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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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ルティムの祝宴(上)①朝~ギバ肉とタラパのシチュー~(上)

2014.9/15 更新分 1/2

2014.9/16 誤字修正

2014.10/2 誤字修正

 夜が、明けた。

 ついにこの日が、始まったのだ。


 ルティム本家の嫡男ガズラン=ルティムとアマ=ミンの、婚儀の宴。

 俺の、初仕事の日が、始まった。


「よお……何だ、もう起きてたのか?」


 ルウの集落の空き家で目を覚ますと、アイ=ファはもう広間の真ん中でどっかりとあぐらをかき、両手で金褐色の長い髪を結っているところだった。


「……お前こそ、もう目を覚ましてしまったのか? 仕事の開始にはまだ早かろう。寝ていろ」


「いや、いったん目を覚ましたらもう寝れないよ。しっかり疲れも取れてるみたいだしな」


 言いながら、うーんとのびをしてみせる。

 いい朝だ。

 気分も、きわめて良好である。


「宴は、夜半にまで及ぶのだ。貴様は昼から夜半まで休む時間もないのだから、もう少し寝ていろ」


 あれあれ。何だか優しいではないか。

 こんな大役を担ってしまった俺を気遣ってくれているのだろうか。

 目を覚ました矢先から、ずいぶん嬉しい気持ちにさせてくれるものだ。


「いや、大丈夫だよ。ここまでの5日間に比べれば何てことはないさ。あとは、自分で作った道筋を辿るだけだからな。……まあ、それをやりとげるのが大変なんだろうけど」


「ならば力を温存しておけ。寝ていろ」


 んん?

 何だろう。だんだん気遣われている気持ちでなくなってきた。


「そういえば、今日はお前も俺の手伝いに専念してくれるんだろ? お前だって、俺が起きなきゃやることもないはずじゃないか?」


「…………」


「こんな朝早くから、いったいどこに行くつもりだったんだ?」


「……仕事の前に、水場を借りて身を清めるつもりだった」


 そして、山猫のような目が俺をにらみすえる。


「だから、お前は寝ていろ」


「あのな……それを聞いたら、もう不慮の事故の起きようもないだろ? だいたい俺が、そんなアヤマチを何べんも犯すような男に見えるか?」


「…………」


「見えるのか! それは残念だな! ……わかったよ。今度またあの許し難い禁忌を犯すようなことがあったら、しきたり通りこの眼球を差し出してやろうじゃないか!」


「……お前の眼球など、いるか」


 それじゃあ婿入りですか?などという失言を発してしまうこともなく、俺はアイ=ファとともに家を出た。


 実はアイ=ファは、この朝を最後にルウの集落を出て、明日の朝までを自分の家で過ごすつもりであったのである。

「ファの人間である私に、ルティムの宴に参加する資格はないからな」とか何とか言って。


 で、「そんな馬鹿な話があるか!」と、俺はアイ=ファを俺の個人的な助手に任命し、この場に居残ってもらう算段を立てたのである。


 ジバ=ルウやリミ=ルウも参加する宴が繰り広げられているさなか、アイ=ファだけがひとりでぽつんと手製のギバ鍋をすすっているなんて――想像するだけでやりきれないではないか。


 ガズラン=ルティムにその段を伝えると、彼は「アスタの望むままに」と快諾してくれた。快諾というか、最初からその予定ではなかったのか?と、ちょっとけげんそうにしていたようにすら見受けられた。


 やはり、他家の人間に婚儀のかまどを任せてしまおうなどと目論む革新派のガズラン=ルティムよりも、アイ=ファのほうが少なからず頑固で融通がきかない性質であった、ということなのだろう。


 最初は渋っていたアイ=ファだが、俺が熱心に「ファの家のかまど番としての仕事は、今日もやりとげさせてくれ」と頼みこむと、最後には了承してくれた。


 そういったわけで、今こうして肩を並べてルウの家に向かう姿を体現することがかなったのである。



 すっかり宴の支度が整えられた大広場の様子を眺めながら、俺たちはのんびりと足を進めていく。


 もっとも奥まった場所にあるルウの本家の鼻先に、高さ2メートルはあろうかという立派なやぐらが建てられている。

 宴の間、新郎と新婦はこのやぐらの上に座して、眷族からの祝福をあび続けるわけである。

 

