東の颶風④~正体~
2018.11/26 更新分 4/8
「ようやく、追い詰めた。お前たち、山猫さながら、逃げ足、速い」
森の中から姿を現した男のひとりが、感情の欠落した声音でそのように述べたてた。
旅用の外套を纏った、まぎれもない東の民である。ただし、その体格はすらりとしていたものの、とうてい痩身と呼べるほど細くはなかった。反面、ザッシュマが言っていたような、ドンダ=ルウじみた巨体というわけでもなく――俺の印象としては、ジザ=ルウやガズラン=ルティムの体格に近い感じであった。
肉厚で、がっしりとした体格であるのに、手足が長くて、とても敏捷そうに見える。それで背丈は、全員が180センチから190センチほどもありそうであるのだ。そんな連中が4名、断崖を背にした俺とティアを半包囲する格好で、森から姿を現したのだった。
それらの4名は全員が弓に矢をつがえており、俺たちのほうにぴたりと照準を合わせている。そして、肩には矢筒を掛けており、はだけた外套の隙間からは、腰に半月刀を下げているのがうかがえる。剣士や狩人の力量をはかる目など持ち合わせていない俺にも、彼らが屈強の戦士であることを疑う気持ちにはなれなかった。
「森辺の狩人、化け物じみている、聞いていた。しかし、この時間、狩人、いないはず。お前のせい、予定、狂った」
最初に口をきいた男が、また感情のない声で言い捨てる。外套の陰で熾のように燃えるその双眸は、北の民のごとく紫色をしていた。
「我ら、必要、ファの家のアスタのみ。邪魔者、死んでもらう」
「ま、待ってくれ! どうして山の民なんかが、俺を狙うんだ? あんたたちは、いったい何が目的なんだ?」
俺が叫ぶと、首領らしきその男がまぶしいものでも見るように目を細めた。
「……我ら、山の民、違う」
「え? いや、だけど、その姿は……どう見ても東の民じゃないか? 山の民じゃないなら、他の区域の民なのか?」
「我ら、神、捨てた。東方神、我ら、救わない。我ら、魂、自分で救う」
「神を捨てた? よ、四大神の子であることを、やめたっていう意味なのか?」
男は答えず、矢を射った。
鼻先に迫ったその不意打ちの攻撃を、ティアはこともなげに薪で払いのける。
そしてその薪は、同じ勢いのまま右側に弧を描いた。
別の男が放った矢も、それで地面に落とされる。
ふたりの男がすみやかに新しい矢をつかみ、その間も残りのふたりの矢はティアを狙ったままだった。
「この距離、2本の矢、弾く、普通ではない。お前、化け物だ」
「お前たちがティアを何と呼ぼうと、どうでもいい。ティアは生命にかえて、アスタを守る」
このような事態に陥っても、ティアの声は落ち着いたままだった。
俺よりも頭ひとつぶん以上も小さなその身体は、赤い闘気に包まれているかのようである。
「ティア……お前、アイ=ファ、違うのか? ファの家長、名前、アイ=ファのはずだ」
その言葉で、また俺は愕然とさせられた。
俺の名前はともかく、アイ=ファの名前などは市井に広がっていないはずなのである。
ティアは心を乱された様子もなく、ただ「違う」とだけ答えていた。
「そうか。まあ、どうでもいい。邪魔者、殺すだけだ」
男が、ひゅっ、ひゅっ、と2回ほど短く口笛を鳴らした。
それに応じて、森の中からさらに2名の盗賊が現れる。その手にも、しっかりと弓と矢がかまえられていた。
「******。*********」
首領の男が、東の言葉で何かを命ずる。
次の瞬間、2名の男がまた同時に矢を射ってきた。
ティアがそれを迎撃すると、すかさず別の2名が矢を放つ。それが駄目なら、次の2名。次は、最初に射った2名、と彼らは機械のような連携で、立て続けに矢をあびせかけてきた。
全員が一斉に矢を放たないのは、ティアの接近を封じるためなのだろう。ティアはすべての矢を楽々と弾き返しつつ、俺のそばから動くことができなかった。
そうして20本以上の矢が地面に落ちると、また男が短く口笛を吹いた。
「これでは、矢、尽きてしまう。お前、厄介だ」
すると、別の男が東の言葉で何かを告げた。
首領の男は弓をかまえたまま、「いや」と答える。
「この娘、化け物だ。近づけば、刀、奪われるかもしれん。そうしたら、余計、厄介だ」
ティアは赤き民の掟によって、鋼の武器を扱うことが許されない。その事実をこの連中に知られていないことは、大いなる幸いであったようだった。
首領の男は弓をおろすと、矢を握った手で外套のフードを背中にはねのける。
