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異世界料理道  作者: EDA
第三十八章 群像演舞~四ノ巻~
645/1675

    稀代の料理人(下)

2018.9/26 更新分 1/1 ・12/29 誤字を修正

 料理が届けられたのは、それから四半刻ほどが過ぎてからだった。

 その料理を口にしたヴァルカスは、大きな喜びと大きな落胆を同時に味わわされることになった。


 未知なる食材と巡りあえた喜びと、不出来な料理を食べさせられた落胆である。やはりこの大きな集落ではこれまでに扱われていなかった食材がいくつも見受けられて、なおかつ、それがきわめて粗末な腕で調理されていたのだった。


「いや、どれも興味の引かれる食材でした。もっとまともな腕を持つ人間の手にかかれば、さぞかし素晴らしい料理に仕上げられることでしょう」


 食後にヴァルカスがそう述べたてると、とっくに食べ終えていたタートゥマイは深々と溜息をついた。


「ヴァルカス殿、彼らは純然たる厚意によって、これらの食事を出してくれたのですよ? それはあまりに、礼を失したお言葉ではないでしょうか?」


「はい。この場には西の言葉を解する御方はおられないようなので、率直な気持ちを述べさせていただきました。彼らにそれを伝えるかどうかは、タートゥマイ殿におまかせいたします」


「……そのように非礼な言葉を、伝えられるわけがありません」


「では、いずれも興味深い食材であったとだけお伝えください」


 タートゥマイはもう一度溜息をついてから、正面に座した長老へと言葉を届けた。左右に女衆を従えた長老は、厳粛なる無表情でうなずいている。


「喜んでもらえたのなら、何よりであった。それで、この後はどのように取り計らえばよいのか、とお尋ねになられております」


「そうですね。まずはこちらの集落で保存されている食材を、吟味させていただきたく思います。それで……今度はわたしに、料理を作らせていただけないでしょうか?」


 タートゥマイは眉をひそめつつ、「あなたが料理を?」と問うてきた。

 ヴァルカスは「はい」とうなずいてみせる。


「わたしなどの逗留を許してくださった長老に、せめてもの御礼をしたく思うのです。そうしてわたしの料理を食べていただけば、わたしがわざわざシムにまでおもむいてきたことにもご理解をいただけるのではないでしょうか」


 タートゥマイはしばらく口をつぐんでから、その言葉を長老に伝えてくれた。

 長老は、重々しくうなずいている。


「了承した、と仰っております。日暮れには家族の男衆も戻るので、その分までこしらえてはもらえないかと、仰っております」


「承知しました。人数は、いかほどで?」


 返答は、長老も含めて7名ということであった。目の前にいる2名の女衆の他に、4名の家族がある、ということであるらしい。


「では、そちらの女衆が案内をしてくれるそうです」


 女衆の、やや若いほうが立ち上がっていた。それでも、40歳は齢を重ねていそうに見える。もうひとりは長老よりもやや若く見えるていどであったので、きっと長老の伴侶であるのだろう。

 連れ立って天幕の外に出ると、女衆がタートゥマイへと声をかける。タートゥマイはひとつうなずいてから、ヴァルカスを振り返った。


「これから食料庫に案内をするが、どのような食材のことを知りたいのか、と仰っております」


「すべてです」とヴァルカスが応じると、タートゥマイは再び眉をひそめた。


「すべてというのは、香草や野菜や肉のすべてという意味でありましょうか?」


「いえ。そればかりでなく、ギャマの乳にまつわる食材に関しても、吟味させていただきたく思います。とにかく、この集落に存在する食材のすべて、ということですね」


「……しかし、すべての食材を吟味しても、実際に使える食材は限られましょう? それに、アリアやプラなどに関しては、あなたもすでにご存知なのでしょうから、吟味する意味もないはずです」


