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異世界料理道  作者: EDA
第三十六章 合縁奇縁
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予期せぬ来訪者④~心の在処~

2018.7/19 更新分 1/1 ・7/26 誤字を修正

・次の更新は7/23(月)の予定です。予定が変更される際は活動報告にて告知させていただきます。

「また、其方は現在の境遇を不服と思い、森辺の族長らにまで直談判をしたそうだな。それがどれほど不遜な行いであるか、其方は本当に理解しているのか?」


 マルスタインがさらに追撃すると、ムスルはがっくりとうなだれてしまった。

 が、深くうつむきながらも、ぎらぎらと光る目でマルスタインをにらみ返している。


「確かにわたしは、禁を破って森辺の民に近づいてしまいました。……しかし、決して悪意あっての行いではありませんので……ご容赦いただきたく思います」


「ふむ。禁を破っておきながら、その言い様か。なかなか見上げた人間ではないか」


「お、お言葉を返すようですが、わたしは森辺の民に害をなしてはならじと申しつけられていたのです。友好の意を示すために近づくことすら許されぬとは、聞いておりません」


「ほう。己の身に恥じるところはない、と? 其方は心を乱したあまり、ファの家のアスタを危険にさらしたと聞いているのだがな」


 マルスタインは、いつもの感じで穏やかに微笑んでいた。

 しかし、この際はその穏やかな笑顔までもが、辛辣な言葉を引き立てるためのスパイスになってしまっている。もしも初対面でこのような姿を見せられていたら、俺のマルスタインに対する印象も180度異なるものになっていたことだろう。


「其方の処遇に関しては、かの男爵家に一任している。その男爵家の当主に言葉をはねのけられてなお、其方はアスタのもとにまで出向き、恩赦を願い出た。それが不遜でなくて何なのだ、ムスルよ?」


「で、ですからそれは……わたしは森辺の民に許されぬ限り、トゥラン伯爵家に戻ることも許されないのだと考えたためであり……」


「森辺の民は、罪を贖った人間をなおも恨むような者たちではない。其方の罪を許していないのは、森辺の民ではなく、我々であるのだ」


 その言葉で、俺はハッとさせられた。

 マルスタインは、ただムスルを挑発しているだけでなく、今日の会談がどのような結果に終わろうとも、ムスルの矛先が俺たちに及ばないように取りはからっているのではないか――と、ふいに思い至ったのだ。


「其方のように不遜な人間を、トゥラン伯爵家に戻せると思うのか? たとえ森辺の民が許そうとも、我々はそのような行いをやすやすと許すことはできん。わずか1年では、其方も心を入れ替えることはできなかったようだな」


「…………」


「それに、いまさらトゥラン伯爵家に戻ってどうしようというのだ。トゥラン伯爵家は、かつての大罪を贖うために、その身の力を振り絞っているさなかであるのだぞ?」


 ゆったりと微笑みながら、マルスタインはそのように言葉を重ねていった。


「其方はリフレイア姫が社交を許されたと聞き、ならば自分もといきりたったようだが、これはそのように甘い話ではない。リフレイア姫は、いまこそその真情を我々に見定められているさなかであるのだ」


「…………」


「リフレイア姫は、これまで鳥かごの鳥のごとき生活に身を置いていた。それはたいそう窮屈な生活であっただろうが、それは我々の与えた恩赦でもあったのだ。その意味が其方にわかるか、ムスルよ?」


「……いえ。わかりかねます」


「ならば、教えてやろう。トゥラン伯爵家の前当主サイクレウスは、ジェノスの歴史に名を刻むような大罪人であった。その娘として生きる苦しみが、どのようなものであるか……他の貴族たちがリフレイア姫をどのような目で見ているか、其方はそのようなことにすら考えが及ばないのだな」


