表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第三十八章 群像演舞~四ノ巻~
655/1675

    南の王国の建築屋(下)

2018.10/19 更新分 1/1

「なるほどなあ。そういう騒ぎがあったのか」


 翌日の夜、バランは酒場で過ごしていた。

 3ヶ月ぶりにネルウィアへと帰ってきて、日中はあちこちに挨拶回りをしていたのだ。それで夜は適当に食べてくればいいと銅貨を手渡されたので、馴染みの酒場に腰を落ち着けることになったわけである。


 が、酒杯を酌み交わしているのは3ヶ月ぶりに会う友人知人や商売相手などではなく、道中もずっと行動をともにしていたアルダスやメイトンであった。挨拶回りにも同行していた彼らと、あらためて無事な帰りを祝うことになったのだ。


「でもまあ、うちでも似たような有り様だったよ。ギバの肉が美味いの不味いので大騒ぎさ。そいつはどの家でもおんなじことなんじゃないのかね」


 そのように述べたのは、メイトンのほうだった。すでに発泡酒で顔が赤く染まっている。


「俺もついつい、ジェノスで食べるギバ料理はこんなもんじゃねえんだぞって言い返しちまってさ。嫁にはおっかない目で見られるし、もう散々さ」


「そいつはお前さんが悪いだろ。嫁じゃなくって亭主の出来の問題だな」


 豪快に笑いながら、アルダスは発泡酒よりも強い蒸留酒をあおっている。この中で、伴侶を娶っていないのはアルダスだけだった。


「まあ、ギバの干し肉は煮込むよりも、火で炙って噛みちぎるほうがよっぽど美味いんだろうと思うよ。あの腸詰肉ってのは、煮込んだほうが格段に美味かったけどな」


「アルダスはいいよなあ。山分けしたギバ肉を独り占めできるんだからさ」


「ふふん。嫁や子と生涯をともにする幸福と引き換えにしてるんだ。これぐらいの役得は当たり前だろ」


「嫁や子供なんて、年を食ったらありがたいもんでもないさ。この騒ぎを見りゃあわかるだろ?」


「だからそれは、お前さんの出来が悪いからだよ」


 ジャガルの民は率直を美徳としているので、いかにも遠慮のない言葉のやり取りである。しかし、20年来の仕事仲間であるアルダスとメイトンは、いかにも楽しげな様子であった。もっとも楽しげでなかったのは、バランであったことだろう。


「……で、おやっさんは息子に悪態をつかれたことを、まだ根に持ってんのか? あいつの口が悪いのは、いまに始まったことじゃないだろう?」


「そんなことはわかっている。しかし、なんにもわかっていない小僧に大口を叩かれれば、腹も立つだろうが?」


「うん、まあ、特にギバ料理をけなされちゃあな。おやっさんとしても、腹に据えかねるってわけか」


 酒杯を卓に置いたアルダスは、何かを懐かしむように目を細めた。


「でもまあ、しかたない部分もあると思うよ。干し肉や腸詰肉ってのを口にしただけじゃあ、アスタたちの料理がどんなに美味いかなんて、なかなか想像することもできないだろうからな」


「…………」


「それにおやっさんだって、最初はアスタの料理にすら悪態をついてたじゃないか。そいつはやっぱり、血筋なんじゃないのかね」


「わかっとる。だから……余計に腹が立つのだ」


 バランは、甘酸っぱいママリアの果実酒を口にした。

 ジャガルに戻ってまで果実酒を選んでしまうのは、未練であろうか。この地では、ニャッタの発泡酒や蒸留酒のほうが、よっぽど安値で買うことができるのだ。


「ジェノスを離れて、まだ半月しか経ってないんだよなあ。何だかもう、何ヶ月も経っちまったような気分だよ」


 と、メイトンがしみじみとした口調でそう言った。


「今回は、アスタの家を建てなおしたり、森辺の家に招かれたり、あげくには送別の祝宴まで開いてもらったりしちまったもんな。そいつがえらく楽しかったもんだから……俺は何だか、ぽっかりと胸に穴でも空いちまったような気分だよ」


