南の実り⑥~試食会~
2018.11/10 更新分 1/1 ・11/16 誤字を修正
・昨日、コミック版の第9話が更新されました。ご興味のある方は宜しくお願いいたします。
デルスとポルアースの商談は、それから半刻ほど続けられることになった。
契約が締結したあかつきには、どのような形で取り引きが為されるか、実にこまかい部分まで確認されることになったのである。
ただし、こういった商談について、ポルアースに決定権はないらしい。責任者はあくまでポルアースの上司にあたる外務官であり、さらに、ジェノス侯爵マルスタインからの認可が必要であったのだ。ポルアースが本日の話を持ち帰り、外務官と協議した上で、マルスタインにおうかがいを立てる。それらが採決されるには、数日ほどの時間が必要とのことであった。
「しかし、この内容ならば首を横に振られることはないと思うよ。ひとつ懸念があるとするならば、タウ油の売り上げが落ちてしまうことだけれども……べつだんあの食材の味がタウ油に似ているわけではないし、最初に提示された分量だったら、そこまで他の食材に影響は出ないだろうと思うね」
そんな言葉を締めくくりとして、俺たちはようやく席を立つことになった。
ずっと話を聞いているばかりであったワッズなどは、あくびを懸命にこらえている様子である。しかしそれは、立会人という立場であった俺やレイナ=ルウも同じような有り様であった。デルスとポルアースの商談は実にスムーズに進行されたため、俺たちが口をさしはさむ場面などほとんど存在しなかったのだ。
「それでは、厨に戻ろうか。この後は、ヴァルカス殿にギバ料理を味見してもらうという話だったよね」
「はい。こちらの勝手な願いを聞き入れていただき、心から感謝しています」
レイナ=ルウが一礼すると、ポルアースは「いやいや」と手を振った。
「僕まで味見をさせてもらえるのだから、これは役得というものだよ。デルス殿たちも、その試食会に参加されるのかな?」
「はい。森辺の方々のおはからいで、同席を許していただきました」
商談の内容に納得がいったのかどうか、デルスは真面目くさった面持ちのままである。ともあれ俺たちは、小部屋を出て厨に戻ることにした。
部屋の外にはバルシャが陣取っていたので、それと合流して厨に向かう。すると、厨の前にはリャダ=ルウと守衛の武官の他に、実に思いがけない人々が待ちかまえていた。
「あれ? ディアルとラービス。こんなところで、何をしているのかな?」
「おひさしぶりですね、アスタ。本日あなたがこの場を訪れると、ポルアースが知らせてくださったのです」
貴族であるポルアースがいたために、ディアルは丁寧な言葉づかいでそのように答えてくれた。ただし、その面にはいつも通りの朗らかな笑みが浮かべられている。ラービスもまたいつも通りの仏頂面で、俺たちに目礼をしてくれていた。
「聞くところによると、ディアル嬢はデルス殿の兄君と面識があるという話であったからね。せっかくだから交流を結んでみてはどうかと考えたのだよ」
俺はポルアースに、デルスはかつて森辺の祝宴に招いた建築屋の責任者の弟である、と伝えただけである。そこからポルアースは、ディアルの存在に思い至ったようだった。
いっぽう事情のわかっていないデルスは、用心深げな眼差しでディアルたちを見返している。
「……お前さんは、建築屋のバランと面識があるのか?」
デルスの丁寧な言葉づかいは、貴族に向けられるときのみに発動されるらしい。そちらに向かって、ディアルは「ええ」と屈託のない笑みを返した。
「バランとは、ともに森辺の祝宴に招いていただきました。わたしは鉄具屋のディアルで、こちらは従者のラービスと申します」
「ああ、なるほど……お前さんがたが、ゼランドの鉄具屋か。確かに、兄貴からも話は聞いている」
「アスタたちは、これから試食の会をされるのですよね。このように唐突な申し出は礼を失しているかもしれませんが、わたしたちもご一緒させていただくことはできませんか?」
ディアルのほうは俺にまで丁寧な言葉を向けてくるので、ちょっと落ち着かない感じである。俺がそれを伝えると、ポルアースが「あはは」と笑い声をあげた。
