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異世界料理道  作者: EDA
第三十六章 合縁奇縁
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予期せぬ来訪者②~謝罪と懇願~

2018.7/17 更新分 1/1

 その翌日である。

 商売のために宿場町へと向かう荷車の中に、アイ=ファの姿もあった。


 アイ=ファは、とても怒っていた。

 昨晩から、アイ=ファはひたすら怒り続けていた。

 いや、まだ昨晩に比べれば、多少なりとも沈静化していただろうか。昨晩、俺からムスルにまつわる一件を打ち明けられた際、アイ=ファは怒り心頭であったのである。


「かつての大罪は許されたとはいえ、再びアスタに危害を加えようとは、いったいどういう腹づもりだ! 私は、絶対に許さぬぞ!」


「うん。だけどまあ、危害を加えようと考えていたわけじゃなくって、ただ錯乱していただけなんだよ」


「……しかし、その手を力まかせに握られたのであろうが? しかも、熱した油で大火傷をする危険があったと聞いているぞ」


「だから、錯乱したあまり、周りの状況が目に入ってなかったんだよ。こうして俺は傷ひとつ負っていないんだから、そこまで怒る必要はないさ」


 俺はそのように説明してみせたが、アイ=ファは怒れる山猫さながらの形相で、俺の手をわしづかみにしてきたのだった。


「お前にとってもっとも大事なのは、この指先であるはずだ。もしもお前がミケルのような不幸に見舞われて、二度と刀を取ることのできない身になってしまっていたら……そんな想像をしただけで、私は頭がどうにかなってしまいそうだ」


「うむ。顔や足に傷がついても、美味い食事を作るのに不便はないだろうからな」


 そのようにまぜっかえしたのは、もちろんティアである。

 アイ=ファは山猫の形相で、そちらにもシャーッと牙を剥いていた。


「顔でも足でも、アスタに傷をつけることは許さぬぞ! 私さえその場にいたならば、そのような不埒者は即座に叩きのめしていたものを……!」


「それは、ティアにしてみても同じことだ。もしもアスタがその身に傷を負っていたら、ティアはその男の身にそれ以上の傷を刻みつけなければならないところだった」


 ティアは普段通りの小動物めいた面持ちであったが、その赤みがかった瞳の奥底には、ちろちろと激情の火が燃えているように感じられた。ティアもまた、アイ=ファに劣らず怒りのさなかにあったのである。


「う、うん。アイ=ファたちがそこまで俺の身を案じてくれるのは、とても嬉しいよ。でも、ムスルの側に悪意がなかったってことだけは、どうか理解してもらえないかな?」


「……悪意の有無は、関係ない。悪意がなくともアスタを傷つけようとすることは許せぬのだ」


 そのようにつぶやくアイ=ファの手は、ずっと俺の指先を握ったままだった。

 一見は乱暴につかんでいるように見えるが、その手はふわりと俺の手をやわらかく包み込んでいる。その優しげな感触こそが、もっともアイ=ファの心情を表しているように思えてならなかった。


 そんな騒動を経ての、この朝である。

 御者台に陣取ったアイ=ファの背中には、怒りのオーラがたちのぼっているように感じられる。トゥール=ディンや他の女衆たちも、とても心配そうな眼差しでアイ=ファの背中を見守っていた。


 そうしてルウ家に到着すると、本日は2台の荷車が待ち受けていた。

 片方はかまど番を乗せた荷車であり、もう片方の荷車に陣取っていたのは、ルド=ルウである。


「よー、待ってたぜ、アイ=ファ。今日は俺が町に下りることになったから、よろしくなー」


 アイ=ファは、「うむ」とだけ答えていた。

 この両名は、これから宿場町までムスルを迎えに参じるのである。


 昨日、ムスルは俺に願い事をするために、宿場町の屋台を訪れた。

 その願い事とは――再びリフレイアのもとで働きたいので、その口添えをしてもらいたい、というものであったのだ。


「罪を犯したわたしは、武官としての職を解かれて、リフレイア様から引き離されることになりました……そして、あちこちをたらい回しにされたあげく、最終的にはトゥラン伯爵家とはゆかりのない、とある男爵家の従者として働くことになったのです」


