南の実り④~対面~
2018.11/8 更新分 1/1 ・11/10 誤字を修正
《タントの恵み亭》を辞した後、俺たちは無事にルウの集落に帰りついた。
本来であればファの家で勉強会をする日取りであったが、今宵も俺はルウ家の晩餐に参加しなくてはならなかったので、日程を変更している。ということで、ルウ本家のかまどの間では、本日も臨時の勉強会が行われていた。
「ルウの家にようこそ、お客人。あたしは家長ドンダの伴侶で、ミーア・レイ=ルウってもんだよ」
まずは取り仕切り役のミーア・レイ母さんが進み出る。そのかたわらでは、昨日も顔をあわせているレイナ=ルウが丁寧にお辞儀をしていた。
「俺はコルネリアのデルスで、こいつは相棒のワッズだ。族長さんが家に戻るまで、俺もこっちを見学させてもらってもかまわねえかな?」
「ああ、もちろんかまわないよ。……ただその前に、鋼を預からせてもらおうかね」
その習わしについては、荷車の中で説明済みである。ワッズはいくぶん不本意そうな面持ちであったが、大人しく腰の長剣と懐の短剣を差し出していた。
「確かにお預かりしたよ。この集落に悪さをする人間はいないので、どうぞ安心しておくれ」
「ふん……こんな立派な剣士がいりゃあ、無法者なんざは近づいてこねえんだろうなあ」
濁った声音で述べながら、ワッズは横目でリャダ=ルウをねめつけている。リャダ=ルウは、落ち着き払った面持ちでそれを見返していた。
「俺は剣士ではなく狩人だし、その仕事からもすでに身を引いている。いまは家の仕事を手伝う家人にすぎん」
「ふん。あんたは、足が不自由みてえだなあ。しかし、あんたと剣を交えたら、走って逃げるぐらしかできそうにねえよお」
むすっとした顔で、ワッズはそう言い捨てた。
「森辺の狩人が化け物ぞろいって噂は、本当だったんだなあ。ジェノスの闘技会で優勝したのも、あんたたちルウ家の狩人なんだろお?」
リャダ=ルウは、いくぶん意外そうに切れ長の目を見開いた。
「お前は、南の民であるのだろう? ジェノスで行われた闘技会についても聞き及んでいるのか?」
「ああ。俺だって、3年ぐれえ前に腕試しで出場したことがあるからなあ。けっきょく第一位の座は逃しちまったけどよお」
「そうか。……その会で第一位の座となったシン=ルウは、俺の子だ」
「なにい?」と、ワッズは巨体をのけぞらした。
「何だ、そうだったのかい……それじゃあ、あんたとその子がたまたま強いってだけの話なのかあ?」
「いや。俺もシンもルウ家の力比べで最後まで勝ち抜いたことはない。そして森辺には、ルウ家にも劣らぬ力を持つ氏族がいくつかある」
「それじゃあ、やっぱり化け物の集まりだあ」
そんな風に言いながら、ワッズはふいに口もとをほころばせた。
そうすると、厳つい顔がずいぶん無邪気そうな顔に変貌する。ややたどたどしい語調も相まって、彼はいっそう愛嬌があるように見えた。
そんなワッズとリャダ=ルウのやり取りを笑顔で見守っていたミーア・レイ母さんが、俺に向きなおる。ワッズの刀は、ヴィナ=ルウの手によって母屋に運ばれていた。
「さ、それじゃあ、始めようかね。今日はその、客人が売りに出そうとしている食材の使い方を教えてもらえるのかい?」
「はい。まだ正式に買いつける約束が結ばれたわけではありませんが、せっかくなのでデルスに調理のさまを見てもらおうかと思います」
その場に集まったかまど番たちは、みんな期待に瞳を輝かせていた。ルウの本家の人々から、この食材の素晴らしさを聞かされていたのだろう。その中で、ひとり仏頂面をさらしていたミケルが、壁際から声をあげてきた。
「タウの豆を発酵して作られた食材だという話だったな。タウ油とは、また異なる食材であるのか?」
「はい。タウ油は液体ですが、こちらは固体です。ただ、非常に溶けやすい性質であるので、どんな料理にも使いやすいと思います」
百聞は一見にしかずであるので、俺はまずギバ汁でその味をみんなに知ってもらうことにした。
