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異世界料理道  作者: EDA
第三十七章 新たな息吹
634/1675

修練の日々③~大試食会~

2018.8/18 更新分 1/1

・今回の更新はここまです。更新再開まで少々お待ちください。

・明日の8/19で、当作は掲載4周年を迎えます。それを記念して、人気投票と番外編の主人公を決めるアンケートを実施しますので、ご興味のある御方は活動報告をご確認ください。

 そうしてさらに日は過ぎて、白の月の21日である。

 ミケルにキミュスの油の手ほどきを受けて、中華麺の研究を始めてから、5日目のことだ。

 その日は屋台の休業日であったが、ファの家には朝からたくさんのかまど番が押しかけていた。


 むろん、勝手に集まったわけではなく、俺がお願いして人手を借りたのだ。

 それは、ギバとキミュスの骨ガラで、出汁を取ってもらうためだった。

 これまでの期間で中華麺に関してはいちおうの完成にこぎつけられたので、それを極上のスープで味見してみようという話に至ったのである。


 が、試食のためだけに骨ガラの出汁を取るというのは、かなり贅沢な話である。特にギバの骨ガラというのは臭み取りのためにさまざまな食材を必要とするし、キミュスの骨ガラよりも仕上げるのに時間がかかってしまう。そこまでするならば、近在の氏族の晩餐として大量のスープを作ってしまおうという結論に落ち着いたのだった。


 ということで、ファの家のかまどでは朝一番からフル稼働で骨ガラが煮込まれることになった。

 その作業に従事してくれているのは、フォウ、ラン、スドラ、ディン、リッドの精鋭たちである。試食の時間にはさらに多くの人々が集まる予定になっていたが、現在のところは各氏族から2名ずつのかまど番が集まってくれていた。試食会の後にスープと中華麺が分配されるのも、これにファを加えた6氏族のみである。


「何だか骨ガラを煮込んでいると、祝宴を思い出して、胸が弾んでしまいますね」


 そのように述べていたのは、ユン=スドラであった。スドラの家からは、もちろん彼女が参上していたのだ。ディンの家からはトゥール=ディン、リッドの家からは普段屋台の手伝いをしている女衆と、こちらもお馴染みのメンバーである。


「これは実際、宴料理と同じものを作っているわけですからね。たとえひと品でも、家人たちは大喜びしています」


 と、リッドの女衆も笑顔でそのように述べていた。

 ちなみに、この仕事に賃金は発生しない。その代わりに、食材の代価をすべてファの家で受け持っているのだ。臭み取りのための食材と、油を絞るためのキミュスの皮、そして中華麺を作製するための食材を、なんだかんだで100名分ぐらいも準備したのだから、これはなかなかの出費となる。が、家長たるアイ=ファは「近在の氏族と喜びを分かち合うためなら、かまわんぞ」と言ってくれていた。


「中天を過ぎたら、ルウの人々もやってくるのですよね?」


「はい。味見だけでもさせてほしいという話であったので、招待しました。あとは、ファの家の仕事を手伝ってくれている氏族からも、2名ずつ訪れるはずですよ」


 これほど大々的な試食会というのは、かつてなかった話である。ミケルの手ほどきでより味の向上したギバ骨スープと、俺の開発した中華麺で、集まった人々に喜んでもらえたら幸いであった。