 マルスタインは卓の上に両方の肘をつくと、組み合わせた指先の上に軽く下顎を添えた。


「鳥かごの中で過ごす限り、リフレイア姫は非難の目にさらされることもない。しかし、リフレイア姫は大罪人の娘としての姿をさらしながら、生きていく道を選んだのだ。わずか12歳の身でありながら、それは見上げた覚悟といえよう。その道を示したのは森辺の民に他ならないのだが、臆せずに足を踏み出したのはリフレイア姫本人であるのだから、私はその覚悟を黙って見守りたいと考えている」


「…………」


「ただし、リフレイア姫は、かつて自らも大罪を犯している。言うまでもなく、それはアスタを城下町にかどわかした一件だ。リフレイア姫は、父親と自らの罪を背負って、いまを生きている。……そんなリフレイア姫にとって、其方はどのような存在であるのだろうな、ムスルよ?」


「…………」


「其方はリフレイア姫にとって、かつて犯した罪の証であるのだ。リフレイア姫が再び其方を従者としてそばに置けば、いっそう白い目で見られることに疑いはない。それでもなお、其方はリフレイア姫のもとに参じたいと願うのか?」


「しかし……」と、ムスルがくぐもった声を振りしぼった。


「あのサンジュラは、リフレイア様のおそばにあることを許されていると聞いています……あの者とて、わたしと同じ立場ではありませぬか……?」


「違うな。サンジュラと其方では、まるきり立場が異なっている」


 マルスタインは、あっさりとそう言った。


「あの者は、リフレイア姫と血を分けた兄妹であるのだ」


「は……?」と、ムスルのやつれた顔から表情が抜け落ちる。


「血を分けた……兄妹……? ジェ、ジェノス侯は、いったい何を……」


「ふむ。その風聞は、やはり其方のもとまでは届いていなかったか。あるていどの地位にある貴族にとっては、とっくに知れ渡った風聞であるのだがな」


 マルスタインは、目を細めて愉快そうに微笑んだ。


「王都の監査官たちが騒いだおかげで、その風聞が外にもれてしまったのだ。かつてサイクレウスはダバッグの別邸にシムの女人を住まわせており、あのサンジュラはその女人に産ませた子である――と、サンジュラ自身がその言葉を認めている」


「そ、そんな馬鹿なことが……サンジュラが、リフレイア様の、兄君……?」


 ムスルの身体が、頼りなく揺れ始めていた。放っておいたら、そのまま倒れてしまいそうなほどである。

 そんなムスルの姿を穏やかに見やりながら、マルスタインはさらに言った。


「むろん、確かな証のある話ではないので、我々もサンジュラをサイクレウスの落胤として扱うことはできない。それでもその風聞を耳にした人間は、あれもまたサイクレウスの血族なのだと後ろ指を指さずにはいられないことだろう。サンジュラは、リフレイア姫と運命を分かち合った存在であるのだ」


 そうしてマルスタインの目が、ゆっくりと俺のほうに向けられてきた。


「それで……最初にその話をサンジュラから聞いたのは其方であったはずだな、ファの家のアスタよ」


「は、はい。トゥラン伯爵のお屋敷から解放された日に、その話を聞くことになりました」


「その告白がなければ、サンジュラの素性が判明することもなかったやもしれん。サンジュラもまた、自ら苦難の道に足を踏み出した人間であるのだ」


 気づけば全員が、マルスタインの言葉に聞き入ってしまっていた。

 ムスルを挑発するどころの話ではない。マルスタインはもっと根源の部分から、ムスルの心を揺さぶろうとしていたのだ。やっぱりこの御仁は、俺の物差しなどで容易く計測できるような器ではないようだった。


「おそらくサンジュラは、リフレイア姫と運命を分かち合うために、そのような告白をしてのけたのだろう。あやつはそれだけの覚悟をもって、リフレイア姫の横に立っている。そのような人間と其方を並べて考えることはできまい、ムスルよ?」


