再びの《銀星堂》⑤~食事を終えて~
2018.7/26 更新分 2/2
・本日は2話更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。
・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。
食事会を終えたのちは、楽しい歓談のひとときであった。
ヴァルカスたち料理人は後片付けのために厨へと去り、老女がお茶と酒でもてなしてくれている。過半数の人間はお茶を選んでいたものの、その場の盛り上がりが損なわれることはなかった。
「こうまで賑やかになってしまうと、近場の人間としか言葉を交わせなくなってしまうね。いささか不調法だけれども、好きに席を動かしてしまおうか」
ポルアースがそのように述べたてると、アイ=ファが真っ先に立ち上がった。どこに向かうかと思えば、ディアルとラービスのもとである。
「悪いが、こちらの隣か向かいの席を空けてはもらえないだろうか?」
ディアルたちの向かいはトゥール=ディンとゲオル=ザザであり、隣はユン=スドラである。アイ=ファの言葉を耳にするなり、オディフィアはトゥール=ディンの腕をぎゅうっと抱え込んでしまっていた。
「それなら、わたしが移動しましょう。リフレイアたちにご挨拶をさせていただきたいので」
空気を読んだユン=スドラが立ち上がると、レイナ=ルウとシーラ=ルウもそれに続くことになった。アイ=ファに付き従っていた俺とリミ=ルウにも気をつかってくれたのだろう。
そうして席についたアイ=ファは、ディアルごしにラービスへと声をかけている。
「ラービスよ、あらためて先日の件について、礼の言葉を申し述べさせてもらいたい」
「……ですから、礼を言われるほどのことではないと言っているではないですか」
さしものラービスも、いささかげんなりしている様子である。その顔を眺めながら、ディアルはくすくすと笑っていた。
「今日も楽しい会であったわね。ジェノス侯にしつこくお願いをした甲斐があったというものだわ」
俺たちの向かいでは、エウリフィアが満足そうに微笑んでいる。ポルアースも、それは同様であった。
「まったくですね。王都の一件がなければ、もっと自由に森辺の方々をお招きすることもできるのですが……まあそれも、もうしばらくの辛抱でありましょう。きっとメルフリード殿が、王都の人々と確かな絆を紡いできてくれるはずです」
「そうしたら、また舞踏会にお招きすることも許されるようになるのかしら? わたくしは、またアイ=ファたちが城下町の宴衣装を纏ってくれる日を楽しみにしているのよ」
ラービスのほうを向いていたアイ=ファが、それでエウリフィアのほうに向きなおる。
「他の女衆はともかく、私は狩人の身であるのだから、そのような会には相応しくないように思う」
「あら、それじゃあ、アスタおひとりを招いてしまってもいいのかしら? 森辺の民を城下町に招く際に、アスタが外されることはないように思うのよね」
エウリフィアが笑顔で言葉を重ねると、アイ=ファは口をへの字にしてしまった。舞踏会などの催しにおいては、男女ペアで参席しないと求愛の念を向けられる恐れが生じてしまうのである。
「それに、以前の舞踏会では、トゥール=ディンたちは料理人として招かれていたのよね。今度はお客人として招待したいところだけど、どうかしら?」
「わ、わたしを客人としてですか? それはあまりに、分不相応ではないでしょうか……?」
「そんなことはないわよ。でも、今日みたいに客人として招いてしまうと、あなたの菓子を口にすることができなくなってしまうのよね」
そう言って、エウリフィアは愛娘のほうに視線を差し向けた。
「オディフィア、あなただってトゥール=ディンと一緒に祝宴を楽しめたら、嬉しいでしょう?」
「うん」
「でも、トゥール=ディンの菓子を食べたいとも思っているはずよね」
「うん」
「それじゃあ、トゥール=ディンと一緒に祝宴を楽しむのと、トゥール=ディンの菓子を楽しむのだったら、どちらがより嬉しいことなのかしら?」
まだトゥール=ディンの腕を抱きすくめたままであったオディフィアは、ぴたりと動きを停止させてしまった。
その小さな頭の中では、猛烈な勢いで考えが巡らされているのだろうか。その結果として、オディフィアは電池の切れた人形のように、かくりとうなだれてしまった。
「わかんない……どっちかしかえらんじゃいけないの?」
「そうね。少なくとも、同じ日に両方を選ぶことはできないはずよ」
「……オディフィアは、どっちもがいい」
そう言って、トゥール=ディンの腕をいっそう強く抱きすくめるオディフィアであった。
困惑気味のお顔であったトゥール=ディンは、慈愛の表情となってその小さな姿を見下ろしている。
「それなら、トゥール=ディンをもっと頻繁にお招きするしかないようね。どこかの祝宴ではお客人として招待して、別の祝宴では菓子を作ってもらうことにしましょう」
「ええ。王都の人々と心安らかな関係を築くことができれば、何度だってお招きできるはずですよ」
ジャガルの発泡酒を口に運びながら、ポルアースは笑っている。すると、ディアルがエメラルドグリーンの瞳をきらめかせながら、身を乗り出した。