 と、そこにノックの音色が響きわたる。

 数日前と同じように、アイ=ファが客人をともなって現れたのだ。


「アスタよ。サウティとヴェラの女衆が挨拶をしたいそうだ」


 今日は最初から扉を開けたままであったので、アイ=ファの背後にそれらの人々が立ち並んでいるのが見えた。

 が、かまど番ばかりでなく、若い男衆の姿も見える。男女2名ずつで、合計4名だ。


「ファの家のアスタ、おひさしぶりです。古い話となりますが、森の主や北の民の一件ではお世話になりました」


 あまり見覚えのない狩人が、笑顔でそのように述べてくる。おそらくは、サウティの家人であるのだろう。それ以外の3名も、きわめて好意的な面持ちで俺を見やっていた。


「どうも、おひさしぶりです。みなさんが、フォウとランの家に逗留されるのですね?」


「はい。今日から半月ほど、世話になる予定です」


 それは、この数日で新たに取り決められた話であった。

 なんと、サウティの血族とフォウの血族が、家人を貸し合うことになったのである。


「家長会議において、森辺の民は血族ならぬ相手とも交流を深めるべきという話に至ったのだからな。サウティも、族長筋として規範を示すべきであろう」


 ダリ=サウティは、そのように述べていたらしい。

 そこでフォウの家が選ばれたのは、もともとダリ=サウティとバードゥ=フォウの間に交流があったことと、そしてやっぱりファの家の存在が関わっているらしかった。俺の手が空いていれば、サウティとヴェラのかまど番にも手ほどきをお願いしたい、という話であったのだ。


「俺たちも、皆のおかげで新たな食材に手をのばすゆとりが出てきたからな。どうかよろしくお願いしたい」


 俺のもとには、そのような伝言が届けられていたのである。

 そうした家長の決定に、誰も異存はなかったのだろう。その場に立ち並んだ4名の男女は、みんな朗らかな表情をしていた。


「それにしても、すごい香りですね。これはいったい、何の料理をこしらえているのですか?」


 と、ヴェラの女衆がかまど小屋の様子を見回しながら、そのように発言した。これはたしか、肉の市場の仕事を受け持っている女衆である。


「これは、ギバとキミュスの骨ガラを煮込んでいるのです。昼下がりに試食の会を開きますので、よかったらそのときにまたいらしてください」


 そのように答えてから、俺は首を傾げることになった。


「ところで、もうすぐ次の市が開かれますよね。あなたはこちらに逗留しながら、市場の仕事を続けるのですか?」


「あ、はい。フォウやランには計算の巧みな女衆もいらっしゃいますし、そちらから手ほどきをしていただければと……宿場町に向かう際は、ラヴィッツの方々に同行をお願いすることになっています」


 と、何故だかその女衆は頬を赤らめていた。

 やはり未婚で、16、7歳ぐらいの女衆である。他の3名は、温かく微笑みながらその姿を見守っていた。


「では、昼下がりにまた女衆のみをよこすことにします。仕事の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 そんな言葉とともに、サウティの血族の人々は去っていった。

 それからしばらくの後、フォウの女衆が俺に笑いかけてくる。


「実はですね、アスタ。フォウの家が市場の仕事を受け持っていた際、わたしの弟が護衛役を担うことが多かったのですが……そのときに、サウティの血族とも縁を結ぶ機会があったそうなのです」


「ああ、引き継ぎの期間は、一緒に宿場町に下りてましたもんね。それがどうかしましたか?」


「いえ。ただ、わたしの弟は、ヴェラからあの女衆がやってくると聞いて、ひどく喜んでいたように思います」


 すると、ランの女衆もくすくすと笑い始めた。


「サウティの人間はフォウの家で、ヴェラの人間はランの家で預かることになっているのですが、それを逆にすることはできないのか、などと言いたててもおりましたね。やはり親筋は親筋同士ということで、その言葉は聞き入れられなかったようですが」


「まったく、粗忽な弟でお恥ずかしい限りです」


 要するに、フォウの男衆とヴェラの女衆が、それぞれ相手を見初めることになった、という話であるのだろうか。それはなかなかに、驚きを禁じ得ない話であった。


「それはそれは……フォウとヴェラで婚儀をあげるようなことになったら、それはすごいことですね」


「ええ。ルティムとドムはおたがいに族長筋の眷族ですが、わたしたちはそうではありませんからね。そのような話が、本当に実現するのかどうか……家長とともに、わたしも弟の行く末を見守りたいと思います」


