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異世界料理道  作者: EDA
第三十九章 南の実りと東の颶風
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南の実り⑦~新たな道~

2018.11/11 更新分 1/1

・本日の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「右のやつがリミのお菓子で、左のやつがトゥール=ディンのお菓子だよー」


 リミ=ルウの無邪気な声とともに、皿が配膳されていく。

 もちろん俺も、ふたりが何を準備したかは事前に聞かされていた。ふたりは、かねてより研究を重ねていた、キミュスの卵殻を使った菓子を準備していたのだった。


 キミュスの卵殻を加工して生地に練り込むと、ちょっと独特の風味を得ることができる。俺が中華麺の開発を進めるうちに、副産物として完成された菓子である。前回の茶会でもお披露目されたのだが、それに同席した人間はここにいない。唯一、デルスとワッズがルウ家の晩餐で、リミ=ルウのどら焼きを食したぐらいであった。


「ああ、こいつは晩餐で出された菓子だなあ?」


 ワッズがそのように述べたてると、リミ=ルウは元気に「うん!」とうなずいた。


「でも、あのときとはちょっぴりだけ中身が違うんだよー」


「ふうん。見た目じゃわかんねえなあ」


 リミ=ルウのどら焼きは、4等分にされて出されていた。

 こんがりと茶色く焼きあげられた生地の間から、ブレの実でこしらえた餡子が覗いている。それとともに封入された食材は、半透明なので視認しにくいのだろう。

 さっそくそれを口にしたワッズは「おう」と目を丸くした。


「何だあ、これ? なんか、にちゃにちゃしたのが入ってるなあ」


「それはねー、チャッチのおもちだよ! おもちはブレのあんこと合うから、一緒に入れてみたの!」


 俺の世界でも、餅入りのどら焼きというものは販売されていたように思う。しかしリミ=ルウは、俺からの助言を待つことなく、自力でその発想に至っていたのだった。


 卵殻を練り込んだことによって和菓子らしい香ばしさを得たフワノとポイタンの生地に、砂糖とともに煮込まれたブレの実の餡子、そしてわらび餅のごときチャッチ餅である。餡子だけでも十分に美味しいどら焼きであったが、チャッチ餅が加わることによって、また楽しい味わいに仕上げられていた。


「どう? 美味しいでしょー?」


「ああ、うめえなあ。この前の晩餐のやつより、俺はこっちのほうが好みだなあ」


 リミ=ルウとワッズのやりとりはのほほんとしていたが、それ以外の人々の多くは真剣きわまりない面持ちになっていた。もちろん、料理人を生業にしている人々である。なおかつ、その中でもっとも驚きをあらわにしているのは、ティマロであった。


「これは……不可思議な風味ですな。ギギの葉で香ばしさをつけるというのは、ヴァルカス殿の得意とする作法ですが……この香ばしさは、それとも異なるようです」


「うん! それはねー、キミュスの卵の殻を使ってるの!」


「た、卵の殻? そのようなものが、どこに使われているというのです?」


「窯で焼いてこまかくして、生地に練り込んであるんだよー。アスタに教えてもらったの!」


 ティマロの目が、すみやかに俺へと向けられてくる。


「ということは……これもまた、渡来の民の作法ということですな」


「はい。こまかい分量を考案したのは、リミ=ルウやトゥール=ディンたちですけれどね」


 どうも俺が思っていた以上に、料理人の人々は感銘を受けている様子であった。ヴァルカスやタートゥマイは内心を読み取れないが、ロイやボズルやシリィ=ロウも驚きの表情になっている。

 おそらくヴァルカスもキミュスの卵殻を菓子に使っているのだろうと思われるが、それは「ふくらし粉」としての効能をピックアップした作法であったので、風味を強調したこの味わいに驚いているのかもしれない。アプローチの仕方が異なれば、これだけ異なるものが完成する、ということなのだろう。


「それで……トゥール=ディン殿も、その作法にならっているのですな?」


 と、ティマロの目がトゥール=ディンに差し向けられる。

 王都の監査官に料理を出したとき、ティマロはトゥール=ディンにたいそう注目していたのである。そのときの記憶がよみがえったのか、トゥール=ディンは「はい……」と身を縮めてしまっていた。


