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異世界料理道  作者: EDA
第三十七章 新たな息吹
637/1675

祝いの日③~晩餐~

2018.9/5 更新分 1/1

 その夜である。

 俺とアイ=ファとリミ=ルウはルティム本家の客人となり、ともに晩餐を囲むことになった。

 ギルルやブレイブたちはルティム家の猟犬とともに土間で丸くなっており、ティアは末席でちょこんと座っている。名目上、赤き民は客人と呼ぶことのできない存在であるが、もちろんルティム家の人々がティアを疎むことはなく、ともに晩餐を囲むことを許してくれたのだ。そうすると総勢は11名となり、実に賑やかな様相であった。


「いやあ、このようにめでたき日にアスタたちを招くことができて、心から嬉しく思っているぞ! 心ゆくまで、祝いの料理を味わってくれ!」


 その賑やかさの半分ぐらいを担っているダン=ルティムが、ガハハと笑いながらそのように述べ立てると、ツヴァイ=ルティムはいつもの調子で「フン」と鼻を鳴らした。


「その祝いの料理をこしらえたのは、誰だと思ってるのサ。半分がたは、客人たちがこしらえた料理なんだからネ」


「うむ! アスタが手ずからこしらえてくれた料理を口にするのは、ずいぶんひさびさな気がするぞ! モルンの料理などは、もっとひさびさかもしれんがな!」


 普段通りの、豪放磊落なダン=ルティムである。ギバ狩りから戻った際にはもう俺に負けないぐらいの涙を流しながら赤子を抱きしめていたダン=ルティムであるのだが、いまは晴ればれと笑っている。見ているこちらまで笑顔になってしまうほどの、それは幸福そうな笑顔であった。


「では、その料理が冷めてしまわない内に、いただくとしましょう」


 家長たるガズラン=ルティムが両者の舌戦をやんわりと終わらせて、食前の文言を唱え始める。

 オウラ=ルティムはずっとアマ・ミン=ルティムに付き添っていたので、晩餐をこしらえたのはモルン=ルティムとツヴァイ=ルティム、俺とリミ=ルウの4名だ。人々は、その名を唱和することになった。


 赤子は草編みのゆりかごで寝かされており、アマ・ミン=ルティムは寝具で腰から下を覆いつつ、壁にもたれている。モルン=ルティムはその世話をするために、義姉のそばに控えていた。


 家長のガズラン=ルティム、伴侶のアマ・ミン=ルティム、先代家長のダン=ルティム、先々代家長のラー=ルティム、末妹のモルン=ルティム、家人のオウラ=ルティムとツヴァイ=ルティム――俺が家人全員の名を覚えているのは、ルウの本家とこのルティムの本家だけだった。今後はそこに、これから名づけられる赤ん坊も加わることになるのだ。


「さあ、アマ・ミンは何から食べる? やっぱり汁物料理かな?」


 モルン=ルティムが問いかけると、アマ・ミン=ルティムは「そうですね」と微笑んだ。


「食べたい気持ちは強いのですが、身体はずいぶんくたびれ果ててしまっているので……やっぱりまずは、汁物料理が望ましいのだと思います」


「うん。無理をしないで、ゆっくり食べてね」


 保温用のかまどから、モルン=ルティムが料理を取り分ける。

 それは、燻製魚と海草で出汁を取った、特別仕立てのけんちん汁であった。

 野菜とキノコをどっさり使っており、タウ油や砂糖などで優しく味をつけている。肉は、脂身を取り除いたギバのモモ肉でこしらえた肉団子と、同じ内容のミンチを包んだフワノのワンタンだ。


 モルン=ルティムから木皿を受け取ったアマ・ミン=ルティムは、木匙ですくった煮汁を口に運んだ。

 そうして、ほうっと満足げな息をつく。


「ああ、身体に力がしみわたっていくかのようです……でも、みんなにはちょっと物足りないのではないですか?」


「何も物足りないことはないぞ! 他にも山ほどの料理が準備されているからな!」


 同じ料理を盛大にかきこんでいたダン=ルティムが、そこでわずかに眉を寄せる。


「しかし、アマ・ミンはこちらの料理に手をつけることができぬのであろう? 今日ぐらいは、俺たちもすべてアマ・ミンと同じ料理でよかったのだぞ」


「フン。立派な料理をこしらえろと言ったのは、自分だろうにサ」


「それは、アマ・ミンに食べてはならん料理があるなどとは知らなかったゆえだ! こんなに立派なあばら肉を食べられないなんて、あまりに気の毒な話ではないか!」


「あばら肉は、脂が強いですからね。それは、しかたのない話です」


 と、アマ・ミン=ルティムがダン=ルティムに微笑みかける。


「子に乳をやる人間にはそれに相応しい食事が、そうでない人間にはそれに相応しい食事が存在するのです。わたしと同じものだけを食べていたら、狩人としての力が損なわれてしまうかもしれないでしょう? ですから、どうぞお気になさらずに、自分の食べるべき食事をお食べください」