「いえ。食材の状態を正しく知らなければ、美味なる料理を作りあげることはかないません。アリアやプラはどのような状態で保管されているのか、それもこの目で確認させていただきたく思います」


 タートゥマイは溜息を噛み殺しながら、女衆に言葉を届けてくれた。

 女衆は無表情なまま、小首を傾げている。


「すべての食材を見て回っていたら、食事を作る時間がなくなってしまうのではないか、と仰っております」


「ご心配はいりません。頭の中にはもうあるていどの指針ができあがっておりますので、あとは食材次第だと思われます」


 そうして最初に導かれたのは、ひときわ大きな天幕であった。

 しかし、大きいことには大きいが、帳にも大した刺繍はされておらず、むしろ簡素に見えるぐらいである。もちろんヴァルカスには、その理由も察しがついていた。


「こちらは、香草を保管しておくための天幕であるのですね。ああ、ひときわ胸が高鳴ってまいりました」


「天幕の外からでも、凄まじい香りが感じられますな。……鼻や咽喉のお加減は、本当に大丈夫なのでしょうか?」


「はい。以前にも申し上げた通り、わたしの鼻や咽喉が食材の香りを忌避することはありません」


 ヴァルカスは、大きな期待を胸に、帳の中へと足を踏み入れた。

 たちまち、たとえようもない悦楽が、ヴァルカスの五体を包み込む。

 ヴァルカスは襟巻きを外す所作ももどかしく、その悦楽を胸いっぱいに吸い込んだ。


 その場には、さまざまな香草の香りが充満していた。

 ヴァルカスの知る香りもあれば、知らない香りもある。甘くて、辛くて、苦くて、酸っぱい、すべての味の根源が、そこにはそろい踏みしていた。


「こちらの苦い香りは、何でしょう? ああ、これはタートゥマイ殿も料理に使われていた香草ですね」


「それは、ギギの葉です。もともとは、茶として飲まれているものですな」


「こちらの、赤い葉は? チットの実と似ていますが、より鮮烈な香りです」


「それは、イラの葉です。……初めて目にする香草を使って、美味なる料理など作れるものなのでしょうかな?」


「それはわたしの腕次第でありましょう。ああ、まるでこの天幕は宝物庫のようです」


 女衆が、静かな声音でタートゥマイに何かを告げた。

 そちらに返事をしてから、タートゥマイがヴァルカスに向きなおる。


「あなたはずいぶん取り乱しているように見えるが、どこかお加減でも悪いのかと、心配されております」


「いささかならず取り乱してはいますが、心配はご無用です。あなたがたのご厚意に心から感謝するとお伝えください。……こちらの香草は、何でしょう? かなり酸味が強いようですね」


 それはタートゥマイにも馴染みのない香草であったらしく、女衆から答えを聞くことになった。この場には9種もの香草が保管されており、タートゥマイが知るのは5種のみであった。


「ううむ。興味深い。ちなみに、これらの香草を買いつけることは可能なのでしょうか?」


「……これらは一族が健やかに生きるための糧であるので、売ることはできないと仰っております。ギャマの乳酒や乾酪や干し肉ならば、好きなだけお買いになることができるそうです」


「では、どこにおもむけば、これらの香草を手にできるのでしょうか?」


 この問答には、多少の時間が必要であった。

 ああでもないこうでもないとやり取りをしたのちに、タートゥマイがヴァルカスに向きなおる。


「香草を売るのは、もっと草原の中央に住まう一族であるそうです。この辺りはまだ辺境ですので、香草も貴重なのでしょう」


「そうですか。では、手間賃も込みで、これらを売っていただくことはできないでしょうか? わたしの支払う銀貨で中央から同じ香草を買いつければ、こちらの方々が飢えることにもならないでしょう?」