「わ、わたしも生地に、卵の殻を練り込んでいます……リミ=ルウの菓子ほど、上手くはいっていないかもしれないですけれど……」


「そんなことないよー! このお菓子も、ジバ婆に食べさせてあげたいなあ」


 トゥール=ディンは、同じ系統の生地をこしらえながら、それを洋菓子風に仕上げていた。

 どら焼きよりは薄めの生地であり、窯ではなく鉄板で焼いている。そして、その生地を何層にも重ねて、間に具材をはさみこんでいるのだ。その内容が、プレーンとチョコ味のホイップクリームに、ラマムのジャム、アロウのジャム、という西洋風のラインナップなのである。


 また、生地は乳脂で焼かれているために、その風味もぞんぶんに活かされている。俺としては、和菓子の生地で洋菓子をこしらえたような楽しい感覚であるのだが、そんな区分を知らないからこそ、このような発想が生まれるのだろう。また、独特の風味を持つ生地と調和するように、クリームやジャムのほうも繊細に味が組み立てられていた。


 ティマロは硬質の表情で、その菓子を口にする。

 そして、その菓子を頬張ったとたん、くにゃりと弛緩した。


「ああ……なんと素晴らしい味わいでしょう……そちらのあなたも見事な腕前でありましたが、これは……甘みと苦みと酸味が完璧に調和しているように思います」


「あ、いえ、その……あ、ありがとうございます」


「こと菓子作りに関して、あなたがたは天賦の才能を持っておられるのでしょう。……ヴァルカス殿とて、異存はございませんでしょうな?」


 いきなり険しい面持ちになって、ティマロがヴァルカスを振り返る。

 とっくに試食を終えていたヴァルカスは、ただ短く「美味です」と答えていた。


「これだけの菓子を前にして、それだけの感想なのですか? これは、ダイア殿の菓子にも匹敵する出来栄えでありましょう?」


 さっきのディアルとラービスにも通ずるやり取りであるのだが、こちらは微笑ましさなど皆無である。ヴァルカスは、茫洋とした面持ちでティマロを眺めていた。


「わたしは個別で楽しむ菓子を作りあげることに、強い意欲を持つことができませんでした。そんなわたしよりも、彼女たちはよほど美味なる菓子を作りあげることができるのだと思います」


 そのように述べてから、ヴァルカスは弟子たちのほうに視線を転ずる。


「個別で楽しむ菓子に関しては、わたしよりもシリィ=ロウやロイなどのほうが巧みでありましょう。そういえば、ロイもダイア殿に匹敵する腕前と評されたのでしたね」


「何ですと!」と、ティマロが腰を浮かせかけた。

 ロイは慌てた風で、「やめてくださいよ」と声をあげる。


「それは、オディフィア姫のお戯れです。俺があのダイアに匹敵するなんて、そんなわけあるはずがないでしょう?」


「し、しかし、こちらのトゥール=ディン殿は、そのオディフィア姫に腕を認められたのです。それでトゥール=ディン殿がこれだけの腕を持つのですから……幼いながらも、オディフィア姫には菓子の味を正しく評価する舌が備わっておられるということなのでしょう」


 そのような言葉を重ねながら、ティマロの目にはめらめらと対抗心の火が燃えていく。トゥール=ディンやリミ=ルウには好意的であったのに、ヴァルカスの弟子がそのような評価を受けることには、対抗心をかきたてられてしまうのだろうか。ロイは困り果てた様子で、ヴァルカスのほうをにらみつけていた。


「何はともあれ、どちらも美味な菓子だねえ。これならオディフィア姫が茶会をせがむのも当然のことだ」


 料理人の間にわきたつ不穏な空気を払拭するように、ポルアースが明るい声をあげる。その目は、なごやかに菓子を食べている南の人々へと向けられた。


「ディアル嬢も、たびたび茶会に招かれていたよね。砂糖や蜜はジャガルでとれるのだから、やはりあちらでは菓子作りも盛んなのだろう?」


「はい。ですが、ジャガルでこれほど美味な菓子を食べたことはありません。コルネリアからいらしたあなたがたは、いかがですか?」


「俺もワッズも、生まれは別の土地なんだが……それでも、これほど上等な菓子を食べたことはありませんな」


「うん、どっちもうめえよお。屋台で売ってくれたら、毎日食べるのになあ」


 そんな風に答えてから、ワッズはトゥール=ディンのほうに目をやった。


「それにしても、菓子を準備してたんなら、言ってくれよお。俺、おめえの作る上等な菓子が食いたいって言ったろお?」


「あ、は、はい。どうも申し訳ありません……」


「美味い菓子を食わせてくれたんだから、謝るこたあねえよお」


 ジャガルの人々のおかげで、和やかな空気が回復したようだった。

 それに、いつでも朗らかなリミ=ルウやマイムはもちろん、レイナ=ルウやシーラ=ルウやトゥール=ディンたちも、ヴァルカスを失望させずに済んで、とても安堵している様子である。


