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異世界料理道  作者: EDA
第三十八章 群像演舞~四ノ巻~
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第五話 吾輩はトトスである(上)

2018.10/15 更新分 1/1

・今回の更新は、全9話です。

 吾輩はトトスである。名前はまだない。

 生まれはダバッグなる町の牧場であり、吾輩はそこで自分という存在を見出すことになった。元来、トトスというものは卵から生まれ出て、しばらくは親や兄弟と過ごすものであるようだが、その頃の記憶はほとんど残されていない。ただ、キイキイとさえずる兄弟だか姉妹だかの鳴き声が、頭の片隅にぼんやりとわだかまっているぐらいのものである。


 やがて自分という存在を見出したとき、吾輩は柵に囲まれた牧場にて足もとの草を食んでいた。周囲を見回せば、同じような姿をした同胞が同じように草を食んでいる。太陽が沈めば狭苦しい小屋の中へと連れていかれて、太陽が昇ればまた牧場に出される。日々がその繰り返しであった。


 草を食む他に為すべきことといえば、ときおり現れる人間に革鞭で尻を叩かれて、柵の中をぐるぐると走らされるぐらいのことである。このような行為に如何なる意味が存在するのか、当時の自分にはまったくもって理解し難かった。ただ、食事の邪魔をする無粋者めと、憤懣やるかたない心地で地面を駆けていたばかりである。


 しかし、そういった不平さえ呑み込んでしまえば、あとは安楽な日々であった。

 食べるものは足もとにいくらでも生えているし、身体の調子がすぐれぬ際には、人間たちが懸命に面倒を見てくれる。普段、陰湿な嫌がらせをしているお返しとばかりに、そういうときの人間たちはかいがいしく世話をしてくれるのだ。この人間というのは善良であるのか悪逆であるのか、それは長らく自分にとっての大いなる謎であった。


 そんな安楽なる日々が、いったいどれぐらい続いたのだろうか。自分の身体がすくすくと大きくなって、やがて人間の背丈をも大きく上回るようになると、そこで変転の時が訪れた。育ったトトスは牧場を追い出されて、余所の土地へと売りさばかれる運命にあったのだ。


 しかしまあ、吾輩としてもその変転をまったく予期していないわけではなかった。

 前々から、大きな身体をしたやつは牧場の外に連れ出されると、そのまま2度とは戻ってこなかった。我々がこの安息の地に居座っていられるのは、あるていどの大きさに育つまでなのだなと、そのように察するのも難しくはない話であったのだ。


 よって、顔馴染みの人間が神妙な顔で手綱を装着してきたときには、ついに来たなと覚悟を固めることができた。

 予想に違わず、人間は吾輩を柵の外へと導いていく。そこに準備されていたのは、四角い木造りの箱に大きな輪っかをつけた、荷車なる不細工な代物であった。身体が大きくなってからは、この荷車を引かされる練習や、背中に人間を乗せて駆ける練習などもさせられていたので、吾輩にとってもすでにお馴染みの存在である。


「お前の行き先は、ジェノスに決まったよ。みんなのお役に立てるように頑張りな」


 人間は、そのようなことを述べながら、吾輩の首を撫でていた。

 しかるのちに、トトスと荷車を繋ぐための器具を装着していく。この倉庫裏の地面には食むべき草も存在しないので、吾輩としては欠伸をこらえながら作業の完了を待つしかなかった。


 隣では、同じぐらいの図体をした同胞が、同じものを装着させられている。こういう大きな荷車は、トトスが2頭がかりで引かされることになるのだ。名もなき同胞はすました面持ちで、人間のなされるがままになっていた。


「それじゃあ、出発だ。お前たちは、いつも通りに走ればいいからな」


 背後から人間の声が響くと同時に、ぴしゃりと尻を叩かれる。

 しょうことなしに足を踏み出すと、存外に荷車は軽かった。どうやら荷物らしい荷物は積んでいないらしい。だったらもっと小さな荷車を1頭に引かせればよいようにも思えるが、まあ何かしらの事情が存在するのだろう。そのようなものは、吾輩の関知するところではなかった。


 同じ荷車に繋がれた同胞は、やはりすました顔で道を駆けている。

 牧場の地面とは異なる、硬い石造りの道である。これは、街道というものであるらしい。

 街道の左右にはまばらに樹木が立ち並んでおり、行く先には延々と道が続いている。これならば、駆けている場所が異なるというだけで、これまでの日々と大差はないように思われた。


