南の実り⑤~城下町へ~
2018.11/9 更新分 1/1
3日が過ぎて、灰の月の21日である。
その日は屋台の休業日であり、俺たちは昼下がりから城下町に向かうことになった。
目的は、むろんデルスとポルアースの面談と、城下町の料理人たちによる食材の吟味を見届けることである。
森辺から参じたメンバーは、12名。俺、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、リミ=ルウ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、マイム。護衛役としては、アイ=ファ、ルド=ルウ、リャダ=ルウ、バルシャ、という顔ぶれであった。
ずいぶんな大人数になってしまったが、これは城下町の料理人としてヴァルカスたちも参席すると聞きつけたゆえであった。レイナ=ルウやマイムたちがまたヴァルカスに料理の味見をしてもらいたいと願い入れて、それが当人とポルアースの双方に認められたのだ。
そして、アイ=ファやルド=ルウが狩人の仕事を休んでまで同行したのは、やはり宿場町を騒がせている《颶風党》の風聞ゆえであった。
ただし、そちらの風聞はこの数日で、少し沈静化している。ダバッグから流れてきた行商人の情報によると、ついに西の区域でも大がかりな討伐部隊が結成されて、《颶風党》の捜索が開始されたようであるのだ。
《颶風党》が逃げるとすれば、それは北東にあるシムの山岳部をおいて他にない。また、《颶風党》はかつてザッシュマが言っていた通り、ダバッグからトトスで西に5日、という地点から東側には姿を現していなかったので、やはり守りの堅いダバッグやジェノスに近づいてくることはないのだろう、と囁かれていたのだ。
しかしまた、そういう話を聞かされても、アイ=ファやドンダ=ルウが警戒を怠ることはなかった。城下町からも出迎えの部隊を出そうという話が届けられるまでは、さらに多くの狩人を出す準備までされていたほどなのである。
それに比べれば瑣末なことであるが、やはりかまど番の中にマルフィラ=ナハムが含まれていることも特筆するべきだろうか。
これは、俺が個人的に申し出た結果であった。
「マルフィラ=ナハムにはかまど番としての大きな才能を感じますので、こういう経験も財産になると思います。それに、これまで城下町の民と縁を結ぶ機会がなかったラヴィッツの血族にとっても、実りのある行いなのではないでしょうか?」
俺がそのように熱弁し、リリ=ラヴィッツからデイ=ラヴィッツへと伝えられて、それが容認された格好である。
城門の前で車を乗り換えて、貴賓館を目指すさなか、マルフィラ=ナハムは当然のように酸欠の金魚さながらの様相を見せていた。
「あ、ああ、こ、ここはもう城下町の内なのですよね? ほ、ほ、本当にわたしなどが、このような場所に足を踏み入れてしまってよかったのでしょうか?」
「俺たちが許されてマルフィラ=ナハムが許されない道理はないよ。洗礼の儀式のときだって、マルフィラ=ナハムは城下町に足を踏み入れているだろう?」
「だ、だ、だってあれは、すべての森辺の民が同じ行いに及んでいましたし……わ、わ、わたしのような未熟者が、かまど番としてこのような場所を訪れるなんて……」
人数が多かったので、今回は2台の車に分けられている。俺たちと同じ車に乗り込んだワッズは、デルスのかたわらで愉快そうに笑っていた。
「何だか、落ち着かねえ娘っ子だなあ。そっちのちっこい娘っ子のほうが、よっぽどどっしりかまえてるじゃねえかあ?」
ちっこい娘っ子というのは、もちろんトゥール=ディンのことであった。
俺とユン=スドラにはさまれて静かにしていたトゥール=ディンは、恐縮しきった様子で目を伏せてしまう。
「わ、わたしはその……たまたま城下町に招かれる機会が何回かあったので、ようやく心を乱さずにすむようになったのです」
「ふうん? だけどおめえは、森辺で一番菓子作りがうめえんだろお? ルウ家のちっこい娘っ子が、そう言ってたぞお?」
