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異世界料理道  作者: EDA
第三十九章 南の実りと東の颶風
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東の颶風②~疑念~

2018.11/26 更新分 2/8

 その日も、屋台の商売はすこぶる順調であった。

 昨日までは、街道の北や南に向かう人々も少なからずいたようであるのだが、今日ばかりは誰もがジェノスを動くべきではない、と考えたのかもしれない。客足は、いっそうのびたように感じられるぐらいであったのだ。


 暴虐なる盗賊団のせいで商売が繁盛するなんて、まったくもって皮肉な話である。

 しかしそれでも、俺たちは精一杯の誠意を込めて、商売に励む他なかった。


「まさか、本当に盗賊団が襲撃してくるとはねー。山の民だか何だか知らないけど、馬鹿な真似をしたもんだよ」


 そんな風にコメントしたのは、中天を過ぎたあたりで屋台にやってきたユーミであった。なかなかに、不機嫌そうな面持ちである。


「昨日の夜更けから朝方なんて、そりゃあ大変な騒ぎだったんだよ? 盗賊どもの一味が貧民窟に潜んでるんじゃないかって、何百名もの衛兵が押しかけてきてさ。うちの宿でもお客を全員叩き起こして、人相あらためをさせられたのさ。トゥランを襲った連中が、ジェノスに留まるわけなんてないのにね!」


「ああ、いまごろは必死に街道を北に駆けのぼってるだろうさ。ま、逃げきれるわけがねえけどな」


 そのように応じていたのは、一緒に屋台を訪れていたベンである。

 いっぽうカーゴは、普段通りののんびりとした面持ちで下顎を撫でていた。


「でも、山の民ってのは凶悪なんだろ? それに、東の民ならトトスを扱うのも得意なんだろうしな。そいつを追いかけるのは、なかなか大変そうだ」


「いやあ、街道を駆けてたら逃げ隠れできねえし、街道を外れたらトトスを捨てる羽目になりかねねえから、どうやったって逃げようはねえよ。貴族を怒らせるなんて、ほんと馬鹿だよな」


 さまざまな意見があるようだが、ジェノスはもう安全である、という部分では見解も一致しているようだった。

 まあ確かに、この屋台からは宿場町の入り口に隊列を為した500名からの衛兵の姿が見えるのだから、そのように考えるのが当然であるのだろう。本当に、戦争でも始まったのではないかというぐらいの物々しさであったのだ。


(しかも、宿場町ばかりじゃなく、森辺への道までしっかり守ってくれてるんだもんな。マルスタインには、感謝するばかりだ)


 もちろんさきほどもマルスが言っていた通り、徒歩であれば森の端を踏み越えて集落を目指すことはできる。しかし、トトスを捨ててまで森辺の集落に向かっても、そこに待ち受けているのは勇猛で知られる森辺の狩人たちだ。そんなのは、ライオンの口に自ら頭を突っ込むのと同じぐらい無謀な行いであるとしか思えなかった。


(それに、この近隣では森辺の民が貴族たちと和解したって話もさんざん通達されてるからな。北の民のスカウトが失敗したから、次は森辺の民に……なんていう馬鹿な考えを起こすこともないだろう)


 俺としては、そんな風にも考えていた。

 俺は俺なりに、《颶風党》が森辺の集落にやってくる危険性を、ずっと思案していたのである。しかし、何をどのように考えても、山の民の盗賊団などが森辺の集落を目指す理由はないように思われた。