「……ここから中央までは、トトスで数日かかります。その手間賃となると、かなりの額になりましょう」


「しかし、トトスを持たないわたしが草原の中央におもむくよりは、そのほうが手っ取り早いかと思われます」


 タートゥマイがその言葉を告げると、女衆は首を横に振っていた。


「それには長老の許しが必要だ、と仰っております。また、あなたの作る食事に長老が満足すれば、そのように突拍子もない願いもかなえられるかもしれない、と仰っております」


「そうですか。では、いっそう腕によりをかけることにしましょう」


 その後は、ほとんど一刻がかりで香草の指南を受けることになった。

 ヴァルカスが質問し、タートゥマイがそれを伝えて、女衆が答える。その繰り返しである。また、タートゥマイの知る5種の香草に関しては、タートゥマイ自身に問う時間のほうが長くかかることになった。


「あなたはギギの葉を汁物料理で使っていましたね。焼き物料理などで扱うこともあるのでしょうか?」


「いえ。儂はそもそも、肉や野菜を焼くことがほとんどありません。鍋で煮込むほうが、簡単に火を通すことがかないますからな」


「そうですか。これを肉料理の衣に仕上げたら、かなり独特の味わいが得られるのではないかと思うのですが……これは、燻さずに生のまま使うことは可能なのでしょうか?」


「できないことはないでしょうが、風味はさぞかし弱まることでしょう。ギギの葉は、ただ干すだけでなく乾煎りすることによって、これだけの風味が得られるのです」


「ああ、なるほど。そうした手間も、香草ごとで異なるのですね。では、こちらのイラの葉は――」


 と、ヴァルカスの探究心に尽きるところはなかった。

 可能であれば、一晩中でも論議したいぐらいである。未知なる香草が9種もあれば、それも当然の話と思われた。


 しかし本日は、長老一家に晩餐を供さなければならない。本格的な吟味は自分で購入した後の楽しみとして、いまは最低限の知識だけでも手中にしなければならなかった。


 そうして一刻ほどののち、後ろ髪を引かれるような思いで、香草の天幕を後にする。お次は、干し肉や野菜、およびギャマ乳を原料とする食材の確認であった。


「そういえば、ひとつ疑念があったのですが」


 と、その途中でヴァルカスは申し述べてみせた。


「わたしはシムを訪れて以来、フワノの類いを口にしていません。これまでに訪れた集落では、木の実をすり潰した団子などを出されていたのです」


「それはそうでありましょうな。シムの土は、フワノを育てるのに適していないようなのです」


「しかし、タートゥマイ殿やこちらの集落の方々は、木の実の団子すら使っていませんね。フワノというのは他の食材で補えない滋養を持っているはずですが、草原の民の方々はそれをどのようにして補っているのでしょう?」


 アリアやプラの詰められた木箱をあさりながら、ヴァルカスは言葉を重ねてみせる。天幕の入り口あたりでその様子を見守っていたタートゥマイは、自分の記憶を探るように目をすがめていた。


「たしか……もっと豊かな中央の一族であれば、シャスカというものを食べているはずですな」


「シャスカですか。それは、どのような食材であるのでしょう?」


「儂も草原の中央まではおもむいたことがないので、存じあげません。……あなたは、シャスカをもご所望なのでしょうか?」


 しばし考えてから、ヴァルカスは「いえ」と首を振ってみせた。


「もちろんどのような食材でも興味は尽きませんが、いまのところは香草で手一杯です。それに、ジェノスで扱われない食材を吟味しても、得られる益は小さいことでしょう」


 現在のジェノスは、トゥラン伯爵家の当主に食材の流通を牛耳られつつある。そして、トゥランというのはフワノの貿易で知られる領地であるので、その安寧を脅かすような食材は拒絶するのではないかと思われた。


(まあ、トゥラン伯爵がいずれ代替わりすれば、そういった風潮も変わってくることだろう。その前に、まずは香草だ)


 そのように結論づけて、ヴァルカスはタートゥマイに向きなおった。


「それで、あなたを始めとする辺境の方々は、どのようにしてフワノに類する滋養を得ているのでしょう? まさか、それらを食していないために痩せ細っているわけではないですよね?」


