②朝~ギバ肉とタラパのシチュー~(中)
2014.9/15 更新分 2/2
ときどき薪を足しながら、3人でぽつぽつ語りあっていると、やがて他の女衆も戻ってきた。
ヴィナ=ルウは他の仕事でも頼まれてしまったのか、ララ=ルウとレイナ=ルウのみだ。
「おーい、鉄鍋が届いたよー」
ふたりの手には、その言葉通りのものがひとつずつ掲げられていた。
ルウの分家から借り受けたものである。
7戸の家で一番かまどの間が大きいのはやはりこの本家であったので、ここを本拠地と定めることになった。
ルウの本家にはかまどが6つある。鉄鍋は4つある。その鉄鍋は早々にシチューで使われてしまうため、分家の鉄鍋と人手をあるていどこの本家に集結させることに決めた、ということだ。
今までは交代制で手伝ってくれていた分家の女衆も、本日だけは総出で手伝ってもらう手はずになっている。
というか、現時点ですでにポイタンを煮詰める作業や野菜を切り分ける作業が分家のかまどでも開始されているはずだ。
どの家ではどの料理を調理するか。そのためにはどこの家にいくつの鍋と何人の人手を集めるべきか。
完成予定時刻から逆算してこのシフトを組む作業が、俺には一番しんどかった。
「この鍋はどうすんだっけ? しちゅー用のタラパだっけ?」
「そう。せっかく人手があるんだから、やっつけちゃうか。これが終われば、昼まではだいぶ楽になるよ」
煮込みの番はアイ=ファとリミ=ルウにまかせて、俺はララ=ルウたちと屋外のかまどでトマトソースならぬタラパソースを仕上げることにした。
こちらも量はすさまじいが、調理方法はシンプルである。
すでに香味のアリアは炒めてあるので、ざく切りにしたタラパと一緒に果実酒で煮詰めて、最後に塩とピコの葉で味を整えるだけだ。
欲を言えばニンニクやバジルが欲しいところだが。ソースとしては及第点であろう。シチューに仕上げるのは相当な手間だが、このまま肉にかけたり野菜と煮込んだり、よかったら応用してほしいものだと思う。
「不思議だよねー。あんなに酸っぱいタラパがこれだけですっごく食べやすくなっちゃうんだもん」
ぐつぐつと煮立つ真っ赤なタラパが焦げつかないように攪拌棒を回しながら、ララ=ルウがつぶやく。
「アリアは甘味が強いからね。香味野菜としては本当に優秀だよ」
この5日間で、ララ=ルウからの風あたりはずいぶん柔らかくなっていた。
口が悪いのはもう性格なのだろうが、頭に血をのぼらせなければ、けっこう素直で可愛らしい女の子なのである。
「あ、そういえばララ=ルウはタラパが嫌いだったんだっけ?」
「うん。でも大好きになった」
この調子だ。
この娘さんにはかなりの勢いで嫌われているのだろうなあとか思っていた俺は、こんな何気ない会話だけで気持ちが暖かくなってしまう。
と――そこで不穏な目線を頬のあたりに感じて、俺はそちらを振り返った。
何だかやたらと寂しそうな表情を浮かべていたレイナ=ルウが、ふっと目をそらす。
……えー?
この場合、俺はどうしたらいいのだろうか。
そんな風に思い悩んでいたら、ルド=ルウがあくびをしながら姿を現した。
「何だ、もう始めてんのかよ? 暑苦しいなあ。――おい、アスタ、水浴びにでも行こうぜ。女衆は全員、終わったんだろ?」
「いや、俺は後でいいよ。こいつを煮たら一段落できるから」
「かまどふたつに人間が3人ひっついててもしかたねーだろ? それともお前ら、いまだにアスタがいねーと何にもできねーのか? 男衆はもうみんなギバをさばけるようになってんだぞ?」
「うっさいなあ! 水浴びでも何でもしてくりゃいいでしょ? アスタなんか、いらないよ!」
この状況で、どうして俺が傷つかなくてはならないのだろう。
「どうぞ。鍋はわたしたちが見ているので、行ってきてください」とレイナ=ルウがまだちょっと目もとに寂しげな陰を漂わせながら、微笑みかけてくれる。
「わかった。それじゃあ、おつきあいいたしますよ。……お母様がたは本当に水浴びをお済ましになられているのでしょうね?」
「未婚じゃねーと、婿入りはできねーぞ?」
「いや、だから……」
「親父やジザ兄にぶっ殺されるだけだ」
「だから! 確認してるんでしょうが!」
「あ、あの、サティ・レイたちはもう水浴びを済ませて戻ってきたから、わたしたちがこちらに来られたのですけれども……」
と、少し顔を赤くしたレイナ=ルウがもじもじと言う。
駄目だ。このメンバーだと、たぶん彼女が一番の貧乏くじになってしまう。とっとと水場に向かうことにしよう。
屋内のアイ=ファたちにも一声かけてから、ルド=ルウとともに建物を離れる。
「だけど、水浴びのお誘いなんて珍しいね、ルド=ルウ?」
「んー。ちょっと聞きたいこともあったからさ」
と、両足を投げだすような歩き方で歩きながら、その色の淡い瞳が横目で俺を見る。
「あのこと、もう聞いた?」
「あのことって?」
「『贄狩り』」
「あ」
しまった。
まったく失念してしまっていた。
なんと迂闊な俺なのだろう!
