表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界料理道  作者: EDA
第三十七章 新たな息吹
640/1675

多端の日③~ガズラン=ルティム、かく語りき~

2018.9/8 更新分 1/1

 城下町の会議堂で待ち受けていたのは、マルスタインとポルアースと、そして王都からの使者であるという人物でした。

 どのような身分の者かは説明されませんでしたが、私と同じぐらいの年頃で、かなり腕の立つ人間であったように思います。


 聞くところによると、火急の用件を伝える使者というものは、トトスに荷車を引かせず、その背にまたがって、町から町を移動するそうですね。

 その際には、使者の証である装束に身を包み、銅貨もほとんど持たないのだと聞きます。その装束を纏っていれば、どの町でも衛兵の詰め所や宿舎などで寝食の世話を受けられるために、銅貨を持つ必要がないのだそうです。


 銅貨を持たないのは、盗賊などに襲われないようにするための用心なのでしょう。

 また、そういう早駆けの使者を害するというのは、王国の法でとても重い罪とされているそうですね。

 早駆けの使者を襲っても銅貨を得ることはできないし、また、きわめて重い罪に問われることになる。そういう形で、使者を無法者から守っているのでしょう。そういった使者というのは重大な言伝ての使命をたずさえているのですから、それも当然の話です。


 とはいえ、長い旅をひとりで乗り越えなければならないのですから、使者には屈強な人間が選ばれるのだと思われます。かつてジェノスを訪れた王都の兵士たちの中にも、これだけの力量を持った人間は稀なのではないかと思えるほどでした。


 ――申し訳ありません、いきなり話が横道に逸れてしまいました。ドンダ=ルウらが怒り出さぬ内に、話を進めようと思います。

 最初に話を切り出したのは、ポルアースでした。


「実はですね、先日の大きな地震いで、ズーロ=スンやシルエルといった大罪人たちの働いていた鉱山が崩れ落ちてしまったそうなのですよ」


 とても申し訳なさそうに眉を下げながら、ポルアースはそう言いました。


「ああ、鉱山というのは、鉄や銅などの元となる鉱物を採掘するための場所のことです。鉱物というのは山や谷底の奥深くに眠っているものなので、それを掘り出すために非常な労力がかかるわけですね」


「その鉱山とやらが崩れたということは――ズーロ=スンらは、生き埋めになったということか?」


 そのように応じたのは、グラフ=ザザでした。

 普段はダリ=サウティや私に応対をまかせているグラフ=ザザですが、ズーロ=スンはかつての血族であったので、黙っていられなかったのでしょう。ポルアースはいっそう弱々しげな面持ちになりながら、「ええ」とうなずいていました。


「彼らは、苦役の刑を受けた身でありましたからね。鉱山の中でも、とりわけ崩れやすくて危険な場所で仕事に従事していたのです。それでもまさか、本当に崩落してしまうなどとは想定されていなかったのですが……」


「そのような説明は不要だ。ズーロ=スンは……魂を返すことになったのか?」


 グラフ=ザザは、爛々と目を燃やしていました。

 その迫力に気圧されつつ、ポルアースは「いえ」と首を振ります。


「幸い、一命は取りとめたそうです。崩れた岩盤の下敷きになって、あちこちの骨を折ることになったそうですが……奇跡的に、生きながらえたようであったのですね」


「……そうか。堕落した生活を捨てることによって、あいつもようやく本来の力を取り戻すことができたのであろうな」


「ええ。並の人間であれば、確実に死んでいたという話でありましたね。まことに森辺の狩人の強靭さというのは、比類なきものなのでしょう」


 すると、ダリ=サウティがけげんそうに声をあげました。


「それで、我らにはどのような用向きであったのだろうか? ズーロ=スンが生きながらえているというのなら、とりたてて話はないように思えるのだが」


「ええ、それは……非常に言いにくいことなのですが……」


 そう言って、ポルアースはマルスタインと使者のほうをうかがいました。

 マルスタインは静かに微笑んでおり、使者は探るように我々を見ています。どちらも口を開こうとしないので、ポルアースがしかたなさそうに続けました。


「ズーロ=スンは、重い手傷を負ってしまいました。もとの力を取り戻すには、1年ばかりの時間が必要になるようです。それで……この際、ズーロ=スンには魂を返させるべきではないかと、そのように申しつけられたのですね……」


