宴の前に③~面談~
2018.6/27 更新分 1/1
翌朝である。
俺はサムス家とフォウの血族の会談を見届けるために、屋台のメンバーとは別の荷車で宿場町に向かうことになった。
「ごめんね、ユン=スドラ。話し合いが終わったら、すぐにそっちに向かうから、どうかそれまでお願いするよ」
「いえ。このような仕事をわたしに任せてくださるのは、とても光栄なことです。どうかわたしのぶんまで、見届けてきてください」
屋台の責任者の代理人は、ユン=スドラにお願いすることにした。本日は血族の長たるバードゥ=フォウ自身が出向くので、ユン=スドラは屋台の仕事を果たすように申しつけられていたのだ。
また、人数的な穴埋めに関しては、リリ=ラヴィッツにお願いしていた。昨日の段階で、人手が必要ならば自分が参じましょうと、自ら願い出てくれたのである。どうやら彼女は《西風亭》にまつわる騒ぎに大きな関心を寄せているようなので、帰り道にでも俺自身から詳細を聞き出したいと思っているような節があった。
まあ、どの道この顛末は、いつもの連絡網で集落の隅々にまで届けられるのだ。どれほど厄介な事態に陥ってしまったとしても、それを内々で済ますことは許されない。リリ=ラヴィッツがより迅速かつ正確にその内容を知りたいと願っているのならば、俺としても望むところであった。
そんなわけで、俺はフォウ家がキープしていた荷車に同乗させてもらうことになった。
《西風亭》に向かうのは、ジョウ=ランと、バードゥ=フォウと、ライエルファム=スドラと、ランの家長、そして俺とアイ=ファである。中天には森辺に戻って狩人の仕事を果たすということで、アイ=ファも同行を願ってきたのだ。
さらに、ルウの集落に到着すると、そこにはジザ=ルウが待ち受けていた。
ララ=ルウから事情を聞いたドンダ=ルウはこの事態を重く見て、跡取りたるジザ=ルウを見届け人として差し向けることにしたのだった。
(これは、宿場町の民との今後のつきあいにも関わってくる話なんだから、重要視するのが当たり前だよな。グラフ=ザザやダリ=サウティだって、どんな結果になるかと待ちかねているはずだ)
そうして俺たちは、《西風亭》に向かうことになった。
7名乗りということで、御者台のアイ=ファはトトスを気遣っている様子であったが、その力強い足取りに変わりはなかった。鉄鍋や大量の料理を詰め込んでいない分、総重量に大差はないのかもしれない。
しかしまた、俺以外は全員狩人という、なかなか普段にはない顔ぶれである。なおかつ、宿場町に向かう理由が理由であるので、俺はなかなか気詰まりな沈黙の中、荷台で揺られることになった。
「……アスタにも、ずいぶんな迷惑をかけてしまったな」
いよいよ宿場町に到着して、荷車の速度が落ち着いた頃、バードゥ=フォウがふいにそのようなことを言い出した。
「何を仰っているんですか。そもそもユーミとみなさんの間を取りもったのは、俺なんですよ?」
「しかし、その縁をこのような形に仕上げてしまったのは、俺たちフォウの血族だ。すべての責任は、俺たちにある」
壁にもたれてあぐらをかいたバードゥ=フォウは、とても厳しい眼差しになっていた。ライエルファム=スドラやランの家長も同様であり、ジョウ=ランは心配げな面持ちでやや眉を下げている。
「しかし、フォウ家の行いを許したのは、家長会議に参席したすべての家長たちだからな。町の人間を嫁に迎えるかもしれないという話も、それを見定めるために祝宴に招きたいという話も、すべての家長が賛同を示したのだ。ならば、フォウ家だけに責任があるとは言えまい」
ひとり、普段と変わらぬにこやかな表情のジザ=ルウが、そう言った。むろん、その内心にどのような思いが渦巻いているかは、余人に知るすべはない。
「また、先んじて森辺の家人となったアスタとシュミラルは、他に家族を持たない身であったので、このような騒ぎになることもなかったのだろう。婚儀というのは家と家の縁であるのだから、こうした騒ぎを乗り越えない限り、本来は町の人間を家人として招くことはかなわない、ということなのだと思う」
