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異世界料理道  作者: EDA
第三十六章 合縁奇縁
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再びの《銀星堂》①~食前の歓談~

2018.7/23 更新分 1/1 ・7/26 誤字を修正

 白の月の15日――俺たちが《銀星堂》に招かれたその日は、奇しくも屋台の休業日であった。

 しかし、翌日には商売を控えているので、昼下がりの間に下ごしらえの仕事は済ませておく必要がある。それでも指定の集合時間は下りの五の刻であったので、俺たちはゆとりをもって仕事を完了させることができた。

 そうして城下町に向かいながら、しきりに不安げな声をあげていたのは、ユン=スドラである。


「あの、本当にわたしもご一緒させていただいて、よろしかったのでしょうか? わたしはトゥラン伯爵家と縁もゆかりもないので、非常に申し訳なく思ってしまうのですが……」


「何も気にする必要はないよ。定員にゆとりはあったし、ユン=スドラとはいずれ城下町に連れていくって約束をしてたからね」


「そ、それはだけど、あくまでわたしが一方的に願い出ていたに過ぎません。このように大事な会に、まったく無関係のわたしが加わってしまうというのは……」


「ユン=スドラは心配性だね。族長たちが許してくれたんだから、大丈夫だってば」


 そのように答えてから、俺はユン=スドラの耳に口を寄せてみせた。


「それを言うなら、ゲオル=ザザだってこの件には無関係だったしね。ユン=スドラだけが気にする必要はないさ」


 そのゲオル=ザザは、同じ荷車に乗り合わせたトゥール=ディンと楽しげに談笑していた。まあ、喋っているのはゲオル=ザザのほうばかりで、トゥール=ディンはおずおずと微笑んでいるばかりである。


「たぶんユン=スドラがこの申し出を断っていたら、スフィラ=ザザかダリ=サウティあたりが選ばれてたんだと思うよ。そう考えれば、少しは気も楽になるだろう?」


「い、いえ、族長筋の人間を押しのけているのだとしたら、余計に心苦しくなってしまいます」


「ああ、そっか。でも、ヴァルカスの料理を口にできる機会なんてそうそうないからね。素直に喜べばいいと思うよ」


 ユン=スドラはとても真剣な面持ちで、俺の顔を見つめ返してきた。荷車の振動に合わせて揺れている灰褐色のサイドテールが可愛らしい。


「……わたしなどとの約束を守るために、アスタに無理をさせてしまったのではないでしょうか?」


「そんなことないよ。人数にゆとりがあるなら、こちらでもひとり選ばせてくれないかとお願いしただけさ」


 そう言って、俺はユン=スドラに笑いかけてみせた。


「いまやユン=スドラは、屋台の商売に欠かせない存在だからね。ユン=スドラがヴァルカスの料理から何かを学んで、かまど番としての力をつけることは、森辺の民の力にもなることなんだから、堂々と胸を張っていてほしいかな」


「……ありがとうございます。アスタにそこまで言っていただけるのは、本当に光栄の限りです」


 ユン=スドラの顔から憂いの陰が消えて、まぶしいばかりの笑みが広げられた。


「それに本当は、ヴァルカスの料理を口にできることも、嬉しくてたまらなかったのです。わたしにこのような機会を与えてくださって、心から感謝しています」


「うん。どんな料理を食べさせてもらえるのか、楽しみだね」


 そうして話が一段落したところで、ルウの集落に到着した。

 広場では、すでにルウルウの手綱を握ったルド=ルウが待ちかまえている。今日はルド=ルウも参席するために、狩人の仕事を早々に切り上げることになったのだ。


「よー、待ってたぜ。それじゃあ、出発するか」


「あー、ちょっと待って! リミは、アイ=ファと一緒がいい!」


 荷台から飛び出したリミ=ルウが、ちょろちょろとこちらに駆け寄ってくる。御者台に座したアイ=ファは、とてもやわらかい眼差しでその姿を迎えていた。

 そして、リミ=ルウと入れ替えで地面に降りたティアが、ぶすっとした面持ちで俺を見上げてくる。


「では、この場でアスタたちの帰りを待っている。アスタに災厄が近づかぬことを祈っているぞ」


「うん。ルウ家の人たちに迷惑をかけないようにね」


 せっかくの休業日であるのに俺たちが家を離れてしまうので、ティアは若干すね気味であるのだ。見送りに出てきてくれたミーア・レイ母さんが、笑いながらその小さな頭をかき回していた。