「西の領土を訪れる東の民は、みんな草原の中央に住まう民であるはずです。それらの者たちも痩身であるのですから、関係はありますまい。……フワノに類する滋養というのは、おそらくヤンムルの根から得られているのです」


「そうなのですか。では、ヤンムルの根というのは、辺境の方々には欠かせぬ食材であるのですね」


「はい。ですが、ヤンムルをあまり掘り返してしまうと、ギャマの食べる葉も失われてしまいます。草原の民がギャマとともに生きていくには、己を律する気持ちが肝要となるのです」


「なるほど。だからヤンムルの根というのは、セルヴァにまったく流通していないのですね」


 ならば、ヤンムルの根もジェノスに持ち帰ることはできない、ということだ。

 それはすなわち、ヤンムルの根を主体に練り上げられたタートゥマイの味の調和も、ジェノスでは役に立たない、という意味でもあった。


(それはまったく、惜しい話だ。……しかし、彼が香草の調和を成し遂げる力量を持っていることに変わりはない。あれだけの調和を生み出せる舌と腕と感性があれば、応用などいくらでも利くはずだ)


 そのように納得して、ヴァルカスは「さて」と言った。


「では、これらの食材の保存状態もだいたい把握できました。いよいよ調理に取りかかろうかと思います」


「はい。ご健闘をお祈りいたします」


「いや、祈るばかりでなく、あなたにも力を貸していただきたいのですが」


 タートゥマイは、用心深げに目を細めた。


「何故に、儂が? これは、あなたの言い出した話でありましょう?」


「もちろんそうですが、残された時間で7名分の食事を作るのは、なかなかに困難です。わたしとあなたの分も含めれば、9名分となるのですからね」


 これは、虚言である。調理の道筋はできているので、ヴァルカスひとりでも何ら不都合はなかった。ヴァルカスはただ、タートゥマイが実際に調理をする姿を目にしたいだけであったのだ。


「……くどいようですが、儂があなたに知恵を授けることなどはできませんぞ、ヴァルカス殿」


「ええ、承知しています。あなたはわたしの指示通りに作業していただければ、それで十分です」


 タートゥマイはしばらくの沈黙の後、「承知しました」と言ってくれた。


「それでは、あなたの手足となりましょう。あなたをこの集落に連れてきた責任もありますのでな」


「はい。どうぞよろしくお願いいたします」


 そうして両名は、この集落の厨へと導かれた。

 といっても、川辺に粘土のかまどが設えられただけの場所である。頭上には革の屋根こそ張られていたものの、壁に類するものは存在しない。それは、吹きっさらしの屋外の厨であったのだった。


「これはずいぶんと劣悪なる環境ですね。粗末な料理しか作れないのも納得です」


「…………」


「では、調理を始めましょう。調理刀はいずこでしょうか?」


 案内役の女衆が、鋭く尖った石片を差し出してきた。

 きょとんとするヴァルカスに、タートゥマイが「如何いたしました?」と問うてくる。


「草原において、鉄というのはきわめて貴重です。王都や海辺の民と商いをしている草原の中央であれば、その限りではないのでしょうが……この近在で、鉄の道具を使う民はほとんどいないことでしょう」


