修練の日々②~誰がために~
2018.8/17 更新分 1/1
宿場町での商売を終えた後は、また下ごしらえの仕事と勉強会であった。
本日はファの家でそれを行う日取りであったので、かまど小屋には近在の女衆が集結している。昨日ほどではないにせよ、それに近いぐらいの人数ではあった。
「アスタはまた、新しい料理に取り組んでいるんだって? 今度はどんな料理がお披露目されるのか、みんな心待ちにしていたんだよ」
フォウの年配の女衆が、笑顔でそのように述べていた。普段、俺の不在の日に、カレーの素や乾燥パスタ作製の取り仕切りをお願いしている人物である。バードゥ=フォウの伴侶にもその役をお願いすることはあったが、彼女は自分の家の取り仕切り役でもあるため、こちらの人物と交代で仕事をお願いしているのだ。
「今回は、パスタと異なる麺の研究に取り組んでいるのですよね。こちらはもう分量の配合を色々と試すだけなので、みなさんにはその手伝いと味見をお願いしようと考えています」
そのように述べながら、俺はかまど小屋に集結した人々を見回した。
「ただ、パスタを作りなれている人たちには、もう新しく学ぶこともあまりありませんし、これだけの人手は必要ないように思います。半分は、トゥール=ディンのほうを手伝っていただけますか?」
「トゥール=ディンの? そっちは、何をするんだい?」
「トゥール=ディンは、新しい菓子の研究です」
トゥール=ディンには独自で動いたもらったほうが、得るものも多いことだろう。そのように考えての、班分けであった。
フォウの取り仕切り役にはトゥール=ディンの補佐をお願いし、俺の補佐はユン=スドラとする。そうしてその他の女衆の班分けを考えていると、マルフィラ=ナハムがおずおずと近づいてきた。
「あ、あ、あの、わたしはアスタのもとで学ばせてはいただけないでしょうか?」
彼女は本日、屋台の当番ではなかったが、勉強会のためだけに参じていたのだ。そのかたわらには、リリ=ラヴィッツもお地蔵様のようにひっそりと控えていた。
「うん、もちろんかまわないよ。ラヴィッツでは、まだ菓子作りに手を出していないだろうしね。……そういえば、パスタは作られたりしているのかな?」
「は、はい。フワノの粉とキミュスの卵と、それにレテンの油は、なんとか買うことを許していただけたので……ラヴィッツでもナハムでも、何回かぱすたは作っています」
「そっか。家人の方々には、気に入っていただけのかな?」
「も、も、もちろんです。と、特に幼い子供たちなどは、面白い形だと言って、たいそうはしゃいでいました」
ラヴィッツやナハムにだって、幼子はたくさんいるのだろう。そういった幼子たちがマルフィラ=ナハムやリリ=ラヴィッツの料理ではしゃいでいる姿を想像すると、胸がじんわりと温かくなってしまった。
「それじゃあ、作業を開始しましょう。ちょっと人数が多いので、おたがいの邪魔にならないように気をつけてください」
そうして俺たちは、地道な作業に取りかかることになった。
食材の分量を調整して麺を打ち、その味見をして、また調整する。その作業の繰り返しである。トゥール=ディンのほうも、形が麺でないだけで、作業内容は似たようなものであった。
ただしトゥール=ディンのほうは、カロンの乳や乳脂といった食材も使っているので、俺以上に多くの試行錯誤が必要なことだろう。なおかつ、俺は脳裏に思い描いている理想を追い求める作業であったが、トゥール=ディンのほうは未知なる領域を手探りで進んでいく作業であったのだ。苦労のほどは、トゥール=ディンのほうが上回っているのだろうと思われた。
が――最初に手応えをつかんだのは、トゥール=ディンのほうだった。
およそ半刻ほどが経過したところで、早くも俺に試食を申し出てきたのである。
「あ、あの、こちらの味見をお願いできませんか?」