「ティアは確かに預かったよ。うちの家族をどうぞよろしくね、アイ=ファ」


「うむ。必ず無事に帰すと約束しよう」


 荷車が、再び風を切り始める。リミ=ルウが加わったことによって、こちらの荷台はいっそう賑やかになっていた。


 本日、森辺の側から《銀星堂》に出向くのは、11名である。

 顔ぶれは、俺、アイ=ファ、ユン=スドラ、トゥール=ディン、ゲオル=ザザ。ルウの集落から、ルド=ルウ、リミ=ルウ、レイナ=ルウ、シーラ=ルウ、シン=ルウ、マイム、というものであった。


 本日の名目はトゥラン伯爵家との親睦会であったが、実際のところ、直接的に因縁のある人間は少ない。そこで、かつて俺がサンジュラとムスルにさらわれた際、護衛役として刀を向けられることになったルド=ルウとシン=ルウが選ばれることになったのである。


 レイナ=ルウとシーラ=ルウは、俺がさらわれていた期間、屋台の商売を支えていた責任者であったという名目であったが、まあ、それよりも何よりも両者が熱烈に参席を希望した結果であろう。トゥラン伯爵家との正式な和睦はすでに為されていたので、族長たちもそれほど人選にはこだわっておらず、俺たちに判断を任せてくれたのだった。


 ちなみにマイムは、サイクレウスの悪行の被害者であるミケルの娘として、この会に招かれている。もともとはミケル本人が選出されていたのだが、貴族などとは関わりを持ちたくないと言い張っていたために、マイムが代理人として参席することになったのだ。


(でもまあ、きっとミケルにしてみても、マイムにヴァルカスの料理を食べさせたいっていう気持ちのほうが強かったんだろうな)


 今回の親睦会は、それほど格式張ったものではない。マルスタインにしてみても、トゥール=ディンとの交流を熱望している孫娘のために一計を案じたという側面が強いのだ。よって、本件とは関わりのないユン=スドラやゲオル=ザザが参席することにも問題はないはずだった。


(けっきょくは、以前の《銀星堂》での食事会と同じような顔ぶれになっちゃったな。ヴィナ=ルウやダルム=ルウやシュミラルの代わりに、ユン=スドラとゲオル=ザザとシン=ルウと……それに、ルド=ルウが加わった格好か)


 俺としては、リフレイアたちと親睦を深められる上に、《銀星堂》の料理まで口にできるという、二重の喜びであった。

 俺が初めてシャスカを口にしたのも、前回の会食の際である。このたびはどのように珍しい料理を味わわせてもらえるのか、いまから胸の高鳴りを抑えられなかった。


                   ◇


 城門で車を乗り換えた俺たちは、前回と同じ手順で《銀星堂》まで案内をされた。

《銀星堂》は、城下町のごく何気ない街路沿いに存在する料理店である。本日も、車の出口から店の入り口までは武官たちの隊列によって道が作られ、俺たちの姿が通行人の目にさらされることはなかった。


「お待ちしておりました。ご予約の11名様ですね? ここからは、わたくしがご案内いたします」


 こぢんまりとした玄関ホールに通されると、見覚えのある老女が俺たちを出迎えてくれた。ほとんど真っ白の髪をした、エプロンドレス姿の老女である。

 護衛役の武官たちは、その玄関ホールで窮屈そうに隊列をなしている。無法者の入り込めない城下町でも、貴族が訪れた際にはこういった警護が必要であるのだろう。そんな武官たちに見守られながら、俺たちはいざ食堂へと入室した。