「うむ! 何にせよ、せっかくの食事を残すことは許されんからな!」


 そうして高笑いをあげてから、ダン=ルティムは恵比寿様のような笑顔でアマ・ミン=ルティムを見つめ返した。


「それに、アマ・ミンも満足そうな表情をしているので、ほっとしたぞ! べつだん、このあばら肉を羨む気持ちもないようだな!」


「はい。いまは脂の強い肉を食べたいとは思えないのです。身体のほうが嫌がっているような心地ですね」


 すると、無言でけんちん汁をすすっていたラー=ルティムが、厳粛な面持ちで「うむ」とうなずいた。


「森辺の女衆は子に乳をやる間、ギバの脂をよけて食する習わしにあった。赤子のためにならぬ食事は、そうして身体が嫌がるのやもしれん」


「ふむ。しかし、ぎばかつは毎日食してはならんとアスタは言っていたな。俺の身体は、決してぎばかつを嫌がったりはせんぞ?」


 ダン=ルティムに水を向けられて、俺は「どうでしょう?」と答えてみせた。


「それは、毎日ギバ・カツを食べないように心がけているからではないでしょうか? 毎日毎日ギバ・カツを食べていたら、身体が危機を察して嫌がるかもしれませんよ」


「なるほどな! まあ、毎日ぎばかつでは飽きてしまうし、俺はあばら肉さえあれば満足だ!」


 そう言って、ダン=ルティムは本日1本目のあばら肉をつかみ取った。

 ルウ家で洗練された香味焼きの作法で作られた、炙り焼きのスペアリブである。一口で肉をこそぎ取ったダン=ルティムは、それを咀嚼したのちに「美味い!」と吠えた。


「やはり美味いな! オウラとツヴァイも、これぐらい美味いあばら肉を作れるようになってくれ!」


「やかましいネ。モルンとアスタとリミ=ルウ並の力をつけろって、あまりに無茶な申し出だと思わないの?」


 ツヴァイ=ルティムは、べーっと舌を出していた。オウラ=ルティムは、そんなツヴァイ=ルティムのかたわらで幸せそうに微笑んでいる。


「ダン父さんとツヴァイは相変わらずだね。……アマ・ミン、焼いた肉は食べられそう? これは、ギバの肝臓と心臓を炙り焼きにした料理なんだけど」


「ああ、とても美味しそうですね。少しずついただいてみます」


 特別仕立てのけんちん汁と、レバーとハツの炙り焼き、それにナナールのおひたしというのが、アマ・ミン=ルティムのために作られた料理であった。その中で、レバーとハツの炙り焼きだけは、数に限りがあったので、アマ・ミン=ルティムにしか準備されていなかった。


 薄く切り分けられたレバーの炙り焼きを、アマ・ミン=ルティムが小さくかじり取る。ゆっくりとそれを咀嚼してから、アマ・ミン=ルティムはにこりと微笑んだ。


「とても美味です。シールの果汁がかけられているのですね」


「うん。全部食べられそう?」


「はい。子を孕んでいる間、臭みの強い料理は口にできない時期がありましたが、いまはまったく大丈夫なようです」


 とても穏やかで、温かい空気が広間に満ちている。それを邪魔しないように、アイ=ファとティアは黙々と食事を進めていた。

 そしてもうひとり、ずっと静かにしている人物がいる。アマ・ミン=ルティムはそちらに視線をやって、「まあ」と目を細めた。


「ガズランは、まったく食事が進んでいないではないですか。そのように見張っていなくとも、赤子は逃げ出したりしませんよ?」


「ああ、うん……ついつい、見とれてしまってね」


 ガズラン=ルティムは気恥かしそうに、口もとをほころばせた。

 その視線の先で、赤ん坊はすうすうと寝息をたてている。日中の産声が嘘のように、その姿は安らかであった。


「ルウの本家の長子とは、2歳ほど離れることになったな。しかし、最初からこのように大きければ、すぐに追いつくことができそうだ!」


 何本目かのあばら肉を食したのち、ダン=ルティムがそのように述べたてた。


「俺とドンダ=ルウ、ガズランとジザ=ルウのように、この赤子とルウ家の長子がそれぞれ本家の家長として絆を深めていくのであろう。これでルウとルティムは、3代続いて長子が男児ということになったな!」


