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異世界料理道  作者: EDA
第三十六章 合縁奇縁
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婚儀の祝宴④~森に響け~

2018.7/1 更新分 1/1 ・7/7 誤字を修正

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

「おお、ファの家のアイ=ファとアスタか。お前たちは、どこをほっつき歩いていたのだ?」


 ラヴィッツやベイムの血族とぞんぶんに語らったのち、俺とアイ=ファがかまど巡りを再開させると、そこでザザ家の姉弟と行き合うことになった。

 すでにずいぶんと果実酒が進んでいるらしく、ゲオル=ザザは真っ赤な顔で陽気に笑っている。その隣で、スフィラ=ザザはクールなポーカーフェイスであった。


「俺たちはついさっきまで、あちらの敷物に腰を落ち着けていました。その前は、かまどをひとつずつ巡っていましたね」


「ふん。あのユーミというのは、お前の友という話ではなかったか? 1度として、こちらの席には近づいてこようとしなかったようだが」


「はい。俺は普段から毎日のように彼女と顔をあわせていますので、こういう場では他の人たちに席を譲りたく思ってしまうのですよね」


 そう言って、俺は笑顔を返してみせた。


「それに、ユーミはこれまでにも何回か森辺の祝宴に参加していましたが、やっぱり俺と行動をともにすることはほとんどありませんでした。彼女自身も、色々な相手と交流を深めたいという気持ちが強いのでしょう」


「ふん。それでまんまと、伴侶に相応しい男衆を見出すことがかなったわけか。あのふたりがどのような行く末を迎えるのか、これは見ものだな」


 陽気に笑いながら、ゲオル=ザザはがぶがぶと果実酒をあおる。

 すると、そのかたわらの姉が「そうですね」と静かに微笑んだ。


「貴族ならぬ宿場町の民であれば、婚儀をあげることも難しくはないのでしょう。もちろんそれでも、さまざまな問題が待ち受けているのだとは聞いていますが……おたがいが力を尽くせば、そのようなものはいくらでも乗り越えられるはずです」


 笑顔であったゲオル=ザザが、おかしな具合に顔をしかめながら、姉のほっそりとした姿を見下ろす。


「おい、妙にしみじみとした声で、思わせぶりな言葉を吐くな。それでは、まるで――」


「何ですか? わたしがまだレイリスへの想いを断ち切ることができていない、とでも?」


「そ、そのようなことはないと、俺は信じているぞ。ザザ本家の家人に、そんな未練がましい人間がいるはずはない!」


 スフィラ=ザザは口もとに手をやると、彼女には珍しい仕草でくすりと笑った。


「あなたがそれほど心配してくれているとは思っていませんでした。あなたは意外に心配性なのですね、ゲオル」


「だから、心配などしておらん! お前ほどふてぶてしい女衆など、森辺でもそうそういないのだからな!」


 そんな風に述べながら、ゲオル=ザザはふっと俺たちのほうに視線を戻してきた。


「ところで、ファの家のアスタよ。この祝宴では、お前はかまどの仕事を果たしてはおらんのだな?」


「ええ。前回の婚儀と同じく、俺はあくまで客人です。これらの宴料理は、すべてフォウの血族だけで作りあげたものですよ」


「ううむ。フォウの連中は、ファやディンの力も借りずに、これだけの仕事を果たすことができるのだな。前回の婚儀の祝宴よりも、いっそう腕は上がっているように感じたぞ」


「ええ、本当ですね。俺も同感です」


「もっとも、つい数日前の祝宴で出された宴料理のほうが、やはり素晴らしかったと思えるがな。それは、ファやディンのかまど番が格別に優れているだけであって、フォウの連中が恥ずる必要などはまったくなかろうよ」


 そう言って、ゲオル=ザザが分厚い胸をそらせると、スフィラ=ザザが普段のクールさを取り戻した視線を差し向けた。


「それは要するに、アスタやトゥール=ディンたちの腕が格別に優れているというだけの話でしょう? あなたが偉ぶる理由にはなりませんよ、ゲオル」


「べ、別に偉ぶってなどはおらん! それに、血族の力を誇って悪いことはあるまい?」


「誇るのはかまいませんが、このように見事な宴料理を準備したフォウの血族を貶めるような発言はおやめなさい。北の一族でも、トゥール=ディンの力もなしに、これほどの宴料理を作ることはなかなかできないのですからね」


