南の実り①~不穏な噂と奇妙な来訪者~
2018.11/5 更新分 1/1
・今回の更新は全7話の予定です。
時は、灰の月の16日――ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの子、ゼディアス=ルティムの洗礼の儀式から、半月と少しの日が過ぎていた。
その半月と少しの間にも、実に色々なことが起きている。トゥール=ディンやリミ=ルウはまた城下町の茶会に招かれることになったし、その前の休業日では、たくさんの氏族にギバ骨ラーメンの作り方を伝授することになった。ハヴィラやダナ、サウティやヴィンの人々はそれらの成果を手に自分たちの家に戻り、それと入れ替えで、ディンやリッド、フォウやランの人々らも帰還してきている。数日遅れで家人を貸し合うことになったルウやレイ、ザザやジーンのほうでも、それは同様であった。
「北の集落の連中も、なかなかかまど番の腕を上げてたよ。もちろん、アスタやレイナ姉たちほどじゃねーけどな」
半月ぶりに顔をあわせたルド=ルウは、そんな風に述べていた。
ルド=ルウたちと入れ替えで自分の家に戻ることになったスフィラ=ザザは、トゥール=ディンとの別れをたいそう惜しんでいたものである。彼女は予想通り、毎日のようにトゥール=ディンの屋台を手伝っていたのだ。
あと6日もすれば、ゼディアス=ルティムが生まれてひと月になる。そうしたら、モルン=ルティムも北の集落に戻り、ルティムとドムの間でも家人の交換が実施されるのだろう。それに、フォウやランの人々からは、また人員を入れ替えてサウティの血族と家人を貸し合うか、あるいは別の氏族と家人を貸し合ってみたいという声があがったりもしていた。
至極平和な日々であっても、同じ日というものは2度とやってこない。そんな当たり前の真理を胸の中でひっそりと噛みしめながら、俺も健やかなる日々を送らせてもらっていた。
俺もアイ=ファも、ギルルもブレイブもジルベもドゥルムアも、もちろんティアも元気に日々を過ごしている。ティアの負傷は100日ほどで全快すると見込まれていたが、その日取りももう20日後に迫っているのだ。ティアは毎日、木登りをしたり、ジルベと駆けっこをしたり、時にはアイ=ファと棒引きの鍛錬をしたりして、めいっぱいに元気な姿を見せていた。
そんなさなかに訪れた、灰の月の16日――その日にも、ささやかならぬ変転が訪れた。その日から、ついにレビとラーズの手によって、『キミュスの骨ガラのタウ油ラーメン』が屋台で売りに出されることになったのである。
朝方に、俺たちと時間を合わせて《キミュスの尻尾亭》を出立したレビは、それはもう緊張の面持ちになっていた。聞けば昨晩はなかなか寝つけなかったらしく、働く前からげっそりと消耗している様子であった。
「何もそこまで緊張することはないよ。半月以上もかけて、みっちり修練を積んできたんだからさ」
俺がそのように声をかけても、「だけどさあ」と力なく反問してくる。
「これだけお膳立てしてもらって失敗しちまったら、目もあてられないだろ? アスタやミラノ=マスやテリア=マスにも、さんざん苦労をかけさせちまったわけだし……ああ、腹の中がキリキリと痛くなってきちまったよ」
「案外に胆の据わってない野郎だね。そんなに気負ったら、上手くいくもんもいかなくなっちまうよ」
そのように応じたのは、もちろん俺ではなくて父親のラーズであった。杖をついてひょこひょこと歩きながら、その皺の深い顔に柔和な笑みをたたえている。レビは不平そうな面持ちでそちらを振り返った。
「ずいぶん偉そうな口を叩くじゃねえか。これで上手くいかなかったら、俺たちは誰にも顔向けできなくなっちまうんだぞ?」