「うん、もちろん。……ああ、これは見るからに美味しそうだね」
トゥール=ディンの掲げた皿には、黄色いホットケーキのようなものが乗せられていた。
もともと卵黄を使っていれば、生地は黄色みがかってくる。しかしこれは卵殻の作用で、より鮮やかに黄色みがかっていた。石窯ではなく鉄板で焼いたらしく、表面はこんがりと褐色に焼けている。
木匙をあてがってみると、ほどよい弾力が伝わってきた。以前から作製しているスポンジケーキとは、また違った感触であるようだ。
「食材の量を調整してみたら、このようにやわらかく仕上げることができたのです。やっぱりちょっと、苦みのような風味が出てしまっていますが……」
「卵殻を使う以上、それは避けられない風味なんだろうね」
とりあえず、俺は木匙で取り分けた生地を口に運んでみた。
やはり、スポンジケーキよりはもっちりしているようだ。ただ、やっぱり卵殻を使わない生地よりは膨張の度合いが強いらしく、重たい感じはあまりしない。そして、香ばしい風味が強かった。
「うーん、俺の故郷のホットケーキに食感は近づいたような気がするけど……この風味は、どうもどら焼きを連想させるんだよなあ」
「ど、どらやきですか? それは、どのような菓子なのでしょう?」
「こういう風に平たく焼いた生地で、あんこをはさんだ菓子だよ。この香ばしい風味は、ブレの実のあんこと相性がいいかもしれないね」
トゥール=ディンは驚嘆したように目を見開くと、その面に澄みわたった笑みをひろげた。
「なるほど、ブレの実ですか。わたしはまたギギの葉を使って、苦みを消すしかないのかと考えていたのですが……この苦みを風味として活かせるなら、それを試してみたく思います」
「うん。トゥール=ディンなら、きっと美味しい菓子に仕上げられるよ。ただ、ギギの葉を使っても美味しそうだね」
「はい。どちらも試してみようと思います」
トゥール=ディンはぺこりと一礼してから、自分の作業台に戻っていった。
新しい菓子の開発に取り組むのが、楽しくてたまらないといった様子である。
(北の集落で手ほどきをしたり、ダナとハヴィラの女衆の面倒を見たり、自分で屋台を取り仕切ったり、お茶会の仕事を頼まれたり……最近のトゥール=ディンは、見ているこっちが心配になるぐらいの働きっぷりだけど、本人はまったく苦になっていないんだろうな)
俺だって、仕事を抱えすぎではないかと心配がられることは、ままあるのだ。しかし、楽しさのほうが上回っているので、それをつらいと感じたことはない。俺はトゥール=ディンに、これまでの自分自身を重ねることになってしまった。
(俺も、負けてはいられないぞ)
そんな思いを胸に、俺は茹であがった麺を鉄網に引き上げた。
「さあ、今度のはどうかな。上手く仕上がってるといいんだけど」
卵殻だけでなく、すべての食材の分量を調節した、試作品のひとつである。
食してみると、昨日の最善であった試食品よりも、なお弾力にとんでいる。やはり、ポイタンを増やしたほうが、より卵殻の影響が強まるようだった。
「ただ、ちょっと歯切れが悪いかな。べたつく感じが強いというか……ユン=スドラは、どう思う?」
「うーん、違いがあるのはわかるのですが……どういうものが理想であるのかが、いまひとつわからないのです」
「そうだねえ。一番重要なのは、ギバ骨スープに合うかどうかなんだけど」
「それでしたら、実際にギバ骨すーぷと合わせてみないと、わたしにはわかりそうにありません。……でも、ギバ骨すーぷを作るのは大変ですものね」
「うん。納得のいく中華麺ができたら、ギバ骨スープと合わせてみようと考えているんだけどね」
俺がそのように答えると、多くのかまど番が「えっ」と声をあげた。
そのうちのひとり、ランの女衆が一同を代表して発言する。
「ア、アスタ、ギバ骨すーぷをこしらえるのですか? いまのところ、祝宴が開かれる予定はないのですが……」
