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異世界料理道  作者: EDA
第三十七章 新たな息吹
629/1675

ルウの家の勉強会①~触発~

2018.8/13 更新分 1/1

・今回の更新は全6回です。

《銀星堂》での食事会から2日後の、白の月の17日である。

 その日から、商売の下ごしらえの仕事に新たな顔ぶれが加わることになった。

 とはいえ、正規の従業員が増えたわけではない。それは、ザザの眷族であるハヴィラとダナの女衆たちであった。


 白の月も半ばを過ぎて、北の一族およびハヴィラとダナの家も、休息の期間を終えることになった。それで、かねてより予定していた、家人の交換を果たすことになったのだ。

 ハヴィラとダナが、ディンおよびリッドと家人を貸し合って、交流を深めようという試みである。人数は、各氏族から男女2名ずつで、期間はとりあえず半月ていどという話であった。


 それらの4氏族はいずれもザザ家を親筋とする血族であるものの、これまでは家が遠かったために、なかなか絆を深める機会が得られなかった。トトスと荷車が森辺に導入されるまでは、当時の親筋であったスン家の祝宴ぐらいでしか顔をあわせる機会もなかったのだ。

 そもそも、徒歩で数時間もかかる場所に住んでいる彼らが血族であるというのは、スン家が勢力を拡大するためにやたらと血の縁を結んだ結果なのである。そんな経緯で生まれた血の縁を正しい形に昇華するべく、族長グラフ=ザザは以前から氏族間の交流を密にしようと模索していたのだった。


 で、本日のこの事態である。

 ハヴィラとダナの家からは、女衆をファの家の勉強会に参加させてもらえないかという申し出を受けていたので、それならばいっそのこと下ごしらえの仕事を手伝ってもらえないかと、俺のほうから提案させていただいた次第であった。


 ファの家の勉強会というのは隔日でしか行われていないし、日によっては小一時間ていどの時間しか取ることができない。それではあまり成果を望めないので、午前と午後の下ごしらえの仕事までがっちり参加してみてはどうかと、そんな風に提案させていただいたわけである。


「決して足を引っ張ってしまわないように励みますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 その日の朝方、ファの家にやってきた4名の女衆は、そのように述べながら深々と頭を垂れていた。

 やはり若めの人間が選出されたようで、全員が未婚の装束を纏っている。平均年齢は、16、7歳といったところであろう。もともと族長筋の眷族であったためか、立ち居振る舞いは堂々としているが、驕り高ぶった様子はまったくなく、いずれも明朗で誠実そうな娘さんたちであった。


「ザザの血族は、もっと血の縁を重ねるべきだという話になっていますからね。このたびの行いは、ディンやリッドに伴侶として相応しい人間がいるかどうか、それを見定めるための行いでもあるのです」


 ひとりの女衆が笑顔でそのように述べながら、隣の女衆の腕を肘でつついた。


「でも、こちらのダナの女衆は、いずれハヴィラの長兄と婚儀をあげる予定になっているのですよ。それなのに、どうしてもと言い張ってこちらに出向いてくることになったのです」


「だ、だって、トゥール=ディンに手ほどきをしていただける機会を逃したくなかったのです。わたしは、まだまだ未熟者なので……」


 と、その女衆は気恥かしそうに微笑みながら、トゥール=ディンのほうをちらちらと見ていた。トゥール=ディンは、それよりもさらに気恥かしそうな様子で微笑みを返している。あまり詳しくは聞いていないが、以前の北の集落での祝宴において、トゥール=ディンはこのダナの女衆と縁を結んだという話であるようだった。


「そういえば、トゥール=ディンは休業日の前日に北の集落まで出向いて、料理の手ほどきをしてたんだよね。最近は、ハヴィラやダナの人たちも招いてるって話じゃなかったかな?」