肉と野菜を煮込んで味噌を投じるだけで、もう立派な料理なのである。それを味見した人々は、いっそう瞳を輝かせていた。
「ああ、やっぱり美味しいねえ。あたしはタウ油の汁物より、こっちのほうが美味だと思えるぐらいだよ」
ミーア・レイ母さんも、満面の笑みである。
すると、作業台の下から赤褐色の小さな手がぬっとのびてきた。
「そんなに美味なら、ティアも食べてみたい」
「な、何だあ? そんなところに、人間が隠れてやがったのかあ?」
入り口の辺りで様子をうかがっていたワッズが、素っ頓狂な声をあげる。ティアは「しまった」とつぶやきつつ、しかたなさそうに立ち上がった。
「なるべく町の人間とは顔をあわせないほうがいいかと思って、隠れていたのだ。うっかり見える場所に手を出してしまった」
「たまげたなあ。人間が隠れてる気配なんて、これっぽっちも感じなかったぞお?」
やっぱり剣士としての習性で、屋内にある人間の気配をうかがっていたのだろう。ワッズは、心から驚いた顔をしていた。
いっぽう、デルスは感じ入った様子もなく、「ふん」と鼻を鳴らしている。
「そいつが、赤き野人というやつか。兄貴からも、話は聞いてるよ。べつだん俺たちは、顔をあわせてもかまわないのだろう?」
「はい。朝の内に、ルウ家の方々が領主に確認を取ってくれましたので。晩餐もご一緒させていただく予定です。……だから別に、隠れる必要はなかったんだよ?」
後半の言葉は、ティアに向けたものである。ミーア・レイ母さんから受け取った木皿でギバ汁の味見をしていたティアは、ガーネットのような瞳で俺を見上げてきた。
「でも、町の人間はティアを怖がるかもしれないからな。なるべく顔をあわさないほうがいいだろうと考えたのだ」
「ふん。お前さんみたいな幼子を怖がる筋合いはないが……お前さんは、そうでもないのかな?」
デルスの視線は、隣のワッズに向けられていた。
ワッズはいくぶん引きつった面持ちで、額の汗をぬぐっている。
「お、俺だって怖がったりはしねえけど……でも、そいつも化け物みてえだなあ」
「それを感じ取れるのなら、お前も立派な剣士であるのだろう」
静かな声で、リャダ=ルウがそう評していた。
ティアは素知らぬ顔で、木皿をなめ回している。
「しょっぱくて、美味かった。でも、香草を使っていないのだな」
「うん。香草との相性を探るには、ちょっと時間がかかるかもしれないね。俺の故郷でも、これに似た食材と香草をあわせる料理は少ないだろうと思うよ」
「タウ油だって、香草とあわせたりはするまい。それともジェノスでは、そんな珍奇な食べ方をされているのか?」
とたんに、デルスが不平気味の声をあげてくる。香草といえばシムを連想させるので、ジャガルの民には拒否反応を示す人間も少なくはないのだ。
「城下町なら、タウ油と香草をあわせるのも珍しくはないでしょうね。宿場町では、ミャームーやケルの根とあわせるのが一般的だと思います」
「ふん。ミャームーやケルの根は香草とはいえまい」
「でも、香辛料というくくりでは、一緒でしょう? チットの実なんかはタウ油にも味噌にも合いますし、香草も使いようだと思います」
「……だから、その『みそ』というのは、お前さんの故郷の食材だろうが?」
「あ、失礼しました。これは、なんと名付ける予定なのですか?」
「……それはまだ、考案中だ」
デルスは腕を組み、後ろの壁にもたれかかった。
「まあいい。まずはお前さんの好きなように使ってくれ。香草とあわせようがどうしようが、美味い料理に仕上げられるのなら、文句はつけん」
「はい。それじゃあ、色々と試させていただきます」
汁物でも煮物でも焼き物でも、この食材は手軽に使うことができる。肝要なのは、他の調味料との兼ね合いであろう。タウ油、砂糖、ミャームー、ケルの根はもちろん、ホボイの実、ホボイ油、ニャッタの蒸留酒、ママリアの果実酒などとの相性も確かめたい。シムの香草との相性を確かめるのは、その後でも十分であるように思えた。