「ああ、あの祝宴は愉快だったなあ。何を食っても、美味かったしさ」


 アルダスも、同じ目つきで蒸留酒をあおる。

 バランとて、心の内は一緒であった。


 轟々と焚かれたかがり火に照らされて、子供のようにはしゃぐ森辺の民の姿が、いまでも脳裏に焼きついている。まるで野生の獣のごとき生命力を有する彼らは、祝宴においても猛々しく、力強かった。それはあまりにもバランたちとかけ離れた存在であり――それゆえに、激しく魅了されてしまうのかもしれなかった。


「そうだ! ひとつ思いついたんだけど――」


 と、メイトンが声をあげかけて、けげんそうに目を丸くした。

 その視線は、バランの背後に向けられている。バランは眉を寄せながら、後方を振り返った。


「よお、やっぱり兄貴だったか。ずいぶんご無沙汰だな」


「お前……デルスか」


 それは、バランの弟であるデルスであった。

 人相はずいぶん変わっていたが、この顔は見間違えようがない。南の民としても珍しいぐらい、デルスはぎょろんとした大きな目と、団子のように巨大な鼻をたずさえていたのだ。


「かれこれ、15年ぶりぐらいか? 元気そうで何よりだな、兄貴」


「お前……このような場所で、何をやっておるのだ?」


「そんな言い方はねえだろう。ネルウィアは、俺の故郷なんだぜ?」


 そんなことは、バランが一番よくわかっている。しかしこのデルスは、親に勘当されて故郷から放逐された身であったのだ。


「親父やお袋の葬儀にも顔を出さなかったくせに、何が故郷だ。よくもおめおめと、俺の前に顔を出せたものだな」


「何だ、親父もお袋も魂を返しちまったのか。でも、ネルウィアを追い出された身じゃあ、そんなことを知る手段もねえだろ? 知らなきゃ、駆けつけようもないじゃねえか」


 デルスはまったく悪びれた様子もなく、同じ卓の席に腰を下ろしてきた。

 アルダスとメイトンは、実に複雑そうな面持ちで、この招かれざる客を見やっている。


「おやっさんの弟か。噂には聞いちゃいたけど、顔を拝むのは初めてのはずだよな」


「ああ。こっちもあんたらに見覚えはねえな。察するところ、兄貴の仕事仲間かい?」


「ああ。あんたが怒らせた親父さんは、俺たちにとっての師匠だよ。あんた、働きもせずに家の金を持ち出して、賭場に入りびたってたんだってな」


 アルダスが神妙な口調でそう言うと、デルスは「ふふん」と鼻を鳴らした。


「悪い噂ってのは消えねえもんだな。まあ、いまじゃあ心を入れ替えて、毎日商売に励んでるよ。コルネリアのデルスっていえば、ちっとした顔なんだぜ」


「……お前は、コルネリアで暮らしていたのか」


 それは、タウ豆の名産地として知られるジャガルの町であった。ネルウィアからは、トトスで3日ほどの距離である。


「親父とお袋にも、心を入れ替えた姿を見せたかったんだけどな。それじゃあ、こいつは兄貴に渡しておくよ」


 そう言って、デルスは懐から大きな包みを取り出した。

 バランは顔をしかめながら、「何だそれは?」と問い質す。


「察しはつくだろ。俺が無駄にした家の稼ぎだよ。少なく見積もっても、無駄にした分の倍ぐらいは準備したつもりだ」


「…………」


「あの建築屋は、兄貴が継いだんだろ? だったら、兄貴には受け取る資格があるはずだぜ」


「ふん。資格うんぬんを言うのなら、お前にこのようなものを差し出す資格があるのか?」


 バランは仏頂面で、そのずっしりとした包みを押し返した。


「まずは、親父とお袋の魂の安息を願え。それを済ますまで、お前とは口をきく気にもなれん」


「相変わらず堅物だねえ。まったく、親父にそっくりだよ」


 デルスは店主を呼んで蒸留酒を運ばせると、それを手の甲に2滴ほど垂らして、自分の額にこすりつけた。