「…………」


「其方はリフレイア姫のそばにありたいと願うばかりで、姫の立場や心情などは考えもしなかったのだろう。だから私は、其方のことを不遜だと言っているのだ。自分にリフレイア姫のかたわらに立つ資格があるのかどうか、いま一度自問してみるがいい。其方が、リフレイア姫のそばにありたいと願うのは、姫のためなのか、自分のためなのか……果たして、どちらなのであろうな?」


 ゆらゆらと頼りなくゆらめいていたムスルの身体が、ぴたりと動きを止めた。

 その落ちくぼんだ小さな目が、ぼんやりとマルスタインを見返す。


「わたしの存在は……リフレイア様にとって、害悪にしかならないのですね……?」


「さてな。少なくとも、リフレイア姫にとっては大罪の証であることに間違いはあるまい」


「わたしがリフレイア様のおそばにあったら……それを見る人間は、リフレイア様のかつての罪を想起してしまうのですね……?」


「うむ。サンジュラと其方が並んで立っていれば、なおさらにな」


 ムスルの身体が、一度だけ大きく揺れた。

 しかしムスルは踏みとどまり、決死の形相をその厳つい顔に浮かべた。


「ならば……わたしは、申し出を取り下げます」


「ほう。リフレイア姫の従者となることをあきらめる、と申すのか?」


「はい……わたしは、リフレイア様のお力になりたかっただけなのです……」


 その言葉を口にした瞬間、ムスルの落ちくぼんだ目から滝のような涙があふれかえった。


「わたしは、リフレイア様がお生まれになったその日から、護衛のお役目を授かっておりました……リフレイア様がどのような苦難に見舞われようとも、この身にかえてお守りする覚悟であったのです……」


「その覚悟や役目を打ち捨てる、と申すのだな?」


「はい……サンジュラがその役目を担ってくれるというのなら……わたしの存在など、無用でありましょう……」


 荒んだ風貌をした大男のムスルが、ぼたぼたと涙をこぼしている。その姿は、あまりにあわれげであり、悲哀に満ちみちていた。


「わたしの役目は、終わったのです……これ以上、わたしがリフレイア様のおそばにある意味はありません……わたしは……わたしは、あまりに愚かでありました……」


「では、この先、其方はどのように生きていく心づもりであるのだ? 其方はリフレイア姫のそばにあらねば生きている意味もない、などと述べたてていたのであろう?」


「わたしは……これまで通り、男爵家の当主のもとで、心正しく生きていくことを誓います……決してリフレイア様の名を貶めぬように……いまのわたしにできるのは、ただそれだけであったのです……」


「そうか」と、マルスタインが身を起こした。

 もともと穏やかであったその顔に、ゆったりとした微笑が広げられていく。


「其方の覚悟は、見届けさせてもらった。これならば、リフレイア姫のもとに戻しても問題はあるまい」


「は……?」と、ムスルがまた身体を揺らがせた。


「何を……仰っているのでしょうか? わたしの存在は、リフレイア様の害悪にしかならぬと仰ったではないですか……?」


「それは其方の言った言葉だよ、ムスル。しかし、私の語ってきた言葉も、すべて真実だ。大罪の証である其方がかたわらにあれば、リフレイア姫はいっそう白い目で周囲から見られることであろう」


「そ、それでは、リフレイア様のおそばにあることは許されません……」


「誰が許さないのだ? 少なくとも、私はたったいまそれを許したし、リフレイア姫は我々の判断に任せると言っていた。トルストは、何か異論があるかね?」


「いえ……わたくしも、ジェノス侯のご判断に従います」


 ずっと呆けたような顔をしていたトルストが、気を取りなおした様子でそのように答えた。


「ジェノス侯とのやりとりを拝見して、わたくしもこの御仁の人柄を理解できたように思います。これならば、リフレイア姫の力になってくれることでしょう」


「うむ。これほど弱りきっていたら役には立てぬかと思ったが、なかなかの心意気を見せてくれたな」


「お、お待ちください!」と、ムスルがついに大きな声をあげた。


「わ、わたしはリフレイア様のご迷惑になるような真似はできません! わたしのせいで、リフレイア様がいっそう白い目で見られるなどとは……そのようなことは、決して許されないのです!」