「だからこそ、だろう? 大一番の勝負のときこそ、どっしりかまえておくもんさ」
「ふん。イカサマがバレて指を切られたやつに、勝負ごとを語られてもな」
さすが親子だけあって、遠慮のない言葉の応酬である。しかしレビのほうにも本気で父親を貶めようという気は見られないし、ラーズはにこにことと微笑んでいる。いささかならず荒っぽいが、これが彼らにとっては平常のコミュニケーションであるのだろう。
露店区域に向かう途上で、マイムは《南の大樹亭》の扉を叩く。本日から、マイムはここで屋台を借り受けることになるのだ。ナウディスの伴侶から屋台を受け取ったマイムがあらためて合流すると、レビはそちらに「すまないな」と声をかけていた。
「後から出てきた俺たちが、こっちの屋台を使っちまってよ。悪いのは俺たちだから、ミラノ=マスには悪い気持ちをもたないでくれよな」
「何も悪いことはありません。ギバ料理を売る仲間が増えて、わたしはとても楽しいです」
マイムは天使のような笑顔で、レビに答えている。マイムは虚言を罪とする森辺の民ではなかったものの、その言葉に嘘がないことは明白であった。
ちなみにマイムもつい先頃に、屋台のメニューを新しいものに変更していた。キミュスの皮を城下町から定期購入する目処が立ったので、あの素晴らしい煮付けの料理を売りに出すことになったのだ。マイムが屋台のメニューを変更するのはこれが初めての試みであったが、当然のように評判は上々であった。
そうして所定のスペースに到着した俺たちは、各自の屋台を設置していく。
ファの家が3台、ルウの家が2台、マイムとトゥール=ディンがそれぞれ1台ずつ、ここにレビたちが加わって、ついに屋台の総数は8台である。さらには青空食堂のスペースまで存在するのだから、これはもはや露店区域の一画が俺たちに占領されているようなものであった。
ちなみに青空食堂の場所代とそこで働く人員の賃金に関しては、かねてから話し合われていた通りに、皿が必要な料理を売っている人間たちで銅貨を出し合うことになった。当初は料理の数に準じてきっちり割り振ろうかという案もあがっていたが、それでは複雑に過ぎるという話になり、屋台の数で割り振る結果に落ち着いている。ファの家、ルウの家、マイム、レビたちで、ファの家のみが倍の額である。
「この商売を始めるために、これだけの木皿を買いつけたんだからな。なおさら、失敗はできねえや」
ぶつぶつとつぶやきながら、レビは火鉢に薪を突っ込んでいた。
協議の末、レビたちの屋台はファの家とマイムの屋台の間に設置されることになったのだ。いざというとき、俺がかたわらにいたほうが心強かろうという配慮である。それは望むところであるのだが、ますますトゥール=ディンの屋台とは距離が遠くなってしまい、そのことだけがちょっぴり悲しい俺であった。
無事に火をおこしたレビは、食材の詰め込まれた木箱や水瓶などを足もとに並べていく。足の不自由なラーズは背の高い腰掛けに陣取り、鉄鍋の中身をかき回している。早朝から煮込んで仕上げた、キミュスの骨ガラの出汁である。俺たちのパスタの屋台と同様に、ふたつの小ぶりの鍋が設置できるようになっており、もう片方の鍋では茹であげ用のお湯が煮られていた。
今日はレビたちの初日ということで、俺はパスタの販売をカレーに差し替えていた。もともとパスタとカレーは数日置きに順番で出していたので、しばらくはカレーのみに絞ることにしたのだ。それでも俺の売るパスタとレビたちの売るラーメンはまったくの別物であるのだから、ゆくゆくは同じ日に販売してもおたがいの売り上げに悪い影響を与えることはないだろう、と俺は踏んでいた。日替わり献立の屋台で出していたソース焼きそばも、また然りである。