「ジャガルの民デルスは、父と母の魂の安息を願う。……これで話を聞いてもらえるかい?」


「ふん。それでも、このようなものを受け取る気にはなれんがな」


「受け取ってくれよ。家に持ち帰りたくねえなら、この酒場に居合わせた連中の酒代にでもしちまえばいい。みんな、大喜びするだろうぜ」


 そう言って、デルスは蒸留酒を口に流し込んだ。


「ふう……さて、それじゃあ本題に入らせていただくか」


「本題だと? お前は家にこいつを返しに来たのではないのか?」


「そいつは、もののついでだよ。俺は、兄貴に話があって来たんだ」


 大きな団子鼻をこすりながら、デルスが身を乗り出してくる。それは、デルスが何かに熱中しているときに見せる癖であった。


「兄貴は毎年、ジェノスにまで出向いてるんだろう? だったら、向こうで評判になってる『アスタ』って料理人のことも知ってるんじゃねえのか?」


「……何だと?」


 バランは用心深く口をつぐんだ。

 が、メイトンのほうが驚きの声をあげてしまう。


「おいおい、どうしてあんたがアスタの名前なんて知ってるんだよ? いったい、何をたくらんでやがるんだ?」


「お、その口ぶりだと、面識があるのかい? それなら、ますます好都合だ」


 デルスは豊かな髭の隙間に見え隠れしている口もとに、満足そうな笑みを浮かべた。


「そのアスタってのは、コルネリアでもちょっとした評判でね。噂によると、ちょっかいをかけてきたジェノスの貴族を返り討ちにしたあげく、森辺の民を使ってギバ肉の商売を大成功させたとか……そいつは、本当の話なのかい?」


「何だか気に食わない言い草だな。それじゃあまるで、アスタが森辺の民を利用したみたいじゃないか」


 メイトンの声に怒気がまじると、デルスは「いやいや」と手を振った。


「俺はコルネリアに流れてる噂をそのまま口にしてるだけだよ。そいつが間違ってるっていうんなら、正しい話を教えてくれ。そうしたら、今度は正しい話が広まるだろうさ」


「アスタ自身も、森辺の民なんだよ。だから、森辺の同胞と力をあわせて貴族をぶちのめして、一緒にギバ肉の商売を成功させたんだ。馬鹿な噂を流した連中に、よく言っておいてくれ」


「ちょっと待て。それでも言葉が足りないだろう。森辺の民が貴族をぶちのめしたなんて、そんな噂が広まるのはよくないはずだ」


 と、アルダスが落ち着いた声で割り込んだ。


「西の王都の連中は、それで森辺の民に難癖をつけてきたって話なんだからな。そもそも、ジャガルの民である俺たちが騒ぐような話でもないはずだ」


「でも、人の口に戸は立てられねえからな。実際、コルネリアではそういう噂が広まっちまってるんだしよ」


 デルスの言葉に、アルダスも眉を寄せることになった。


「どうしてコルネリアに、そんな噂が広まることになったんだ? コルネリアの連中も、何かジェノスと繋がりがあるってのか?」


「そりゃそうさ。コルネリアっていえば、タウ豆だろ? タウ豆とタウ油を売るために、行商人がひっきりなしに行き来してるのさ。そういう連中が、森辺の民とアスタの噂を広めてるんだろうよ」


「なるほど……で、どうして俺たちがジェノスで商売してることを知ってるんだ? あんたが家に居残ってた頃は、まだジェノスでの商売は始めてなかったはずだよな」


「だからそれも、行商人の連中に聞いたんだよ。あんたらはジェノスで《南の大樹亭》って宿屋を使ってるんだろ? 同じ宿屋を使ってる行商人も、山ほどいるってことさ」


 確かに宿屋では、行きずりの相手と酒を酌み交わすことも珍しくはない。なおかつ、バランたちは20名という大人数で宿屋にのさばっていたのだから、その場でもずいぶん目立っていたはずであった。


