多端の日④~父と子~
2018.9/9 更新分 1/1
屋台の商売の後、俺たちは《キミュスの尻尾亭》へと向かうことになった。
今度は、いよいよレビやラーズと対面することになるのだ。
ただし、かまど番の全員が居残るような話ではないので、荷車1台分の人員だけを残して、他のメンバーは先に帰ってもらうこととする。居残るのは、俺、レイナ=ルウ、ユン=スドラ、ヤミル=レイ、ツヴァイ=ルティムという顔ぶれに相成った。
「申し訳ないけれど、先に戻って勉強会を始めておいてもらえるかな? ルウの家では、リミ=ルウが待ち受けているはずなんだ」
「はい、リミ=ルウがですか?」
不思議そうに小首を傾げるトゥール=ディンに、俺は「うん」と笑いかけてみせる。
「リミ=ルウが卵殻を使った生地でどら焼きの試作品をこしらえたら、最長老のジバ=ルウがいたくお気に召したみたいなんだ。だから、もっと美味しいどら焼きを作れないかどうか、トゥール=ディンの意見を聞きたいんだってさ」
「そうですか。卵の殻を使った生地に関しては、わたしもまだまだ研究中なのですが……ルウ家の方々のお力になれたら、嬉しく思います」
気恥かしさと誇らしさの混在した微笑とともに、トゥール=ディンは荷台に乗り込んだ。
3台の荷車は森辺へと帰還していき、残された俺たちは《キミュスの尻尾亭》の前で顔を見合わせる。
「さて、俺たちの荷車は、宿屋の裏に置かせてもらおうと考えてるんだけど……ヤミル=レイとツヴァイ=ルティムは、その荷車のところで待っていてもらえませんか?」
「はあ? 人を名指しで居残らせたと思ったら、今度は何なのサ?」
「いや、ふたりにはちょっと積もる話をしてもらいたいんだよ。どっちみち、あんまり大勢でお邪魔するのも悪いかなと思ってたし……ヤミル=レイ、いかがですか?」
「……どうしても、わたしに面倒な仕事を押しつけようというつもりなのね」
ヤミル=レイはこまかく編み込まれた黒褐色の髪を艶かしくかきあげながら、溜息をついた。
「ルティムの家長といいあなたといい、本当におせっかいなことね。何度も言うけれど、わたしたちはもう姉でも妹でもないのよ?」
「はい。それでもおふたりはルウの血族なのですから、相手を思いやって悪いことはないと思います」
俺たちのやりとりを聞いていたツヴァイ=ルティムは、細い眉をおもいきり吊り上げて腕を組んでいる。
「うちの家長までからんでるとなると、ますますややこしい話みたいだネ。面倒な話なら、アタシは御免だヨ」
「何も面倒な話ではないよ。今日の夜には、すべての氏族に通達が回される話だしね」
そうして話がまとまったので、俺たちはいざ《キミュスの尻尾亭》に踏み込むことになった。
受付台に、人の姿はない。厨のほうからいい匂いが漂っていたので、俺はそちらの入り口に「失礼します」と呼びかけてみた。
「ああ、お前さんたちか。今日は色々とご苦労だったな」
手ぬぐいで手をふきながら、ミラノ=マスが姿を現す。その眉間には、普段以上の深い皺がくっきりと刻み込まれていた。
「どうもお疲れ様です。あの、ラーズの容態はいかがですか?」
「さっき医術師に見てもらったが、おかしな病魔には見舞われていないという話だった。あんな身体で何刻も歩いたから、力を失ってしまっただけなのだろう。胸の骨だって、まだくっついたばかりであったのだからな」
仏頂面のミラノ=マスとともに表に出て、まずは屋台を返却する。ギルルと荷車はその倉庫の前に置かせてもらい、ヤミル=レイとツヴァイ=ルティムは無言のまま荷台の中に入っていった。
そののちに宿へ戻ると、ちょうど中から出てきた年配の女性とぶつかりそうになってしまう。