「やあやあ、お待ちしていたよ。今日も格式は気にせずに、好きな席についてくれたまえ」


 本日も、食堂ではすでに貴き人々が勢ぞろいしていた。

 その人数は、9名だ。どうやら《銀星堂》の定員は20名であるらしく、城下町の側はこの人数で十分なので、残りの11名は森辺の民に割り振られたわけである。


 ただし本日は、貴族ならぬスペシャルゲストも招かれていた。

 誰あろう、ディアルとラービスのコンビである。この両名も、リフレイアが不始末を犯した場には居合わせていたということで、ポルアースが白羽の矢を立てたのだった。


 残る7名のメンバーは、調停役のポルアース、トゥラン伯爵家のリフレイア、トルスト、サンジュラ、ムスル、そしてゲストのエウリフィアおよびオディフィアだ。

 10名の座れる大きな卓がふたつ並べられており、9名の人々はその中でこまかく散っている。2名か3名の組に分かれて、4ヶ所に陣取っているのだ。


「申し訳ないけれど、トゥール=ディンはこちらに来ていただけるかしら? オディフィアはあまり声が大きくないから、向かいの席よりも隣の席がいいように思うの」


 と、左側の卓の左側の列に座したエウリフィアが、やわらかく微笑みかけてくる。その列にはポルアース、エウリフィア、オディフィアが座しており、残りの2席が空けられていた。


「ふむ。格式を気にせずによいのなら、そちらの下座は俺がいただこう」


 当然のようにゲオル=ザザがそう述べたてると、案内役の老女がそちらに手を差しのべた。


「それでは、外套をお預かりいたします」


「なに? 俺の父も、城下町の晩餐では狩人の衣を脱いでいないはずだが」


「申し訳ありません。当店では、外套をお預かりする決まりとなっているのです」


 ゲオル=ザザはなおも不服そうに何か言いかけたが、トゥール=ディンの心配げな眼差しを受けて、溜息をついた。


「それがこの場の取り決めであるというのなら、従おう。ただしこれは狩人の誇りであるので、決しておろそかに扱うのではないぞ?」


「はい、もちろんでございます」


 ゲオル=ザザのような強面の大男を前にしても、老女は静かに微笑んだままである。マントの留め具を外したゲオル=ザザが仏頂面でそれを受け渡すと、エウリフィアが「あら」と声をあげた。


「あなたは、ゲオル=ザザであったのね。舞踏会のときとはあまりにご様子が異なっていたから、ちっとも気づかなかったわ」


「ふん。本来は、森辺の外で狩人の衣を外す習わしはないのだ」


 ギバの毛皮のかぶりものを外したゲオル=ザザは、短く切りそろえた褐色の髪をかき回しながら、そのように言い捨てた。右の眉に大きな古傷のある厳つい面立ちであるものの、かぶりものからもたらされる陰影が消失すると、意外に16歳という年齢相応に見えなくもないゲオル=ザザなのである。


 そうしてふたりが着席すると、さっそくオディフィアが身体ごとトゥール=ディンに向きなおった。トゥール=ディンは、幸福そうに目を細めながら、その小さなフランス人形のような姿を見つめ返している。


「おひさしぶりです、オディフィア。……といっても、まだ半月ぐらいしか経っていませんけれど」


「ううん。すごくひさしぶりにかんじる」


 東の民ばりに無表情なオディフィアがあるが、俺は本日もその見えざる尻尾がぱたぱたと振られているように感じられた。

 そんなトゥール=ディンとゲオル=ザザの向かいにはディアルとラービスが座しており、上手の3席は空いている。話し合いの末、そこにはレイナ=ルウ、シーラ=ルウ、ユン=スドラの3名が腰を下ろすことになった。


 残りのメンバーは、トゥラン伯爵家の陣取る、右の卓だ。

 左列の上手にはリフレイアとトルスト、右列の下手にはサンジュラとムスルが座している。狩人の衣を老女に手渡したルド=ルウとシン=ルウは、迷うそぶりもなくサンジュラたちの向かいへと歩を進めていった。


「やっぱ、俺たちはこの席だよな。あんたたちとは、笑って話せる仲にならねーとよ」


 サンジュラは穏やかに微笑んでおり、ムスルは張り詰めた面持ちをしている。

 が、3日ぶりに見るムスルは、すっかり姿が見違えていた。髪はこざっぱりと切りそろえられて、無精髭も形が整えられている。かつてのようにきっちりと剃りあげるのではなく、鼻の下および頬から下顎にかけてまで、褐色の髭が綺麗な形で残されていたのだった。


 俺の美的感覚でいうと、ムスルは男前でない部類になる。が、その髭はムスルにとてもよく似合っている気がした。

 それにやっぱり、一回り細くなったことによって、ずいぶん印象が違っている。以前の鈍重な牛のごとき雰囲気は緩和されて、その代わりに、貫禄や雄々しさといったものが増幅されたような感じがした。


