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異世界料理道  作者: EDA
第三十六章 合縁奇縁
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宴の前に②~すれ違う思い~

2018.6/26 更新分 1/1

 屋台の商売を終えた後、俺たちはあらためて《西風亭》に向かうことになった。

 とはいえ、屋台のメンバー全員で向かう理由はなかったので、2台の荷車は先に森辺へと戻ってもらった。《西風亭》に向かったのは、俺とユン=スドラ、ララ=ルウとリリ=ラヴィッツの4名である。


 ララ=ルウがそこに加わったのは、族長筋の家人として、この顛末を見届けるためであった。本日のルウ家の当番はシーラ=ルウとララ=ルウであったので、本家の彼女が同行することになったのだ。

 リリ=ラヴィッツは、単に荷車の定員の問題で、こちらに居残っていた。7名乗りで森辺に戻るという手段もあったのだが、彼女自身も残留を希望していたのだった。


「余計な口ははさまないとお約束いたしましょう。ただ、わたしも森辺の同胞として、このたびの騒ぎを見届けたいと思います」


 そのように言われては、無理に帰すこともできなかった。

 ということで、俺たちはこの4名で《西風亭》に乗り込むことになったわけであるが――最初から、会談の場には重苦しい空気がたちこめてしまっていた。


《西風亭》の食堂には他にお客の姿もなかったので、俺たちはその席でサムス一家と向かい合っていた。主人のサムス、伴侶のシル、娘のユーミである。サムスは屋台に押しかけたときと同じく怒りの形相であり、シルはぐったりとくたびれた表情、そしてユーミは、ふてくされたような仏頂面であった。


「だからさー、親父は先走りすぎなんだよ! 何も、いますぐ森辺に嫁入りするわけじゃないって言ってるじゃん」


 木作りのテーブルに頬杖をついたユーミが、そっぽを向きながらそのように言い捨てた。

 たちまち怒声をあげようとするサムスを制して、シルがその横顔をにらみつける。


「でも、ゆくゆくは森辺に嫁入りするかもしれないって話なんだろう? それなら、同じことじゃないか」


「全然違うよ! 別に婚儀の約束を交わしたわけじゃないし、そもそもまだおたがいに気持ちを確かめ合ってるところなんだからさ!」


 威勢のいい声をあげながら、ユーミがわずかに頬を赤くしている。

 フォウ家の祝宴の日取りが確定したことによって、ついにユーミもジョウ=ランにまつわる複雑な内情を、両親に打ち明けることになったのである。普段は陽気できっぷのいいおかみさんであるシルも、本日ばかりは悄然とした面持ちで溜息をついていた。


「ジョウ=ランっていうのは、あの愛想のいい若衆のことだよね。確かにあのお人は、森辺の狩人とは思えないほど物腰もやわらかくて、たいそう可愛らしいお顔をしていたけどさ……まさか、あんたがそんなことを言いだすなんてねえ」


「いったい、何の文句があるっての? 森辺の民がみんな立派なお人たちだってことは、もう母さんたちにだってわかってるでしょ?」


「何が立派だ! 商売にかこつけて、うちの娘をたぶらかしやがって!」


 サムスが大きな拳で卓を叩くと、ユン=スドラが「お待ちください」と声をあげる。


「これは、《西風亭》と交わしていた仕事とは、まったく関わりのない話です。あなたがたと商売をしていたのは、あくまでファとルウの家であったのですから、そこだけは切り離して考えていただきたく思います」


「関係ねえことがあるか! お前の口車に乗っていなければ、森辺の民と関わることにもならなかったんだからな!」


 お前というのは、もちろん俺のことである。

 俺は背筋をのばしつつ、「はい」とうなずいてみせた。


「森辺の民の中で最初にユーミと縁を結んだのは俺ですし、《西風亭》との商売を取りつけたのも、俺です。俺も自分が無関係だとは思っていませんので、一緒にお話を聞かせてください」


「当たり前だ! だいたい、お前が――!」


 と、そこでシルが腕をのばして、サムスの口もとに手の平をあてがった。

 それを払いのけてから、サムスは「何をしやがる!」とがなりたてる。


「そんな風に大声を出したって、何も解決しやしないだろ? ちっとあんたは静かにしていておくれよ」


 そうしてシルは、たいそう切なげな目つきで俺を見つめてきた。


「ねえ、アスタ。あたしはこんなことになっても、あんたがたと関わったことを後悔しちゃいないよ。ギバの肉ってやつのおかげで、あたしらはいままでなかったぐらいたくさんのお客を呼ぶことができたし……森辺の民との悪い関係を終わらせることができたことも、心から嬉しく思ってる。でもねえ……それとこれとは、話が違うんだよ」