「うむ……それだけ責任の重い話であるということは、俺たちもわきまえていたつもりだ」
しかし、それでもなお、バードゥ=フォウたちはジョウ=ランとユーミの交流を禁じようとはしなかった。フォウとランとスドラで血族会議を開き、行く末を見守ろうという結論に達したのである。
その結論は正しかったはずだと、俺は信じていた。
外界の人々を拒絶するのではなく、大きな困難を抱え込んででも、共存の道を探っていく。西方神の子として正しく生きていくには、そうする他ないはずだった。
《キミュスの尻尾亭》を素通りした荷車は、やがて裏道へと入り込んで、ついに《西風亭》へと到着する。宿の前では、ユーミがぽつねんと待ちかまえていた。
「ああ、ユーミ。昨日は大丈夫でしたか? サムスに叩かれてしまったと聞いて、とても心配していました」
真っ先に荷台から飛び降りたジョウ=ランが、ユーミのもとに駆けつける。ユーミはその足もとを見つめたまま、「うん」とうなずいた。
「それじゃあ、トトスと荷車を預かるね。先に入っててくれる?」
「うむ、お願いする」
アイ=ファからユーミに、トトスの手綱が渡される。そうしてユーミが宿の裏手に消えていく姿を、ジョウ=ランはものすごく心配そうに見送っていた。
「やはり、いつものユーミではありません。ユーミがもとの笑顔を取り戻せるように、俺は力を尽くしたいと思います」
「おい。それと同じように、他の家族の心情も思いやるのだぞ?」
ランの家長が厳しい声でそう言うと、ジョウ=ランは「もちろんです」とうなずいた。
「それでは、行きましょう」
俺とアイ=ファが先頭になって、《西風亭》の扉を開く。
今日も食堂は、がらんとしていた。この時間、たいていの宿泊客は町に出向いているか、あるいは眠りをむさぼっているのだ。その閑散とした食堂の一番奥の席に、サムスとシルが並んで座していた。
「ああ、いらっしゃい、森辺のみなさんがた……お好きなところに座っておくれよ」
力ない笑みを浮かべたシルが、無人の客席を指し示す。
卓は6名掛けであったので、サムスたちの向かいにはバードゥ=フォウとジョウ=ランとランの家長が陣取ることになった。残りの4名は、隣の卓からその対面を見守らせてもらう。
「ふん。森辺の狩人がぞろぞろと現れやがって。刀で俺たちを脅そうって腹積もりか?」
昨日よりはいくぶん覇気のない声で、サムスがそのように言いたてた。
その正面に座したバードゥ=フォウは、ゆっくりと首を横に振っている。
「そのように無法な真似はしないと誓おう。俺たちは、あなたがたと正しき縁を紡ぐためにやってきたのだ」
やがてユーミが戻ってきて着席すると、バードゥ=フォウがまず全員の身分を明らかにした。
サムスの底光りする眼光は、その前からジョウ=ランひとりに据えられている。サムスとて、交流会の際にジョウ=ランの顔ぐらいは見かけているはずだった。
「最初に、こちらの心情を伝えさせていただきたい。俺たちは、決して家族の気持ちを踏みにじってまで、そちらのユーミを家人として迎えたいとは思っていないのだ。森辺の民にとって血の縁を結ぶというのは、家と家の絆を結ぶ行いに他ならない。よって、我々の間でも、その家の家長の許しなくして、婚儀をあげることは許されていないのだ」
「なるほどねえ……それで、ジョウ=ランの家の家長っていうのは、あんたなんだよね? あんたはジョウ=ランが町の娘と婚儀をあげるかもしれないって話を、受け入れたってことなのかい?」
シルに視線を向けられて、ランの家長は「うむ」とうなずいた。
彼はラン本家の家長であり、分家の長兄であるジョウ=ランにとっては、伯父にあたる人物である。
「もちろん、そちらのユーミが森辺の家人に相応しからぬ人間であった場合は、婚儀をあげることも許されない。だからこそ、祝宴に招いて絆を深め合い、ユーミがどのような人間であるかを知ろうと考えたのだ」
「そうかい……森辺の民が、そこまで町の人間に心を開いてくれたことを、あたしは心から嬉しく思っているよ。あたしたちはずいぶん長い間、おたがいのことを嫌いあっていたはずだからねえ」