 ヴァルカスのコメントはごく短いものばかりであったが、どこかに少しでも不満が生じていれば、それを隠す理由はないし、また、それを隠せる性分でもないのだ。そのようなことを知ってか知らずか、トゥール=ディンの調理を手伝っていたユン=スドラも、我がことのように嬉しそうな様子を見せていた。


「それでは、いよいよロイ殿の出番かな? これは楽しみなところだね」


「あ、いえ……それは先日、サトゥラス伯爵家のお屋敷でお出しした料理と同じ献立ですので、ポルアース様には申し訳ない限りなのですが……」


「それなら、なおさら楽しみなところだよ。あれらの料理は、本当に美味であったからねえ」


 ロイはいくぶん肩を落としつつ、部屋を出ていった。それに追従していったのは、シリィ=ロウのみである。他の人々は歓談を始めていたので、俺もヴァルカスへと声をかけてみた。


「あの、もちろんヴァルカスも、ロイの料理は口にしているのでしょう? やはり、かなりの出来栄えであったのですか?」


「そうですね。まだまだ不完全な仕上がりで、わたしとしてはこのような場でお出しするのは不相応であるように思いますが……それでも、貴重なギバ肉を使うことを許そうと思えるていどには、意欲的な料理だと思っています」


 すると、レイナ=ルウがちょっと心配げな面持ちでこの会話に入ってきた。


「ロイがどのようなギバ料理を作りあげたのか、とても楽しみにしています。……それであの、お身体のほうはもう大丈夫なのですか?」


「はい。何がでしょう?」


「ヴァルカスが体調を崩されたために、ロイが代役を果たしたというお話であったでしょう? いったいどのような病魔であったのですか?」


「ああ、それは……」とヴァルカスが言いかけると、ボズルが妙に大きな声で割り込んできた。


「ヴァルカス殿は、ちょっと咽喉を痛めてしまわれたのですよ。人よりも鋭敏な舌や鼻を持っているせいか、身体の中身が繊細にできているようなのですな。しかし、いまではもう、すっかり元気になられておりますよ」


「そうですか。それなら、何よりです」


 レイナ=ルウは、ほっとした様子で息をついていた。

 すると、俺の背後に控えていたアイ=ファが、耳もとに口を寄せてくる。


「いまのは、虚言だな」


「え? 虚言って、ボズルの言葉のことか?」


「うむ。なにやらポルアースの耳を気にしていたようだ。……しかしまあ、我々には関係あるまい」


 どうしてこのような話題で、ボズルが虚言を口にしなければならないのか。俺には、さっぱりわけがわからなかった。

 しかし、あのボズルが悪意をもって人を騙そうとするようには思えない。きっと、よんどころのない事情があったのだろう。ヴァルカスの無遠慮な性格や、貴族に対する礼節あたりに、それは起因しているのではないかと思われた。


(確かにヴァルカスの下で働くっていうのは、色々と気苦労が絶えないんだろうな)


 俺がそんな風に考えたところで、ロイたちが早々に戻ってきた。

 下ごしらえは済ませていたという話であったので、そんなに手間はなかったのだろう。小姓は使わずに自分たちで料理と食器を運び込み、それを配膳してくれた。


 で――その料理である。

 森辺のかまど番たちは、一様に驚きにとらわれることになった。

 それは、どこからどう見ても、『ギバ・カツ』であったのである。


「こ、これがあなたの作りあげた、ギバ料理なのですか?」


 レイナ=ルウの言葉に、ロイは「ああ」とうなずいた。


「勝手にアスタの作法を真似ちまって、申し訳なかったな。気分を害したなら、謝罪するよ」


「いや、謝罪なんて必要ないけれど……だけどこれは、確かに驚きだなあ」


 各人の皿には、ふた切れずつの『ギバ・カツ』がのせられていた。ずいぶんささやかな量であるが、それは味見をする人間が急遽増えてしまったためだろう。ディアルやティマロたちの前にも、きちんと皿は届けられていた。


