ルウの家の勉強会③~卵の殻~
2018.8/15 更新分 1/1
その後、俺たちは二手に分かれることになった。
どのみち、総勢で30名近くもいたのだから、同じ場所で勉強会を続けるのは難しかったのだ。半数は本家にのかまど小屋に居残り、残りの半数はシン=ルウ家のかまど小屋に移動して、それぞれの修練を積むことにした。前者はミケルを講師としてキミュスの油の使い道を学び、後者は俺を講師として新たな麺の作製に着手する手はずとなっている。
「申し訳ないけれど、トゥール=ディンとユン=スドラのどちらかは、ミケルに手ほどきを受けてもらえないかな? それで、俺や他のかまど番に、その内容を後で教えてほしいんだ」
俺がそのように提案すると、ふたりはずいぶん悩ましげな面持ちになってしまった。どちらの勉強会にも参加したい、といった心境であるのだろう。
「それでしたら……わたしがミケルに手ほどきを受けようと思います。ポイタンやフワノの扱いでしたら、トゥール=ディンもアスタに直接手ほどきを受けたいでしょう?」
そのように述べてから、ユン=スドラはすがるような眼差しを俺に向けてきた。
「でも、アスタのほうの内容も、後でわたしに教えてくださるのですよね?」
「もちろんだよ。明日のファの家の勉強会でおさらいをすることになるだろうから、何も心配はいらないよ」
「承知しました。どうぞよろしくお願いいたします」
ルウ家でも同じようなやりとりを経た上で、レイナ=ルウが俺のほうに、シーラ=ルウがミケルのほうに参加することになった。
それに、リミ=ルウもこちらに参加するようである。卵の殻などをどのように扱うのか、興味津々であるらしい。あとは、ヤミル=レイやオウラ=ルティムなど、ルウの眷族の何名かはこちらの参加となり、ラッツとミームの女衆はユン=スドラをサポートするべく、ミケルのもとに留まることになった。
「ぱすたというのは、あの細長い料理のことですよね? わたしも1度だけ、宴料理で口にしたことがあります」
シン=ルウ家のかまど小屋に到着すると、ダナの女衆がそのように述べてきた。
「あれは、不思議な料理でした。いささか食べにくいようにも思いましたが、とても美味であったと思います」
「ありがとうございます。俺としては、あの料理の噛みごたえを改良したいのですよね」
俺がそう答えると、リミ=ルウが「何で?」とシンプルに問うてきた。
それに答えるのは簡単であるが、ディスカッションというのも勉強会の醍醐味である。
「ルウ家では、パスタだけじゃなく、黒フワノのそばもたまに作ってるんだよね。パスタとそばはよく似ているけど、違っているのはどの部分だと思う?」
「うーんとね、ぱすたのほうがもっちりしてると思う! そばのほうは黒フワノを使ってるせいか、あんまりもちもちしてないんだよね」
「うん、そうだね。それで俺は、パスタにはパスタに相応しい味付けが、そばにはそばに相応しい味付けがあると考えているんだ。あの、海草と燻製魚の出汁を使っためんつゆだと、あまりパスタに合わなそうだろう?」
「うん! あんまり美味しくなかった! みーとそーすとかかるぼなーらは、黒フワノのそばに合わなかったしね!」
リミ=ルウのその返答に、俺は「え?」と目を丸くすることになった。
「それじゃあリミ=ルウは、パスタをめんつゆで食べたり、黒フワノのそばをミートソースやカルボナーラで食べたりしたことがあるのかな?」
「うん、レイナ姉がこっそり作ってたから、味見させてもらったの!」
すると、そのレイナ=ルウが顔を赤くしながら妹の口をふさいだ。
「も、申し訳ありません。わたしはそれらの組み合わせが適していないとアスタに聞かされていましたが、ついつい試したくなってしまったもので……」
「何も謝る必要はないよ。俺の言葉を頭から信じないで、自分で実際に試そうとするのは、とても立派なことじゃないか」
俺は笑顔で、レイナ=ルウをなだめることになった。
両手で口もとをふさがれながら、リミ=ルウはにこにこと笑っている。
「だけどやっぱり、レイナ=ルウたちも俺と同じ意見だったんだね。俺の場合は単なる思い込みなのかなという気持ちもあったから、そうじゃなかったんならよかったよ」
「はい。思い込み、ですか?」