それはルウ家の晩餐において、リミ=ルウのどら焼きを食したワッズがその手並みを褒めちぎった際に交わされた言葉であった。当のリミ=ルウは、兄や姉たちとともにもう1台の車に乗車しているので、この場にはいない。
「確かにおめえが屋台で売ってる菓子も、すげえ美味かったもんなあ。俺は、甘い菓子にも目がねえんだあ」
「そ、そうなのですね。ど、どうもありがとうございます」
「俺たちがコルネリアに帰る前に、もっと立派な菓子をこしらえてもらえねえかなあ? 銅貨だったら、払うからよお」
トゥール=ディンが困り果てた様子でいっそう小さくなってしまうと、デルスが見かねた様子で「おい」と声をあげた。
「お前さんは悪党面してるんだから、無遠慮に声をあげるんじゃねえよ。娘さんが困ってるだろうが?」
「何だよお。悪党面は、おたがいさまだろお」
「だから俺は、静かにしてるんだよ」
デルスはそのように述べていたが、ワッズは日を重ねるごとに気さくになっていた。最初は無愛想な印象であったが、それは護衛役としての緊張感と、あとは森辺の民に対する警戒心からもたらされたものであったらしい。ルウ家の晩餐でたくさんの言葉を交わしてから、顕著に態度が変わってきていたのだ。
いっぽう俺も、この両名にはきわめて友好的な気持ちを抱くことができるようになっている。デルスには不可思議な魅力があったし、ワッズには愛嬌を感じるのだ。南の民にも色々な人間がいるのだということを、俺はいい意味で思い知らされていた。
そんな中、トトス車は貴賓館に到着する。
もともとはトゥラン伯爵家の本邸であった、あの貴賓館だ。
バルシャは感慨深げに目を細めながら、その煉瓦造りの建物を見上げていた。バルシャはこの場でサイクレウスたちと対決し、そして、ジーダと再会することになったのである。
「おお、お待ちしていたよ、森辺の皆様方。……それに、ジャガルよりのお客人もね」
俺たちが扉をくぐるなり、そこにはポルアースが待ちかまえていた。2名の兵士だけを従えた、身軽な姿である。
「ヤンから話は聞いているよ。僕がダレイム伯爵家の第二子息で、外交官の補佐をつとめている、ポルアースという者だ。どうぞ、よろしくね」
デルスはぎょろりと大きな目を半眼にしながら、それでもうやうやしく一礼していた。
「自分はコルネリアで商売をしている、デルスというしがない商売人でございます。本日は貴き御身にご足労をいただき、心より感謝しております」
「いやいや。君の準備した食材はとても素晴らしいものであると聞いているからね。この日を心待ちにしていたんだ」
デルスが貴族に対して不信感を抱いているのは、南の王都でひと悶着あったためである、と聞いている。ジャガルの貴族と比べて、ポルアースにはどのような印象を抱いたのか、その格式張った立ち居振る舞いから想像することは難しかった。
「それじゃあ、厨に足を踏み入れる方々は、浴堂で身を清めていただくよ。僕はもう身を清めさせてもらったので、ひと足先に向かっているからね」
小姓の案内で、勝手知ったる浴堂へと案内される。バルシャとリャダ=ルウは扉の外の警護を受け持つとのことで、護衛役の中ではアイ=ファとルド=ルウだけが身を清めることになった。
「ふん。厨にちょいと踏み入るだけで、まさか身を清めることになるとはな。貴族らしい優雅なやり口だ」
ぶつぶつとぼやきながら、デルスは衣服を脱ぎ捨てていく。その姿を見て、ルド=ルウは「へえ」と声をあげた。
「そっちのあんたは剣士ってやつだから当然なんだろうけど、あんたもなかなか立派な身体をしてるんだな」
ルド=ルウの言う通り、デルスの身体にはほとんど贅肉というものが見当たらなかった。太い骨格にみっしりと肉が張っており、俺なんかが殴りつけてもビクともしなそうな頑丈さが感じられるのだ。
そしてワッズに至っては、森辺の狩人もかくやという立派な体格である。なおかつ、衣服の下は驚くほどに色が白かったので、俺などはヘラクラスの石膏像などを連想してしまっていた。
「……べつだん俺は、身体を鍛えたりはしておらんぞ。ぞんぶんに年もくってしまっているしな」
「ふーん。まあ確かに、南の民はもともと西の民より力が強そうだよな」