(唯一の問題は、ラーメンの食べにくさだよな)
ジェノスには、箸を使うという文化がない。それどころか、宿場町にはフォークすら存在しなかったので、俺たちは木匙を三股に割ったオリジナルの食器を貸し出し、パスタや焼きそばを販売していたのである。汁気の多いラーメンはパスタや焼きそばよりも食べづらいので、そこが評価の分かれ目になるはずだった。
「アスタ、こちらの料理も温まったようですよ」
と、相方であるマトゥアの女衆が笑顔で呼びかけてくる。俺はもっとも苦労の少ない『ギバ・カレー』の屋台を受け持ち、日替わりメニューの『ギバの揚げ焼き』はユン=スドラとリリ=ラヴィッツに、『ギバまん』および『ケル焼き』はヤミル=レイとマルフィラ=ナハムに任せていた。
ルウ家もマイムもトゥール=ディンも準備は整ったようなので、俺はかたわらのラーズに「どうです?」と問うてみる。
ラーズは左右の鉄鍋を見比べてから、「いつでも来いだ」とにっこり微笑んだ。
「それでは、販売を開始しますね」
ちょっと距離を空けていたお客たちが、怒涛の勢いで近づいてくる。その中の少なからぬ人数が自分たちの屋台に向かってくる姿を見て、レビは息を呑んでいるようだった。これはもう、新規の料理を出したときの通過儀礼みたいなものである。
「なあ、こいつは初めての料理だよな? お前さんたちも、見かけない顔だしよ」
いかにも無法者といった面がまえの人物が、ラーズたちに呼びかけている。べつだん顔見知りではないらしく、ラーズは「ええ」と言葉を返していた。
「今日から俺たちも、ここで商売をさせてもらうことになりやした。よかったら、いかがです?」
「いかがと言われても、どんな料理かわからんのではな。まさか、この煮汁だけを売りつけるわけではなかろう?」
「もちろんでさあ。それじゃあ、どんな料理であるのかを、お目にかけやしょうかね」
ラーズは小さな鉄のざるに麺を投じると、それを湯の鉄鍋にひたし、砂時計をひっくり返した。
ここだけの話、調理に関してはレビよりもラーズのほうが筋がいいようなのである。それは本人たちも自覚しているらしく、まずはラーズが調理を受け持っていた。
2本の指を欠損しているラーズは、残された指で木串をつかみ、ざるの中で踊る麺をざっくりとほぐしていく。そうして砂時計の砂があるていどまで落ちると、木串をレードルに持ち替えて、木皿に骨ガラの出汁とタウ油ベースのタレ、さらにキミュスの皮の油を投じる。ごく何気ない動作であるが、その分量もこの半月ばかりで研究に研究を重ねた結果であった。
やがて砂が落ちきると、今度は左手でざるの持ち手をつかみ取る。
左手に不自由はないので、ラーズは力強く麺の湯を切った。これが初日とは思えぬほどの、堂々とした所作である。
入念に湯を切った麺を木皿にあけ、3枚のギバ・チャーシューと、ホウレンソウのごときナナール、モヤシのごときオンダ、キャベツのごときティノをトッピングする。いわゆる半ラーメンぐらいのささやかなサイズであるものの、宿場町の民の好みにあわせて、具材がどっさりの仕上がりだ。
キミュスの骨ガラは清湯の仕上がりであるので、底が透けて見えるぐらい澄みわたっている。
俺が知る、鶏ガラスープの醤油ラーメンのごとき仕上がりである。
ラーズに木皿を示されたお客たちは、ごくりと咽喉を鳴らしながらそれを見つめていた。
「ちょいと小ぶりですが、これで一人前でさあ。お代は、赤銅貨1枚と半分の割り銭でございやすね」
「お、おお。これは美味そうだな。……しかし、いかにも食べにくそうだ。あのぱすたって料理を汁物に仕上げてるのか」
「こいつはぱすたじゃなくって、らーめんって料理だそうですよ。肉をたっぷり使ってるのは、ちゃーしゅーめんって呼ぶそうですけどね」