「……それでお前は、何のためにアスタの話を聞きほじろうとしているのだ?」


 内心の不信感を抑え込みながら、バランは低い声で問うてみせた。


「もしもお前が、アスタによからぬ思いを抱いているというのなら……俺たち3人が相手になるぞ」


「よからぬ思いなんて、心外な言い草だな。俺はそのアスタってやつが評判通りの男なら、たいそうな儲け話を持ちかけてやりたいんだよ」


「……儲け話だと?」


「ああ。俺の自慢の食材を、その高名なる料理人様に使っていただきたくってね」


 メイトンが、「はん」とせせら笑った。


「タウ油もタウ豆も、いまのジェノスでは使い放題だよ。アスタがいまさらそんなもんに興味を持つもんか」


「俺だって、そんなもんが儲け話に繋がるとは思ってねえよ。俺が売りつけたいのは、もっと上等な代物さ」


 そこでデルスは、にんまりと微笑んだ。


「ま、そいつは俺のとっておきなんで、この場で明かすことはできないがね。まずは、そのアスタってやつが信用に足る人間かどうか、そいつを知っておきたいんだ」


「お前が人の信用を語るのか。ずいぶん偉くなったもんだな、デルス」


「ああ。心を入れ替えたって言ったろう? いまの俺はケチな博打うちじゃなくって、銀貨で取り引きする商売人なんだよ」


 デルスはさきほどよりもせわしない動きで、大きな鼻をこすり始めた。


「俺はもともと、西の王都に商売を持ちかけようかと準備を整えてたんだ。でも、ジェノスだったら半分ていどの日取りで出向けるんだから、そっちで商売ができたら倍も稼げるはずだろう? それに……王都よりは、貴族の横槍も少ないだろうからな」


「貴族の横槍?」


「上等な食材を持ち込んだら、最後には貴族がしゃしゃり出てくるだろう? あいつらがからむと、たいていはこっちが泣きを見ることになるからな。俺はもう、貴族を相手に商売をする気はねえんだ」


「へえ。まるで、これまでに貴族を相手にしてきたかのような口ぶりだな」


 アルダスの言葉に、デルスは「まあね」と肩をすくめた。


「あの頃は食材じゃなくって別の商品だったし、相手も西じゃなくて南の貴族だったけどさ。けっきょく最後には、貴族どものいいようにやられちまったよ。……だから今回は、貴族の横槍にも屈しない商売相手を探してたんだ」


「それで目をつけたのが、アスタってわけか。……こいつはどうしたもんかね、おやっさん?」


 バランは果実酒で口を湿してから、デルスのほうに身を乗り出した。


「もういっぺん、聞かせてもらおう。お前はアスタによからぬ商売を持ちかけようとしているわけではないのだな、デルス?」


「ああ。そいつが噂通りの料理人なら、俺が持ち込む食材を使って、さらなる評判を呼び込めるはずだぜ?」


 鼻を撫でさするデルスの瞳には、かつてないほどの真剣な光があった。

 この愚弟が少しでも真剣な気持ちを持てれば、ひとかどの人間になれるであろうに――と、常々考えていたバランなのである。どうやら彼は、15年がかりで信用に足る人間になりおおせたようだった。


「……ならば、最初にひとつ言っておこう。アスタたち森辺の民は、決してジェノスの貴族と敵対しているわけではない。それどころか、市井の平民としては珍しいぐらい、貴族と懇意にしているはずだ」


「ああ。何でも、城下町で料理を作らされることもあるぐらいなんだって? そいつも、本当の話なのか?」


「本当だ。それに、貴族からの願いを聞き入れて、城下町の食材を宿場町に広めるという役割も担っていた。かつては貴族と諍いを起こしてしまったために、今度は貴族と正しい絆を深めるべく、森辺の民は尽力しているのだ」