「はい。でも、祝宴の宴料理でお披露目する前に、試食は必要でしょう? それに、ミケルからキミュスの油の作り方も学んだので、そちらも試してみたいのです。ぶっつけ本番で失敗してしまったら、せっかくの宴料理が台無しになってしまいますからね」
女衆の多くは、期待に瞳を輝かせていた。時間と労力と費用のかかるギバ骨スープは、小さき氏族にとって祝宴でしか口にすることのできない特別な料理であるのだ。
「そのときは、みなさんのお力を貸していただけますか? 俺ひとりでギバ骨スープを作りあげるのは、かなり難しい話ですので」
「もちろんです」と、何名かが同時に答えてくれていた。
そこでユン=スドラが、可愛らしく小首を傾げる。
「でも、このちゅうかめんというのは、ギバ骨すーぷでしか使えないものなのでしょうか? ぱすたには、もっと色々な食べ方がありますよね?」
「うん。もちろん中華麺だって、色々な食べ方があると思うよ。宴料理でしか使えないんじゃあ、こんなに手間をかける甲斐もないからね」
俺は、そのように答えてみせた。
「だけどその前に、もう少し中華麺の完成度をあげておきたいんだ。また食材の分量をあれこれいじってみるんで、麺打ちのほうをよろしくね」
「はい、おまかせください」
いずれギバ骨スープを作製するという話が、一同の士気をいっそう向上させた様子である。
それを心強く感じながら、俺は次なる試作品の作製に取りかかることにした。
◇
そんな勉強会を経て、夜である。
ファの家の晩餐において、俺はその日の成果をお披露目することになった。
「今日の勉強会で、中華麺をまた少し理想に近づけることができたんだ。まだ完成ではないんだけど、それなりの出来栄えだとは思うから、味見をお願いするよ」
「それはかまわんが……お前はギバの骨の煮汁の料理で、そのちゅうかめんというものを使うつもりではなかったのか?」
上座であぐらをかいたアイ=ファは、不思議そうに首を傾げていた。
そちらに向かって、俺は「うん」と笑いかけてみせる。
「でも、ギバ骨のスープは祝宴でもないとなかなか作れないからな。宴料理でしか使い道がないのはもったいないから、晩餐や屋台でも出せるような料理を考案したんだ」
言いながら、俺は木皿の上に保管しておいた中華麺の試作品を指し示してみせた。
色は黄色みがかっており、軽く手でもんでいるために、やや縮れている。フワノおよびポイタン、そして水や塩の分量まで微調整した、本日の勉強会の成果である。
「それじゃあ、すぐに作るから、ちょっと待っててな」
「なに? これで完成ではないのか?」
「いや、これは蒸した後に油をまぶしただけの状態で、調理はこれからなんだ。アイ=ファたちには、できたてを食べてほしかったからさ」
とたんに、アイ=ファとティアは不服の面持ちになってしまった。それ以外の料理は、すでに敷物に並べられているのである。
「そんなに待たせたりはしないから、そんなすねないでくれよ」
「……すねたりなどはしておらん。いいから、さっさと準備をしろ」
「はいはい、了解であります」
俺は中火で熱しておいた鉄板にホボイの油をひいて、まずは薄切りのバラ肉を炒めた。
あるていど火が通ったら、今度は薄切りのネェノンを投入し、時間差で薄切りのアリアと角切りのティノ、さらにオンダも投入する。そこに塩とピコの葉で下味をつけて、各種の野菜がしんなりしてきたら、いよいよ中華麺の投入だ。
「……ぱすたのように茹でるのではなく、鉄板で焼きあげるのか」
「うん。これは俺の故郷で、焼きそばと呼ばれていた料理なんだよ」
「やきそば? それはそばではなく、ちゅうかめんという料理なのであろう?」
「ああ、うん、そのあたりはちょっと話がややこしいんだけど、俺の故郷では麺をそばと呼ぶ習わしがあって……って、この説明、必要かなあ?」