「はい、わかっています。俺も、そんな簡単に済む話だとは思っていませんでした」


「……だいたい、森辺に町の娘を嫁入りさせることなんて、許されるのかい?」


 これは、俺のような立場の人間がうかうかと答えていい質問ではなかった。

 ずっと難しげな面持ちで俺たちの問答を聞いていたララ=ルウが、そこで初めて発言する。


「その件に関しては、家長会議で話し合われたって聞いてるよ。その家の家長が許すなら、禁じる必要はないってことで落ち着いたみたいだね」


「許すだと? どうしてお前たちに、そんな偉そうな口を――!」


 シルが横合いから、サムスの頭をひっぱたいた。


「そうなのかい。あんたがたが、そこまで町の人間に寛容だとは思ってなかったよ」


「寛容かどうかはわからないけどさ。アスタやシュミラルだって森辺の家人に認められたんだから、ユーミを拒む理由はないんじゃない? ……あ、シュミラルっていうのは、リリンの家の家人になった東の民ね」


「ああ、その話はユーミに聞いていたよ。森辺の家人になるために、東の神と王国を捨てたんだってねえ。……まあ、そこまでの覚悟があるなら、森辺の人間になることも許されるんだろうけどさあ……」


 シルが、ちらりとユーミのほうを見た。

 ユーミは頬杖をついたまま、横目でそれを見返している。


「何さ? あたしも森辺の民も同じ西方神の子なんだから、関係ないでしょ?」


「……あんたには、町での暮らしを捨てる覚悟があるってのかい? 森辺の人間になったら、いまみたいに昼間から遊んじゃいられないんだよ?」


「だから、そういうのもひっくるめて、気持ちを確かめてるところなんだって言ってるじゃん! いつまでも子供扱いしないでよ!」


 そのようにわめき散らしてから、ようやくユーミは姿勢を正して、母親に向きなおった。


「あのさ、あたしは昨日今日でこんなことを思いついたわけじゃないんだよ。復活祭の頃には、もう森辺に嫁入りしたいなあって気持ちが出てきてたの。ね、そうだったよね、アスタ?」


「うん。たしか、そのぐらいの時期だったね」


「そう。だけど、軽はずみにそんな真似をできるわけはないから、あたしはそれからずーっと考えてたんだよ。考えた上で、その……ジョウ=ランってお人と巡りあったから、もう一歩先に進んでみようって思ったのさ」


 サムスが、わなわなと震え始めている。その口が開かれる前に、ユーミは勢いよくまくしたてた。


「でも、何度も何度も言ってるけど、あたしたちはまだおたがいのことを見初めたわけじゃないんだよ。だから、その気持ちが深まる前に、色々と確認しておきたかったのさ。あたしっていう人間が、森辺のお人らに認めてもらえるかどうか……それを確かめるために、森辺の祝宴にお招きさせてもらうことにしたんだよ」


「それじゃあ、森辺のお人らに認めてもらえなかったら、あんたはすっぱりあきらめようって考えなのかい?」


「え? それは……そんなの、わかんないよ。悔しくなって、認めてもらえるまで森辺に通おうとするかもね」


「ふざけるな!」と、サムスがついに怒声を轟かせた。


「お前はいったい、何を考えてやがるんだ! お前はこの宿の跡取りなんだぞ! お前が出ていっちまったら、この宿はどうなると思ってやがるんだ!?」


「わかってるよ。でも、あたしがこの宿を継いだって、上手くいくかはわかんないでしょ? それなら、別の人間に継がせたって、同じことじゃん」


「別の人間だと? どうして余所の人間に、この宿をくれてやらなきゃならねえんだよ! この宿は、シルが親父さんから引き継いだ、大事な宿なんだぞ!」


「だから、母さんの親戚に譲ればいいじゃん。母さんにはふたりも妹がいるんだから、手の空いてる子供ぐらいいるんじゃないの?」


「馬鹿野郎!」と、サムスが再び卓を叩いた。


「自分勝手なことばかり抜かしてるんじゃねえ! お前が素直に宿を継げば、それで済む話じゃねえか!」


「自分勝手なのは、おたがいさまでしょ! 親父だって、自分の都合をあたしに押しつけてるだけじゃん!」


 ユーミも腰を浮かせながら、サムスの姿をにらみ返した。

 俺とユン=スドラがなだめようとしても、それを振り切って怒声をあげてしまう。


「そりゃあ母さんの親戚なんて、余所の土地から流れてきた親父にとっては、他人も同然だもんね! そんな相手に宿を譲るのは、損した気分になるんでしょうよ!」


「損得の話じゃねえ! 親の商売を継ぐのは、子供の責任だろうが!」


「だから、そんな責任を勝手におっかぶせるなって言ってんだよ! そういうところが、自分勝手だって言ってんのさ!」


 ユーミがついに立ち上がると、その勢いで椅子がひっくり返ってしまった。


「だいたいさ、子供をひとりしか作らなかったのだって、親父たちの都合じゃん! そんなに宿を継がせたかったんなら、もう何人か子供を作っておけばよかったんだよ! そうしたら、あたしだってもっと自由に――!」