やわらかく笑いながら、ラーズは手持ち無沙汰に立っていたレビに木皿を手渡した。
「どうやって食べるかも、ご覧に入れやしょう。ほら、食ってみな」
「ああ」とうなずき、レビは木皿を屋台の空いているスペースに置いた。そして、三股に割れたフォークとレンゲのように大ぶりの木匙を取り上げる。
フォークで麺をすくいあげ、それが逃げないように木匙でおさえつつ、麺を口に運んでいく。箸を使わないならば、やはりこの食べ方を採用するしかないだろう。
レビは勢いよく麺をすすり込み、それを咀嚼する。緊張気味であったその顔がわずかにゆるんだのは、いまだこの料理に飽きていない証であろう。レビは木匙でスープをすすると、フォークでチャーシューを突き刺して、それも口に投じ入れた。
気づけば、レビたちの屋台にいっそうのお客が殺到している。レビは黙々とラーメンをすすっているばかりであるが、それが何よりのプレゼンテーションになっているようだった。
「わかった、もういいよ。とっとと俺にも作ってくれ!」
「まいどあり。……こいつは5名様までいっぺんに作れますが、他にご注文はありやすかね?」
我も我もと声があがり、5名分の麺が鍋に投じられることになった。
それを木串でほぐしながら、ラーズは息子に笑いかける。
「いつまで食ってんだい。具材の準備をしておいてくれよ、レビ?」
「そんなこと言ったって、残すわけにはいかねえだろ? ぬるくなっちまったら、せっかくの味も台無しなんだからな」
そう言って口をとがらせたレビは、ちょっと幼げな顔に見えた。
不覚にも、そんなやりとりにちょっと胸が詰まってしまう。親子で料理の販売に取り組むその姿は、否応なく俺に故郷の記憶を呼び起こさせてやまなかったのだった。
(レビもラーズも、おたがいわだかまりはないみたいだし……これならもう心配はいらないな)
俺は気持ちを切り替えて、自分の仕事に集中することにした。
今日はレビたちの屋台ばかりでなく、全体的に客足が激しいように感じられる。何か近所で催し物でもあったのかと思えるぐらい、通りのほうも賑わっているようだった。
おかげさまで、料理は順調に売れていく。朝一番のピークが終わる頃には、『ギバ・カレー』のほうでも最初の鉄鍋が空になってしまっていた。
「いったい何なのかしらね。これじゃあ二の刻まで料理がもたないわよ」
ぶちぶちと言いながら、ヤミル=レイは蒸し籠の撤去を始めていた。『ギバまん』が売り切れたので、『ケル焼き』に移行するのだ。ルウ家のほうでも『ギバの香味焼き』を売り尽くして、『ギバ・バーガー』を始める作業に取りかかっているようだった。
また、8台の屋台でもっとも調理に時間のかかるレビたちの店は、朝一番のピークが終わってもずらりと客が並んだままであった。客が客を呼ぶの法則に従って、どんどん客足がのびていくようだ。途中で調理の仕事を交代したレビは、麺を茹であげながら「まいったな」と複雑そうにぼやいていた。
「こんなにお客が来るんだったら、もっと料理を準備しておくんだったよ。せっかくの稼ぎを逃しちまいそうだ」
レビたちの売上目標は、赤銅貨1・5枚のミニラーメンを100食分である。これは一般的な屋台における半人前の値段と分量であったので、その数値に設定されたのだ。
もっとも、同じぐらいの分量と値段で『クリームシチュー』や『ギバのモツ鍋』を売っているルウ家では、毎日100食分以上が売れている。この勢いでは、レビたちの屋台が真っ先に料理を売り尽くしてしまいそうなところであった。
「初日はお客を集めやすいっていうアスタの助言を、きちんと聞いておけばよかったな。弱気が裏目に出ちまったみたいだ」