「それじゃあ、ダン=ルティムも長子だったのですね」


 俺が相槌を打つと、ダン=ルティムは「うむ!」とうなずいた。


「俺は長子で、下にはふたりの妹がいたぞ! それで俺は5人の子を作ったから……アマ・ミンは、それよりもたくさんの子を産むといい!」


「はい。このように幸福な心地を味わえるのでしたら、何度でも産みたいと思ってしまいます」


 モルン=ルティムからナナールのおひたしを受け取りつつ、アマ・ミン=ルティムはそのように答えた。

 満足そうにうなずいてから、ダン=ルティムは敷物のほうに目を戻す。


「さて、そろそろ他の料理にも手をつけてみるか。……これは、みーとそーすのぱすたとかいう料理だったか?」


「あ、いえ、それは最近、開発した料理です。よかったら、ご感想をお聞かせください」


 それは、中華麺でこしらえた、いわゆるジャージャー麺のような料理であった。

 豆板醤が存在しないので、あくまでそれに寄せた料理である。各人が好きな量を食べられるように、麺と具材を分けておいたので、俺がそれを取り分けることにした。


 まずはホボイの油をからめた太めの中華麺を木皿にすくいあげ、その上に具材の餡をたっぷりと掛ける。タウ油と砂糖とチットの実で甘辛く仕上げたギバのミンチに、タケノコに似たチャムチャムやシイタケモドキを小さく刻んだものも混ぜた、特製の餡である。

 チャッチ粉でとろみをつけた餡には、ミャームーやケルの根やチットの実、それにやっぱりホボイの油も加えて、何とか中華風の味に仕立てあげている。かえすがえすも、ゴマ油に似たホボイの油というのは、中華風の料理を目指すにあたって欠かせない存在となっていた。


 あとは添え物として、モヤシのごときオンダを茹であげたものも準備していたので、それも木皿の隅にトッピングする。パスタの要領でそれを口にしたダン=ルティムは、「うむ!」と目を輝かせた。


「タラパは、使っていないのだな! これは確かに、みーとそーすのぱすたとは異なる料理であるようだ!」


「お味のほどは、いかがでしょうか?」


「美味いと思うぞ! 俺はみーとそーすのぱすたよりも、こっちのほうが好みかもしれんな!」


 ダン=ルティムはわしわしと豪快に、ジャージャー麺モドキをかきこんでいった。

 その姿に、アマ・ミン=ルティムが初めて切なげな表情を垣間見せる。


「アスタ、最近ルウ家で研究されていたちゅうかめんというのは、その料理で使われているのですか?」


「あ、はい。そうです。アマ・ミン=ルティムもご存知だったんですね」


「ええ。勉強会については、いつもオウラやツヴァイが教えてくれますので」


 と、アマ・ミン=ルティムはわずかにもじもじと身を揺する。いつも泰然としたアマ・ミン=ルティムには珍しい仕草である。


「あの……わたしも一口だけ、その料理をいただいてよろしいでしょうか?」


「え? ですがこれは、ホボイの油をふんだんに使っていますし……あと、けっこう刺激の強い食材もそれなりに使っているのですよね」


「はい。ですが、いずれの食材も少量ならば問題はないというお話だったでしょう? アスタはちゅうかめんというものにかなり力を注いでいるようだと聞いていたので、ずっと気にかかっていたのです」


