婚儀の祝宴③~交流の場~
2018.6/30 更新分 1/1 ・7/7 誤字を修正
それからいくつかのかまどを巡っても、俺たちはなかなか見知った相手と合流することにはならなかった。
べつだん、そこまで見知った相手が少ないわけではない。そもそもフォウの血族の人々とは何べんも祝宴をともにしている間柄であるし、屋台のメンバーだって大半はこの場に招かれているのだ。ただその中に、同行を願ってくるような人々がいなかった、というだけの話であった。
なおかつ、ルウ家とザザ家の人々はバードゥ=フォウに招かれて、中央の敷物に腰を落ち着けていたし、ラヴィッツの血族である人々は、いまのところ遭遇していない。それで、俺とアイ=ファははからずも、ずいぶん長い時間をふたりきりで過ごすことがかなってしまったのである。
「なんだかちょっと新鮮な感じだな。こんなにアイ=ファとふたりきりでいられるなんて、収穫祭のときにティアがゲオル=ザザにたしなめられたとき以来なんじゃないか?」
いくつめかのかまどで順番待ちをしているときに、俺がこっそりそのように囁きかけてみると、アイ=ファは玉虫色のヴェールごしにちらりと視線を差し向けてきた。
「……それでお前は、何か不満でもあるというのか?」
「まさか。ただ何だか、幸福すぎて後ろめたく感じちゃっただけのことだよ」
アイ=ファはふっと微笑みながら、俺の脇腹に肘鉄をくらわせてきた。
その頬が赤くならないのは、アイ=ファも純粋にこの幸せを噛みしめているという証なのだろうか。そんな風に考えると、俺はますます気持ちが弾んできてしまった。
「デイ=ラヴィッツらと出くわしたら、またぞんぶんに言葉を交わしてやろうと考えているのだからな。それまでは、このような喜びにひたっていても問題はあるまい」
「うん、そうだな」と俺が答えたとき、料理をいただく順番が巡ってきた。
配膳をしていたのはイーア・フォウ=スドラとフォウの年配の女衆である。鉄鍋の中では、シチューとも煮付けともつかない料理がぐつぐつと煮込まれていた。
「ああ、アイ=ファにアスタ。こちらは、フォウの家で最近よく作られている料理であるそうです。よかったら、ご感想をお願いいたします」
「へえ、フォウ家で独自に作られている料理ですか? それは興味深いですね」
おやっさんたちをフォウ家に招いた晩餐でも、前回の祝宴でも、このような料理を口にした記憶はない。とろりとしていて赤みがかった煮汁からは、果実酒の香りが強く感じられた。
イーア・フォウ=スドラから木皿を受け取った俺は、さらに中身を検分する。煮込まれていたのはギバの臓物で、他にはアリアやチャッチなども加えられているようだった。
(ふむ。つまりは、果実酒をベースにしたモツ鍋か)
モツ鍋というと、だいたいタウ油かタラパをベースにすることが多かった。少なくとも、ファの家の勉強会でこのような料理を教えたことはない。俺は大いなる期待を胸に、その料理を口に運んだ。
果実酒がふんだんに使われた煮汁は、甘い。
というか、ママリアの香気が際立っていたので、きっと水気は果実酒のみで仕上げられているのだろう。赤ワインに似た風味が鼻に抜けていき、それから清涼なる香草の香りが後を追いかけてきた。
「これは……リーロの香草ですか? それ以外にも何種類かの香草が使われているようですね」
「はい。リーロだけでは臓物の風味を抑えることが難しかったので、あれこれ使っているという話です」
イーア・フォウ=スドラはスドラの家に嫁いだ身であるので、この料理の開発の場には立ちあっていないのだろう。年配の女衆のほうが、同意を示すように笑顔でうなずいていた。
「それに、ラマムの実を絞ったものも使われているようですよ。砂糖ではなく、果実酒とラマムで甘みをつけているようですね」