「よお、今日も賑わっているようだな」


 と、ユーミたちが姿を消すと、今度はデルスとワッズが現れた。


「ああ、どうも。昨日はお疲れ様でした。何だか、とんでもない騒ぎになってしまいましたね」


「ああ。この騒ぎで、俺たちの商売の話を二の次にされなければいいのだがな」


 デルスは、この上もなく苦々しげな面持ちになっていた。騒ぎを起こしたのが東の民であったので、なおさら腹に据えかねるのかもしれない。


「俺たちの宿でも、盗賊団の話でもちきりだ。まったく、救いのない下衆どもであるようだな」


「ええ。盗賊団に仲間入りしろ、なんていう無茶な要求を突きつけておいて、逆らった相手を斬り伏せるだなんて……本当にひどい話です」


「だけどさあ、北の民たちはどうして言うことを聞かなかったんだろうなあ? その話に乗っかれば、自由になれたっていうのによお」


 ワッズがそのように述べたてると、デルスはいっそう苦りきった視線を突きつけた。


「誰が好きこのんで、盗賊団に仲間入りしたいなどと思うものか。お前さんだったら、そんな話に乗っかろうというのか?」


「ああ、俺がシムで奴隷として働かされてて、西の民とか北の民とかにそんな話を持ちかけられたら、乗っかってたんじゃねえかなあ。東の民に奴隷として扱われるなんて、我慢がならねえしよお」


「兵士として戦うならまだしも、盗賊団だぞ? いくら相手が東の民といえど、お前さんに罪もない女や子供を斬れるのか? 盗賊団に仲間入りするというのは、そういうことなのだ」


「ああ……それはちょっと、嫌かもしれねえなあ」


「それぐらいのことは想像してから、口を開け。頭の中まで筋肉でできあがってるのか、お前さんは?」


 デルスにまくしたてられて、ワッズはしゅんとしてしまった。

 それが気の毒であったので、俺は「まあまあ」と取りなしてみせる。


「当たり前の話ですけど、デルスは盗賊団がお嫌いのようですね」


「当たり前だ。人の稼ぎを暴力で奪い取ろうなどという行いが、許せるわけがない。……まあ、家の稼ぎをかすめ取っていた俺の言う台詞ではないがな」


 そのように述べてから、デルスは大きな鼻で息を噴いた。


「しかしまあ、北の民たちがそんな言葉に従わなくて幸いだったな。数百名もの北の民たちが盗賊団に仲間入りしていたら、もっとひどい騒ぎになっていたことだろう」


「ええ、そうですね。……でも、あの北の民たちが、そんな言葉に従うはずがありませんよ」


 俺がそのように口走ってしまうと、デルスがうろんげな目を向けてきた。


「ふむ。お前さんは、どうしてそのように思うのだ?」


「え? それはその……ジェノスのトゥランで働かされている北の民たちは、戦を経験したことがない穏やかな気性の人間ばかりだ、と聞いたことがあるのです。そういう人たちなら、盗賊団に仲間入りなんてしなそうでしょう?」


「ほう……つまりは戦場の捕虜ではなく、人間狩りでかき集められた奴隷たちということか。それはそれで、胸糞の悪い話だな」


「はい。……だけど西の民は、その境遇に同情することが許されないんです」


 デルスは再び、「ふん!」と大きな鼻息を噴いた。


「だったら、俺たちがその分まで同情しておいてやる。湿っぽい顔をしておらんで、とっととギバ料理を売ってもらおう」


「あ、はい。どちらの料理をお求めですか?」


 俺の担当はまたもや『ギバ・カレー』であったので、俺はその他の屋台を指し示してみせた。

 デルスは立派な眉をひそめながら、俺の顔をねめつけてくる。


「前々から気になっていたのだがな。お前さんは、どうしていつもその香草臭い料理を受け持っているのだ? そんなものは木皿に中身を注ぐだけで、何の手間もかからないではないか?」


「はい。手間がかからないからこそ、俺が担当しているのですよね。手間のかかる料理は他の人たちに受け持ってもらって、調理の経験を積んでほしいと考えているのです」


 デルスは同じ目つきのまま、他の屋台を見回していく。

 日替わり献立の屋台ではマルフィラ=ナハムが『回鍋肉』の作製に取り組んでおり、『ケル焼き』を担当しているのはフェイ=ベイムである。長きのキャリアを持つフェイ=ベイムはもちろん、マルフィラ=ナハムの手際にもいっさい不備は見られなかった。