「そういえば、そろそろ新しいシャスカが届く頃合いでしょうかね。この食材のおかげで、俺はいっそうシャスカが恋しくなってしまいました」
俺がそのように発言すると、ヴィナ=ルウが「ふぅん……?」と小首を傾げた。
「この食材は、シャスカとも相性がいいのかしらぁ……?」
「はい。俺の故郷では、シャスカと味噌汁の組み合わせというのが定番であったのですよ。……あ、もちろん、シャスカそのものではなく、シャスカと似た食材ですけどね」
ヴィナ=ルウは、色の淡い瞳で、じっと俺を見つめていた。
それから、ふっと口もとをほころばせる。
「なんだか、ぎばかれーを初めて作りあげたときのことを思い出しちゃったわぁ……でも別に、アスタは故郷に帰りたがってるわけではないのよねぇ……?」
「やだなあ。そんなに感傷的な顔になってましたか? そんなつもりはなかったんですけれども」
「ううん……あのときのアスタほど、さびしそうな顔ではなかったわぁ……」
そのように述べるヴィナ=ルウのほうこそ、何か常とは異なる表情であるように思えてしまった。表情に深みがあるというか何というか……さながら慈母のごとき、優しげな微笑みであったのである。
あれから1年近くが過ぎて、俺は18歳になり、ヴィナ=ルウは21歳になった。それでおたがいに、成長していないわけがないのだ。
(カレーに着手したのは、ダン=ルティムの生誕の日のちょっと前だから、黒の月か。本当に、あれからもう1年がたっちゃうんだなあ)
そんなことをしみじみと考えていると、ワッズがまた「うひゃあ」と素っ頓狂な声をあげた。
何かと思って振り返ると、我が愛しき家長が入り口のところに立ちはだかっている。その足もとには、ブレイブとドゥルムアの姿もあった。
「やあ、アイ=ファ。今日は半休で切り上げたのか」
「うむ。ジャガルの客人というのも気になったのでな」
いつも通りの凛然とした面持ちで、アイ=ファは入り口のすぐそばに陣取っていたデルスたちに目を向けた。
「私はファの家の家長で、アイ=ファという者だ。お前たちが商売を持ちかけたアスタは私の家の家人であるので、見知っておいてもらおう」
「ああ、あんたが噂の女狩人さんかい。兄貴から、よおく話は聞いてるよ」
デルスは壁から背を離し、ふてぶてしい笑顔でアイ=ファに向きなおった。
「俺はコルネリアのデルスで、こっちは相棒のワッズだ。どうぞよろしくやってくれ」
「うむ。お前の兄たちには、とても世話になった。お前たちとも正しき絆が結ばれるように願っている」
そのように述べてから、アイ=ファはワッズのほうに視線を向けなおした。
「ところで、お前は何をそのように驚いているのだ? 女狩人が珍しいのか?」
「いやあ、俺もデルスから話は聞いてたけどよお……予想以上に別嬪だったんで、驚いちまったんだあ」
ひどく感じ入った様子で、ワッズはしげしげとアイ=ファを見つめていた。
「すげえなあ。そんな別嬪なのに、化け物みてえに強そうだし……俺なんて、片腕でひねられちまいそうだあ」
「おいおい、俺の生命を預かってる人間が、あんまり情けねえことを言わねえでくれよ」
「いやあ、この別嬪さんには、どうあがいたってかなわねえよお。すげえなあ。まだこんなに若いのになあ」
剣の力量と容姿を同時に褒めたたえられて、アイ=ファは何とも複雑そうな面持ちになってしまっていた。それに、ワッズがあまりに無邪気そうな様子であったので、なかなか文句もつけにくかったのだろう。その結果として、アイ=ファは仏頂面で頭をかきながら、ミーア・レイ母さんを振り返ることになった。
「……とりあえず、鋼を預かっていただこう。あと、ブレイブたちに水をもらえるだろうか?」
「ああ、承知したよ。かまどの間に居残るなら、狩人の衣も預かろうか?」
「うむ。それでは、お願いする」
アイ=ファは颯爽と、毛皮のマントを脱ぎ捨てる。
たちまち、ワッズが「ほへえ」と声をあげた。
「すげえ鍛えられてんのに、色っぺえ身体だなあ。おめえが南の民だったら、嫁に欲しいぐらいだあ」
さすがにアイ=ファも我慢をこえて、柳眉を逆立てた。
