多端の日①~その前日~
2018.9/6 更新分 1/1
「へえ! それじゃあ昨晩は、ドムの家長とともに一夜を明かすことになったのですか!」
翌朝、商売道具を積んでルウ家へと向かう道行きで、ユン=スドラが驚きの声をあげていた。
御者台にてギルルの歩を進めながら、俺は「うん」とうなずいてみせる。
「本当は、家に戻る予定だったんだけどね。先代家長のダン=ルティムに押しきられちゃってさ。……アイ=ファを押しきることができるのは、森辺でもダン=ルティムぐらいかもしれないね」
「そうですか。それにしても、ドムの家長と一夜を過ごすというのは、なかなか得難い体験なのでしょうね」
それはまったく、ユン=スドラの言う通りであった。けっきょく昨晩は大勢の人間が泊まり込むことになったため、男衆は広間で雑魚寝をする事態に至ったのである。
ちなみに家長夫妻とその赤子は寝所であるので、顔ぶれはダン=ルティム、ラー=ルティム、ディック=ドム、そして俺の4名となる。これほど濃厚なメンバーというのは、ちょっとなかなか例を見ないところであった。
だけどそのぶん、有意義な試みでもあっただろう。少なくとも、俺にとっては有意義な体験であった。ラー=ルティムの語ってくれる古い時代の森辺の話も、ディック=ドムが語ってくれる北の集落の話も、俺にはずいぶん興味深かったのである。
そもそも、その両名とこれほど長い時間をともにしたのも、俺にとっては初めてのことであった。双方ともに、寡黙で、厳格で、冗談を嫌う生真面目な気質であったが、俺にはたいそう魅力的に感じられた。それと同時に、モルン=ルティムの祖父とディック=ドムが似たタイプの人間であるということが、俺には非常に喜ばしく感じられたのだった。
ゼディアス=ルティムは数時間おきに夜泣きをしていたように思うが、家長夫妻の寝所はもっとも奥まった場所にあったので、それほど眠りをさまたげられることにはならなかった。むしろ、半覚醒の頭でそれを遠くに聞きながら、何度も幸福な心地をかみしめることになったぐらいである。同じ部屋で眠っていたガズラン=ルティムなどはそのたびに目を覚ましていたはずであったが、朝方に挨拶したとき、その面に浮かぶのはやっぱり喜びにあふれた表情であった。
とまあ、そんな感じで幸福な一夜を過ごしたのち、すみやかにファの家に戻って下ごしらえの仕事を果たし、現在に至るわけである。
俺とユン=スドラの会話が途切れると、そこにティアの声が割り込んできた。
「アスタの大事な友の子が無事に産まれたことは、心から喜ばしく思う。しかし、余所の家で眠るときはアスタとともにあれないので、ティアには不都合だ」
その言葉を聞いたユン=スドラは、「え?」と不思議そうな声をあげた。
「でも、たしかティアは10歳を超えているのですよね? それなのに、普段はアスタと同じ場所で眠っているのですか?」
「うむ。アスタもアイ=ファも同じ場所だ」
「ふうん」と、ユン=スドラの声が笑いを含んだ。
俺としては、背筋に冷たいものを当てがわれている心地である。
「いや、あのね、ファの家にはもともと寝所がなかったから、広間で雑魚寝をする習わしだったんだよ。その習慣が続いているだけで、それ以外の意味はないんだ」
「何も、わたしに釈明する必要はないと思います。ファの家にはファの家の習わしがあるのでしょうから」
ユン=スドラはこらえかねたように、くすくすと笑い声をたてた。
そこに、ティアの声がまたかぶさってくる。
「まあ、アスタのもとにはアイ=ファにも劣らぬ狩人がふたりいたし、何も危険なことはなかったのだろうが……それでもティアは、この身を使ってアスタを守らなければならないのだ」