 すると、ディンの女衆も「へえ」と明るい声をあげた。


「ジョウ=ランとユーミの話だけでなく、サウティの血族ともそのような話があがっているのですか。わたしはおめでたいことだと思いますが、家長たちは頭を抱えているかもしれませんね」


「そうですね。でも、これもファの家と絆を深めてきた結果なのだろうと、家長も最後には笑っていましたよ」


 そう言って、フォウの女衆は笑顔で俺を振り返ってきた。


「異国の生まれであるアスタを家人に迎えることで、ファの家はこれほどの力をつけることになりました。フォウの家も、むやみに変化を恐れるべきではないのだろう……と、家長はそのようにも言っていたのです」


「そうですか。バードゥ=フォウは、本当に立派な御方だと思います」


 確かに、宿場町の民や族長筋の血族と婚儀をあげるなどというのは、小さき氏族にとって驚天動地の出来事であるに違いない。すべての家人を明るい行く末に導かなければならない家長の身としては、大変な心労であるはずだった。


(でも、きっと悪い結果になったりはしないさ。森辺の民は、これだけ純真な心を持った人間の集まりなんだからな)


 そんな思いを胸に、俺はギバ骨の灰汁取りに励むことにした。


                 ◇


 そうして、昼下がりである。

 正確には、下りの三の刻。いよいよギバ骨スープと中華麺の下ごしらえが完了したところで、ファの家には大勢のかまど番が押し寄せることになった。

 ルウの家からは、レイナ=ルウとシーラ=ルウとリミ=ルウとララ=ルウ、そして客分のミケルとマイムがやってきている。リミ=ルウとララ=ルウは、ルウ家で行われたじゃんけん大会でこの座を勝ち取ったらしい。


 そして、ファの家の商売に関わっている、ガズ、マトゥア、ラッツ、ミーム、ベイム、ダゴラ、ラヴィッツ、ナハムからも2名ずつの女衆が訪れて、ハヴィラ、ダナ、サウティ、ヴェラの人々も招待している。もともとかまど小屋に陣取っていた10名および俺とティアまで加えると、総勢42名という、なかなかの人数であった。


 とりあえず、客人たちにはかまど小屋の前に準備した敷物に座して、お待ちいただく。その間に、俺たちは試食用の料理を準備することになった。


 ギバとキミュスの骨ガラの出汁をブレンドさせて、タウ油や砂糖やニャッタの蒸留酒などで作製したタレをあわせる。その出汁に関しては、ギバのほうが強火の白湯仕立て、キミュスのほうが弱火の清湯仕立てとなっていた。


 これらのスープにはギバのラードとキミュスの油まで合わせるので、従来の白湯のみの出汁だと、あまりに油分が強くなってしまう。白湯というのは、強火で溶け出した骨髄や脂が乳化したことによって白く濁るのだから、もともとたくさんの油分を含んでいるものであるのだ。

 そこで俺は、キミュスの骨ガラのみ、清湯で仕上げることにした。そちらの飲み口を軽くすることで、なんとか油分との折り合いをつけようと考えたのだ。


 中天を過ぎて、骨ガラの出汁が仕上がった後、中華麺の作製は他のかまど番におまかせして、俺はトゥール=ディンとのふたりがかりで、その配合を完成させていた。確かにこれは、祝宴の当日にぶっつけ本番でこなせる作業ではなかったことだろう。その甲斐あって、俺たちは満足のいく新たなギバ骨スープを完成させることがかなったのだった。


 そうして完成したスープに、この数日間の成果である中華麺を茹であげて、投入する。

 こちらもフワノとポイタンとキミュスの卵、それに水と塩と卵殻の分量を大幅に見直して、かなり理想に近いものに仕上げることができていた。


「それでは、できあがった分から配っていきますね。これは時間が経つと味が落ちてしまうので、受け取った人はすぐに味見をお願いします」


 俺はラーメン屋の店主の気分で、次々と麺を茹であげていった。

 あくまで試食であるので、ひとりにつきせいぜい50グラムていどの分量であるが、それでも42名分であるのだから、これは大仕事だ。麺を鉄鍋に投じては砂時計をひっくり返し、仕上がった分は木皿に移す。他のかまどでは、トゥール=ディンとユン=スドラが同じ仕事を受け持ってくれていた。