「それを言うなら、サンジュラも同じことだ。サンジュラがそばにあることによって、リフレイア姫はいっそう非難の目で見られているが、その苦難はふたりで分かち合っている。其方が加わって苦難が増すならば、今度は3人でそれを分かち合えばいいのだよ」


 とても朗らかな笑顔を見せながら、マルスタインはそう言った。


「其方は心正しく生きていくと誓っていたではないか? その姿を、リフレイア姫のそばで見せればいいのだ。大罪を犯した其方たち3名が、心正しく生きている姿を見せることが、贖罪の道となる。たとえ苦難が増してしまおうとも、其方たちは甘んじてそれを担っていくべきであるのだ」


「し、しかし……」


「私はジェノスの領主として、それがもっとも正しき道であると判断した。だから、これは命令だ。ムスルよ、其方は武官として復職し、サンジュラとともにリフレイア姫の身を守れ。この命令に従えない場合は、私の領地から出ていってもらうぞ」


 ムスルはまだ状況を把握していない様子で、頼りなく視線をさまよわせていた。

 その姿を見て、マルスタインはふっと口もとをほころばせる。


「まだ覚悟が定まらないというのなら、少しだけ力を添えてやろう。リフレイア姫は、すべての判断を我々に一任すると述べた後、このようにも言っていた。……自分はかつて醜悪な人間であり、あれほど尽くしてくれていたムスルを道具のように扱っていた。それなのに、ムスルがまだ自分のもとに参じたいと言ってくれているなんて、とても信じられない……とね」


「……リフレイア様が、そのようなことを……?」


「ああ。侍女と手を取り合って、涙をこぼしていたよ。かつての自分の行いを恥じ入りながら、其方の忠心に心を打たれていたのだろうね」


 ムスルは、がくりと膝をついた。

 うつむいたその顔から、またぼたぼたと大粒の涙がこぼれている。


「先日の地震いで父親を失い、リフレイア姫はいっそう苦しい道を歩むことになったのだ。サンジュラとともに、リフレイア姫を支えてやってくれ。さすれば、トゥラン伯爵家の行く末もいっそう明るいものになるだろう。……それがどれほど苦難に満ちた生であっても、主人のために心を強くもち、決して短慮などを起こすのではないぞ?」


「承知……いたしました……寛大なはからいに、感謝いたします……」


 マルスタインはゆったりとうなずいてから、森辺の面々にも目を向けてきた。


「以上で、このたびの審問は終わりにしたいと思う。森辺の皆にも了承をもらえるだろうかな?」


「うむ。我々も、ジェノス侯爵マルスタインの判断に従おう」


 ダリ=サウティは、満足そうに微笑んでいた。

 ドンダ=ルウは、にやりと猛々しく笑っている。その光の強い碧眼は、「食えぬ男だ」と語っているように思えてならなかった。


 グラフ=ザザは仏頂面であったが、文句の声をあげようとはしない。見届け役のバードゥ=フォウとベイムの家長は、いささかこの展開についていけていない様子で、懸命に頭を働かせている様子である。


 そして、印象的であったのは、ガズラン=ルティムであった。

 ずっと無言を通していたガズラン=ルティムは、食い入るようにマルスタインの笑顔を見つめていたのである。

 俺などよりも格段に聡明なガズラン=ルティムであるならば、もっと早い段階からマルスタインの意図を汲み取れていたのかもしれない。そして、マルスタインが巧みな話術でムスルの真情をひきずりだしたことに、強く感銘を受けているのかもしれなかった。