 そのように述べてから、アマ・ミン=ルティムは本家の男衆らに目をやった。


「母となった身でこのような言葉を述べるのは、あまりに甘えていますでしょうか? もちろんわたしも、子を健やかに育てることが一番だと考えているのですが……」


「少量ならば、問題はないのだろう? だったら、何も気にする必要はないと思うよ」


 ガズラン=ルティムが温かい笑顔で応じると、ダン=ルティムも「うむ!」と声をあげた。


「たった一口で、このように美味い料理が毒になるとは思えん! 食べたいものを食べればいいと思うぞ!」


「うむ。子を健やかに育てるには、まず母が健やかであらねばならんのだ」


 ラー=ルティムも、厳格な表情でうなずいていた。

 アマ・ミン=ルティムは心から安堵した様子で「ありがとうございます」と頭を下げる。


「それでは、一口だけ……ガズランのものを分けていただけますか?」


「ああ、もちろん」


 ガズラン=ルティムが木皿を手渡すと、アマ・ミン=ルティムはごく少量だけ、それをすすった。


「ああ、これは……確かにぱすたとは似て異なる料理であるようですね。とても噛みごたえが心地好くて……強い味付けにも負けない力強さがあるようです」


 アマ・ミン=ルティムは感じ入ったように微笑みながら、俺を振り返ってきた。


「アスタはこのちゅうかめんを、ギバ骨すーぷで使うために作りあげたのですよね?」


「はい。実は昨日、近在の氏族の人たちを集めて、大がかりな試食会を開いてみたんです。みんな、満足してくれたようでした」


「そうですか。ギバ骨すーぷは脂が強いので、わたしはしばらく口にすることもできないでしょう」


 そのように述べながら、アマ・ミン=ルティムはとても幸福そうだった。

 その目が、ゆりかごで眠っている赤子に向けられる。


「でも、その後はこの子と一緒に喜びを分かち合うことができるのですね。そう考えると、残念に思う気持ちよりも、喜びの気持ちのほうがまさります」


「うむ! この赤子は最初から、アスタによってもたらされた美味なる食事を口にすることができるということだな! さぞかし強い狩人に育つことだろう!」


 ダン=ルティムがそのように述べたてたとき、アイ=ファとティアが同時に背後を振り返った。


「話の最中にすまぬが、誰かがルティムの集落にやってきたようだぞ」


「うむ。荷車の響きが感じられるな。ドンダ=ルウあたりが赤子の顔を覗きに来たのだろうか?」


 ダン=ルティムも同時に気づいていたようで、驚いた顔をしているのはかまど番だけだった。リミ=ルウも、不思議そうに小首を傾げている。


「ルウの家は、まだ晩餐の最中じゃないかなー。というか、それはどこの家でも一緒だよね?」


「言われてみれば、その通りだな。……おや、しかもこちらではなく、分家の家に向かったようだぞ」


 いったいどのような聴力をしているのか、ダン=ルティムは片方の耳に手をあてながら、そのようにつぶやいていた。

 そして、他の人々がいぶかしそうにしている中、ガズラン=ルティムだけは「なるほど」と口もとをほころばせている。


「つまりこの客人は、本家の場所を知らない人間ということになりますね」


「うむ? ルウの血族であれば、本家の場所を知らぬ人間などおるまい」


「はい。ですから、ルウの血族ではないのでしょう」


 そんなやりとりが為されている間に、母屋の戸板がノックされた。


「失礼します。客人をご案内しました」


 それはガズラン=ルティムの弟である、分家の家長の声だった。

 ガズラン=ルティムは同じ表情のまま、オウラ=ルティムを振り返る。


「オウラ、戸板を開けてもらえますか?」


「はい」とうなずいたオウラ=ルティムが立ち上がると、仏頂面のツヴァイ=ルティムも立ち上がる。

 そうして戸板を引き開けるなり、ツヴァイ=ルティムは「あッ!」と大きな声をあげた。


「何だい、どうしてアンタたちが、こんな時間にやってくるのサ!」


「あら、ひさしいわね、ルティムの家人さん。あなたの家長に取り次いでもらえるかしら?」


 その聞き覚えのある声に、俺も思わず目を見開いてしまう。対照的に、アイ=ファのほうはけげんそうに目を細めていた。

 ツヴァイ=ルティムとオウラ=ルティムが身を引くと、まずは分家の家長がゆったりと土間に踏み込んでくる。そしてその後から、とてつもなく大きな人影と、長身だがすらりとした人影が続いてきた。


「あら、アイ=ファじゃない。まさか、こんなところで会えるとは思ってもみなかったわ」


「レム=ドム……それに、ディック=ドムか。それは、こちらの台詞だな」


 アイ=ファの言う通り、それはドム本家の兄妹たちだった。

 ギバの頭骨を目深にかぶったディック=ドムは無表情に、レム=ドムは皮肉っぽく笑いながら、俺たちの視線を受け止めている。ガズラン=ルティムはひとつうなずいてから、弟のほうに目をやった。


