ルウの家の勉強会②~出汁と油~
2018.8/14 更新分 1/1
屋台の商売を終えてルウの集落に帰りつくと、そこにはすでにキミュスの骨ガラを煮込む濃厚なる香りがたちのぼっていた。
ギバほどではないにせよ、キミュスの骨ガラというのもなかなか強烈な香りを発散させる食材であるのだ。なおかつ本日は風向きのせいなのか、広場に足を踏み入れるなり、その香りの圧力に出迎えられることになった。
「どうもお疲れ様です、ミケル。本日はご指南、お願いいたします」
その香りの大もとである本家のかまど小屋にて、俺はそのように挨拶してみせた。
鉄鍋の中身を攪拌していたミケルは、普段通りの不機嫌そうな面持ちで俺たちを見回してくる。
「何だ、今日はずいぶんな大人数だな。さすがにその全員がこの中に入ることは難しかろう」
正規の従業員が16名に、研修生の4名をあわせて、総勢は20名ジャストであったのだ。なおかつ、表でティアと合流したので、もうひとりぶんプラスされてしまう。
すると、ミケルのかたわらから鉄鍋を覗き込んでいたバルシャが、顔を上げた。
「あたしなんかが居座ってたら、お邪魔になっちまうね。外で薪でも割ってくることにしよう」
「いや、バルシャひとりが出ていっても、この人数は無理だろうねえ。いっそのこと、外のかまどで手ほどきしてもらったらいいんじゃないのかい?」
かまど小屋では、ミーア・レイ母さんやシーラ=ルウを始めとする5名ばかりの人々が、明日のための下ごしらえに励んでいたのだ。そちらの面々もミケルの手ほどきを望んでいるはずであるから、確かに屋内で勉強会を行うのには無理が生じるようだった。
ということで、ミケルの煮込んでいた鉄鍋は屋外のかまどへと運ばれていき、俺たちもその間に下ごしらえの仕事を始めさせていただく。そのさまを、ダナの女衆は不思議そうに見やっていた。
「あの、明日のための下ごしらえというのは、この場で果たすのですか? それらの仕事はファの家で行われるのかと思っていたのですが……」
「あ、はい。この場で行うのは肉の切り分けと、ちょっとした下準備ぐらいです。そのために、ルウ家で商売用の肉や食材を預かってもらっているのですよ」
「そうなのですか。でも、ルウ家で勉強会が行われる日も、ダナとハヴィラの女衆は昼下がりにファの家に向かう手はずになっていますよね? いまごろ、町に下りなかった3名は、ファの家に向かっているかと思うのですが……」
「ええ、そちらはそちらで仕事に取り組んでいるはずですよ。フォウの女衆に取り仕切り役をおまかせして、カレーの素や乾燥パスタといったものの作り置きをお願いしているんです」
そんなやりとりをしていると、トゥール=ディンが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「す、すみません。わたしの言葉が足りていなかったようです。もっとわかりやすく説明するべきでした」
「何を言っているのですか。トゥール=ディンに罪はありません。1度の説明で理解しきれない、わたしに非があるのです」
「いやいや、何もそんな騒ぐような話じゃないですよ。ダナやハヴィラのみなさんは、まだ日時計の時刻で動く習慣がないから、1日の流れを把握するのが難しいのでしょう」
あたふたとしているふたりをなだめるために、俺は笑顔でそのように述べてみせた。
「これからも、疑問に思ったことは何でも聞いてください。それでは、こちらの仕事を仕上げちゃいましょう」
いまの一幕だけでも、この両名がおたがいのことをどれだけ思いやっているかが見て取れたような気がした。トゥール=ディンも着実に血族と絆を深められているようで、俺としては喜ばしい限りである。
そうして下ごしらえの仕事が一段落したら、いよいよミケルの手ほどきだ。
俺たちが連れ立ってかまど小屋を出ていくと、先に仕事を終えたルウ家の人々が屋外のかまどを取り囲んでいた。
「この人数だと、外でも窮屈だね。前にいる人間は身を屈めて、後ろの人らが見えるようにしてやりな」
ミーア・レイ母さんがてきぱきと指示を下すと、先行の人々が膝を折ってくれた。
その中で、レイナ=ルウが笑顔で俺を振り返ってくる。
「アスタはどうぞ、前のほうに。ミケルと言葉を交わすのに、その場所では不便でしょう?」