そう言って、シルは穏やかに微笑んだ。
「たぶんアスタから聞いているだろうけど、うちのサムスなんかは、特に森辺の民を嫌っていたんだよ。若い頃に、お仲間が森辺の狩人ともめて、ひどい目にあっちまったっていうからさ。……ああ、もちろん、悪いのはサムスのお仲間のほうで、森辺の民には何の罪もなかったんだろうけどねえ」
「うむ。しかし、かつての族長筋であったスン家がサイクレウスと邪な絆を結んでしまったために、森辺の民は町で罪を犯しても正しく裁かれることがなかったのだと聞いている。いまの話にしてみても、本当に森辺の民の側に罪はなかったのか、正しく知るすべはなかったのだろうと思う」
「ああ、そうだったね。だから、あたしの父親も森辺の民のことは、たいそう嫌っていたよ。そういう父親たちに育てられたもんだから、あたしやユーミだって、最初はあんたがたのことをぞんぶんに忌み嫌っていたのさ」
サムスとユーミがまったく口を開こうとしないので、シルだけが語り続けていた。サムスはそっぽを向いており、ユーミはうつむいてしまっている。
「だけどあたしたちは、アスタのおかげで悪い因縁を断ち切ることができた。森辺の民の中にも良い人間と悪い人間がいるっていう、そんな当たり前のことを、ようやく知ることができたんだ。そのことにも、あたしは心から感謝しているよ」
「俺はただ、屋台で商売をしていただけですよ。ユーミは自分の判断でギバの料理を買って、森辺の民に歩み寄ってくれたんです」
俺がひかえめに答えると、シルは当時を懐かしむように目を細めた。
「ああ、それであたしは、ユーミが買ってきたギバの料理を食べさせられたんだよ。食べた後にそいつはギバの肉だって聞かされたもんだから、なんてひどい悪戯をするんだって、思わず頭をひっぱたいちまったんだよねえ」
ユーミはうつむいたまま、何も答えない。
シルはかまわず、言葉を重ねた。
「それからユーミは、毎日のようにあたしたちを説得し始めたんだよ。森辺の民にも良い連中はいる、こんなに美味いギバの料理を食べようとしないのは馬鹿だ、うちの宿でもこいつを扱わせてもらうべきだってね。それでようやくあたしらは、心を入れ替えることができたのさ」
「うむ。スン家とサイクレウスの悪しき縁に気づくことができなかったのは、俺たちの罪だ。そんな俺たちに手を差し伸べてくれたのは、ユーミを始めとする宿場町やダレイムの人間なのだと聞いている」
バードゥ=フォウが、あらたまった口調でそう答えた。
「アスタが森辺に現れていなかったら、俺たちはいまでも町の人間と正しい絆を結ぶことはできていなかったことだろう。しかしまた、アスタの開いた扉を最初にくぐってくれたのは、あなたがた町の人間だ。俺たちも、町の人間のすべてが悪しき心を持っているわけではないと、それでようやく知ることができたのだ」
「ああ。本当にいい時代になったもんだねえ。あたしの父親は森辺の民を忌み嫌ったまま魂を返しちまったから、それが残念でならないよ」
シルはとても穏やかな眼差しで、森辺の民の姿を見回した。
「だからあたしは、あんたがたと正しい絆を結べたことを、心から嬉しく思ってる。ユーミとジョウ=ランの話がどんな風に落ち着いたとしても、その気持ちだけは変わらないだろうと思うよ」
「それは、俺たちも同じことだ。これで町の人々との絆に傷がつくことがあってはならないと考えている」
「だったら……」と、サムスが底ごもる声を振りしぼった。
「だったらどうして、こんな馬鹿げた話を受け入れやがったんだ? こんな馬鹿げた話が丸く収まるとでも思ってたってのかよ?」
「それは……俺たちの考えが足りていなかったのだろうと思う」
バードゥ=フォウはサムスの顔を真っ直ぐ見返しながら、そう答えた。
「まず俺たちは、あなたがたの家にユーミしか子がないということを、もっと重んずるべきだった。たったひとりの子が余所の家に嫁入りしてしまえば、その家は血筋が絶えてしまうのだからな。森辺の集落においても、よほどの事情がなければ、たったひとりの子を嫁入りさせたりはしない。婿を取って、家を残そうと考えるはずだ」