(もしかしたら、トゥラン伯爵邸ではカロリーオーバーの食生活だったんじゃないのかな。使用人のための料理を作っていたのはロイのはずだけど、乳脂やレテンの油なんかをドバドバ使ってたもんなあ)


 3日ぶりに見るムスルはこけていた頬にもやや肉が戻り、目の下の隈も消えている。もともと骨格もがっしりしているようであるし、ムスルにとっては現在の肉付きがベストであるように思えてならなかった。


「よ、ちょっと見ない間に、ずいぶんすっきりした顔になったな」


 席についたルド=ルウがそのように声をかけると、ムスルは「はい」と深く頭を下げた。


「さまざまな方々の温情によって、わたしは正しき道を見出すことがかないました。今後も、誰に恥じることもない生をまっとうすると誓いますので――」


「そんな、なんべんも頭を下げる必要はねーよ。あんたたちを許すって決めたのは、俺の親父たちなんだからな」


 ルド=ルウは気さくに言いながら、ぷらぷらと手を振った。


「ただ、罪を許すってのと、友になれるかってのは、別の話だ。そっちのサンジュラは祝宴に招いたりして、それなりに絆も深まったように思うけど、あんたと顔をあわせるのは1年ぶりだからな。これからじっくり、絆を深めていかねーといけねーだろ」


「うむ。まずは今日、同じ場所で同じものを食べ、同じ喜びを分かち合いたいと願っている」


 シン=ルウも、とても落ち着いた眼差しでムスルを見やっていた。

 サンジュラが「はい」と笑顔でうなずくと、ムスルも慌てた様子でまた一礼する。いかにも奇妙な取り合わせの4名であったが、本人たちの言う通り、この場で確かな絆を結べれば幸いであった。


 そうして後に残されたのは、俺を含む4名である。

 どうしたものかと俺が思案していると、マイムが笑顔で発言した。


「リミ=ルウは、アイ=ファたちと近くの席がいいでしょう? あちらの空いている席は、わたしが座らせていただきますね」


 リフレイアとトルスト、ルド=ルウとシン=ルウにはさまれて、左列の真ん中の席がぽっかりと空いていたのだ。マイムがそこに腰を落ち着けると、俺たちの席も自動的に決定された。リフレイアたちの向かいで、サンジュラたちの隣となる、右列の上手の3席だ。そちらには、リミ=ルウ、アイ=ファ、俺の順番でそれぞれ席を埋めることになった。


「本日は、ジェノス侯爵マルスタインの取りはからいで、この親睦の食事会が開かれることになりました。とはいえ、何も格式張った集まりではないので、ごゆるりと交流を深めていただきたく思います」


 隣の卓で、ポルアースがそのように挨拶の言葉を述べていた。


「また、この料理店の主人であるヴァルカス殿も、かつてはトゥラン伯爵邸で働く料理人でありました。その腕前はジェノス城の料理長であるダイア殿と並んでジェノスの双璧と呼ばれるほどであるので、きっと我々を大いに楽しませてくれることでしょう」


 そうしてポルアースが口を閉ざすと、老女が各人に冷たい茶をふるまい始めた。定刻になるまでは、しばし歓談タイムである。

 すると、リフレイアがトルストごしに、マイムへと視線を差し向けた。


「やっぱりミケルには来ていただくことができなかったのね。わたしの父親のしでかした罪を思えば、当然のことだけれど」


「いえ。リフレイアにはもう、森辺の祝宴で謝罪されています。父ミケルは、これ以上の謝罪など必要ない、と考えているだけです」


 そう言って、マイムはにこりと微笑んだ。


「もとより、リフレイアに罪のある話ではありませんし……罪を犯したあなたのお父様は、すでに魂を返されました。わたしたちは西方神の子として、すべてを天にゆだねたいと考えています」


「そう……そのように言ってもらえることを、心からありがたく思うわ。ありがとう、マイム」


 リフレイアもまた、大人びた表情で微笑んだ。

 森辺の祝宴ですでに邂逅していた両名であるものの、俺はその姿をあまり目にしていなかったので、やっぱり何だか感慨深くなってしまう。そういえば、マイムとリフレイアはほとんど年齢も変わらないぐらいのはずであった。