「そうですか。では、鍋などはどうなのでしょう?」


 タートゥマイが、かまどの脇に置かれているものを指し示してきた。

 かまどと同じく粘土で作られた、土鍋である。


「なるほど……しかしタートゥマイ殿は、立派な鉄鍋と調理刀をお持ちでしたよね」


「あれは、草原に移り住む前に、セルヴァで買い求めたものとなります。もう20年は使い続けていることになりましょうな」


「そうですか」と答えながら、ヴァルカスは口もとが歪むのを止めることができなかった。

 タートゥマイは「どうされました?」と心配げな顔になる。


「笑っているとも泣いているともつかないお顔のようですが……いったいどうされたのでありましょう?」


「わかりません。わたしとしても、愉快なような情けないような、何とも判別のつかない心持ちです」


 城下町の料理人であったヴァルカスが、屋外のかまどで、石の刀と土の鍋で調理をする。その運命に、ヴァルカスは腹の中身をくすぐられているような心地であった。


「……それでしたら、儂の鉄鍋と刀をお貸しいたしましょうか?」


 タートゥマイがそのように提案してくれたが、ヴァルカスは断腸の思いで「いえ」と首を振ってみせた。


「それでは、道具が優れているために美味なる料理をこしらえることができたのだと判じられかねません。わたしは彼女たちと同じ道具と食材をもちいて、美味なる料理を作りあげなければならないのです」


「そうですか。まあ、あなたの納得するようにされるがいいでしょう」


「ええ。そうさせていただきます」


 ヴァルカスは何とか自分の気持ちを静めながら、タートゥマイに向きなおった。


「では、調理を始めましょう。まずは、香草の下ごしらえです」


                  ◇


 数刻の後、ヴァルカスとタートゥマイは長老の天幕で座していた。

 家族も7名が勢ぞろいしている。長老とその伴侶、跡継ぎたる息子とその伴侶、そして3名の孫たちである。孫たちはいずれも十代の若衆であったが、みんなヴァルカスよりも背が高かった。


「わたしの持てる力をすべて振り絞り、この夜においては最善と思える料理を作りあげました。お気に召しましたら、幸いです」


 ヴァルカスの挨拶をタートゥマイが訳し、長老は重々しくうなずく。


「いずれもシムの流儀に則った料理のようで安心した、と仰っております。……香草の香りで、そのように判断したのでしょうね」


「ええ。微細な相違を嗅ぎ分ける力などは備わっていないのでしょう」


 当然のように、その言葉が長老たちに告げられることはなかった。

 しかし、長老の目にはいくぶんとげのある光が浮かべられているように感じられる。


「……しかしあなたは、大切な香草をずいぶん無駄にしたようだ、と仰っております」


「はい。初めて扱う食材なのですから、失敗を重ねなければまともな料理を作ることはかないません。無駄にした分の銅貨はお支払いしたのに、何かご不満なのでしょうか?」


「すべてを銅貨で解決するという考え方は、東の民の気性にはそぐわぬでしょう。ここは謝罪をするべきだと思われます」


 タートゥマイがそのように述べるのなら、ヴァルカスとしても是非はなかった。


「わたしの腕が至らぬばかりに、大切な食材を無駄にしてしまいました。どうかご容赦をお願いいたします」


 ヴァルカスが床に手をついて頭を垂れると、それだけで長老の眼光はやわらいだようだった。

 頭を下げて済む話ならば、ヴァルカスとしても安いものである。それよりも、いまは料理が冷める前に晩餐を始めてほしかった。


「あなたがそれほどまでに苦心して作りあげた食事がどのようなものであるのか、非常に楽しみだ、と仰っております」


 そうして、ようやく晩餐は始められた。

 長老が低い声で何かを詠唱し、6名の家族がそれを復唱する。ヴァルカスの訪れたいくつかの集落でも、このような文言を唱える家は少なくなかった。


 その詠唱を終えてから、まずは長老が正面の木皿を取り上げる。

 そこにのせられていたのは、ギャマの干し肉の香味焼きであった。

 干し肉で使われている塩は行商人から買いつけているとのことで、内容はヴァルカスの知る岩塩と同じものであった。


 干し肉はそのままでも口にできるように加工されているが、焼けばいっそう風味が豊かになる。さらに香草をあわせて焼くことは、この集落でも通例であるようだ。よって最長老は、何の疑いもなくその干し肉を口に運んでいた。