 さらに広場の中央には儀式の火を炊くための丸太や薪が積み重ねられ、それを取り囲むように10個のかまどが円状に配置されている。


 学校のグラウンドの半分ぐらいの広さを有する空間ではあるが。ここに100余名もの人間がおしかけたら、さぞかし賑やかなことになるのだろう。


 想像しただけで、ワクワクしてしまう。

 そして、気持ちがいっそう引き締まる。

 それだけの数の人間が、俺の料理を口にするのだ。


 誇らしく――そして、おっかない。


 一瞬だけ変な感じに心拍数が上がりかけたが、隣りを歩くアイ=ファの横顔を眺めると、すうっと気持ちが落ち着いた。


 アイ=ファの表情はいつも通りで変わりない。


「うーん……ちょっと気色の悪いことを言ってもいいか?」


「断固として断る」


「こうやって、アイ=ファと朝からずっと一緒にいられるっていうのは、やっぱり気分がすっげー落ち着くな」


「……だから水場までも着いていきたいということか?」


「違うだろ! いい加減にその発想から離れてくれ!」


「……どうせ明日からは、また元通りの生活だ」


「ああ。すっげー嬉しいな」


 俺をにらむアイ=ファの顔に、ほんの少しだけ血の気がのぼってくる。

 実はこちらもかなり気恥ずかしかったのだが、まあ勝った気分だ。


「しかし、明日にはあのカミュア=ヨシュという男が訪ねてくるのだろうが?」


「ああ。そういえばそうだったな。……しかし、たったひとりで森辺に乗り込んでくるなんて、いったいどういう神経してるんだろうな。一歩間違えたらダルム=ルウに斬り殺されてたとこなんだぜ、ほんとに」


「…………」


「ん?」


「ダルム=ルウでは、あの男は討てまい」


 何だか朝から物騒な方向に話がいきついてしまった。

 そんなこんなで、丸太を組まれて作られた巨大なやぐらを迂回しつつ、ルウの本家に到着する。


「あら、早いね、アイ=ファとアスタ」と、手斧を手にしたティト・ミン婆さんがちょうど家から出てくるところだった。


「娘たちは、みんな水場だよ。よかったらアイ=ファも行っておいで」


 冷たい目線が頬に突き刺さる。

 絶対の絶対に近づきません!と主張したいところだったが、ティト・ミン婆さんがいたのでそれも不可能だった。


「アスタはかまどの間だね? あたしも裏に行くところだったから案内するよ」


「ありがとうございます。朝から薪割りですか。……すみませんね、俺がばんばか燃やすもんだから」


「本当にねえ。こんなすごい勢いで薪が減っていくのは初めてのことだよ。割っても割っても追いつきゃしない」


「本当に恐縮です」


「冗談だよ。すべては美味しい料理のために、ね」


 にっこり、というか、ふんわり、というか、とにかくそんな笑い方だった。


 俺の親父は実家との折り合いが悪く、母親は早くから両親を亡くしていたので、俺には祖母や祖父というものの記憶がない。


 いつも明るくにこやかだが、非常に沈着で静かな威厳も持ち合わせているティト・ミン婆さんは、本当に素敵なお婆さんだと思う。


 ジバ婆さんの息子とこのティト・ミン婆さんの間にドンダ=ルウが生まれ、そのドンダ=ルウとミーア・レイ母さんの間に7人の子が生まれ、その長兄ジザ=ルウとサティ・レイ=ルウの間にコタ=ルウが生まれ――そうして脈々とルウの血は続いていくのだ。


(残り6人の婚儀があったら、今日みたいにお祝いのかまどを預かってみたいもんだ)


 まあ、あのドンダ=ルウが家長であり、あのジザ=ルウが後継ぎである限り、そんな夢想が叶うこともないのだろうが。そんな夢想を抱くぐらいには、俺はこの5日間でルウ家の人たちに愛着を覚えてしまっていた。


「では、水場をお借りする」と、最後に俺をひとにらみしてから、アイ=ファは緑の深い小路の向こうへと歩き去っていった。


 前振りでもフラグでも何でもなく、女衆が戻ってくるまで水場には絶対に近づきません。親父の三徳包丁にかけて。


「どうぞ。自由に使っておくれ」と、ティト・ミン婆さんがかまどの間、食糧庫、解体室の扉をちょっとずつ開いていく。

 ちょいと面倒な習慣だが、朝一番はこうして家の人間に扉を開けてもらわねばならないのだ。外鍵の存在しない森辺の集落ゆえの習わしなのだろう。


 さて――

 宴の開始は、夕暮れ時である。

 なので、それまでにすべての調理を終えなければならないのだが。この時間からやっておくべき作業といったら、ひとつしかない。


 この日のために完成させた新メニュー、『ギバ肉とタラパのシチュー』の作成である。


 ポイタンを液状のまま美味しくいただくためにはどうするか?