「うん。そばはめんつゆで食べるもの、ミートソースやカルボナーラはパスタを使うもの、という思い込みだね。それは単に、俺の故郷ではそういう食べ方をされていた、というだけの話だからさ」
しかし、そんな固定観念にとらわれていないレイナ=ルウたちでも同じ気持ちを抱くに至ったというのなら、ますます今回の取り組みも有意義なものになりそうだった。
「それでね、俺はかねがね、ギバ骨スープに使う麺を改良したいと思ってたんだよ。これまでパスタを使っていたのは、本来使いたい麺を作る研究を後回しにしていたからなんだ」
「そうなのですか。それは、そんなに難しい料理なのですか?」
「難しいというよりは、食材が足りていなかったんだよね。それは俺の故郷でも、けっこう特殊な食材だったからさ」
俺が作りたかったもの、それはもちろん中華麺であった。
しかし、さすがにこの食材の宝庫たるジェノスにおいても、「かん水」に代わる食材とは出会えなかったのである。
中華麺の特性というのは、あの独特の風味とコシの強さ、そして黄色い見た目であろう。それらは大体において、かん水を使用することによって得られる特性であるはずだった。
では、かん水とは何か。
俺の頼りなげな記憶によると、それは炭酸ガスを含んだ水――炭酸ナトリウムを主成分とする、アルカリ塩水溶液であったはずだ。
化学の授業など大の苦手であった俺がどうしてそのような知識をわずかなりとも持ち合わせていたかというと、それは例によって映画をきっかけに得た知識であった。南極基地に赴任した料理人が、いかにして中華麺を作製したか。そのエピソードから得た、にわか知識なのである。
アルカリ塩水溶液という名を俺に教えたのは、たしか親父であったと思う。「要するに、重曹があれば何とかなるってこった」と、親父は笑っていたものであった。
重曹ならば、俺もよく知っている。鍋の焦げ落としなどで、使う機会が多々あったためだ。確かにそのときも、アルカリの成分が焦げを分解するのだと習った覚えがあった。
そして重曹は、ベーキングパウダーの主成分でもある。膨張剤、いわゆる「ふくらし粉」というやつである。かん水が手に入らなくとも、重曹さえあれば代用品にすることはできる、という話であったのだ。映画の中の主人公も、ベーキングパウダーに水と塩を加えて、見事にかん水の代用品を作製してのけたのだった。
が、この世界に重曹は存在しない。少なくとも、俺はいまだに出会ったことがない。
そこで思いついたのが、卵の殻であった。
この卵の殻というやつも、微弱ながらもアルカリ性であったので、ちょっとした掃除や汚れ落としに使うことができる、という話を聞いたことがあったのだ。それも、俺の記憶に間違いがなければ、熱を加えることによってアルカリの成分が増す、という話であるはずだった。
「こまかい話は、俺もあまり理解しきれていないんだけどね。とりあえず、卵の殻を生地の中に練りこむと、粘りやコシが強くなるんじゃないかと思うんだ」
アルカリ性の物質がグルテンに作用して粘りを生む――などという、俺でも理解しきれていない話がレイナ=ルウたちに理解しきれるとも思えなかったので、俺は簡潔にそう説明してみせた。
「で、骨ガラのスープには、パスタよりも粘りやコシの強い麺が合うと思うんだよ。それを研究してみようかと思うんだけど、おつきあいいただけるかな?」
「もちろんです。骨ガラのすーぷを好む森辺の民はとても多いので、それをさらに美味なる料理に仕上げられるなら、誰もが喜ぶことでしょう」
レイナ=ルウの力強い賛同を得て、俺は中華麺の作製に着手することになった。
まずは、卵殻の準備である。
ミケルの話によると、沸騰したお湯でしばらく煮込んでやれば、それで害なく口にできるとのことであった。
「それで、卵の中身はどうしましょう。パスタのように、これも生地に練りこむのでしょうか?」
「うん。実は、その配合も色々と試したいんだよね。卵白を多めにすると、それでもコシが強くなるはずだからさ」
とりあえずは、卵を使わないパターンと、パスタと同じ分量だけ使うパターン、卵白だけを倍にするパターンの、3種を試すことにした。
さらに、卵殻をどれだけ投じるか、その分量も3種に分けて、合計9種のパターンを作製することにする。