「ティアも気苦労が絶えませんね。……ティアはルティムの女衆らと夜を明かしたのですか?」
「いや。ルティムには3人も女衆がいたので、ティアはアイ=ファたちとともに眠った」
女衆は数が多かったので、家人と客人でふた部屋に分かれることになったのだ。しぶしぶ宿泊することを決めたアイ=ファであったが、その場にリミ=ルウが居合わせたのは不幸中の幸いであっただろう。
「何にせよ、家人を貸し合っている他の氏族の人々も、こうやって交流を深めているわけだよね。ファやスドラは家人が少ないんでそれに参加できないけど、やっぱりそれは有意義な行いなんだなって再確認できたよ」
「ええ。サウティとヴェラの家人を迎えたフォウとランでも、とても実りのある時間を過ごせていると聞いています。これまでは、サウティの血族とはほとんど関わりがありませんでしたからね」
サウティの血族は、それほどクセのない氏族だという印象がある。だけどやっぱり突き詰めれば、サウティならではの習わしや歴史なども存在するのだろう。ルウ家とスン家が対立していた時代、それに次ぐ勢力でありながら、南の端で静かに情勢を見守っていた、つつましくも力のある氏族であったのだ。俺としても、もっと彼らと交流を深めてみたいという気持ちは強かった。
俺がそんな風に考えていると、前方に荷車の姿が見えた。
その荷車はこちらに向かって駆けていたので、あっという間に行きあってしまう。その御者台で手綱を握っているのはルド=ルウであり、後ろにはもう1台の荷車が控えていた。
「やあ、ルド=ルウ。もしかしたら、北の集落に出向くのかな?」
「あー、けっきょく俺が出向くことになっちまったよ」
ルド=ルウは、仏頂面で頭をかいていた。
「余所の家に遊びに行くのはいいけどよ、半月ってのはちっと長えよな。北の集落の連中は、レイナ姉やちびリミほど美味い料理なんて作れねーだろうしさ」
ルティムの本家で一夜を明かしたディック=ドムたちは、帰りがけにルウの集落に寄って、グラフ=ザザの言葉を届けることになったのだ。後ろの荷台には、レイの人々が乗っているのだろう。
「人数は、やっぱり各氏族から、男女2名ずつかな?」
「あー、しかも全員、婚儀をあげてない若い連中な。モルン=ルティムの婚儀も済んでねーのに、気が早えよな」
御者台の脇から、その若い男女が顔を覗かせる。誰もが見知った顔であったが、本家の人間やシン=ルウの姿はなかった。
(まあ、本家の女衆は宿場町の仕事があるし、シン=ルウは婚約者がいるようなもんだもんな)
俺がそのように考えていると、ルド=ルウが「あ、そうだ」と手を打った。
「なー、アスタに言伝てを頼んでもいいか? いきなりの話だったから、ターラに何も話してねーんだよ」
「ターラに? 何を伝えればいいのかな?」
「ほら、最近俺たちは、宿場町で横笛の手ほどきをされてたろ? ひまなときは、ターラもそこに顔を出してたんだよ。今日から半月は宿場町に行けねーってことを、ターラに伝えておいてほしいんだ」
「なるほど」と応じつつ、若干の疑問を覚える俺であった。
「それで、言伝てはターラだけでいいのかな? 手ほどきをしてくれてたのは、ベンやカーゴたちなんだろ?」
「あいつらは別に、俺がいようといまいと気にしねーだろ。ジョウ=ランとか他の男衆は、今日だって宿場町に下りてるんだしよ」
ルド=ルウは、子供のようにぶすっとした顔をしている。ジョウ=ランたちが羨ましくてならない、といった面持ちである。
(もしかしたら、リミ=ルウだけじゃなくターラに会えなくなることも、ルド=ルウにとってはさびしいことなのかな?)