 昨日、ムスルは涙ながらにそのように語っていた。


「わたしはこの1年、かつての罪をすすぐために、身を粉にして働いてきたつもりです……再びリフレイア様のもとで働ける日を夢見て、どのような屈辱にも耐えてきたのです……そしてわたしは、リフレイア様が社交を許されたと聞き……それと同時に、あのサンジュラがリフレイア様のもとで働いているという事実を知ってしまったのです」


「ああ……サンジュラのことは、ご存知ではなかったのですか?」


「はい。もともとジェノスの民ですらなかったサンジュラは、きっと余所の町に放逐されたのだろうと思い込んでおりました……」


 そう言って、ムスルはいっそう大粒の涙をこぼしていたのだった。


「どうしてサンジュラだけが許されて、わたしは許されないのでしょう? 罪の大きさで、わたしとサンジュラに違いはないはずです! それなのに、どうして……わたしはサンジュラよりも長き時間を、リフレイア様と過ごしていたのに……」


 さらに話を聞いてみると、彼は現在の主人である某男爵とやらに、トゥラン伯爵家で働きたいと何度も直訴したのだそうだ。

 しかし、その答えは「否」であった。その人物はトゥラン伯爵家やジェノス侯爵家におうかがいを立てることもなく、自分の判断でムスルの申し出を突っぱねてしまったのだという話であった。


 それで思いあまったムスルは、俺のもとを訪れることになった。ファの家のアスタはジェノス侯爵その人に腕を見込まれて、たびたび城下町に招かれるほどであったので、これならば口添えを頼めるのではないか――という、一縷の望みにすがりつくことになったわけである。


 また、ムスルの犯した罪の被害者は、この俺である。よって、俺本人がムスルの行いを許せば、ジェノス侯爵の心を動かすことができるかもしれない。そういった心情まで赤裸々に語った上で、ムスルは俺に口添えを懇願してきたのだった。


 しかし当然のこと、これは俺の一存でどうにかできる案件ではなかった。

 よって、俺は族長の意向をうかがうので、明日また屋台の開店する刻限に訪れてほしいと言い置いて、森辺に帰ることになったわけである。

 そうしてドンダ=ルウからの伝言がファの家にもたらされたのは、昨晩の晩餐のさなかであった。


「俺はそのムスルという男とは、顔をあわせたことすらない。かつての罪を許してほしいと願っているのなら、そいつを森辺にまで連れてこい」


 それが、ドンダ=ルウの返答であった。

 さらにはザザとサウティの家にもトトスを走らせて、三族長を集結させる予定であるらしい。ムスルがどのような人間であるのか、三族長が総出で見極めようという話なのである。


(まあ、そうでもしないと、マルスタインに恩赦を願い出ることなんてできはしないだろうからな。城下町の人らも考えがあって、ムスルをリフレイアから遠ざけていたんだろうし)


 そんな思いを胸に、俺は宿場町に向かうことになった。

《キミュスの尻尾亭》で屋台を借りて、所定のスペースに向かうと、今日も人だかりができている。そして、その輪から外れたところにぽつねんと、フードつきマントを纏ったムスルの姿があった。


「……あれが、ムスルなる者だな」


 アイ=ファの瞳が、早くもギラギラと燃えている。

 そんなアイ=ファとルド=ルウをともなって、俺はムスルのもとに参じることにした。


「お待たせしました、ムスル。こちらはファの家長アイ=ファと、族長筋ルウ家の末弟ルド=ルウです」


 ムスルはフードの陰から、鬱々と光る目でアイ=ファたちを見比べた。

 アイ=ファは狩人の気迫をみなぎらせながら、その姿をにらみ返している。


「おい、このような場で顔を隠すのは非礼ではないか?」


「え? ああ……失礼いたしました……」


 くぐもった声で言いながら、ムスルはフードをはねのける。その下から現れたのは、ざんばら髪に無精髭の、やつれきった面相だ。それでも十分に大柄であるのだが、俺の記憶にあるずんぐりとした体型に比べると、一回りは細くなったように感じられた。