「何だと?」と、グラフ=ザザが静かに言いました。

 静かですが、その瞳には激情が煮えたぎっていたように思います。ポルアースも、たまらず目を伏せてしまっていました。


「わからんな。それは、どういう話なのであろうか? ズーロ=スンは、死罪ではなく苦役の刑に処されたのであろう?」


 ダリ=サウティは沈着さを保っていましたが、その目にはやはり強い光をたたえています。そしてドンダ=ルウは、マルスタインや使者のほうに視線を送っていました。

 そんな中、ポルアースが決然と答えます。


「これは、王都の審問官からのお言葉であるのです。もはや苦役の刑をやりとげる力が残されていないなら、その魂を返すことで罪を贖わせるべきではないか、と――」


「しかし、1年も経てば力は戻るのであろう? ズーロ=スンは10年の刑を与えられていたのだから、力の戻った後にまた罰を与えるべきではないだろうか?」


「はい。ですからこれは、ズーロ=スンに対する温情である、という話であるのです」


「温情?」と、ダリ=サウティは目を細めました。

 ポルアースは、「はい」とうなずきます。


「話が前後してしまいましたが、ズーロ=スンはあの地震いが起きた際に、目覚しい働きを見せたそうなのです。詳しい話は僕にもわかりませんが、ズーロ=スンが身を挺したことにより、多くの罪人と見張り役の兵士たちが救われたようであるのですよ」


「それはつまり……他の人間を救うために、ズーロ=スンが深手を負うことになった、という意味であろうか?」


「はい。多くの人間を救う代わりに、ズーロ=スンは逃げ遅れて、そのように深い手傷を負ったようなのです。そもそも他者を助けようとしなければ、彼が生き埋めになることもなかったのでしょう」


 そう言って、ポルアースは表情をあらためました。


「それは、賞賛に値する行いであったはずです。ですから、王都の審問官も、ズーロ=スンに温情を与えようという気持ちになったのでしょう」


「……生命を奪うことが、温情となるのか?」


「はい。生命を奪うといっても、首くくりや断首ではなく、服毒による死を与えようという話になっているそうです。苦しむことなく、眠るように魂を返すことのできる、シムの特別な毒ですね。……それは、罪人の中でも貴き身分の人間だけに処される、もっとも温情のある死であるのです」


 会議堂の中が、しばらく静かになりました。

 ダリ=サウティは沈思しており、グラフ=ザザは無言で歯を食いしばっています。その奥歯の軋む音色が聞こえてきそうなほど、グラフ=ザザは凄まじい形相になっていました。


「……ならば、こちらからも提案したい」


 しばらくの後、声をあげたのはドンダ=ルウでした。


「ズーロ=スンに温情を与えようというのなら、最初に取り決められた通り、苦役の刑をやりとげさせてもらいたい。ズーロ=スンにとっても、それが一番の望みであろうからな」


「やはり……ドンダ=ルウ殿も、そのように思われますか?」


「当然だ。10年ののちに故郷へと戻れるのならば、それにまさる喜びはあるまい。たとえどれほど安らかな死であっても、魂を返してしまえば、その喜びを手にする道も失われてしまうのだからな」


 ポルアースは大きくうなずくと、マルスタインのほうに目をやりました。

 マルスタインは、普段通りの穏やかな笑みをたたえながら、初めて口を開きます。


「私もね、同じように言葉を返したのだよ。しかし、その言葉は受け入れてもらえなかったのだ」


「……それは、何故だ?」


「それはね、大罪人を1年も看護するのは理にかなっていない、という理由であるようだ」


 マルスタインの婉曲な言い回しに、ドンダ=ルウは鼻息を噴いていました。


「悪いが、俺たちにもわかる言葉で語ってもらいたい。理にかなっていないというのは、どういう意味だ?」


「大罪人を看護するには、非常な手間と費用が必要となる。まずは逃亡を防ぐために見張りをつけなければならないし、そのための薬や医術師も必要だ。それが1年も続くとあっては、ちょっと看過できない話になってしまうのだろうね」


「それはつまり――」と、グラフ=ザザが底ごもる声をあげました。


「そのような手間や費用をかけるよりも、とっとと生命を絶ってしまえ……という話であるのか?」


「いや、それで王都の審問官を責めることはできないのだよ。その人物は、悪意ではなく敬意をもって、そのような判断を下したのだろうからね」


 マルスタインは卓に両方の肘をつき、組み合わせた手の上に下顎をのせました。


「本来、刑場で手傷を負った大罪人に、手厚い看護などが与えられることはない。最低限の治療は為されるとしても、あとは牢獄で寝かされるばかりだろう。それで魂を返してしまえば、それが西方神の思し召しということだ」