 朝から火を炊きっぱなしであるために、かまど小屋には熱がこもってしまっている。そんな中、俺たちは手ぬぐいを首にかけて、料理に汗が落ちてしまわないように注意を払いながら、次々と料理を仕上げていった。


 かまど小屋の外からは、歓声ともつかない人々の声が聞こえてきている。それを励みに、俺たちは黙々と仕事に従事した。

 そこに侵入者がやってきたのは、ようやく作業の終わりが見えてきた頃合いであった。


「アスタ、まだ終わらないのー? レイナ姉たちが、感想を言いたくてうずうずしてるよー?」


 その言葉から察せられる通り、侵入者はリミ=ルウであった。

 新たな麺を鉄鍋に投じて、砂時計をひっくり返してから、俺はそちらに笑いかけてみせる。


「あとは自分たちが食べる分ぐらいなのかな。リミ=ルウの感想は、どうだった?」


「すっごく美味しかったー! よくわかんないんだけど、やっぱりぱすたとはちょっと違う感じがするね!」


 白い湯気の向こうで、リミ=ルウは満面に笑みを浮かべている。朝からの苦労を癒されるような笑顔であった。


「ぱすたよりももちもちしてて、ふわっていい匂いがするんだよねー。あと、どうして形がうねうねしてるの?」


「それは茹であげる前に、少しだけ手でこねているんだよ。そうすると、また食感が変わるみたいだからさ」


 いわゆる、縮れ麺というやつである。そうすると、スープがよくからむのだとか、逆にスープがからみづらいのだとか、諸説あるらしい。その真偽はどうあれ、俺は中華麺の食感を強調するために、縮れさせる手法を取り入れたのだった。

 太さは焼きそばのときよりもやや太めに仕上げており、中太麺ぐらいの見当であろうか。それもまた、スープとの相性を考えた上で取り決めた、俺なりの最適解であるつもりだった。


「それじゃあ、外で待ってるね! トゥール=ディンたちも、おつかれさまー!」


 元気いっぱいに言いながら、リミ=ルウはすみやかに退散していった。

 そこで、配膳係を受け持っていたフォウの女衆が笑いかけてくる。


「外に持ち出すのは、あと3皿ですね。あとは、わたしたちの分であるようです」


「そうですか。みなさん、お疲れ様でした」


「いえ。本当に祝宴のようで、楽しい心地です」


 表の人々の賑わいが、そのような思いに拍車をかけるのだろう。かまど小屋にこもっている俺でさえ、非常な熱気を感じることができているのだ。


 そうして最後の麺まで茹であがり、3皿分は外に運ばれていく。

 残りの12食分は、俺たちの取り分であった。


「ほら、ティアの分も用意しておいたよ。腹の足しにはならないだろうけど、よかったら食べな」


「うむ。さっきから、ずっと腹が鳴っていたのだ」


 ティアは嬉しそうに笑いながら、木皿を受け取った。

 他のかまど番たちも、笑顔で俺を取り囲んでいる。


「それでは、表の人たちの感想を聞く前に、俺たちも味見をしておきましょう。みなさん、お疲れ様でした」


 もともとの分量は50グラムていどであるものの、茹であげると水で膨らむので、3割ぐらいは嵩が増している。この加水率というのも食感に大きな変化を与えるために、麺を作製する段階で塩と水の量を試行錯誤することになったのだ。