「それは、西の民が軟弱すぎるだけだ。相手が西の民だったら、俺も負ける気はせん」
そのように言い捨てて、デルスはずかずかと浴堂に踏み込んでいく。俺とルド=ルウも、衣服を脱いでそれを追うことにした。
数日前に顔をあわせたばかりのデルスたちと一緒に身を清めるというのは、何やら不思議な感覚であった。だけどまあ、これこそ裸のつきあいというものだろう。それにしても、ルド=ルウとて若き獅子と呼びたくなるような素晴らしい肉体美の持ち主であるので、俺だけがずいぶん貧相な身体をさらしているような心地になってしまった。
「あっちいけど、気持ちいいなあ。それにやっぱり、上等な草を焚いてるみたいだあ」
もわもわとたちのぼる蒸気の中で、ワッズが愉快そうに微笑んでいる。もともとほんのりとピンク色に日焼けした顔がいっそう赤みをおび、そのぶん身体の白さがまた際立ったように感じられた。
その姿を見て、ルド=ルウは「うーん」と首を傾げる。
「なあ、南の民って、たまにあんたみたいな大男がいるよな」
「ああ。俺たちは、先祖返りって呼んでるよお」
「先祖返り?」
「おうよ。南の民はもともと北の民と同じ血族だったけど、ジャガルで暮らす内に身体がちっこくなったって伝承があるんだあ。嘘か本当かはわかんねえけどなあ」
「ああ、だからなのか。なんか、身体の大きな南の民って、北の民と少し似てるように感じたんだよな」
その言葉に、デルスがぎょろりとした目を向けてきた。
「お前さんがたは、こんなセルヴァの南部で暮らしているのに、北の民を目にしたことがあるのか?」
「ああ。トゥランって場所には何百名もの北の民がいるからな。しばらくは、森辺の集落に通ってたしよ」
「……ほお。そいつは兄貴たちからも聞いてなかったな」
「バランたちには、話してなかったかな? ジェノスからシムに向かう街道を切り開くために、北の民が働かされてたんだよ」
デルスは仏頂面で、もしゃもしゃの髪をかき回し始めた。
「ふん。まさかジェノスでも、北の民を奴隷として使っていたとはな。まあ、北と西は敵対国なのだから、しかたのないことか」
「ああ。奴隷ってのは、俺も気に食わないやり口だよ。でも、それに文句をつけると、王都の連中がうるせーみたいなんだよな」
「それは当然の話だ。俺たちとて、シムの人間と馴れ合うことは許されん。……しかし、そのようないざこざは、国境のあたりで留めてほしいものだ」
そのように言い捨てるや、デルスは木べらでがりがりと身体をこすり始めた。垢どころか表皮まで削り落としてしまいそうな勢いである。
そんなデルスを横目に、ワッズがルド=ルウへと呼びかける。
「なあ、北の民ってのは、みんな俺ぐらい大きいのかあ? そうだとしたら、すげえ一族だなあ」
「いやー、俺が見た連中は、みんなあんたより大きかったかな。刀もなしにギバを追い払ってたし、なかなか大した連中だったよ」
「そおかあ。でもきっと、おめえたちのほうが強えんだろうなあ。北の民がおめえたちより強かったら、セルヴァなんてとっくにマヒュドラに滅ぼされてるだろうからなあ」
言葉の内容は物騒であったが、ワッズの表情は無邪気そのものであった。
そんなワッズを、デルスがじろりとにらみつける。
「おい、無駄口を叩いてねえで、とっとと身を清めやがれ。この後には大事な商談が待ってるんだからな」
「何だよお。さっきまで、おめえだって喋ってたくせによお」
そんなこんなで、俺たちは浴堂を後にすることになった。
が、ここでひとつ、また看過できぬ出来事があった。デルスとワッズは浴堂を出て、まずは身体の水気をぬぐい取ると、その顔や腕にねっとりとした液体を塗りたくり始めたのだ。
「あんたたち、何やってんだ?」
「ん? ああ、これは、パナムの樹液でこしらえた薬油だよ。俺たちは日の当たる部分にこいつを塗っておかないと、すぐに火ぶくれになっちまうんだ」
「へーえ。南の民は、みんなそうなのか?」
「ああ。ジェノスもジャガルと同じぐらい、日差しが強いみたいだからな。こいつを切らしたら、東の民みたいに頭巾で顔を隠して歩くことになるだろうぜ」