 その目が、くわっと見開かれる。

 それだけの動きでも、東の民としてはかなり珍しいものであった。


「……****。*******……?」


「……この干し肉は、どうしてこれほどまでに風味が豊かであるのか、と仰っております」


「それは、あなたでも答えられる問いではないですか?」


 その干し肉は、ヴァルカスの指示でタートゥマイが仕上げた料理であったのだ。

 野菜の茹で汁にすり潰した香草を加えて、それを塗り重ねながら、さらに香草をくべた炎で炙り焼きにしている。それだけの細工だが、何の細工もせずに香草と一緒に焼いた干し肉では、これほどの風味は得られないはずだった。


「もっとも簡単な細工しかしていない干し肉の料理で驚きを得られたのなら、幸いでしたね」


 そのように述べながら、ヴァルカスは手ずから汁物料理を取り分けることにした。この天幕には保温用のかまどがあったので、そこで土鍋を温めておいたのだ。


「主菜は、こちらの汁物料理となります。どうぞみなさんも、お召し上がりください」


 真っ赤な色合いをした汁物料理が、各人に届けられる。

 それを口にした人間は、全員が驚きに目を見開いていた。

 若衆などはせわしない口調で意見を述べ合い、それを父親にたしなめられている。東の民は、感情を表に出すことを恥と考えているのだ。


 汁物料理は、ヤンムルの根を主体にしていた。これがフワノの代用であるならば使わないわけにはいかなかったし、また、それは最初からの想定でもあった。

 そこに4種の香草を使い、野菜はアリアのみ、肉は野鳥の干し肉を使っている。この集落の食料庫にも、野鳥や蛇の干し肉が蓄えられていたのだった。


 辛さの核を担っているのはチットの実とイラの葉で、こまかく砕いたギギの葉は、まろやかな香ばしさを担っている。酸味はギャマの乳清と別の香草で、ラマムに似た甘い果実もあったので、ヴァルカスはそれも加えていた。砂糖や蜜の存在しないこの地では、その果実だけが貴重な甘みであったのである。


 ただし、ヤンムルの根やギャマの乳清にもほのかな甘みは存在するので、それと調和するように果実のほうに細工をしている。もともと干されていたその果実の表面を炙って、若干の香ばしさを加えてから、乳清と練り合わせて、鍋に投じたのだ。そういった細工が、辛みや苦みや酸味との調和にも少なからぬ影響を与えているはずだった。


 また、野鳥の干し肉には若干の臭みが感じられたので、それは別の香草と乳酒で洗うことによって処理している。干し肉として仕上げられた肉の臭みを後から取ることはできなかったので、それらの食材で細工をすることによって、臭みを風味に転化させたのだ。


「……これは本当に、この集落にある材料だけで作られた食事なのかと、長老が問われております」


「それも、あなたが答えられる質問ですね。それに、ご子息の伴侶でも答えることは可能でしょう」


 その女衆は、ずっとヴァルカスたちが調理をするさまを見守っていたのだ。長老に出される食事であるのだから、それが当然であるのだろう。毒見をさせろと言われないだけ、幸いなのだろうと思われた。