が、それよりも早くデルスが声をあげる。
「おい、ワッズ。森辺の女衆の見てくれを褒めそやすのは習わしに反するって言っておいたろうが? 馬鹿みてえな面して、失礼な言葉を次々と垂れ流すんじゃねえよ」
そうしてデルスは、アイ=ファに向かって頭を下げていた。
「悪かったな。こいつにはきっちり言いきかせておくから、どうか勘弁してやってくれ。何も悪気があったわけじゃねえんだ」
「うむ。……森辺の習わしについては、バランたちから聞いていたのか?」
「ああ、もちろん。そうじゃなきゃ、わざわざネルウィアまで出向いた甲斐もねえや。……こいつの非礼を、許してもらえるかい?」
アイ=ファは眉をもとの位置に戻すと、デルスの真面目くさった顔を静かに見つめ返した。
「礼儀を知る人間に怒りを向けようとは思わない。森辺の習わしを重んじてくれれば、嬉しく思う」
「ありがとうよ。今後は気をつけるよ」
デルスはにっと白い歯を見せてから、相棒の脇腹に肘を打ちつけた。
「いてえなあ」とぼやきながら、ワッズもすまなそうに頭を下げる。それで、和解は為されたようだった。
(根っから礼儀正しい……っていうわけじゃなく、商売相手を尊重しようっていう気持ちのあらわれなのかな)
俺は、そのように考えていた。
もちろんそれで、デルスに悪い印象を持ったりはしない。商売のためであれ何であれ、相手を尊重しようという心持ちに貴賎はないように思われた。
(もしかしたら、意外に森辺の民とは相性がいいのかもしれないな)
そのような思いを胸に、俺は勉強会を再開することにした。
◇
そうして、その夜である。
俺とアイ=ファは再びルウ家の晩餐に招かれて、そのかたわらにはデルスとワッズの姿もあった。
大皿に盛りつけられた料理をはさんで、ドンダ=ルウやジザ=ルウたちがその姿を見返している。ワッズはドンダ=ルウらの迫力にまた固唾を飲んでいる様子であったが、デルスは普段通りのふてぶてしい笑顔でそれと相対していた。
「昨日の今日で族長さんの家に招いてもらい、心からありがたく思っている。それに、こいつがおたがいにとって実りのある出会いになることを願っているよ」
デルスの言葉に、ドンダ=ルウは「ふん……」と重々しく鼻を鳴らした。
「初めて森辺の集落を訪れて、そこまで物怖じしない人間というのは、カミュア=ヨシュ以来かもしれんな。……貴様たちが邪な気持ちを持っていなければ、新たな絆が結ばれることだろう」
「だったら、ひと安心だ。あとは、商売が上手くまとまるかどうかだね」
ドンダ=ルウはひとつうなずいてから、おもむろに食前の文言を唱え始めた。
森辺の民がそれを復唱し、晩餐の始まりである。今日もルド=ルウは期待に満ちた面持ちで料理を眺め回していた。
「もう匂いからして美味そうだよなー。早く取り分けろよ、リミ」
「わかってるよー。まずはこのお肉からねー」
ルド=ルウが帰還してまだ10日も経っていないせいか、リミ=ルウは昨晩からとても楽しげな様子を見せていた。いつでも元気いっぱいのリミ=ルウであるのだが、ルド=ルウのかたわらだとそれがさらにブーストされているようなのだ。
そんなリミ=ルウの小さな手が、ルド=ルウの皿にどっさりと肉を取り分けていく。本日の勉強会で調味料の加減を追究した、ギバのロースの味噌焼きである。つけあわせにはティノとネェノンの生野菜サラダをたっぷり添えて、そこには和風のドレッシングが掛けられた。
いちおう俺も客人であるので、配膳係は他の女衆が受け持ってくれている。レイナ=ルウは汁物料理を、ヴィナ=ルウは煮付けの料理を、ララ=ルウは焼きポイタンを配ってくれていた。
「あら、このポイタンにも、みそという食材が塗られているのですね」
ポイタン料理に目ざといサティ・レイ=ルウが弾んだ声をあげたので、俺は「はい」と笑いかけてみせた。
「タウ油や砂糖で味をととのえた味噌をポイタンに塗って、石窯で焼いてみたんです。いずれは味噌味のピザにも挑戦したいところですね」