「何だ、ついさっきまでしおらしい顔を見せていたくせに……」


 ゲオル=ザザはぶつぶつとぼやきながら、土瓶の口を舐めていた。

 その楽しい姉弟の姿を見比べながら、アイ=ファは小首を傾げている。


「そういえば、ディンやリッドの者たちはともにいないのだな。最近は、いつでも血族で寄り添い合っているように思えたのだが」


「ええ、今日は行動を別にしています。北の一族はどうしても恐れの目で見られることも多いので、わたしたちがいないほうが眷族の者たちは縁を結びやすいという面もあることでしょう」


「それなのに、普段はべったりと行動をともにしているのか?」


 スフィラ=ザザは、いくぶん目を細めつつ、アイ=ファの姿を見返した。


「それはつまり、わたしたちがトゥール=ディンにかまいすぎると言いたいのですね。そうならそうと、言葉を濁さずに言えばいいではないですか」


「いや、それを非難するつもりはない。トゥール=ディンとて、よく見知ったお前たちとともにあったほうが、心強いと思えることだろう」


 そのように述べながら、アイ=ファは目もとだけで微笑していた。


「それに、わたしは血族ならぬ身だが、トゥール=ディンとはそれなりの交流を深めたつもりでいる。以前は気弱で、他者の顔色ばかりをうかがっていたトゥール=ディンが、あれほどの強さを身につけた上で、お前たちとも交流を深められたことを、私は喜ばしく思っていたぞ」


 スフィラ=ザザは、細めていた目を軽く見開いた。


「……ファの家のアイ=ファ、あなたでも、そのように優しげな眼差しをすることがあるのですね」


「ふむ。お前に言われたくはない、などと言ったら、族長筋の人間に対して非礼であるのだろうかな」


「そのようなことはありません。でも……」


 と、スフィラ=ザザのほうも、とても優しげな眼差しになっていた。


「近在の氏族であるあなたが、そのようにトゥール=ディンのことを思いやってくれることは、とても嬉しく思います。わたしたちは、なかなかディンやリッドの人間と顔をあわせることができませんので」


「ふん。どうせ今日も、ディンやリッドの家で夜を明かすのだろう? 明日の朝にでも、ぞんぶんに交流を深めていくがいい」


 アイ=ファとスフィラ=ザザが穏やかにおたがいを見つめ合うという、これはなかなかの珍事であった。

 あまり会話についていけていない様子であったゲオル=ザザは、きょとんと目を丸くしている。


「こいつらは、いったい何の話をしているのだ? トゥール=ディンがどうとか言っているようだが」


「ええ。みんなトゥール=ディンのことを気にかけている、ということなのでしょうね。トゥール=ディンの人柄を考えれば、当然のことなのでしょうが」


「ふん。そのようなことは、口に出すまでもないな」


 ゲオル=ザザは傲然と腕を組むと、俺の顔を高みから見下ろしてきた。


「ところで……トゥール=ディンの屋台は、順調なのだろうな?」


「はい。日を重ねるごとに、お客は増えているようです。これで半月は経ちましたから、完全に軌道に乗ったと言えると思いますよ」


「ふん。それも当然の話だな。……それで、トゥール=ディンは近日中にまた城下町に招かれるという話ではなかったか?」


「そうですね。ただ、どういう形で招くかを、城下町のエウリフィアが思案しているようです。本来であればジェノス侯爵家の晩餐会にでも招待して、オディフィアとの交流の場を設けたいようなのですが……それは王都の監査官の件が落ち着くまで待たなければいけないそうですよ」


 やはり、庶民である森辺の民をジェノス城に招くというのは、色々と弊害があるらしい。メルフリードが王都から戻り、監査官ないし外交官の一件がきちんと決着するまでは、迂闊に動けないという話であるのだった。