「きわめて粗末な仕上がりですが、この夜のわたしにとっては、それが精一杯の結果となります。ご不満はありましょうが、ご容赦願えれば幸いです」


 ヴァルカスはそのように述べてみせたが、タートゥマイはそれを訳そうとしなかった。


「そのお言葉は、謙虚を通り越して嫌味に聞こえかねないかと思われます。長老らがどれほどの驚きに打たれているかは、あなたにもおわかりでありましょう?」


「はい。ですが、わたしとしては人に出すのをためらうような出来栄えです。これがわたしの厨であったら、すべてくず入れに捨てているところですね」


 そう言って、ヴァルカスは無念の溜息をつく。


「ですが、限られた時間と劣悪な環境のもとでは、これがわたしの精一杯です。力を尽くしたという言葉に偽りはありません」


「あなたは……本当に素晴らしい才覚をお持ちなのですね。儂は心から感服いたしました」


 タートゥマイが、ふっと口もとをほころばせた。

 彼は東の民ではないが、ここまではっきり表情を動かすのは珍しいことである。


「そして、その食事の内容にも驚かされました。これは、儂があの夜に出した食事をもとに、考案されたのですね」


「はい。新たに加えた食材は、干し肉の臭み取りで使った香草と、甘い果実のみですね。それ以外は、あなたの料理を参考にしています」


「しかし、儂の粗末な食事などとは比べるべくもないぐらい、こちらの料理は美味に感じられます。料理人というのは、これほどのものであるのですな」


「ジェノスにそれほどたいそうな料理人は存在しません。あなたであれば、明日から店が開けるぐらいでしょう」


 そのように述べてから、ヴァルカスは膝を進めてみせた。


「しかし、いまのあなたが店を開いても、有象無象の中でやや優れているというていどです。わたしのもとで学べば、わたしに次ぐ力をつけることもかなうでしょう」


 タートゥマイは、心から驚いたように目を見開いた。


「あなたは、まだそのようなことを仰っているのですか。儂の力など必要ないということは、たったいまこの場で証しだてられたではないですか」


「そのようなことはありません。あなたと出会っていなければ、この料理は生まれていなかったのです。いわばこれは、わたしとあなたの共作であるのですよ」


 ヴァルカスは感情のままに、タートゥマイの手を取ってしまった。

 タートゥマイは、困惑の極みにあるかのように眉をひそめている。


「もちろんこのように劣悪な環境では、このていどの料理しか作ることはかないませんでしたが……わたしとあなたがジェノスの城下町でともに料理を作れば、誰をもうならせることができるはずです。あなたには、それだけの力が秘められているのです」


「いや、しかし儂は……」


「人と交わるのを苦手にしている、ですか? それはわたしも同じことだと言っているではないですか」


 ヴァルカスは、力を込めてそのように述べてみせた。


「わたしはべつだん、それで不自由を感じてはいませんし、あなたに友誼を求めているわけでもありません。しかし、あなたに居場所を与えることはできます」


「……居場所?」


「はい。わたしの弟子、という居場所です。あなたのように才覚を持つ人間が野に埋もれるのは間違っています。今日の仕事をあなたに手伝っていただき、わたしはそれを確信いたしました。あなたは、ジェノスで料理人として生きるべきなのです」


「…………」


「あなたはイラカで生まれたが、すでに故郷はない、と仰っていましたね。それならば、ジェノスを故郷としてください。あなたを城下町に迎え入れるには、あれこれ知恵を絞らなくてはならないでしょうが、それはわたしが何とかしてみせます。わたしのもとで、弟子として働いてください、タートゥマイ殿」


 タートゥマイは、黒い瞳でヴァルカスの顔をじっと見つめていた。

 その口から、やがて悲哀に満ちみちた言葉が吐き出される。


「儂は……儂の母は、東の民に陵辱されたのです。それで生まれたのが、儂なのです。それでも母は、儂を慈しんでくれましたが……儂の東の民めいた姿を見るたびに、心の内では恐怖におののいていたことでしょう。だから儂は、東に神を乗り換える心情にもなれなかったし……自分の生を誇ることもできなかったのです」


「それは、ひどい話ですね。東の民というのは、みな純朴であるように思っていたのですが」


「ですからそれは、草原の民に限ってのことであります……儂の母を襲ったのは、ゲルドの山の民であったのです」


 シムには7つの藩というものがあり、おおまかには4つの民に分類される。それが、石の都の民、草原の民、海辺の民、山の民である――と、ヴァルカスにはそれぐらいの知識しかなかった。