「なるほどな。アスタが間に立ってくれるってんなら、俺だって貴族と商売してやってもいいよ。貴族と真っ当な商売ができるなら、それが一番ありがてえんだからな」


 すると、アルダスも身を乗り出してきた。


「俺からも、ひとつ言わせてもらおうか。確かにアスタは貴族と森辺の民の間を繋いでいるように見えるが、あくまで家人のひとりに過ぎない。すべてを決めるのは森辺の族長なんだから、そっちに嫌われたらアスタと商売をすることもできないはずだ」


「ふうん。俺にはべつだん、嫌われる筋合いもねえけど……でも、森辺の民ってのは、ジャガルを捨てた裏切りの一族だってんだろ? ジャガルの民を逆恨みしたりはしてねえのか?」


「逆恨みなんてするもんか。森辺のお人らは、町の人間なんざよりも、よっぽど純真なお人たちなんだよ」


 その件に関しては他人事でないメイトンが、力のこもった口調でそう言った。


「それでいて、おっそろしいギバを狩ってる狩人の一族でもあるんだからな。もしもお前さんがよからぬ思いを抱いてるなら、貴族を敵に回すよりも怖い目にあうぞ?」


「ふふん。儲け話を持ち込まれて、怒るやつはいねえだろ。俺の売りつける食材の素晴しさを思い知れば、涙を流して感謝するだろうさ」


「……お前が森辺の狩人と相対してどのような面をさらすのか、見ものだな」


 バランはもう一度果実酒をあおってから、身体ごとデルスに向きなおった。


「それじゃあ、アスタたち森辺の民がジェノスでどんな風に商売をしているか、一から十まで聞かせてやろう。途中で飽きても、帰したりはせんからな」


「おいおい、いいのかい、おやっさん? 言っちゃあ悪いが、俺はまだこのお人を信用しきれないぜ?」


「だったら、なおのこと語って聞かせるしかあるまい。いずれこいつはアスタのもとまでおもむいて、俺の名前を出すのだろうからな。そんな真似をされる前に、すべてを正しく伝えておくべきだろう」


 バランの言葉に、デルスは「ありがたいねえ」と微笑んだ。


「それでもって、兄貴たちはずいぶんその連中に肩入れしてるみたいだな。兄貴みたいな頑固者を手懐けられるなんて、まったく心強い限りだぜ」


「黙って聞け。その上で、自分がアスタたちの商売相手に相応しいかどうか、もう一度よく考え抜いてみろ」


 そうしてバランは、語ることになった。

 アスタや森辺の民と過ごした、長き日々の思い出である。それはまるで、楽しかった記憶を反芻しているかのような感覚であった。


 バランが息をついたときには、アルダスやメイトンが横から補足をしてくれる。それですべてを語り終えるのに、たっぷり一刻はかかったようだった。


「なるほどねえ。噂で聞くより、よっぽど面白い話じゃねえか。コルネリアで噂を広めた連中は、よっぽど話が下手くそなんだな」


「というより、俺たちほどアスタたちと懇意にしてる人間はそうそういないってこった。何せ俺たちは、初めて森辺に招かれたジャガルの民なんだからな」


 だいぶん酔いの回ってきたメイトンが、目もとを潤ませながら、そのように述べたてた。デルスは鼻をこすりながら、「ふふん」と笑う。


「正確には、客人として招かれたのが初めてって話だろ? あんたたちの話によると、森辺に移り住んでからすぐにジャガルの民を集落に招いて、家の建て方を習ったみたいじゃねえか」


「うるせえな。こまかいことはいいんだよ! とにかく俺たちは、森辺の民と友誼を結んだんだからな!」


「ああ、重々わかったよ。まさか兄貴たちが、そこまで森辺の民と深い仲になってるとは思ってもみなかったからな。こいつはわざわざ、ネルウィアまで出向いてきた甲斐があったってもんだ」