 しかし、そのように思ったのも束の間で、やがて小さからぬ変異を知らされることになる。

 普段よりも長い時間を駆けさせられて、そろそろ小腹が空いてきたなという頃合いで、小休止を命じられたのであるが――どこを見回しても石の道で、食むべき草が見当たらないのである。


 街道の端に寄せられると、雑木林の根もとに口が届くようになる。が、そこに広がるのは土の地面で、申し訳ていどに不味そうな草がちょろちょろ顔を覗かせているばかりだ。どれほど腹が減っていようとも、このように貧相な草を食む気持ちにはなれなかった。


「ああ、そうか。お前たちは初めて牧場を出たんだもんな。ほら、お前たちの食事は、こっちだよ」


 荷車から降りた人間が、自分の頭上を指し示す。そこには雑木林を形成する樹木が屹立しており、青々とした葉が茂っていた。

 ふむ、と小首を傾げながら、その葉を口にしてみると――まあ、悪くはない。いちいち枝から食いちぎるのが面倒で、牧場の草よりも筋張っているのがいただけなかったが、お味のほうはまずまずであった。


「まだまだ道は半ばだからな。いまのうちに、たくさん食っておけよ」


 言われずとも、これだけ長々と走らされたのだから、空腹を満たさずにはいられなかった。名もなき同胞も、首をのばして熱心に葉を食んでいる。背中の羽毛に縞模様の入ったその同胞は、大いなる変転を迎えた生を嘆くでもなく、喜ぶでもなく、ただ静謐な気持ちで運命に身をゆだねているように思われた。


 そうして腹八分目ぐらいを迎えたところで、再び道に戻される。

 しばらく進むと、前方から同じような荷車がこちらに向かって駆けてきた。

 四角い荷車を、2頭のトトスが引かされている。トトスの後ろには手綱を握った人間の姿も見えて、まるで水面に映る幻影のごとしであった。


 と、その荷車がいよいよ間近に迫ってきたところで、手綱を引かれてしまう。

 足を止めると、こちらの人間が「やあ」と呑気な声をあげた。


「ひさしぶりだね。革細工は売れたかい?」


「まあまあだね。ジェノスは相変わらず、景気がいいみたいでさ」


「いまじゃあダバッグより賑やかなぐらいだもんな。そのわりには、ずいぶん食事が粗末だけどさ」


「そりゃあ、ダバッグには自慢のカロンがあるからな。ジェノスでカロンを食おうと思ったら、ずいぶん割高になっちまうしよ」


 そこで、向かいの人間の声の響きが変わった。


「ただ、いまのジェノスはちょっと面白いことになってるよ。あんた、ジェノスに行くのはいつぶりだい?」


「かれこれ、ひと月ぶりぐらいかな。最近はトトスの注文もなかったんでね」


「それなら、たいそう驚くことになるよ。あっちじゃいま、森辺の民がギバの料理を売りに出してるんだ」


「ええ? そいつは、何の冗談だい? ギバの料理なんて誰も食べやしないし、そもそも森辺の民が商売なんてしないだろう」


「それが、本当の話なんだな。黄色い肌をした若い衆が、えらく色っぽい森辺の女衆を引き連れて、屋台の商売を開いてるんだよ」


「黄色い肌ってことは、普通の西の民か。でも、森辺の民が町の人間と一緒に商売をやるなんて、なかなか信じられねえなあ」


「俺も最初はそう思ったし、いまでも意味がわからないんだけどさ。その若い衆も森辺の民みたいななりをして、首からギバの牙を垂らしてるんだよ。もしかしたら、森辺の民が色っぽい女衆を使って、あの若い衆をたらしこんだのかもしれねえな」


「うーん、それはそれで、おかしな話だな。そもそも町の人間を嫌ってたのは、森辺の民のほうだろ? それに、あいつらが銅貨を稼ごうなんて考えるもんかねえ?」


「どんなに荒くれた蛮族だって、銅貨がなければ生きていけねえからな。80年も経って、ようやく銅貨のありがたさが理解できたのかもしれねえぞ」


 そんな風に言ってから、あちらの人間はいっそうの熱意を込め始めた。


「まあこの際、森辺の民はどうでもいいんだよ。何が驚きかって、そのギバ肉の料理がめっぽう美味いんだ」


「そりゃまた、つまらない冗談だな。ギバの肉なんざ、硬くて臭くてまともな人間の食べるものじゃないって評判だったじゃねえか」


「それが、美味いんだよ。やたらと風味が強いから、カロンでもキミュスでもないことは確かだしさ。あんな美味い料理は、ダバッグでもそれなりの銅貨を払わないと味わえないだろうな」