「それでは、いまだに日取りも決められぬ状態であるのだな。いまならば、俺たちも休息の期間であるというのに……」


 ゲオル=ザザは、不平そうに口もとをねじ曲げていた。


「この前の茶会というやつだって、あと数日ずれこんでいれば、北の一族が護衛役として同行することもできたのだ。城下町の連中は、どうしてこうも間が悪いのだろうな」


「そ、そうですね。でもまあ、近日中にお呼びがかかると思いますよ。オディフィアのほうが、それを熱望されているようなので」


 俺がそんな風に答えたとき、ふいに草笛の音色が高らかに鳴らされた。

 それを合図に、あちこちから宴衣装の女衆が儀式の火を取り囲み始める。ついに、舞の刻限がやってきたのだ。


「祝宴の舞ですね。アイ=ファは行かれないのですか?」


「うむ。私は狩人であるからな。伴侶を迎える気持ちもないのに、舞に加わるのは不相応であろう」


「そうですか。では」


 スフィラ=ザザは目礼をすると、毅然とした足取りで広場の中央に進み出ていった。

 そのしなやかな後ろ姿を見送りながら、ゲオル=ザザは「ふん」と鼻を鳴らす。


「あいつは、踊るつもりなのか。まあ、族長筋にして北の一族たるザザ本家の家人に婚儀を願う人間など、そうそういないのだろうがな」


 それでもスフィラ=ザザが進み出たのは、森辺の女衆として正しく生きようという決意のあらわれなのかもしれない。

 未婚の女衆は、のきなみその輪に加わっている様子である。不参加は、アイ=ファとマルフィラ=ナハムと、あとは15歳未満の少女たちだけで、ユン=スドラやレイナ=ルウの姿も確認できた。


 そして、ユーミだ。

 テリア=マスの姿は見えなかったが、ユーミもその場に立ちつくしていた。

 以前のルウ家の祝宴では、自分がしゃしゃり出るべきではない、と見物に回っていたユーミが、今日はその輪に加わっていたのだった。


「よー、アスタたちはゲオル=ザザと一緒にいたのかよ」


 と、ルド=ルウがひょこひょこ近づいてきた。


「ようやく敷物を離れられたと思ったら、もう舞の刻限なんだなー。……あれ、アイ=ファは踊らないのかよ?」


「……私が踊る理由はあるまい」


「ふーん? でも、ユーミが踊るなら、アイ=ファが踊ってもいいんじゃねーの? 婚儀の相手が決まってるなら、その相手に踊りを見せつけるもんだろ?」


「わ、私は婚儀の相手など決まっていない! おかしなことを抜かすと、ただではおかんぞ!」


「だから、そいつもユーミと一緒だろ? ユーミだって、相手は決まってるけど、婚儀をあげると決まったわけじゃねーんだからさ」


 ともあれ、アイ=ファの未来の婚儀の相手が決まっているというのは、ルド=ルウの中で確定事項であるらしい。

 やっぱりこの場でもそれを全否定することのできないアイ=ファは、顔を赤くしながら、わなわなと震えていた。


 そんな中、今度は草笛と異なる音色が吹き鳴らされる。

 ジョウ=ラン他、宿場町で研鑽を積んだ男衆による、横笛の音色である。


「おー、やっぱあの音って、すげー響くよな。俺も吹き方を教えてほしいもんだぜ」


 ルド=ルウは、つい先日の祝宴でも、この横笛による演奏を耳にしていたのだ。

 普段は草笛で吹かれている、単調だが独特のリズムと抑揚を持つ旋律が、横笛によって見事に再現されている。そして、そこに草笛の音色も重なって、いよいよ壮大に夜の大気を震わせ始めていた。