「ならば、ズーロ=スンもそのように扱えばいい」


「そうすると、ズーロ=スンは確実に生命を失うことになってしまうのだよ。彼はあちこちの骨を折っただけでなく、全身にひどい裂傷を負っているという話であったからね」


 マルスタインはうっすらと笑いながら、そのように言葉を重ねました。


「私も刑場の牢獄などを目にしたことはないが、きっとさぞかし劣悪な環境であることだろう。そのような場所で、ろくな看護もなく寝かされていれば、苦しみ抜いた上で魂を返すことになるはずだ。罪人ばかりでなく見張りの兵士たちをも救ったというズーロ=スンに、そのような苦しみを与えるのは忍びないと、王都の審問官はそのように考えたのだろうと思うよ。そうでなければ、わざわざ死罪を申しつける理由はないからね」


「それでは……あくまでズーロ=スンに与えられるのは温情であると、そのように言うのだな?」


「うむ。ズーロ=スンの行いは、王都の審問官の心をも動かしたのだろうと、私はそのように信じている」


 そう言って、マルスタインは身を起こしました。


「では、森辺の族長たちに問わせてもらいたい。王都の審問官からのこの申し出を、受け入れてもらえるかな?」


 グラフ=ザザは、即座に「否」と答えました。


「俺にそのような話は受け入れられん。……異存はあるか、ドンダ=ルウにダリ=サウティよ?」


「ない」と、ドンダ=ルウは低い声で答えました。

 ダリ=サウティも、無言でうなずいています。


「三族長の意見は一致した。たとえそれが温情なのだとしても、俺たちは受け入れることはできん」


「では、どうするべきだと思うのかね? いかに森辺の狩人が強靭であっても、ただ寝かされているだけで傷が癒えることはなかろうと思うよ」


 グラフ=ザザは、いきなり自分の膝に拳を打ちつけました。

 ポルアースはびくりと身体を震わせていましたが、声をあげなかったのは立派だと思います。あの御方も、ずいぶん肝の据わった人物でありますからね。

 と、私がそのように考えていると、グラフ=ザザが火のような目を向けてきました。


「ガズラン=ルティムよ、お前はどう思うのだ?」


「はい。私の意見を述べてもよろしいでしょうか?」


「俺は頭の中身が煮えたぎって、考えがまとまらん。お前であれば、正しき道を示せるはずだ」


 グラフ=ザザにこのような言葉をかけてもらえるのは、光栄の限りでした。

 ドンダ=ルウとダリ=サウティにも異存はないようなので、私は自分なりの意見を申し述べさせていただきました。


「それでは、おうかがいいたします。さきほど、大罪人を1年も看護するのは非常な手間と費用がかかるので、理にかなっていないと仰っていましたが……その内容を、もう少し詳しくお聞かせ願えますか?」


「それは、そのような手間と費用を捻出するすべがない、という意味だね。さきほども言った通り、苦役の刑に服した大罪人を手厚く看護する、という前例が存在しないのだよ」


 マルスタインが、そのように答えてくれました。


「彼らにあてがわれた鉱山というのは、労力に見合わない成果しか望めない場所であるのだ。たとえばズーロ=スンの傷を癒してやれば、1年の後にはまた働くことができるようになる。すでに1年近くの刑期を終えているので、残るは9年ていどだね。その9年で得られる成果よりも、1年の治療でかける費用のほうが、上回ってしまうぐらいかもしれない。だから、ズーロ=スンを看護するのは、そういう意味でも理にかなっていない、ということだ」


「なるほど。苦役の刑というのは、かくも過酷な罰であるのですね」


 私は、そのように答えました。


「では、その費用を我々がまかなえば、ズーロ=スンを治療することも許されるのでしょうか? 見張りの兵士や医術師というものを準備するのにも、銅貨さえあれば事足りるのでしょうか?」