「うん、ありがとう」
かまどの横手に立ち尽くしたミケルのもとまで、俺は歩を進めさせていただいた。鉄鍋の攪拌をまかされていたマイムが、にこりと笑いかけてくる。
そんな中、ミケルは寄り集まった人々の姿を見回しながら、溜息をついていた。
「これで全員だな? まったく、たいそうな騒ぎになったものだ」
「今日は本当にありがとうございます。あらためて、御礼を言わせてください、ミケル」
「ふん。森辺の民には、返し尽くせないほどの恩義があるからな」
仏頂面で言いながら、ミケルは足もとの革袋を取り上げた。
「それでは、説明するぞ。こいつが朝、肉の市で買いつけてきた、キミュスの皮だ」
革袋の中から取り出されたキミュスの皮が、べろりと広げられる。色合いは薄桃色で、サイズは30センチ四方もない。キミュスというのは、ウサギともアヒルともつかない小型の獣であるのだ。その皮も綺麗な四角形をしているわけではなく、下部には足の形が見て取れた。
「ああ……それは、まぎれもなくキミュスの皮であるようですね」
ユン=スドラが、妙に切なげな声でつぶやいているのが聞こえてきた。彼女はダレイムの見学会で、生きたキミュスをその目で見たひとりであったのだ。なおかつ、なかなかユーモラスな造形をしたキミュスの姿に心をひかれていた様子であったのだった。
そんなユン=スドラの複雑な心情も知らぬげに、ミケルは言葉を重ねていく。
「見ての通り、町で売られる際にはのきなみ羽毛をむしられているので、調理に面倒なことはない。あとはこいつを切り刻んで、火にかけるだけだ」
「そうすると、ヴァルカスの料理で使われていた、あの見事な出汁が取れるのですか?」
最前列に陣取ったレイナ=ルウが、真剣きわまりない表情で質問を発する。
そちらを横目で見やりながら、ミケルは「ふん」と鼻を鳴らした。
「俺はその料理を見たわけでも口にしたわけでもないので、確かなことは言えん。しかし、ヴァルカス自身がキミュスの皮と骨を使ったと述べていたのだろう?」
「はい。確かにそのように述べていました」
「それで、煮汁が金色をしていたというなら、これで間違いはあるまい。キミュスの皮から取った油は、金色をしているものだからな」
「油? 出汁ではないのですか?」
「出汁を取るのは骨で、油を取るのは皮だ。お前たちとて、ギバの皮から脂をこそぎ取っているだろうが? あれと同じようなものだと思えばいい」
そう言って、ミケルはその手の皮をひっくり返した。
「しかし見ての通り、キミュスは皮の裏に脂がひっついているわけではない。この皮の中に含まれている脂を、入念に絞り出す必要があるのだ。……マイム」
「はい」とうなずいたマイムが、ミケルの手から皮を受け取る。どうやら俺たちがやってくる前に、作業の打ち合わせは済んでいたらしい。
鉄鍋の攪拌をミケルにバトンタッチして、マイムは足もとの敷物に腰を落ち着ける。そこには、まな板と調理刀が準備されていた。
それらの器具で、マイムはキミュスの皮をざっくり切り分けていく。
大きさはおおよそ5センチ四方で、形状はまちまちだ。すみやかにその作業を終えたマイムは、切り分けられたキミュスの皮を未使用の片手鍋へと移した。
屋外にはふたつのかまどが設置されているので、空いているほうにその片手鍋を置く。そして、そのかまどにも火が点された。
「なるほど。水で煮込むのではなく、そのまま火にかけるのですね。確かに、ギバのらーどを作るときと、手順は似ているようです」
「うむ。最初はやや強めの火で焼き、色が変わってきたら、ひっくり返す。何も難しいことはない」
皮の焼ける香ばしい香りが、あたりにあふれかえっている。それに、最初からもうふんだんに油が出て、ぱちぱちと景気のいい音色を奏でていた。
「何だか、おなかの空く匂いだねー! ギバのらーどとは、ずいぶん匂いが違うみたいだけど!」
レイナ=ルウとシーラ=ルウにはさまれたリミ=ルウが、にこやかに声をあげている。その背後では、マルフィラ=ナハムが食い入るように鉄鍋を凝視していた。
「父さん、けっこう色づいてきたみたいだよ。もうひっくり返してもいいのかな?」
「ああ、もう頃合いだろう。ひっくり返したら、火を弱めておけ」
「了解!」
マイムは木べらを使ってキミュスの皮をひっくり返すと、燃えている薪の何割かを外側にかき出した。