「…………」
「そして、もう一点。さきほども言ったが、森辺においては家長の許しなくして、婚儀をあげることはできないのだ。だから、たとえユーミとジョウ=ランの間に確かな情愛が育まれたとしても、それぞれの家長が許さなければ、あきらめてもらう他ない。……そのように考えていたからこそ、事前にあなたがたの気持ちを確認する必要はない、と判断してしまっていた」
「必要ないってのは、どういう言い草だ。婚儀が許されねえなら、気持ちが深まる前に潰してやるのが温情ってもんだろうがよ?」
「うむ。しかしそれ以前に、我々は家人が家長の言いつけに背くという事態を、まったく想定していなかったのだ。もしもこれが森辺の集落で起きた出来事であるならば、あなたがユーミの嫁入りを許さなかった時点で、話は終わっていた。家長と家人の間で対立が起きることなど、森辺においてはありえない話であるのだ」
「……ふん。つまりは、自分の子供をしつけることもできねえ俺たちがボンクラってことか」
サムスの目に憤りの火が燃えると、バードゥ=フォウはすかさず「それは違う」と言いたてた。
「ユーミは町の人間であるのに、森辺の習わしばかりにとらわれていた俺たちが浅はかであったのだ。俺たちは、もっと慎重に話を進めるべきだった。あなたがたに不快な思いをさせてしまったことを、心から申し訳なく思っている。……その上で、双方がもっとも正しき道を歩めるように尽力したいと願っている」
「はん。ずいぶんお上品な言葉を並べたてるじゃねえか。森辺の民ってのがここまで堅苦しい連中だとは思ってもみなかったぜ」
そんな風に言いながら、サムスはジョウ=ランのほうに視線を差し向けた。
「それで、手前はどうなんだよ? さっきから黙りこくってやがるが、問題を起こした張本人は、手前じゃねえのか?」
「はい。俺も正しき道を歩めるように尽力したいと願っています」
ジョウ=ランは、いくぶん悩ましげに眉をひそめつつ、サムスの顔を見返していた。
ユーミはうつむいたまま、とても心配そうにジョウ=ランを見つめている。
「だったら、答えろよ。手前は本気で、うちの娘を森辺にかっさらうつもりなのか?」
「いえ。いまはまだ、おたがいに心情を確かめ合っている段階です。決して軽はずみな気持ちで婚儀をあげようとは思っていません」
「だったら、おたがい惚れ合ってると確認した後で、他の連中に許さねえと言われたらどうするつもりなんだ? 家長とやらの言葉は絶対だって話だぜ?」
「それは……そのときになってみないと、わかりません。自分の心情よりも家長の言葉のほうが正しいと思えば、もちろん身を引くことになるのでしょうが……たぶん、家長次第だと思います」
この言葉にぎょっとしたのは、隣に座っていたランの家長であった。
「おい、お前は何を言っているのだ、ジョウ=ランよ。家長の言いつけに逆らうことなど、森辺では許されておらんぞ」
「はい。ですがそれは、家長が正しいという前提があるからですよね? 家長を信じているからこそ、家人はその言葉に従うことができるのです。……でも、かつての族長筋であるスン家などは、大きく道を間違えました。族長ですら道を間違えるなら、家長が道を間違えることもありえるのではないですか?」
ランの家長は、呆気に取られた様子で絶句していた。
いっぽうジョウ=ランは、いくぶん眉を下げたまま、やわらかく微笑んでいる。
「スン家が道を間違えたとき、すべての氏族がその罪を裁きました。それなら俺も、家長が道を間違えたときは、堂々とその罪を問いたいと思います。そうしなくては、正しき道を歩むことはかなわないでしょう?」
「お、お前というやつは……あれだけの騒ぎを起こしておいて、まったく成長していないではないか!」
あれだけの騒ぎというのは、きっとユン=スドラやアイ=ファを巡る騒ぎのことだろう。アイ=ファも険しく眉を寄せながら、ジョウ=ランの横顔を見据えている。
しかし、当のジョウ=ランは飄然としていた。
「確かに俺は、かつて森辺の習わしを踏みにじってしまいました。でも、それで反省したからこそ、こんな風に考えることができるようになったのです。俺は誰よりも正しき道を歩みたいと願っていますよ」