 デルスは懐をまさぐって、そこから取り出した3枚の白銅貨をぱちりと卓に置いた。


「何だ、これは? 詫びの銅貨は、すでに受け取っているぞ」


「楽しい語らいの時間を潰しちまった詫びと、あとは感謝の気持ちだよ。そいつを今日の酒代にしてくれ」


 大きな鼻から手を離し、デルスはにやりと不敵な笑みをこぼした。


「こいつはでかい商売になりそうだ。次にジェノスに出向くときは、これまで以上に立派なギバ料理を食べられるだろうから、兄貴たちも楽しみにしておけよ」


「ふん。どんな粗末な食材でも、森辺の民なら立派な料理に仕上げてくれるだろうさ」


「粗末かどうかは、自分の舌で確かめてくれ。それじゃあな。もういい年なんだから、無理して屋根から落っこちるんじゃねえぞ」


 そんな言葉を残して、デルスは立ち去っていった。

 その背中を見送ってから、アルダスは分厚い肩をすくめる。


「15年ぶりの再会だってのに、ずいぶんあっさりしたもんだな。おやっさんは、引き止めなくてよかったのかい?」


「ふん。俺のほうには、用事などないからな。家に泊まらせろなどと言われなかっただけ、幸いだ」


 バランはもう何杯目かもわからぬ果実酒を口の中に放り込んだ。

 アルダスは、ちょっと楽しげに目を細めている。


「まあ、家を追い出された弟が立派な人間に育ったんなら、おやっさんも嬉しいだろうな。あとは、お手並み拝見ってところか」


「あいつがイカサマ野郎だったとしても、森辺の民なら大丈夫さ。いざとなったら、ドンダ=ルウやアイ=ファがぶっ飛ばしてくれるだろうよ」


 そのように述べてから、メイトンが身を乗り出してきた。


「でも、あいつがどんな商売をもちかけるのか、1年も放っておくのは焦れったいよな。その前に、いっぺんジェノスまで出向いてみないか?」


「ジェノスまで? 往復でひと月もかかるんだから、そんな気軽には通えないだろう」


 アルダスの言葉に、メイトンは「いやいや」と手を振った。


「あいつが現れる前から、俺はそれを話そうとしてたんだよ。とんだ邪魔が入っちまったけど、ジェノスまで出向く理由が増えたんだから、けっこうな話さ」


「けっこうな話ねえ。まあ、何でもいいから聞かせてもらおうか」


「ああ。ギバ料理を巡って、女房や子供たちと騒ぎになったって話をしたろ? そのときに、俺ばっかり美味いもんを食ってずるいずるいって言いたてられたんだよ。だから……いっそ、あいつらをジェノスに連れていっちまったらどうだろうって考えついたんだ」


 アルダスは、きょとんと目を丸くした。眉を寄せながら、バランも同じ心情である。


「そいつはずいぶん、豪気な話だな。家族まで連れていくとなると護衛役の数も増やさなきゃならんし、そうでなくったって、最低でもひと月は働けなくなっちまうんだぞ? そんな長旅を楽しめるほどの蓄えがあるってのか?」


「そりゃあまあ、旅を楽しむには銅貨が必要だろう。そいつは、行った先で稼ぐしかないだろうな」


「行った先で? ……ああ、次の緑の月に、家族もジェノスに連れていこうって話か?」


「違う違う。それじゃあ楽しむのは家族ばっかりで、俺たちは働き詰めじゃないか。それに、いくら何でもそんな長い期間を余所の町で過ごさせるわけにもいかないだろうよ」


「駄目だ。さっぱりわからん。いつ、どうやって、家族をジェノスに連れていこうってんだ?」


 アルダスが音をあげると、メイトンはいっそう熱心な様子で身を乗り出してきた。


「ジェノスに向かうのは、紫の月の半ばだよ。つまりは、復活祭をジェノスで楽しもうって寸法さ」


「復活祭を? 何を馬鹿な――」と言いかけて、アルダスは考え深げな顔になった。


「……そうか。復活祭の間は、俺たちも仕事なんてしてないもんな」


「ああ。どうせ働いてないなら、ネルウィアを離れたって問題はないだろう? それでもって、ジェノスで少しばかり働けば、旅費ぐらいは稼げるだろうさ。復活祭の間に働く建築屋なんてそうそういないだろうから、仕事に困ることもないだろうしさ」