そりゃあ無茶苦茶に多忙な毎日ではあったが、そんなことが言い訳になるはずもない。
たったひとりで狩りをしているはずなのに、やたらとギバの収穫量が多い、アイ=ファ。ルド=ルウにそれは『贄狩り』をしているのではないかと示唆されて――なおかつ、『贄狩り』の内容を知りたければアイ=ファ自身に聞いてみろ、と言われていたのだ、俺は。
どうしてこんなに重要そうなことを忘れてしまっていたのか。自分の迂闊さに叫びだしたくなる。
が、実際にはまだそれがどれほど重要な事柄であるのか、俺は知らない。
ただ『贄狩り』という不吉な響きと、その言葉を発したときのルド=ルウの深刻そうな表情に不安感を煽られただけなのだ。
こうなったらもう、不安感を煽りたててくれた張本人に問いただすしかあるまい。
「ごめん。忘れてた。……ねえ、その『贄狩り』ってのは何なのさ?」
「聞いてないならいいよ。聞きたいなら家長に聞きな」
「いや、でも、それって、他の人に聞かれてもいいことなの? 今日は1日、誰かしらがそばにいるような状況なんだけど」
「女衆なら、いいんじゃね? どうせ聞いたって意味わかんねーだろうし。……ただし、親父の耳には入れないほうがいいかも」
「それじゃあ聞けないよ。リミ=ルウに口止めとかしたくないし」
また、横目で見られる。
非常に面倒くさそうな顔つきである。
「しかたねーなー。……『贄狩り』ってのは、ギバ寄せの実を使った、古い狩りのやり方なんだよ。その実を砕くとギバの大好きな匂いが広がって、ギバが寄ってくる。ただそれだけのこった」
「ふうん? そのわりには、ずいぶん仰々しい名前じゃないか?」
「……その匂いを嗅ぐと、ギバは無茶苦茶凶暴にもなるらしい。普通あいつらは遠くから人影を見ると逃げるけど、その匂いのついた人間だったら、喜び勇んで突っ込んでくるらしいぜ?」
「な……」
「自分の生命を生贄にしかねない狩り方だから、『贄狩り』。そんな狩り方してたら生命がいくつあっても足んねーから、今じゃあたぶん誰もやってない」
「…………」
「だからたぶん、あんたの家長もやってねーんだろ。そのわりにはえらい数のギバを狩ってっけど。どうやったらひとりでそこまでの収穫をあげられるのか、ちょいと聞いてみたいもんだぜ」
「……その、ギバ寄せの実っていうのは……」
「ん?」
「甘い、花みたいな香りがするのかな?」
ルド=ルウが、目だけではなく顔ごとこちらを見た。
その目が、いぶかしそうに細められている。
「……知らねー。俺はそのギバ寄せの実ってのを見たこともねーもん」
「そうか……」
アイ=ファからしか感じ取ったことのない、甘い花のような匂い。
あれがもし、そのギバ寄せの実の匂いなのだとしたら……
「ま、親父は生命を粗末にするやつが大ッ嫌いだから、ギバ寄せの実を使う狩人なんかいたら、たぶんいい顔をしないと思う」
「……うん」
「だけど俺は、尊敬するね。そうまでしてギバを狩ろうとするやつがいたら、すげーと思う。大馬鹿だとも思うけど、格好いいとも思う。尊敬する」
「…………」
「なあ、アスタ」と、いきなり胸ぐらを引っつかまれた。
少し線の細い少年の顔が、目の前に近づいてくる。
「だからあんたも、尊敬しろ。そういう狩人がいたら、心配するんじゃなく、尊敬しろ」
「…………わかった」
ルド=ルウはあっさりと手を放し、またぶらぶらと歩き始める。
俺は溜息をおし殺し、巻いたタオルごと、頭をかきむしった。
ようやく、ルウ家の水場のしるしである戸板が見えてくる。
「あー、今日も暑くなりそうだなー」とか何とか言いながら、ルド=ルウは戸板の向こうに踏みこんだ。
俺はかまどの間で待つアイ=ファのことを思いながら、ルド=ルウに続いて足を進め――
そして、ぎゃーっと叫びそうになった。
「あれ? いたのかよ、ジザ兄、ダルム兄?」
いたのだ、ジザ兄とダルム兄が。
ある意味ではドンダ=ルウよりも取り扱いの難しい、ルウ本家の長兄と次兄が。
ルド=ルウはかまわずにぽいぽいと着ていたものを脱ぎだして、最後に首飾りだけを大切そうにじゃらりと置いた。
そこは、せいぜい膝ぐらいまでの水深の、小川だった。
