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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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⑤食肉加工(下)

2014.9/14 更新分 1/3

2014.9/15 誤字修正 一部文字修正

「さて。普段だったら、このまま足だけをもいで、残りは捨ててしまっていたわけですね」


 丸裸にされたギバを前に、俺は解体の手順を説明する。


「だけど俺の料理では胴体の肉も使いたいので。ここから全身を解体していきます。ここで重要なのは、内臓の摘出です」


 ルド=ルウとシン=ルウ、それに3人の男たちは、怖いぐらいに真剣な眼差しで俺の話に聞き入っている。


 反感だとか敵意だとか、そんなものは感じられない。

 その内情まではわからないけれども。少なくとも、仕事の最中にそのような感情を覗かせるような人間はいないのだな、ということが理解できた。


 俺に対する反感は反感、家長から命じられた仕事は仕事。それを混同するような人間は、たぶん森辺にはいないのだ。


 そう思わざるを得ないぐらい、彼らは全員、真剣そのものだった。


「ギバの体内には、人間とほぼ同じ感じで各種の内臓が詰まっています。心臓、肺、肝臓、すい臓、腎臓、胃袋、大腸、小腸などなど――その中で取り扱いに気をつけてほしいのは、大腸と膀胱、それに肝臓に付随している胆嚢ですね。それらの部位を傷つけてしまうと胆汁や排泄物などといったものがあふれて肉に悪臭をつけてしまうので、せっかくの血抜きが台無しになってしまいます」


「……アスタ。俺は心臓と胃袋ぐらいしか名前がわかんねーんだけど?」


「うん。実際に見て覚えてもらうしかないだろうね。それじゃあ、腹を裂いてみます」


「待てよ。俺にやらせてくれ」と、ルド=ルウが壁の肉切り刀を手に取った。


「そうだね。それじゃあ下腹から胸までを。……あ、最初はあんまり股のほうじゃなく、腹の真ん中からあたりから始めたほうがいいかもしれない。下腹のほうに大腸があるから、それを傷つけないように。肉の部分だけを切り開くようにね」


「わかった」と、ルド=ルウがギバの腹にゆっくりと刃先を入れていく。


「そのまま胸まで開いていって。下腹のほうは、慎重にね」


 ルド=ルウの額にも、汗が浮かんでいた。

 窓はあるし戸板も開き放しだが、かまどに火をつけているので、室温は高い。


 血と脂の匂いがものすごくて、息が詰まりそうである。


 その白い脂に包まれたギバの身体に手をそえて、ルド=ルウは慎重に刃先を動かしていく。


「うん。それでいいよ。じゃあ次は、肉と内臓の間にある横隔膜を切っていく。この膜だね。これを切り離せば、内臓は簡単に取れるから。この大腸を傷つけないように気をつけて」


 ルド=ルウはうなずき、開いた腹腔の中に腕と刀を差しいれていく。

 これといって、動物の腹に手を突っ込むという行為に嫌悪感は感じないらしい。

 ただ、恐ろしいほどに真剣である。

 美味い肉のため、というよりは、仕事に対する志の高さから生じるものなのだろうと思う。


「切れた。次は?」


「よし。それじゃあ摘出だ。下腹のほうからいこう。このあたりが大腸だけど、これはそんなに破けやすいものじゃないから、普通に手でつかみだしていい。奥のほうに膀胱っていう器官があるから、それに触らないように気をつけて」


「お」


 でろりと腸の塊が引きずりだされた。

 途中で胃袋が引っかかったので、俺が刀で切り離してやる。

 地面に広げた毛皮の上に、ルド=ルウが腸の塊をそっと置く。


 それから、心臓、肺、肝臓、と順調に外していき。最後に残った睾丸と、それに膀胱も摘出する。


「ふう。この膀胱が一番やぶけやすいと思うから、気をつけてください。小さな袋でもあったら、それで包んでから刀を入れたほうがいいと思います」


 男たちは、無言でうなずく。


「では、解体作業に移ります。せっかく吊るしてあるので、最初に半身にしてしまいましょう。……あ、いや、違った。まずは首の切断です。さっきそこの戸板を洗っておいたので、この上にいったん肉を降ろしましょう。首を切断したらもう1回引き上げて、縦に真っ二つに切ります」


 俺よりも優れた皮剥ぎの技術を有していたシン=ルウは、頭部まで綺麗に皮を剥いでくれたのだ。

 この場合でも、やはり首を落としてから、背割りをしなくてはならない。


「首の肉を刀で切って。骨はノコギリで。ノコギリはふだん木を切るために使っているのでしょうから、鍋で煮立てて消毒してください」


 まあ、この世界にどんな細菌やウイルスが潜んでいるかはわからないのだけれども。生肉や腐った肉は忌避されているのだから、この環境で可能な限りは衛生面にも気を払うべきだろう。


 そうして頭部を切り離した後、再び吊り上げた状態で、背骨を縦に断ち割っていく。

 このあたりの作業も、俺より腕力でまさる森辺の民なのだから、スピーディーかつ正確だ。


 さらに四肢を外して、腰のところで横に切り、骨盤などを外してしまえば、あらかた終了である。


「あとは頭部ですね。首まわりと頬肉を切りわけて――うーん、いつかこのタンにも挑戦したいんだよなあ」


「タンって何だ?」


「舌のことだよ。俺の国では人気の部位だったのさ。この内臓たちだって、きっとほとんどが美味しく食べられるはずなんだよ。だけど俺には処理法がわからないし、ピコの葉でもどれだけ保存がきくかわからないから、今のところは見送っているんだ」