「はい。ですが、休業日の前日に用事が入ると、それもかないませんので……白の月に入ってからは、まだ1回しか出向くことができていません」


「ああ、そっか。建築屋の人たちの送別会も、フォウとスドラの婚儀の祝宴も、両方休業日の前日だったっけ」


 そうでなくとも、屋台の休業日は5日置きにしかやってこない。ディンの家に住み込んで、毎日トゥール=ディンに手ほどきされるというのは、彼女たちにとって願ってもないチャンスであるのだろう。


「あ、もちろん、噂に名高いファの家のアスタに手ほどきしていただけることも、心から嬉しく思っています。そもそもトゥール=ディンに料理の手ほどきをしたのは、あなたなのですものね」


「ああ、はい。ご期待に添えられるように頑張ります」


 俺が笑顔でそのように答えると、ハヴィラとダナの女衆らもつられたように笑顔になっていた。


「アスタというのは、とても優しげな男衆であったのですね。族長を相手にしても物怖じしない男衆であると聞いていたので、いったいどのような御方であるのかと、少々不安に思っていたのです」


「いやあ、族長たちの迫力には、いまだに気圧されることも多いですけどね。……それじゃあ、そろそろ仕事を始めましょうか」


 とりあえず、ハヴィラの2名は俺が、ダナの2名はトゥール=ディンが、それぞれ面倒を見ることにした。期間限定の臨時要員であるものの、扱いは他のかまど番と変わらない。見習いの間は時給赤銅貨1枚で、給金が発生する代わりにお客様扱いはしない、というのが俺の方針なのである。


「そういえば、北の一族とルウの血族でも、家人を貸し合うのでしたよね?」


 ハヴィラの2名が肉をミンチにしていく姿を見守っていると、ユン=スドラがそのように語りかけてきた。


「うん。だけど、そっちはちょっと時期を見合わせているらしいよ。ほら、アマ・ミン=ルティムの出産が間近だから、うかつに動けないんだろうね」


「ああ、なるほど。かといって、モルン=ルティムとドムの家長の一件がありますから、ルティムの家を外すわけにもいきませんものね」


 そう、ルティムとドムの家こそ、もっとも早急に絆を深めるべき立場にあるのだ。かといって、本家の長子が生まれようかというこの時期に、家人を外に出すことも難しいだろうし、ガズラン=ルティムもさぞかし頭を悩ませているのではないかと思われた。


(でも、伴侶の出産と妹の婚儀にまつわる悩みだからな。きっとガズラン=ルティムも幸福感を噛みしめながら、頭を悩ませていることだろう)


 そんなことを考えている間に、ミンチの作業は無事に終了したようだった。

 マルフィラ=ナハムほどではないものの、両者ともになかなかの手際であるようだ。トゥール=ディンが地道に手ほどきを行ってきた成果なのだろう。


「それじゃあ次は、この刻んだ肉の味付けですね。調味料はこちらで取り分けておいたので、まずは目で見て覚えてください」


 仕事前にはにこにこと笑っていた彼女たちであるが、仕事の最中は真剣そのものの面持ちであった。こちらに逗留する半月ていどの間に、彼女たちがどれだけ腕を上げることができるのか、俺としても楽しみなところである。