「ふん。確かに、以前とは別人のような身なりだな。しかし、その底光りする眼差しには覚えがあるぞ」


「は……わたしの姿を見知っておいでで……?」


「私はかつて、トゥラン伯爵邸でお前と相対している。主人の悪事が露見して、ポルアースに襲いかかろうとしたお前を、この私が投げ飛ばしてみせたのだ。その際に、名前も名乗っているはずだがな」


 ムスルの小さな目に、驚きの光が閃いた。


「では……ポルアース殿と一緒におられた、あの女人が……それは失礼いたしました……」


「礼を失していたのは、昨日の行いであろう。お前はアスタに無法な真似を働いたと聞いている」


「それは……心を乱していたあまり、ついつい我を失ってしまったのです……」


 とたんにムスルは苦しげに顔を歪めると、またその場にひざまずいてしまった。


「決して、乱暴な真似をしようと思っていたのではありません……お気が晴れないというのなら、どうぞこの身をお好きなだけお打ちください……」


「それでは、私がジェノスの法を踏みにじることになろう」


 アイ=ファが怒りの声をあげると、ルド=ルウが「ちっとは落ち着けよー」とたしなめた。


「アイ=ファの気持ちはわかるけど、これじゃあ話が進まねーだろ? あんたも顔を上げてくれよ、えーと、ムスルだっけ?」


「はい……わたしの罪を許してくださるのでしょうか……?」


「それを決めるのは、森辺の族長だ。いま、森辺では、あんたと言葉を交わすために、三族長が集まってる頃だぜ?」


 そう言って、ルド=ルウはきらりと目を光らせた。


「で、あらかじめ言っておくけど、俺もあんたと顔をあわせるのは2回目だ。もっとも、あのときのあんたは布きれを顔に巻きつけてたから、素顔を見るのは初めてだけどなー」


「布きれを、顔に……? では、あなたはもしかして……」


「ああ。あんたがアスタをさらったとき、護衛していた狩人のひとりだよ。あんたとサンジュラは気を失ったアスタの咽喉もとに刀を突きつけて、まんまと逃げおおせちまったんだよなー」


 ルド=ルウの大きな瞳に、いっそう力が込められていく。それを見上げるムスルの顔には、いよいよ不安と焦燥の表情が広がり始めていた。


「それは……お詫びの言葉もございません……あなたがお怒りになっているのなら、わたしの身を……」


「だからさ、あんたはもう鞭叩きだかの刑で罪を贖ってるんだから、俺たちが手をあげるわけにはいかねーだろ? それに、罰を受けた人間に憎しみの気持ちを向けるのは、森辺の流儀じゃねーんだ」


 そのように述べながら、ルド=ルウはムスルにぐっと顔を近づけた。


「だけど俺はあの一件を一生の恥と思ってるし、アイ=ファだってご覧の通りだ。それでも俺たちは、自分の気持ちを腹の中に呑み込んで、あんたたちの罪を許した。……あんたはそんな俺たちに、さらなる情けを求めてるってことなんだよな?」