「ややこしいなら、不要だ」
ならば、俺も調理に専念させていただくことにした。
とはいえ、中華麺にも熱が通ったら、あとはウスターソースをまぶすばかりである。鉄板の上でパチパチと音をたてる具材にウスターソースをぶちまけて、全体にからめたら、それで完成だ。
使った野菜はそれぞれ、キャベツ、タマネギ、ニンジン、モヤシの代用品であるので、至極シンプルな仕上がりである。が、森辺の民の好みに合わせて、かなり具材は多めに仕上げている。ギバのバラ肉も、これでもかというぐらいにぶち込んでいた。
「お待ちどうさま。すぐに取り分けるからな」
アイ=ファは一心に俺の手もとを見つめており、ティアはそわそわと身体をゆすっている。両者の無言の圧力をひしひしと感じつつ、俺は具材たっぷりのソース焼きそばを3枚の平皿に盛りつけた。
「はい、できあがりだ。そんなに待たせなかっただろう?」
アイ=ファは答えず、ぶつぶつと食前の文言を唱え始めた。ティアはもどかしげに、それが終わるのを待っている。
それでようやく、晩餐の開始である。
アイ=ファとティアは、申し合わせたように焼きそばの皿をつかみ取った。
「ふむ。何か、おこのみやきを思わせる料理であるようだな」
「うん。俺の故郷でも、わりと同系列の料理として扱われていたよ」
フォークの形に改良した木匙をつかみ取ったアイ=ファは、俺の手もとを見て、それを離した。
「アスタはこの料理を、はしで食べるのか?」
「うん。俺はそのほうが食べやすいんでな」
「そうか」とうなずいたアイ=ファも、手製の箸を手に取った。
ティアはかまわずに、フォーク型の木匙でくるくると麺を巻き取っている。パスタを食べなれたティアにとって、麺を食するのももうお手の物なのである。
いっぽうのアイ=ファも、器用に箸を使いながら、焼きたての焼きそばを口に運んだ。
肉も野菜もたっぷりであるので、それもごっそりとつかみ取っている。それらはすべて、アイ=ファの艶かしい唇の内側へと吸い込まれていった。
口の中身を咀嚼するうちに、アイ=ファの目は満足そうに細められていく。
その末に、アイ=ファはわずかに頬を赤らめて、俺のほうをにらみつけてきた。
「……食事のさなかに、人の顔をじろじろと見るな」
「ああ、ごめん。新しい献立だから、感想が気になっちゃってさ」
「美味い」と短く言い捨てて、アイ=ファは豪快にふた口目をすくいあげた。放っておいたら、あっという間に食べ終えてしまいそうである。
「よかったら、後付けでマヨネーズも試してみてくれないか? 俺はけっこう、マヨネーズをかけるのも好きなんだよ」
「……そういえば、おこのみやきでもまよねーずを使っていたな」
俺はアイ=ファから皿を受け取って、漏斗と布でこしらえた器具からマヨネーズをかけてみせた。
それを口にしたアイ=ファはいっそう目を細めて、残りの焼きそばをすぐにたいらげてしまった。本日は焼きそばにあわせて、スープ仕立ての水餃子と青椒肉絲、それにホボイの油を使った中華風ドレッシングの生野菜サラダという献立にしておいたのに、見事なまでの一品食いである。
「うん、アイ=ファは気に入ってくれたようで、何よりだよ」
「やかましい」と応じながら、満足げな様子は隠しきれていないアイ=ファである。ただ、空になった皿を見つめる目は、いくぶんさびしげであるように思えた。
「えーと、もしかしたら、量が物足りなかったのかな?」
「……まだ他の料理に手をつけていないのだから、案ずることはない」
「そっか。よかったら、俺の分を半分わけてあげようかと思ったんだけど」
アイ=ファは勢いよく身を乗り出しかけたが、すぐにそれを自制した。
「……お前とて、新しい料理は心ゆくまで味わいたいところであろう。無用な気をつかう必要はない」
「いや、俺は勉強会で中華麺の研究にかかりきりだったから、むしろ食べ飽きてるぐらいなんだよ。その分、焼きポイタンを多めにもらえたら、それで十分さ」