「そうしたら、わたしがアスタを城下町に招くことも許されるようになるのでしょうか? 以前にお話ししたときは、少し時期を見てほしいということでしたよね?」
「ああ、ディアル嬢がそのような申し出をしてきたのも、たしか舞踏会の頃だったね。うん、王都との関係さえ落ち着けば、それも難しい話ではないよ」
ポルアースは、鷹揚にそう答えていた。
「ただし、森辺の民に通行証を出せるのは、ジェノスの貴族だけだからね。体裁を保つために、僕あたりも招待していただく必要があるかな」
「もちろんです。灰の月か黒の月には父がジェノスにまでやってくるはずですので、そのときは是非アスタの料理をふるまいたいと考えていたのです」
ディアルの父親たる鉄具屋の主人は、半年に1度ぐらいのペースでジェノスを訪れているのだ。というか、そういう形式で商売を始めたのが1年ほど前の話であるので、そろそろ2度目の来訪が近づいてきているということなのだろう。
「メルフリード殿が王都に向かってから、まもなく2ヶ月になるはずだからね。遅くとも、灰の月の間には帰ってくるはずだ。ディアル嬢の父君がそれよりも早く来てしまわないことを祈るとしようか」
「それでは、祈るだけではなく、わたしがそのように父を言いくるめようと思います」
そんな風に述べてから、ディアルは俺にもにっこりと微笑みかけてきた。
どれだけおしとやかに振る舞おうとも、その笑顔の朗らかさに変わりはない。俺も笑顔で、そちらにうなずきかけてみせた。
そんな俺たちの背後からは、レイナ=ルウたちがリフレイアたちと、ルド=ルウたちがムスルたちとやりとりしている声が聞こえてくる。また、トゥール=ディンとオディフィアはさきほどから小声で会話を続けており、頬杖をついたゲオル=ザザは果実酒の酒盃を傾けながらその様子を眺めていた。
森辺の祝宴では町の人間を招く機会も増えて、先日にはついに城下町の民たるリフレイアとサンジュラをも招くことになった。そしていまは、森辺の民が客人として招かれて、城下町の人々と絆を深めている。王都の人々と和解することができれば、このような機会をもっと増やすこともできるのだろう。
(俺たちは、あのドレッグとも何とか歩み寄ることができたんだ。次にどんな人間がやってこようとも、絶対に何とかしてやろう)
そんな風に考えながら、俺はアイ=ファのほうに視線を向けてみた。
リミ=ルウはエウリフィアと言葉を交わしていたので、アイ=ファは黙然と茶をすすっている。その青い瞳が、穏やかに俺を見つめ返してきた。
「どうした? なにやら真面目くさった面持ちをしているな」
「いや、これからも頑張ろうって気持ちを新たにしていただけさ」
「そうか」と言ってから、アイ=ファが俺の耳に口を寄せてきた。
「それは殊勝な心がけだが、私はまったく腹が満ちていない。家に戻ったら、何か食べさせてもらえるのだろうな?」
「ああ、前回の食事会で学習したからな。商売の下ごしらえと一緒に、夜食の下ごしらえも済ませておいたよ」
アイ=ファは髪をかきあげるふりをして、向かいの人々に表情を隠しつつ、嬉しそうに微笑んだ。
「よし。それではこの会が終わる前に、今度はルド=ルウらと席をかわってもらうか」
「え? ずいぶんせわしないな。今度は何をするつもりなんだ?」
「むろん、あのムスルめと言葉を交わすのだ。私がラービスに礼を言うたびに、あやつは心を責め苛まれていたであろうからな」
その言葉に、俺は小さくふきだしてしまった。
「なるほど。やっぱりアイ=ファも、ちょっと怒りすぎたと思ってたわけか」
「私の怒りは、正当なものであった。その点を譲るつもりはないぞ」
アイ=ファはわずかに唇をとがらせながら、卓の下で足を蹴ってきた。
「では、行くぞ。……リミ=ルウよ、ルド=ルウらと席をかわってくるので、しばらくこの場にいてもらえるか?」
「うん、わかったー! また後でね!」
リミ=ルウはこちらを振り返り、笑顔でぶんぶんと手を振ってきた。
そちらに手を振り返しながら、俺はアイ=ファの後を追う。その颯爽とした後ろ姿を眺めつつ、俺は何だかずいぶん感慨深くなってしまっていた。
(ポルアースから席替えの提案を受けて、一番動き回ってるのがアイ=ファだなんて、ちょっと前では考えられなかったことだよな)
そしてアイ=ファのこの行いは、森辺の祝宴でデイ=ラヴィッツの姿を捜し求めていた姿を連想させてやまなかった。
人づきあいが苦手であり、去る者は追わずの気質であったアイ=ファも、ここしばらくでずいぶん変わってきているのだろう。それでいて、思いたったらすぐに行動という部分は、以前の通りのアイ=ファである。
月日が経てば、変わるものもある。しかし、変わらないものもある。ムスルはずいぶん様変わりしたが、リフレイアに対する忠心は変わっていない。ユーミだって、ユーミらしさを損なわないまま、大きな変革を迎えようとしている。俺だって、あまり自覚はできていないが、きっと同じような状態にあるのだろう。
そうして一歩ずつ進んだ先に、いったいどのような行く末が待ち受けているのか。
俺は不安よりも大きな期待を胸に、それを迎えたいと願った。