「ああ、びっくりした。誰もいないから、どうしちまったのかと思ったよ。家の用事が片付いたから、こっちを手伝いに来たよ」
「すまんな。給金ははずむから、店番を頼む」
それは、夜間に給仕の手伝いをしている女性であった。ミラノ=マスの不機嫌そうな様子を気にした様子もなく、「あいよ」と気安く笑っている。
「おや、あんたがたも中に入るのかい? またかまど仕事を手伝ってくれるんなら、ありがたいんだけどねえ」
「あ、いえ、今日はちょっと別の用事がありまして……」
こういった人々がラーズにどのような思いを抱いているのかは知らなかったので、俺は言葉を濁すことになった。
そうしてミラノ=マスの案内で、一階の奥の部屋へと踏み込んでいく。レイナ=ルウとユン=スドラは、それぞれ真剣そうな面持ちをしていた。
「入るぞ。親父さんは、目を覚ましたか?」
ノックもせずに、ミラノ=マスは扉を引き開けた。
もともとは物置きで、その前はレイトの寝所であった、小さな部屋だ。片付けきらなかった荷物があちこちに積み上げられているので、いっそう窮屈に感じられてしまう。そんな場所に、5名もの人間が待ち受けていた。
ラーズは寝台に横たえられており、枕もとの椅子にはレビが座している。あとは壁際に、テリア=マス、カミュア=ヨシュ、レイトの3名が立ち並んでいた。
「ああ、ミラノ=マス。それに、アスタたちも……今日は本当に、大変な迷惑をかけちまって……」
憔悴した顔でレビが立ち上がると、ミラノ=マスはますます不機嫌そうにそちらをねめつけた。
「何度も同じ言葉を繰り返す必要はない。親父さんは、どうなんだ?」
「あれから、ずっと眠ったままです。精魂ともに、尽き果てちまったんでしょうね」
すると、テリア=マスも泣きべそのような面持ちで進み出てきた。
「アスタ、レイナ=ルウ、今日はありがとうございました。この御礼は、いつか必ず果たしますので……」
「俺たちは、何もやっていませんよ。御礼を言われるべきは、ラーズを救ってくれたザッシュマでしょうね」
ザッシュマは、護衛役の仕事を遂行するために、城下町へと向かったのだろう。カミュア=ヨシュはいつもの調子で飄然と微笑んでおり、レイトは無表情にラーズの寝顔を見つめている。
そのとき、ラーズが「ううん……」弱々しく声をあげた。
とたんにレビが、のしかかるようにしてその顔を覗き込む。
「ようやく起きやがったのか、親父? おい、お前のせいで、どれだけの迷惑がかかったと思ってやがるんだ?」
「レ、レビ、どうか落ち着いてください」
テリア=マスが、その腕に取りすがる。レビの顔には、怒りと悲哀の感情が複雑に入り乱れていた。
その顔をぼんやりと見上げながら、ラーズはぱちくりとまばたきを繰り返す。
「レビか……俺は、どうしちまったんだっけ……?」
「お前は行き倒れてるところを拾われて、ここまで運ばれてきたんだよ。さっき、医術師に薬を飲まされただろうが?」
「ああ、そうか……まったく、下手をこいちまったなあ……まさか、こんな生き恥をさらしちまうなんてよお……」
ラーズは、弱々しく微笑んだ。
やはり、好々爺のように穏やかな表情だ。俺にはどうしても、この人物が悪党だなどとは思えなかったのだった。
「あともうちょっとで、ベヘットに辿り着いてたはずなのになあ……ご主人、またまたご迷惑をかけちまって、本当に申し訳ないこって……」
「ふん。申し訳ないと思っているのなら、理由を聞かせてもらおうか。お前さんは、いったい何のためにベヘットなんぞを目指そうと考えたのだ?」
寝台に横たわったまま、ラーズはくすんと鼻を鳴らした。
「そりゃあもちろん、新しい土地で出直そうと考えたんでさあね……ジェノスに居残っていたら、あんたがたに迷惑をかけるばっかりだからねえ……」