「以前にもエウリフィアが言っていたよね。このような場で、それほどかしこまる必要はないさ。ディアル嬢も、普段通りの態度で接すればいいのではないのかな?」
「しかしそれでは、おそばにあられる貴き方々に礼を失してしまうことになるでしょう。これは父からの言いつけですので、なるべく守りたく思っています」
「だったら、ディアル嬢が態度をあらためたら、試食の会に加わることを許してもらえるように、僕から口添えをしてあげようかな」
無邪気な笑みを浮かべるポルアースに、ディアルはちょっと身体をのけぞらしていた。
「ええと……それは冗談ではなく、本心からのお言葉なのでしょうか?」
「うん。決して君の父君に言いつけたりはしないから、何も遠慮をする必要はないよ」
そう言って、ポルアースは人差し指を自分の唇の前に立てた。俺の故郷と同じように、それは秘密を守るというジェスチャーであるらしい。
ディアルはさんざん逡巡し、最後にちらりとラービスのほうを見やってから、しかたなさそうにうなずいた。
「それでは、ポルアースのお言葉に従おうかと思います。……ラービスも、父さんに言いつけたら駄目だからね?」
ラービスは無表情にディアルを見返すばかりで、否とも応とも答えなかった。
ディアルは濃淡まだらの頭をかき回しながら、俺のことをちょっと恨めしげに見つめてくる。
「もう、アスタのおかげで妙なことになっちゃったじゃん。父さんにバレたら、ほんとにマズいんだからね?」
「ごめんごめん。でも、やっぱりディアルはそういう口調のほうが似合ってるよ」
「そういう問題じゃないんだってば」と言いながら、ディアルもこらえかねたように微笑をこぼした。
そちらに笑い返してから、俺はレイナ=ルウに向きなおった。
「勝手に話を進めちゃったけど、この話の取り仕切り役はレイナ=ルウなんだよね。了承してもらえるのかな?」
「もちろんです。味見用の料理は十分な量を準備していますので、2、3名増えるぐらいでしたら問題はありません」
「ありがとう」と微笑んでから、ディアルはちらりとポルアースのほうをうかがった。これならポルアースの口添えなど必要ないではないか、と思い至ったのだろう。ポルアースは、悪戯をすませた幼子のような笑顔で、厨の扉に向きなおっている。
「さて、それじゃあ料理人の面々に、挨拶をしてこようかな。君、扉を開けてくれたまえ」
「は……」と応じながら、守衛の武官は何やら気まずそうな面持ちであった。
すると横から、リャダ=ルウが沈着な声をあげてくる。
「その前に、伝えておこう。少し前から、この扉の向こうでは何やら騒ぎが起きているようだ」
「騒ぎ? 誰かが諍いでも起こしたのかな?」
「うむ。部屋にいるルド=ルウからはこちらを呼ぶ声も聞こえないので、べつだん大した騒ぎではないのかもしれないが、いちおう用心はしておくべきだろうと思う」
ポルアースは肉のあまった首を傾げつつ、あらためて武官に向きなおった。
「了承したよ。それでは、扉を開けてくれたまえ」
「かしこまりました」と、武官が扉を引き開ける。
とたんに、騒擾の気配がはっきりと伝わってきた。俺の聞き間違いでなければ、それはティマロの声である。
「ですから! これはあなただけに与えられた食材ではないのですぞ? 少しは立場というものをわきまえるべきでしょう!」
俺たちは顔を見合わせてから、厨に踏み込むことになった。ディアルたちは身を清めていないらしく、リャダ=ルウたちとともに扉の外に居残っている。
そうして歩を進めていくと、大きな作業台の前でティマロとヴァルカスが対峙していた。ティマロの背後には5名の料理人が、ヴァルカスの背後には4名の弟子たちが立ち並び、いくぶんげんなりとした様子で両者の姿を見守っている。ちょっと離れたところでかまどの番をしていたヤンは、苦笑をこらえているような面持ちで俺たちに目礼をしてくれていた。
「あなたはすでに、この厨の料理長でも何でもないのです! そんなあなたに、わたしどもが指図をされる覚えはありません!」
「何も指図はしていません。あなたがたが食材を無駄にしていることにも目をつぶっていたではないですか」
「食材を無駄にしているのは、どちらですか! あなたのせいで、せっかくの食材が尽きかけてしまっています!」
「美味なる料理を作りあげるには、必要なことなのです」