「あとは、油が出るのを待ち受ける。時間は、四半刻ほどだな。……ここで焦げ目をつけると油に香りが移るので注意しておけ」
「うん、わかった。……うわー、もう何だか、皮を油で揚げてるみたいな感じになってきてるね」
ミケルの指示に従いながら、マイムはとても楽しげな様子であった。ミケルが指南役を受け持つとき、マイムはいつもこういう面持ちであるのだ。きっと、尊敬する父親がこのような役回りを果たすことを、心から誇らしく思っているのだろう。
「そういえば、そちらの皮はキミュスの肉から剥がしたものなのですよね? キミュスの皮というのは、肉ごと買いつけねばならないのでしょうか?」
そのように発言したのは、ユン=スドラであった。骨ガラのほうの灰汁を取りながら、ミケルはそちらをじろりとねめつける。
「宿場町で皮を手に入れるには、肉ごと買いつけるしかないようだな。しかし、城下町にツテがあれば、そちらから皮だけを買いつけることはできるはずだ」
「そうですか。森辺の民はギバならぬ獣の肉を好みませんので、それならば助かります。……でも、やはり値の張るものなのですよね?」
その質問には、俺が答えることができた。
「キミュスの皮っていうのは意外に頑丈らしくて、カロンの皮と同じように、革製品に加工されているんだよ。だから、1羽のキミュスから取れる皮と肉が、同じ値段で取り引きされてるっていう話なんだよね」
「そうなのですか。それはいったい、どれほどの値段なのでしょう?」
「小ぶりのキミュスなら、1羽分の肉も皮も、それぞれ赤銅貨3枚らしいね。ただしこれはまとめ買いの値段だから、普通に買ったら倍額の6枚だ」
「ぐふう」というおかしな声が聞こえてきたので振り返ると、マルフィラ=ナハムが頼りなげにその長身を揺らしていた。
「あ、あ、赤銅貨6枚ですか。で、では、今日は肉ごと買いつけたので、赤銅貨12枚も支払うことになったわけでしょうか?」
「いや、実は今日は、ルウとファで協力して箱ごとまとめ買いしてきたんだよ。だから、肉と皮をあわせて赤銅貨6枚だね」
「あ、ああ、そうでしたか……」
マルフィラ=ナハムは、ほっとしたように息をついた。
すると今度は、そのかたわらで柔和に微笑んでいたリリ=ラヴィッツが声をあげてくる。
「しかし、箱で買いつけるなら、それだけでもたいそうな値段になりそうですね。ギバ肉などは、ひと箱で赤銅貨90枚から150枚もするのでしょう?」
「はい。キミュスの皮つき肉も、ひと箱でちょうど赤銅貨90枚でしたよ。もともとギバ肉はキミュスの皮なし肉の倍ぐらいの値段とされていましたから、帳尻は合うみたいですね」
「なるほど……それで、ファとルウの家は、しばらくそのキミュスの肉を食べ続けるのでしょうか? それとも、肉は不要として打ち捨ててしまうのでしょうか? アスタもたしか朝方に、肉のほうは使い道がないと仰っていましたよね?」
「ええ、俺たちに必要なのは皮と骨ガラだけであったので、さばいた肉は宿場町の宿屋に引き取っていただく約束を取りつけておりますよ」
俺の返答に、リリ=ラヴィッツは「そうなのですか?」と小首を傾げた。
「ですが、宿場町で買いつけた肉を他者に売るのは、ジェノスの法で罪とされていたような……これはわたしの思い違いであったのでしょうか?」
「いや、それはまとめ買いをした人間が小分けで売りさばいて利ざやを稼ぐことを禁じる法であったので、適正の値段で売り渡すことは罪にならないそうなのです。そのあたりのことは、俺たちも事前にきちんと確認しておきましたよ」
さすがにリリ=ラヴィッツは鋭いところを突いてくるなあと感心しながら、俺はそのように答えてみせた。
「そうじゃなかったら、多少時間がかかろうとも、俺たちは城下町でキミュスの皮だけを買いつけていたことでしょう。たとえ銅貨がありあまっていたとしても、食べるあてのない肉を買いつけるわけにはいきませんでしたからね」
「そうですか」と、リリ=ラヴィッツはにんまり微笑んだ。
「話の腰を折ってしまい、申し訳ありませんでした。どうぞ話をお続けください」
「はい。話をまとめると、キミュスの皮は1羽分で赤銅貨3枚です。それを今回は、ルウとファで15羽分ほど買いつけてきたことになりますね」