「ふむ」と、マルスタインは目を細めて微笑みました。


「むろん、銅貨さえあれば、治療に必要な人間や設備をそろえることも可能だろう。しかし、それが1年分となると、莫大な額になるはずだ」


「それをまとめて支払うことは難しいかもしれません。ですが、何回かに分ければ可能だと思われます」


 そうして私は、族長たちのほうに視線を戻しました。

 ダリ=サウティが、笑いを含んだ目で見返してきています。


「なるほどな。銅貨でズーロ=スンの生命を救えるならば、安いものだ。幸い俺たちは、アスタのおかげで銅貨を稼ぐすべを得たところであるしな」


「はい。この行いに反対の声をあげる同胞はいないことでしょう」


 するとマルスタインは、「いいのかね?」と問うてきました。


「ズーロ=スンは、森辺の同胞を裏切った大罪人であるはずだ。そんな大罪人を救うために、莫大な銅貨を支払おうというつもりなのかね?」


「我々は、ズーロ=スンが罪を贖うことを心から願っているだけだ。何かおかしなところがあるか?」


 ドンダ=ルウが、仏頂面でそのように答えました。


「ズーロ=スンがあの地震いで魂を返していたのなら、それが母なる森と西方神の思し召しであると受け止める他ない。しかし、銅貨さえあれば死なせずに済むというのなら、是非もあるまい」


「そうか。了承した」


 マルスタインが、使者のほうを振り返りました。


「お聞きの通り、森辺の族長らも私と同じ気持ちであるようだ。審問官には、くれぐれもよろしくお伝え願いたい」


「なに?」と、グラフ=ザザが目を光らせました。


「待て、ジェノス侯よ。同じ気持ちというのは、どういう意味だ?」


「それは、文字通りの意味だよ。私も、銅貨や銀貨で事足りる話であるのなら、それはジェノスでまかなうつもりだと、あらかじめ使者殿に伝えておいたのだ」


「ええ!?」と大きな声をあげたのは、ポルアースでした。


「ちょ、ちょっとお待ちください、ジェノス侯! そんな話、僕は一言も聞かされていませんでしたよ!?」


「申し訳ないが、私は族長たちの真意を知りたかったのでね。其方は存外、腹芸のできぬ気質であるようだから、話を伏せさせてもらったのだ」


「ひどいですよ! 僕がどのような気持ちで、この場に臨んだと思っているのですか?」


 ポルアースは、子供のようにむくれてしまっていました。

 ドンダ=ルウは下顎をさすりながら、マルスタインをねめつけています。


「相変わらず、食えん男だな。俺たちがズーロ=スンを見捨てると述べたてていたら、どうするつもりであったのだ?」


「それはもちろん、私も自分の言葉を取り下げるつもりでいたよ。森辺の民が望まないのなら、ジェノスの予算を割く甲斐もないからね」


「予算? それは、銅貨のことか?」


「うむ。ズーロ=スンを看護する費用は、ジェノスの資産から出させていただくよ。ズーロ=スンは森辺の民である前にジェノスの民であるのだから、当然の話だろう?」


 涼しい顔で言いながら、マルスタインは立ち上がりました。


「では、今日の会談はここまでとする。後の話は私が受け持つので、其方たちは本来の仕事に取り組んでもらいたい」


                    ◇


「……そうして今日の会談は、早々に終わることになりました。帰りが遅くなってしまったのは、その後にポルアースと少し言葉を交わしていたためなのです」


 屋台の裏手にて、ガズラン=ルティムはそんな言葉で一連の話をしめくくった。


「お時間のない中、細々とした部分までありがとうございます。ガズラン=ルティムの記憶力と再現力は相変わらずですね」


「申し訳ありません。話を簡潔にまとめるのが不得手なのかもしれませんね」


 そう言って、ガズラン=ルティムはゆったりと微笑んだ。


「いまのところ、ズーロ=スンは手厚く看護されているようです。銅貨さえ払えば、それをこの先も続けてもらえるという話であるようですね」


「そうですか。よかったです。……本当によかったです」


 そうして俺は、ガズラン=ルティムに頭を下げることになった。


「ありがとうございます、ガズラン=ルティム。本当に、一時はどうなることかと思いました」


「はい。その口ぶりだと、アスタは鉱山が崩れたという話をすでに聞き及んでいたのでしょうか?」


「あ、はい……実はそうなんです。確かな話ではなかったので、みんなには黙っていたのですが……」


「でしたら、私からも礼の言葉を言わせてください。不確かなうちに話を広めていたら、きっとオウラやツヴァイは眠れぬ夜を過ごすことになっていたでしょう」


 ガズラン=ルティムは、いっそうやわらかく微笑んだ。

 しかし、俺は御礼を言われるような立場ではない。


「それを望んだのは、俺ではなくヤミル=レイなんです。俺はたとえ不確かな情報でも、族長たちには知らせるべきなのだと考えてしまいました」


「そうですか。だからアスタは、話をするのにこのような場所を選んだのですね」


 このような場所というのは、ヤミル=レイの働く『ギバまん』の屋台の裏、という意味であった。ヤミル=レイと、それを手伝っているダゴラの女衆には、あらかた聞こえていたに違いない。