「なるほどな。……べつだん、この香草臭い料理が、お前さんの一番の自慢というわけではないのか?」


「自慢というのなら、すべての料理が自慢です。もちろんどの料理も、まだまだ改善の余地は残されているのかもしれませんが」


「ふん。小憎たらしい受け答えだな」


 そんな風に述べながら、デルスが銅貨を差し出してきた。


「とりあえず、今日はその香草臭い料理をいただこう。あとはそっちの、ホボイの油で焼いているやつをくれ」


「え? この料理を食べていただけるのですか?」


「……売られている料理は、ひと通り食べておくべきだろう。その順番が回ってきたというだけのことだ」


「ああ、それじゃあ俺も、そいつをいただくよお。昨日の城下町の料理人が作った香草の料理も、なかなかだったからなあ」


 それはもちろん、香草がふんだんに使われたロイの『ギバ・カツ』のことであった。

 俺はふたりから銅貨を受け取りながら、「ありがとうございます」と笑いかけてみせる。


「あの、商売の話がまとまったら、デルスたちはいったんコルネリアに戻るのですよね?」


「ああ。契約分の食材を運んでこなければならんからな」


「その前に、俺の家にも招待させていただけませんか? 今度は俺の作った『ギバ・カツ』をご馳走しますよ」


 ワッズが、不思議そうに首を傾げた。


「肉を油で揚げる料理は、屋台でも売ってたよなあ? 俺もデルスも食べてるはずだぞお?」


「はい。あれは『ギバの揚げ焼き』といって、俺としては別の料理なんです。手早く熱を通すために肉は薄めにしていますし、油もレテンの油ですしね」


「森辺では、別の油を使っているのか?」


「はい。ギバの脂を使っています。肉もたっぷり厚みがありますし、森辺では一、二を争う立派な料理として扱われているのですよ」


 ワッズが何やら切なげな面持ちで図太い腹をさすり始めた。


「何だか話を聞いただけで、いっそう腹が減ってきちまったなあ。どうしてそれを、宿場町で売らねえんだよお?」


「ギバの脂を準備するのに、けっこうな手間がかかってしまうのですよ。集落を訪れた人だけが口にできる、特別献立というわけですね」


 その気になれば城下町でお披露目することは可能であるが、いまのところは着手していない。よって、俺の言葉も虚言にはならないだろう。


「ふん……そいつはありがたい申し出だが、この騒ぎが収まるのを待つ必要があるのだろうな」


「ああ、確かにそうですね。夜間に集落と宿場町を行き来するのは、衛兵に見とがめられてしまうかもしれません」


「ならば、俺たちが帰る前に盗賊どもが討伐されることを願うとしよう」


 そんな風に言いながら、デルスが顔を近づけてきた。


「とにかくいまは、目の前の料理だ。早くその香草臭い料理を食わせてくれ」


「あ、はい。長話になってしまって、申し訳ありません」


 そうしてデルスとワッズも料理を抱えて、青空食堂に消えていった。

 ふっと息をついたところで、またもや見知った人々が近づいてくる。今度は、ドーラの親父さんとターラである。


「やあ、アスタ。物騒な事件が起きちまったけど、屋台は繁盛してるみたいだね」


「はい。親父さんたちもご無事で何よりでした」


 露店区域に向かう途中で挨拶ぐらいはしていたが、本日きちんと言葉を交わすのは、これが初めてのことであった。ターラもとりたてて不安げな様子でもなく、にこにこと微笑んでいる。


「襲われたのはトゥランなんだから、ダレイムに住んでる俺たちが被害をこうむることはないさ。盗賊どもが逃げるとしたら、南じゃなくって北だろうしな」


「ええ。山の民の故郷は、北東の方角だそうですね」


 マルスはさきほど森辺に切り開かれた道について言及していたが、あれは真っ直ぐ東にのびて、シムの草原地帯に向かうための道であるのだ。あの道を使ってシムの山岳部を目指すのは、大変な大回りになるはずであった。