 その旋律を追いかけるように、宴衣装の女衆がゆるゆると動き始める。

 決まった振り付けがあるわけではない。ただ、誰もが笛の旋律に身をゆだねており、全員が異なる動きでひとつの舞を形成しているかのようだった。


 やがて旋律は激しさを増していき、ギバの骨を打ち鳴らす音色や、地面を踏み鳴らす音色が重ねられていく。それに合わせて、女衆らの舞もすみやかに熱気を帯びていった。


 儀式の火に照らされて、玉虫色のヴェールがえもいわれぬきらめきを生み出している。

 褐色の肢体をくねらせる女衆は、まるで火の化身のようだった。

 どんなに普段はつつましやかな女衆でも、その内には森辺の民らしい生命力と熱を秘めている。特に小さき氏族の女衆というのはひかえめの気性の女衆が多かったが、ルウ家で目にする舞に劣らぬ躍動感が、そこには体現されていた。


 そして、ユーミである。

 ユーミもまた、森辺の女衆に負けない激しさで、舞っていた。

 ただやっぱり、ユーミだけが独特の色彩を放っているようにも感じられる。

 他の女衆が荒れ狂う炎だとしたら、ユーミはその中を吹き抜ける風のようだった。


 どんなに激しく動いても、ユーミの動きは軽やかだ。軽やかで、なめらかで、とても優美に見える。地面を蹴り、大気を指で撫で回す、その所作のひとつひとつが、重力を感じさせない軽妙さであった。


 そして、ユーミは笑っていた。

 とても自然に、とても幸福そうに、満面に笑みを浮かべている。その表情だけで、ユーミがどれだけその場を楽しんでいるかが伝わってきた。


 まるで情念の塊のように、その身の生命を燃えあがらせている女衆の中で、ユーミは軽やかに笑っている。それが、不思議な調和をもたらしているような感じがした。

 風をもらった炎のように、女衆はいっそう力強く躍動する。その激しい炎にあおられる風のように、ユーミの動きも加速していく。そんな不思議な感覚が、俺の胸には満ちていた。


 そして――すべての笛が、つんざくような高音をほとばしらせる。

 それに合わせて、ひときわ激しく肢体をよじったのち、女衆たちはいっせいに膝をついた。ユーミもまた、ワンテンポ遅れて、ふわりとひざまずく。


 そうして数瞬の沈黙の後、歓声が爆発した。

 女衆らは立ち上がり、さきほどまでの激烈さが嘘のように、しずしずと一礼する。


「ううむ。今宵の舞には、熱がこもっていたな! うっかり目を奪われてしまったぞ」


「あー、やっぱあの横笛ってやつのせいなのかなー。すげー迫力だったと思うよ」


 ゲオル=ザザとルド=ルウも、無邪気に手を打ち鳴らしていた。俺は何だか見ているだけでカロリーを消費した心地で、深々と息をついてみせる。

 すると、かたわらのアイ=ファがそっと唇を寄せてきた。


「……お前もずいぶん目を奪われていたようだな、アスタよ」


「うん、すごい迫力だったからなあ。やっぱり森辺の舞ってのは、すごいもんだよ」


 俺が笑顔で振り返ると、アイ=ファは何故だか唇をとがらせていた。


「あれ? えーと……俺があまり熱心になるのは、まずかったのかな?」


「何もまずいことはない。未婚の男衆であれば、熱心になるのが当然なのであろう」


 アイ=ファは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 とても愛くるしい仕草ではあるが、これをなし崩しにすることはできなかった。