これはなかなかに興味深い異文化交流であったようだ。宿場町で商売を始めて1年以上が経ち、数々の南の民と友誼を結んできた俺でも、そのような話は初耳であったのだった。
それでようやく控えの間を出た俺たちは、女衆が身を清めるのを待つことになった。
回廊の端で所在なく立ち並びながら、ワッズが「うへへ」とおかしな声をあげる。
「いまごろはあの娘っ子たちが、裸で身体をこすってるんだなあ。想像しただけで、腰のあたりがむずむずしちまうよお」
「あのなあ……その中には、このおふたりの家族もまじってるんだぞ?」
げんなりした様子でワッズの脇腹を小突いてから、デルスは俺たちに頭を下げてきた。頭の後ろで手を組みながら、ルド=ルウは小首を傾げている。
「別に、想像するぐらいならいいんじゃねーの? 女衆の前でそれを口に出したら、習わしに反するかもしれねーけどな」
「そおだよなあ。男同士で艶話に花を咲かせて、何がいけねえんだよお?」
「だから、家族の前でする話じゃねえって言ってるんだよ、この唐変木」
俺としては、デルスに大きく賛同したいところであった。アイ=ファをネタにした艶話など、俺にとっては楽しいわけがないのだ。大事な同胞である他の女衆に関しても、もちろん然りである。
そうしてしばらくすると、アイ=ファたちも回廊に出てきた。
その肌は上気して、湿った髪などがとても艶かしい。ワッズの余計な言葉のせいで、俺は普段以上にそれを意識することになってしまった。
「……私の顔に、何かついているか?」
「いえいえ、何ひとつついてはおりません」
「……無性に足を蹴りたくなる態度だな」
アイ=ファに足を蹴られない内に、俺たちは厨を目指すことになった。
入り組んだ回廊を連れ回されて、大きなほうの厨に案内される。そこにはポルアースやヤンの他に、懐かしき面々が立ち並んでいた。ヴァルカスと4名の弟子たちに、ティマロと5名ほどの料理人たちである。
「やあやあ、お待ちしていたよ。先に食材の吟味を済ませたいのだけれども、それでかまわないかな?」
「ええ。ポルアース様のご判断に従いましょう」
デルスとワッズと俺だけが、上座にあたる位置に導かれる。他の女衆は料理人たちの横に立ち並び、アイ=ファだけが当然のようについてきた。
「お待たせしたね。こちらがジャガルのコルネリアから興味深い食材を届けてくれた、デルス殿とワッズ殿だ。彼らはもともと森辺の料理人たるアスタ殿にその食材を売り込みに来たという話だったけれども、城下町や宿場町でもそれを取り扱わせていただけないものかどうか、これから商談を進める手はずになっている」
にこやかに微笑みながら、ポルアースはそのように述べたてた。
「しかしその前に、まずはその食材がどのようなものであるかを吟味させてもらおうかと思ってね。お集まりいただいた料理人の面々には、是非とも忌憚なき意見をいただきたい」
そうしてポルアースの視線を受けて、デルスが卓の上を指し示した。あらかじめ従者に運んでおいてもらった、例の木箱である。俺が預かったのものとは別物であるが、サイズは同じぐらいで、中にはぎっしりタウ豆の味噌が詰められている。
「まずはお味をお確かめください。その後に、アスタに試しの料理を作ってもらいたく思っております」
壁際に控えていた小姓たちが寄ってきて、木箱の食材を皿に取り分けていく。宿場町での吟味のときと同じく、ほんのひとつまみの味見である。しかし、並み居る料理人たちを驚かせるには、それで十分であったようだった。
「なるほど、これは……実に深みのある味わいですな。タウ油に匹敵するというヤン殿のお言葉も、あながち過分ではなかったようです」
一同を代表するかのように、ティマロがそう言いたてた。
他の料理人たちは、手近な相手と顔を寄せ合って、感想を囁き合っている。ロイとシリィ=ロウ、タートゥマイとボズルも、それは同様であった。
そんな中、ヴァルカスがぼんやりとした面持ちで挙手をする。
「これは未知なる味わいです。あなたがタウ豆を使って加工したと聞き及んだのですが、それは事実なのでしょうか?」