ラマムというのは、リンゴに似た果実である。果実酒の持つ甘さにラマムの甘さまで加えられることで、このまろやかさが生まれているのだろう。
さらに何種類かの香草が、この料理をエスニックな味わいに仕立てあげている。小腸をメインにした臓物のくにくにとした食感も相まって、これはなかなかに新鮮な味わいであった。
「ふむ。ギバの脳まで使っているのか」
同じ料理を口にしていたアイ=ファがつぶやくと、イーア・フォウ=スドラが「はい」とうなずいた。
「余った部位は、すべて使っているそうです。お口にあいませんでしたか?」
「どのような部位でも、ギバはギバだ。それに、この味付けは脳にも合っているように思える」
「そうですか。普段アスタの料理を口にしているアイ=ファにそう言っていただけると、ほっといたしますねえ」
年配の女衆も、嬉しそうに微笑んでいた。
そんな中、俺はついつい「あうう」と声をあげてしまう。
「め、目玉も使われていたのですね。ちょっと油断していました」
「おや、アスタは目玉が苦手なのでしょうか?」
「いえ。家で食べる際は、表面を焼いていたもので……焼き目をつけずに煮込んだだけの目玉がひさびさであっただけです」
目玉独特の食感と風味を何とか乗り越えた俺は、煮汁をすすって気持ちを落ち着かせることにした。
「いや、だけど、これは美味しいです。フォウの家では、こんな素晴らしい料理が開発されていたのですね」
「開発だなんて、そんなたいそうなものではないですよお。普段と違う食べ方をしてみたら、たまたま上手くいっただけのことです」
だけどきっと、そうやって森辺ならではの食文化というものが発展していくのだろう。
自分ならではのアレンジというのは、けっこう最後の関門であると思うのだ。あまり突出したかまど番の存在しないフォウ家でも、こうしてオリジナルの料理が作られるというのは、俺にとってとても喜ばしく思える出来事であった。
「どうもごちそうさまでした。かまどをひと巡りしたら、またいただきますね」
「はい。まだまだたくさんありますので、いくらでも召し上がってください」
笑顔のふたりに見送られて、俺たちは再び広場に足を踏み出した。
まだルド=ルウたちは敷物のほうだろうかと思って視線を巡らせると、そこにはユーミやテリア=マスやジョウ=ランたちまでもが加わっている姿が見えた。ルド=ルウにレイナ=ルウ、ゲオル=ザザにスフィラ=ザザも、いまだにその場に留まっている。バードゥ=フォウやライエルファム=スドラたちが、それを歓待している格好である。
「……何をきょろきょろとしているのだ、アスタよ?」
「いや、そろそろルド=ルウあたりが現れるんじゃないかと思ったんだけど、まだあっちで盛り上がってるみたいだな」
「……ふむ。そろそろ他の人間が恋しくなってきたということか」
「そんなんじゃないってば。できることなら、ずっとアイ=ファとふたりきりでいたいぐらいだよ」
そのように口走ってから、俺はひとりで赤面することになった。
「あ、いや、そういうわけにはいかないよな。これは、デイ=ラヴィッツたちと交流を深められる貴重な場なんだし」
「何をひとりで、慌てふためいているのだ」
アイ=ファは口もとに手をやって、くすくすと笑い声をあげた。
それから、とてもやわらかい眼差しで俺を見つめてくる。
「宴は長いのだから、何も焦る必要はない。これもまた、母なる森の導きであるのだろう」
「うん、そうか。……何だか今日は、アイ=ファのほうが余裕たっぷりだな」
「余裕とは何だ? 私はただ……お前とともに時間を過ごせる喜びを噛みしめているだけだ」
そう言って、アイ=ファは穏やかに微笑んだ。
「しかし、腹はまだまったく満ちていない。さっさと次の料理を食べに出向こうではないか」