 そこに、かまど小屋の扉を叩く音色が響きわたった。


「アスタ、ラヴィッツとナハムの者たちが話をしたいそうだ」


 愛しき家長の声に、俺は「どうぞ」と答えてみせた。

 扉が開かれて、アイ=ファとふたりの女衆の姿が現れる。そして、その背後にはナハムの長兄の長身も垣間見えていた。


「どうも、お疲れ様です。今日の市場はいかがでしたか?」


「はい。肉を売り切ることはできました。……しかし、わたしたちの手際はまだまだ至らぬところが多く、身の縮まるような思いです」


 白の月となって、これが3度目の肉の市となる。フォウとランから仕事を引き継いだ彼女たちは、ツヴァイ=ルティムからの厳しい指導を受けている真っ最中であるはずだった。


「あと、アスタからのお言葉通り、キミュスの皮つき肉というものも、無事に買いつけることがかないました。その品は、ルウ家に預けてまいりました」


「それはどうも、ありがとうございます。銅貨は足りましたか?」


「はい。残った銅貨は、ファの家長にお預けいたしました」


 そんなやりとりをしている間も、ナハムの長兄はずっと俺の姿を凝視していた。

 で、そんなナハムの長兄のことを、アイ=ファが横目で凝視している。相変わらず、俺たちはこの御仁の思惑というものをつかみかねているのだった。


「それでは、仕事のさなかに失礼いたしました。……リリ=ラヴィッツ、お帰りをお待ちいたします」


「ああ、お疲れ様だったねえ」


 本日は、こちらもラヴィッツとナハムが当番の日であったのだ。リリ=ラヴィッツの柔和な眼差しに見送られながら、それらの人々は立ち去っていった。

 そして、俺の向かいで仕事に励んでいたマルフィラ=ナハムが、おどおどと声をかけてくる。


「ア、ア、アスタ。キ、キミュスの皮つき肉というものは、いったいどのような料理に使うのでしょうか? ル、ルウ家で見た食材の品目に、そのようなものは記されていなかったように思うのですが……」


「ああ、うん。それは、新しい料理に使うんだよ。といっても、肉のほうは使い道がないんだけどね」


「に、肉の使い道がない?」


「うん。必要だったのは、キミュスの皮と骨だったんだ」


 俺たちはその食材を使って、新たな出汁の取り方をミケルに学ぶ予定になっていたのだった。

 そもそものきっかけは、先日に行われた《銀星堂》での食事会である。そこで出されたヴァルカスの汁物料理があまりに見事であったため、俺たちはミケルにさらなる手ほどきをお願いする段に至ったのだった。


「ちょうど今日は、ルウ家で勉強会をする日取りだったよね。マルフィラ=ナハムもその場で手ほどきを受けることができるから、楽しみにしているといいよ」


「は、は、はい。た、楽しみなあまり、心臓が痛くなってきてしまいました」


 マルフィラ=ナハムが仕事に参加するようになってから、あと数日でひと月が経とうとしている。が、マルフィラ=ナハムは相変わらずマルフィラ=ナハムであった。

 ただし、調理の腕前はめきめきと上達している。真面目な上に手先が器用で、味覚も人並み以上のものを持っており、記憶能力も計算能力も高いマルフィラ=ナハムであるのだ。正直に言って、もう彼女の実力は日替わり要員の中でトップクラスなのではないかと思われた。


(ただ、接客のほうはまだまだ成長の余地があるからな。そっちの実力がともなうまでは、昇給も見合わせておくか)


 本来、マルフィラ=ナハムは裏方向きの気性であるのだろう。調理の技術だけで言うならば、ユン=スドラやヤミル=レイに並ぶ日もそう遠くはないように思えるのだ。

 しかし、屋台の商売まで手伝わなければ、1日置きに行われているルウ家の勉強会に参加することはできない。俺としては、いずれマルフィラ=ナハムに常勤の従業員となってもらい、屋台の責任者を任せられるぐらいの力をつけてくれることを願っていた。


(だけどまあ、働き始めてまだひと月足らずなんだ。何も焦る必要はないだろう)


 そうしてその日も、下ごしらえの仕事は粛々と進められていった。

 完成した分は、次から次へと荷台に積み込まれていく。その膨大なる木箱や革袋の数に、ダナやハヴィラの女衆は目を丸くしてしまっていた。


「す、すごい量の料理ですね。今日だけでこれほどの料理を売り尽くすことができるのですか?」


「ええ。この5日間はファの家が宿屋の料理も担当しているので、こんな量になってしまうのですよね」


「かねがねお話はうかがっていましたが、いざ自分の目で見ると驚きを禁じ得ないものですね……こういったものは、それぞれの氏族の家長や男衆も目にするべきなのではないでしょうか?」