「……ははーん。そうやって、俺を騙そうって魂胆だな? 俺に不味いギバ料理を食わせて、あとで笑ってやろうっていうつもりかい?」


「疑り深いねえ。だったら、賭けるかい? もしもギバ料理が不味かったら、果実酒をひと瓶おごってやるよ。ただし、ギバ料理が文句のない味だったら、俺が果実酒をいただくからな」


「本気かい? 酔いどれのマドゥラスの名にかけて?」


「おお、陽気なマドゥラスの名にかけて」


 何やら、誓約が成立した様子であった。

 それにしても、このように長話になるのなら、もう少し道の端に寄ってほしいものである。そうすれば、樹木の葉に口が届いて、胃袋の隙間を埋めることもかなうのだ。


「よーし、ダバッグに戻るのが楽しみになってきたぜ。明日の夜には、戻るからな」


「ああ、酒場で待ってるよ。……ああ、そうそう。何でも森辺の大罪人ってのが集落を逃げ出して、どこかに行方をくらましちまったっていう話だから、向こうではせいぜい用心しな」


「何だよそりゃ! ギバ料理なんかより、そっちのほうがよっぽど大ごとじゃないか!」


「無法者を捕らえるのは、衛兵の仕事だろ。俺たちはせいぜい巻き込まれないように用心しながら、商売に励むしかないさ。……それじゃあ、道中は気をつけてな」


 それでようやく、2台の荷車はすれ違うこととなった。

 再び我々を走らせながら、人間は溜息をついている。


「まったく、森辺の大罪人なんて、冗談じゃねえなあ。そんなもんに出くわしたら、生命がいくつあっても足らねえや」


 これがいわゆる独り言というやつかと思いきや、それに応じる声があった。


「案ずるな。そういう荒事を片付けるために、俺は雇われているのだからな」


 まったく迂闊なことであったが、荷車にはもうひとり、別の人間が同乗していたのだ。きっと、吾輩が荷車に繋がれている間に、死角から荷台に乗り込んでいたのだろう。

 のちにわかったことであるが、それは荷物を守るための剣士という人間であった。町と町を繋ぐ街道というものにはさまざまな脅威が潜んでいるために、腕に覚えのある人間を準備しなければならないという話であったのだ。我々はそんなことも知らされないまま、この危険な場所を呑気に駆けていたのだった。


「ああ、もしものときは、頼りにしてるからな。……ところで、ギバ料理については、どう思う? あんな冗談をつき通すために、果実酒ひと瓶も無駄にできるもんかね?」


「どうだかな。とりあえず、俺はギバの肉なんざ食う気にもなれねえよ」


 いまだ吾輩には姿も見えぬ剣士の男は、笑いを含んだ声でそのように答えていた。


「それよりも、ひとつ気になったんだが……この荷車を引かせているトトスは、ジェノスで売り払うんだよな? そうしたら、どうやってダバッグに戻るんだい?」


「ああ、明日にはお仲間たちが、2頭のトトスにまたがって迎えに来てくれるんだよ。今度はそっちに荷車を引かせて、ダバッグに戻るって寸法さ」


「ふうん? だったら最初から、そのお仲間も一緒にダバッグを出ればよかったじゃないか」


「今日は俺しか動ける人間がいなかったんだよ。でも、割高になってもいいから今日中に届けてほしいっていう注文でさ。ずいぶん羽振りのいい商人が、長旅のためにトトスをかき集めてるらしいよ」


 そんな言葉を聞くでもなしに聞きながら、我々はひたすら街道を駆けた。

 何度かの小休止をはさみ、ジェノスなる町に到着したのは、太陽が中天に差し掛かろうかという頃合いである。どうやら我々は、半日がかりでこの難儀な仕事を果たすことになったようであった。


「やれやれ。ようやく到着だ」


 人間が荷車から降りて、今度は我々の手綱を引きながら歩き始めた。どうやらそれが町の法であるらしく、他の人間たちもみんなトトスや荷車を降りて、手綱を引いている。

 町といっても、そこには塀も柵も存在しなかった。ただ、やたらと人間の数が多くなり、道の左右に小屋とも呼べないような設備が設えられている。その奇妙な空間に足を踏み入れるなり、人間は「おや」と声をあげた。