「ご苦労だった。お前は家に戻ってくれ。……オウラにツヴァイ、客人から鋼をお預かりしてください」


「……ほら、聞こえたろ? とっとと腰のものをよこしなヨ」


 ツヴァイ=ルティムが細っこい腕を差しのべると、レム=ドムは刀を鞘ごと外しながら苦笑した。


「どうでもいいけど、ずいぶん居丈高な態度じゃない? あなたの行いは、そのままルティムの品格というものに関わってくるのよ?」


「フン! 最初にケンカを売ってきたのは、どっちだったかネ!」


 レム=ドムはうろんげに首を傾げてから、「ああ」と肩をすくめた。


「もしかしたら、わたしがスン本家の人間たちは気に入らないと言ったのを根に持っているのかしら? あれから1年ぐらいは経っているはずなのに、ずいぶん執念深いことね」


「執念深いのは、生まれつきサ。アンタだって、人のことは言えないように思うけどネ」


「それはまあ否定しないけれど、わたしたちだって同じ集落でディガやドッドと暮らしているのよ? そんなにいつまでも気を立てていたら、身がもたないわ」


 刀を手渡したレム=ドムはくびれた腰に手をやると、笑いを含んだ目つきでツヴァイ=ルティムを見下ろした。


「ディガやドッドは、あなたがたがルティムの氏を与えられたとき、涙をこぼさんばかりに喜んでいたわよ。……これぐらい親切にしてあげれば、あなたも気持ちを入れ替えてくれるかしら?」


「フン! いったいいつの話をしているのサ! そんな話、とっくにディンの娘っ子から聞いてたヨ!」


「あらそう。親切のし甲斐がないわね」


 レム=ドムは、くっくっと人の悪そうな笑い声をたてる。が、それはツヴァイ=ルティムを嫌っているというよりも、ツヴァイ=ルティムをからかって楽しんでいるような所作に見えた。

 その間にディック=ドムから刀を預かったオウラ=ルティムは、穏やかに微笑みながら広間を指し示す。


「さあ、どうぞ。狩人の衣もお預かりいたしましょうか?」


「いや、長居をするつもりはないので、けっこうだ。晩餐の最中に、失礼する」


 ディック=ドムとレム=ドムは土間のギルルたちに見守られながら、広間に足を踏み入れてきた。

 俺とアイ=ファが自分の木皿を持って腰をずらすと、空いたスペースに両名が腰を落ち着ける。ただでさえ人口密度の高かった室内が、それでまたいっそう窮屈になってしまった。


 ドムの兄妹を迎える人々の表情は、さまざまである。

 ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムの夫妻は、至極穏やかな表情で座している。

 モルン=ルティムは驚きが去ると、ちょっと気恥かしそうに頬を赤らめていた。

 ダン=ルティムは陽気に笑っており、ラー=ルティムは鷹のように目を光らせている。つくづく、似ていない親子である。


 レム=ドムに熱い眼差しを送られているアイ=ファは仏頂面であり、リミ=ルウとティアは無邪気な笑顔だ。あとは、何も知らぬ赤子がすやすやと寝息をたてるばかりであった。


「まずは、ルティム本家の長子が無事に産まれたことを、祝福させてもらいたい。さきほどの男衆に聞いたが、赤子は男児であったそうだな」


「はい。予定よりもいくぶん遅い出産となったためか、ずいぶん大きな子が産まれました」


「それは、よりめでたきことだ」


 ギバの上顎の下で、ディック=ドムは黒い瞳を強く光らせている。

 それを見返しながら、ガズラン=ルティムは鷹揚に微笑んだ。


「祝福のお言葉、ありがとうございます。……それで、本日はどのような用向きでルティムの集落にいらっしゃったのですか?」


「うむ。そちらの末妹のモルン=ルティムに言葉を届けるために、やってきた」


 ディック=ドムの眼光が、モルン=ルティムへと向けられる。


「モルン=ルティムよ。お前は北の集落に戻る必要はない。家人とともに、このルティムの家で暮らすがいい」


「え……?」と、モルン=ルティムが不安そうに眉を下げた。

 それに気づいたレム=ドムが、丸太のように太い兄の二の腕をひっぱたく。


「それじゃあ、言葉が足りないでしょうよ。いまのは、兄にして本家の家長たるガズラン=ルティムに子が産まれたのだから、しばらくはルティムの集落で過ごしなさい、という意味よ」


「あ、ああ、そうでしたか……申し訳ありません。てっきり、もう北の集落に来る必要はない、と言われたのかと……」


「そんなわけないじゃない」と、レム=ドムは気安く肩をすくめる。


「今日は話が急だったから、あなたがいつまでルティムの家に留まるかを決める時間もなかったでしょう? わたしたちはギバ狩りで家を離れていたから、そもそも挨拶をするいとまもなかったぐらいだしね」