「家長や男衆に? どうしてです?」


「そうすれば、きっとファの家がどれだけの仕事を果たしているかが、もっとしっかりと心に刻みつけられると思います。毎日何百食分もの料理を売っている、と話で聞かされるだけでは、きっとこの光景は想像しきれないことでしょう」


「わ、わ、わたしもそう思います」


 俺たちが振り返ると、マルフィラ=ナハムがせわしなく目を泳がせていた。


「お、お、お話に割り込んでしまって、申し訳ありません。で、でも、わたしも以前から、そういう気持ちを抱いていたのです」


「そっか。それじゃあ休息の期間とかに、各氏族の男衆を招待するというのも面白いかもね。宿場町の様子まで見物してもらえれば、そっちでまた交流の輪が広がるかもしれないし」


 やはり、まっさらな第三者の意見というのは、俺にとっても新鮮かつ有意義なものであった。俺たちにとっては日常である光景が、森辺の多くの人々にとっては驚きに値するものであるのだろう。


(それこそ、デイ=ラヴィッツやナハムの長兄なんかは、真っ先に招待したいところだな。伴侶や妹が懸命に働く姿を目にしたら、色々と感ずるところもあるんじゃないだろうか)


 俺がそんな風に考えていると、ダナの女衆がこちらに近づいてきた。例の、トゥール=ディンと縁を持つ娘さんである。


「あの、本日はわたしが宿場町に下りることになっていますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「あ、はい。基本的にはトゥール=ディンにおまかせしていますけれど、わからないことがあったら、いつでも声をかけてください」


 ダナとハヴィラの4名のうち、毎日ひとりがトゥール=ディンの屋台を手伝うという話であったのだ。まあ、トゥール=ディンもそこまでの人手は必要ないはずであるが、これも社会勉強の一環であるのだろう。いずれの家長が決めたことかは知らないが、その積極性には拍手を送りたいところであった。


 そうして9名のかまど番とティアが2台の荷車に分かれて、ルウの集落へと向かう。すると、そちらにも2台の荷車が準備されていた。ファの家に触発されたのか、ルウ家でも昨日から新たなかまど番の研修を開始したのである。人数は3名で、出自はそれぞれミン、マァム、リリンであるという話だった。


 ルウ家は長らく固定のメンバーで商売を続けており、日替わり要員もミン、レイ、ムファの3名のみであったのだ。それでは流動性に欠けてしまうし、最近では荷車の恩恵で家人の少ないリリンやマァムでも人手にゆとりが出てきたために、ついに7つの血族のすべてからかまど番を出す方針が打ち出されたのだった。


「とりあえず、ルウ家から2台の荷車を出してる間は、ヤミル=レイとマイムもこっちで受け持つよ。この5日間は、そっちも宿屋の料理で大荷物だろうしね」


 本日の当番であるララ=ルウが、御者台の上から笑いかけてくる。

「お気遣いありがとう」と応じてから、俺は再びギルルを走らせることにした。


 宿場町に到着したのちは、《キミュスの尻尾亭》で屋台を借りつけて、露店区域に向かう。せっかくなので、ダナの女衆には他の宿屋に料理を届けるさまも見学してもらった。


 所定のスペースに到着したら、開店を待ち受けていたお客さんがたに挨拶をしつつ、商売の準備である。俺が『ギバ・カレー』の準備をしていると、隣の屋台で『ギバ・バーガー』の準備をしていたレイナ=ルウが笑顔を向けてきた。


「アスタが朝からかれーを受け持つのは珍しいですね。日替わり献立のほうは……ユン=スドラにおまかせしているのですか」


「うん。カレーを温めなおすのに特別な技術はいらないからね。ユン=スドラには、色々な経験を詰んでほしいからさ」


「ええ。わたしたちも、そうやってアスタに鍛えられましたものね」


 それらの日々を懐かしむように目を細めながら、レイナ=ルウは微笑んでいた。


「あ、それと、ルウ家のかまどでは、ミケルが手ほどきの準備をしてくれています。キミュスの骨から出汁を取るのには時間がかかるので、それはあらかじめミケルが準備してくれるそうです」