ランの家長はなおも何かを言いたてようとしたが、それよりも先にサムスが口を開いた。
「のらりくらりとした野郎だな。それじゃあ、こっちの都合はどうなんだ? 俺たちが嫁入りを許さねえと言い張ったら、手前はどうするつもりなんだよ?」
「それはもちろん、何とか承諾をいただけるように、尽力します」
「ジンリョクジンリョク、うるせえんだよ! それでも駄目だと突っぱねられたら、どうするんだと聞いてるんだ!」
「どうして、駄目なのでしょう? やはり、ユーミがただひとりの子であり、この宿の跡継ぎであるからですか?」
サムスは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに「そうだよ!」とわめきたてた。
「こいつは俺たちにとって、たったひとりの子供だ! それ以外に、理由なんているかよ!」
「そうですか……確かに俺も、昨日になって話を聞くまで、跡継ぎのことなど考えてもいませんでした。たったひとりの子を嫁に出す家など、そうそうあるわけがないのですよね」
そう言って、ジョウ=ランはにこりと微笑んだ。
「では、俺が婿に入ればいいのではないでしょうか?」
今度は、全員が絶句することになった。
サムスやランの家長ばかりではない。その場にいる、全員がである。しかしそれも、無理からぬ話であった。
「ユーミがランの家に嫁入りするのではなく、俺がこちらの家に婿入りすれば、ユーミとともに宿の仕事を果たすことがかないます。それならば、婚儀をあげることも認めていただけますか?」
「お、おま、お前は何を言っているのだ、ジョウ=ラン! それは、狩人としての仕事を打ち捨てるという意味なのか!?」
我に返ったランの家長が、サムスにも負けない大声をあげた。
ジョウ=ランは、きょとんとした面持ちでそちらを振り返る。
「はい。何か問題があるでしょうか?」
「お前……気は確かなのか? 森辺の男衆が狩人の仕事を打ち捨てることなど、許されるはずがないだろうが!」
「ええ? それは何かの禁忌なのですか? そのような話は、聞いたこともないのですが」
すると、見届け役に徹していたジザ=ルウが、そこで初めて口を開いた。
「明確な禁忌として、そのような掟が存在するわけではない。しかしそれは、禁忌にするまでもない当たり前の話であるからだ。男衆は狩人としての仕事を果たし、女衆は家の仕事を果たす。それは、我々の祖が黒き森に住まっていた頃からの習わしであるのだからな」
「はい。だからアイ=ファも、女衆でありながら狩人として生きていくことが許されたのですよね。それは森辺の習わしに背く行いであったのでしょうが、罰を与えられるような禁忌ではなかったということです。当然のこと、以前のスン家のように何の仕事もせずに遊び呆けていたら、それは大きな罪となるのでしょうが、代わりに何らかの仕事を果たしていれば、誰にも恥ずることはないはずです」
「うむ。しかしそれでもなお、森辺の習わしを大きく踏みにじれば、同胞たちに厳しい目を向けられることになろう。もちろん貴方は、習わしに背いたアイ=ファがかつてどのような目で同胞に見られていたかも、わきまえているのだろうな?」
「もちろんです。俺たちランの人間こそ、真っ先にファの家と縁を絶ってしまったのですからね。それはスン家との悪縁あっての行いなのでしょうが、そうでなくとも当時は誰もがアイ=ファを白い目で見ていたと思いますよ」
当のアイ=ファは、仏頂面で頭をかきむしっていた。
そちらをちらりと見やってから、ジョウ=ランは照れくさそうに微笑する。
「それでも狩人として誇り高く生きていたアイ=ファのことを、俺はとても尊敬していました。そして、自分もそんな風に誇り高く生きていきたいと、ずっと願っていたのです。そうでなくては、なかなかこのようなことは思いつけなかったかもしれませんね」
「お、お前は本気なのか、ジョウ=ランよ? お前は6氏族の収穫祭で勇者の座を得られるほどの狩人であるのだぞ? そんなお前が、狩人としての生を打ち捨てるだなどとは……」
