修練の日々①~新たな発見~
2018.8/16 更新分 1/1
勉強会の、翌朝である。
俺がユン=スドラたちとともに下ごしらえの準備をしていると、表に荷車の近づいてくる気配がした。
まだ顔をそろえていなかったのは、トゥール=ディンを筆頭とするザザの血族の人々だ。案の定、扉の向こうから姿を現したのは、その6名であった。
「ど、どうも遅くなってしまって、申し訳ありません。責任は、すべてわたしにありますので……」
「いや、遅刻をしたわけじゃないんだから、そんなに恐縮することはないよ。みなさんも、どうもお疲れ様です」
トゥール=ディンは自分でも屋台を取り仕切るようになってから、刻限ぎりぎりに姿を現すことが多くなっていたのだ。トゥール=ディンは、とても申し訳なさそうに眉尻を下げてしまっていた。
「でも、今日は本当にぎりぎりになってしまいました。ついつい余計な仕事にかかりきりになってしまって……」
「余計な仕事ではありません。トゥール=ディンには、必要な仕事であったはずです」
そのように声をあげたのは、例のダナの女衆であった。
「その仕事の成果をアスタに見せれば、きっと理解してくれることでしょう。わたしは、そのように信じています」
「いや、そもそも遅刻したわけでもないので、俺がトゥール=ディンを責めるいわれはないのですが……仕事の成果って、何のことだい?」
俺がうながすと、トゥール=ディンは思いきった様子で小さな草の籠を差し出してきた。
「じ、実は、屋台で売る菓子と一緒に、これを作っていたのです。よかったら、アスタにも食べていただけませんか?」
「新しい菓子を考案したのかい? それは忙しい中、大変だったね」
俺が草籠を覗き込んでみると、そこには奇妙なものが収められていた。わずかに黄色みを帯びて、ふっくらとした、大福のような形状をした菓子である。
が、形や大きさは大福に似ていても、きっと硬質の生地なのだろうなと思わせる質感だ。そういったものが、籠に敷かれた布の上に6個ほど重ねられている。
「けっこうたくさんあるんだね。他のみんなと分けてもいいのかな?」
「はい。簡単に割ることができますので、よかったらどうぞ」
他のかまど番たちも、興味深げな面持ちで近づいてくる。今日の日替わり当番はラッツとベイムの血族であり、それ以外にもフォウとランの女衆が手伝いに来てくれていた。
「それじゃあ、わたしが分けますね」
トゥール=ディンがまな板の上にその菓子を並べて、調理刀をあてがった。
すると、さして力を入れた様子もないままに、菓子はさくりと切り分けられてしまう。生地がたわんだりもしなかったので、やっぱり硬質の生地なのだろうとは思えるものの、かなりさくさくに仕上げられているようだ。
「スポンジケーキよりも、クッキーに近い仕上がりなのかな? 色が黄色みがかっているのは、どうやら卵殻を使っているようだけど」
「はい。生地はフワノと卵の黄身、それとめれんげに仕上げた卵の白身を使っており、そこに砂糖と塩と卵の殻を加えています。水気は、カロンの乳ですね」
昨日登場したばかりの卵殻をさっそく使用しているとは、なかなか驚くべき話であった。
まあそれで、これまでとは異なる食感や風味を生み出すことができた、ということなのだろう。俺は相応の期待感をもって、その菓子の欠片をつまみあげることにした。
やはり、手触りはクッキーのように硬い。
が、その質量に対して、ずいぶん軽いように感じられる。メレンゲを使ったということなので、ぞんぶんに気泡が含まれているのだろう。
すべてのかまど番の手にその菓子が行き渡ったのを見届けてから、俺は味見をさせていただいた。
黄色みを帯びた生地は、くしゃりと簡単に潰れてしまう。
驚くほどの、軽やかな食感だ。
味は、カロンの乳の風味と、砂糖の甘さがきいている。その裏に感じられる、苦みともつかないほのかな風味が、おそらく卵殻の作用であるのだろう。中華麺というよりは、どら焼きなどを連想させる香ばしさであった。
しかし、味のほうは二の次である。
俺としては、この食感のほうに強い既視感を覚えることになった。