「ああ、そうだな」
俺は何だかとても温かいものに胸を満たされながら、アイ=ファとともに歩を進めた。
次の料理は、パスタであった。ユン=スドラが懸命にパスタを茹であげており、ランの女衆がそれにソースを掛けて人々に配っている。
「ああ、アスタにアイ=ファ。ようやくお目にかかれましたね。今日は屋台の仕事を休んでしまって、申し訳ありませんでした」
「何も謝る必要はないよ。いつもユン=スドラにはお世話になっているからね」
本日のパスタは、クリームソースとミートソースの2種であるようだった。クリームソースのほうにはギバ・ベーコンとナナールの他に、ブロッコリーに似たレミロムやブナシメジモドキも使われている様子である。
「ユーミたちの様子は、いかがでしょうか? 宴が始まってからは、まだその姿を見ていないのですが」
俺たちが立ち食いでパスタを味わっていると、砂時計をひっくり返しながら、ユン=スドラがそのように問うてきた。
「最初にジョウ=ランの家族に挨拶をして、いまはあっちの敷物に腰を落ち着けたようだよ。至極順当に絆を深められているんじゃないのかな」
「そうですか。それなら、何よりです。ユーミを嫌うような森辺の民は、そうそういないでしょうからね」
ユン=スドラは、ほっとしたように口もとをほころばせていた。
彼女もまた、サイドテールの髪をほどいて、宴衣装を纏っている。外見の愛くるしさは、レイナ=ルウにも負けないぐらいだろう。こんなに可愛らしい女の子に目もくれなかったジョウ=ランが、ユーミに変人と言われてしまうのも然りである。
(って、俺も人のことは言えないか。俺もジョウ=ランも、アイ=ファに心を奪われていたからこそ、他の女衆に目を向けることができなかったんだからな)
しかし、たとえ森辺の女衆が美人ぞろいであったとしても、ユン=スドラが格別に魅力的であるという事実に疑いはない。本人にその気さえあれば、婚儀の相手に不自由はしないはずだった。
(ただ、本人にその気がないんだよな。レイナ=ルウも、それは一緒なんだけど)
やっぱり今宵の祝宴は、新たな婚儀の習わしについて、強く意識が向けられているように感じられる。客人の大半は未婚の若い男女であったし、これをきっかけに新たな恋が芽生えることもありえるのだろうか。
(そうか。俺やアイ=ファも、他人事ではないんだよな。まあ、俺たちに婚儀を持ちかけてくる氏族なんて、いまではそうそうないように思えるけど)
とりあえず、近在の氏族は俺とアイ=ファの行く末を見守ろうという気風に落ち着いている。それに、屋台の商売に関わっている氏族にも、そういう空気は伝播しているように感じられた。
そうすると、ルウやザザやラヴィッツは最初から対象外であろうし、ダイやレェンの人々は謙虚であるので、そのような申し出をしてくるとも思えない。少なくとも、今日のところは何の心配もないように思われた。
(まあ、この先どんな申し出を受けたって、毅然と断ればいいだけの話だしな)
そんな思いを込めながら、俺はアイ=ファの横顔を盗み見た。
先の割れた木匙でちるちるとクリームソースのパスタをすすりながら、アイ=ファはこちらも見ずに「どうしたのだ?」と問うてくる。
「い、いや、何でもないよ。よくそっちを見たってわかったな」
「これだけそばにいる人間の視線を感じぬ狩人などおらんぞ」
ユン=スドラがそばにいるためか、アイ=ファは凛々しく取りすました面持ちであった。
しかし、どのような面持ちでも、アイ=ファが魅力的であることに変わりはない。その髪に飾られた透明の花弁のきらめきに目を細めつつ、俺はまたこっそりと幸福を噛みしめることになった。
そうして2種のパスタを食べ終えると、俺たちのかまど巡りも終了したようだった。