(父親同士の悪縁を思えば、このふたりが笑顔で向かい合ってるなんて、奇跡みたいなもんだよな。この先もなかなか顔をあわせる機会は少ないだろうけど、なんとか絆を深めてもらいたいもんだ)


 俺がそのように感じ入ってると、アイ=ファがくいくいとTシャツの袖を引っ張ってきた。


「アスタよ。あちらの卓の人間に声をかけることは、何か非礼にあたるのであろうか?」


「え? いや別に、非礼ってことはないんじゃないのかな。この前の食事会でも、あっちとこっちで言葉を交わしていたはずだしさ」


「そうか」とうなずくや、アイ=ファは鋭い視線をあちらの卓に差し向けた。


「ラービスなる者よ、この場で礼の言葉を伝えておきたいのだが、かまわないだろうか?」


 こちらに背を向けて座していたラービスが、うろんげに振り返る。隣のディアルも、きょとんとした顔で振り返っていた。


「先日は、家人の危ういところを救ってもらい、心より感謝している。また、礼の言葉が遅くなってしまったことを、ここで詫びさせてもらいたい」


「……礼を言われるほどのことではありません。それに、礼の言葉はすでに本人からいただいています」


「それでは、私の気が済まんのだ。お前が救いの手を差しのべていなかったら、アスタもどうなっていたかわからんのだからな」


 アイ=ファは真面目くさった面持ちで、目礼をしている。その姿を見て、ディアルが「あはは」と笑い声をあげた。


「あんたって、本当に義理堅いんだね。そういえば僕なんて、数ヶ月ごしにお礼の言葉を言われたことがあるもんなあ」


「……ディアル様、貴き方々の御前です」


「え? ああ、これは失礼いたしました。うっかり、はしたない口を……」


「何も気にする必要はないわ。わたしは普段通りのあなたを好んでいると言ったでしょう、ディアル?」


 エウリフィアが、ころころと笑い声をあげる。そういえば、いつだったかのお茶会でもこのようなやりとりがあったような気がした。


「ポルアースやリフレイアだって、そのようなことを気にする性分ではないでしょう? 森辺の方々のように、あなたも気安く振る舞ってちょうだい、ディアル」


「……お気遣い感謝いたします、エウリフィア」


 それでもディアルは、しずしずと頭を下げていた。本日もお茶会のときと同じく青いドレス姿であるので、そういった仕草が似合っていることは事実である。

 そして、そんなやりとりが為されている間も、エウリフィアのかたわらではトゥール=ディンとオディフィアが何やら小声で語らっていた。ゲオル=ザザはいくぶん退屈そうな面持ちであったが、それでも口をさしはさむことは自重しているのだろう。それぐらい、ふたりの幼い少女たちは幸福そうに見えた。


 また、ポルアースはレイナ=ルウたちと歓談しており、ルド=ルウたちもムスルらとしきりに言葉を交わしている。城下町の人々と森辺の人々が適度に散っているために、それぞれ交流の場が形成されている様子であった。


 となると、俺たちの間近にあるのは、リフレイアとトルストだ。

 リフレイアとはわりあい言葉を交わす機会があったので、俺はトルストに照準を定めることにした。


「最近、食材のほうはいかがですか? 宿場町でも、かなり売れ行きはのびていると聞いているのですが」


「ああ、はい。おかげさまをもちまして、いずれの食材も腐らせることにはなっておりません。わたくしが後見人となって1年が経ち、ようやく流通も安定してきたように思います」


 トルストは、恐縮しきった様子で頭を下げている。この御仁は、俺の知る貴族の中でもっとも腰の低い人物であるのだ。


「というか、食材に関してはジェノス侯爵家と分担して流通の仕事を担っているのですが……その両方をあわせたら、もはや1年前よりも流通は活性化しているのだと思われます」


「それはつまり、以前よりもたくさんの食材を売れるようになった、ということですか?」


「はい。タウ油や砂糖は言うに及ばず、シムの香草も売り上げはのびているはずですし……そこに、バルドから新しい食材を買いつけたり、シムからもっとたくさんのシャスカを買いつけようとしているのですから、おそらくは比較にもならぬほどでしょう」


 そんな風に述べながら、トルストは深く溜息をついた。


「ですが、その内の半分ほどはジェノス侯爵家に肩代わりをお願いしておりますので、トゥラン伯爵家が以前の豊かさを取り戻すには至っておりません。ようやく、6、7割ほどが立て直されたぐらいでありましょうか」