「トゥランが襲われたのは昨日の夜遅くだっていうから、盗賊どもはもうベヘットを越えたぐらいなんじゃないのかね。俺は出向いたこともないが、半日もあれば十分だろう?」


「そうですね。荷車を引かせたトトスだと1日がかりになるみたいですが、トトスにまたがって走らせるなら、それぐらいで到着できそうです」


「そんなもんを追いかけなきゃならない兵隊さんたちも、ご苦労なこったね。まあしかし、自分の領土を踏み荒らされたんだから、討伐せずにはおけないんだろう」


 そうして親父さんは、ダレイムと宿場町を繋ぐ街道もどれだけ堅固に守られているかを、丁寧に説明してくれた。先日の大地震のときよりも大勢の衛兵が出向いてきて、ひっきりなしに街道を巡回しているのだそうだ。


「もちろんダレイムそのものも、何百人っていう兵士さんたちに守られてるしさ。気の毒なのは、何も知らずに南の方角から出向いてきた人らだね。ジェノスで戦争でも起きたんじゃないかって、みんなさぞかし肝を冷やしたことだろうよ」


 親父さんたちの間にも、暗い影は落ちていないようだった。災厄に見舞われたのはトゥランであり、しかもそれは昨晩の話である。あとは盗賊どもが討伐されたという報告を待つばかり――という、そんな心境であるらしい。


 俺ももちろん、みんなのそういう気持ちに水を差すつもりはない。

 しかし、俺の胸の片隅には、どうしてもぬぐいきれない不安の残りカスがこびりついてしまっていた。

 それはやっぱり、カミュア=ヨシュがいまだに気を抜いていないゆえであるのだろう。


 どうして数ある領地の中から、ジェノスのトゥランが選ばれたのか。この付近で北の民を奴隷として使役しているのはジェノスのみであるという話であったが、それはこの地がセルヴァの最南部であるからだ。もっと北方の、シムの山岳部からほど近い区域では、北の民を奴隷としている領地などいくらでもあるに違いない。それらを素通りして最南部にまでやってくる意味がわからないのである。


(それで首尾よく北の民を仲間にできたところで、シムの山岳部まではトトスでひと月半だ。ジェノスだけでも千から万の軍勢があるっていうし、道中の領地でも討伐隊が派遣されるんだろうから、それを切り抜けることなんてできそうにない。数百名の人数にふくれあがったら、それこそ逃げ隠れするのも難しくなるだろうしな)


 そんな風に考えると、カミュア=ヨシュの懸念ももっともであるように思えてしまう。《颶風党》の行いは、あまりに道理が通っていないのだ。

 それは単に《颶風党》の連中が浅はかで、無謀な行いに及んだだけの話である、ということならいいのだが――当人たちに問い質さない限り、真相は闇の中であるのだった。


(トゥランに向かったカミュアは、何か手掛かりをつかめたのかな。カミュアだったら、誰よりも早く正解に辿り着きそうなところだけど)


 しかし、俺たちの屋台が定刻よりも早く料理を売りつくすまで、カミュア=ヨシュが戻ってくることはなかった。

 俺は後ろ髪を引かれるような思いで、森辺に戻ることになったわけである。


                      ◇


 無事に商売を終えた後、ルウの集落に到着すると、ミーア・レイ母さんが笑顔で出迎えてくれた。


「いやあ、バルシャから話を聞いて、びっくりしたよ。町のほうは、ひどい騒ぎなんだってねえ」


「うむ。話を聞いたドンダは、何か言っていたか?」


 リャダ=ルウが問い返すと、ミーア・レイ母さんは「ああ」と微笑んだ。


「今日の狩りは、あまり森の深くにまでは入らないようにするから、何かあったらすぐに草笛で呼びつけろ、だってさ。あとは、ザザとサウティにも人間を送ったし……今日中に盗賊どもが退治されなければ、夜は寝ずの番を立てるべきだろうかって、おっかない顔で考え込んでたよ」