俺がそのように答えると、水餃子のスープをすすっていたティアが笑顔で振り返ってきた。
「アイ=ファが食べないのなら、ティアが食べよう。この新しい料理は、とても美味だ」
「お、お前が食べるのだったら、私が断る理由はない!」
俺はくすぐったいたいような幸福感を噛みしめながら、まだ箸をつけていなかった部分をアイ=ファの皿に取り分けた。
「どっちみち、食べかけの料理は家人にしか分けちゃいけない習わしなんだよ。よかったら明日も焼きそばを準備するから、ティアは我慢してくれるかな?」
「うむ。他の料理も美味いので、我慢というほどのことではない」
そのように述べてから、ティアはとても可愛らしく微笑んだ。
「それに何だか、故郷の弟や妹のことを思い出してしまった。あいつらは甘い果実が好きだったので、母や父が分け与えてくれるときも、ティアは譲ってやっていたのだ」
「……それではまるで、私のほうが幼子のようではないか」
アイ=ファは唇をとがらせかけたが、俺が皿を返すと黙ってそれを食べ始めた。
何にせよ、試作品の焼きそばはアイ=ファにもティアにも好評なようである。俺は非常なる満足感を胸に、箸を進めることができた。
「俺の故郷では、この料理も屋台の定番だったんだ。いずれ中華麺がもっと納得のいく形に仕上がったら、この料理を宿場町で売りに出そうと思うよ」
「うむ。きっとこの料理も、宿場町の民には喜ばれるであろう」
「ありがとう。アイ=ファたちのおかげで、いっそう自信がついたよ」
ただし、俺は一点、ささやかなる疑念を胸中に抱え込んでいた。
「ただ、この料理はギバ料理って呼べるのかなあ? いや、肉の割り合いはお好み焼きやカレーやパスタと変わらないぐらいだから、いまさらの話ではあるんだけど……アイ=ファとしては、どう思う?」
「うむ? お前はもしかして、ゲオル=ザザやシン=ルウらの言葉を気にしているのか?」
「うん。まあ、実はそうなんだ」
ヴァルカスの料理は、ギバを美味く食べるための料理ではなく、美味い料理を作るためにギバ肉を利用した料理である――ゲオル=ザザはそのように述べたてて、シン=ルウも同意することになったのだ。
それはゲオル=ザザらしからぬ理知的な意見であるように思えたが、その反面、俺は釈然としないものを感じてもいた。俺にとってヴァルカスのギバ料理は十分に美味であると思えたし、俺の料理とそこまでかけ離れたものであるとは思えなかったのである。
「たとえばこの焼きそばだって、ギバ肉を美味しく食べるために考案した料理とは言えないと思うんだ。それこそ、焼きそばを美味しくいただくために、ギバ肉の力を借りてるようなものだし……これって、森辺の民の本道からは外れた行いなのかなあ?」
「本道とは、何だ? そもそもかまど仕事にこれまで以上の手間をかけるというのは、お前の作りあげた習わしであるのだぞ? お前の切り開いた道こそが、森辺のかまど番の本道ではないのか?」
「いや、そうだからこそ、間違った道を進んでいたら大変なことになるじゃないか」
生野菜サラダをかきこんでいたアイ=ファは、それを呑みくだしてから、ふっと俺に笑いかけてきた。
「お前は間違った道など進んでいない。そのように不安がらず、己の信ずる道を進むがいい」
「でも、俺とヴァルカスでそこまでの違いがあるとは、どうしても思えないんだよ」
アイ=ファは同じ表情のまま、ゆっくりと首を横に振っていた。
「私にややこしい話はわからんし、そのようなことで頭を悩ませるつもりもない。お前は森辺の同胞のために美味なる食事をこしらえて、同胞たちはそれを喜んでいる。それ以上の話など、余計なことだとは思わんか?」
「うん。アイ=ファにそう言ってもらえるのは、とても嬉しいことなんだけど……ただ、ヴァルカスのことが引っかかっちゃってさ」