「そうなのですね。ジェノス侯爵家にいったんおまかせした仕事を再び受け持つことはできないのですか?」


「それは、不可能です。それらの仕事のすべてを受け持つことなど、わたくしにはとうていかないませんので……前当主はいったいどのようにやりくりしていたのか、まったく想像もつかないほどであるのです」


 サイクレウスは余人を信用していなかったので、ほとんど自らで仕事をやりくりしていたのだと聞いている。よって、サイクレウスが退いた後は商売のノウハウを知る人間も存在せず、トルストが尋常ならざる苦労を背負い込むことになったのだ。


(サイクレウスも、商売人としては本当に優秀な人間だったんだろう。もちろん、その裏では商売敵を武力で排除したりもしていたんだろうけど……そんな汚い手だけで、ここまで商売の手を広げることはできなかっただろうしな)


 すると、リフレイアがすました表情でトルストを振り返った。


「あなたには苦労ばかりをかけてしまうわね、トルスト。名前ばかりの当主で、本当に申し訳なく思っているわ」


「あ、いえ、リフレイア様には、商団の方々を歓待するお役目を担っていただくことができるようになりましたので……それだけでも、わたくしの苦労は軽減されております」


「わたしなんて、せいぜい晩餐会を開いているぐらいじゃない。あなたの苦労などとは比べものにもならないわ」


「いえいえ、わたくしなどは気のきいた会話もできませんし、シムやジャガルの方々などとはどのように接すればいいのかもわからないので……歓待の仕事を受け持っていただけることは、本当にありがたく思っているのです」


 トルストは、たるんだ皮膚を震わせて微笑した。


「それに、前当主の罪をすすぐには、やはりリフレイア様が表に立つ必要があるのだと思います。先日のジャガルの方々などは、これでトゥラン伯爵家も安泰だなと仰っておりましたよ」


「わたしのどこをどう見たら、そのように思えるのかしら。……まあ、わずかなりともお役に立てているのなら、光栄なことだけれど」


 そんな風に言ってから、リフレイアは俺に向きなおってきた。


「あら、会話の邪魔をしてしまって、ごめんなさい。アスタとトルストが語らっていたのよね」


「いえ、リフレイアも加わってくださるのでしたら、そちらのほうがより嬉しいですよ」


 というよりも、リフレイアとトルストの間にも確かな絆が育まれていることを目にすることができて、俺はとても満ち足りた気持ちになっていた。

 そこで、アイ=ファと語らっていたリミ=ルウが、笑顔で身を乗り出してくる。


「あの、シャスカって、いつになったら届くんですか? 森辺でも、もっとシャスカを食べたーいって人がいっぱいいるんです!」


「シャスカですか。シムには先日、ジェノス侯爵家から使者を出しましたので……それが受け入れられれば、今後は定期的に買いつけることができるはずです」


「うーん、それだとやっぱり、何ヶ月もかかっちゃうの? ……あ、かかっちゃうんですか?」


「そうですな。しかしその前から、ヴァルカス殿が個人的に買いつけの話を通していたので、その分はまもなく到着するものと思われます」


 リミ=ルウとトルストの会話というのも、なかなか貴重なものである。リミ=ルウは「そっかー」と満面に笑みを広げていた。


「楽しみだなー! ね、アスタ、シャスカにはもっと色んな食べ方があるんでしょー?」


「うん。食べ方もそうだし、シャスカをポイタンの代わりにするだけでも、これまでの料理の印象が変わってくると思うよ。俺としては、毎日シャスカでもいいぐらいなんだよね」


「リミも、シャスカは大好き! ジバ婆も、またおはぎを食べられるようになるのを楽しみにしてるんだー!」


 なんとも和やかな様相である。

 すると、その場に扉をノックする音色が響きわたった。


「失礼いたします。下りの五の刻になりましたので、料理をお出しします」


《銀星堂》の主人、ヴァルカスの登場である。

 その背後からは、料理をのせた台車を押すシリィ=ロウの姿も現れる。ついに、食事会が開始されるのだ。

 同じ場所で同じものを食べ、同じ喜びを分かち合う。シン=ルウの言う通り、これは祝宴をともにするのと同じぐらい有意義な集まりであるはずだった。

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