気の毒なランの家長は、まだ惑乱しまくったままであった。
そんなランの家長を、ジョウ=ランはむしろ不思議そうに見返している。
「でも、家長やバードゥ=フォウたちは、決して軽はずみな気持ちでユーミと婚儀をあげてはならんと言っていましたよね? だから俺は、頭が割れるほど考えぬいて、こういった結論に至ったのです。俺だって、本当は狩人として生きていきたいと痛切に願っています」
「だ、だったら、どうしてそのようなことを……」
「だから、狩人としての生を引き換えにできるぐらい強い気持ちでユーミを愛することができたら、そのときこそ婚儀を願おうと考えたのです。それだけの決意を固めることができないなら、俺にユーミと婚儀をあげる資格はないのだと、俺はそんな風に考えました」
普段通りの穏やか口調でそう言ってから、ジョウ=ランはサムスに向きなおった。
「ですから、心配はご無用です。俺とユーミの間に深い情愛が育まれて、婚儀をあげたいと願うときは、俺はこの家に婿入りすることができます。そうしたら、あなたがたも跡継ぎを失うことにはならないので――」
「そんなの、駄目だよ!」と、ユーミの声が響きわたった。
「ジョウ=ランが狩人をやめるなんて、そんなの駄目に決まってるじゃん! あんた、いったい何を考えてんの?」
「ええ? ユーミまで、そんなことを言うのですか? いったい、何が駄目なのでしょう?」
「全部だよ! 森辺の狩人がこんなオンボロ宿に婿入りするなんて、そんな話が許されるわけないじゃん!」
「それを言ったら、宿場町の民であるユーミが森辺に嫁入りすることだって、同じぐらい許されない話なのではないでしょうか?」
ユーミは必死の面持ちであったが、ジョウ=ランはまだやわらかく微笑んでいる。
「ユーミはそれぐらいの覚悟を固めて、森辺に嫁入りしたいと願ったのでしょう? だから俺も、ユーミと同じぐらいの覚悟がなければ、婚儀をあげたいと願うことは許されないと考えたのです」
「でも……」
「あ、はい。俺たちは、まだどちらもそこまでの覚悟を固めたわけではありませんでしたね。おたがいが、それだけの覚悟を捧げるのに相応しい相手であるかどうかを見極めようとしているさなかでした」
そう言って、ジョウ=ランはまたサムスに向きなおった。
「どうでしょうか? そこまでの覚悟が固まらない限り――つまりは、それぐらいの深い気持ちでおたがいを愛し合わない限り、俺たちが婚儀をあげたいと望むことはありません。これならば、婚儀を許していただくこともかなうでしょうか?」
サムスは不明瞭な表情のまま、硬直してしまっていた。
そのかたわらで、シルが「ふふ」と小さく声をあげる。
「こいつは、まいったねえ……ジョウ=ラン、あんたはいくつなんだっけ?」
「俺ですか? 俺は、16歳です」
「16かい。あたしらなんて、20を超えるまでは婚儀をあげる覚悟なんて固められなかったんだよ」
シルは普段の陽気さをわずかに取り戻して、硬直している伴侶を振り返った。
「あんたなんて、20どころか25、6にはなってたはずだよね。当時のあんたより10も若いジョウ=ランがこんな覚悟を固められるなんて、まったく大したもんじゃないか」
「な、何を言ってやがる。こんな若造は、まだ世の中のことを何もわかっちゃいねえだけだ」
サムスはそのように答えていたが、その表情や声音はまったく感情が定まっていないようだった。
「このサムスも、昔は剣の腕一本で生きてる荒くれ者だったのさ。だけど、あたしと添い遂げるために、故郷や仲間やそれまでの生活を、全部投げ捨てちまったんだよ。だから、そんな覚悟もない相手に大事な娘を渡す気にはなれなかったんだろうねえ」
「そうですか。でも、そう考えるのが当然なのでしょうね」
ジョウ=ランは、かしこまることなく、微笑んでいる。それと見つめ合うシルも笑顔であり、この場で両名だけが普段通りの様子を取り戻しているように思えた。
「あんたの覚悟は、見届けさせてもらったよ。それじゃあ、お次はユーミのほうだね」
「あ、あたしが何? ふたりだけで、勝手に話を進めないでよ!」