 そうして最初から切り分けられているゆえに、俺にはロイの工夫を察することができている。

 この『ギバ・カツ』には、香草が加えられているのだ。室内には、実にスパイシーな芳香が漂っていた。


「確かにこれは、アスタたちが屋台で売っている料理と似ているようですね」


 皿の上の『ギバ・カツ』を眺めながら、ディアルはそのように評していた。初対面であり城下町の民でもあるロイには、丁寧な言葉をつかうことにしたようだ。

 ロイは溜息をこらえているような面持ちで、「ええ」と応じていた。


「これは以前から、カロンやキミュスの肉で研究を進めていた料理です。まだまだ不完全な出来栄えですが、お口に合えば幸いです」


「うんうん。城下町ではギバ肉も取り合いだから、なかなか研究を進めることも困難なのだろうねえ」


 そのように述べながら、ポルアースが卓のほうに手を差しのべた。


「さあ、味見をしてみるといいよ。森辺の方々がどのような感想を抱くのか、僕としてもかなり興味をかきたてられていたんだ」


「……それでは、いただきます」


 俺は銀色のフォークを、その『ギバ・カツ』に刺してみた。

 揚げたてであるので、さくりと心地好い感触が伝わってくる。

 期待と不安の念を胸に、それを半分だけかじってみると――実に鮮烈なる味と香りがひろがった。


 これは、かなりの種類の香草を使っている。ソースの類いが掛けられていなかったのも、当然だ。そのようなものを使わずとも、この料理には強い辛みと甘みと苦みと酸味が存在していた。


 衣と肉の間に香草がはさみこまれており、辛みと酸味の大部分はそこからもたらされているように感じられる。トウガラシ系のイラの葉と、レモングラスのごとき香草は知覚できたが、それ以外にも複数の香草が使われているようだった。

 シールの果汁と同じように、その酸味が強い油分を中和してくれている。また、揚げる油にはゴマ油のごときホボイ油を使っているのだろう。その香ばしさが、またこれらの香草と絶妙に調和していた。


 あとは、肉の下味に強い甘みを感じる。砂糖だけではなく、ミンミあたりの果汁も使っているのだろう。その桃のごときまろやかな甘みが、また一段と深い味わいを生み出していた。

 それによく見ると、干しフワノ粉の衣には、黒い粒子が散りばめられている。きっとこれは、ギギの葉であるに違いない。その苦みと香ばしさが、ホボイ油の風味と層を成しているのだ。


 すべてが、ぎりぎりのところで調和している。

 ただしそれは、ヴァルカスのように緻密な組み立てではなく、ひどく乱暴な手際で、無理やり繋ぎとめているかのような、調和であった。

 しかしそれでも、味は壊れていないのだ。

 甘みと辛みと苦みと酸味が、おたがいを引き立て合いながら、激しく自己を主張している。これはまぎれもなく、ヴァルカスの作法を下敷きにした料理であった。


 だけどこの、さくさくとした衣としっかりとした肉の噛みごたえは、『ギバ・カツ』ならではの魅力である。俺がよく知る『ギバ・カツ』が、あまり馴染みのない城下町の作法で調理されている。それは、きわめて不可思議な感覚を俺にもたらしてやまなかった。


「これが……あなたのこしらえた、ぎばかつですか」


 レイナ=ルウが、震えるのをこらえているかのような声で、そのように述べていた。

 ロイは、そちらに向かって「ああ」とうなずく。


「不完全なのは、自分でもわかってる。でも、森辺の民にとっては、どんな風に感じられるのか……よかったら、聞かせてもらえねえかな?」


「不完全……なのでしょう。何も知らずにこの料理を口にしても、ヴァルカスの料理と見まごうことはないように思います」


 そこでレイナ=ルウは、くいいるようにロイを見つめた。


「でも、ぎばかつをこんな風に仕上げられるなんて……あなたはどうして、このような料理を作ろうと考えたのですか?」


「そりゃあやっぱり、アスタの料理に感銘を受けたからだろうな。アスタの作るぎばかつって料理を、自分だったらどんな風に仕上げるか……そいつを試さずにはいられなかったんだ」