 俺の出した答えが、これである。

 最終的に俺のパートナーとなってくれたのは、ヤマイモみたいな「ギーゴ」ではなく、トマトみたいな「タラパ」であったのだ。


 何はともあれ、調理開始だ。


 こいつは無茶苦茶に時間がかかるので、早く始めるに越したことはない。完成させてしまえば、後は本番で温めなおすだけであるし。前倒しで始めるにも一番相応しい献立だ。


 まずは、食糧庫から大量のアリアを持ってきて、すべてみじん切りにする。


 もちろん香味野菜として使用するわけだが、この段階から、数量が尋常ではない。

 何せ相手は100名様でいらっしゃるから、その数50個である。


 木皿に1杯でもいいから、会場にいる全員に食べてほしい。そう思ったら、このメニューは鉄鍋にたっぷり4杯も作らなくてはいけないということが判明したのだ。


 そんなわけで。

 とにかく切る。ひたすら刻む。

 とにかく切る。ひたすら刻む。

 こいつが本物のタマネギだったら、すでに落涙の嵐であろう。

 しかしアリアはそんなに目にしみないので、ひたすら刻む。


 刻み終わったところで、気がついた。

 鉄鍋が、ない!!

 そうか。女衆が水浴びがてら、昨日の晩餐の片付けをしているのである。


 そうかそうかそうだった、とここで俺が水場に向かっていたら、さぞかし正気を疑われていたところだろう。


 しかし、濡れ髪のレイナ=ルウが大あわてで洗いたての鉄鍋を持ってきてくれたので、そんな悲劇は起きなかった。


「す、すみません! アスタがもう料理を始めていると聞いて、急いでひとつだけ洗ってきました!」


「ありがとう! 助かるよ、レイナ=ルウ」


 まだ行水の最中であったのか、いつもはおさげにしている長い黒髪をそのまま垂らしたレイナ=ルウが、ちょっと別人みたいに見えてびっくりしてしまった。


 それに、お母さんたちのように大きな一枚布で身体を隠しているのが新鮮だ。


「あ、す、すみません! こんなはしたない格好で……」


 と、顔を赤らめるレイナ=ルウであるが、露出加減はむしろ軽減されている。


「あの……洗い終わったら、残りの分もすぐに持ってきますので……」


「大丈夫。水場には絶対近づかないよ」


 レイナ=ルウは、ほーっと安堵の息をつき、「では失礼します」と駆けていく。


 そこまで心配だったんかい、と少々傷つきつつ、かまどに火を入れ、鉄鍋を温め、ギバの脂を落とし、アリアを投入。


 さすがに50個分は多いので、5回にわけて飴色になるまで炒めます。

 さらなる香りつけに、果実酒もどばっと。

 炒め終わったら木皿に移し、一時保留。


 さて、お次は、肉だ。

 モモと肩バラを、合計30キロ。

 これまた、たいそうな量である。

 こいつを全部、一口大のブロックに切っていく。


 そいつを切り終わったところで、新たなる鉄鍋がよちよちと歩いてきた。

 リミ=ルウである。


「お待たせー! あとのふたつはみんなが持ってくるから!」


「うん。ありがとう」


 こちらはきちんと行水を済ませてきたらしい。赤茶けた髪はしんなりしてしまっているが、胸あてと腰あてのご正装である。


「もう、しちゅーの準備をしてるの? リミも手伝うね!」


「あ。ほんと? そしたらタラパを持ってきてくれるかい? 昨日、新しいのを8個買ってきてもらったはずだから」


「うん! ……えへへ」


「ん? 何?」


「ううん。アスタがちゃんとした人でよかったなと思って」


 などと言い残して、てけてけと食糧庫に走っていくリミ=ルウである。


 うーん?

 こんな朝から前倒しで仕事をしていること?