 白濁したスープには、はっきりと油の膜が張っている。

 そのクセのある芳香をぞんぶんに楽しんでから、俺は麺をすすり込んだ。

 コシの強い、確かな食感だ。濃厚なるスープの向こう側に、中華麺らしい独特の風味も感じられる。俺としては、パスタとも十分に差別化できている自信があった。


 麺もスープも、どっしりとしている。ただし、塩気はそこまで強めていない。力強い料理を好みつつ、過剰な味付けは好まない森辺の同胞のために、最善を求めた結果である。

 それでもこれだけ出汁がきいていれば、やっぱり濃厚という印象が強い。キミュスの油の効果もあって、それは以前のギバ骨スープパスタよりも格段に美味しく感じられた。


(ああ、これはまぎれもなく、ラーメンだ。俺はついに、森辺でラーメンを作りあげることができたぞ)


 もともと俺は、《つるみ屋》のメニューに加えたいぐらい、豚骨ラーメンというものを好んでいたのだ。江戸の敵を長崎で討つ――というのは、あまり適切な表現ではなかったかもしれないが、とにかく俺はかつての思いを成就させたような心地でその試食品をたいらげることになった。


「ああ、とても美味です。わたしたちは、今日の晩餐でもこの料理を味わえるのですね」


 ランの女衆が、しみじみとした声でそのように述べていた。


「家人たちの喜ぶ顔が、目に浮かぶようです。アスタ、本当にありがとうございました」


「いえ、お礼を言うのはこちらのほうですよ。俺ひとりで骨ガラの出汁を取るのは、かなり難儀な話ですからね」


 そうだからこそ、俺は近在の氏族を巻き込んで、このように大がかりな試食会を開くことになったのだ。食材の代価を受けもったのも、そういった感謝の気持ちの表明であった。


「では、表のみんなの感想をうかがいに行きましょうか。どんな感想をもらえるか、楽しみなところですね」


 そうして俺たちがかまど小屋を一歩出ると、大勢の人々がわっと押し寄せてきた。

 その先頭にいたレイナ=ルウが、真剣きわまりない面持ちで俺に顔を寄せてくる。


「アスタ、とても美味でした。このすーぷはルウ家でも作ることが可能だと思いますが……アスタがどうしてちゅうかめんというものにこだわっていたのか、ようやく理解できたように思います」


「はい。ほのかな風味とわずかな食感だけで、このように異なる料理に仕上がるのですね。まるでヴァルカスを思わせる、見事な調和であったと思います」


 そのように言葉を継いだのは、シーラ=ルウであった。リミ=ルウはその足もとで、にこにこと笑っている。


「そんな風に取り囲んだら、アスタも困っちまうでしょうよ。もう少し、広い場所に移りませんかね?」


 と、ラッツから訪れた年配の女衆が、笑顔でそのように意見した。

 興奮さめやらぬ人々は、名残惜しそうに引き下がっていく。とりあえず、この仕事を成し遂げた11名が各所に散って、それぞれが感想をうかがうことにした。


 レイナ=ルウたちはぴったりと俺に寄り添っており、ララ=ルウは肩をすくめてトゥール=ディンのほうに向かっていく。そして、人混みをかきわけながら、ミケルとマイムが近づいてきてくれた。


「アスタ! ものすごく美味でした! あれに肉と野菜を入れたらどれほど美味になるのかと、想像しただけで目が回ってしまいそうです!」


 まずはマイムが、そのように述べてくれる。

 そのかたわらで、ミケルは「ふん」と鼻を鳴らしていた。


「豪快なんだか繊細なんだかよくわからぬ料理だったな。まあそれも、以前との差を知っているゆえか」


「うん! 料理そのものは力強い仕上がりなのに、それを組み立てる手際が、ものすごく繊細に感じられるんだよね! キミュスの油と卵の殻を使っただけでこんなに印象が変わるなんて、まるで魔法みたいだよ!」


 そのように応じてから、マイムはまた俺に向きなおってきた。


「新しい料理を作りあげて得られた自信が、またしぼんでしまいそうです。アスタは、本当にすごいです!」


「いやいや、前にも言ったかもしれないけど、俺は故郷の料理の再現を目指しているだけなんだよ。お手本があって成し遂げられたことなんだから、そこまで大した話ではないはずさ」