「どうやらあれが、噂のギバ料理の屋台みたいだな。ずいぶん派手にやってるじゃないか」


「ふん。確かに色っぽい女もまじっているようだな」


 わずかに興味を引かれたので、自分も人間たちの視線を追ってみた。

 荷車よりも小さな設備から、白い煙があがっている。その煙の向こう側に、黄色い肌をした若い男と、褐色の肌をした若い娘の姿が見えた。

 男のほうはともかく、このように浅黒い姿をした人間を目にしたのは初めてのことである。その隣では、もう2名の若い娘が、同じような仕事に励んでいる。若い娘たちは、全員が浅黒い肌をしていた。


「何だか、やたらと腹の減る匂いを撒き散らしてやがるな。まあ、ミャームーをたっぷり使ってれば、それも当然か」


「隣の屋台は、タラパの煮込み料理だな。ギバ料理なんざ食いたくもないが、この匂いはちっと卑怯だぞ」


「ふふん。とりあえず、果実酒のために覚悟を固めなくっちゃな。ちょいとギバ料理を調達してくるんで、手綱をお願いできるかい?」


「ああ、うん。……ちょっと待ってくれ。赤銅貨3枚より安く買えるようだったら、俺の分もひとつ頼むよ」


「おや、ギバ料理なんざ食う気にもなれないって言ってたのに、どういう風の吹き回しだい?」


「こんな空きっ腹でタラパとミャームーの香りを嗅がされたら、我慢がきかねえよ。どうせ他の屋台でも、カロンの足肉やキミュスの皮なし肉ぐらいしか買うことはできねえしな」


「違いない。それじゃあ、行ってくるよ」


 剣士の男に手綱を託し、牧場の男はその屋台なる設備に近づいていった。

 屋台というものは他にもたくさん設えられているが、もっとも大勢の人間を呼び込んでいるのは、くだんのギバ料理なるものを売っている屋台であるようだった。


 我らが主人はまず黄色い肌をした若衆からギバ料理を受け取ると、次には隣の屋台の娘から別なるギバ料理を受け取っていた。

 それを両手に掲げながら、男は急ぎ足でこちらに戻ってくる。


「いやあ、近くで見たら、魂が抜けるほどの別嬪だったよ。ありゃあ色香に惑わされてるやつも大勢いそうだな」


「ふうん。あの黒みがかった髪をした、細めの娘か?」


「いやいや、淡い色合いの髪をした、あっちの娘だよ。遠目にも、色香がぷんぷん匂ってきそうだろう?」


「俺は清楚な娘のほうが好みなんでね。あっちの娘は実にはかなげで、よさそうじゃないか」


「うん、あっちの娘も顔立ちは悪くなかったよ。赤い髪をした小娘も、もうちっと育ったら大化けしそうだな」


 そこで人間は、何かをはばかるように声をひそめた。


「それにな、ここからではちょうど人垣で見えないけど、屋台の裏には女狩人も突っ立ってたんだよ」


「女狩人? 女でも、狩人になれるのかい?」


「そんなことは知らねえけど、実際にいたんだよ。そいつがまあ、他の娘っ子より綺麗な顔立ちをしてるぐらいなのに、すっげえ迫力でさあ。あんな別嬪なのに、もったいねえ話だぜ」


 剣士の男は、感じ入った様子もなく肩をすくめていた。


「まあ、女の話はもういいだろ。それより、とっとと食わせてくれ」


「ああ。タラパが好みなら、あんたはこっちだな。俺はミャームーのほうをいただくぜ。お代はどっちも赤銅貨2枚だったよ」


 人間の食事というのは、ずいぶん奇妙な形状をしている。牧場でも何度か見かけたことはあったが、我々の食欲を刺激するような存在では、決してなかった。そもそも人間というのは獣の肉を喰らうという話であったので、そのように蛮なる食事が我々の口に合うはずがなかったのだった。