「なるほど。それじゃあ、骨ガラの扱いで新たに教えることはないってことだね。重要なのは、キミュスの皮のほうなのか」


「ええ、そういうことらしいです。キミュスの皮などを扱ったことはありませんので、とても心が弾んでしまいますね」


 そんな風に述べながら、レイナ=ルウの瞳には熱情の炎が宿っていた。2日前にヴァルカスの料理を食し、なおかつロイが正式に弟子入りを許される姿を見て、大いに奮起しているのだろう。俺にしてみても、それは同じことであった。


「よー、今日も賑やかにやってんな」


 そんな声をかけられたのは、朝一番のピークを終えたのちのことだった。

 振り返ると、そこに立っていたのはルド=ルウで、その背後にはさらに大勢の人々が立ち並んでいる。シン=ルウやジョウ=ランといった森辺の若い狩人らと、ユーミやベンやカーゴといった宿場町の若衆である。


「やあ。ルド=ルウたちは、今日も町に下りてたんだね。横笛の修練は順調かな?」


「あー、早く森辺に戻って、おもいきり吹き鳴らしてーよ。小さな音だと感覚がつかめねーからな」


 ルド=ルウたちは、横笛の手ほどきを受けるためにやってきているのだ。フォウの集落で行われた2度の祝宴で、横笛の魅力を思い知らされた結果である。もちろん中天からはギバ狩りの仕事があるので、早起きが苦にならないごく一部の男衆がそれに参加しているのだった。