 ロイは表情をひきしめて、レイナ=ルウの真っ直ぐな視線を受け止めていた。

 しばらくの静寂の後、シーラ=ルウが「美味だと思います」と静かに述べたてた。


「だけどやっぱり、それ以上に、まずは驚かされてしまいました。アスタの作法とヴァルカスの作法を同時に取り入れるなんて……そのようなことが可能であるなどとは、わたしは想像もしていなかったのです」


「そうか。でも、あんたたちはアスタとミケルの作法を同時に取り入れてるよな。アスタとヴァルカスほど、かけ離れた作法ではないんだろうけどさ」


「ああ……だからさきほどヴァルカスは、ロイのほうが苦労が大きいと仰っていたのですね」


 シーラ=ルウは、ふわりと穏やかに微笑んだ。


「確かにわたしは、このように難しい料理の修練に取り組もうとは、考えられないかもしれません。この料理を、本当の意味で完成させようと思ったら……1年や2年でも足りなくなってしまいそうです」


「ああ。俺もそんな風に思っているよ」


 レイナ=ルウとシーラ=ルウは、俺と同じぐらい打ちのめされているようだった。

 他の面々はというと――トゥール=ディンは深くうつむいてしまっており、ユン=スドラは困惑の表情、リミ=ルウは「うーん」と首を傾げていた。


「……やっぱり、口に合わなかったかな?」


 ロイがうながすと、リミ=ルウはひかえめに「うん」とうなずいた。


「あ、美味しいとは思うけどね! でも……リミはやっぱり、アスタのぎばかつのほうが好きだなあ」


「そ、そ、そうですね。わ、わ、わたしも、そのように思います」


 そのように声をあげてから、マルフィラ=ナハムはせわしなく視線を漂わせた。


「た、た、ただ、わたしは城下町の料理を初めて口にしましたので……な、なんだかもう、言葉にできないぐらい、驚かされてしまっています。りょ、料理というのは、こんなにもさまざまな味を組み合わせることが可能なのですね」


「ああ。それが城下町の流儀だし、俺の師匠はそいつをとことん追究しようとしているお人だからな」


「なるほど。これが、城下町の流儀なわけか」


 と、ふいにデルスが発言した。

 そのぎょろりとした目が、じろじろとロイを眺め回している。


「まあ、俺はシムの香草を好かないので、あまり感心はできないのだが……しかし、よほどの腕を持っていなければ、こんな料理を作りあげることはできないのだろう。そういう意味では、大いに感心させられた」


「そうですね。わたしも、同じ気持ちです」


 ディアルも、すかさず便乗する。南の民というのは、それほど複雑な味付けを好んだりはしないようなのだ。


「本当にこれは、素晴らしい料理だと思います。わたしには、これほど複雑な味を組み立てることなど、まったくできそうにありません」


 マイムは、そのように述べていた。

 レイナ=ルウたちのように衝撃を受けている様子ではなく、ただひたすらに昂揚している。早く気心の知れた人間たちだけで、好きに感想を言い合いたくてたまらない、といった様子だ。

 そうして笑顔で人々の言葉を聞いていたポルアースが、俺のほうに目を向けてくる。


「さて、アスタ殿としては、どのような感想であるのかな? とりあえず、驚いてはもらえたようだね」


「はい。心から驚かされました。俺の故郷にも、この料理をこんな風に仕上げる人はいなかったでしょうし……俺自身も、想像すらしていませんでした」


「うんうん。サトゥラス伯爵家の晩餐においても、みんな驚かされていたよ。驚かされたし、それに感心することにもなったね。さきほどシーラ=ルウ殿も言われていた通り、このような料理を完璧に仕上げるには気の遠くなるような修練が必要なのだろうけれども、ロイ殿はあえてその苦難の道に足を踏み入れたということなのだろうね」