「ふん。手本を持たぬ料理人など、この世に存在すまい。俺だって城下町で口にした料理を手本にしているのだから、お前との間に違いなどないはずだ」


 そう言って、ミケルがぐいっと顔を寄せてきた。


「お前が大した人間でなければ、他の料理人ものきなみ価値を下げられることになる。謙虚に振る舞うのも、ほどほどにしておけ」


「はい、恐縮です」


 これもきっと、ミケルなりの激励であるのだろう。ミケルほどの料理人にこのような言葉をいただくことができて、俺は心から誇らしかった。


「アスタ、さきほどの料理の作り方も、手ほどきしていただけるのでしょうか?」


 と、ひとりの女衆がおずおずとした様子で、そのように問うてきた。

 名は知らないが、ガズの女衆である。屋台の商売を手伝ってくれているほうの女衆は、その隣で期待に瞳を輝かせている。


「ガズでは、まだ骨ガラの扱いを習得していないのですよね? 臭み取りの食材や調理で使う薪などをそちらで準備していただけるようでしたら、休業日に手ほどきすることは可能ですよ」


「そうですか! あれほど美味なる料理のためであれば、わたしが家長を説得してみせましょう!」


「でも、あのすーぷを仕上げるには長きの時間がかかるのですよね? アスタのご迷惑になったりはしませんか?」


 もうひとりの女衆がちょっと心配げな顔になっていたので、俺は「大丈夫ですよ」と答えてみせた。


「俺も自分の手で出汁を取る機会は少ないので、数を重ねることができればいい修練になります。それに、この料理はすべての同胞に味わってもらいたいという思いもありますから、喜んでお手伝いをさせていただきたく思います」


「ならば、わたしたちも手ほどきを受けたく思います」


 と、横から声をあげてきたのは、朝方に挨拶に来てくれたサウティの女衆であった。


「それじゃあ次回は、朝からみなさんに集まっていただきましょう。それに、これから晩餐用の中華麺をこしらえますので、よかったらそれも見学していってください」


 その申し出には、とてもたくさんの女衆が参加を希望することになった。ここ数日の勉強会に参加していない人々にとっては、中華麺そのものが未知なる料理であったのだ。

 ギバ骨スープの習得には時間がかかるし、実際に手がけられる機会も限られている。が、中華麺であれば焼きそばなどの簡単な料理に使うことができるので、汎用性は高いことだろう。また、すでにパスタの作製を習得している人間であれば、すぐに身につけることができるはずだ。


 トゥール=ディンやユン=スドラたちも、あちらこちらで質問責めにあっている。また、マルフィラ=ナハムなどは輪から外れて、ひとり滂沱たる涙を流していた。

 マルフィラ=ナハムは過剰反応であったとしても、ギバ骨ラーメンに無関心でいられるかまど番は皆無な様子である。俺は確かな手応えを感じながら、その日の試食会を終えることができた。


                 ◇


「まあそんな感じで、ギバ骨ラーメンはどの氏族の人たちにも喜んでもらえたみたいだよ」


 夜になり、母屋のかまどで中華麺を茹であげながら、俺はそのように語ってみせた。


「スープと麺だけの試食品だったのに、想像以上の反響だったよ。やっぱりギバ骨の出汁というのが、森辺の民の好みに合うみたいだな」


「ギバの持つ生命力を、文字通り骨の髄まで絞りあげた料理であるのだから、森辺の民の好みに合うのが当然であろう。それは以前からわかりきっていたことだ」


 そんな風に答えながら、今宵はアイ=ファもそわそわと身をゆすっている。ついにギバ骨ラーメンの解禁となって、期待がおさえられない様子である。

 試食は先に済ませてしまったものの、具材までそろえた完成品を作るのは、この晩餐が初めてのことだ。俺も気持ちがはやるのをおさえながら、砂時計の砂が落ちきるのを待ちかまえていた。