「うだうだ言ってねえで、湯の加減に注意しとけよ? こんだけたてつづけに麺を茹でてたら、どんどん熱が逃げちまうだろうからな」
お客と談笑していたラーズが、小声でそのように注意を与える。レビは「わかってるよ」とまた口をとがらせながら、火鉢に薪を追加した。
「おやおや、これはたいそうな賑わいだねえ。売れ残りの心配なんて必要なさそうじゃないか」
と、聞き覚えのある声が響いたので振り返ると、そこにはカミュア=ヨシュとレイトの姿があった。ゼディアス=ルティムの洗礼を見届けた両者はいったん仕事のためにジェノスを離れたが、つい先日に帰還してきたのだ。
「これなら、俺たちがわざわざ売上に貢献する必要もなさそうだね。俺は揚げ物の料理をいただこうかな」
「え? カミュアはレビたちの料理を食べないのですか?」
レイトがうろんげに主人の長身を見上げやると、カミュア=ヨシュは「うん」とうなずいた。
「だって、昨日も一昨日もその前の日も、《キミュスの尻尾亭》で味見をさせてもらったじゃないか。俺としては、こっちの揚げ物のほうが恋しいぐらいだねえ」
「そうですか。僕はレビたちの料理をいただきますよ」
そんな言葉を残して、レイトは行列の最後尾へと足を向けた。その小さな後ろ姿を見送りつつ、カミュア=ヨシュは「やれやれ」と肩をすくめている。
「レイトはまだラーズに疑いの目を向けていたことを、負い目に感じているのかな。すっかり和解できたんだから、何も気にする必要はないのにねえ」
「そうですね。でもまあレイトとしては、記念すべき初日にレビたちの料理を食べておきたいんじゃないですか?」
俺がそのように答えると、「そういうものかねえ」とカミュア=ヨシュは微笑した。レイトの行動を冷やかしつつも、なかなか温かみのある笑顔である。
「ところで今日は、妙に宿場町が賑わっているようだね。何か特別なことでもあったのかな?」
「それは俺も感じていました。事情通のカミュアでも心当たりがないのですか?」
「心当たりか。ないこともないのだけれど……でも、ジェノスにまで影響の出るような話なのかなあ?」
そうしてカミュア=ヨシュが細長い首を傾げたとき、その背後に新たな人影が近づいてきた。
「たぶん、そいつは当たってるよ。西のほうで騒ぎが起きてるんで、そっちに向かうつもりだった連中は出立を見合わせることになったんだろうさ」
「おや、ザッシュマ。君もジェノスに戻っていたんだね」
カミュア=ヨシュが、笑顔でそちらを振り返る。ラーズの巻き起こした騒動で一役買うことになったザッシュマもまた、しばらく仕事でジェノスを離れていたのだ。
半月ぶりぐらいに見るザッシュマは、以前と変わらぬ様子で陽気に笑っている。しかし、その目にはいくぶん真剣そうな光がちらついていた。
「俺は昨日までダバッグにいたんだけどな。あっちでは、ジェノス以上の騒ぎになってるよ。ジェノスならまだ北にも南にも、何なら東にだって向かうことはできるが、ダバッグには東西の街道しかないからな。西の方角に向かえないとなると、このジェノスぐらいしか行き先がなくなっちまうんだ」
「ふむ。西の方角で何やら物騒な事件が相次いでいるとは聞いているけれど、商人たちが出立を見合わせるほどなのかい?」
カミュア=ヨシュの言葉に、ザッシュマは「ああ」とうなずいた。
「どうもその騒ぎは、同じ連中が巻き起こしてるみたいでな。町の連中は、その盗賊団を《颶風党》と名付けることにしたようだよ」
「《颶風党》か。颶風のごとき暴虐な力で人を襲うということだね」
「ああ。ただし、そればかりが理由じゃないらしい」
そこでザッシュマは、人の耳をはばかるように声をひそめた。
「どうもその連中は、東の民の盗賊団らしいんだよ。だから、風神シムの民ということで、風の文字が使われることになったんだろう」