あたりは、岩場だ。背面はけっこう高い断崖の壁で、その天辺には森の影が見える。
そこに、ふたりの偉丈夫が座りこみ、手の平や小さな布で褐色の裸身を拭っている最中であらせられた。
「お、冷てーっ!」と、そこに飛び込んだルド=ルウがはしゃいだ声をあげる。
はしゃげない。
はしゃげないぞ、俺は。
ジザ=ルウは、ちらりと俺のほうを見てから、また黙然と身体を拭い始めた。
ダルム=ルウは、一瞬ぎらりと両目を燃やしてから、やはり黙然と身体を拭い始める。
はしゃげるか、この状況で。
しかしこのまま逃げ帰るわけにもいかないので、俺も着ているものに手をかけるしかなかった。
ベストを脱ぎ、Tシャツも脱ぎ、すべてを脱ぎ去って、最後に首飾りを置く。
そうして、おふたり方の背面の下流に、そっと腰を落とした。
「なーにおっかねー面してんだよ、ダルム兄! 今日はめでたい宴だぜー!?」
と、ルド=ルウが水中にあった右足を振り上げた。
それで跳ねあがった大量の水しぶきが、ざばーっとダルム=ルウの頭に振りそそぐ。
あわわわわ。
ダルム=ルウは一瞬だけ機能停止し、また何事もなかったかのように身体を洗い始める。
俺の位置からは表情がうかがえないのが、また恐ろしい。
それにしても――まったく何という身体をしているのだろう、森辺の男衆というやつは。
俺だってこのひと月はかなり身体を酷使していたので、脂肪が落ちたぶん筋肉がつき、引き締まったのに体重は(たぶん)アップ、という、人生で最高潮のマッスルボディへと変貌を遂げたつもりであったのに、彼らと比べてしまったらひょろひょろの痩せ犬みたいだ。
まず、骨格からして違うのだろう。肩幅は広いし胸は厚いし、手足も首もすらりと長い。
で、無茶苦茶に引き締まっているのに、背筋なんかは物凄い。
均整がとれているから、服を着ているとスマートに見えるぐらいなのだが。必要な筋肉だけがしっかりとついて、無駄肉なんかはひとかけらもない。アイ=ファから感じるのと同じ、機能美にあふれる流線の集合体なのだ。
よく見ると、手首が太くて、手がでかい。指が長いというだけでなく、手の平自体が大きくて、分厚い。握手なんかしたら俺の手なんて簡単に握り潰されてしまいそうだ。
そして――アイ=ファと同様に、褐色の肌には無数の白い傷跡が光っている。
ギバに刺されれば生命に関わるだろうから、それは密林や岩場を移動する中で自然に負った傷が大半なのだろう。
これが――森辺の狩人なのだ。
「何をぼーっとしてんだよ? 今日は一世一代の大仕事なんだろ?」
という言葉とともに、ものすごい水しぶきが降りそそいできた。
ルド=ルウが、俺の目の前に飛びこんできたのだ。
「しっかり身を清めとけよ! ただでさえめでたいルティムの宴なんだからな!」
「わ、わかってるよ。……君も朝から元気だねえ、ルド=ルウ?」
「んー? んふふふふ。そりゃーそーだろ! こんだけ毎日美味い飯を食わされてりゃ元気にもなるよ! 今なら片手でギバを持ち上げられる気がすんなあ!」
と、本当に楽しそうに笑うルド=ルウである。
こういう表情をすると、女の子みたいに可愛らしくなる。
その身体もやっぱり野生動物みたいに研ぎすまされてはいるが、少なくとも身長は俺よりも小さいし、兄上たちほど骨格もがっしりしていない。力比べなんかではかないもしないのだろうけども、何だかほっとしてしまう。
「もうルウ本家の女衆は大丈夫だよ。この5日間は俺なんてほとんど手を出していないし、ハンバーグの作り方もずいぶんおさらいできたし、明日からもずっと美味しい料理を作り続けてくれるさ」
「…………」
「ん? 何かな?」
「アスタってさ、何かっつーとすぐ『俺がいなくても』とか言うよな。そういうの、すっげー腹が立つ」
「え? いや、だけどまあ、俺はそうそうルウ家のかまど番を預かれる立場じゃないんだし。女衆だけで美味い料理が作れるのは喜ばしいことだろ?」
「そんなん、わかってんだよ! そういう話じゃねーだろ!?」
ばしゃん、ばしゃん、と水面をひっぱたく。
何だか本当に子どもみたいだ。
