することにした。

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