「わざわざそれを、伝えに出向いてくださったのですか?」


「あとは、族長グラフ=ザザの言葉も伝えに来たのよ。あまり口を使うことを得手にしていない家長の代わりに、わたしが説明するべきかしら?」


 レム=ドムが薄笑いをたたえつつ問いかけると、ディック=ドムは「勝手にしろ」と言わんばかりに、岩のように逞しい肩を揺すった。


「それじゃあ、説明させていただくわね。……ルティムは本家の長子が産まれてしまったから、しばらくは家人も動けないでしょう? だから、家人を貸し合うという例の話は、ルウとレイだけ先に始めてしまうというのは、いかがかしら?」


「なるほど。ルウとレイ、ザザとジーンだけ、先立って家人を貸し合おうということですか?」


「ええ。本来であれば、ドムとルティムこそ真っ先に、おたがいのことを深く知り合うべきなのでしょうけれど……本家の長子が健やかに育つかどうか、それを見守るのも大切な仕事でしょう? 少なくとも、ひと月ぐらいは家人を貸し合うのを見合わせるべきだっていうのが、族長グラフ=ザザのお言葉よ」


「承知いたしました。私もそのように考えていましたし、また、ルティムのせいで他の氏族の交流の機会を奪ってしまうのも心苦しく思っていました。族長グラフ=ザザの申し出を、心からありがたく思います」


 ガズラン=ルティムが静かに一礼してみせると、レム=ドムは「ふふん」と口の端を吊り上げた。


「それじゃあ、モルン=ルティムが北の集落に戻るのも、ひと月後ということでいいかしら?」


「え? わ、わたしもですか? それは確かに、できるだけこの赤子の行く末を見守りたいという気持ちはあるのですが……」


「いいじゃない。これまで長々とドムの家で暮らしていたのだから、ひと月ぐらい離れてみるのも、いい刺激というものよ。これでおたがいの存在が恋しくて恋しくてたまらなくなったら、もう婚儀をあげるしかなくなるでしょうしね」


 モルン=ルティムは一瞬で赤くなり、ディック=ドムは怒気をはらんだ目でレム=ドムをにらみつけた。

 とたんに、ティアが居心地悪そうに身体を揺する。ドンダ=ルウにも匹敵しかねないディック=ドムの迫力に、身体が反応してしまったのかもしれなかった。

 いっぽう、ガズラン=ルティムは涼やかに微笑んだままである。


「そうですね。私も、異存はありません。……モルンも、それでいいかな?」


「は、はい。家長がそう言うのでしたら……」


「それじゃあ、決まりね。族長ドンダ=ルウには、帰りがけにわたしたちから言葉を届けさせていただくわ」


 レム=ドムがそのように答えると、ディック=ドムは重々しくうなずいてから、腰を上げかけた。

 その姿に、ガズラン=ルティムは「お待ちください」と声をあげる。


「もしかしたら、このままドムの家に戻る心づもりであったのでしょうか? 夜の道は危険ですし、北の集落まではあまりに時間がかかってしまいます」


「……しかし、このような夜更けにいきなり訪れて寝所まで借りるのは、礼を失した行いだろう」


「ですが、あなたがたもかつてはルド=ルウを引き止めて、眠る場所を与えたのでしょう? その際に、客人をみすみす危険にさらすのは家の恥になる行いだ、と述べていたはずです。それならば、私もあなたがたを危険にさらすわけにはいきません」


 ガズラン=ルティムの言葉に、レム=ドムは「ほらね」と愉快そうに笑った。


「ルウとルティムは強い絆で繋がれているのだから、そのような話が伝わっていないわけはないと言ったでしょう? それにこちらのガズラン=ルティムは、たいそう物覚えがいいという評判なのよ」