「お前が料理人として悩むのはかまわん。ただし、森辺のかまど番として悩む必要はないと思う」
そのように述べてから、アイ=ファは少し真剣そうな眼差しになった。
「ゲオル=ザザらがギバ料理について話している間、私はまったく別のことを考えていた。あやつらは気づいていないようだったが、私はまったく異なる理由から、これは森辺の民のために作られた料理ではないようだ、と判じていたのだ」
「え? それは、どういう理由なんだ?」
「それを話す前に、確認したいことがある。城下町において、ギバ肉は箱でしか買うすべはない、という話であったな?」
「うん。宿場町では小分けで買う人もいるけど、城下町ではすべて箱で買われているはずだよ。城下町の民にとっては、出し惜しみするほどの値段ではないんだろうな」
「そうか。それでヴァルカスは、ひと月の間に2度ほどギバ肉を買いつけることができたので、ようやくあの料理を完成させることができたと述べていたな。そして、商品として売りに出すのはこれが初めてである、と」
俺は記憶をまさぐってから、「うん」と応じてみせた。
「確かに、そう言っていたと思うよ。それが何だっていうんだ?」
「では、商品として売りに出されなかったギバ肉はどうなったのであろうか? 美味なる料理に仕上げられなかった失敗作も、すべて自分たちでたいらげたのであろうか?」
そう言って、アイ=ファは一瞬だけきらりと目を光らせた。
「あやつはかつて、不出来なかまど番に食材を分け与えるぐらいなら、腐らせるほうがマシだなどと述べていた。そういう人間なら、失敗したギバ料理などすべて打ち捨ててしまうのではないかと、私には思えた。……むろん、証のある話ではないし、私もわざわざ確かめようとは思わなかったがな」
「ああ……なるほど、そういうことか」
「うむ。自分たちの銅貨で買いつけたギバ肉をどのように扱おうとも、それはその人間の自由であろう。だから私も、自分が気にするような話ではないと考えたが……ただ、喜びの気持ちをもって、あのギバ料理を口にすることはできなかった」
それからアイ=ファは穏やかな眼差しを取り戻すと、また口もとをほころばせた。
「そして、そのような小理屈など関係なく、私にはアスタの作るギバ料理のほうが美味いと思えた。だからお前は何も悩まずに、これからも美味なる食事を作り続けるがいい」
「うん、そうか……ありがとう。何だか、胸のつかえが取れたような気がするよ」
俺も、アイ=ファに笑い返してみせる。
「料理は、理屈じゃないもんな。俺はこれからも、みんなのために料理を作り続けるよ。それでアイ=ファには、真っ先に喜んでもらいたいと思う」
「うむ」とアイ=ファはうなずいた。
ずっと無言で食事を続けていたティアは、俺たちの笑顔を見比べてから、小さく息をつく。
「……アスタとアイ=ファが幸せそうなので、ティアはとても嬉しく思う」
「何だ。言いたいことがあるのなら、言ってみるがいい」
「言ったらアイ=ファにまた叩かれるので、ティアは言わない」
ティアはそのように答えたが、けっきょくアイ=ファの顔を赤くさせる結果となった。
それをなだめるべく、俺はアイ=ファに笑いかけてみせる。
「中華麺が納得のいく形に仕上がったら、ギバ骨スープで食べてもらおうと考えてるんだ。祝宴でもないのに労力と銅貨をかけることになっちゃうけど、家長に了承をもらえるかな?」
「……祝宴で出す前に、味を確かめる必要があるのであろうが? いまさら了承など必要ない」
「そっか。それじゃあ、その日を楽しみにしていてくれ」
中華麺の研究はわずか2日目にして、だいぶん形になってきている。ギバ骨ラーメンの試食品をこしらえる日は、そんなに遠くないだろう。
そうしたら、アイ=ファはまた満足そうな面持ちでそれを食してくれるのか。その姿を想像するだけで、俺は満ち足りた気持ちになってしまった。