「アスタ」と、そのとき初めてジザ=ルウが口を開いた。
「ちょうど良かった。今日の内に、貴方には話しておきたいことがあったのだ」
「はい。何ですか?」
「……貴方は明日、あのカミュア=ヨシュという石の都の男と、会うのか?」
頑健なる肉体を半分だけこちらに向けて、ジザ=ルウが糸のように細い目で俺を見る。
「はい。あちらが訪ねてくるなら、会うことになると思いますが」
「そうか。……別にこの森辺は、立ち入りが禁止になっている地ではない。みだりに踏み込むべからずという約定はジェノスの領主と交わされているが、それはむしろ、都の住人を危険にさらさないための約定だった。だから、あの男が再びやってきても、俺たちにそれを邪魔する権利は与えられていない」
「……はい」
「しかし俺は、都の住人が森辺に干渉することを、よしとしていない。スン家の人間を見ていればわかる通り、都の文化は森辺に堕落しかもたらさない」
「…………」
「アスタ。貴方から感じられるのは、都の人間の気配だ。貴方は石の都で暮らすべきだ――という俺の考えは、どこか間違っているだろうか?」
ジザ=ルウがここまで正面きって俺の処遇について語ったのは、これが初めてのことだった。
森辺の習わしに反するようなガズラン=ルティムの行動を、この男がどのように受け止めているのか。はっきり言って、ドンダ=ルウ以上に、それを快くは思っていないのではないか――という考えぐらいは、もちろん俺だって持ち合わせていた。
「間違っているかは、わかりません。でも――俺は、宿場町よりもこの森辺が、好きです」
だから俺は、そんな風に答えるしかなかった。
「そうか」とジザ=ルウは立ち上がる。
「ガズラン=ルティムは、俺にとっても大事な眷族だ。その婚儀がつつがなく終わることを、俺は誰よりも強く願っている」
そうしてジザ=ルウは、戸板にかけてあった布で身体をぬぐい、服を着て、立ち去っていった。
「……あんたって、ああいうときのジザ兄とよくまともに口をきけるよな。俺には真似できねーや」と、ルド=ルウがふてくされたような口調でそう言った。
「うん。俺にはまだあの人の怖さがよくわかってないのかもね。すごい迫力なんだけど、どう怖がればいいのかわからないっていうか」
「何だそりゃ? 俺は親父よりジザ兄のほうがおっかねーぐらいだけどな。……なあ、ダルム兄、なんで兄たちはアスタのこと嫌ってんの? 美味い飯を作ってくれるし、ちょっとわけのわかんねーとこもあるけど、普通にいいやつじゃん?」
その言葉はものすごく心にしみいるのだけれども、俺にはダルム=ルウにそんな気安い態度が取れるルド=ルウのほうがすごいと思える。
まあ――兄弟ならば、これが当然なのかもしれないが。
案の定、ダルム=ルウは何も答えず、俺のほうを見もしないで、ジザ=ルウと同じように立ち去っていってしまった。
「うーん。ほんとに嫌われてんだな、あんた」
「うん。自覚はしているよ」
「つーか、ダルム兄の場合はあんたを怖がってるようにも見えっけどな」
「はあ? それはないだろう! あんなの、どうあがいたって勝てる相手じゃないよ!」
「男衆であんたに負けるやつなんていねーよ。……それが、腕ずくの喧嘩ならな」
そうしてルド=ルウは、水の中であぐらをかき、俺に向きなおった。
「不思議だよな。アスタはそんなひょろひょろで弱っちそうなのに、誰のことも怖がらない。あの前祝いの夜のときなんて、うちの親父よりも強そうに見えたぐらいだったもんな」
「あはは。そいつは光栄だね」
「手」
「うん?」
「手ぇ見せて」
「手?」と俺は右手の平を差し出してみせる。
その手に、ルド=ルウの手の平がぺたりと重ねられた。
「ちっちぇー。女衆みてえ」
ガーン!
俺よりも小柄であるはずのルド=ルウは、俺よりも一回りは大きな指先と手の平を有していたのだった。
もしかしたら、1年後ぐらいにはルド=ルウに見下ろされることになってしまうのかもしれない。そんな風に考えたら、とっても悲しい気持ちになってしまった。
それでも――この森辺で1年後が迎えられるのならば、それは本当に幸福なことなのだろうけども。