「どうぞご安心ください、ヤミル=レイ。……そして私はこの後すぐに森へ入らなければならないので、ツヴァイにはあなたからお伝え願えますか?」


 ヤミル=レイは、なめらかな肩ごしにこちらをねめつけてきた。


「わたしがそのような話をする筋合いがあるのかしら? わたしもツヴァイ=ルティムも、ズーロ=スンとは血の縁を絶たれているのよ?」


「はい。ですが、あなたもツヴァイの心情を思いやってくれていたのでしょう? 私も同じ気持ちですので、あなたがツヴァイに語ってくれることを望みます」


 ヤミル=レイはイエスともノーとも言わず、つんと前方に向きなおってしまった。

 とりあえず、帰りの荷車はツヴァイ=ルティムと同乗してもらおうと思う。


「おい、ガズラン=ルティムよ。いいかげんに戻らなければ、中天を過ぎてしまうぞ?」


 と、背後にとめられた荷車から、ダルム=ルウが険悪な声を飛ばしてきた。

 ガズラン=ルティムは、そちらに向かって「はい」とうなずく。


「それでは、失礼いたします。宿場町で何が起きたのかは、夜にでもツヴァイに聞こうと思います」


「はい。お忙しい中、ありがとうございました。……あ、ちょっとお待ちください!」


 トトスの手綱を取ったガズラン=ルティムに、俺は慌てて呼びかける。


「シルエルの話がまったく出ませんでしたが、そちらはどうだったのでしょう? 彼は無事だったのですか?」


 ガズラン=ルティムは、「ああ」と眉を曇らせた。


「そういえば、私もマルスタインを呼び止めて、それを問い質したのでした。そこまでお話しするべきでしたね」


 その声の感じで、言葉の続きはおおよそ予想することができた。

 そしてガズラン=ルティムは、予想通りの言葉を口にした。


「シルエルは、ズーロ=スンとは異なる鉱山で働かされていたそうですが……そちらはより被害が大きく、大勢の罪人や兵士もろとも、生き埋めになってしまったそうです」


「それじゃあ……助からなかったのですか?」


「はい。生死を確認することができなかったので、正式には行方知れずと言うべきなのかもしれませんが……シルエルは坑道というものの奥深くで働かされていたので、まず助かりようのない状況であったそうです」


 最後の最後で、俺は打ちのめされることになった。

 俺の知る限り、シルエルというのは極悪人である。実の父と長兄を暗殺して、次兄たるサイクレウスや、ひいてはスン家の運命をも狂わせた、すべての災厄の象徴みたいな存在であったのだ。


(シルエルの刑期は20年だったから、ズーロ=スン以上に絶望的な状況だったはずだけど、でも……)


 それでも、事故で生命を失うというのは、痛ましい話であった。

 しかも同じ日に、実の兄であるサイクレウスも深手を負ってしまい、それが原因で魂を返すことになってしまったのだ。


 この世界において、地震は《アムスホルンの寝返り》と呼ばれている。四大神の父たる大神アムスホルンの寝返りによって、ふたりの大罪人が魂を返すことになった。占星師のアリシュナであれば、そこに何らかの意味や理由を見出すことができるのだろうか。


「……シルエルの魂も、西方神によって裁かれたことでしょう。ズーロ=スンは最後に残された大罪人として、生ある内に罪を贖ってほしく思います」


 ガズラン=ルティムは俺をいたわるように微笑んでから、足を踏み出した。


「それでは、失礼いたします。またお時間のあるときは、ゼディアスの顔を見てあげてください」


「はい、どうぞお気をつけて。色々とありがとうございました」


 ガズラン=ルティムを見送ったのち、俺は軽く自分の頬を叩いてから、フェイ=ベイムの待つ屋台に戻ることにした。

 何にせよ、ズーロ=スンが生きながらえる道は残されたのだ。いまは、心からそれを祝福したかった。

 そしてこの後は、《キミュスの尻尾亭》にてレビやラーズと対面する件も残されていたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