「あれ……これって、以前にヴァルカスが作った菓子と食感が似ているような気がするね」
「や、やはりアスタも、そのように思いますか?」
俺たちが、初めて口にしたヴァルカスのフルコース――バナームの使節団を歓待する食事会で出された菓子と、それは非常に食感が似ているように思えたのだった。
「卵の殻を入れると、このように硬い食感とふわりとした食感がともに得られたのです。もちろん、ふわりとしているのは卵の白身の効果でもあるのですが……でも、卵の殻を入れなければ、そもそもこのような形に焼きあがることもありません」
「うん。俺の故郷の卵殻では、こんな風に丸くふくれあがることはないと思うんだけど……キミュスの卵の殻には、生地をふくらませる成分もけっこう含まれているみたいだね」
昨日の勉強会でも卵殻を多めに使った中華麺は、かなり膨張の度合いが強かった。メレンゲを使用したことと、石窯で焼いたことにより、ふくらし粉としての作用がより強く表れたということなのだろう。
「それに、卵殻は古い時代、薬として飲まれていたとミケルが言っていたよね。ヴァルカスはサイクレウスのために、薬膳料理の研究も進めていただろうから……卵殻を料理や菓子に使う可能性は高いんじゃないのかな」
そう言って、俺はトゥール=ディンに笑いかけてみせた。
「すごいね、トゥール=ディンは。ヴァルカスの手法にここまで近づけたのは、トゥール=ディンが初めてなんじゃないのかな」
「い、いえ、これはアスタに卵の殻の使い方を習った結果ですので……それに、ヴァルカスの作った菓子は、もっともっと美味であったはずです」
「うん。あれはきっと、果実や蜜で繊細に味を作っていたんだろうね。トゥール=ディンだったら、それだって再現できるんじゃないのかな」
トゥール=ディンは、再び「いえ」と首を振った。
「わたしは決して、ヴァルカスの菓子を再現しようとしているわけではありません。ただ、あまりに驚いてしまったので、アスタにも食べていただきたかっただけです」
「そうだね。トゥール=ディンだったら、この卵殻の性質を利用して、もっと素晴らしい菓子を作ることができるようになると思うよ」
トゥール=ディンは、顔を赤くしながら、うつむいてしまった。
そこに、タイミングを見計らっていたらしいユン=スドラが、身を寄せてくる。
「わたしはそのヴァルカスの菓子を口にしたこともないと思いますが、この菓子は美味だと思います。朝方のわずかな時間で、屋台で売る菓子をも作りながら、このようなものを完成させることができたのですか?」
「あ、いえ……実は昨日、家に帰ってからも、ずっとこの菓子に取り組んでいたのです」
「え? 家の晩餐を作りながらですか?」
「はい。アスタに卵の殻の使い方を習ったら、居ても立ってもいられなくなってしまったもので……」
トゥール=ディンは、ますます気恥かしそうに顔を赤くしてしまった。
ユン=スドラは、にっこりと微笑んでいる。
「トゥール=ディンはそれだけの熱情を持っているからこそ、そこまでの技を身につけることができたのでしょうね。本当に、立派だと思います」
「い、いえ、わたしはついつい夢中になってしまっただけで……きっと家人たちも、呆れていたと思います」
「でも、家長に叱られたりはしなかっただろう?」
家長会議におけるディンの家長とのやりとりを思い出しながら、俺はそのように問うてみた。
トゥール=ディンはまだ赤いお顔をしたまま、「はい」と嬉しそうに微笑む。
「卵の殻を使いこなすには、もっともっと修練が必要です。家長に叱られないていどに、励みたいと思います」
「うん。俺も美味しい菓子が完成する日を待っているよ」
そんな一幕を経て、俺たちは下ごしらえの仕事に取りかかることになった。
心なし、ザザの血族の人々は、うきうきとしているように感じられる。血族たるトゥール=ディンがまた新しい成果をあげることができて、誇らしく思っているのだろう。俺としても、それは同じ心情であった。
(俺もトゥール=ディンに負けていられないぞ。1日も早く、納得のいく中華麺を完成させないとな)