空になった木皿をユン=スドラに返却し、アイ=ファは「さて」と神妙な声をあげる。
「もう半刻もせぬ内に、女衆の舞が始まる頃合いであろう。その前に、デイ=ラヴィッツらと言葉を交わしておこうかと思うのだが、どうだ?」
「うん。けっきょくここまで1回も出くわさなかったもんな。ちょっと惜しいけど、そうしよう」
後半は、周囲の人々に聞かれないように、声をひそめさせていただいた。
アイ=ファはごくわずかな力でこっそり俺の足を蹴ってから、「では」と儀式の火に向きなおる。
「あやつらのもとに馳せ参じるとするか。私についてこい、アスタ」
「うん。アイ=ファには、デイ=ラヴィッツたちの居場所がわかるのか?」
「おおよその見当はつく。少なくとも、ここから見える場所にはおるまい?」
そうは言われても、70名からの人々が集った祝宴であるのだ。これだけ盛大に火が焚かれていても、俺にはあまり判別がつかなかった。
そんな俺を引き連れて、アイ=ファは中央の儀式の火へと近づいていく。新郎新婦が座している台座があるのとは反対の側からその横をすり抜けて、アイ=ファは対角線上のかまどに向かっているようだった。
その過程で、俺はアイ=ファの判断が正しかったことを確認できた。そのかまどの前に、渦巻く金髪を生やした男衆の姿を発見したのだ。
彼は平均以上の長身であったので、いちはやく見つけることができたのである。そのかたわらには、彼の血族が3名とも勢ぞろいしていた。
「お前たちも、祝宴を楽しんでいるようだな。しばし邪魔をするぞ、デイ=ラヴィッツよ」
木皿の中身をかきこんでいたデイ=ラヴィッツが、不機嫌そうにこちらをねめつけてくる。その伴侶であるリリ=ラヴィッツは、穏やかな面持ちで目礼をしていた。
「邪魔だとわかっているなら、近づいてくるな。お前たちとは、先日の祝宴でもさんざん言葉を交わしただろうが?」
「あれでは足りないと思って、こうして出向くことになったのだ。私たちのことが気に食わないとしても、そのように避けることはあるまい」
「ふん。俺たちが、お前たちから逃げ回っていたとでも抜かすつもりか?」
「逃げ回っていたのではなくとも、避けていたことに変わりはあるまい? そうでなくてはこれだけの時間、1度としてその姿を見ないことなどありえぬだろうからな」
どうやらアイ=ファはかまどを巡っている間、ずっとデイ=ラヴィッツらの姿を探していたようだ。
で、もしかしてデイ=ラヴィッツたちのほうは、意識的に対角線上のポジションを取っていたのだろうか。中央に儀式の火が燃えている以上、そうしていればおたがいの姿は視界に入らないはずだった。
「ああ、アスタ……ど、どうもお疲れさまです……」
と、兄のかたわらに控えていたマルフィラ=ナハムが、涙声でそのように声をあげてきた。
どうやらまた宴料理の味に感銘を受けていたらしい。その目もとや頬には涙のあとがくっきりと残されていた。
「……俺たちは俺たちで、余所の氏族の人間と絆を深めていたのだ。それを邪魔立てするのは、非礼ではないか?」
額に皺を寄せながら、デイ=ラヴィッツがそのように言い捨てた。
そのかまどの前には大勢の人々がいたが、デイ=ラヴィッツらと向かいあっていたのは、若い4人の男女であった。その内のひとりは、宴衣装のフェイ=ベイムである。
「ああ、ベイムとダゴラのみなさんでしたか。デイ=ラヴィッツらとお話の最中だったのですか?」
「はい。このかまどの前で行きあったので、少し言葉を交わしていました」
フェイ=ベイムは、わりあい家長である父親似で、ちょっと骨太のずんぐりとした体型をしている。それに、ほとんど笑顔を見せることもなく、いつもむっつりとした面持ちであるので、女性らしい華やかさを感じさせないタイプであった。