「だってあんたは、まず森辺の人間になりたいっていう思いがあったっていうんだろう? もしもジョウ=ランが婿入りしてきたら、あんたの生活は変わらないまんまだ。それでも、このジョウ=ランと添い遂げたいって思えるのかねえ?」
ユーミは頬を赤く染めつつ、「なんだよー」と唇をとがらせた。
「いきなりそんなこと言われたって、頭が回んないよ! ジョウ=ランが婿入りだなんて、そんな話はこれっぽっちも考えてなかったんだから!」
「それじゃあ、とっとと頭を回しなよ。あんたには、ジョウ=ランと同じぐらいの覚悟を持つ気持ちがあるのかい?」
ユーミは赤くなった頬を両手で押さえながら、シルとジョウ=ランの笑顔を見比べた。
その末に、「もう!」と大きな声をあげる。
「あたしだって、森辺で暮らしたいから男をあさるなんて、そんなのはおかしよなーって思ってたよ! ね、アスタにはそう言ったよね?」
「う、うん。確かに聞いてるよ。あと、それだけ心をひかれる相手に巡りあわないと、町を出る覚悟は固められないって言ってたよね」
「うん、そうそう。だから、順番が逆だったんだよ。けっきょく一番大事なのは、そういう相手に巡りあえるかどうかって話なのさ」
そう言って、ユーミは顔を押さえたまま、うつむいてしまった。
「だから……本気で好きになることができたら、住む場所なんてどっちでもいいんだよ。森辺に嫁入りできないなら婚儀を断るなんて……そんなの、相手のことをなんにも考えてないのと一緒じゃん」
「うん、そうだね。あたしが聞きたかったのは、そういう言葉だよ」
シルは明るく笑いながら、ユーミの背中を強く叩いた。
すると、ランの家長が「待たれよ」と声をあげる。
「そ、それでは、もしもふたりが婚儀をあげることになったら、ジョウ=ランはこちらに婿入りしてしまうということなのか? それは、あまりにも……」
「そのような話をここで述べても意味はあるまい。それを不服と思うならば、俺たちが婚儀を許さぬと言いつける他ないのだ」
そのように声をあげてから、バードゥ=フォウがジョウ=ランを振り返った。
「そして、そんな俺たちの言葉を正しくないと思ったときは、お前もただ黙ってはいないということなのだな、ジョウ=ランよ?」
「はい。俺はあくまで正しき道を進みたいと願っています」
ジョウ=ランは、あくまで屈託がなかった。
ランの家長ほど取り乱してはいないものの、バードゥ=フォウは懸命に溜息をこらえている様子である。
すると、これまで無言でいたライエルファム=スドラが「いいだろうか?」と声をあげた。
「もとより、森辺の民と宿場町の民が婚儀をあげたことは、一度としてないのだ。ならば、これまでの習わしだけで済まぬ話も出てくることだろう。ましてや、ふたりは婚儀をあげることもいまだ決まってはいないのだから、いまから頭を悩ませてもしかたがないのではないだろうか?」
「しかし、ランの家は家人が少ない上に、ジョウ=ランはその中で指折りの力を持つ狩人だ。それをやすやすと手放すわけには……」
「そのあたりのことも、森辺の習わしと町の習わしを並べつつ、最善の道を探る他あるまい。リリンの家のシュミラルの例もあることだしな」
「リリンの家のシュミラル? あの者が、どうしたというのだ?」
「シュミラルは、狩人の仕事と商団の仕事をともに果たしていくことを、ドンダ=ルウに認められていたではないか。それと同じように、ジョウ=ランが狩人の仕事と宿の仕事をともに果たしていく道があるかもしれん」
ライエルファム=スドラの言葉に、ジョウ=ランは「そうですね」と口もとをほころばせた。
「たとえば休息の期間でしたら、いくらでも宿の仕事を果たすことはできますし、猟犬というものがもっとたくさん扱えるようになれば、狩人の果たすべき仕事も今よりは減るかもしれません。うまく折り合いをつけていけば、ふたつの仕事をともに果たすこともできるのではないでしょうか?」
「うむ。それに、ユーミにしてみても、それは同じことなのではないだろうかな。この宿とランの家のどちらかを切り捨てるのではなく、どちらも自分の家として過ごせる道はあるかもしれん」