そうして俺たちが仕事を終えて、いざルウの集落に向かってみると、そこでも椿事が待ち受けていた。
顔を火照らせたマイムが、俺に新たな料理の味見を願い出てきたのである。
「今日は仕事の後、まっすぐファの家に戻る日取りでしょう? 今のうちに、こちらの味見をお願いできませんか?」
「うん、それはこちらこそお願いしたいぐらいだよ。新しい料理が、ついに完成したんだね」
マイムはずいぶん長いこと、同じ料理を屋台で売り続けていたのだ。そんなマイムがどのような新メニューを開発したのか、俺としても楽しみなところであった。
木皿には、赤みがかったソースで煮込まれた肉と野菜が湯気をたてている。レイナ=ルウが言っていた通り、木皿を必要とする煮込み料理であるようだ。使われている食材は、ギバのモモ肉と、アリア、ネェノン、チャムチャム、ナナールであるようだった。
香りは、それなりに刺激的である。マイムもついに、香草を積極的に使い始めたのだろう。ただし、スパイシーなだけでなく、シナモンのような甘やかさも感じられる。香りだけでは、味の見当をつけることはできなかった。
「それでは、いただきます」
俺は、木匙ですくったモモ肉と野菜を口に投じた。
とたんに、ふくよかな甘みと適度な辛みが口の中に広がっていく。
この甘さは、果実酒と果汁からもたらされるものだろう。
辛いのは、香草の効果である。ぴりりと舌を刺してくるものの、甘さを引きたてる意味合いが強いようだ。
何にせよ、ギバの肉にはとてもよく合っている。
それに、見知らぬ異国の味わいでありながら、どこか懐かしいものも感じられる。俺の中では中華料理にカテゴライズされる要素が、どこかに隠れ潜んでいるのだ。
「これは、ホボイの油を使ってるんだね。それに……ひょっとしたら、キミュスの油も使っているのかな?」
「はい。何かひと味足りないと思って、なかなか完成させられずにいたのですが。昨日、キミュスの油を使ってみたら、一気に理想へと近づけることができたのです」
気負うことなく、ただ誇らしげに、マイムはそう言っていた。
「キミュスの油は、ホボイの油とも相性がいいようですね。ただ、風味が変わってしまったので、他の調味料の分量はずいぶん調整が必要になってしまいました」
「それを1日で完成させられるなんて、マイムはやっぱりすごいよ。この料理なら、屋台のお客さんたちも大満足なんじゃないかな」
そしてきっとヴァルカスでも、この料理に駄目出しをすることはないだろう。それぐらいの完成度を、俺は味わわされていた。
「今後、キミュスの皮だけを城下町から買いつけられるようになったら、この料理を屋台で出そうと思います。その際は、食堂の場所代やそこで働く人たちの賃金を出させていただきたいのですが……」
「うん。そのあたりのことは、ルウ家の人たちと相談させてもらうよ。それに、木皿も買わないとね」
「はい。キミュスの皮を買いつける目処がたったら、木皿も注文しようと思います」
俺はうなずきながら、料理の残りを食させていただいた。
どの食材も、この味付けにはしっかり合っているように思える。また、この素晴らしい仕上がりのソースにも、さまざまな食材が使われているのだろう。ヴァルカスのように複雑ではないものの、ものすごく深みがあって、いくらでも食べてしまいたくなる味わいである。
そして、そんな俺たちのかたわらでは、ジドゥラの手綱を握ったシーラ=ルウが静かに微笑んでいた。
もちろんルウ家の人々も、この料理の味見を頼まれたに違いない。シーラ=ルウはゆったりと微笑みながらも、静かな熱意ともいうべき光をその目に灯しているように感じられた。
(シーラ=ルウとレイナ=ルウも、新しい献立を考案している最中だって言ってたもんな。先にこんな料理を出されたら、それは奮起することだろう)
それに、宿場町でもずいぶん料理のクオリティが上がってきているようなので、それに負けないギバ料理を考案するべきだと言い出したのは、俺自身である。俺だって、マイムやシーラ=ルウたちに負けない料理をお披露目しなければならなかった。