「ええ。正確には、コルネリアに畑を持つ一派に、自分が研究の費用を捻出した形となります。ジャガルにおいても、我々の他にこの食材を取り扱える人間は、いまだ存在しておりません」
ヴァルカスは同じ表情のまま、「素晴らしい」と小声でつぶやいた。
他の料理人たちは、それでいっそう色めきだっている。あのヴァルカスが、たったのひと舐めでこの食材の価値を認めたのだ。俺としても、なかなかに胸の高鳴る展開であった。
「では、アスタ殿に味見用の料理を作っていただこうかね」
笑顔のポルアースにうながされて、俺はレイナ=ルウたちとともに調理に取りかかった。名目上、彼女たちはこの手伝いで城下町にやってきたのである。
すでに調理手順は手ほどきしていたので、みんなの動きによどみはなかった。マルフィラ=ナハムなどは緊張の極みに陥っている様子であるが、手もとだけを見れば見事なものだ。
これまでと同じく、肉野菜炒め、ギバ汁、乳脂を使ったマ・ギーゴの煮込み料理ができあがっていく。その過程で厨を包み込んだ香りにも、料理人たちはさまざまな思いをかきたてられた様子であった。
「お待たせしました。味見をお願いいたします」
小姓たちが、総出で皿を配っていく。たちまち、厨には感嘆の声が響きわたった。
「ふむ……期待を裏切らぬ味わいですな。まあ、半分がたはアスタ殿らの手腕ゆえなのでしょうが」
むっつりとした面持ちで、ティマロはそう言っていた。
そして、無言のヴァルカスのかたわらから、ボズルがこらえかねたように「同感です」と声をあげる。
「わたしはジャガルの生まれであるためでしょうか。これは極めて、美味に感じられます。アスタ殿らの手腕はもちろん、やはり食材が素晴らしいゆえでありましょう」
「いや、西の生まれである俺にも、こいつはたいそう立派な味だと思えますよ。是非とも《銀星堂》でも取り扱わせていただきたいもんですね」
ロイがひかえめな声で、そのように応じていた。皆にではなく、ボズル個人に言葉を返したのだろう。しかしその言葉は、俺にもデルスにもポルアースにもしっかりと届いていた。
「どうやら誰もが、この食材に大きな価値を見出したようだね。もちろん僕も、同じ気持ちだよ」
満面に笑みをたたえつつ、ポルアースがデルスを振り返る。
「こちらの食材は、是非ともジェノスで取り扱わせていただきたく思うよ。さっそく別室で、話を進めさせていただこうかな」
「はい。よろしくお願いいたします」
デルスはあくまでも慇懃に、頭を下げていた。
そこに、ヴァルカスが音もなく近づいてくる。
「失礼いたします。わたしどもも、この場でこちらの食材を扱わせていただいてよろしいのでしょうか?」
「うん。そちらの木箱に収められている分は、自由に使っていいとのことだよ」
ポルアースの言葉に、ヴァルカスは「ありがとうございます」と一礼する。
それから、その白くて細い指先が、何の前触れもなくデルスの手をひっつかんだ。
「これは、素晴らしい食材です。このたびの商談が無事に締結されることを、わたしは心より願っています」
「……それはどうも」と、デルスは仏頂面で答えていた。ヴァルカスの手を振りほどきたいが、何とかそれをこらえている様子である。
しかしデルスは、それほど長きの忍耐を強いられることにはならなかった。ヴァルカスの指先が、すみやかに俺のほうにのばされてきたためである。
「そして、アスタ殿。さきほどの料理は、素晴らしい出来栄えでありました。ひさかたぶりにアスタ殿の料理を味わうことができて、わたしはとても昂揚しています」
そのように述べながら、やはりヴァルカスの表情はぼんやりとしている。ただ、俺の手を握るその指先からは、確かな熱情が感じられた。
そうしてアイ=ファが注意の声をあげる寸前に、ヴァルカスは俺の手を解放する。あらためてポルアースらに一礼してから、ヴァルカスは弟子たちのもとに舞い戻っていった。
ヴァルカスたちは、これから自分たちの手で食材の吟味を始めるのだ。俺とレイナ=ルウだけがポルアースとデルスの商談を見届けて、他のかまど番はヴァルカスに食べさせる料理を仕上げる手はずになっていた。