「1羽分の皮というのは、いまそちらで焼かれている量ですよね? それならば、やはりずいぶんと値の張るものなのですね」
ユン=スドラが、残念そうに息をついている。赤銅貨3枚といえば、アリア15個分の価格であるのだから、やはり高額であるに違いない。
「まあ、俺たちが使うとしたら、やっぱり宴料理だろうね。これを使って宴料理に相応しい料理を完成させることができたら、家長たちも買うことを許してくれるんじゃないかな」
「そうですね。あのヴァルカスの料理ぐらい、見事な料理を作れるといいのですけれど……あ、でも、わたしもマイムと同じように、あの料理には果実の甘さや酸っぱさはいらないのではないかと思っていました」
「うん。森辺の民が口にするなら、ギバ料理として活用しないとね」
そんなやり取りをしている間に、片手鍋にはいっそうの油が抽出されていた。
この時点で、その油が金色にきらめいているのが見て取れる。鍋の中を覗き込んだミケルは、「よし」とうなずいた。
「それでは、最後の処置だな。ここにミャームーを入れて、油の臭みを消す」
マイムが大ぶりに切ったミャームーをどぼどぼと投入すると、まさしく揚げ物料理のようにぱちぱちと油が跳ね回った。そして、ニンニクに似たミャームーの効果によって、いっそう食欲中枢を刺激する芳香がたちのぼっていく。
「これも、決して焦がすなよ。キミュスの油というのは、風味が生命であるのだからな。焦げ臭さが移ってしまっては、わざわざ作る甲斐もない」
「うん、わかった」
表情は朗らかに、眼差しは真剣そのもので、マイムは木べらを操っている。最前列のレイナ=ルウらは、懸命に首をのばして、その中身を見つめていた。
「焦げる寸前までミャームーに熱が通ったら、それで完成だ。いまのうちに、鉄の網を準備しておけ」
「はい、了解です」
必要な器具は敷物の上にそろっていたので、俺がそれを設置させていただいた。
かなりの弱火であるために、ミャームーが色づくのにも相応の時間が必要なようである。マイムがキミュスの皮とミャームーを鉄網の上に引き上げたのは、俺の体感で10分ぐらいが経過したのちのことだった。
キミュスの皮もミャームーもカリカリに干上がっており、片手鍋にはきらきらと輝く油が残されている。粗熱が取れてから、それを鉄網および濾し布で濾してみると、不純物が取り除かれて、混じりけのない黄金色のきらめきが生まれた。
「ああ、この香りだけで、ヴァルカスの料理を思い出してしまいます。……ただ、ヴァルカスはミャームーを使っていなかったように思いますね」
レイナ=ルウの言葉に、ミケルは「だろうな」と顎をしゃくった。
「ヴァルカスであれば、もっと気のきいた香草で臭み取りをするに決まっている。お前たちもミャームーに頼りたくないのなら、自力で香草をさがしだすがいい」
「それにはまず、この油の味を知らなくてはなりませんね」
そのために準備されていたのが、キミュスの骨ガラの出汁である。
最後まで念入りに灰汁を取っていたミケルは、「よし」と言って顔を上げた。
「こちらも仕上がったようなので、出汁ガラを取り除く。力の余っている人間に、よろしく頼みたい」
「そりゃあ、あたしが名指しされたようなもんだね」
後ろに引っ込んでいたバルシャが名乗りをあげると、研修生のミンの女衆も立ち上がった。その女衆も、なかなかの体格であったのだ。
何時間も煮立てられた鉄鍋の中身を濾すのだから、こちらはかなりの重労働であり、なおかつ火傷の危険までつきまとう。しかし、その両名はまったく危なげなく、その作業をこなしていた。
キミュスの骨ガラはギバの骨ガラほど臭みは強くないので、臭み取りにはアリアしか使われていない。まずは鉄網の上に骨ガラとアリアが残されて、しかるのちに濾し布が使用された。
その過程で、「あっ」とレイナ=ルウが声をあげる。
「ミケル、その煮汁は……色が白く濁っていないようです」
「ああ。そのように仕上げたのだから、当然だ」
「ですが、キミュスの骨の扱いで新たに教えることはない、と仰っていませんでしたか?」
レイナ=ルウが言葉を重ねると、シーラ=ルウがそちらに微笑みかけた。
「レイナ=ルウ、それらの手順はわたしが見学させていただきました。ミケルの仰る通り、何も特別なことはしていないのです。……ただ、火加減が違っているだけなのですよ」