「ええっ?」と思わず声をあげてしまったのは、俺であった。
ザッシュマが、苦笑を浮かべながらこちらを振り返る。
「何だい、たいそうな驚きようだな、アスタ」
「は、はい。東の民の盗賊団っていうのが、すごく意外だったもので……」
「そりゃあアスタは、真面目に商売に励む草原の民しか見ていないからな。俺たち《守護人》にとっては、そう珍しい話でもないさ。……アスタだって、山の民の噂ぐらいは聞いてるんだろう?」
「ええ。北方の山沿いに住む山の民っていうのは、たいそう気性が荒いそうですね。でも、東の民が盗賊団になるなんて……」
「山の民と草原の民は、ひとくくりにできたもんじゃねえからな。山の民はマヒュドラとの混血が進んでるから、背が高いばかりじゃなくみんな図体がでかいんだよ。さすがに本場の北の民ほどじゃないが……それでもたいていは、ドンダ=ルウなみの大きさだろうな」
男衆の全員がドンダ=ルウなみの体格を持っているなどとは、想像したくもない光景であった。しかも、気性が荒いとあっては、なおさらだ。
「東の民は毒を扱うから、ひとりで10人分の力を持つって言うだろ? 山の民なんてのは、それに加えて剣技まで磨いてやがるから、そりゃもう厄介なんだ。草原の民が10人力なら、山の民は20人力だろうな」
「うんうん。だけど森辺の民だったら、剣の力だけで山の民と同等以上だろうね。それこそドンダ=ルウぐらいの狩人であれば、複数の山の民を相手取っても遅れを取ることはないだろう」
そのように述べてから、カミュア=ヨシュはザッシュマの顔をじっと見つめた。
「しかし、山の民の盗賊団が珍しくないというのは、もっと北寄りの領地においてのことだ。ジェノスやダバッグなんて、セルヴァで最南の領地であるのに、どうして山の民の盗賊団などに脅かされなくてはならないのかな?」
「そいつは《颶風党》の連中に聞いてくれ。あいつらはいったい何を思って、こんな場所にまで出張ってきたんだろうな」
ザッシュマは、仏頂面で頬を撫でさする。
「もっとも、そこまでダバッグやジェノスにまで騒ぎが近づいているわけじゃない。俺が聞いた限りでは、ダバッグからトトスで5日はかかる辺りで起きた騒ぎが、一番近いかな」
「それは、どのような騒ぎだったんだい?」
「街道を東から西に進んでた商団が、全滅させられた。荷物はすべて奪われて、人間は皆殺しだそうだ。実際のところ、騒ぎに巻き込まれた人間はみんな魂を返してるんで、《颶風党》の正体や人数なんかはハッキリしないらしいな」
「それなら、どうして東の民と断じられたのだろう? ……ああ、シムの毒か」
「ご明察。亡骸のいくつかに、シムの吹き矢でやられた痕が残されていたらしい。そういう騒ぎが相次いだから、みんな同じ連中の仕業だってことになったんだろう。シムの毒を使う盗賊団が、セルヴァのど真ん中にほいほい現れるとは思えないからな」
いつの間にか、屋台の前で語らうザッシュマとカミュア=ヨシュの周囲には、人だかりができてしまっていた。
それに気づいたザッシュマは、頭をかきながら周囲を見回していく。
「こいつはもう城下町の貴族様にも伝えておいたから、お前さんがたが心配することはないよ。きっと今晩あたりから、夜回りの衛兵も増員されるだろうさ」
「だ、だけど、山の民ってのは恐ろしい連中なんだろう? 言っちゃ悪いが、ジェノスの衛兵で相手になるのかね……?」
年をくった行商人と思しき人物がそう言いたてると、ザッシュマはそれを励ますように笑った。
「さっきは人数もはっきりしないって言ったけどな。一度、夜の闇の中を逃げていく連中の姿を、近在の領地の衛兵たちが見かけてるんだ。その証言によると、《颶風党》ってのは10名から20名ていどの集まりであるらしい」