「……自分がどれほど浅ましい真似をしているかは、理解しているつもりです……しかし、わたしは……」


「理解してるなら、それ以上は言葉を重ねる必要もねーよ。あんたには、俺たちがどういう気持ちであるかを知っておいてほしかっただけだ」


 そう言って、ルド=ルウはひょいっと身を起こした。


「あとは、森辺の族長たちと語ってくれ。それで族長たちが納得いったら、ジェノスの領主にあんたのことを掛け合ってくれるってよ」


「ならば、是非もありません! どうか……どうか、よろしくお願いいたします……」


「じゃ、あっちの荷車で森辺に向かおうぜ。帰りはまた、誰かが送ってくれるからよ」


 そうしてムスルはアイ=ファとルド=ルウとともに、ルウルウの荷車に乗り込んでいった。

 それが走り去るのを見届けつつ、俺は屋台のほうに駆け戻る。


「すみません。なんとか話はまとまったようです。あとは、俺が受け持ちますよ」


「こちらは、問題ありません。鍋を温めるだけのことですからね」


 今日の日替わり要員はベイムとラッツの血族であり、俺の相方はフェイ=ベイムであった。

 フェイ=ベイムは、いつも通りのむっつりとした面持ちで俺を見返してくる。


「それよりも、あちらのほうこそ、大丈夫なのでしょうか? さきほどの男衆は、かつてアスタをかどわかした大罪人であるのでしょう?」


「はい。でも、同じ立場であるリフレイアやサンジュラとは和解できましたからね。彼とも和解できたら、何よりだと思います」


 俺はそのように答えてみせたが、フェイ=ベイムは釈然としていない様子であった。


「ですが、あの男衆はこの1年間、アスタに詫びようともしなかったのでしょう? それがいきなり姿を現して、領主に口添えをしてほしいなどと言いたてるのは、あまりに不遜であるように思います」


「それはどうやら、森辺の民に近づかないように厳命されていたためであったようですよ。まあ、彼がこの1年間、どのような気持ちでいたのかは、俺にもまったく想像がつかないのですが……」


 ともあれ、これは俺とムスルだけの問題ではないのだ。ムスルは森辺の家人として暮らしていた俺の身をかどわかし、護衛役たるルウ家の狩人に刀を向けた。三族長がその罪を許さない限り、とうてい恩赦など与えられないのである。


(俺だって、ムスルがどういう人間であるかなんて、これっぽっちも知らないからな。でもきっと、リフレイアに対しては絶対的な忠誠心を抱いているんだろう)


 そして彼は、その盲目的な忠誠心ゆえに、俺を誘拐するという大罪を働いてしまった。サンジュラのようにその罪が許されるのかどうか、いまのところは想像することも難しかった。


(できることなら、彼ともきっちり和解をして、望みもかなえてあげたいところだけど……そもそもリフレイアやサンジュラは、ムスルにどういう気持ちを抱いてるんだろうな)


 俺がそんなことを考えている間に、商売の準備はすっかり整っていた。

 本日の日替わり献立は、ギバのロースとティンファを中心にした、和風の煮付け料理である。白菜に似たティンファはなかなか屋台でも出番がなかったので、ひさびさに焼き物ではなく煮物の料理を扱ってみようと考えたのだった。


 ただの煮付けでは《南の大樹亭》にて販売している『ギバの角煮』や『肉チャッチ』と似通ってしまうので、ミャームーとチットの実も使ってピリ辛に仕上げている。ギバ肉とティンファはなかなか相性もよろしいので、俺としてはシンプルながらもオススメのひと品であった。


 10名ばかりの建築屋の一団も早々に現れてくれて、本日も屋台は盛況である。

 そうして朝一番のピークを終えるなり、姿を現したのはディアルとラービスであった。


「あれ、2日連続で来てくれるのは、ずいぶん珍しいね」


「そりゃあ、昨日はあんな騒ぎになっちゃったしね。本当は、もっと早い時間に来たかったぐらいだよ」


 そう言って、ディアルは屋台の中にぐぐっと顔を突っ込んできた。


「あのムスルってお人は、約束通りの刻限に姿を現したの? いまは、いないみたいだけど」


「うん。けっきょく森辺の族長が面談することになってね。荷車で森辺に連れていかれたよ」


「そっかー。とりあえず、遺恨が残らないといいね。そうじゃないと、アスタも安心して商売に励めないもんねー」


 そのように述べるディアルは、とても心配げなお顔になってしまっていた。

 その後方で、ラービスは相変わらずの仏頂面である。


「あの、ラービス、昨日はありがとうございました。うちの家長も、ラービスにはとても感謝しておりましたよ」


 俺がそのように述べたてると、ラービスはますます眉間の皺を深くしてしまった。


「……べつだん、礼を言われるほどのことではありません。あの御仁も、危害を加えるつもりではなかったのでしょうし」


「でも、ムスルはあれだけ取り乱していましたからね。ラービスが間に入ってくれていなかったら、油の煮えたぎっていた鉄鍋をひっくり返されていたかもしれません。そうなっていたら、もう大惨事です」