わめいているのはティマロばかりで、ヴァルカスのほうはいつものぼんやりとした口調でそれに応じているばかりであった。
また、その言葉の内容から、諍いの原因は察することが容易である。ポルアースは苦笑を浮かべつつ、ヴァルカスたちのもとに近づいていった。
「ずいぶんな騒ぎだね。いったいどうされたのかな、ティマロ殿にヴァルカス殿」
「あ、これは……貴き御方の前で、見苦しいところを……」
ティマロは慌てて一礼したが、すぐに怒気をはらんだ目でヴァルカスをにらみつける。
「ヴァルカス殿が、せっかくの食材を無駄にしてしまったのです。そうであるにも拘わらず、我々のほうこそが食材を無駄にしているなどと申し立てておりまして……まったく、許し難い行いでありますな」
「わたしは決して食材を無駄にはしていません。ただ、この食材に合う香草を吟味していたまでです」
「そのやり口が、乱暴に過ぎるのです! この有り様を、ご覧ください!」
作業台に置かれていた木箱をひっつかんだティマロが、それを俺たちに突きつけてきた。箱にみっしりと詰められていた食材が、8割がた消えてしまっている。
「この半分以上は、ヴァルカス殿がおひとりでつかいきってしまったのですぞ。香草をあわせて味見をしては、くず入れに放り捨てて……あなたは食材を何だと思っているのですか?」
「美味なる料理を作りあげるための材料だと思っています」
「そういう話ではありません! あなたの高慢に過ぎる振る舞いには、もううんざりです!」
のっぺりとした顔を真っ赤にしながら、ティマロがまたがなり声をあげた。
そこでロイが溜息をつきつつ、ヴァルカスの袖を引っ張る。
「ヴァルカス。ここは《銀星堂》の厨じゃないし、この食材はポルアース様からお預かりした貴重な食材です。たぶん、ティマロのほうが道理にかなった言葉を口にしていると思いますよ」
ヴァルカスは、感情の読めない横目でロイを見やった。
そうしてほっそりとした下顎に手をやって考え込むと、小石をぶつけられた犬のような所作で「ああ」と目を見開く。
「言われてみれば、その通りですね。こちらの食材があまりに興味深かったもので、つい我を失ってしまったようです。……ティマロ殿、大変失礼をいたしました」
ティマロはがくりと崩れ落ちそうになったが、すんでのところで踏みとどまることができた。
「しゃ、謝罪をする相手を間違っておりますぞ。そちらのロイ殿が言う通り、あなたはポルアース様から預かった貴重な食材を無駄にしてしまったのです」
「決して無駄にしたわけではないのですが……ついつい自分を抑えることができなくなってしまっておりました。つつしんで謝罪をさせていただきます」
ヴァルカスが頭を垂れると、ポルアースは呆れ気味の顔で笑った。
「ヴァルカス殿がそれほど夢中になるということは、きわめて価値のある食材だということなのだろうねえ。しかしこれは……さすがにデルス殿がお気を悪くされるのではないのかな?」
振り返ると、デルスは探るような目でこれらのやりとりを観察していた。そうして、ポルアースに向かって「いえ」と首を振る。
「そちらの木箱に収められていた分は、料理人の方々に吟味していただくために持参しましたので、どのように扱われても不満はございません。その食材に価値を認めていただけたのなら、何よりでありますな」
「そのように言ってもらえて、ほっとしているよ。もちろんその食材の代価は支払わせていただくからね」
「いえ。そちらは試供の品ですので、代価をいただくには及びません」
デルスが穏便な対応をしてくれたために、この騒ぎも収束したようだった。
それでももう一言は必要であると考えたのだろう。ポルアースは、きゅっと表情をひきしめてヴァルカスに向きなおる。
「ヴァルカス殿。この先、君が代価を払ってその食材を手にしたときは、どのように扱おうとも自由だけれどね。ティマロ殿の言う通り、このような場では少し身をつつしむべきだと思うよ」
「はい。深くお詫びを申しあげます」
反省しているのやらいないのやら、ヴァルカスは茫洋とした面持ちで頭を下げていた。
ポルアースは気を取りなおした様子で「さて」と声をあげる。