「や、山の民が20名もいたら、それこそ太刀打ちできないじゃないか」
「何を言ってやがるんだい。山の民がひとりで20名の兵士を相手取れるとしても、400名の衛兵なら負けねえってことだ。このジェノスには千から万の衛兵が出番を待ちかまえてるんだから、20名ぽっちじゃ相手にならねえよ」
ことさら豪放な素振りで、ザッシュマはそのように言い放った。
「だから、ジェノスやダバッグに居残ってる分には、何の危険もない。気の毒なのは、それよりも西側に用事のあるお人らさ。町から町に移動するのに、400名もの護衛役を雇うことはできねえだろうからな」
人々は顔を寄せ合いながら、ザッシュマの情報を吟味していた。
「うーん、やっぱり出立を見合わせて正解だったな。その盗賊団が退治されるまでは、ジェノスで大人しくしておくか」
「それともいっそ、ジャガルにでも足を向けてみるかい? さすがに東の盗賊団が、そうそう南の領土に足を踏み入れることはねえだろう」
「いや、それはどうだろうな。東と南は敵対してるんだから、それこそ遠慮なく踏み込んでくるんじゃないか?」
「そんなことしたら、南の連中に袋叩きだよ。あいつらだって、なりは小さいけどすげえ力を持ってるからな」
「ああ、東の盗賊団なんかが悪さをしたら、死に物狂いで追いたてるだろうな」
「ああ、嫌だ嫌だ。物騒な話は、余所でやってほしいもんだぜ」
ザッシュマは頭をかきながら、俺のほうに向きなおってきた。
「騒がしくしちまって、悪かったな。俺はただ、ひさびさのギバ料理を楽しみに来ただけなんだよ」
「いえ、貴重な話を聞けてよかったです。……ジェノスは、本当に安全なのでしょうか?」
「ああ。貴族の治める領地に手を出したら、盗賊団なんてあっという間に討伐されちまうからな。あいつらが狙うのは、街道を行く商団か、守りの薄い村落ぐらいのもんだよ。だからこそ、ジェノスやダバッグにこうして大勢の人間が集まってきているわけさ」
「しかし、このような場所に山の民の盗賊団が現れるというのは、解せないね」
にんまりと微笑みながら、カミュア=ヨシュがそのように言いたてた。
その紫色をした瞳には、何やら判別し難い感情が渦巻いている。どうやらカミュア=ヨシュは、ザッシュマ以上にこの件を重く見ているようだった。
「俺ももう少し、情報を集めてみることにしよう。それに、メルフリードたちの動向が気がかりだね。王都からジェノスに向かう際には、どうしたって《颶風党》の暗躍する区域を通らなくてはならないはずだ」
「ああ、メルフリード殿がジェノスを発ってから、もう3ヶ月ぐらいは経ってるもんな。往復で2ヶ月かかるとしても、そろそろジェノスに帰ってきたっていいぐらいの頃合いだろう」
そのように述べてから、ザッシュマはけげんそうに眉をひそめた。
「しかし、いくら何でも王都の一団を襲ったりはしないだろう? さすがに400名もの兵士を連れてはいないかもしれないが、王都の連中なんざに手を出したら、それこそシムとセルヴァの国交に亀裂が入りかねないからな。セルヴァのみならずシムの王をも激怒させて、故郷に戻ることも許されなくなるだろうよ」
「どうだろうね。山の民がセルヴァの南部に現れるということからして、道理に反しているんだ。俺たちの道理など通用しないと考えておいたほうがいいような気がしてしまうね」
そうしてカミュア=ヨシュは、ようやくいつものとぼけた眼差しを取り戻した。
「ともあれ、今日や明日にどうこうという話ではないだろう。アスタもいまのうちにドンダ=ルウやアイ=ファに話を通しておいて、いざとなったら護衛役を出せるように準備しておくといいよ」