「では、あらためて森辺の三族長に打診したい事柄があるのだが」


 マルスタインがそのように言葉を重ねると、グラフ=ザザが「なに?」と肩をゆすった。


「審問は終わったのであろう? この上、何を語ろうというのだ?」


「うむ。ひとつ妙案を思いついてね。あらためて、トゥラン伯爵家の面々と和睦の食事会を開いてみてはどうだろうか?」


 それはずいぶん、唐突な申し出であった。

 マルスタインは、笑顔で口髭をひねっている。


「いや、実は近々、ジェノスに大事な客人を迎える予定があったので、《銀星堂》なる料理店で会食を行なう手はずになっていたのだ。しかし、客人の側の予定が狂ってしまい、予約を入れた日に間に合わなくなってしまったのだよ」


「《銀星堂》とは……たしか、アスタが懇意にしている料理人の店であったか?」


 ダリ=サウティの言葉に、俺は「はい」とうなずいてみせる。


「《銀星堂》は人気がある上に、数日に1度しか店を開かないので、予約を取るのもひと苦労というお話でしたね。その貴重な機会を、譲ってくださるのですか?」


「うむ。それに、我が子息の伴侶殿が、森辺の民との会食の場を作ってほしいと、ずっと言いたてていたのでね。席にゆとりはあるので、私の孫たるオディフィアも同席させてもらえたら、とてもありがたく思う」


 その言葉に、グラフ=ザザが再び反応した。


「それはつまり、ディンの家のトゥール=ディンを客人として迎えたい、という意味であろうか?」


「その通りだ。トゥラン伯爵家と森辺の民の和睦のためならば、のちのち王都の人間に文句をつけられることもなかろう。予約の日は3日後に迫っているのだが、どうだろうかな?」


「……3日後であれば、北の一族はまだ休息の期間だ。見届け役を出すのにも不都合はない」


 それはもう、ほとんど了承の返事であるようなものだった。

 ダリ=サウティとドンダ=ルウも、異議を申し立てることなく、泰然とかまえている。


「それでは、決まりだな。ムスルよ、その日ばかりは、其方も武官としてではなく会食の参加者として列席するがいい。リフレイア姫やサンジュラとともに、森辺の人々と真なる和解を果たすのだ」


「は……ジェノス侯のお言葉に従います……」


 涙声で言いながら、ムスルはよろよろと立ちあがった。

 すっかり泣きはらしてしまった小さな目が、俺のほうを見つめてくる。


「ファの家のアスタ……それに、森辺の族長がたも……このたびは、ありがとうございました……」


「俺は、何もしていません。でも、あなたと正しい縁を結べることを、心から嬉しく思っています」


 そのように答えてから、俺はずっと腹にためていたひとつの事柄を思い出した。


「あ、それと、俺からもひとつご提案があるのですが、聞いていただけますか?」


「もちろんです。いったい、何でしょう?」


「俺たち森辺の民は、ムスルから謝罪していただくことができました。でももうひとり、謝罪が必要なかたがいるように思うのです」


 ムスルは、けげんそうに首を傾げていた。巨大なカロンを思わせる、もったりとした動きである。


「それは、どなたのことでしょう? 謝罪が必要であれば、もちろん如何様にもお詫びいたしますが……」


「それは、ムスルとサンジュラが俺をさらう際に刀を向けた、宿屋のご主人です。サンジュラもまだあのかたには謝罪をしていなかったので、それがずっと心の片隅にひっかかっていたのですよ」


「ああ……」と、ムスルはうなずいた。


「了解いたしました……必ずや、サンジュラとともに謝罪にうかがいましょう。……刀を向けた人間のことを忘れてしまうなんて、わたしは本当に不出来な人間です」


 そのように述べてから、ムスルはおずおずと微笑んだ。


「ですが、これからは心正しく生きていくことを誓います。その宿屋の主人に詫びることを、その第一歩目といたしましょう。……ありがとうございます、アスタ」


 もともと厳つい顔立ちをしている上に、げっそりと痩せこけて、髪も髭も手入れをせず、しかも涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたムスルである。

 しかし、その顔に浮かんだ微笑みは、カロンの子供のようにあどけなく、憑き物が落ちたようにすがすがしく感じられてやまなかった。

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