 俺は大きくうなずきながら、ロイのほうに目をやった。

 ロイは「何だよ?」と口をとがらせる。


「不完全なのは、わかってる。先日の晩餐会でも、味比べをしたらお前には遠く及ばないというお言葉をいただいたよ」


「そっか。だけど、この料理は現段階でもすごい完成度だと思うよ。これが本当の完成を迎えたらと想像しただけで、鳥肌が立ちそうなぐらいだね」


「だから、それが難しいんだって」


 すると、ティマロが「そうですな」と真面目くさった声をあげた。


「確かに発想は素晴らしいように思いますし、味の組み立てにも大きな不備は見られません。あなたはわずか1年で、驚くほどに成長を遂げたようですね」


「ありがとうございます。ティマロにそんな風に言っていただけるのは、光栄ですよ」


「ふん。しかし、ダイア殿にはまだまだ及ばないでしょうな」


「だからそれは、オディフィア姫のお戯れなんですってば」


 森辺のかまど番ほど感銘を受けていないティマロと言葉を交わすことによって、ロイもようやく肩の力が抜けたようだった。

 しかし、レイナ=ルウはまだロイを見つめたままであったし、トゥール=ディンもうつむいたままである。そして、俺自身も胸の高鳴りを抑えられずにいた。


(ああ……早く森辺に戻って、自分の修練に取りかかりたいところだな)


 俺はヴァルカスの料理を食べたときにさえ、そのように考えることはなかった。ヴァルカスの料理はあまりに作法がかけ離れていたために、自分と比べることが難しいためであろうか。


 しかし、ロイの料理には、大きく情動を揺さぶられてしまっている。

 あえて言うならば、それはレイナ=ルウの作った『ギバ・スープ』が、自分の作るものよりも美味であるかもしれない――と感じたときの気持ちと似ているのかもしれなかった。


「……それでは、試食の会も、ここまでかな」


 しばらくして、ポルアースがそのように宣言した。


「デルス殿のもたらした食材の吟味も含めて、とても実りのあるひとときであったと思うよ。料理人の方々は、今後も美味なる料理のために邁進していただきたい」


 2名の武官を引き連れて、まずはポルアースが退室する。

 俺はヴァルカスやロイたちに声をかけようと立ち上がったが、それよりも先にデルスが近づいてきた。


「さっきの料理には、驚かされたな。俺の好みに合うかは別として、あれほどの腕を持つ人間がそろっているなら、俺も商売のし甲斐があるってもんだ」


 周囲の人たちには聞こえないように、小さくひそめられた声でデルスはそのように語っていた。


「だけどまあ、俺の舌に合うのは、お前さんの料理のほうだ。商売の話がまとまったら、せいぜい美味い料理をこしらえてくれよ、アスタ」


「はい。俺も全力で取り組ませていただきますよ」


 俺はデルスに笑いかけてみせた。

 デルスも、にやりと笑っている。


 本当に、実りの多いひとときであった。

 ロイのほうを振り返ると、レイナ=ルウとシーラ=ルウに左右をはさまれて、質問責めにあっている。間に入ったシリィ=ロウは、まるでレフェリーのようなたたずまいだ。


 マイムとリミ=ルウはヴァルカスに声をかけており、トゥール=ディンとユン=スドラはボズルに声をかけられて、マルフィラ=ナハムは何故だかひとりでタートゥマイと向かい合っていた。両者は初対面であるはずだが、かたやおどおどと、かたや無表情に、小声で何かを語らっている様子である。


「ふむ。しばらくは動きそうにないな」


「あー、城下町の連中とはなかなか顔をあわせらんねーから、楽しいんじゃねーの?」


 アイ=ファとルド=ルウは手持ち無沙汰な様子で、みんなのやりとりを見守っている。俺のそばから離れたデルスは、再びディアルに声をかけていた。


「それじゃあ俺も、ちょっとロイと話してきていいかな?」


 俺がそのように言いたてると、アイ=ファが妙に優しげな視線を向けてきた。


「お前はずいぶんと、あのロイなる者の料理に感銘を受けたようだな、アスタよ」


「うん。早く自分も料理を作りたくて、うずうずしてるよ」


「そうか」と言ってから、アイ=ファはこらえかねたように俺の耳もとへと唇を寄せてきた。


「……お前のそういう目つきは、とても好ましく思う」


 もちろん俺には、自分がどういう目つきをしているかなど、見当もつかなかった。

 しかし、アイ=ファがこんなにもやわらかい声で、そのように言ってくれるのなら、きっと寿ぐべきことであるのだろう。

 俺はアイ=ファに「ありがとう」と伝えてから、質問責めにあっているロイのもとに足を向けることにした。

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