 それとも……水場?

 前者であることを祈りたい。


 とりあえず、肉を焼く。

 と言っても、表面だけである。

 焼き色がつけば、それで十分。

 焼けたら、こいつも木皿に確保。


 ……言葉にすると簡単だけど、分量は30キロですからね!


 お次は、香味ではなく具のためのアリアを切っていく。

 こちらも数は、50個。

 普段はスライスだが、今日はくし切りだ。

 とにかく切る。ひたすら切る。


 その間に、リミ=ルウの働きによって隣りの台は8つのタラパで埋めつくされていた。

 カボチャサイズのトマトさんである。

 形状もごつごつしており、カボチャに酷似している。

 が、色や味わいは非常にトマトに酷似している。

 いったんは戦力外通告を受け渡したこの御仁に、最終的には味のベースを担わせることになったのだった。


「アリア、すごいね! リミも切ろっか?」


「あ、その前にティノとチャッチを持ってきてくれるかい? 袋に入ってるやつを全部」


「わかったー!」


 朝から元気で素直で愛くるしさいっぱいのリミ=ルウである。

 こんな子が娘や妹だったら、そりゃあ目にいれても痛くはないのだろうなあ。


 そんなことを考えていたら、残りの姉妹たち&アイ=ファが鉄鍋や食器を抱えて戻ってきた。

 よしよし。目玉をえぐられずに済んだ。


「ほら、持ってきたよ! ……ったく、あんたが料理を始めてるって聞いたときはドキドキしちゃったよ」と、ララ=ルウが俺の耳もとで囁いた。


 それでレイナ=ルウを派遣したのですね。なるほどです。


「……今日は来てくれなかったのねぇ……?」と、ヴィナ=ルウ姉さんも俺の耳もとで囁いた。


 本当に行ったら真っ赤になるくせに何を言ってるのですか、あなたは。


「あたしらはミーア・レイ母さんたちの仕事を交代しなくちゃいけないからさ。それが終わったら、手伝いにきてあげるよ」


「ありがとう、ララ=ルウ」


「……これからミーア・レイ母さんたちの行水だから。あんた、わかってるんだろうね?」


 わかっておりますよ、心の底から。

 というか、本当に俺のことを何だと思っているのだろう?


 そこに、「うひー、重いよぉ」と、リミ=ルウが帰ってきた。


 ちょっと大きめのレタスぐらいの質量であるティノが6球ほど詰まった麻袋であるのだが。鉄鍋すら運べるリミ=ルウにとってそんな負担になる重量であるはずがない。袋がパンパンでやたらかさばるので、リミ=ルウのちっちゃな身体では持ちづらいだけなのだろう。