「それは待ち遠しいところです。わたしはもう少ししたら、香りのきつい料理を口にできなくなってしまうでしょうから……その前に食べることができたら、とても嬉しく思います」
サティ・レイ=ルウのご懐妊が発表されてからけっこう時間が過ぎていたが、まだその身に大きな変化はあらわれていなかった。かたわらでは、コタ=ルウが笑顔で味噌焼きポイタンを頬張っている。
「それはポイタンだけでも美味しいでしょ? だけどそれは味が強いから、他の料理と一緒に食べるときは、こっちの普通のポイタンを食べるといいよ」
ララ=ルウがそのように呼びかけると、コタ=ルウは「うん」とうなずく。若き叔母と幼き甥の、微笑ましいやり取りである。
それはそうと、また味噌という言葉を連発してしまったが、デルスの機嫌を損ねたりはしていないだろうか。俺はそのように考えて、デルスの顔色をうかがってみたのだが――彼はゆっくりと食事を進めながら、笑顔で味噌焼きポイタンを食している母子の姿をじっと観察していた。
(まあデルスにしてみれば、これだって大事なリサーチの一環なんだろうな)
しかし、それでデルスが落胆することはなかっただろう。ルウ家の人々は、昨晩と同じように至極満足そうな様子で料理を食べてくれていた。
煮付けの料理はバラ肉とアリア、チャッチとネェノンを使っており、比較的やわらかい味付けにしている。味の強い味噌でも繊細な味は作れる、という一例を示したつもりであった。
それに対して、ロースの味噌焼きはガツンと強い味付けにしている。森辺の民の許容範囲のぎりぎりを狙った、濃厚な味わいだ。砂糖とミャームーとケルの根と、あとは赤の果実酒も使っており、山盛りの生野菜と一緒に味わっていただきたいひと品である。
そして汁物料理は、モツ鍋である。
俺の知るモツ鍋は、やはり醤油よりも味噌味が主流であったのだ。もちろんレイナ=ルウたちの作る『タウ油仕立てのモツ鍋』は絶品であったが、それにも負けない完成度と自負していた。
「ああ、どれもこれも美味しいねえ……あたしの舌は、このみそってやつに合っているみたいだよ……」
ジバ婆さんが、ゆったりと微笑みながら、そのように言ってくれていた。
黙々と食事を進めていたアイ=ファも、それに気づいて嬉しそうに目を細めている。もちろん俺も、アイ=ファと気持ちはひとつであった。
「……とりあえず、森辺のみなさんがたにも、この食材の素晴らしさを伝えることはできたみたいだな」
そう言って、デルスはにやりと笑っていた。
「まあ、これだけ上等な料理に文句をつけられていたら、俺もコルネリアに引き返すしかなかっただろう。半分がたは、こんな料理を作りあげてくれたアスタのおかげだな」
「ああ、本当にうめえよお。コルネリアで味見したときとは、比べ物にならねえやあ」
ワッズも気を取りなおした様子で、もりもりと食事を進めている。さすがは巨体の持ち主だけあって、森辺の狩人にも負けない食欲であるようだ。
ひと通りの料理を食してから、ドンダ=ルウはデルスたちのほうに目を向けた。
「こいつは確かに、上等な食材なのだろう。しかし貴様たちは、貴族に対して不信感を抱いているという話だったな」
「ああ。だけど、アスタに紹介してもらったヤンってお人が、信用できる貴族に引き合わせてくれるっていう話に落ち着いてね。ダレイム伯爵家の第二子息で、ポルアースってお人らしいが……その貴族様も、あんたがたにとっては懇意にしてるお相手なんだろう?」
「ポルアースか。俺たちが最初に手を携えた貴族、と言えるだろうな」
「だったら、安心だ。まあ、実際に顔をあわさなけりゃ、確かなことは言えないがね」
「……貴様のように用心深い人間が、どうして森辺の民に対しては、何も疑おうとしないのだ?」
ドンダ=ルウの言葉に、デルスは「ふふん」と大きな鼻を撫でさすった。
「何も疑ってなかったわけではないね。兄貴たちは全幅の信頼を置いていたようだが、それだって俺には関係ない。俺は自分の目で見て、自分の感じたものしか信じないんだ」