 足もとでは、つい先ほどまで火にかけられていた出汁の鉄鍋が、蓋をされて鎮座ましましている。味付けのタレとトッピングの具材も準備万端で、あとは麺が茹であがるのを待つばかりであるのだ。


 そして本日は焼き餃子と野菜たっぷりの回鍋肉も準備していたが、そちらはあくまで副菜だ。焼きポイタンの準備もないし、この夜はとっておきのラーメンで腹を満たしてもらいたく思っていた。


「よし、もうすぐ砂が落ち切るぞ」


 俺は手早く大ぶりの深皿に出汁を取り分けて、そこにタウ油ベースのタレを投入した。

 それを攪拌し、ギバのラードとキミュスの油も投入する。ラードはあっという間に溶けて、黄金色のキミュスの油とともに、スープの表面に膜を張った。

 そののちに、砂時計の砂が落ち切ったのを確認してから、麺を鉄のざるに引き上げる。そうして入念に湯を切ると、3つの皿に麺を投じた。


 トッピングは、ギバのチャーシューとナナールとオンダ、そして褐色に仕上がった煮玉子である。チャーシューをどっさりのせているので、正確にはチャーシューメンと称するべきであろう。


 これにて、料理は完成だ。

 俺は、じりじりと待ち焦がれているアイ=ファとティアの前に、その皿を置いてみせた。


「お待ちどうさま。冷めないうちに、召し上がれ」


 アイ=ファははやる気持ちをおさえるように、普段通りのペースで食前の文言を唱えた。

 その後は、すみやかに皿へと手をのばす。が、俺の手もとに目をやると、いぶかしげに目を細めた。


「……アスタは、この料理もはしで食するのか」


「うん。黒フワノのそばでも、俺は箸を使っていただろ? 俺としては、こっちのほうが食べやすいんだよ」


 すると、アイ=ファは先日の焼きそばのときと同じように、自らも箸を取った。


「大丈夫か? この料理は、焼きそばよりも難易度が高いと思うぞ」


「ふん。私とて、この1年ばかりで修練を積んできているのだ」


 以前は独自の箸づかいをしていたアイ=ファも、最近では俺と同じ持ち方になっている。それでも本当にラーメンをすくいあげることは可能であるのかと、俺はちょっと心配しつつ身守ることになった。


 しかし、結論として、それは杞憂であった。

 大ぶりの深皿を持ちあげたアイ=ファは、麺に逃げられることもなく、ずるずるとすすりあげることに成功せしめたのである。


 そうしてひと口分の麺をすすったアイ=ファは、かっと目を見開いた。

 そして、厚切りのチャーシューを噛みちぎったかと思うと、ふた口目をすすり始める。その熱意に満ちあふれた所作に、俺はほっと胸を撫でおろすことになった。


「気に入ってもらえたみたいで、よかったよ」


 アイ=ファはじろりと俺をねめつけてきたが、言葉を発する手間も惜しむかのごとく、ラーメンをすすり続けた。

 いっぽうティアのほうは皿を敷物に置いたまま、木匙とフォークの二刀流で麺を捕獲している。前かがみの体勢が苦しげであるように思えたが、当人は喜色もあらわにラーメンを食してくれていた。


 そんなふたりの姿を見届けてから、俺もあらためて麺をすすりこむ。

 麺の状態やスープの出来栄えは、昼間の試食会と変わっていない。だけどやっぱり、チャーシューを筆頭とする具材とともに食すれば、美味しさも倍増であった。


 キミュスの油を加えたことによって、深みと風味が増している。もちもちとした中太麺に濃厚なスープがからみついて、たまらない美味しさだ。チャーシューと同じタレで煮込んだ煮玉子も、我ながら会心の出来栄えだった。