しかしまた、そういう女衆の宴衣装というのは、なかなか趣があるものである。普段はきっちりとまとめている髪をさらりとほどいて、玉虫色のヴェールを纏い、花や木の実を基調にした飾り物をたくさんつけている。これで笑顔のひとつも見せれば、たいそう魅力的なのではないかと思われた。
同伴の若い男衆らはどちらも初顔であったが、ダゴラの女衆は屋台に参加しているメンバーだ。その人物が、笑顔で男衆の紹介をしてくれた。
(こういう場にベイムの家長がいないっていうのも初めてのことだよな。やっぱり、未婚の男衆を出してきたのか)
その若い男衆のひとりが、きょとんと目を丸くしながら、俺たちとラヴィッツの人々を見比べていた。
「でも別に、我々はそれほど込み入った話をしていたわけではありません。よかったら、ファの家のおふたりも一緒に語りませんか?」
「そうしてもらえたら、こちらはありがたい。デイ=ラヴィッツにも異存はないだろうか?」
アイ=ファが毅然とした面持ちでそう呼びかけると、デイ=ラヴィッツはいっそう額の皺を深くした。
「異存があると言って引き下がるようなお前たちではあるまい。どうしてお前たちは、そのようにしつこく纏わりついてくるのだ?」
「それはもちろん、ラヴィッツの血族と絆を深めたいがゆえだ。お前たちとは、なかなかそういう機会も得られなかったからな」
そのように述べてから、アイ=ファはフェイ=ベイムたちのほうを見た。
「むろん、それはベイムの血族も同じことだ。この場で絆を深められれば、嬉しく思う」
「では、こちらで腰を落ち着けませんか? 俺たちもひと通りの宴料理を食べ終えて、少し休もうかと考えていたところであるのです」
ベイムの男衆は本家の家長と異なり、ずいぶん気さくな人柄であるようだった。
その言葉に、デイ=ラヴィッツはすっかり苦虫を噛み潰したようなお顔になってしまっている。
「ならば、ベイムとファで絆を深めればよかろう。俺たちがそこに加わる理由はない」
「理由なら、あるでしょう。ラヴィッツの血族は、ファの家との古い確執を解消するように、族長たちからもうながされているのではないですか?」
「…………」
「俺たちは、森辺の同胞です。かつては悪縁を結んでいたルウ家とザザ家も和解を果たしたのですから、ラヴィッツとファだってそれにならうべきでしょう」
ベイムの男衆は、ごく純粋なる善意から、そのように申し述べているようだった。
こうなると、デイ=ラヴィッツもむやみにその言葉をはねのけることはできないのだろう。デイ=ラヴィッツは渾身の力で溜息をつきながら、かまどの脇に敷かれた敷物に荒っぽく腰を下ろしていた。
「まったく、何だというのだ。……たとえ同胞でも、気に食わない人間のひとりやふたりはいて然りであろうが?」
「そのような言葉は、もっとおたがいのことをよく知り合ってから口にするべきであろう。私たちは、いまだに数えるていどしか顔をあわせていないのだからな」
そのように述べるアイ=ファに続いて、俺たちも順々に腰を下ろした。合計10名の大所帯で、敷物はすぐにいっぱいになってしまった。
「そういえば、ラヴィッツとベイムはどちらもファの家の行いに異を唱えていた氏族であったな。ならば、なおさらこういう交流も無駄にはなるまい」
ベイムの男衆よりもやや年長であるダゴラの男衆が、そのように述べたてた。こちらはどちらかというと、豪放な気質であるようだ。
「まあ、俺たちは町の人間との交流というものに異を唱えていただけであるので、美味なる料理というものに文句をつける気はなかった。今日もぞんぶんに宴料理を楽しませてもらったぞ」
「ふん。町の人間と交流を深めたおかげで、まんまと厄介な騒ぎが起きたようだがな」