「はい。ドムの家がルド=ルウを遇してくれたように、私たちもあなたがたを遇したいと思います」


 そのように述べてから、ガズラン=ルティムはにこりと目を細めた。


「それに、あなたがたはまだ晩餐を済ませていないのではないですか? 晩餐の後に家を出たのなら、もっと遅い到着になっていたように思います」


「……俺たちは、ルウ家の末弟に晩餐をふるまったりはしなかった」


「では、ドムの家で晩餐が準備されているのでしょうか? あるいは、血族たるディンやリッドなどに向かわれるとか?」


 ディック=ドムが答える前に、レム=ドムが「何の準備もされていないわよ」と口をはさむ。


「ドムの家に戻ったら、わたしに晩餐を作れなどと言っていたのよ、この家長は。わたしはもうかまど番じゃなくて狩人なのに、ひどい話でしょう?」


「……そこのアイ=ファは狩人の身でありながら、アスタを家人として迎える前はかまど番の仕事を果たしていたと聞いている」


「それは、他に人手がなかったからでしょう? ルティムの家に留まるって話になっても、まだあたしに食事を作らせようというのかしら?」


 すると、モルン=ルティムが慌てた様子で身を起こした。


「そ、それでしたら、わたしが準備いたします。この時間では、簡単なものしか作れないかもしれませんが……」


「その言葉を待っていたのよ」と、レム=ドムは悪戯小僧のように笑った。

 すると今度は、ラー=ルティムが「待たれよ」と声をあげた。


「モルンがかまどを預かるならば、モルンもそちらのふたりと同じものを食さねばならん。それが、森辺の習わしというものだ」


「なに!? 父ラーは、ずいぶん堅苦しいことを言うのだな! それでは、どうしろと言うつもりなのだ?」


「知れたこと。そちらのふたりも、いま目の前にある晩餐を食すればいい。それで足りなくなった分を、モルンたち4名が新たにこしらえればいいのだ」


 ダン=ルティムはきょとんと目を丸くしてから、「おお!」と手を打った。


「なるほどな! それならば、古い習わしを守ることもできるわけか。父ラーも、なかなか悪知恵が働くではないか」


「何が悪知恵か。森辺の習わしというのは、民を幸福にするために存在するのだ。最善の道を考えれば、おのずと答えは見えてくる」


 ラー=ルティムはそのように語りながら、鷹のような目でディック=ドムを見据えた。


「家長ガズランのいる場で僭越かもしれんが、儂はそれが最善と考えた。ドムの家長に異存はあろうか?」


 ディック=ドムは真っ直ぐにラー=ルティムの痩身を見返してから、「ない」と首を横に振った。


「この家のかまどを借りてまで、レムに食事を作らせることのほうが、森辺の習わしにそぐわない行いであるように思える。ルティムの長老ラー=ルティムの言葉に従おう」


「ふむ。儂の名を知っておったか」


「それはもちろん、モルン=ルティムからさんざん聞かされていたわよ。あなたはルウ家の先代家長を力比べで負かすほどの狩人であったそうね、ラー=ルティム」


「毎回、負かしていたわけではない。それに、そのような話をモルンに語ったことがあっただろうか?」


「それは、俺が話して聞かせたのだ! かつての家長の偉大さは、孫の代まで伝えねばならんからな!」


 ダン=ルティムがガハハと笑って、敷物の上の料理を指し示した。


「それでは、好きに食べるがいい! どの料理も大皿にのせられているので、これも森辺の習わしに背くことにもなるまいよ!」


 本日は献立が多かったので、大皿から取り分けるバイキング形式であったのだ。家人でないと同じ鍋をつつくことを許されない森辺でも、この形式ならば何とか認められているのだった。

 ディック=ドムは観念した様子で、ギバの頭骨と狩人の衣を身から外す。

 すると、アマ・ミン=ルティムが「あの」と声をあげた。


「その前に、わたしたちの子を抱いていただけませんか? ちょうど目を覚ましたようですので」


「あら、やかましくしすぎたのかしらね」


 レム=ドムは、興味深げに首をのばした。アマ・ミン=ルティムは幸福そうに微笑みながら、赤子を抱きあげる。

 赤子はねぼけまなこで、もにゅもにゅと口もとを動かしていた。

 きっとまだ、満足な視力は備わっていないのだろう。それでも、くっきりと濃い茶色の瞳が、何かを探すように視線を巡らせている。その愛くるしい姿を前に、レム=ドムは「へえ」と弾んだ声をあげた。


「本当に立派な赤子ねえ。けっこう顔立ちもくっきりしているし……ころころと丸っこい姿をしているせいか、先代家長に似ているように見えてしまうわ」


「うむ! 俺の髪の毛は、すっかり抜け落ちてしまったがな!」


 ダン=ルティムも、慈愛にあふれた眼差しで赤子を見つめている。いや、ルティムの人々はもちろん、俺やアイ=ファやリミ=ルウやティアだって、それは同じことだった。たとえ血の繋がりがなくとも、この姿を愛くるしいと思わないわけがないのだ。