「は、はい。ご忠告ありがとうございます。今日中に、必ず話を通しておきますよ」
「うん。それじゃあ、そちらの揚げ物とぎばかれーをいただこうかな」
「あ、俺もぎばかれーをお願いするよ。そっちの行列も気になるけど、そいつはぎばかれーを片付けてからだ」
さすがに荒事を生業にしているだけあって、カミュア=ヨシュとザッシュマは落ち着いたものであった。
いっぽう、俺のかたわらで話を聞いていたマトゥアの女衆などは、きょとんと目を丸くしている。
「東の民が悪行を為すなんて、確かに想像がつきませんね。屋台の商売は、大丈夫なのでしょうか?」
「どうなんだろうね。とりあえず、立派な体格をした東の民を見かけたら、用心することにしよう」
しかし、ドンダ=ルウなみの体格をした東の民などがいたら、さぞかし目立ってしまうことだろう。そういう意味では、まだ用心しやすいのかもしれなかった。
そうこうする内に太陽は中天に達して、また客足が増えていく。どのように不吉な噂が蔓延しようとも、それで空腹をこらえる理由にはならないのだ。行商人と思しき人々は不安そうに語らいながらも屋台に並び、ギバ料理を所望してくれていた。
だが、この日に訪れる変転は、それが最後ではなかった。
レビたちの新しい屋台が始まって、ザッシュマから《颶風党》の情報がもたらされ――最後のとどめとばかりに、その人物が現れたのである。
「ふうん。噂通り、たいそう盛況じゃねえか」
それは、南の民であった。
小柄でずんぐりとした体格をしており、顔の下半分にはもしゃもしゃと褐色の髭をたくわえている。南の民としてはごくありふれた風貌であったが、ただ、そのぎょろりとした目と団子鼻のサイズが、南の民としても規格外であった。
そしてそのかたわらには、南の民でたまに見られる大柄な人間がででんと立ちはだかっている。アルダスやボズルにも負けない大男であり、しかもその腰には大振りの刀が下げられていた。
「いらっしゃいませ。ご注文でしょうか?」
「ああ。だけどその料理は、香草臭くていけねえな。そっちのケルの根を使ったやつをもらおうか」
『ケル焼き』の担当は、ヤミル=レイとマルフィラ=ナハムだ。調理を受け持っていたマルフィラ=ナハムは「は、は、はい」と目を泳がせながら、ポイタンの生地をつかみ取った。
「お、お、おいくつでしょう? お、おひとつですか? おふたつですか?」
「ふたつもらおう。お前さんも食ってみな」
大柄な相棒は、無言のままうなずいていた。やはり剣士だけあって、迫力のあるたたずまいである。
そうしてヤミル=レイが銅貨を受け取り、マルフィラ=ナハムが『ケル焼き』を差し出した。それをかじった団子鼻の男は、「ふふん」と大きな目を光らせる。
「なるほどな。噂通りの出来栄えだ。……大事な一歩目からつまずかなくて、何よりだったぜ」
「え? え? な、な、何のお話でしょうか?」
「お前さんのことじゃねえよ」
気の毒なマルフィラ=ナハムを捨て置いて、その人物は俺に向きなおってきた。
「それじゃあ、話を進めさせてもらおうか。森辺の料理人、ファの家のアスタ。お前さんと、商売の話をさせてもらいたい」
「はい? 商売の話ですか?」
男は大きな鼻をこすりながら、「ああ」とうなずいた。
「俺はコルネリアのデルスってもんだ。お前さんに、買ってほしい食材がある。ただし、おたがいの条件に折り合いがつけば、だがな」
「食材ですか。それは興味深いお話ですが……でも、どうして俺に?」
「そいつは話せば長くなる。そっちの商売が終わったら、じっくり話し合おうじゃねえか」
そう言って、デルスと名乗った男はにやりと笑った。
「お前さんの評判は、兄貴からじっくり聞いてきたんだ。俺は、建築屋のバランの弟なんでね」