「儂がイラカで居場所を見つけられなかったのは、きっと自分の生に誇りを持てなかったゆえなのでしょう……だから儂は20年もの間、草原をさすらうことになったのです」


「ならば、誇りを持って生きてください。わたしのもとなら、それが可能なはずです。あなたは稀有なる才覚を持つ料理人であるのですからね」


 ヴァルカスは、タートゥマイの手をつかんだ指先にいっそうの力を込めてみせる。


「あなたがかたわらにいてくれれば、わたしもまたさらなる高みを望むことがかないます。だからこそ、このような言葉を口にしているのです。わたしは30年生きてきて、これほどまでに他者を欲したのは初めてのことです。わたしにはあなたが必要であり、あなたにはわたしが必要であるのですよ、タートゥマイ殿」


「……友誼を結ぶ気はないと言いながら、あなたはそのように仰るのですね」


「はい。友人を求めるのなら、それは余所でお探しください。わたしがあなたに与えられるのは、料理人としての居場所だけです」


 タートゥマイは、ふっと口もとをほころばせた。


「聞きようによってはひどく冷たい言葉であるのに、まるで伴侶となる相手を口説こうとしているかのような熱意を感じます」


「わたしにとっては、それ以上に大事な相手を迎え入れようとしているのです。友人も伴侶も必要ありませんが、わたしにはあなたが必要なのです」


 タートゥマイは、やわらかい力でヴァルカスの手を振りほどいた。


「儂は20年もの間、自分の存在を見失っておりました。それを、3日やそこらで覆すことは難しいようです」


「そうですか。では、あなたが了承するまで、わたしはシムに留まりましょう」


「それは、危険です。あなたは、また熱を出してしまっているのではないですか? このままシムに留まれば、お生命が危ういやもしれません」


「ですが、このような心情を抱いたまま、ジェノスに帰ることはできません」


 タートゥマイは、穏やかな笑顔でひとつうなずいた。


「儂の荷車で、ジェノスまでお送りいたしましょう。そのふた月の間で、儂の心を動かせるものかどうか……よろしければ、お試しくだされ」


「承知しました。では、何としてでもこの集落で、香草を買いつけさせていただきましょう」


 ヴァルカスがそのように答えたとき、長老が声をあげてきた。

 タートゥマイは微笑んだまま、その内容を伝えてくれる。


「あなたがたは食事もせずに、何を真剣に語らっておられるのか、と仰っております」


「適当に答えておいてください。わたしはちょっと、横にならせていただきます」


 タートゥマイに指摘された通り、ヴァルカスはまた発熱してしまっていた。風の吹きすさぶ劣悪な環境で、極限まで神経を研ぎ澄ましながら仕事を果たしたのだから、力が尽きてしまったのだろう。頭はガンガンと割れるように痛み、全身が火のように熱くなっていた。


(しかし、タートゥマイを説得する足がかりはできた。彼を連れて帰れるのならば、それにまさる収穫はなかろう)


 長老たちが何か喋っているのが聞こえていたが、どうせ東の言葉なので意味はわからない。それを旋律にとぼしい子守唄とみなしながら、ヴァルカスはまぶたを閉ざすことにした。


 タートゥマイを弟子として迎えたヴァルカスが、ジェノスの三大料理人と称されるようになったのは、それからおよそ4年後――ファの家のアスタという奇妙な料理人と出会ったのは、およそ9年後のことだった。


 アスタと出会ったのが9年前であったなら、きっとヴァルカスは弟子に入るように願っていたことだろう。しかし、タートゥマイとの出会いで自分の料理の型を完成させたヴァルカスにとって、アスタというのは異分子に他ならなかった。また、アスタよりも5年ほど前に知ったミケルの存在にしても、それは同じことであった。


 タートゥマイは弟子となり、アスタやミケルは好敵手となった。それが、西方神の定めた運命であったのだろう。

 自分がのちのちそのような思いにとらわれることも知らないまま、その夜のヴァカルカスは発熱の苦痛とタートゥマイに出会えた充足感の中で眠りに落ちたのだった。

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