「そうか。了承した」


「でもまあ、森辺への道は何百人って兵隊に守られてるって話なんだろう? ジェノスの領主ってお人も、あたしらをきちんと領民として扱おうとしてくれてるんだろうねえ」


 嬉しそうに笑いながら、ミーア・レイ母さんは俺を振り返ってきた。


「何はともあれ、お疲れ様。今日の勉強会は、ファの家だったよね。何も危険なことはないだろうけど、気をつけて帰っておくれ」


「あ、はい。その前に、レイナ=ルウとシーラ=ルウも交えて、お話があるのですが」


「え? いったい、何のお話でしょう?」


 荷車を降りたシーラ=ルウと、かまどの間から出迎えに来ていたレイナ=ルウが、不思議そうに俺を見る。盗賊団の起こした騒ぎのせいで、ともに商売に励んでいたシーラ=ルウとも、なかなか言葉を交わす機会がなかったのだ。

 そうして俺が、個人的な勉強会についての話を切り出すと、レイナ=ルウが目の色を変えて詰め寄ってきた。


「3日にいっぺん、アスタが自分のためだけに修練をするというお話であるのですね。それに、わたしたちも同行させていただけるのですか?」


「うん。本当は今日、ヤンやジーゼとその話をしたかったんだけどね。どっちみち、宿場町に居残るのは盗賊団の騒ぎが収まってからになるから、今日は真っ直ぐ帰ってきたんだ」


「では、それまではどのような修練を?」


「それはまだ未定だね。そのときの気分で、いまの俺に一番必要な修練をしようと考えているよ。まずは身近にある食材をあらためて吟味したり、これまでは買いつけていなかった食材にも目を向けてみたり……まあ、しばらくネタは尽きないだろうね」


「それにご一緒させていただけるなら、是非お願いします!」


 レイナ=ルウは無意識のうちにか手を差しのばし、俺の指先をひっつかむ寸前で動きを停止させた。内心の昂揚を、ぎりぎりのところで抑制することに成功できた様子である。


 とにもかくにも、俺からの提案は温かく受け入れてもらうことができた。

 しかし、シーラ=ルウに続いて荷車から降りてきたララ=ルウは「ちぇーっ」と口をとがらせている。


「それで、いつもの勉強会は数が減っちゃうんだね。ますますレイナ姉たちとの差ができちゃいそうだなあ」


「そんなことないよ。レイナ=ルウたちに何か学べることがあれば、それはすぐララ=ルウたちにも伝えられるんだろうからさ」


 ミーア・レイ母さんは「そうだよ」と笑ってくれていた。


「それでも不満があるってんなら、あんたもついていくかい? きっとそれは、さぞかし小難しい勉強会になるんだろうと思うけどねえ」


「ふーんだ」と、ララ=ルウはむくれてしまった。自分も修練を積みたい、というよりは、仲間外れにされたことをさびしがっているように見えなくもない。


「ごめんね、ララ=ルウ。でも俺は、ミケルにも教えを乞おうと思っているからさ。そういうときはミケルの家にお邪魔することになるだろうから、ララ=ルウもぜひ参加しておくれよ」


「……やはりアスタは、ロイの料理を食べて、奮起することになったのですね」


 レイナ=ルウが青い瞳を強く光らせながら、また俺に迫り寄ってくる。


「わたしも、同じ気持ちです。べつだん、ロイのような料理を作りたい、と思ったわけではないのですが……でも何か、居ても立ってもいられないような心地なのです」


「うん。まさに俺も、そんな心境だよ」


 そんな俺たちに比べれば、シーラ=ルウはいつも通りのたたずまいであった。しかしこれは、もともとの性格によるものなのだろう。その切れ長の瞳には、静かな闘志とでもいうべき光が灯されているように思われてならなかった。