そちらの護衛はルド=ルウとリャダ=ルウに任せて、俺たちは別室に移動する。以前も会談に使われた小部屋にて、俺たちは卓を囲むことになった。
「さて……あの食材の売買に関しては、すでにおおよその条件が定められているそうだね」
ポルアースが司会役のような立場で、商談が始められる。デルスの提示した定期購入の値段や分量に関しては、すでにヤンを通して伝えられていた。
「さきほどの料理人たちの様子から鑑みるに、君の提示した分量を買いつけることに問題はないように思うよ。というか、城下町と宿場町の両方に流通させようと思ったら、量が不足する恐れがあるぐらいだろうね。その場合、追加の注文をすることは可能なのかな?」
「ええ。その気になれば、提示した量の倍は準備できるはずです」
「倍か! それなら、量に不足はないだろう。保存性に関しても、問題はないのだよね?」
「はい。タウ油と同じぐらいには、保たせることが可能であります。味を壊さないようにしながら保存性を高めることが、もっとも頭を悩ませる点でありました」
その他にも、流通の経路や発送の間隔などが確認されたのち、ポルアースがふっと真面目くさった顔をこしらえた。
「あとひとつ、ささやかながらに懸念があるのだけれども……現在この食材を取り扱えるのは、君たちだけなのだよね? しかし、この食材の作製方法がジャガルに広まれば、もっと安値で取り引きしたいという人間が現れるかもしれない。そうした場合でも、我々は契約に縛られて、取り引き相手をかえることが許されなくなってしまうのだよね」
「ご懸念はごもっともです。どれだけ我々が作製方法を秘匿しようとも、タウ豆の畑を持つ人間たちが頭をひねれば、いつかは正解に辿り着くでしょう。……しかし、そういった者たちが、我々の提示した値段よりも安値で売りさばくことは難しいかと思われます。あの食材を作りあげるにはタウ油と同じぐらいの手間や材料がかかるので、タウ油より安く仕上げることは極めて難しいのです」
「ふむ。となると、君たちは最初からもっとも儲けの少ない安値でこの食材を売ろうとしているのかな?」
「はい。そうだからこそ、我々はジェノスを取り引き相手に定めたのです。これほど大量の食材を一括で買いつけてくれる町は、この近在でもそうそうありません。我々の提示した分量を、定期的に買いつけていただけるからこそ、あの値段におさえることが可能であるのです」
大きな団子鼻をさすりながら、デルスはそのように言葉を重ねた。
「また、それでもご懸念を払えないようであれば……契約は、1年ごとということにすればよろしいのではないでしょうか。それでしたら、安心して取り引きができましょう?」
「ふむ。君たちは、それでかまわないのかな?」
「ええ。我々のもたらすものがもっとも安値で質も高ければ、取り引き相手を失うことにもなりますまい」
口調は丁寧であるが、やはりデルスの言葉には強い自負が込められているように思えた。
ポルアースは、満足そうにふくよかな頬を震わせている。
「1年ごとの契約であれば、僕の上に立つ人々も快く了承してくれるだろう。……それで、森辺の民さえ見届け役として立ち会ってくれるならば、君は我々と契約してくれるのだね?」
「……そのように取り計らっていただければ、望外の喜びでございます」
「うん。こちらとしては、その提案を退ける理由はないよ」
そう言って、ポルアースは実に温かみのある微笑をひろげた。
「ほんのつい1年ほど前は、たったひとりの貴族が食材の流通を好きなように管理していたわけだからね。君が用心するのは当然の話だし……また、見届け人として森辺の民が選ばれたことを、僕は非常に嬉しく思っているよ」
「……嬉しく思っている、でございますか?」
「うん。森辺の民がそこまでの信頼を勝ち取っているというのは、きわめて喜ばしい話さ。大体が、僕たち貴族だって森辺の民だって、同じジェノスの民なんだからね。森辺の民が信用されているということは、僕たちが信用されているのと同じようなものなのだよ」
子供のように無邪気な笑顔で、ポルアースはそのように言ってくれていた。
デルスは鼻をさすりながら、その笑顔をじっと見つめ続けていた。