 愛くるしいこと、この上ない。


「アスタ、お待たせー! あとはチャッチだよね?」


「私が持ってこよう。リミ=ルウは切るのを手伝ったらどうだ?」


「うん!」


 アイ=ファはすみやかに食糧庫に向かい、リミ=ルウは壁に掛かっていた野菜用の調理刀を取りあげる。

 このように、本当に勤勉な森辺の民なのである。

 一度手順を把握すると、びっくりするぐらいスムーズに作業が進んでいく。


「それじゃあ、リミ=ルウはティノを切ってくれるかい? 大きさはわかるよね?」


「うん!」


 年長組3名は食器をかたすと外に消え、それと入れかわりにアイ=ファがチャッチの袋を担いで帰ってきた。


「チャッチとはこれだな? 私は何をすればいい?」


「あ、それじゃあそいつの皮を剥いておいてくれ。手で簡単に剥けるから」


 チャッチとは、黄色い皮をしたミカンのような果実である。

 しかし、皮を剥くと中からはぬるんとした白い球体が飛び出してくる。


 なので、アイ=ファが何気なく力をこめると、やっぱり白い中身がぬるんと飛び出してきた。


「わ」と驚きの声をあげた後、アイ=ファが俺の足を蹴ってくる。


「何で俺を蹴るんだよ!」


「……やかましい」


「あはは」とリミ=ルウが笑う。


 気づけば、俺とアイ=ファとリミ=ルウのトリオである。

 とても心がなごむので、理不尽に足を蹴られたことは忘れてあげよう。


「剥き終わったら、ぬめりが取れるまで水で洗ってくれ」


 チャッチは、食糧庫から発見した新メンバーだ。

 外見はどう見ても柑橘類だが、中身はジャガイモに酷似している。

 ジャガイモそっくりのポイタンをさしおいて、本当に食感がそっくりなのである。


 アイ=ファが洗ってくれたそのチャッチを、まずは真っ二つにして、1辺3センチの目安で一口サイズに切っていく。


 これでようやく、下準備が完了だ。


 香味用の炒めたみじん切りアリア、50個分。

 くし切りにしたアリアが、同じく50個分。

 一口サイズに切ったチャッチが、30個分。

 同じく一口サイズのティノが、6個分。

 表面を焼いたギバ肉のモモと肩バラが、合計30キロ。

 そして、巨大トマトことタラパが、8個。


 憎きポイタンに手をつけるまでに、まずはこやつらを調理しなくてはならないのである。


 今回は、俺の知る既存のメニューをそのまま当てはめることができなかった。


 飲み口がざらついて飲みにくいポイタンであるならば、「スープ」ではなく「シチュー」にしてしまおう、という発想は早い段階で得ることができたのだが。俺の知るビーフシチューやクリームシチューを再現するには、バターや牛乳やコンソメやオリーブオイルといったものどもが不可欠だったのである。


 で、考えた。

 塩はある。

 胡椒代わりのピコもある。

 ワインによく似た果実酒もある。

 タマネギによく似たアリアもある。

 そして――巨大トマト、タラパがある。


 そのカボチャみたいな形状をした真っ赤な果実を試食して、それが確かに酸味の強いトマトのような味がすることを確認できたとき、俺の肚は決まった。


「トマト風味のイタリアンなシチューにしてやろう」と。


 まあ、オリーブオイルもないのにイタリアンを名乗るのはおこがましいかもしれないが。とにかく、そういうことだ。


『つるみ屋』でも人気メニューであった「ビーフシチュー」と「トマトソースのハンバーグ」の調理知識の複合技である。



「よし。ふたりとも、残りのかまどにも火をいれておいてくれ。やりすぎないていどの強火でな」


 言いながら、俺はすでに温まっている鉄鍋に、具用の食材を4分の1の見当でぶちこんでいく。


 タマネギ代わりのアリア。

 キャベツ代わりのティノ。

 ジャガイモ代わりのチャッチ。


 アリアがしんなりしてきたら、ギバ肉も投入。


 そして、果実酒を1本まるごと投入である。

 甘い香りが、かまどの間を満たす。

 ぐつぐつと一回沸騰させたら、あくを取り、柄杓でたっぷりと水を注ぐ。

 目安は、鉄鍋の8分目ぐらいである。

 水を入れたら、かまどの火を弱火に調節する。

 こいつが半分の量にまで煮詰まるまで、2時間ばかりも煮込まなくてはならないのだ。


 同じ手順で3つの鍋を制覇していき、最後のひとつで、手が止まった。


「あ、リミ=ルウ、この果実酒は別の料理で使うんだ。他の果実酒と交換してきてくれるか?」


「うん? あれ? そういえば瓶の形がちょっと違うね」


 それは昔日にカミュア=ヨシュから頂いた果実酒だった。

 何か使い道はないかと思って3日ほど前にアイ=ファに家から持ってきてもらったのだが。こいつの出番は、まだまだ後だ。まだまだまだ後だ。


 そうしてリミ=ルウが新たに持ってきてくれた果実酒を投入し、最後の鍋も仕上げると、ようやく一段落だった。


 俺たちは、戸口のそばまで行って少し涼むことにした。

 灰汁を取り、薪も定期的に補充しなくてはならないので、あまり離れることはできない。


「すごいねー。これでポイタンとタラパまで使うんだもんね。リミ、こんなに色んな野菜をいっぺんに使うギバ鍋は見たことなかったよ!」


「そうなんだってな。まあ、今日はお祝いだから、特別さ」


 さまざまな食材をごった煮にした、生命の象徴とも言うべき、ギバ肉と野菜の鍋。

 その中でも、アリアとポイタンは健やかに生きるために必須の食べ物とされていた。


 それはきっと、価格の安さから根付いた習慣であるに過ぎないのだろうが――80年も続いてきた習慣を、無理にねじ曲げる必要はない。

 食べにくい食材なら、食べやすいように調理すればいいのだ。


 それで俺は、ポイタンを煮るのではなく煮詰めた末に焼く、という食べ方を考案したのだが。もしかしたら、ポイタンといえば煮汁という形でしか食したことのない人々には、固形のポイタンが異形の存在に見えてしまうかもしれない。