「……それで、信用に値する相手だと見定めた、ということか?」
「もちろん、いまだって見定めてる最中だよ。それは、あんたがただって同じことだろう?」
そう言って、デルスは味噌焼きポイタンをつまみ取った。
「信頼関係なんて、1日や2日でどうにかなるもんじゃない。1年や2年のつきあいがあったって、裏切るやつは裏切るからな。だけどまあ、いまのところはあんたがたに期待を裏切られたりはしていない。そちらさんも、同じように考えてくれていたら、ありがたいところだね」
「ならば、ひとつ貴方に聞いておきたいのだが」
と、ジザ=ルウがふいに声をあげた。
「貴方の故郷では、森辺の民とジェノスの貴族についての誤った風聞が流れていたそうだな。貴方はその風聞が危険なものであると、アスタに忠告をしたそうだが」
「ああ、おそらくジェノスの領主様も、西の領土で悪い風聞が流れないように、あれこれ手を回したんだろうけどな。さすがに南の領土までは手がのびなかったんだろうよ」
味噌焼きポイタンをかじりながら、デルスはひょいっと肩をすくめた。
「森の中に住む一族が悪い貴族を討ち倒したなんて、それこそ吟遊詩人の歌みたいに下々の人間が喜びそうな話だからな。面白おかしく、風聞が広まっちまったんだろう。……だけど、一国の王にしてみりゃ、王国の基盤を揺るがすような大事件だよ。だから、あんたがたは王都の連中に目をつけられちまったんだろうな」
「しかし、ジェノスの領主も西の領土には手を回したと、貴方はさきほどそのように述べていた」
「ああ。だけど、ジェノスから王都まではトトスでひと月だ。それだけ離れたら、話もどこかでねじ曲がっちまうだろう。風聞ってのは、そういうもんさ」
すました顔で果実酒をあおってから、デルスはあらためてジザ=ルウを見やる。
「だけど、風聞なんてもんを止めることはできねえ。あんたがたは、どうして王都の連中が騒いでいるのか、そこのところをよっく理解して、ことに当たるしかないんだろうと思うぜ?」
「ふむ。王都の人間が森辺の民を快く思わないのは当然であると、受け入れるべきだという意味だろうか?」
「違う違う。相手が何を騒いでいるのか、どうして自分たちを信用しようとしないのか、その理由を突き詰めて考えて、誤解があるならそれを解くしかない、って話だよ」
「ふむ……」と、ジザ=ルウは逞しい下顎を撫でさすった。
「ジェノスには、再び王都の人間がやってくるだろうと予測されている。もちろん我々も、その者たちと理解しあえるように尽力するつもりだが……」
「ああ。あんたがたは、正直すぎるぐらい正直な感じがするからな。ただ、西の民ってのはひねくれた考え方をするやつが多いから、それに気をつけろってことさ」
そのように述べてから、デルスはにっと笑顔を見せた。
「だけどまあ、あんたがたが西の民らしい小器用さを身につけちまうのは、つまらなそうだ。できることなら、その馬鹿正直さで正面突破してほしいところだね」
「…………」
「気を悪くしたんなら、謝るよ。俺も正直なだけが取り柄の、南の民だからさ」
デルスはそのように述べていたが、ジザ=ルウはおそらく気を悪くしたりはしていないのだろう。内心の読みにくい御仁ではあるが、それぐらいのことは察することができた。
おそらくジザ=ルウは、このデルスという人物に興味を抱いたのだ。
そしてそれは、そのまま俺の心情でもあった。
どことなく悪ぶっていて、態度にも不遜なものが感じられるのに、あまり人を嫌な気持ちにさせない。自信家で、怖いもの知らずで、そしておそらくは本人の言う通りに、正直な人柄なのだろう。粗野な中にも温かみのあるザッシュマとも、豪胆なようで繊細でもあるドーラの親父さんとも異なる、何か独特の個性を俺は感じるようになっていた。
(商売のほうはまだどう転ぶかわからないけど、面白い人とお近づきになれたもんだな)
そんな風に考えながら、俺も食事を進めることにした。
とりあえず、ルウ家の人々とデルスのファーストコンタクトは、至極穏便に終わりを迎えることができそうだった。