(これこそ、切磋琢磨ってやつだよな)
そんな思いを胸に、俺はマイムの新たな料理をたいらげることになった。
◇
「トゥール=ディンやマイムは、本当にすごいですよね。最近、ますます自分との力の差を感じさせられてしまっています」
宿場町に到着し、《キミュスの尻尾亭》に向かっている最中に、ユン=スドラがそのように述べていた。
ただし、自分を卑下している様子は、まったくない。心から感服し、憧憬の念を抱いているような面持ちである。
「それに最近は、マルフィラ=ナハムも力をつけてきていますし……わたしなんて、すぐに追い抜かれてしまうでしょうね」
「マルフィラ=ナハムは、確かにすごい才能を持っているように感じられるね。でも、ユン=スドラみたいに屋台を取り仕切るには、まだまだ時間がかかるんだろうと思うよ」
俺は、そのように応じてみせた。
「それは料理人の才覚とは関係ない話かもしれないけれど、仕事を取り仕切る人間がいないと商売はできないからね。そういう意味では、ユン=スドラは俺にとってかけがえのない存在だよ」
「はい。わたしもアスタから取り仕切りの仕事を任せられることを、心から誇りに思っています」
そのように述べて、ユン=スドラはにこりと微笑んだ。
「どうもわたしは、トゥール=ディンやマルフィラ=ナハムの才覚を羨む気持ちになれないのです。それよりも、ルウやフォウの家長の伴侶を羨む気持ちのほうが強いようなのですよね」
「え? それはどうしてだい?」
「彼女たちは本家の家長の伴侶だけあって、取り仕切りの仕事がとても巧みでしょう? 自分自身の仕事もこなしながら、ああまで細やかに目を配ることができるのは、本当にすごいことだと思えるのです」
ギルルの手綱を引いて歩きながら、俺は小さからぬ感銘に打たれることになった。
ユン=スドラは「どうしたのですか?」と不思議そうに、俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、目のつけどころが違うなあと感心させられたのさ。さすがはライエルファム=スドラを家長とするスドラの家人だね」
「このていどのことで家長を引き合いに出されるのは、さすがに恐縮です。家長なんて、それこそ鳥のように広く世界を見渡せるお人なのですから」
「そっか。強情なわからず屋だと思っていないなら何よりだったよ」
「もう! アスタはいつまでそのように古い話を持ち出すつもりですか!」
と、ユン=スドラが顔を赤くしたところで、《キミュスの尻尾亭》に到着した。
が、扉を開けても受付台に人の姿はない。俺が「お邪魔いたします」と声を張り上げると、厨への入り口から予想外の人物が姿を現した。
「あれ? レイト、そんなところで何をしているんだい?」
「いまは、焦げついた鍋を洗っていました。屋台でしたら、僕がお出しします」
レイトは前掛けで手をふいてから、倉庫の鍵を取り出した。その姿に、俺はまたきょとんとしてしまう。
「今日はずいぶん本格的に仕事を手伝ってるみたいだね。他のみなさんはどうしたのかな?」
「ミラノ=マスは薪割りで、テリア=マスは客室の掃除です。レビは……」
と、そこでレイトは口をつぐんだ。
淡い茶色をした瞳が、俺の肩ごしに通路のほうを見やっている。俺が振り返ると、小さな人影がひょこひょこと近づいてくるところであった。
「ああ、あんた……あんたは、森辺のお人だね。その節は、どうも世話になっちまって……」
と、その人物が眉を下げながら、俺に笑いかけてくる。それは、《キミュスの尻尾亭》で暮らしているレビの父親、ラーズであった。
息子のレビよりも小柄であり、しかもひょろひょろに痩せている。まだそれほどの年齢ではないのに、ずいぶんと老人めいて見える人物であった。
なおかつ、現在は足と胸を負傷しているために、ずいぶん弱々しげな姿である。片方の手には杖をついており、胸もとをかばうように前かがみで歩いている。
「どうも、おひさしぶりです。ご自分の足で歩けるようになったのですね」
「ええ、おかげさんでねえ……あんたがたには、本当に感謝しておりやすよ」