「何を言ってやがるんだよ。そんな身体で、何をどう出直そうってんだ?」
またレビが、父親にぐっと顔を近づける。
ラーズは、目を細めて微笑んでいた。
「こんな身体だからこそ、だろ……? まともに歩くこともできないんじゃあ、人足の仕事も覚束ねえ。かといって、賭場には出入りできねえ身だし、他には銅貨を稼ぐあてもねえ……これじゃあ、ジェノスに居残ってもしかたねえだろう……?」
「だったら、他の町に移っても同じことだろうがよ? ベヘットなんざで、どうやって身を立てようと考えてたんだ?」
「知らねえよお、そんなことは……でも、誰も知らない土地に行きゃあ、誰に迷惑をかけることもねえだろう……? ギーズの大鼠だって、くたばるときは人目につかねえ場所でひっそり最期を迎えるもんだ……」
レビの腕に取りすがったテリア=マスが、その目に涙をにじませた。
「ラーズ、あなたは……やっぱり自分が邪魔者だと思って、姿を消したのですね。……本当に申し訳ありません。どうか、わたしを許してください……」
「お嬢さんは、何を謝ってるんで……? 迷惑をかけていたのは、俺のほうでしょうよ……」
「いえ、あなたにそのような思いを抱かせてしまったのは、わたしのせいです。父さんは、決してあなたを邪魔者扱いしたりはしなかったのに、わたしは……」
「それを言ったら、僕も同じことですよ」
と、レイトが低い声で言った。
「僕だって、あなたの真情を疑っていました。息子のレビがこれほど尽くしているのに、あなたはいつかそれを裏切るんじゃないかと……また小悪党に逆戻りして、何か悪さをするんじゃないかと、僕はずっと疑ってしまっていました」
「へへ……そいつは俺の、自業自得ってもんでさあ……この世に生を受けてから、こんな老いぼれた姿をさらすまで、人に自慢できることなんてひとつもしちゃいませんからねえ……こんな人間、信用するほうがどうかしてるってもんでやしょう……」
「しかしお前さんは、息子をここまで立派に育てあげたではないか」
ミラノ=マスが、底ごもる声でそう言い放った。
「お前さんが本当の悪党だったら、息子だってこんなまともに育ちはすまい。指を切られて賭場を追い出されてからは、真っ当に働いて息子を育てあげたのではないのか?」
「へへ……そいつは俺が臆病もんで、悪党仲間からも愛想を尽かされただけの話でさあね……あとはもう、食っていくために人足の仕事でも果たすしかなかったんでさあ……」
ミラノ=マスは、レビを押しのけてラーズの顔を覗き込んだ。
「いままで聞いたことはなかったが、お前さん、連れ合いはどうしたのだ?」
「へへ……女房は、そいつがこんなちっこいころに、男を作って逃げちまいましたよ……うだつの上がらない俺に、愛想を尽かしちまったんでしょうねえ……」
「それでお前さんは、男手ひとつでレビを育てあげたわけだな。俺だって連れ合いを亡くしているのだから、それがどれだけの苦労であったかはわかるつもりだ」
ミラノ=マスは肉の厚い胸をそらして、腕を組んだ。
「とはいえ、俺の連れ合いが魂を返したのはせいぜい10年ほど前だから、娘はそれなりに大きくなっていた。親父からこの宿を継いでもいたし、お前さんよりも苦労は少なかっただろうな」
「買いかぶりでさあね……俺はそんな、たいそうな人間じゃございやせん……」
「息子のために生命を投げ出そうとする人間がたいそうじゃなかったら、いったい誰がたいそうな人間であるのだ?」
怒った声で、ミラノ=マスはそう言いたてた。
「しかしな、残された息子の気持ちを考えてみろ。自分の父親が、自分に苦労をかけないために姿をくらますなんて、そんな話をありがたがるわけはあるまい。そんな薄情な人間だったら、最初から父親のためにここまで身を削れるものか」