もちろんこれも、1日で理想に到達することはないだろう。パスタや黒フワノのそばだって、俺はあれこれ試行錯誤しながら、何とか完成にこぎつけたのである。それだけ労力のかかる仕事であるからこそ、俺は今日まで着手していなかったのだった。
「ギバ骨スープは、パスタでも大好評だったしね。さらにその先を目指すのは、後回しでいいかなと考えていたんだ」
作業を進めながら、俺はそのように説明してみせた。
「でも、ミケルの教えてくれたキミュスの油のおかげで、ギバ骨スープの完成度がまた上がりそうだからね。ここがちょうどいい機会なのかなと思ったわけさ」
「はい。おそらくギバ骨すーぷというのは、森辺でも一、二を争うほどの立派な料理であると思います。それがさらに美味なる料理に仕上がったら……ヴァルカスたちを、より驚嘆させることができるのではないでしょうか?」
砕いた卵殻を塩水にあわせてポイタンとフワノの生地に練り込みながら、レイナ=ルウは熱っぽく瞳をきらめかせていた。
「わたしも早く、またヴァルカスに自分の料理を食べていただきたいと願っています。そのために、シーラ=ルウと新たな料理の研鑽に勤しんでいるのですよ」
「へえ、そうだったんだね。それは、俺も楽しみだよ」
「ありがとうございます。……それに、マイムもいよいよ屋台で新しい料理を売りに出すつもりだと言っていました。それで、皿を使う料理になるようだったら、自分も食堂の場所代を払いたいと言っていましたね」
マイムはこれまで手づかみで食べられる料理を販売していたために、青空食堂にはノータッチであったのだ。
「それに、皿を集めたり洗ったりしなくてはならないので、手伝いをしている女衆の賃金も払いたいと……そのあたりは、ちょっと計算が難しそうですね」
「そうだねえ。そういえば、俺たちもそのへんの計算はあやふやだったしね。木皿を使う量はファの屋台のほうが多いのに、ルウのほうが多くの人手を出していたから、申し訳ないと思っていたんだよ」
青空食堂で働く人間は、ルウの血族から2名、ファから1名という分担であったのだ。皿の数で考えれば、ファのほうが2名分の賃金を支払うべき分量であるはずだった。
「それなら、今後は木皿を使う料理の数で、支払う賃金を割り振ろうか?」
「料理の数で、賃金を? ……申し訳ありませんが、もう少し詳しくお話ししていただけますか?」
「うん。たとえば、ルウ家で皿を使う料理が200食、ファの家が300食、マイムが100食だったとしたら、2対3対1の割合で、青空食堂で働く人間の賃金をまかなうんだ。そうすれば、不公平もないだろう?」
配合を終えた生地を打ち粉の上でのばしつつ、レイナ=ルウは困り果てたように眉を下げている。
「いちおう、頭では理解できました。でも、仕事の代価は女衆の力量によって異なっていますし、料理の数もまちまちなのですから……とてもこまかい計算になってしまいませんか?」
「うん。そのあたりのことは、俺が受け持つよ。……それに、ツヴァイ=ルティムはもちろん、マルフィラ=ナハムやリミ=ルウだって、これぐらいの計算はこなせるんじゃないかな」
俺がそのように述べてしまうと、レイナ=ルウはすねたように口をとがらせた。
「確かにリミは、わたしよりも計算を得意にしているようです。……わたしには、計算の才覚が備わっていないのでしょうか?」
「いや、そういうのは幼い人間のほうが、すんなり習得できるのかもしれないよ。俺の故郷でも、計算の修練っていうのは幼いうちから積まされていたからね」
「……でも、マルフィラ=ナハムは幼子ではありませんよね」
「マルフィラ=ナハムもまだ16歳だから、俺たちよりは頭が柔軟なんじゃないのかな」
俺はフォローをしたつもりであったのだが、レイナ=ルウは「そうですか」といっそうすねた面持ちになってしまった。
ちなみにそのマルフィラ=ナハムは、ちょっと離れた作業台で、懸命に生地をこねている。9パターンの麺を仕上げるというのはなかなかの労力であったものの、この人数であれば順調に作業を進められそうだった。
「ねー、アスタ! この生地、すっごく固くなってきたよ!」
と、マルフィラ=ナハムの向かいで作業をしていたリミ=ルウが、元気いっぱいの声をあげてきた。
「これって、ぱすたやそばと同じぐらい、こねこねしたほうがいいんでしょ? こんなに固いと、リミは十分にこねこねできないかも!」