土瓶の果実酒をあおりながら、デイ=ラヴィッツがそのように言いたてた。
ダゴラの男衆は、「ふふん」と笑いながら、自分も土瓶を傾ける。
「しかしそれでも、騒ぎが収まったのならばめでたいことではないか。嫁入りを許すかどうかは、フォウの家長が決めればいいことだ。俺たちは、それを見届けてやればいい」
「そうですね。それに、女衆から話を聞く限り、ユーミという娘はなかなか真っ直ぐな気性をしているようです。ジェノスの法を軽んじているというのはちょっとひっかかりますが、まあ、きちんと心を改めれば問題はないでしょう」
意外にベイムとダゴラの男衆は口達者であるらしく、大人数での会話が不得手であるアイ=ファはなかなか口をはさめないようだった。
ということで、俺が家長に代わって声をあげてみせる。
「ベイムやダゴラの家でも、ユーミのことは取り沙汰されていたのですね。フェイ=ベイムたちが、そういう話をお伝えしていたのですか」
「もちろんです。まあ、わたしはユーミという娘とそれほど交流はなかったので、大した話を伝えることもできませんでしたが」
「いや、それでも話を聞くのと聞かないのとでは、大違いです。たとえばユーミという娘は、ルウ家で開かれた祝宴において、家に預けられた幼子たちにも菓子を食べさせてやるべきだと進言したそうですね」
そう言って、ベイムの男衆は朗らかに微笑んだ。
「なかなか俺たちでは、族長筋の人間にそんな気安く進言できるものではありません。そういうところは町の人間ならではなのでしょうし、また、幼子を思いやれる優しい気性なのだということも知ることができました」
「ふん。族長筋の人間にたてつくのも、5歳に満たない幼子に宴料理を食べさせるのも、森辺の習わしにはそぐわない行いであるがな」
「そうですね。でも、ルウ家の人々がそれに従ったということは、彼女の言葉を正しいと認めたゆえでしょう。ならば、森辺の習わしに深くとらわれない人間であるからこそ、より正しい道を示すことができた、ということかもしれませんよ」
にこにこと無邪気に笑いながら、なかなか鋭い分析力を有しているベイムの男衆であった。
(やっぱり森辺にも色んな人がいるんだなあ。これは心強い限りだ)
俺がそんなことを考えている間に、一瞬の間隙をついてアイ=ファが発言した。
「デイ=ラヴィッツも、ユーミについては伴侶から話を聞いているのであろう? お前はユーミが嫁入りをすることを快く思っていないのか?」
「……快いか不快であるかで言えば、もちろん不快だ。少なくとも、ラヴィッツの血族にそのような真似を許す気はない」
「ふむ。それでも、家長会議において反対の声をあげるほどではなかった、ということか」
「それを正しいと思う氏族があるなら好きにすればいいと思ったまでだ。いちいちやかましいやつだな、お前は」
そのように述べてから、デイ=ラヴィッツはふっとマルフィラ=ナハムのほうに目を向けた。
「……どうでもいいが、お前はいつになったら食べ終えるのだ? それは俺たちと同時に受け取った料理だろうが?」
「え? あ、は、はい。申し訳ありません。あ、あまりに美味なる料理であるために、急いで食べるのが惜しくなってしまって……」
マルフィラ=ナハムは、ひとりだけ木皿を抱え込んでいたのだ。そこに収められているのは、ホボイの油で炒められた『ペペレバ炒め』であるようだった。
「まったく、いつまでも子供の面が抜けぬやつだな。そのような有り様だから、家長に婚儀を許されぬのだぞ」
「は、は、はい。お、お恥ずかしい限りです」
マルフィラ=ナハムがしゅんとしてしまったので、俺は思わず擁護の声をあげてしまった。