俺はそのように考えたが、図星だった場合は照れ隠しの痛撃を受けそうな予感がしたので、口にするのはやめておいた。
「じゃ、よろしく頼むぜ? 中天までには、向こうに到着しないといけないからよ」
「うん、了解したよ。北の集落の人たちによろしくね」
「ああ。あいつらにも横笛の楽しさを教えてやるさ」
そんな言葉を残して、2台の荷車は走り去っていった。
好奇心旺盛なルド=ルウであるから、いざ北の集落に到着すれば、さまざまな楽しさを発見できることだろう。向こうにはゲオル=ザザやディック=ドムもいることだし、交流が深まれば幸いであった。
「あの、ルウとザザも今日から家人を貸し合うことになったのですか?」
と、荷車を走らせるなり、トゥール=ディンが背後から呼びかけてくる。
「うん。ルティムとドムはひと月後に延期して、その前にルウとザザ、レイとジーンだけ家人を貸し合うことにしたんだってさ」
「そうだったのですね。ザザからは、またスフィラ=ザザがおもむくという話であったのです」
トゥール=ディンの声は、ほのかに弾んでいるように思えた。スフィラ=ザザは、かつてもルウ家に逗留していたのだ。
「それなら、ルウ家で勉強会をするときは、スフィラ=ザザと顔をあわせることもできるね。というか、宿場町についてきたりもするのかな?」
「はい。きっとそうだと思います」
トゥール=ディンとスフィラ=ザザも、順調に交流を深めているのである。リッドやダナやハヴィラの人々などは、親筋のザザ家に対してかなり恐縮しそうなところであったものの、そちらでも交流が深まれば、よりよい道が開けることだろう。
(やっぱりこの交流の行いは有意義だな。ファの家も参加できればよかったんだけど……家人がふたりじゃ、どうしようもないもんな)
俺とアイ=ファのどちらかだけが余所の家に行くというのは心情的に難しかったし、ふたりいっぺんに出向いてはファの家が空っぽになってしまう。現在はティアという居候も存在することだし、なかなかファの家が参入する道筋は立てられなかった。
そうしてルウの集落に到着すると、待ちかまえていたのはシーラ=ルウとヴィナ=ルウであった。
「おはようございます、アスタ。本日はこちらもいつも通りの人数ですので、ご迷惑をおかけすることはないはずです」
「そうですか。ルティムのふたりも、もう大丈夫なのですか?」
「オウラ=ルティムは、しばらく家に留まることになりました。その間は、他の氏族の女衆でまかなうことになっています」
日替わり要員の3名が、毎日フル出勤するということなのだろう。あとは見習いの3名が一人前に育てば、どうとでもなるはずだった。
「肉の市がある日にはツヴァイ=ルティムも休むことになりますが、そのときはルウ本家の誰かが代わりをつとめてくれるそうです。ルティムのほうも、とりたてて問題は起きていないようですしね」
「ええ。とても元気な子でしたよ。ダン=ルティムのように丸々としていました」
「まあ。それは強き狩人に育ちそうですね」
くすりと笑ってから、シーラ=ルウは御者台に乗り込んだ。
「それでは、参りましょう。ヴィナ=ルウ、宿場町に到着したら、わたしは他の宿屋を巡りますので、屋台の準備はおまかせいたします」
「はぁい、了解よぉ……」
こちらはティアをミーア・レイ母さんに預けて、いざ出発である。
ルティムの子が無事に産まれ、ディック=ドムやラー=ルティムと有意義な一夜を過ごし、俺は気持ちが晴れわたっていた。
氏族間の交流が進んでいることや、中華麺を完成できたことも、心が浮き立つ要因になっているのだろう。ここのところは厄介事も起きていないし、森辺の民の行く末には明るく輝く未来が開けているように思えてならなかった。
(でも、好事魔多しっていうもんな。何が起きても慌てないように、気を引きしめておこう)
そんな自戒が必要になるぐらい、俺は浮き立った気持ちであったわけである。
その後、《キミュスの尻尾亭》に到着した俺は、そこでも余人と喜びを分かち合うことになった。受付台に陣取っていたテリア=マスと、それと立ち話をしていたカミュア=ヨシュおよびレイトにルティム家の一件を報告することになったのだ。
「そうか、ガズラン=ルティムの子が無事に産まれたんだねえ。いやあ、こいつは幸いだった。俺もずっと、西方神に健やかなる出産を祈願していたんだよ」
飄然と笑いながら、カミュア=ヨシュはそのように述べていた。