「それじゃあ、吟味の時間は終了させていただくよ。思わぬ騒ぎが起きてしまったようだけれども、その食材には大きな価値があるという見解に変わりはないかな?」
「はい。こちらがタウ油と同じ値で売られるのならば、多くの人間がそれを買い求めるに違いありません」
ようやく落ち着きを取り戻したティマロが、そのように答えていた。5名の料理人たちも、その背後でうなずいている。
「では、本日は解散だ。忙しい中、ご苦労であったね。この食材が買いつけられる日を楽しみにしていてくれたまえ」
5名の料理人は一礼して、厨の扉に向かっていった。
すると、ティマロが「恐れながら」と進み出てくる。
「さきほど森辺の料理人の方々から、これから試食の会が始められるのだと聞き及びました。そちらの取り仕切り役もまた、ポルアース様が担われていらっしゃるのでしょうか?」
「うん? まあ、取り仕切り役というほどではないけれどね。ただ、森辺の方々からの申し入れがあったので、この場所を借りられるように話を通しておいたのさ」
「では……わたしが参席を願い出る場合は、どなたに許しを乞うべきでありましょうか?」
ポルアースは、きょとんとした顔でティマロを見返した。
「それはやっぱり、森辺の方々ということになるだろうね。でもこれは、ルウ家の人々やマイム嬢の料理を、ヴァルカス殿たちが試食をするという会なのだよ?」
「はい。森辺の方々がどのような料理を作りあげたのか、わたしも強い関心を抱いております」
ポルアースは「そうか」と微笑んだ。
「ならば、森辺の方々に頼んでみるといいよ。さきほども、ゼランドからの客人が同じ申し入れをしたところなのさ」
もちろん、レイナ=ルウがそれを拒むことはなかった。
しかし、ヴァルカスの一行に加えて、ディアルにラービスにティマロ、それにデルスやワッズまで加わるというのは、なかなか異色の顔ぶれである。こんなメンバーで食卓を囲むことになろうとは、さすがに予想することはできなかった。
「それではさっそく、試食の会を始めようか。料理の準備は、いかがかな?」
少し離れた場所で作業をしていたシーラ=ルウが、深々と一礼する。
「こちらの準備は整っています。どちらにお運びしましょうか?」
「料理は従者に運ばせるので、取り扱い方を説明してもらえるかな? 僕たちは、ひとあし先に向かっているからね」
試食をする場所は、さきほど商談で使われた部屋であった。扉の外で待ち受けていたディアルたちとも合流し、俺たちはそちらに足を向ける。その途中で、ワッズがラービスに語りかけていた。
「おめえもなかなか立派な体格をしてるなあ。生まれは、どこなんだい?」
「……わたしは、ゼランドの生まれです。父方は、もっと南寄りの血筋であるそうですが」
「そうかあ。俺も南寄りの血筋だあ。南寄りのほうが、先祖返りが多く生まれるのかもなあ。……あっちの料理人なんかは俺と同じぐらい大きいし、こんな場所で先祖返りが3人もそろうなんて面白えなあ」
「はあ、そうですね」
気さくなワッズと無愛想なラービスで、これもまた奇妙な取り合わせであった。いっぽうディアルは、小声でデルスと語らっている。ディアルがジェノスで貴族を相手に商売をしていると知れば、デルスも彼女に強い関心を抱きそうなところであった。
「よお、ひさしぶりだな、アスタ」
と、俺にはロイが声をかけてきてくれた。その横には、むすっとした顔のシリィ=ロウも控えている。
「ひさしぶりだね。ヴァルカスのもとで、上手くやってるみたいじゃないか」
「どうだかな。変人の師匠のせいで、毎日が刺激でたっぷりだ」
そのように述べてから、ロイが顔を近づけてきた。
「それでさ、ちょいと相談があるんだけど……よかったら、俺の料理を味見してくれねえか?」
「ロイの料理を? それは嬉しい申し出だね。こちらからお願いしたいぐらいだよ」
「本当かよ? 俺としては、もうちょっと味を練りあげてからお願いしたかったんだけどな」
「だったら、そうすればいいじゃないか」
「……兄弟子が、この機会を逃す手はないって言い張るんだよ。どうにも強情な兄弟子で、そっちにも手を焼かされているんだ」
「小声で話しても、悪口というのは聞こえてくるものですよ」
俺たちの密談に、シリィ=ロウがずいっと割り込んでくる。