そこからこぼれ落ちたのは、くすんだ金褐色の髪である。肌は炭を塗ったように漆黒であるのに、彼は明らかに北の民との混血であるようだった。
両目は鋭く切れあがっており、鼻は高く、唇は薄い。俺が知る通りの、東の民の風貌だ。
しかし、その下顎はがっしりと張っており、頭蓋骨の形状そのものが、角張っていてがっしりしているように感じられる。俺の故郷の西洋人とも東洋人とも異なる、それは一種独特の風貌であった。
「我ら、目的、ファの家のアスタだ。アスタ、渡せば、お前、殺す理由、ない」
「アスタをお前たちに渡すことはできん。ティアは、アスタを守らなければならないのだ」
「しかし、我々、倒すこと、不可能だ。逆らえば、お前、死ぬしかない」
「うむ。このすぐ近くにもう3人は隠れているようだし、森の奥には他の仲間もいるのだろう。それだけの数を倒すことは、ティアにもできないように思う」
「ならば――」
「しかし、ティアの生命が尽きるまで、アスタを渡すことはできない。倒すことはできなくとも、必ず逃げのびてみせる」
金髪紫眼の男は、無表情のまま息をついた。
そして、その手の弓をかまえなおす。
「了承した。お前、やはり、死んでもらう」
「たった6人では、どれだけ射っても矢を失うばかりだぞ。森の中の3人を呼ばなくてもいいのか?」
「そうしたら、お前、森の中、逃げるつもりなのだろう。そのような真似、させない」
男の矢じりが、わずかに方向を変えた。
それと同時に、悪寒が背筋を走り抜けていく。その矢は、明らかに俺の顔面を狙っていた。
「やめろ。アスタを傷つけることは、ティアが許さない」
ティアの静かな声に、はっきりとした怒気がいりまじる。
男は慈悲の欠片もない眼差しで、俺の姿を見据えていた。
「我ら、アスタ、生きたまま、捕まえる。しかし、多少、傷ついても、かまわない」
「馬鹿を言うな。アスタはこれほどにか弱くできているのだぞ? 矢など刺さったら、それだけで魂を返してしまうかもしれん」
「我ら、薬草、扱い、長けている。死にかけても、魂、呼び戻してみせよう」
それから男は東の言葉で新しい命令を発するや、俺の顔面に目掛けて矢を射ってきた。
それを薪で防ぐと同時に、ティアが叫ぶ。
「アスタはその場所から動かぬまま、身を低くしろ!」
俺は考えるよりも早く、その言葉に従っていた。
また矢が2本ずつ、順番に射かけられてくる。そして今回は、それらのすべてが俺の身を狙っているようだった。
自分に向かってくる矢よりも、背後の俺を狙う矢を防ぐことのほうが、きっと難しいことなのだろう。ティアはこれまでよりも動きが大きくなっており、明らかに必死な様相になっていた。
そこで男が、ひゅっと鋭く口笛を吹く。
また攻撃がいったん停止されるのかと思いきや――あらぬ方向から、矢が飛んできた。
おそらくは、森の中に潜んだ何者かが、姿を隠したまま、矢を射ってきたのだ。逆の側に薪をふるっていたティアは、「くそっ!」というわめき声とともに、何も持たない左腕を大きく広げた。
俺の胸もとに、矢が迫る。
しかし、その先端が俺の身に触れることはなかった。
その矢はティアの左の手の平を貫通し、軸の部分が半分ていど抜けたところで、留められていた。
その矢を手の平から抜くいとまも与えられないまま、ティアは薪を振るい続ける。
それから10本ていどの矢を無駄にしたところで、男はまた口笛を吹いた。
「もういい。1本、当てれば、十分だ。矢、無駄にする必要、ない」
ティアは、わずかに呼吸を乱していた。
そうして矢の刺さった左手を顔の前に持ち上げると、ふたつに折られた矢が地面に落ちる。俺の場所から見届けることはできなかったが、おそらくは歯で矢の軸を噛み砕いたのだ。
「ティ、ティア、大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。だけど、血に知らない味がまじっている」
そんな言葉の後に、ティアは地面に血の塊を吐き捨てた。傷口から、自分の血をすすったのだろう。
「そのような真似、無意味だ。シトゥレの毒、ムフルの大熊、眠らせること、できる。お前、もうすぐ、動けなくなる」
「ふざけるな。このような毒に、ティアは屈しない」
そのように述べながら、ティアの身体がぐらりと傾いだ。
ティアは大きく足を開いて、それをこらえる。薪を握る右手は、わずかに震え始めていた。
「お前、勇敢だ。しかし、我ら、たくさんの矢、失った。その代償、生命、払ってもらう」
「だったら、もっとその矢を放ってみろ。ティアがすべての矢を叩き折ってやる」