こういう際のカミュア=ヨシュはへらへらとしていて冗談とも本気ともつかぬように見えてしまうのだが、まあ、いまさら彼の心情を疑うような間柄ではない。これはきっと彼なりの照れ隠しなのだろうと結論づけて、俺は心からの笑顔を返すことにした。
「それで、西方神の洗礼はどのように行うのかな? また城下町まで出向くことになるんだろうか?」
「あ、カミュアはご存知でなかったのですね。新しく産まれた子の洗礼は、宿場町の聖堂で行われることになったのですよ」
それは、ここ最近で城下町の人々と話し合った結果であった。家長会議の数日前に、宿場町の聖堂というものを知った森辺の民が、自らそのように願い出たのである。
「赤ん坊が産まれるたびに、城下町に入る申請をするのは大変ですし、そもそも市井の人たちはそうやって身近な聖堂で洗礼を受けているんですもんね。森辺の民だけ特別扱いする必要はないだろう、という話に落ち着いたわけです」
「なるほどねえ。それはそれで興味深い話だ。俺もその場に立ちあうことは許されるかなあ?」
「それを決めるのは、ガズラン=ルティムですね。まあ、ユーミは了承をもらっていましたから、カミュアだけ断られることはないと思いますよ」
「それでは、是非とも願い出よう! その場合、アスタに言伝てをお願いしてもいいのかな? それとも、自分でルティムの集落まで出向くべきかな?」
「ルティムもいまは慌ただしいでしょうから、言伝てでいいんじゃないですか? ただ、俺よりも表のツヴァイ=ルティムに頼んだほうが、話は早いと思います」
飄々と笑っていたカミュア=ヨシュの細長い顔に、ふっと判別し難い表情がよぎる。
「ええと、ツヴァイ=ルティムというのは、たしかスン家の末妹であった、あの小さな娘さんだよね?」
「はい。それがどうかしましたか?」
「いや、別に。商売中に声をかけるのは悪いから、いまのうちにお願いしておこうかな」
そのように言い残して、カミュア=ヨシュは扉を出ていった。
レイトも俺に意味ありげな視線を向けてから、それを追いかけていく。
(もしかしたら……ズーロ=スンの安否がまだわからないことを気にしているんだろうか)
先日も、カミュア=ヨシュがその件を気にしないわけがないと、レイトにたしなめられたばかりである。なおかつ、俺としてもこの一件をアイ=ファとドンダ=ルウにしか伝えていなかったので、非常な後ろめたさを抱え込むことになっていたのだった。
(でも、安否のわからないうちにツヴァイ=ルティムやミダ=ルウを心配させたくないっていうヤミル=レイの気持ちもわからなくはないし……王都からの使者は、いったいいつ到着するんだろう)
とても晴れがましい気持ちでいる俺にとって、それは心を曇らせる唯一の要因であった。
そんな裏事情を知るすべもないテリア=マスは、ほうっと感じ入ったように息をついている。
「元気なお子が産まれたのなら、何よりですね。わたしはあまりアマ・ミン=ルティムという御方と縁を深める機会がなかったのですが……それでも、心から嬉しく思います」
「ええ、そうですね。本当に元気で立派な赤ん坊でしたよ」
「この前は、婚儀の祝宴に招いていただくことができましたし……こういうおめでたい話は、心が温かくなりますね」
そのように述べながら、テリア=マスはいくぶん切なげな面持ちであるように思えた。
レイトが手伝いをしていないので、本日はあまり仕事もたてこんでいないようであるが、やっぱりレビの姿はない。人足の仕事に出向いているのだろう。
「ええと……レビは元気にやってますか? 人足と宿屋の仕事のかけもちというのは、大変なものでしょう?」
「はい。ですが、そのような苦しさなど微塵も見せず、懸命に働いてくれています。きっと身体のほうはくたびれ果てているでしょうから、無理をしないといいのですが……」
たちまちテリア=マスは、しょぼんとしてしまう。耳を下げた子犬のような風情である。
「レビの親父さんも、ようやく歩けるぐらいになったところでしょう? そちらが完全に元気になるまでは、レビも《キミュスの尻尾亭》の仕事に専念すればいいように思ってしまいますね」
「ええ、わたしもそのように思ったのですが……でも、ラーズの足の怪我は、思ったよりも深いようであるのです」
「そうなんですか? 確かに、いまでも杖をついているようでしたが」