口もとをほころばせると、前歯が何本か欠損しているのが見て取れる。それに、右手の指も二本ほど欠けているのは、かつて賭場でイカサマがバレたときの見せしめであるという話であった。
が、そんな前評判を抜きにして考えれば、とても善良かつ温厚そうに見える風貌である。年齢はまだ四十前後であるはずだが、好々爺と呼びたくなるような雰囲気の持ち主であるのだ。
「どこに行かれるのですか? ご用事でしたら、僕が承りますよ」
レイトがそのように呼びかけると、ラーズは「いやいや」と首を振った。
「ちっとばかり咽喉が渇いたんで、水瓶の水を分けてもらいに来ただけでさあ……自分の足で歩かないと、なかなか力も戻らないんでね」
「そうですか。転ばないように、お気をつけください」
ラーズはうなずき、厨の中に消えていった。
レイトは小さく息をついてから、俺に向きなおってくる。
「では、裏のほうにどうぞ。屋台をお出しします」
「うん、ありがとう。……そうか、親父さんが動けるようになったから、レビは人足の仕事を再開させたってことなのかな?」
「はい。今日の朝からです。ダレイム領の塀を築く仕事のようですね」
裏の倉庫へと歩を進めながら、レイトはそう言った。
「宿屋の仕事は夜が本番なので、日中は人足の仕事のほうが割がいいのでしょう。……だけどそのぶん、こちらの人手が足りなくなってしまったわけです」
「そっか。だったらレビも、宿屋の仕事を続ければいいのにね。そんなに銅貨が必要なのかなあ?」
歩きながら、レイトはゆっくりと首を横に振る。
「新しい長屋で暮らすために、あるていどはまとまった銅貨が必要だと考えているのでしょう。それに、父君の傷を癒すのにけっこうな銅貨がつかわれたようですから、それをミラノ=マスに返そうとしているのではないでしょうか」
「なるほど。でも、ミラノ=マスにしてみれば、長い逗留になってもいいから、昼間も宿で働いてもらいたいと考えているんじゃないのかな?」
「ミラノ=マスは、レビの好きにすればいいと言っていましたよ。本音は、どうだかわかりませんけどね」
ならば、テリア=マスはどうなのか――と言いかけて、俺は口をつぐむことになった。そのような話を問い質すのはぶしつけであるし、レイトに聞くのも筋違いであるように思えたのだ。
「まあ、ちょうどレイトがジェノスにいる時期でよかったね。レイトたちは、まだしばらくジェノスに滞在する予定なのかな?」
「ええ。メルフリードが王都から戻るまでは、ジェノスを拠点にするようですよ。それに、ズーロ=スンらの状態がわかるまでは、小さな仕事を受ける気もないようですね」
「そうか。カミュアもずいぶん、ズーロ=スンのことを気にかけてくれているんだね」
俺がそのように答えると、レイトは横目でクールな視線を突きつけてきた。
「あれだけ森辺の民に心を寄せているカミュアなのですから、ズーロ=スンのことを気にかけるのは当然ではないですか?」
「うん、まあ、それはそうなんだけどさ。ほら、家長会議のときなんかは、さっさとジェノスを出ていってしまったし……」
「それは、アスタやドンダ=ルウのことを信頼していたからでしょう」
レイトは、あっさりとそう言った。
「それにまた、ズーロ=スンは森辺の大罪人の中で唯一、王国の法で裁かれた存在であるのですからね。不慮の事故で魂を返したりはせず、苦役の刑をやりとげて罪を贖うことを、心から祈っているのだと思いますよ」
「うん。それは俺も、同じ気持ちだよ」
たとえズーロ=スンが生きながらえていたとしても、森辺の集落に戻ってこられるのは、10年後――いや、すでに1年近くが経過しているので、およそ9年後だ。
それでも森辺には、スンの分家の血族と、かつて家族であった者たちと、そして大勢の同胞が待っている。父親たるザッツ=スンから間違った運命を引き継いで、多くの同胞に苦難を与えてしまったズーロ=スンであるが、その帰還を望んでいない同胞はいないはずだった。
(母なる森に、父なる西方神……どうかあなたたちの子を、お守りください)
俺は、何度めかの祈りを天に捧げることになった。