 アマ・ミン=ルティムから受け取った赤子を、ガズラン=ルティムがふたりのほうに差し出してみせる。ディック=ドムが動かないので、まずはレム=ドムがそれを受け取った。


「あら、見た目よりも重いのね。それに、ものすごく熱を感じるわ」


「ええ。赤子というのは、大人よりも温もりが強いものなのです」


「ふうん……こんなに小さいのに、生命力の塊を抱いているような心地ね」


 レム=ドムは、にっと口もとをほころばせた。

 それから、赤子をディック=ドムに差し向ける。


「さあ、どうぞ。間違っても、下に落とさないようにね」


「いや、俺は……」と言いかけてから、ディック=ドムはしかたなさそうに手を差し出した。

 この場にいる誰よりも大きな身体を持つ、ディック=ドムである。その逞しい腕に抱かれると、赤子はいっそう小さく見えてしまった。


「……確かに、重いな。落としてはならんという気持ちが、そのように感じさせるのだろうか」


「首さえしっかり支えてあげれば、何も危ないことはありません。……我が子を抱いてくださってありがとうございます、ディック=ドム、レム=ドム」


 ディック=ドムは、光の強い黒瞳で、じっと赤子を見つめていた。

 赤子は誰に抱かれているかもわかっていない様子で、小さな口をもごもごと動かしている。


「どうやら、乳を欲しているようだ。……この子は、何と名付けたのだ?」


「実は、いまだ名付けていません。この夜に、アマ・ミンと決める心づもりでした」


 そう言って、ガズラン=ルティムはアマ・ミン=ルティムと目を見交わした。


「ただ、以前から考えていた名はあります。産まれた子の姿を見て、それが相応しいと感じたときは、そのように名付けようと考えていたのですが……アマ・ミンは、どう思うかな?」


「ええ。わたしは相応しいように思います。もうその名で決めるべきではないでしょうか」


「そうか。それでは、そうしよう」


 ガズラン=ルティムはアマ・ミン=ルティムの肩に手を置きながら、その場にいるすべての人々を見回した。


「この子は、ゼディアスと名付けようと思います」


「ゼディアス……ゼディアス=ルティムか。いくぶん古めかしく聞こえるが、何にあやかっているのだ?」


「ゼディアスは、長老ラーの父――先々代の、さらに前の家長の名です。黒き森からモルガの森に移り住み、最初に産まれたルティム本家の長子となりますね」


 そのように述べながら、ガズラン=ルティムはディック=ドムの手もとに視線を移した。


「そのゼディアスはやがて家長の座を継ぎ、ルウ家の最長老ジバ=ルウとともに、森辺の民の新しい時代を切り開いてくれました。変革の只中にある現在の森辺に産まれ落ちたこの子には、かつてのゼディアスと同じように、強く正しく生きてもらいたいと願っています」


 それからガズラン=ルティムの目が、ゆっくりと俺のほうに向けられてくる。


「それに……これはまったくの偶然ですが、ゼディアスの名には、その変革をもたらしたアスタの名も2文字ほど含まれています。ですから、男児が産まれたときは、是非この名を与えたいと願っていました」


「そうか」とひとつ息をついてから、ディック=ドムはその腕の赤子――ゼディアス=ルティムをガズラン=ルティムに差し出した。


「北の集落には、年老いた人間がほとんど存在しない。いにしえの話をよく知る長老が存在することを、少し羨ましく思う」


「他の氏族の長老と交流を結べば、いにしえの北の一族がどれほど勇猛であったかを聞くこともできるでしょう。いまごろはフォウやランの若い人間が、サウティの長老から古い時代の話を聞かされていると思います」


「うむ……我々が家人を貸し合う際は、長老ラー=ルティムにも是非そのように取り計らってもらいたい」


 ラー=ルティムは、白い眉の下に光る目をわずかに細めた。


「異存はないが、今日この夜にはお前たちがこの場にいる。いにしえの話を聞きたくば、その耳で聞くがよかろう」


「その前に、まずは食事だな! いいかげんに、料理が冷めきってしまうぞ!」


 ダン=ルティムが豪快に声をあげてから、ぐりんと俺に向きなおってくる。


「ただ、どうしてアスタはそのように目を潤ませておるのだ? 俺もアスタも、喜びの涙はさんざん流した後であろう?」


「あ、いえ……どうかお気になさらず」


 言うまでもなく、俺はガズラン=ルティムの言葉に気持ちを揺さぶられてしまっただけだった。

 スドラ家の人々といいルティム家の人々といい、どうして大事な子供たちの名を俺などにあやかろうとするのか。その赤子たちが愛おしければ愛おしいほど、俺は胸の中をかき回されてしまうのだった。


 ガズラン=ルティムとアマ・ミン=ルティムは、そんな俺に優しく微笑みかけてくれている。

 そしてアイ=ファは、溜息をこらえているような面持ちで布切れを差し出してくる。

 そんな中、ゼディアス=ルティムは乳をよこさないつもりなら盛大に泣いてやろうかなという面持ちで、あんぐりと口を開き始めていた。

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