「いや、あのな、別に俺は、婚儀の相手を探してたわけじゃないぞ? それぐらいは、さすがにわかってくれてるよな?」


「……だから、何もまずいことはないと言っているであろうが? お前が弁明をする必要はない」


 俺はまた反射的に反論しようとしてしまったが、その言葉を途中で呑み込んだ。これはきっと、小理屈を並べたてても意味がない案件であるのだ。

 では、どうやったらアイ=ファに得心してもらえるのか、即座に頭をフル回転させた俺は、覚悟を決めてその言葉を発することにした。


「……俺としては、アイ=ファが踊る姿を見たかったところだよ。そうしたら、熱心どころの話じゃなくなっちゃうけどな」


 アイ=ファは瞬時に顔を真っ赤にして、俺をにらみつけてきた。


「お、お、お前は何を言っているのだ? 余人の耳のある場所で、そのような言葉をうかうかと口にするな」


「だから、小声で喋ってるんだよ。でも、アイ=ファに納得してほしかったからさ」


 俺だって、アイ=ファに負けないぐらい赤面してしまっていることだろう。

 そうして俺たちが人知れず羞恥にまみれていると、ゲオル=ザザが上から覗き込んできた。


「お前たちは、何をこそこそと語らっているのだ? 今度はまた、皆で盛大に踊るようだぞ」


「あ、ああ、俺たちものちほど参加させていただきますよ。ゲオル=ザザは、どうぞ参加してきてください」


「ふん。この夜は、あまり気が乗らぬな。しばらくは見物に回らせてもらおう」


「そうだなー。俺も後でいいや」


 ゲオル=ザザもルド=ルウも、その場から動こうとはしなかった。もしかしたら、ともに踊る幼い少女たちが不在であるために、興が乗らないのかもしれない。つい数日前の祝宴では、彼らも実に楽しげな様子で踊りの場に加わっていたのである。


 その間に、他の人々は木皿や土瓶を置いて、儀式の火の周りに集まりつつあった。この新しい習わしを知らないのは、ダイとレェンの人々のみであるのだろう。性別や年齢を問わずに、みんなで舞を楽しむというのは、復活祭の経験を経て、ユーミの進言によって取り入れられた、ごく新しい習わしであったのだった。


(こう考えると、ユーミの影響力ってけっこうなものなんだよな。テリア=マスやドーラ家の人たちだって、同じぐらい森辺に招かれてるけど、ユーミぐらい物怖じしないで進言できる人はなかなかいないからなあ)


 俺がそんな風に考えたとき、ジョウ=ランの声が響きわたった。


「あの、皆で踊る前に、ひとつよろしいでしょうか? 今日は町からユーミという客人を招いているために、少し時間をいただきたく思います!」


 人々は、きょとんとした目でジョウ=ランを見ていた。

 儀式の火から離れようとしていたユーミが、慌てた様子でそちらに駆け寄っていく。


「ちょ、ちょっとジョウ=ラン、いきなり何を言ってんのさ? 時間をもらって、何をするつもり?」


「それはもちろん、ユーミに歌ってもらうのです。ユーミという人間の魅力を知ってもらうのに、これ以上有効な手立てはないでしょう?」


「ば、馬鹿なこと言わないでよ! みんなで楽しく踊れば、それでいいでしょ?」


 すると、長身の人影がそちらにひたひたと近づいていった。この祝宴の取り仕切り役である、バードゥ=フォウである。


「いや、ユーミが歌というものを得意にしているという話は、他の血族からもさんざん聞かされていた。俺もこの祝宴の間に披露してもらおうと考えていたのだ」


「バ、バードゥ=フォウまで、何言ってんの!? あたしの歌なんて、ほんとにそんな大したもんじゃないんだってば!」


「いや、俺の血族の女衆は、それで涙を流すほどであったと聞いているぞ。森辺には、幼子をあやす他に歌というものは存在しないので、是非とも聞かせてもらいたいと願っている」


 そうしてバードゥ=フォウは、その場に並み居る人々を見回した。


「祝宴の終わりはまだまだ遠いので、皆で踊る時間は後でいくらでも取れよう。その前に、宿場町の客人たるユーミに町の歌というものを聞かせてもらいたく思うのだが、どうであろうか?」


 人々は、楽しげな歓声でそれに応えていた。

 ユーミは「勘弁してよー!」と悲鳴まじりの声をあげている。


「こんな大勢の人たちの前で、たったひとりで歌えっての!? だいたい、こんなだだっぴろいところで歌ったら、声なんてどっかに流れていっちゃうよ!」


「そうでしょうか? 《西風亭》のときも、この笛に負けない声であったのですから、何も心配はいらないと思うのですが」


 ジョウ=ランはにこにこと笑いながら、そのように述べていた。

 ユーミは、じっとりとした目つきで、そちらをにらみ返す。


「まったく、あんたって人は……恨むからね、ジョウ=ラン?」


「ええ? ユーミに恨まれるのは、嫌です。あとでいくらでも詫びますので、どうか許してください」


 そんな風に言いながら、ジョウ=ランはまぶしいものでも見るように目を細めた。


「あと、先にこれだけは言わせてください。さっきの舞には、とても心を動かされてしまいました。ユーミが森辺の女衆であったなら、俺はこの場で嫁入りを願っていたと思います」