「あなたの料理は、最初の完成を迎えているように思います。もちろん本当の完成を迎えるには長きの時間が必要になるでしょうが、この時期に森辺の料理人の意見を聞くことは、大きな糧になるはずです」
「……と、こんな風に言い張っててね。まだまだ粗末な出来だから、俺は気が進まねえんだけどなあ」
「いいじゃないか。大した意見は言えないかもしれないけど、俺はぜひ食べさせてもらいたいね」
ロイはとても複雑そうな面持ちで息をついた。
「じゃあ、こっちの試食が済んだら、お願いするよ。いちおう下ごしらえは済ませてるからよ」
「あ、それじゃあ、レイナ=ルウのほうに話を通してもらえるかな? この会の取り仕切り役は、彼女なんだよ」
シーラ=ルウと小声で言葉を交わしていたレイナ=ルウが、不思議そうにこちらを振り返る。ロイが同じ言葉を繰り返すと、レイナ=ルウは心から驚いた様子で目を見開いた。
「あなたの料理を食べさせていただけるなら、とても嬉しく思います。わたしはまだ、あなたがおひとりでこしらえた料理というものを口にしたことがありませんでしたので」
「うーん。本当は、もっと味がまとまってから食べてほしかったんだけどな」
「くどいですよ、ロイ。……下ごしらえではわたしも多少は手伝いましたが、これはロイの考案したロイの料理となります。どうぞ楽しみにしていてください」
シリィ=ロウが毅然とした面持ちで述べたてると、レイナ=ルウも表情をひきしめて「承知しました」と応じる。そんな両名の姿を見比べながら、ロイはまた溜息をついていた。
ロイからの提案は、レイナ=ルウによってポルアースへと伝えられる。ポルアースは「それは楽しみなことだねえ」などと述べながら、愉快そうににんまりと微笑んでいた。
そんなこんなで部屋に到着した俺たちは、それぞれ着席した。料理をふるまう側のレイナ=ルウたちは、立ったままそれを見守っている。デルスとディアルたちは横並びになり、ティマロはひと席あけて、ヴァルカスたちの側に腰をおろした。
「それではまず、わたしの料理からお願いいたします」
内心の緊張を朗らかなる笑顔の下に隠しつつ、マイムが料理を取り分け始める。それはすみやかに、小姓たちの手によって卓に回されていった。
「こちらは果実酒を使った、ギバ肉の煮付けの料理です」
それは現在、マイムが屋台で販売している料理であった。キミュスの皮の油を使うことでようやく完成した、マイム渾身の力作である。
ベースとなるのは赤の果実酒とラマムの果汁で、甘みを強調した味付けになっている。さらにシナモンのような香草で甘やかさを際立たせつつ、別の香草で辛みを、ホボイの油とキミュスの皮の油で香ばしさも加えられているのだ。
具材は、ギバのモモ肉と、アリア、ネェノン、チャムチャム、ナナール。そして、屋台で売りに出す直前に、ラマンパの実も加えられることになった。落花生に似たラマンパの風味と食感が、この料理にまたさらなる彩りを与えている。そして、俺は以前からどこか中華料理を連想させる味わいだと考えていたのだが、その印象もいっそう強まったように感じられた。エスニック料理と中華料理を合体させたような、そんな印象であったのだ。
マイムの料理を口にした人々は、一様に「ほお」と目を剥いていた。
デルスやワッズはたびたび屋台を訪れていたが、森辺の民が販売している料理しか購入したことがなかったので、マイムの料理を口にするのはこれが初めてであったのだ。そんなふたりも、感心しきった様子で木匙を口に運んでいた。
「見事な出来栄えです。以前の料理よりも、いっそう精緻に味が組み立てられているようですね」
ヴァルカスの言葉に、マイムは「ありがとうございます!」と頬を火照らせた。
ロイやシリィ=ロウなどは真剣きわまりない表情で、タートゥマイは相変わらずの無表情、そしてボズルはにこやかな笑顔である。その中で声をあげたのは、やはりもっとも社交性にとんでいるボズルであった。
「いや、本当に素晴らしい出来栄えです。そのお若さを考えたら、信じられぬほどですな。さすがはミケル殿の後継者です」
「いえ、父には毎日、小言を言われてばかりで……でも、この料理はちょっとほめてもらえたんです」
すると、下座のほうから「ぐむう」という奇妙な声が聞こえてきた。