「へえ。内臓まで食うのかよ。骨と皮以外は全部食っちまうんだな」


「いやいや。表面の毛だけを焼いて皮ごと食べるやり方もあるし、骨は煮込んで出汁をとることもできる。それこそ牙や角以外は何もかも調理できるんじゃないのかな」


「牙や角まで食われちゃたまんねーや」


 血と肉と臓物の匂いでむせかえりそうな部屋の中で、ルド=ルウは愉快げに笑う。


 本当にいい顔で笑うよな、とか考えながら、俺は何度目かの「さて」を口にした。


「ひとまずはこれで終了です。血抜きが上手くいったかどうかは食べてみないとわかりませんが、解体作業に関しては完璧でした。肉の量的にはあと1、2頭もあれば十分なんですが、たとえばこのあばら肉なんかを人数分用意するとなると、さらに何頭かのギバが必要となるので、引き続きご協力をお願いいたします」


 やはり男たちは無言でうなずいている。


「よし、それじゃあピコの葉にうずめてくっか。シン=ルウたちは角と牙を切っといてくれよ」


「わかった」


「……なあ、アスタ。これで本当にこの肉は美味くなったのか?」


「うん。血抜きさえ上手くいってればね」


 戸板に乗せた肉の山を食糧庫へと運搬しつつ、俺はうなずいてみせる。


「今日の晩餐で試食してみよう。楽しみだね」


「……こいつは、血抜きも俺がやったんだよ」と、今度ははにかむような笑顔を見せるルド=ルウである。


「これで美味い肉になってたら、すげーな?」


「そうだね。……しかし、君たちってやっぱり兄妹なんだねえ」


「あん?」


「今の笑い方は、リミ=ルウにそっくりだった」


 その瞬間、ものすごい勢いでルド=ルウの顔が真っ赤になってしまった。


「何言ってんだよ! 俺があんなちびに似てるわけねーだろ! ふざけたこと言ってんじゃねー! ばーか!」


 その動揺っぷりは、ララ=ルウにそっくりだった。

 そのそっくりなララ=ルウが、隣りのかまどの間からひょいっと顔をのぞかせる。


「なに騒いでんの? アスタ、晩餐用のポイタンは焼きあがっちゃったよ」


「あ、ほんと。じゃあ、これをかたしたら、すぐそっちに……」


 と、言いかけたところで、新たな一団が姿を現した。

 これまた100キロ級のギバをかついだ、ジザ=ルウとダルム=ルウである。


「アスタ。新たに3頭しとめたが、血抜きに成功したのはこの1頭だけだ。この後は、どうすればいい?」


「え、ああ、えーとじゃあ、まずは皮剥ぎをお願いします。すぐにそちらに向かいますので」


「了解した」


「ちょっと! アスタ、こっちはどうするのさ? まだゴミみたいなポイタン汁が山ほど残ってるんだよ!」


「ゴミって言わないで! こっちが終わったら、すぐにそっちに……」


「アスタ」と、そこにガズラン=ルティムまでもが現れる。

 その逞しい腕に、40キロ級の若いギバを抱えながら。


「こちらも今日の分のつとめは果たせたので、血抜きに成功できたと思われるギバを持参しました」


「ぎゃふん」とでも言ってやろうかと思った。


「わかりました! 同時に2頭やっちゃいましょう! そっちの解体室をお借りして、皮剥ぎの準備をお願いします!」


「アスタ!」


「わかってる! えーと、あの、その、晩餐用の鍋でも作ってて! 肉料理は俺が指導するから!」


 それでようやく、食糧庫に足を踏み入れることができた。


「……ちょっとみなさん、お帰りが早すぎない? しかも1日に3頭って!」


「ルティムのほうは知んねーけど、ルウの家だけでもう6頭しとめてんだから、2頭ぐらいは成功するだろ。俺たちゃそんなにボンクラじゃねーよ」


「6頭って多くない? この集落だけで60人も家族はいないだろ?」


「本家と分家、合わせて38人だよ。だから、1日に4頭も狩れば、アリアとポイタン分ぐらいは稼げるんだけどな。ま、収穫期が過ぎたらまたしばらくはヒマになるんだし。親父たちは、まだ森に居残ってるんじゃねーの?」


 なるほど。

 とにかくこれなら、宴のための肉などは、あっという間に確保できるに違いない。


 余った肉は分家で分けてもらい、その後の彼らが血抜きや解体の手間を日常の生活で実践していくかは――彼らの自由である。


 これがきっと、ガズラン=ルティムの言う「道を示す」ということなのだろう。


 選ぶのは、本人たちだ。

 誰も強要したりはしない。


「どうしたよ? こんな大仕事を引き受けちまったことを後悔してんのか、アスタ?」


 と、ファの家の3倍はあろうかという貯肉スペースで黒いピコの葉をかきわけながら、ルド=ルウが顔を寄せてくる。


「いや。引き受けて良かったと思ってる。無茶苦茶大変だけど」


 すると、ルド=ルウはにっと笑い、肘で俺の腕を小突いてきた。


「俺は無茶苦茶に嬉しいよ。今日の晩餐もルティムの宴も楽しみにしてっかんな。俺の期待を裏切んなよ、アスタ?」


「わかった。頑張るよ」


 そうして、俺の仕事の第一日目は、じょじょに暮れ掛かっていったのだった。

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