 もともと上気していたユーミの顔が、それで一気に赤くなる。


「こ、こんな人前で何を言ってんのさ! だいたい、あたしらは――そんな簡単に婚儀を許される身じゃないでしょ?」


「はい。ですが俺は、じょじょにしっかり心が固まりつつあることを感じています」


 ユーミは真っ赤になりながら、ジョウ=ランの背中をひっぱたいた。

 おお、と周囲の人々がどよめく。


「もういい! しゃべんな、馬鹿! 歌ってあげるから、あんたは笛を吹いてなよ!」


「はい。ありがとうございます」


 ジョウ=ランは嬉しげに微笑みながら、横笛をかまえた。


「それでは、『月の女神の調べ』と『旅立ちの朝』の、どちらにしましょうか?」


「……それよりも、祝宴だったら『ヴァイラスの宴』が一番しっくりくるんじゃない?」


「ええ? あの曲にも歌が存在するのですか? 《西風亭》では、ユーミがそれを歌う姿を見ていないのですが……」


「だってあのときは、あたしが歌をせがまれる前に、あんたがひとりで『ヴァイラスの宴』を披露してたじゃん」


 ユーミは赤い顔でそっぽを向きながら、ジョウ=ランの顔を横目でねめつけた。


「何にしたって、こんなに緊張してたら、上手く歌えるかわかんないよ。大恥かいたら、みんなあんたのせいだからね」


「きっとそんなことにはなりません。ユーミなら、大丈夫です」


 ジョウ=ランが、横笛に唇をあてがった。

 哀切な音色で、勇壮な曲が奏でられる。さっきは草笛の音色をかき消さないように加減していたのか、それは広大なる広場中に響きわたる、力強い音色であった。


 そしてそこに、ユーミの歌声がかぶせられる。

 透き通るような繊細さを持ちながら、のびやかで、耳に残るユーミの歌声である。その歌声が1小節を歌いあげる間に、人々は驚嘆の吐息をもらしていた。


(すごいじゃないか、ユーミ)


 マイクのひとつもない環境で、横笛の演奏だけを頼りに、ユーミは朗々と歌いあげている。しかもそれは、『月の女神の調べ』とも『旅立ちの朝』とも異なる、勇壮で情熱的な歌――日々の生活に追われている人間が、祝宴の一夜に生命を燃えあがらせる、そんな喜びと情念にあふれた歌であった。


(俺は森辺に、美味なる料理の存在をもたらした。ユーミだって、きっと色んなものを森辺にもたらせるはずだ。俺は……なるべく私情をはさまないように気をつけているつもりだけど、ユーミも森辺の家人になってくれたらどんなに嬉しいかと、ずっと考えていたよ)


 俺は、そんな思いを胸に、ユーミの歌を聞いていた。

 この言葉は、まだユーミに伝えることができないのだ。もしもユーミとジョウ=ランが婚儀をあげる決断を下したら、そのときこそ、俺はユーミに伝えようと思っている。シュミラルに続いて、ユーミも森辺の家人になってくれたら、俺は心から幸福だ――と。


(母なる森も、ユーミの歌声を聞いているよ。きっと森と西方神が、ユーミたちを一番正しい道に導いてくれる。俺は、そう信じてるからね)


 そんな風に考えながら、俺はアイ=ファを振り返った。

 アイ=ファはわずかに目を細めて、その口もとに満足そうな微笑みをたたえながら、ユーミたちの姿を見つめていた。

 いま、ユーミ以外の人間が声をあげることほど、無粋な行為はないだろう。俺はそのように考えて、ユーミの歌声とジョウ=ランの旋律に身をゆだねることにした。

 その場に集まった大勢の人々も、全員が俺と同じ気持ちを抱いてくれているようだった。

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