「ああ、リミ=ルウのは、一番たくさんの卵殻を使ってるやつだったね。それじゃあ、マルフィラ=ナハムと代わってもらえるかな?」
「は、は、はい。承知いたしました」
マルフィラ=ナハムが場所を代わって、リミ=ルウの担当であった生地をこね始める。それがすみやかにこねられていくさまを見て、リミ=ルウは「すごーい!」と声をあげた。
「マルフィラ=ナハムって、ほんとに力持ちなんだね! もしかしたら、ヴィナ姉より力持ちなのかも!」
「い、いえ、とんでもありません」
そんなやりとりを耳にすると、レイナ=ルウはいっそうすねたお顔になってしまった。
「……マルフィラ=ナハムというのは、本当にさまざまな才覚を持つ女衆なのですね」
「うん、まあ、そうだね。でも、レイナ=ルウだって大したものじゃないか。このルウ家で一番のかまど番なんだからさ」
「それは、わたしが長きに渡ってアスタに手ほどきされてきた結果です。1年も経てば、マルフィラ=ナハムはすべてにおいてわたしを上回ってしまうのではないでしょうか?」
レイナ=ルウの目に、対抗心の火がめらめらと燃えあがる。
俺は頭をかきそうになったが、手が粉まみれであったので、それもかなわなかった。
「マルフィラ=ナハムが1年の経験を積む頃には、レイナ=ルウは2年の経験を積んでいるよ。それなのに、マルフィラ=ナハムに追い抜かれちゃうのかな?」
「……そうはならないように、励みたいと思っています」
そのように述べてから、レイナ=ルウはふっと不安げな面持ちになった。
「わたしは、他者の力量を気にかけすぎでしょうか? 何だか急に、自分が浅ましい人間であるように思えてきてしまいました」
「いやいや、競争心を持つのは、悪いことじゃないはずだよ。マルフィラ=ナハムだってロイだって、レイナ=ルウにいい影響を与えてくれてるんじゃないかな」
「ど、どうしてそこで、ロイの名前が出てくるのですか?」
「え? だって、ロイはヴァルカスに弟子入りを認められただろう? レイナ=ルウなら、競争心をかきたてられるんじゃないかと思ってさ」
そう言って、俺は笑ってみせた。
「というか、俺だってロイやヴァルカスのことは意識しまくってるからね。それに、レイナ=ルウのこともさ」
「わ、わたしのこともですか?」
「それはもちろんだよ。たった1年ていどでこれだけの腕前を身につけたレイナ=ルウを、俺が意識しないわけがないだろう?」
レイナ=ルウは眉を下げながら、トゥール=ディンのようにおずおずと微笑んだ。
「アスタにそのような言葉をかけられるのは、光栄の限りです。……こちらの生地は、もうよろしいでしょうか?」
「うん、いいんじゃないかな。そのまま、少しだけ寝かせよう」
他の作業台でも、のきなみ作業は終了した様子である。
しばし休憩タイムとなり、その間にリミ=ルウがちょろちょろと駆け寄ってくる。
「あれー、どうしたの、レイナ姉? なんか、すっごく嬉しそう!」
「な、なんでもないよ。この料理の仕上がりが楽しみなだけだから」
そのように述べながら、レイナ=ルウはずっともじもじしている様子であった。
「ふーん?」と首を傾げてから、リミ=ルウはくりんと俺に向きなおってくる。
「でも、あんなに生地が固くなったから、リミもびっくりしちゃった! あんなに固くて、美味しい料理になるのかなあ?」
「そうだねえ。思った以上に効果が出てるみたいで、俺も驚いてるよ。もしかしたら、俺の故郷の卵殻より、生地を固くする成分が強いのかもね」
しかし、それならそれで卵殻の分量を減らせばいいだけのことなので、俺にとってはありがたい話である。結果が楽しみなところであった。
そうして生地を寝かせた後は、平たくのばして裁断だ。
それらの作業が進められていくさまを、見習いのかまど番たちは感心しきった目で見やっている。パスタを知らない女衆はさすがに存在しないはずであったものの、熟練者の手にかかるとこうまで仕事が早いのか、と感心しているのだろう。特に、ファの家でパスタ作りに関わることの多かったトゥール=ディンやリリ=ラヴィッツやディンの女衆などは、レイナ=ルウに負けないぐらいの手際を身につけていたのだった。
そうして、着々と作業は進められていく。
卵殻を使った生地は、わずかに黄色みが強くなっているように感じられる。これこそが、アルカリ物質の恩恵であるのだろう。