「横笛が一番上手いのは、レビなんだけどな。あいつは宿屋の仕事で忙しいからよ」


「ああ。盤上遊戯の手ほどきだったら、俺がいつでも受け持つんだけどなあ」


 ベンとカーゴの悪友コンビも、楽しげに笑っている。そして俺は、その背後にとても見慣れた長身を発見することになった。


「あれ? カミュアも一緒だったんですか?」


「うん。広場で楽しいことをしていると聞きつけてね。ちょっとお邪魔させてもらったんだよ」


 呑気に笑うカミュア=ヨシュの隣では、レイトも静かに微笑んでいた。ますますバラエティにとんだ顔ぶれである。


「いやあ、森辺の狩人がアスタの案内もなく、宿場町の民と仲良く遊んでいるなんてねえ。俺は何だか、感慨深いよ」


「ええ。それは俺も、同感です」


 森辺の狩人は6、7名、宿場町の若衆は10名ばかりもいる。朝方のわずかな時間とはいえ、このような交流の場が生まれたのは、きわめて喜ばしい話であった。


「さて、それじゃあ腹ごしらえをさせてもらおうかな。相変わらず、その料理の香りは魅惑的だねえ」


「おお、食おうぜ食おうぜ。俺はまず汁物料理だな!」


 カミュア=ヨシュやベンたちが、屋台の料理を物色し始める。その姿を眺めながら、ルド=ルウは引き締まったお腹をさすっていた。


「あー、ギバ料理の匂いを嗅いでたら、胃袋が騒ぎ始めちまったよ。俺たちは、森辺に戻るとするか」


「うむ。腹ごしらえが遅れると、腹がこなれぬうちに中天になってしまうからな」


 ララ=ルウと語らっていたシン=ルウがそのように答えると、カーゴが不思議そうに振り返った。


「だったら、ここで食っていけばいいじゃないか。同胞のよしみで、銅貨なんていらないだろ?」


「いやー、そうすると、商売用の料理が減っちまうだろ? 家に戻れば好きなだけ食えるんだから、屋台の料理は無駄にできねーんだよ」


「ああ、そっか。そういえば、以前にジョウ=ランたちが遊びに来たときも、銅貨を払って屋台の料理を買ってたもんな」


「はい。あれは同じ場所で食事をして交流を深めるために、許された行いであったのです。また正式に交流の会が開かれれば、料理を買うことも許されるのだと思います」


 そのように答えてから、ジョウ=ランも腹部を撫で回した。


「それにしても、空きっ腹にかれーの香りはこたえますね。名残惜しいですが、森辺に戻ることにしましょう」


「……だったら、あたしのを一口わけてあげよっか?」


 と、ユーミが小声でそのように囁きかけていた。

 ジョウ=ランは、にこりと微笑みながら、そちらを振り返る。


「いえ。同じ家の家人でない限り、食べかけの料理を分け合うことは許されないのです。ユーミのお気持ちだけ、ありがたくいただいておきます」


「あ、そっか。ごめんね、馬鹿なこと言っちゃった」


 ユーミは赤い顔をしながら、頭をかき回していた。

 祝宴が終わっても、こうして顔をあわせる機会を得られて、もっとも幸福であったのはこの両名であるだろう。俺は大人しく口をつぐみながら、そんなふたりの微笑ましいやりとりを見守らせていただいた。


 そうして森辺の狩人らは立ち去っていき、宿場町の若衆は青空食堂へと移動していく。最後に残されたのは、『ギバ・バーガー』を立ち食いしているカミュア=ヨシュとレイトであった。


「そういえば、2日前には城下町に招かれていたんだよね。貴き方々と無事に絆を深めることはかなったのかな?」


「はい。とても有意義なひとときであったと思います。例のムスルという御方も、すっかり気持ちを持ち直したようですしね」


「ふむふむ。俺もその御仁とは、しっかり顔をあわせたことがなかったのだよね。何せアスタの誘拐騒ぎが起きたとき、俺はジェノスを離れていたからさ」


「ええ。ルウ家の狩人を引き連れて、マサラに向かっていたんですよね。何だか、ものすごく昔のことであるように感じてしまいます」


「そうだねえ。たった1年しか経っていないとは、信じられないほどだよ」


 食べかけの『ギバ・バーガー』を手に、カミュア=ヨシュは飄々と笑っている。だけどその紫色の瞳には、ずいぶんと穏やかな光が浮かべられていた。


「トゥラン伯爵家の現状は、俺もポルアースから聞いているよ。幼き当主もその後見人も、きちんと自らの仕事を果たしているようだし、あとは王都の意向と……それに、ズーロ=スンがどうなったかだね」


「……そうですね。まだあの大地震からひと月ていどしか経っていないので、ズーロ=スンらの様子はジェノスにまで伝わってきていないようです」


「いやいや、ひと月もあれば十分なんじゃないのかな。そろそろ王都からの使者がジェノスに到着する頃合いだと思うよ」


「え? だけど、王都からジェノスに向かうだけでも、トトスでひと月かかるんですよね? まずは鉱山のある町から王都に連絡を入れる必要があるのでしょうから、もうちょっと時間が必要なんじゃないですか?」


「それは、荷車を引かせたトトスの場合だろう? こういう際には早駆けの使者を飛ばすから、その半分ぐらいの時間で済むはずさ」


 そう言って、カミュア=ヨシュは透徹した笑みを浮かべた。


「まあ、崩れた鉱山で囚人たちの生死を確認するのにも、相応の時間がかかるだろうからね。そこまで考えると、もう少し時間はかかるかもしれないけれど……それでも、メルフリードの帰還より遅くなることはないだろう」


「そうですか。ズーロ=スンが無事でいるように、母なる森と西方神に祈りたいと思います」


「うん。俺もそのように祈っているよ。彼には苦役の刑をやりとげて、森辺に戻ってきてもらいたいところだからね」


 そのように述べるなり、カミュア=ヨシュの顔にはまた飄然とした笑みが復活した。


「さて、それじゃあお次は、そのぎばかれーという料理をいただこうかな。昨晩も《キミュスの尻尾亭》でそいつをいただいたんだけど、まだまだ食べ飽きるには時間がかかりそうなところだね」

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