「ああ、そいつはいい考えだね。あたしとしては、そいつが最善なんじゃないかと思えるよ」
シルが笑顔で同意を示すと、サムスが「おい」と声をあげた。
「勝手に話を進めるんじゃねえ。そんなほいほい家を空けるやつに、宿を継がせることなんてできるわけがねえだろうが?」
「あんたはどれだけ老いぼれたって、そうそう宿を継がせる気はないって言いたててたじゃないか。そうでなくったって、あたしらが老いぼれるのはずっと先だろう? そんな先の心配をいまからしてたって始まらないさ」
もはや完全に、シルは普段の豪胆さを取り戻しているように見えた。
その目が深い慈愛をたたえて、大事な娘のほうを見る。
「でもねえ、ユーミ。あたしとサムスにとって一番大事なのは、あんたが幸せになることなんだ。あんたにとって一番幸せに思える行いが、あたしたちにとっても一番正しい道なんだよ。だから、たとえあんたが森辺に行きっぱなしになっちまったとしても……それであんたが幸せなんだったら、あたしらに反対することはできないんだよ」
ユーミは、きゅっと眉をひそめていた。
そして、その目にじんわりと涙が浮かんできてしまったので、慌てて手の甲でぬぐっている。
「……たとえ森辺の民になったって、アスタたちは毎日のように町まで下りてきてるじゃん。そうじゃなかったら、あたしだって森辺に嫁入りしたいなんて考えることはできなかったよ」
「おやおや、そんなていどの覚悟で、森辺に嫁入りすることができるのかねえ」
「わかんないよ! でも、どこに嫁入りしたって、親子は死ぬまで親子でしょ! あたしは絶対、母さんたちを切り捨てたりはしないからね!」
どれだけ手の甲でぬぐっても、そこからこぼれた涙が卓の上に落ちてしまっていた。
その頭をそっと撫でながら、シルがバードゥ=フォウらに向きなおる。
「どうぞあなたがたも、この子らの行く末を見守ってやってくださいな。まずは3日後の祝宴とやらを、お願いいたしますよ」
「うむ。……こちらこそ、よろしくお願いする」
この場ではもうこれ以上の問答は無用だと判断したのだろう。バードゥ=フォウはいくぶん悩ましげな表情のまま、それでもそれ以上は言葉を重ねようとはしなかった。
他の人々もそれぞれ挨拶の声をあげながら、席を立っていく。本日の会談は、これで終了と相成ったのだ。
けっきょく俺など、何の役にも立ってはいない。ユーミの言葉に相槌を打っていたばかりである。
「余所の家の人間が婚儀の話に口をさしはさむことなど、できようはずもない。お前は見届け役としての仕事を果たしたのだから、それでよかろう」
ユーミとシルに見送られて荷台に乗り込む際、アイ=ファはそのように述べていた。
いっぽう、ジョウ=ランはライエルファム=スドラに声をかけられている。
「収穫祭のときなどはずいぶんしょぼくれていたようだが、お前もお前なりに力をつけているようだな、ジョウ=ランよ」
「あ、はい。それもみんな、ユーミに元気をいただいたおかげなのですよ」
「そうか」と答えてから、ライエルファム=スドラは子猿のような顔にくしゃっと皺を寄せた。
「まあ、俺などは30歳を過ぎるまで、嫁を娶ることもできなかったのだ。慌てずに、もっとも正しき道を探すといい」
「あはは。さすがにもう少しは早く道を見極めたいところですが……お言葉に従います、ライエルファム=スドラ」
すると、ずっともじもじしていたユーミが荷台のふちに手をかけて、声をあげてきた。
「そ、それじゃあ、祝宴でね、ジョウ=ラン!」
「あ、はい。ユーミとゆっくり語らえるときを楽しみにしています」
ジョウ=ランは、無邪気に微笑んでいた。
ユーミは顔を赤くして、宿の中に駆け戻ってしまう。
そうして俺たちは、シルだけに見送られて、《西風亭》の前から出立することになった。
ユーミとジョウ=ランがどのような行く末を迎えることになるのか、それはまだ誰にもわからない。
しかし、これだけたくさんの人々が心を砕いてくれていれば、きっと正しき道を見出すことはできるだろう。俺はそのように信じることができた