 ともあれ、男たちは街道の端に荷車を寄せて、その食事にかぶりつく。

 とたんに、剣士のほうが「うぐ」とおかしな声をあげた。


「何だよ、これ……これが本当に、ギバの肉なのか?」


「あ、ああ。少なくとも、カロンやキミュスではないだろう。ミャームーの味が強いけど、それだけは間違いっこねえや」


「ううん、こいつは……たまげたな」


「ああ、たまげた。まいったなあ。俺が果実酒を奢らなきゃならないのかよ」


 がっくりと肩を落としつつ、男の顔には喜色があふれている。悲しいのやら嬉しいのやら、自分でも判別のつかない感情にとらわれている様子だ。


「あれ? そっちの料理は、何だかおかしな肉を使ってるな?」


「ああ。たぶん、こまかく刻んだ肉なんだろうな。そっちは違うのかい?」


「こっちは、普通に切り分けられた肉だよ。カロンの胸肉みたいに、脂身もたっぷりだがね」


「何だ、そっちも美味そうじゃないか。ひと口かじらせてくれよ」


「嫌だよ。だったら、そっちのもかじらせてくれ」


「俺だって嫌だよ。……こうなったら、おたがいもうひとつずつ買うしかないのかな」


「いくら何でも、そいつは食いすぎだろう。明日の帰りがけに、また寄ってみようぜ」


 そのように言葉を交わしながら、男たちは瞬く間にギバ料理をたいらげてしまった。まったく、せわしないことである。


「いやあ、美味かった。賭けに負けたのは癪にさわるが、こんなに美味い料理を食べたのはひさびさだよ」


「ああ。そう思えば、果実酒ひと瓶も安いもんだろう。賭けをしてなきゃ、ギバ料理なんざ買おうとしなかっただろうからな」


「だったら、あんたも果実酒の代価を半分受け持ってくれねえか?」


「おっと、そいつは契約外だね」


 男たちは顔を見合わせて、気安く笑いあっていた。

 トトスでも人間でも、腹が満ちれば幸福な心地になるのだろう。願わくは、我々の幸福に関しても一考してもらいたいところであった。


「さ、それじゃあ出発だ。羽振りのいい客人が、トトス屋で首を長くしてるだろうからな」


 そうして人間たちは、歩を再開させた。

 街道を進めば進むほど、人間の数は多くなっていく。これほどたくさんの人間を見たのは、生まれて初めてのことだった。

 また、それに負けないぐらいたくさんのトトスが、人間に手綱を引かれている。たいていのトトスは、我々と同じように大きな荷物を引かされていた。


 なるほど、トトスというのは荷物を引かされるのが仕事であるのかと、そのときになってようやく思い至ることができた。

 何のために生まれて、何のために育てられて、何のために毎日走らされていたのか、その理由をついに解明することがかなったわけである。


 ただ、そのような運命を知らされたからといって、自分の心に喜びや嘆きの感情が生まれることはなかった。荷物を引かされるのは苦労というほどの苦労ではないし、かといって楽しいわけでもない。ただもう少し草や葉を食む時間をもうけるべきではないかという、ささやかな不平が生じるていどだ。走る場所が牧場の内だろうと外だろうと、自分たちにとって大きな違いは存在しなかった。


 そんな思いを馳せている内に、目的の地へと到着した。

 真っ直ぐに続いている石の街道から脇道にそれて、少し奥まで進んだ場所である。そこには立派な木造りの建物が建てられており、大勢の人間が出入りしていた。


「お待ちどうさま。ダバッグからトトスを2頭、お届けに参りましたよ」


 こちらの人間がそのように声をあげると、大きく開かれた扉の向こう側から、ひょろりとした背の高い人影が現れた。

 トトスの羽毛よりも淡い色合いをした髪が、日の光をあびてきらきらと輝いている。やはりこれだけ人間が多いと、見たことのない姿をした者も多く見受けられるらしい。この際は、我々の手綱を握っていた人間も驚きの声をあげていた。


「な、何だい、あんたは? まさか、北の民じゃないだろうな?」


「ええ。俺はまぎれもなく西の民でありますよ。なんなら、宣誓でもしてみましょうか?」


 奇妙な髪の色をした男は、にんまりと笑っていた。よく見ると、その瞳も見たことのない色合いをしている。日の落ちる前、わずかな時間だけ見ることのできる、幽玄なる空の色合いを思わせる瞳であった。