 そんな人々のために頭をひねり――そして、ジバ婆さんやドンダ=ルウの「すべてを煮込む生命の象徴」という言葉から天啓を受け、いきついたのが、この『ギバ肉とタラパのシチュー』なのだった。


 トマトのようなタラパだけでは、ただの酸っぱいトマト汁である。

 しかし、香味野菜としてなかなか優秀なタマネギモドキのアリアと煮詰めれば、うんと甘味が増してくる。

 さらに本体では複数の野菜とギバ肉を煮込んで、その力強い出汁と合わせれば――それはもう最高の味わいであった。


 で、ポイタンが小麦粉っぽい食材であるというのなら、シチューにおける相応しい使い方をしてやろうと思ったのだが、そちらのほうは今ひとつピンとこなかった。


 食材にまぶしてみたり、脂で炒めてみたりと色々試みたのだが。小麦粉っぽいが小麦粉ではないポイタンは、思ったような効力を発揮してくれなかったのだ。


 なので、最終的にはポイタンをそのままぶちこむことになった。

 わざわざ固形になるまで干し固めなくとも、お湯に溶かせばどろどろに煮崩れるポイタンなのである。


 結果から言うと、それが一番しっくりきてしまった。

 あれこれ考えず、今までの森辺の民がやっていたように、ただ完成品のシチューにどぼんと入れたら、いい感じのとろみを生み出してくれたのだ。


 拍子抜けと言えば拍子抜けだが。何となく、俺の世界の調理法と森辺における調理法がハイブリッドされたような心地も得られて、最終的には、声をあげて笑ってしまった。


 あのときの、ミーア・レイ母さんとリミ=ルウの心配そうな眼差しは、今でも脳裏にくっきりと残っている。


 何にせよ。

 味の調和、とまでの域には辿りつけなかったかもしれないが。

 共存共栄、ぐらいなら、かなったと思っている。


 5日間という限られた時間の中で、俺が力を振り絞った結果が、これだ。


 で、これがいわゆる、前菜である。

 この後に続くハンバーグやスペアリブや焼きポイタンといった異形の料理を食する前に、まずはこいつで一人でも多くの人たちの心を解きほぐしたい、と考えたのだ。


 結果は――神のみぞ知る、だが。



「まあ、高価な野菜を使いまくって贅沢な料理を作りあげるなんて、本当は俺の性じゃないんだけど……めでたい席ってことで、よしとした」


「いいと思うよ! すっごく美味しかったもん! ……もしかしたら、リミはアスタが教えてくれた料理の中でも、このしちゅーが一番好きかもしれないなあ」


「そうか。だったら、姉さんたちがお嫁に行くときにでも作ってあげなよ」


「えっ! アスタは作ってくれないの!?」


「ガーン」という書き文字が見えてきそうなほどに衝撃を受けるリミ=ルウであった。


「いや、だってほら、ルウの家は俺に婚儀のかまど番なんてまかせられないだろ。ドンダ父さんの気性を考えてみろ」


「えー! 大丈夫だよ! だって……」と、そこでリミ=ルウは、この無邪気な少女には珍しく悪戯小僧のような顔つきをした。


「……一昨日のしちゅーを食べたときのドンダ父さんの顔、見てなかった? んぐって言ってたじゃん。んぐって」


「言ってたな。俺は鍋をひっくり返されるかと思ったよ」


「違うよ! あれはね、美味しすぎてびっくりした音! 思わず『美味い!』って言いそうになったんだよ、きっと!」


「そうかなー。想像つかないなー」


「絶対そうだって! リミにはわかるもん! ……だから、リミがお嫁に行く時は絶対に作ってね?」


 俺は思わず、言葉に詰まってしまった。

 こっそり横目でうかがうと――アイ=ファは静かに、ちろちろと燃えるかまどのほうを見つめている。


 期待に顔を輝かせて見上げてくるリミ=ルウの小さな頭に手を乗せて、俺は言った。


「そうだな。……そのときは、絶対に俺が作ってあげたいよ」


 その日まで、俺がこの世界にいられるのならば。

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