見ると、ティマロが面くらった様子で額を押さえている。マイムは心配げな面持ちでそちらを振り返った。
「ど、どうなさいました? お口に合わなかったのなら、申し訳ありません」
「い、いえ、決してそういうわけでは……あのミケル殿のご息女であれば、これほどの腕を持っていても不思議ではないのでしょうね」
ティマロとはあまりミケルについて語らった覚えはないのだが、かつてはヴァルカスと並んで三大料理人と評されていた存在であるのだから、もちろんマイムの存在は気に留めていたのだろう。そののっぺりとしたお顔には、素直な驚きの表情が浮かべられていた。
「この腕前でしたら、城下町で料理店を開くことも難しくはありますまい。ミケル殿ともども、城下町に戻られる予定はないのでしょうかな?」
「あ、はい。わたしはまだまだ未熟者ですので……自分で納得のいく料理を作りあげることができたのは、これでようやくふた品目なのです。これではとうてい、料理店など開けるわけがありません」
「なるほど。では、行く末が楽しみでありますな」
誰もがマイムの料理に満足している様子であったので、俺も胸を撫でおろすことができた。この出来栄えで文句を言われたら、俺だって立ち行かなくなってしまうのである。
ちなみにディアルとラービスは、1度だけ屋台でこの料理を食した経験があったので、お行儀のいい沈黙を保っていた。ポルアースは、もちろん満面の笑みである。
「……では、次はわたしたちの料理をお願いいたします」
かなり緊張した面持ちで、レイナ=ルウとシーラ=ルウが鉄鍋の中身をよそい始めた。これはルウ家のかまどで作られたものを、こちらの厨で温めなおしたのだ。
献立は、ネェノンをベースにしたシチューである。
これもずいぶん前から試作に励んでいたが、ようやく屋台で売りに出す目処が立った料理であった。
ネェノンは、俺の知るニンジンよりもクセが少なく、なおかつ甘みの強い野菜である。それを味の主体にしたこのシチューは、クリームシチューに負けないぐらい深みとコクがあって、非常にまろやかな味わいであった。
カロンの乳や、赤と白の果実酒も使われており、隠し味として香草の辛みも加えられている。ギバ肉は、肩肉が角切りで、バラ肉が薄切りだ。みっしりとした赤身の肩肉も口の中で簡単にほどけるぐらいやわらかく煮込まれており、脂身のゆたかなバラ肉はしっかりとした噛みごたえを残している。それらの食感を両立させるために、鍋に投じるタイミングを分けているのだ。
他の具材は、アリア、チャッチ、ナナール、マ・プラ、オンダ、そしてマッシュルームに似たキノコである。
それらの具材とは別に、キミュスの骨ガラの出汁まであわせているので、ここまで深みのある味を体現できたのだろう。その料理を口にした瞬間、ロイが「ああ」と声をあげていた。
「予想はしてたけど、格段に味がよくなってるな。もともと大した出来栄えだったのに、ふた月近くもかけて、さらに完成度をあげてみせたってことか」
ロイとボズルとシリィ=ロウは、かつて親睦の祝宴でこの料理を口にしているのだ。レイナ=ルウは、きりっとした面持ちで「はい」とうなずいた。
「お味は、いかがでしょう? あなたがたを失望させていなければいいのですが」
「格段に味がよくなってるって言ったろ。さすがとしか言いようがねえよ」
そのように述べてから、ロイはシリィ=ロウのほうに口を寄せた。
「やっぱり妥協を許さないから、これだけの料理を作りあげることができるんだよ。俺の料理をお披露目するのは、時期尚早なんじゃねえのかな」
「往生際が悪いですね。ひとたび決めたことは、最後までやりぬきなさい」
「決めたのは、俺じゃなくってお前じゃねえかよ」
ふたりの会話は小声でなされていたが、上座のポルアースの耳にもきちんと届けられていた。
「ロイ殿も、この後に料理を出してくれるそうだね。それがもし僕の知っている料理であるなら、とても楽しみなところだよ」
「え? ポルアースは、ロイの料理を口にされているのですか?」
俺が驚いて声をあげると、ポルアースは「うん」とうなずいた。
「この前、サトゥラス伯爵家のお屋敷でね。体調を崩したヴァルカス殿に代わって、ロイ殿が見事なギバ料理を作りあげてくれたのだよ」