この段階で生地が固くなっているのだから、粘りやコシの強さも期待できそうなところである。いったいどのような麺ができあがるのか、俺は期待に胸をふくらませながら、その麺を茹であげることになった。
が、現実は非情である。
味見をした9種の麺は、いずれもじゃりじゃりとした嫌な歯ざわりが生じてしまっていたのだった。
「何だか、砂が混じっているかのようですね。卵の殻を、もっと入念にすりつぶすべきだったのでしょうか?」
レイナ=ルウも、張り詰めた面持ちで考え込んでいる。
すると、トゥール=ディンがおずおずと発言した。
「それでしたら……卵の殻を、あらかじめ焼いておくというのは、いかがでしょうか?」
「あらかじめ焼いておく? それは、どういうことかな?」
「は、はい。ギバの骨つき肉を石窯で焼いたりすると、骨も砕けやすくなるでしょう? 卵の殻というのは獣の骨に似ているように思えたので、焼けば砕きやすくなるのかと……」
トゥール=ディンは自信なさげであったが、その言葉はきわめて理にかなっているように思えた。卵の殻も獣の骨も、おおもとはカルシウムであるのだから、性質は似ているはずであるのだ。
「よし、それじゃあ今度は、石窯で焼いた卵殻を使ってみよう。時間的に、今日の研究はそれでおしまいだろうね」
そうして、再びの作業である。
が、パターンは6つに絞ることにした。卵殻だけでも十分なコシの強さを期待できそうであったので、卵白を増やすパターンは省略することにしたのだ。
卵白だけを増やしてしまうと、卵黄が余ってしまうので、その使い道を考えなければならなくなる。今回はタリ=ルウが買い取ると申し出てくれたが、そのような手間が生じないに越したことはなかった。
とりあえず、卵殻は鉄鍋で煮込んだのちに、焦げつかないていどの火力で四半刻ほど石窯で焼き、すりつぶす。そうすると、確かにさきほどよりは容易に砕けるようだった。
さきほども入念にすりつぶしたつもりではあったが、今回の仕上がりなどは、フワノやポイタンの粉と判別がつかないほどだ。さらさらとした砂のような卵殻を生地に練りこんで、再度、麺作りの作業である。
「本当にアスタたちは、食事ひとつにものすごい労力をかけるのだな。これならば、食事が美味くなるのも当然だ」
ずっと隅っこで静かにしていたティアは、そのように述べていた。
べつだん、それを揶揄している様子はない。ただ感じたことを口にしただけなのだろう。俺は笑顔で「そうだね」と答えてみせた。
「これも美味しく仕上げられたら、ファの家の晩餐で出すつもりだからさ。ティアも楽しみにしていておくれよ」
「うむ。美味なる食事を楽しみにしている」
そう言って、ティアはにこーっと微笑んだ。
その無邪気な笑顔に、リミ=ルウも「あはは」と笑っている。
そんな中、じょじょに日は傾いていき、勉強会の終了する刻限が迫ってきていた。
そうして俺たちが、ついに茹であげの作業に着手したとき、かまど小屋の入り口からシーラ=ルウとユン=スドラが姿を現した。
「アスタ、こちらの作業は終了しました。そちらは、いかがでしょうか?」
「あ、こっちももうすぐ仕上がるところです。もうちょっとだけ待っていてもらえますか?」
砂時計の砂が落ちきったところで、麺を引きあげる。
シーラ=ルウとユン=スドラは、くいいるようにその麺を見つめていた。
「それが、卵の殻を使ったぱすた……いえ、ちゅうかめんというものなのですか? 卵の殻は白いのに、そちらは黄色みが強くなっているようですね」
「ええ。これも卵殻の作用のはずです。ただ、さっきは失敗してしまったので、今回はどうでしょうね」
俺たちは、茹でたての麺を1本ずつつまむことにした。
卵殻を多くつかっているものほど、黄色みは強い。それに、中華麺独特の香りが、わずかながらに漂っているように感じられた。
俺が最初につまんだのは、卵そのものも入れたパターンの中で、もっともたくさんの卵殻を使ったものだ。
それを口に入れてみると――前回の、じゃりじゃりとした食感はなくなっていた。
ただし、歯ごたえがありすぎる。パスタのアルデンテとはまた異なる、ぎゅぎゅっと凝り固まったような食感だ。これは、いささか食べにくいように思えた。