「はい。すでに骨は繋がっているのですが、足の形が曲がってしまったために、今後は杖が手放せないそうなのです。……これでは胸の傷が完全に癒えても、もう人足の仕事を果たすことなどはできないのでしょうね」
ということは、この先もレビがずっと父親を養っていかなくてはならない、ということなのだろうか。
足の不自由な人間に、宿場町で働き口があるのかどうか、俺には察することができなかった。
「どうしてレビばかりが、このような苦労を背負わなくてはならないのでしょう。レビなんて、わたしよりも年若いぐらいなのに……」
「そうですね。でも、テリア=マスとミラノ=マスのおかげで、レビは正しく生きていく道が開けたんです。レビだったら、きっとこの先も大丈夫ですよ」
しかし、口先で何を語っても、テリア=マスを安心させることはできないだろう。
しばし考えた末、俺は「よし」と内心で手を打った。
「あの、レビはいつもどれぐらいの刻限に戻ってくるのですか?」
「え? それは日によって異なりますが……遅ければ、日が沈む寸前ぐらいです」
「そうですか。それじゃあ明日あたりにでも、こちらに顔を出そうと思います。レビにそう伝えておいてもらえませんか?」
今日はアイ=ファも昨日の分まで仕事に励むであろうから、きっと帰りは遅くなる。今日の夜に話をつければ、明日の夜に宿場町へ出向くことはできるだろう。
テリア=マスは、けげんそうに首を傾げていた。
「もちろん、それはかまいませんが……レビにどのようなお話があるのですか?」
「それは、レビに伝えてからテリア=マスたちにお話ししようと思います。何も悪い話ではないので、心配はご無用ですよ」
俺はレビの自主性を重んじたかったので、そのように答えることにした。
レビはいまだ16歳であったが、その身に降りかかった不幸や苦労におし潰されることなく、懸命に生きているのだ。俺としては、自分の行いが余計なおせっかいになってしまわぬように、慎重を期したく思っていた。
その後はテリア=マスから屋台を受け取って、所定のスペースへと向かう。
ツヴァイ=ルティムとの会話を終えたカミュア=ヨシュは、レイトとともに後をついてきた。本日は、主従ともどもスケジュールが空いていたようだ。
「あー、カミュアのおじちゃんとレイトだ! もうギバの屋台に行くの?」
と、露店区域に差しかかったところで、ターラの声が飛んでくる。たくさんの野菜を敷物に広げたドーラの親父さんも、「やあ」と笑っていた。
「今日は朝から賑やかだね。カミュアの旦那、もしアスタたちの屋台に出向くんなら、ターラもご一緒させてもらえないかね?」
「ええ、もちろん。そういえば、最近はターラともゆっくり喋ってなかったね」
カミュア=ヨシュがにんまりと微笑みかけると、ターラは「わーい」と表に出てきた。この両名は、俺と出会う前からの顔馴染みであるのだ。
「レイトとも、最近はあんまりおしゃべりしてなかったよね! あっちで一緒に料理を食べようよ!」
「そうですね」と、レイトは大人びた顔で笑う。自分よりも年幼い人間が相手でもあっても、レイトは口調を変えようとしないのだ。
そうしてターラをも迎えた俺たちは、列をなして街道を進む。
その道行きで、俺はルド=ルウからの伝言を思い出すことになった。
「あ、そうだ。ターラ、ルド=ルウからの言伝てなんだけど……半月ぐらいは宿場町に下りられなくなっちゃったからよろしくな、だってさ」
「え、どうして? 怪我でもしちゃったの?」
とたんにターラが泣きそうな顔になってしまったので、俺は「いやいや」と慌てて手を振ってみせる。
「今日から半月ぐらい、ルド=ルウは別の氏族の家で過ごすことになったんだよ。その家は森辺の北の端にあるから、宿場町まで気軽に下りることができないんだよね」
「そうなんだ……どうして別の家で暮らすことになっちゃったの?」
「それは、交流を深めるためだね。他の氏族の人たちと、もっと仲良くなれるように、そうやっておたがいの家を行き来することになったんだ」
すると、ターラのかたわらを歩いていたカミュア=ヨシュが「へえ」と声をあげた。
「家人を貸し合うという話は聞いていたけれど、それにルド=ルウが選ばれることになったんだねえ。本家の人間であるルド=ルウが血族でない氏族の娘さんを嫁に迎えることなんて、ありえるのかな?」
「さあ、どうなんでしょうね。そもそもルド=ルウには、嫁探しをする気もないように思えてしまいますし」