「そーそー、僕が声をあげる前にラービスがアスタを助けてくれたから、僕はびっくりしちゃったよ!」


 と、ディアルはにわかに口もとをほころばせる。


「よく考えたら、ラービスが身内以外の人間を助けるなんて、そうそうあることじゃないもんね! なんだかんだ言って、アスタのことも大事に思えてきたんでしょー?」


「……わたしはただ、ディアル様のお気持ちを汲み取っただけのことです」


「へーえ、ラービスって人の心が読めるんだあ? まるでシムのあやしげな呪術師みたいだね!」


 ディアルはにこやかに笑いながら、ラービスの分厚い胸板を肘でつついていた。

 ラービスは、懸命に溜息を噛み殺している様子である。


「……それでさ、ディアルたちはあのムスルって人のことを、俺よりはよく知ってるんだよね? あの人は、いったいどういう人柄なんだろう?」


 俺がそのように声をかけると、ディアルの顔にまた悩ましげな表情が浮かんだ。


「うーん、確かに僕たちはあのお屋敷で世話になってたけど、あのお人とはロクに口をきいたことがないんだよね。ある時期からは、なるべく近づかないように気をつけてたぐらいだしさ」


「ある時期?」


「うん。アスタには話してなかったっけ? 僕とリフレイアが口喧嘩をしたとき、あのお人に殴られそうになっちゃったんだよ。ラービスが止めてくれたから、危ないことにはならなかったけどさ」


 言われて、俺も思い出した。たしかそのエピソードは、俺がトゥラン伯爵邸に幽閉されていた期間内に、たまたま出くわしたディアルから聞かされていたのだった。


「だけどまあ、あのお人はいつでもべたーっとリフレイアにひっついてたからね。口をきく機会はなかったけど、ずいぶん熱心な護衛役だなーとは思ってたよ」


「なるほどね。……ラービスも、同じような感じですか?」


「はい。自分も個人的に口をきいたことはありません。ただ……」


「ただ、何です?」


「……ただ、あの御仁は、自分に似ていると思っていました」


 その言葉に、ディアルが「えー!?」と大きな声をあげた。


「あのお人とラービスの、どこが似てるっていうのさ? 僕はそんなこと、まったく考えたこともなかったよ?」


「……人柄や性格は知りません。ただ、境遇が似ていると思っただけのことです」


「境遇?」と首を傾げてから、ディアルはぽんと手を打ち鳴らした。


「ああ、幼い頃から主人の家で従者として育てられたとか、そういう話? たしかあのお人って、リフレイアが生まれたときから、お付きの武官だったんだよね」


「はい。あの御仁はもともとトゥラン伯爵家に仕える武官の家に生まれついたため、その役割を与えられたのだと聞いています。……もしかしたら、あの御仁にとってはリフレイア姫が娘のような存在であったのかもしれません」


 ラービスがそのように言葉を重ねると、ディアルはくすりと微笑んだ。


「まあ、あのお人はリフレイアの父親でもおかしくないぐらいの年齢なのかもしれないけどさ。ラービスなんて、僕とは5歳しか変わらないじゃん。それでまさか、僕のことを娘みたいに思ってたっての?」