「火加減?」
「はい。こちらの鉄鍋は、最初に泡がたつまで強火にかけた後、ずっと弱火で煮込まれていたのです」
俺は思わず「なるほど」とつぶやいてしまった。
するとレイナ=ルウが、すかさず俺のほうに向きなおってくる。
「アスタは、この調理の方法をご存知であったのですか?」
「うん。俺の故郷でも、骨ガラから出汁を取るのには、弱火と強火の2種類の方法があったんだよ」
それは、清湯と白湯という名で呼ばれる出汁の取り方である。俺たちはこれまで、ギバの骨ガラもキミュスの骨ガラも、強火で仕上げる白湯の手法を用いていたのだった。
「弱火で仕上げると、骨の髄や脂が溶け出さないから、こういう澄んだ出汁が取れるんだよね。それで、澄んだ出汁は上品ですっきりした味わいになり、白く濁った出汁は濃厚で力強い味わいになる、とされているんだ」
「なるほど……だからアスタは、強火で仕上げる作法をわたしたちに手ほどきしてくれたのですか?」
「うん。それに、もともとはキミュスじゃなくてギバの骨ガラを使っていただろう? だから、脂も骨髄も入念に絞り尽くすことのできるやり方のほうが、いっそう森辺の民の好みに合うんじゃないかと考えたんだよね」
「それは確かに、その通りなのでしょうね。そうだからこそ、ギバ骨のすーぷは多くの同胞に喜ばれるのだと思います」
ようやく納得いったように、レイナ=ルウは頭を下げた。
「手ほどきの最中に失礼いたしました。どうぞ続きをお願いいたします」
「続きと言っても、あとはこれらを混ぜるだけだな」
仏頂面で言いながら、ミケルは敷物に置かれていた小鍋を取り上げた。
「これは、お前たちが普段、ギバの骨の煮汁で使っているものと同じような味に仕上げている。タウ油に砂糖とニャッタの蒸留酒を加えて、煮込んだものだ」
骨ガラスープの味付けとなる、タレである。もともと黄色みがかっていた骨ガラの出汁にそれが投じられると、スープは褐色の色味が強くなった。
「これにキミュスの油を加えるわけだが、それは個別のほうがよかろうな。それぞれの木皿に取り分けてから、この匙で一杯ずつ入れていくがいい」
配膳係は俺とマイムが受け持って、人々に木皿を回していくことにした。
ミケルの指示で、スープはかなり少量となっている。油の量がわずかであるので、それぐらいが相応であるのだろう。褐色のスープにキミュスの油を投じると、たちまち表面に油膜が張って、きらきらときらめいた。
豚骨ではなく、鶏ガラのみで仕上げられたラーメンのスープのごとき見た目と香りである。
それは俺の郷愁感をかきたててやまなかった。
全員に木皿を配ってから、俺もいざ自分の木皿と向かい合う。
ほとんど一口で飲めてしまう分量である。まだ湯気をたてているその熱いスープを、俺は木匙で口に投じた。
「ああ……これは美味しいですね」
俺の言葉に、シーラ=ルウが「はい」と賛同の声をあげる。
「それにこれは、まさしくヴァルカスの出した料理と同じ風味が感じられます。これにいくつかの香草を加えて、タウ油の分量を減らせば、ほとんど同じ味に近づくのではないでしょうか」
レイナ=ルウも、真剣そのものの表情で「そうだね」とうなずいた。
「あと、ヴァルカスはもっとたくさんの油を使っていたんじゃないのかな。この香ばしい風味は、もっともっと強かったと思う」
「そうですね。そこまで油を入れてしまうと胸が悪くなってしまうので、それを緩和させるためにたくさんの香草を使っているのかもしれません」
熱く語り合うレイナ=ルウとシーラ=ルウにはさまれて、リミ=ルウは「美味しいねー」とにこにこ笑っている。
そしてその背後では、マルフィラ=ナハムが必死に感動の涙をこらえている姿が見えた。
それ以外のかまど番たちも、のきなみ驚きや喜びの表情である。
その中で、ダナの女衆がおずおずと発言した。
「あの、わたしもこれは、非常に美味だと思います。ただ、本来はギバの骨や油で作られる料理なのですよね? どうして今日は、キミュスという獣の骨や油が使われたのでしょう?」
ミケルは無言で、俺のほうに視線を向けてきた。
その説明をするのは自分の役割ではない、という考えであるのだろう。俺はひとつうなうずいてから、彼女の疑念に答えることにした。