「あ、そうだ。後入れでミャームーのすりおろしとピコの葉を準備してるんだけど、もしよかったら――」


 と、アイ=ファのほうに目をやった俺は、なかなかの驚きに見舞われることになった。俺がちょっと目を離したスキに、アイ=ファはスープまで完食してしまっていたのである。


「も、もう食べ終わったのか? 驚くべき速さだな」


「……べつだん、驚くほどのことではあるまい」


 アイ=ファはガラスの杯の水を飲み干すと、とても満足げに息をついた。

 それから、ちらりと俺のほうを見やってくる。


「しかし、今日は焼いたポイタンの準備もないのだな。このちゅうかめんというのがポイタンの代わりだとすると、いささか量が少ないように思うのだが……」


「ああ、うん、アイ=ファとティアにはもう一杯ずつ準備してあるんだよ。その前に、また麺を茹であげなきゃいけないんだけどな」


 アイ=ファはぱあっと顔を輝かせかけたが、すぐにティアの視線に気づいて、厳粛なる表情をこしらえた。


「では、お前が食べ終わるまでは、他の料理を食べながら待とう。ゆっくり味わいながら食するがいい」


「うん、お気遣いありがとう」


 俺は非常なる達成感を胸に、アイ=ファへと笑いかけてみせた。


「とりあえず、アイ=ファにも満足してもらえたようでよかったよ。俺としても、かなり満足のいく出来だったからさ」


「うむ。ギバ骨のすーぷはぎばかつと同じぐらい、森辺の民に喜びを与える料理であるはずだ。それがより美味なる料理へと変じたのだから、大勢の同胞を幸福な心地にすることであろう」


 そう言って、アイ=ファは遠くを見るように目を細めた。


「この夜は、近在の氏族も同じ料理を食べているはずであったな?」


「うん。収穫祭をともにしている6氏族で、この料理を作りあげたんだよ」


「では、いまごろは我らの友も、同じ喜びを噛みしめているはずだ」


 サリス・ラン=フォウやアイム=フォウ、バードゥ=フォウやライエルファム=スドラ、トゥール=ディン、ユン=スドラ、ラッド=リッド、ジョウ=ラン――80名以上にも及ぶ同胞が、それぞれの家で、それぞれの家族とともに、同じ料理を食しているのだ。それを思うと、俺も胸が熱くなってしまった。


(もちろん、屋台のお客さんや城下町の人たちにも喜んでもらえれば、すごく嬉しいことだけど……やっぱり俺は、アイ=ファや森辺の同胞に喜んでもらえることが、一番幸せなんだ)


 そしてそれは、決して矛盾をはらんだ心情ではないと、俺は信じている。アイ=ファや同胞と共有できたこの喜びを、より多くの人々と共有できたら、なお幸福ではないか――と思っているだけのことであるのだ。


「復活祭では、夜に屋台を開くだろう? そのときに、このギバ骨ラーメンを売りに出したらどうかなって考えてるんだ」


 俺がそのように述べたてると、アイ=ファは「ふむ」と小首を傾げた。


「それはまったくかまわんが、このように手間のかかる料理は売り物に相応しくない、という考えであったのであろう?」


「うん。本当だったら、その手間賃も代金に上乗せしないといけなくなるからな。でも、復活祭限定の特別献立としてなら、こっちがちょっと損をする値段設定でも許されるかと思ってさ」


「べつだん、銅貨を稼ぐことが一番の目的ではないのだから、かまうまい。族長たちとて、文句をつけることはなかろう」


 そのように述べてから、アイ=ファはふわりと微笑んだ。


「それにしても、復活祭などはまだ何ヶ月も先の話ではないか。ガズラン=ルティムのように先を見通す力を持っていると誇示したいのか、お前は?」


「そんな優しげな顔で皮肉を言われると、反応に困っちゃうな」


 俺は笑いながら、空になった皿を敷物に置いた。


「それじゃあ、二杯目をこしらえるよ。今度はよかったら、後乗せのミャームーとピコの葉も試してくれ」


 アイ=ファは優しげな微笑みをたたえたまま、「うむ」とうなずいた。

 そうして5日間に渡るギバ骨ラーメンの研究の日々は、ひとまず無事に終了を迎えることになったのだった。

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