「それじゃあ、開始は明後日からということで。たぶん初日はファの家で開くことになると思うけど、大丈夫かな?」


「はい。ミーア・レイ母さんとも相談して、わたしとシーラ=ルウのどちらかは動けるようにしておきます」


 それで、話はまとまった。

 ティアが荷車に乗り込むのを待ってから、俺たちは一路、ファの家を目指す。


「レイナ=ルウの意気込みはすごかったですね。朝方のトゥール=ディンにも負けない様子でした」


 ユン=スドラが笑いを含んだ声で言うと、トゥール=ディンは「や、やめてください」と恥ずかしそうに抗弁していた。そして、そこにマルフィラ=ナハムの言葉がかぶさってくる。


「だ、だ、だけど、レイナ=ルウにシーラ=ルウ、トゥール=ディンにユン=スドラという顔ぶれの中に、わたしなどが加わってしまってもいいのでしょうか? な、何だか不安になってきてしまいました」


「何も不安がることはないよ。マルフィラ=ナハムだって、屋台の商売に参加してから、もうふた月ぐらいになるんだからさ。それだけ下地ができていれば、俺がちょっと小難しい研究に取り組んでも、きっと得るものはあるだろうと思うよ」


 衛兵たちの立ち並ぶ宿場町を離れることによって、ようやく俺たちの間でも平穏な空気が回復したようだった。御者台の背もたれにへばりついたティアも、吹きゆく風に心地よさそうに目を細めている。外界の騒擾が嘘のように、森辺の集落は平和そのものであった。


 やがてファの家に到着すると、そこではフォウ、ラン、ガズ、マトゥアの人々が、すでにカレーの素の作製を開始していた。パスタの販売をいったん取りやめた分、カレーの素はこれまで以上に準備しなければならなくなったのだ。


「どうもお疲れ様です。何も問題はありませんでしたか?」


「ああ。今日のみんなは、手馴れているからね。香草の皿をひっくり返すこともなかったよ」


 玄関先で合流したジルベは扉の外に陣取り、ティアはちょこちょこと俺についてくる。かまど小屋の中には香辛料の香りがあふれかえり、空気が黄色に見えてしまいそうだった。


「それじゃあこっちも、下ごしらえを済ませちゃおう。明日の日替わり献立は……ひさびさに、焼き餃子にしようかな」


「では、そちらの下ごしらえは、タレを作っておくぐらいですか?」


「そうだね。フワノの生地も、明日の朝で間に合うと思うよ」


 いつも通りの、日常の風景である。

 しかし、その日常が続いたのは、わずか半刻ていどであった。

 下ごしらえがあらかた完了して、俺たちがいざ勉強会に移行しようとしたとき――ティアがいきなり、俺の腕を握りしめてきたのである。


「アスタ、身を伏せろ」


 俺は驚いて、ティアを振り返った。

 そのガーネットみたいに綺麗な瞳が、溶岩のように燃えている。ティアのこんな目つきを見たのは、それこそ初めて顔をあわせた日以来であった。


「ど、どうしたんだい? 身を伏せろって、いったい……」


「いいから、身を伏せるのだ」


 ティアのほっそりとした腕が、凄まじい力で俺の腕を引いてくる。俺はほとんど倒れ込むようにして、土が剥き出しの地面に膝をつくことになった。


「お前たちもだ! 身を伏せて、物陰に隠れろ!」


 ティアがそのように怒鳴った瞬間、雷鳴のごとき音色が空気を揺るがした。

 ジルベが、咆哮をあげているのだ。


 いったい何が起きたのだ、と俺がティアを問い質そうとした瞬間――俺の頭上を、一陣の風が吹きすぎていった。

 慌てて視線を巡らせた俺は、息を呑む。

 かまど小屋の壁に、一本の矢が突き立っていた。

 何者かが、窓から矢を射かけてきたのだ。

 しかもその矢は火矢であり、木造りの壁からぶすぶすと黒い煙があがり始めていた。

 そして、その声が響きわたったのである。


「ファの家のアスタ! その小屋、出てこい! さもなくば、焼け死ぬ!」


 どこかたどたどしいイントネーションの、助詞の足りない言葉――

 それはまぎれもなく、東の民が発する西の言葉であるはずだった。

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