「ファの近在の氏族やルウ家では、このキミュスの骨ガラのスープをギバの骨ガラのスープに混ぜて使っているのです。そうすると、いっそう深みのある味に仕上げることができるのですよ」
「ああ、そういうことでしたか。他の獣ばかりを使ってギバを使わないと、うちの家長が文句を言うような気がしたので……それなら、安心です」
「ええ。これでまた、ギバ骨のスープをいっそう美味しく仕上げられるはずですよ」
そのように答えてから、俺はミケルを振り返った。
「何にせよ、このキミュスの油というのは素晴らしいですね。汁物料理に入れるだけではなく、肉や野菜を炒めるのに使ったら、またずいぶんと効果的なのではないでしょうか?」
「ふん。そもそも油であるのだから、食材を焼くのに使うのが本道であろうが? ……ただし、獣から絞った油は、獣の骨の出汁と調和しやすい。ヴァルカスは、そこに目をつけたのであろうな」
「そうですね。俺もまずは、汁物料理における使い道を考えたいと思います。……そこでご相談なのですが、キミュスの卵の殻というのは、人間が口にすることは可能なのでしょうか?」
ミケルは「何?」と眉をひそめ、俺たちを取り囲んだかまど番は一様に目を丸くしていた。
「それはまた、ずいぶん唐突な申し出だな。卵の殻などを、いったい何の料理に使おうというのだ?」
「俺は、ポイタンとフワノの生地に練り込みたいと考えています。そうしたら、パスタよりもコシのある麺を作れるんじゃないかと期待しているのですよね」
かまど番たちは、ざわざわとざわめいている。
その中で、リミ=ルウが「でもさー」と声をあげた。
「卵の殻って、カチカチに固いでしょ? あんなの食べたら、咽喉にひっかかっちゃうんじゃない?」
「うん。だから、すりつぶして粉にしてから、ポイタンやフワノに混ぜるんだよ。そうしたら、歯ごたえが増しそうだろう?」
「うーん、全然想像がつかないや!」
元気いっぱいに言いながら、リミ=ルウは好奇心に瞳をきらめかせていた。
いっぽうミケルは、仏頂面でがりがりと頭をかいている。
「城下町では、卵の殻を使う料理人もいなくはなかった。というか、古い時代には薬として口にされていたこともあったはずだ」
「そうなのですね。では、俺も卵の殻を使ってみたいと思います」
そう言って、俺はミーア・レイ母さんを振り返った。
「あの、もしもこちらでキミュスの卵が余っていたら買い取らせていただきたいのですが、いかがでしょう?」
「ああ、ちょうど最近買い足したところなんで、いくつも残ってるよ。必要だったら、いくらでも使っておくれ」
「ありがとうございます。それじゃあ、俺はさっそくそっちの研究に――」
「待て。次の仕事に取りかかる前に、こいつを食っておくがいい」
と、ミケルが俺に木皿を差し出してきた。
何かと思えば、キミュスの油を絞った皮の出し殻である。こんがりと焼かれて縮まった皮の上に、塩がまぶされているようだ。
「大した滋養は残されていないかもしれんが、これとて立派な食材だ。味を確かめておけ」
「了解しました。ありがとうございます」
俺は何の気もなく、そいつを口に運ばせていただいた。
すると、思いも寄らぬ美味しさが、口の中に広がっていく。カリカリに焼きあげられたキミュスの皮はとても香ばしく、風味も食感もなかなかのものであった。
また、一緒に焼かれたミャームーが、さらに食欲中枢を刺激してくる。料理というよりは、スナック菓子のような美味しさであった。
「ああ、これは美味しいですね。俺は酒をたしなみませんけど、つまみにぴったりなのではないかと思えてしまいます」
「ふん。城下町では、油よりもこっちが目当てで皮を買いつける人間もいるぐらいだからな」
そのように述べてから、ミケルは俺たちを取り囲むかまど番たちのほうに目をやった。
「そんなに物欲しそうな目で見るな。どうせこれから嫌というほど皮を焼くのだから、最後には全員が口にすることができるだろう」
「あはは。みんなキミュスの皮を焼く匂いで、すっかり胃袋が騒いじまってるんだろう。ミャームーの匂いまで混じっていたから、なおさらにさ」
ミーア・レイ母さんが、愉快そうに笑い声をあげる。若い女衆の何人かは、ちょっと気恥かしそうな面持ちをしていた。
なんとも平和で、満ち足りた時間である。
それをより実りのあるものにするために、俺も微力を尽くさせてもらう所存であった。