 そのように述べながら、メイトンはバランのほうを見やってくる。


「なあ、どうだい? おやっさんも、末の娘にせっつかれてたんだろ? あと、わからず屋の小僧にギバ料理の美味さを思い知らせる、いい機会じゃないか。あの小僧がジェノスにまで出向けるようになるには、あと5年ばかりもかかるだろうしな」


「いや、しかし……復活祭というのは、故郷で家族とともに過ごすものであろうが?」


「そんなことねえよ。材木屋の親父なんて、復活祭の時期は毎年、南の王都にまで出向いてるって話だぜ? 家族全員を引き連れていけば、一緒に年を越せるじゃないか」


 バランはうなり声をあげて考え込むことになった。

 あの騒がしいジェノスの宿場町で復活祭を過ごすなどとは、まったく想像することもできない。伴侶や子供たちがそれで喜ぶのかどうかも、はなはだ心もとないところであった。


 しかしジェノスには、森辺の民がいる。たしか前回の復活祭では、大勢の森辺の民が宿場町にまで下りて、町の人間たちと絆を深めたのだという話であったのだ。

 自分の伴侶や子供たちが、森辺の民と笑顔で語らいながら、ギバ料理を食べている図を想像すると――何やら背中がむずむずとしてきてしまった。


「なあ、どうだい? 他の連中にも声をかけてさ。護衛役の代価なんかは、みんなで折半すりゃ何とかなるだろう。向こうに着いたら、半分の日は仕事をして、もう半分は祭を楽しめばいいさ。ちっとは足が出ちまうかもしれないけど、そいつはネルウィアに戻ってから頑張りゃいいよ」


「おいおい、メイトンはすっかりその気だな。酒の勢いで思いつきを口にしてるだけなんじゃないのか?」


 そんな風に述べてから、アルダスは愉快そうに口もとをほころばせた。


「ま、俺は気軽な独り身なんでね。復活祭なんて、おやっさんの家にお邪魔するか、この酒場で飲んだくれてるだけなんだから、何も断る理由はないな」


「それじゃあ、あとはおやっさんだ! おやっさんが了承してくれりゃあ、きっと他の連中も賛同してくれるさ!」


 メイトンとアルダスに左右から見つめられて、バランはいっそう思い悩むことになった。


「ううむ、しかし……どうにも気が進まんなあ」


「どうしてだい? おやっさんだって、アスタたちに会いたいだろう? あのデルスってやつのことも気にかかるしさ」


「だが……俺たちは『また来年に』と別れを告げてきたのだぞ? それが、年も越さぬうちにまた顔をあわせるというのは……どうにも、格好がつかんではないか」


 メイトンとアルダスはきょとんとしてから、笑い声を爆発させた。


「おやっさんは、そんなことで思い悩んでたのかよ? まったく、わからねえお人だなあ」


「ああ。思っていたよりも早く再会できるなら、アスタたちだって喜んでくれるはずさ」


 ふたりの笑い声を聞きながら、バランは不貞腐れることになった。

 しかし、先行きのことに思いを馳せると、また背中がむずがゆくなってくる。伴侶や子供たちがジェノスのギバ料理を口にしたら、いったいどのような顔をするのか。バランには、まったく想像がつかなかった。


 ただ、ひとつだけわかっていることもある。

 昨晩から、ずっと胸の中にわだかまっている、この釈然としない感覚――これは、家族たちがジェノスでギバ料理を食べさえすれば、綺麗さっぱり消えてなくなる予感があった。


(しかし、それだけの理由で、そんな大がかりな真似をしてしまって、いいものなのだろうか)


 現在は、白の月の半ばを過ぎたあたり――復活祭の到来までは、4ヶ月ばかりも残されている。それまでに、自分はどのような決断を下すのか、それもバランにはわからなかった。

 ただ脳裏には、アスタを始めとする森辺の面々の笑顔が浮かびあがっている。バランが決断しない限り、それらの幻影が頭から去ることはないように思われてならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