「でも、マルフィラ=ナハムはかまど番として、かなりの才覚を持っていると思われます。リリ=ラヴィッツからもお聞きだとは思いますが、彼女のおかげで俺の店はずいぶん助かっておりますよ」
とたんに、デイ=ラヴィッツのぎょろりとした目が俺に向けられてきた。
「かまど番の腕前だけでは、婚儀の相手を見つけることはできん。それとも、俺やナハムの家長の目が曇っているとでも言いたいのか?」
「いえ、滅相もない。ただ、マルフィラ=ナハムのように優秀なお人を預けてくださったことに感謝しているだけです」
すると、マルフィラ=ナハムのかたわらに座していたその兄が、長身をゆらりと蠢かした。
色の淡い碧眼が、遥かな高みから俺を見下ろしている。
「ど、どうしました? 何かお気を悪くさせてしまいましたか?」
無駄と知りつつ、俺はそのように問いかけてみた。
すると――常にぴったりと閉ざされていたその大きな口が、ひどくのろのろと動き始めた。
「ファの家の、アスタ……」
「は、はい。何でしょう?」
「……お前は、マルフィラに嫁入りを願っているのか……?」
地鳴りのように重々しく、感情の読み取れない声音である。
えもいわれぬ圧迫感を覚えつつ、俺は「とんでもありません」と首を振ってみせた。
「俺は彼女の、かまど番としての腕前をほめただけです。何か誤解を生むようなところがあったのなら、お詫びします」
「……では、マルフィラなどは眼中にない、ということか……?」
痩せこけたモアイ像のようなその顔は、やっぱり無表情のままである。
すると、マルフィラ=ナハムが慌てふためいた様子で、その細長い腕に取りすがった。
「に、に、兄さんはいきなり何を言っているの? ア、アスタにはアイ=ファがいるのですから、そのような心配はいらないと言ったでしょう?」
「おい」と、反射的にアイ=ファが声をあげてしまっていた。
その頬が、わずかに赤くなってしまっている。
「お前こそ、いったい何を言っているのだ。おかしな物言いはやめてもらおう」
「お、お、おかしかったですか? も、申し訳ありません。や、屋台の商売や下ごしらえの仕事を手伝っている女衆に、アイ=ファとアスタはいずれ結ばれるのだろうから、決してちょっかいを出してはいけないと言いふくめられていたのです」
アイ=ファはいっそう顔を赤くしながら、俺のほうに眼光を差し向けてきた。
「お、俺は何も知らないよ。マルフィラ=ナハム、それは本当の話なのかい?」
「は、はい。そ、それも、別々の場所で、別々の女衆から、同じ話を聞かされました。で、ですから、きっと本当の話なのだろうと思っていたのですが……も、もしかしたら、違っていたのでしょうか?」
それを、違うと答えることはできなかった。
かといって、そうだと認めるのは羞恥の極みである。結果として、俺はアイ=ファと一緒に顔を赤くすることになってしまった。
「何だ、やっぱりそういう話だったのか。まあ、何も不思議な話ではないのだろうがな」
そんな風に言いながら笑い声をあげたのは、ダゴラの男衆であった。
「俺から見ても、ふたりは似合いだと思うぞ。それに、うかうかしていたら、どちらにもそれぞれ婚儀の話が持ちかけられそうなところだからな。それを事前に防いでやろうとは、なかなか親切な女衆たちではないか」
それは確かにその通りであるのだが、やっぱり俺たちの羞恥心が緩和されることにはならなかった。
そんな俺たちの姿を見比べながら、デイ=ラヴィッツは「ふん」と鼻を鳴らしていた。
「いい年をして、何を顔を赤らめているのだ。婚儀をあげるつもりがあるならば、とっとと狩人としての仕事などやめてしまえ」
「や、やかましい! 私はまだしばらく、刀を置くつもりはないぞ!」
アイ=ファとしては、それが精一杯の抗弁であるようだった。
楽しい祝宴も、いよいよたけなわとなってきた模様である。