「だからですよ、ご主人……不思議とこいつは真っ当な人間に育ってくれたもんで……俺みたいなお荷物を背負わせるのが、忍びなくなっちまったんでさあ……」
ラーズが、泣き笑いのような顔になった。
俺の隣では、ユン=スドラがぐっと唇を噛みしめている。
「俺さえいなければ、こいつが無茶をする必要もない……宿屋の仕事だけでも、十分に食っていけることでしょうよ……もしもこいつが人足の仕事で、俺みたいに身体を壊しちまったらって考えると……俺は、たまらない気持ちになっちまうんでさあ……」
「それでも子は、親に生きてほしいと願うものなのです!」
と、ユン=スドラがこらえかねたように大きな声をあげた。
「あなたが子を大事に思うように、子も親を大事に思っているのです。もしもレビが同じ理由で、あなたの前から姿を消してしまったら、あなたはどのような気持ちになりますか? どうか……どうか、レビの気持ちを汲んであげてください……」
ユン=スドラの瞳にもまた、涙が光っていた。
その姿をやわらかい目で見守っていたレイナ=ルウも、「そうです」とラーズに向きなおる。
「わたしの家においては、年を重ねた人間を敬うべしと言いつけられています。年老いた人間は満足に働くこともできませんが、ただその存在だけで子や孫に安らぎを与えてくれるのです。あなたは、その腕でレビの子を抱きたい、とは思わないのですか?」
「へへ……そんな幸せを望むのは、分不相応ってもんでさあね……それに、俺みたいなお荷物を背負ったままじゃあ、レビ自身が幸せな生活ってやつをつかみそこなっちまうでしょうよ……」
「ずいぶん弱気なんですね。絶対に、そんなことはないと思いますよ」
そこで、俺も発言させていただいた。
「あなたは、あきらめがよすぎます。幸福に生きることをあきらめるのは、もっと限界まであがいてからでも遅くはないんじゃないですか?」
「俺はとっくに、限界を迎えちまってますよ……指は足りない、足はきかないじゃあ、どんな仕事にもありつけないでしょうからねえ……」
「そんなことはありません。俺は今日、あなたとレビに商売の話をもちかけようと思っていたんです」
沈痛な面持ちで顔を伏せていたレビが、けげんそうに俺を振り返る。
「商売の話って何だよ? ……ああそうか、本当は今日の夜、アスタが訪ねてくるって話だったんだよな」
「うん。ちょうどいいから、この場でその話をさせてもらおうと思うよ。本当はまず、レビの了承をもらいたかったんだけどね」
それは、俺が昨日の朝に思いついた話であった。こんな騒ぎになっていなければ、今日の夜に俺はアイ=ファをともなって《キミュスの尻尾亭》を訪れていたはずであったのだ。
「実は俺も、宿屋と人足のかけもちは大変なんじゃないかって心配してたんだ。だから、こんな話を思いついたんだよ」
「いったい、どういう話なんだ? それは俺だけじゃなく、親父でも役に立てるような話なのか?」
レビの瞳に、新たな感情が渦巻いていた。それは、狂おしいまでの期待感である。
どうかその期待を裏切りませんようにと願いながら、俺は「うん」とうなずいてみせる。
「俺はね、《キミュスの尻尾亭》でも屋台を出してみたらどうかって思ったんだ」
「屋台? 屋台って、アスタたちみたいに料理の屋台を出せって話かよ? それはちょっと……無理な話だろ」
「どうしてさ? 宿場町の屋台では、50食の料理が売れたら上等って話なんだろう? それで、50食も料理が売れたら、人足の仕事よりもよっぽど割のいい商売になるはずだよ」
仮に料理の値段を赤銅貨3枚に設定すると、50食の売上で赤銅貨150枚。諸経費で半分が消えたとしても、純利益は赤銅貨75枚だ。人足の仕事では、朝から晩まで働いても、稼ぎは赤銅貨30枚にもならないはずだった。