「ギバ料理?」と、今度はレイナ=ルウと同時に声をあげることになった。シーラ=ルウも、切れ長の目を見開いてポルアースのほうを見やっている。
「うん、まあ、くわしく語ってしまったら興ざめだからね。どのような料理が出されるか、楽しみにしておこうじゃないか」
ポルアースはにこにこと笑い、ロイは溜息をついていた。
レイナ=ルウはしばらくロイの姿を見つめていたが、やがてそれを振り切るように、ヴァルカスへと視線を転じた。
「それで……わたしたちの料理はいかがでしたでしょうか、ヴァルカス?」
「美味でした」と述べながら、ヴァルカスは織布で口もとをふいていた。みんなが語らっている間に、レイナ=ルウたちの料理を食べ終えていたのだ。
「あなたがたも、目を見張るような成長を遂げているようですね。以前にも同じようなことを述べたやもしれませんが、これがアスタ殿の料理と言われて出されても、わたしは疑うこともないと思います」
そのように述べてから、ヴァルカスはわずかに首を傾けた。
「ただ……この香草の扱い方は、アスタ殿よりもミケル殿を想起させます。そのあたりのことは、やはりミケル殿に手ほどきされているのでしょうか?」
「あ、は、はい。最近は、アスタよりもミケルのほうが、長き時間をともにしているぐらいですので……やはり、影響は大きいと思います」
「なるほど。作法の異なるおふたりから同時に手ほどきをされて、よくも混乱しないものですね。……まあ、ロイほどの苦労ではないのでしょうが」
「はい? ロイが、どうされましたか?」
ヴァルカスは口をつぐんで、ロイのほうに目をやった。面倒なので、あなたが自分でご説明なさい、といった仕草だ。
それでロイが言い渋っていると、ポルアースが笑顔で「いやいや」と声をあげた。
「それはきっと、ロイ殿の料理を食べれば理解できることだろう。僕たちも、あの料理には心から驚かされたからねえ」
そうしてポルアースは、かたわらの客人たちに視線を移す。
「それで、みなさんはどうだったのかな? ルウ家の屋台にも頻繁に通われているなら、いまさら驚くことはないのかもしれないけれども」
「いえ、十分に驚かされました。……どうしてこの料理を屋台で売らないの?」
ディアルは心から不思議そうに問うていた。レイナ=ルウは、はにかむように微笑んでいる。
「これはつい最近、ようやく納得のいく味に仕上がったのです。今後は屋台でも売りに出されることになると思います」
「そっか。それじゃあ、その日を楽しみにしているよ」
しょっちゅう顔をあわせているのに、ディアルとレイナ=ルウが会話をする姿を見るのは珍しいかもしれない。ディアルはレイナ=ルウににこりと笑いかけてから、ラービスの腕を肘でつついた。
「ほら、ラービスも黙ってないでさ。美味しかったんなら美味しかったって、ちゃんと言ってあげたら?」
「……美味でした」
「それじゃあ気持ちが伝わらないってば! どこがどういう風に美味しかったの?」
「……わたしはそのように、料理を賛辞する言葉を知らないのです。不調法で、申し訳ありません」
姿を見せるのは10日にいっぺんていどであるが、最近ではラービスも毎回屋台の料理を食べてくれているのだ。無愛想な態度は変わらぬままであったが、レイナ=ルウたちも嬉しそうにラービスの言葉を聞いていた。
「それじゃあ、いよいよロイ殿の出番かな?」
ポルアースがそのように声をあげると、リミ=ルウが「あーっ」と大きな声をあげた。
「ちょっと待って! ……ください。あの、リミとトゥール=ディンも、お菓子を準備してるの! ……です」
「ああ、それは失礼したね。……あと、君も普段通りの言葉づかいでかまわないと思うよ」
「えへへ。ありがとー! それじゃあ、配るね!」
笑顔のリミ=ルウと緊張顔のトゥール=ディンが、小姓に木皿を受け渡していく。俺としても、ふたりの菓子がどのような評価を得られるのか、とても楽しみなところであった。
(でも、ロイの料理ってのも気になるな。いったいどんな料理を作りあげたんだろう)
当のロイは、溜息を噛み殺しながら自分の出番を待っている様子である。しかし、それが生半可な出来栄えであったのなら、シリィ=ロウだって試食を強くすすめたりはしなかっただろう。俺としては、期待が高まるいっぽうであった。