「いえ、決してそのように不遜なことを考えていたわけでは――」


「そうだよね。5歳差だったら、せいぜい兄でしょ。僕たちなんて、兄妹同然に育ったんだからさ」


 ディアルのエメラルドグリーンの瞳には、何やら彼女には珍しいやわらかな光が灯っているように感じられた。

 いっぽうのラービスは、相変わらずの仏頂面でディアルを見つめ返している。


「なんだか、懐かしいね。確かに昔のラービスって、もっとお兄ちゃんっぽい存在だったもんなあ」


「……おたわむれは、おやめください」


「どうしてさ? 少なくとも、僕はいまでもラービスのことを家族だと思ってるよ」


 そんな風に言ってから、ディアルは笑顔で俺に向きなおってきた。


「ラービスはね、もともと僕の家で働いてた下男の子だったんだ。だけど、ある年の流行り病で両親が亡くなっちゃって、そのまま僕の家に引き取られることになったんだよね。それで、その次の年に僕が生まれたってわけなのさ」


「そっか。それじゃあ正真正銘、ディアルが生まれた頃からのつきあいだったんだね」


「うん。僕には上の兄弟がいなかったから、小さい頃はずーっとラービスの後を追っかけてたんだよね。だからラービスは、僕にとって兄同然の存在なんだよ」


 そう言って、ディアルはにこりと微笑んだ。


「でも、僕が悪いことをしようとすると、ラービスはきちんと叱ってくれたからね。リフレイアの言いなりになってたあのお人とラービスは、やっぱり似てないと思うなあ」


「……ですから、境遇が似ていると申し上げただけです」


 ディアルの笑顔から目を背けつつ、ラービスはそのように述べたてた。


「そして、あの御仁とわたしに違いがあるとしたら、それは主人の違いからもたらされたものであるのでしょう。ディアル様の父君であるグランナル様は立派な御方であり、リフレイア姫の父君たるトゥランの前当主はそうではなかった。……ただそれだけの話なのだと思います」


「うん。だけどまあ、リフレイアの父親も魂を返して、西方神にその罪を裁かれただろうからね。あとは、残された人間たちの問題さ」


 ディアルは笑顔をひっこめると、今度はちょっと大人びた表情になりながら、そう言った。


「ね、アスタ。あのムスルってお人のことに関しては、とことん話し合ってよ。また証人として僕たちの言葉が必要だったら、いつでも時間を作るからさ」


「うん、ありがとう。もちろん俺たちも、そのつもりでいるよ」


 俺がそのように答えると、ディアルはにぱっと明るく笑った。


「それじゃあ、食事にしようかな! けっきょくね、ラービスも宿場町で一緒に食べてくれることになったんだあ」


「あ、そうなんだ? そういえば、持ち帰り用の器も持ってないみたいだね」


「うん! あっちの席でいただくよ。ね、ラービス?」


「……それは、料理はできたてでないと味が落ちると、ディアル様がさんざん文句を述べたてていたためではないですか」


 ラービスは、あくまで仏頂面であった。

 だけどやっぱり、俺はその顔から以前と異なる親しみを抱くことができている。もとより俺にとって、仏頂面や無愛想というのはマイナスの要因たりえなかったのだった。


(もっと前からラービスと言葉を交わすようにしていれば、もっともっと心を通い合わせることができていたんだろうな。これからは、いままでの分まで仲良くさせてもらおう)


 俺は、そのように考えていた。

 そしてその考えは、そのままムスルにも当てはまるのではないかと思えてならなかった。


(俺はリフレイアやサンジュラのことばかり考えて、ムスルのことは何も考えていなかった。もちろん、俺のほうからそこまで歩み寄る必要はなかったのかもしれないけど……いまはこうして、ムスルのほうから姿を現してくれたんだ。それならこっちも、全身全霊で向き合わないとな)


 その後、ムスルが宿場町に帰されたのは、中天を回ってからのことだった。

 アイ=ファたちは狩人の仕事に向かったとのことで、それを連れてきたのはリャダ=ルウとバルシャである。


 ムスルの言い分はわかったので、あとは後日にマルスタインを交えて話をしたい。これから城下町に向かってその旨を伝えてくるので、マルスタインからの了承を得られたら、俺にもその会談に参加してほしい――そんな伝言を残して、リャダ=ルウたちは城下町に向かっていったのだった。

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