「俺たちの屋台なんて、平均100食ぐらいの料理を売ってるからさ。その半分の数字っていうのは、そんなに高い目標じゃないと思うよ」
「だけどそれは、アスタたちがそれだけの腕を持ってるからだろう? 俺や親父なんて、ずぶの素人なんだから……」
「でも、ミラノ=マスやテリア=マスは、どこに出しても恥ずかしくない腕前だよ。そんなふたりが下ごしらえしてくれたら、立派な料理ができあがるはずさ。……それに俺は、《キミュスの尻尾亭》におすすめしたい、新しい料理があるんだよね」
「新しい料理?」と、テリア=マスがおずおずと反復する。
そちらに向かって、俺は「ええ」とうなずいてみせた。
「それは、キミュスの骨ガラを使った料理です。森辺の祝宴で、ギバ骨スープというのをお目にかけたでしょう? あれを、キミュスの骨ガラだけでこしらえるのですよ」
「キミュスの骨ガラだけで……それで、美味なる料理に仕上げられるのでしょうか?」
「はい。俺たちも、いまではギバとキミュスの両方の骨ガラを使っていますからね。キミュスの骨ガラだけでも立派な出汁が取れることは、立証済みです」
そこには自信があったので、俺は力強く応じてみせた。
「骨ガラを煮込むというのは大変な手間と時間がかかるので、俺たちはあの料理を屋台で出せずにいました。でも、キミュスの骨ガラだけだったら、なんとか朝の内に下ごしらえを済ませることはできるはずです。……なおかつ、俺たちはギバの骨ガラにこだわりをもっているので、キミュスの骨ガラだけで料理を仕上げるつもりがないのですよ」
「それなら……大変な評判を呼ぶことができるかもしれませんね」
テリア=マスの瞳にも、希望の光が灯り始めた。
それを確認してから、俺はラーズに向きなおる。
「ちょっと身体が不自由でも、火の番をしたり鍋をかき回したりすることはできるでしょう? それに、屋台で銅貨を受け取るぐらいの仕事はできるはずです。俺たちも、屋台はだいたいふたりひと組で仕事を果たしているのですよ」
「でも……それっぽっちの仕事で、この宿のお世話になっちまうってのは……」
「それっぽっちとは、聞き捨てならないですね。人足の仕事よりも割のいい商売の話をしているのですよ?」
冗談めかして、俺は笑ってみせた。
「それに、ミラノ=マスとテリア=マスのおふたりだけでは、下ごしらえをしたり屋台を出したりする人手がありません。この商売を成立させるには、あなたがたふたりの力が必要なんです。もちろん雇い主はミラノ=マスなのですから、屋台の稼ぎもミラノ=マスのものですが、あなたがたがきちんと仕事を果たせば、きっと人足の仕事よりも給金を弾んでくれることでしょう」
レビは、必死な面持ちでミラノ=マスを振り返った。
ミラノ=マスは、「ふん」と下顎をさすっている。
「おい、どこの宿屋でも、ギバ料理を屋台で出すことは控えている。それは、お前さんも知っているはずだな?」
「はい。それは俺たちの売上が下がらないように考慮してくれた結果なのですよね。それと同時に、俺たちの料理に太刀打ちできる自信がない、というお言葉もいただいておりますが」
そう言って、俺はまた笑ってみせた。
「宿屋のご主人がたのご厚意は、本当にありがたく思っています。だけど俺たちは、みなさんがどんなに立派な料理を売りに出そうとも、それに負けない料理を作るんだと覚悟を決めています。俺たちに遠慮は不要ですよ」
すると、黙ってこのやりとりを聞いていたレイナ=ルウも、「そうです」とうなずいた。
「復活祭においては、ユーミやナウディスもギバ料理を売りに出していました。宿場町の民がそうしてギバ料理を受け入れてくれたことを嬉しく思うと同時に、わたしは決して負けるものかとひそかに奮起していたのです。町の商売というのは、そうして競い合うものなのではないですか?」