「おや、あんた……ひょっとしたら、《北の旋風》かい?」


 と、剣士の男がそのように言いたてると、奇妙な風体をした男は「ええ」とうなずいた。


「そんなような二つ名で呼ばれることもありますね。どこかでお会いしましたっけ?」


「いや、顔をあわせるのは初めてだ。だけど、あんたの存在は剣士の間じゃあ語り草だからな」


「そいつは恐悦至極です。それならまあ、宣誓の儀式は不要でありますかね」


 そう言って、《北の旋風》なる男は愉快げに微笑んだ。


「トトスを注文したのは、俺の雇い主なのですよ。急な話で、申し訳なかったですね」


「あ、ああ、そうなのかい。こいつはいったんトトス屋に引き渡しちまってかまわないんだよな?」


「ええ。銅貨はすでに支払っていますので、トトス屋のご主人からお受け取りください」


 そうして我々は、トトス屋の主人とやらもまじえて建物の裏手に連れていかれることになった。

 そちらには、さらに巨大な建物が待ちかまえており、我々は荷車を引かされたまま、その内へと導かれる。そこに足を踏み入れると、ちょっと懐かしくも感じられる同胞の匂いが満ちていた。


 牧場を離れてまだ半日であるというのに、懐かしいという言い草はあまりに大仰だったかもしれないが、事実、そのように感じてしまったのだ。その建物には、実に数多くの同胞が詰め込まれていたのだった。


「それじゃあ、こっちの柵にお願いしますよ。こっちのトトスは、みんな俺の雇い主の持ち物なんでね」


 ようやく荷車から解放されて、我々はその柵の中に詰め込まれた。

 故郷の寝床よりも、いっそう狭苦しい空間である。その場所に、合計で6頭もの同胞が身を寄せ合っていた。自分たちも加えれば、8頭である。


「いやあ、助かりました。準備していたトトスが盗賊か何かに盗まれてしまいましてね。これで明日の朝には、予定通りに出立できます。これは雇い主から預かっていた手間賃なので、今日の酒代の足しにでもしてください」


「それはそれは、ありがたいことで。どうぞ雇い主の御方にも、よろしく伝えておくんなせえ」


 そのように述べてから、これまで我々の主人であった男はこちらに向きなおってきた。


「明日には荷車を受け取りに来るけど、お前さんたちはその前にジェノスを出立しちまうらしい。……ご主人の言うことをよく聞いて、元気に働くんだぞ」


 それが、長きに渡って我々を育ててきた人間との、今生の別れであるようだった。

 新たな主人――だか、その代理人だかである《北の旋風》とやらも、あまり内心の読めない笑みを残して、扉の外に消えていく。


 そうしてその場には、同胞だけが残された。

 窓から差し込むわずかな陽光に照らされて、6頭の同胞は思い思いの格好でくつろいでいる。その中で、黒みがかった羽毛をした同胞が、じっとこちらを見つめていた。

 何やら、迫力の感じられる眼差しである。足もともがっしりしているし、力はかなりありそうだ。


 そして、その向かいで丸くなっている同胞も、静かにこちらの様子をうかがっていた。

 黄色みの強い羽毛をしており、その眼差しはひどく思慮深げである。草を食み、地面を駆けるだけの生であるならば、とりたてて思慮深くある必要もないように思われるが、きっとこの同胞はそのように考えていないのだろう。自分には見えない何かを見通しているかのような貫禄があった。


 まあ楽にせよ、とその黄色みがかった羽毛の同胞にうながされて、自分も足を折る。縞模様の同胞は、特に感じ入った様子もなく、とっくに身体を休めていた。


 故郷の牧場には、とてもたくさんの同胞がいた。この建物にも、それなりの数の同胞がいる。しかしどうやら、今日から自分の家族だか仲間だかという立場に収まるのは、この場にいる7頭であるようだった。


 明日の朝には出立するという話であったので、また別の町へと向かわされるのだろうか。

 まあ、きちんと食事さえ与えてもらえるのなら、何も文句の言いようはなかった。人間とともにあり、草を食んで、大地を駆ける。それこそがトトスの生であるというのなら、それに従うしかあるまい。人間の手を離れて逃げだしたとしても、そこにはどのような苦難が待ち受けているかも、知れたものではなかった。


 とりあえず、食むべき草葉はのちほど人間によって運ばれてくるらしい。親切なる黄色の同胞にそれを知らされた吾輩は、首を倒して午睡を楽しむことにした。

 その翌日、我々の身にどれほどの苦難がふりかかってくるか、そのようなことを予見するすべはいっさい存在しなかったわけである。

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