そのように答えながら、俺がターラのほうに視線を戻すと、そのくりくりとした目はいっそう大きく見開かれていた。
「ルド=ルウは……森辺の誰かと婚儀をあげるの?」
「いや、いまのところ、その予定はないみたいだよ。ルド=ルウもまだ16歳だから、嫁探しは二の次にしてるんじゃないのかな」
「そっかあ」と言いながら、ターラは大きく息をついた。そうして面を上げると、俺ににこりと笑いかけてくる。
「ルド=ルウからそんな話は聞いてなかったから、びっくりしちゃった! そうだよね、ルド=ルウはまだ16歳なんだもんね」
「うん。そもそもルド=ルウは、婚儀とかに興味が薄いみたいだしね」
俺はいちおう、そのように述べておくことにした。
ターラはリミ=ルウばかりでなく、ルド=ルウともきわめて仲良しであるのだ。よもやルド=ルウに恋愛感情を抱いていることはあるまいが、もしも憧れのお兄ちゃん的な存在であるのだとしたら、婚儀をあげるという話はとてもショッキングなのかもしれない。俺としても、カミュア=ヨシュの発言がなければ、婚儀について触れるつもりはなかったのだ。
(ルド=ルウは16歳で、ターラは9歳か。……いまは想像がつかなくても、6、7年後ぐらいにはどうなってるかわからないからな。ガズラン=ルティムだって、婚儀をあげたのは24歳になってからだったんだし)
俺は内心で、こっそりそのように思っておくことにした。
その間に、所定のスペースはもう目の前である。街道の端には、本日も30名ばかりの人々が待ちかまえていた。
「みなさん、おはようございます。いまから準備を始めますので、少々お待ちくださいね」
お客の何名かが、元気に声を返してくれる。それをありがたく思いながら、俺は屋台の準備に取りかかった。
そこに、複数の人影が近づいてくる。
それは、宿場町の衛兵よりも立派な甲冑を纏った、城下町の武官たちだった。
「お忙しい中、申し訳ない。ルウ家の責任者である御方に言葉を伝えたいのだが、よろしいだろうか?」
隣のかまどでクリームシチューの鍋を煮込んでいたヴィナ=ルウが、けげんそうな横目で武官たちを見やる。
「それは、屋台の商売に関わるお話なのかしらぁ……?」
「いや、こちらの商売とは関わりのない話だ。森辺の族長ドンダ=ルウに、言伝てをお願いしたく思っている」
「それなら、わたしがうかがうべきでしょうねぇ……わたしはルウ本家の長姉、ヴィナ=ルウというものよぉ……」
レイの女衆に鉄鍋をまかせて、ヴィナ=ルウが屋台の前にするりと進み出た。
そのフェロモン過剰な肢体にちょっと目を見開きつつ、武官たちは街道の端に引っ込んでいく。他のお客からも聞こえない位置まで下がってから、武官たちは小声で何かをヴィナ=ルウに申しつけたようだった。
ヴィナ=ルウが短くそれに答えると、ひとつうなずいてきびすを返す。何やら仰々しい様子であったのに、引き際はずいぶんあっさりとしていた。
「ヴィナ=ルウ、いったいどうしたんですか? 何やら深刻そうな様子でしたが」
屋台に戻ってきたヴィナ=ルウは、「さあ……?」と色っぽく肩をすくめた。
「わたしは、言伝てを頼まれただけよぉ……明日の朝、三族長に城下町まで出向いていただきたい、だってさぁ……」
「ああ、臨時の会談ですか。いったい何があったのでしょうかね」
「わからないわよぉ……ただ、王都からの使者が到着したので、その内容をお伝えしたい、なんて言ってたわねぇ……」
その言葉で、俺は息を呑むことになった。
そして、ターラと談笑していたカミュア=ヨシュが、静かな笑みをたたえてこちらを振り返る。
「王都からの使者、か。それはきっと、すこぶる重要な話なのだろうね」
先日の大地震で鉱山の事故が多発したため、そこで働かされていたズーロ=スンの身も危ういかもしれない――この場でその話をカミュア=ヨシュから聞いたのは、俺とヤミル=レイとマルフィラ=ナハムの3名のみだった。
そのヤミル=レイとマルフィラ=ナハムは、ひとつ向こうの屋台で『ギバまん』の準備をしている。マルフィラ=ナハムは仕事に没頭していたが、ヤミル=レイは鋭く目を細めて、俺たちの様子をうかがっていた。
(ついに、鉱山の様子が届けられたんだろうか……ズーロ=スンは、どうなったんだろう……)
不安と焦燥の暗雲が、むくむくと胸の中に広がっていく。
それから解放されるには、明日という日を待たなければならないようだった。