また、その食感とは裏腹に、ずいぶん麺がふくれあがっているように感じられる。驚くべきことに、ふくらし粉と同じような効果まで表れたらしい。それはそれで得難い発見であったものの、やたらと加水率が高まってしまったらしく、べちゃべちゃとした嫌な粘り気まで生じてしまっていた。
(これだと、卵殻が多すぎるのかな。でも、石窯で焼いたのは大正解みたいだ)
そんな思いを胸に、次なる麺を試食する。
2番目に卵殻を多くしたその麺は、ほどよいコシの強さが感じられた。
パスタよりも歯ごたえがあるものの、噛めばぷちりと簡単にちぎれる。弾力の強い、心地好い食感だ。嫌な粘り気も、まったく感じられない。
それよりも卵殻を少なくした麺は、それほどパスタとの差異がないようだった。
黄色みも弱いし、風味もパスタと変わらない。わずかに弾力が増したようには感じられるが、ほとんど誤差の範囲である。
そしてその後は、卵そのものを使っていない麺も味見してみたが、そちらはあまりいただけなかった。
なんというか、卵殻の量に拘わらず、いささか食感が悪いように思えたのだ。たとえて言うなら、湯がかずに調理したホウレンソウのように、キシキシとした食感がわずかに感じられるのである。
(中華麺ってのは、必ずしも卵を使う必要はないはずだけど……キミュスの卵殻を使うには、卵の中身も使ったほうが望ましいっていうことなのかな)
そもそも、生地のおおもとだってポイタンやフワノであり、小麦粉ではないのだから、それらの食材ならではの特性が生じて当然のことであった。
しかし何にせよ、キミュスの卵殻がかん水や重曹の代用たりうることは、これで立証することができた。鶏卵の卵殻ではこうまで効果も出まい、というぐらい、本日作製した麺は黄色みが強く、コシもあり、独特の風味も生じていたのである。
「……もっとも美味と思えるのは、卵の中身も使った上で、2番目に殻を多くしたものであるようですね」
すべてを味見したレイナ=ルウは、そんな風に述べていた。
「ただ、確かに歯ごたえは増しましたし、これまでになかった風味も生まれたようですが、これがぱすたより美味であるかはわかりません。アスタとしては、いかがなのでしょう?」
「うん。研究の初日としては、十分な成果だと思ってるよ。ただ俺は、ポイタンとフワノの量も変えてみようかと考えているんだよね」
「ポイタンとフワノの量を?」
「うん。これは、パスタのために研究した分量だからね。今度は中華麺に適した配合を考えれば、もっと味は向上するんじゃないかな」
アルカリ物質が作用するのは、たしかグルテンであるのだ。もともと歯ごたえのどっしりしているポイタンのほうが、フワノよりもグルテンは豊富であるように思えるので、そちらの配合を変えれば、また卵殻の作用も異なってくるはずだった。
「うーん、1度しかぱすたを食していないわたしには、さっぱり違いがわかりません。トゥール=ディンは、いかがですか?」
ダナの女衆がそのように問いかけると、トゥール=ディンはいつになくきりりとした面持ちでそちらを振り返った。
「違いは、大きいと思います。これに砂糖やカロンの乳などを加えたら、また新たな菓子を作れるかもしれません」
「そうなのですね。アスタやトゥール=ディンが新たな料理や菓子を作りあげる日を楽しみにしています」
どうやらパスタとの違いを現時点で明確に感じ取っているのは、俺とレイナ=ルウとトゥール=ディンぐらいであるようだった。リミ=ルウも小難しい計算式を前にしているかのように首を傾げており、ヤミル=レイなどはすました顔で肩をすくめている。いつも試食会では感涙しているマルフィラ=ナハムも、自分の不明を恥じるようにうつむいてしまっていた。
しかしこれは、研究の第一歩目である。
俺は確かな手応えをつかみながら、ユン=スドラに向きなおってみせた。
「ユン=スドラ、そっちの勉強会はどうだったかな?」
「はい。キミュスの出汁と油だけで、とても美味なるすーぷを作れたと思います。あれにギバの出汁や油を加えたらどのような味わいになるのか、とても楽しみなところですね」
「そっか。それじゃあこっちも、それに相応しい麺を作りあげないとね」
そうしてその日の勉強会は、幕を閉じることになった。
明日からは、中華麺の研究にかかりきりになることだろう。ダナやハヴィラの女衆が逗留する半月が、すべてこの中華麺の研究だけで終わらないように配慮しないとな、と俺はこっそり考えていた。