「ふふん。まさか、森辺の民に商いの心がまえを説かれるとはな」
笑みこそもらしていなかったものの、ミラノ=マスは非常に満足げな面持ちになっていた。
「それでいて、俺たちに上等な料理の作り方を教えようというのだから、まったく大した自信家どもだ」
「はい。《キミュスの尻尾亭》でキミュスの骨ガラを使った料理を売りに出したら、ちょっとした名物になるんじゃないでしょうかね。あと、フワノとポイタンの生地にキミュスの卵の殻を使うと、骨ガラのスープによく合うのですよ。キミュス尽くしで、ちょっと楽しくないですか?」
俺が想定しているのは言うまでもなく、キミュスの骨ガラスープのラーメンであった。俺も次の復活祭ではギバ骨ラーメンを売りに出そうと考案していたが、それに先駆けてラーメンを売りに出してほしく思ったのである。
レビとテリア=マスは、くいいるようにミラノ=マスを見つめていた。
その視線に気づいたミラノ=マスは、「ふん」と胸をそらす。
「話はわかった。しかし、ひとつだけ問題があるようだな」
「はい。どのような問題でしょうか?」
「うちの屋台は、すべてお前さんたちに貸し出しているのだ。その契約をどうにかせんことには、屋台の商売をするすべがない」
俺は「ああ」と笑ってみせる。
「そのことでしたら、心配はご無用です。もしも《キミュスの尻尾亭》で屋台が必要になった場合は、マイムが《南の大樹亭》と契約すると言ってくれました。あちらでは、いくつも屋台が余っているそうですからね」
「ふん。根回しはすでに済ませているということか」
ミラノ=マスは大きくうなずいて、ラーズを見下ろした。
「さて、お前さんは、どうするのだ?」
「え……どうすると言われましても……」
「お前さんと息子のために、アスタはこれだけ知恵を絞ってくれたのだ。それに、お前さんが見つかるまでは、宿場町の悪たれどもが必死にあちこちを探し回っていたのだと聞いている。あと、そこでにやにや笑っている風来坊もな」
カミュア=ヨシュは、言われた通りの表情で肩をすくめていた。
「これだけ大勢の人間が、お前さんと息子の行く末を気にかけている。これでもまだ、お前さんはくたばりかけたギーズみたいに死に場所を探すつもりか? お前さんと息子にとって、もっとも正しい道はどこにあるのか、もう一度しっかりと考えなおしてみろ」
ミラノ=マスを見上げながら、ラーズは顔をしわくちゃにしていた。
泣いているのか笑っているのか、判別は難しい。ただ、答えはすでに出ているように思えた。
「……ともあれ、まずはきっちり身体を治すことだな。胸の傷が完全に癒えるまでは、危なっかしくて厨に入れることもできん」
そしてミラノ=マスは、強い視線をレビにも突きつける。
「お前さんのほうは、どうなんだ? 宿の仕事に専念する気持ちはあるのか?」
「はい。ミラノ=マスの許しをもらえるなら、どうか働かせてください」
レビは決然とした面持ちで、そう宣言した。
ミラノ=マスは険しい面持ちのまま、その胸もとを拳で突く。
「言っておくがな、今日の騒ぎはお前さんにも責任のあることなのだぞ。お前さんが無茶をしなければ、親父さんだってこうまで追い詰められることにはならなかったはずだ。小便臭い小僧が、何もかもをひとりで背負い込もうとするな」
「はい。本当に、申し訳ありませんでした」
レビは、これ以上もなく真剣な表情になっている。
その瞳の奥を覗き込んでから、ミラノ=マスは「よし」とうなずいた。
「それじゃあ、俺たちは仕事に戻るからな。今日ぐらいは、親父さんとゆっくりしておけ。……ただし、夜になったらいつも通りに働いてもらうからな」