「必要ない。お前、倒れたら、矢を放つ」
そのように述べてから、男は東の言葉で何かを命じた。
6名中の3名が弓をおろし、半月刀を引き抜いた。全員が、ロボットのように無機的な動作である。
「最後の力、振り絞り、飛びかかるか? その場合、アスタ、矢で狙う」
ティアが、がくりと膝をついた。
俺は「ティア!」と叫びながら、その小さな背中に取りすがる。
ティアは少しだけ首を傾けて、俺にやわらかく微笑みかけてきた。
「すまない。ティアの生命は、ここまでのようだ。でもきっと、アイ=ファがアスタを救ってくれるだろう」
「駄目だ、ティア! 家族のところに帰るんだろう!?」
「ティアはアスタのために生命を使うことができたから、きっと大神のもとに魂を返すことができる。……今日までティアをそばに置いてくれた、アスタたちのおかげだ。……アイ=ファや族長たちにも、礼の言葉を……」
ティアの身体が、すべての力を失って、俺の胸もとにしなだれかかってきた。
すかさず男が東の言葉を発するのを聞いて、俺はティアの身体をかばいながら抱きすくめる。
「やめろ! ティアに手を出すな! ティアを殺したら、お前たちは大神を敵に回すことになるぞ!」
「……我ら、四大神、捨てた身だ」
「四大神じゃない! その父なる大神アムスホルンだ! ティアは、大神アムスホルンの民なんだ!」
男は無表情のまま、ぎょっとした様子で長身をのけぞらせた。
「そのような者、森辺、いるはずがない。大神の子、聖域、離れない」
「聖域のことは知ってるんだな!? このモルガの山は、聖域だ! ティアは、モルガの山の赤き民なんだよ!」
首領の男が弓を下ろして、背後の森を振り返った。
「アスタ、このように言っている。この話、真実か?」
「ふん……モルガの山には、赤き野人なる獣が棲んでいるという伝承が残されている。まさかそれが、大神アムスホルンの民であったとはな」
森の中から、毒々しい笑いを含んだ声が響きわたる。
ティアの身体を抱きすくめたまま、俺は驚愕に凍りつくことになった。
その声には――どこか、聞き覚えがあったのだ。
「まあ、このような場でその言葉の真偽を見極めることはできまい。大神の呪いが恐ろしいなら、その娘は打ち捨てていけばいい。俺たちに必要なのは、ファの家のアスタの身柄だけであるのだからな」
「あなたの言葉、従おう。その娘、半日、目覚めること、ない」
「では、アスタとともにこの忌々しい森を出ることにするか。森辺の狩人どもが戻ってきたら、厄介だからな」
森の茂みを踏み鳴らして、ひとりの男が岩場に出てきた。
山の民よりはひとまわり小さいが、それでも十分に大柄な、壮年の男――その、蓬髪と無精髭に覆われた顔には、世にも邪悪な笑みが浮かべられていた。
「ジェノスの貴族どもが我らの言葉に従うかどうか、ここが正念場だ。しかし、ひとたびはあきらめた生命……せいぜい高笑いしながら、この先の運命を見届ける他あるまい」
「うむ。我ら、悔いはない」
旅用の外套を纏ったその男は、恐れげもなく俺とティアのほうに近づいてきた。6名の山の民の内、首領を含めた3名だけが、それについてくる。
男は、色の淡い瞳で、俺たちを見下ろしてきた。
その瞳には、憎悪と喜悦の激情が渦を巻いている。
その男だけは、西の民だった。
ざんばらにのばした髪も、顔中にこびりついた髭も、淡い栗色をしており、肌は日に焼けた黄褐色である。外套の下には革の胸あてや篭手などを身につけており、腰から下げているのは真っ直ぐの長剣であった。
「ひさかたぶりだな、ファの家のアスタよ。貴様の身柄は、俺たちが預かる。ジェノスが滅びの炎に包まれる姿を、その目で確かめるがいい」
「あんた……あんたは、まさか……」
「何だ、俺の顔を見忘れたか? まあ、貴様とはひとたびしか顔をあわせてはいないからな」
男は口もとをねじまげながら、長い前髪をかきあげた。
邪悪な顔が、それでいっそうあらわになる。
そして、その額には――かつて赤髭ゴラムに断ち割られたという横一文字の傷が、禍々しく刻みつけられていた。
「シルエル……あんたは、魂を返したはずだ!」
「しかし、そうはならなかった。俺たちは、忌々しい神を捨て去ることで、ようよう生きながらえることができたのだ」
白の月の大地震で、生き埋めになって魂を返したと聞かされていた、大罪人――サイクレウスの実弟であり、かつての護民兵団の団長であったシルエルは、悪鬼のような形相で笑い声をあげたのだった。