「はい。ありがとうございます、ミラノ=マス」
深々と頭を下げるレビを尻目に、ミラノ=マスはさっさと部屋を出てしまった。カミュア=ヨシュとレイトがそれに続いたので、テリア=マスも小声でレビに何かを囁きかけてから後を追う。
そうして俺たちは最後に部屋を出たわけであったが、扉の外ではミラノ=マスが立ちはだかっていた。
部屋の扉を閉めさせて、テリア=マスたちを通路の先に追いやってから、ミラノ=マスが俺の前に進み出てくる。
「アスタ、感謝しているぞ。屋台を出すという話は、俺には思いつけなかった」
「はい。俺も昨日までは、まったく頭にありませんでした。テリア=マスがあまりに心配そうな様子だったので、なんとか力になりたかったのです」
「ふん。あいつのうじうじした性分が、今回は役に立ったわけか」
人の悪いことを言いながら、ミラノ=マスはとても穏やかな目つきになっていた。なんとかレビたちの今後を取り決めることができて、ほっとしているのだろう。
「しかし、またお前さんたちに世話をかけてしまうな。キミュスの骨ガラの扱いというのは、そんな簡単に覚えられるものなのか?」
「ひと通りの作業を覚えるのに、それほど時間はかからないと思います。でも、骨ガラの扱いというのは奥が深いので、のちのち自分でも工夫を凝らしたくなるかもしれませんね」
「ふん。あいつらがそれだけ熱心になることを祈るばかりだな」
そうして俺たちも、宿屋の入り口に向かうことになった。
テリア=マスたちは、そこにずらりと立ち並んでいる。まずはテリア=マスからあらためて御礼の言葉をいただいたのち、俺はカミュア=ヨシュに笑顔を向けられることになった。
「さあ、今度は俺が話を聞かせていただく番だね。城下町での話がどのようなものであったのか、お聞かせ願えるかい?」
「はい。それじゃあ、外に行きましょうか。倉庫のところで、ヤミル=レイたちを待たせているのです」
マス家の父娘に別れを告げて、俺たちは宿屋の裏手に足を向けた。
倉庫の前で、ギルルは丸くなっている。ヤミル=レイたちは、まだ荷台の中のようだった。
「お待たせしました」と、俺は御者台の脇から荷台を覗き込む。
すると、帰り道に購入したアリアが飛来してきたので、俺は慌ててキャッチすることになった。
「入ってくるんじゃないヨ! こっちは取り込み中だヨ!」
ツヴァイ=ルティムのひび割れた声が、アリアの後から追いかけてくる。
俺がカミュア=ヨシュと顔を見合わせていると、ヤミル=レイがすうっと姿を現した。
「申し訳なかったわね。さっきの話のせいで、ツヴァイ=ルティムは心を乱してしまったのよ。……まあ、わたしに話をするように言いつけたのはあなたなのだから、何も謝るような筋合いではないかしら」
そのように述べながら、ヤミル=レイは地面に降り立った。
荷台からは、ツヴァイ=ルティムがしゃくりあげる声がかすかに聞こえてきている。それに耳をそばだてながら、カミュア=ヨシュは首を傾げていた。
「あの気の強そうなツヴァイ=ルティムが、泣いてしまっているのか。これは俺も、覚悟を固める必要があるのかな」
「いえ、そんな必要はありませんよ。ツヴァイ=ルティムは……きっと、嬉しさや誇らしさで気持ちを乱してしまったのでしょう」
そのように答えられることを、俺は心から嬉しく思った。
ズーロ=スンの一件もラーズの一件も、何とか丸く収めることができたのだ。俺の心に広がっていた暗雲は、これでようやくすべて晴らすことがかなったのだった。
(なんとも騒がしい1日だったけど……終わりよければすべてよし、だな)
ただひとつ、心にぽつんと黒いものが残されている。
カミュア=ヨシュに笑顔を返しつつ、俺はこっそりシルエルの冥福を祈ることにした。