 バシンッと大きな音があがり、ユーミが床に倒れ伏した。

 サムスが、娘の頬を張り飛ばしてしまったのだ。

 俺とユン=スドラが慌てて駆け寄ると、ユーミは怒りの形相で半身を起こした。


「このクソ親父! 都合が悪くなったら、手をあげるのかよ!」


「うるせえ、馬鹿野郎! お前は――お前は、なんにもわかっちゃいねえんだ!」


 サムスの姿を見上げた俺は、ハッと息を呑むことになった。

 ついさきほどまで怒りに燃えあがっていたサムスの瞳に、今度は苦悩の光がありありと浮かんでいたのである。


 ユーミもそれに気づいたらしく、赤くなった頬を押さえたまま、固まってしまっていた。

 サムスは頭をかきむしり、俺たちに背中を向けてしまう。


「そんなにこの家を出ていきてえなら、勝手にしろ! 手前なんざ、もう娘でも何でもねえ!」


 そのように言い放つや、サムスは受付台の向こうにある厨に姿を消してしまった。

 ユン=スドラに手を借りて立ち上がったユーミは、「何だよ……」と低くつぶやく。


「人のことを叩いておいて、勝手に行っちまってさ。話はまだ終わってないじゃん」


「そうだねえ。でも、しばらくは頭を冷やす時間が必要だろうから、明日にでもまた話すとしようよ」


 そう言って、シルもゆっくりと立ち上がった。

 シルはふくよかな体型をしているが、娘よりは10センチほど小柄である。そんなシルが、悲しげに微笑みながら、ユーミの顔を見つめている。


「だけど、ユーミ、ひとつだけ言っておくけどさ……あたしたちは、好きで子供をひとりしか作らなかったわけじゃないんだよ」


「うん、ごめん。それは言いすぎたと思ってる。子供を育てるのって、大変だもんね。その頃は、いまよりもっと貧しかったんだろうからさ」


「いや、そういう話じゃないんだよ。どんなに貧しくたって、子供をたくさん作る家はいくらでもあるさ。むしろ、子供がたくさんいたほうが、家の仕事を手伝わせることもできるようになるもんだしね」


 静かな声で述べながら、シルはふくよかなお腹に手を当てた。


「でも、あたしたちには、そうすることができなかったんだよ。ややこしい話はやめておくけど……あたしの身体はあんまりお産に向いてなくってね、ふたり目の子供を作るのは無理だって言われてたのさ」


「え……そんな話、したことなかったじゃん」


 ユーミは愕然とした様子で、母親の姿を見つめ返した。

 シルは同じ表情のまま、微笑んでいる。


「そんな話は、むやみに聞かせる必要はないって思っていたからねえ。あんただって、妹や弟を欲しがっていたのに、それをあたしらに言おうとはしなかったろう?」


「あ、あたしはそんなこと、これっぽっちも考えてなかったよ!」


「嘘をお言いでないよ。そういう気持ちってのは、どうしたって伝わるもんなのさ」


 そう言って、シルはユーミの二の腕に軽く指先を触れた。


「とにかくね、あたしらはもう他に子供を授かることができなかったから、その分まであんたのことを大事に育てようって決めてたんだよ。おかげであんたは、こんなに立派に育ってくれたけど……サムスがあんなに怒ってるのは、あんたのことを大事に思ってるからなんだ。それだけは、どうか忘れないでおくれよ、ユーミ」


 ユーミはきつく唇を噛みながら、何も答えることができなかった。

 シルはその腕を何度か優しく叩いてから、俺たちのほうに向きなおってくる。


「悪いけど、また明日にでも出直してくれるかい? ひと晩たてば、ユーミもサムスもちっとは頭が冷えるだろうからさ」


「はい、承知いたしました。どうぞよろしくお願いいたします」


 ユン=スドラが深々と頭を垂れたので、俺も慌ててそれにならった。

 ララ=ルウは仏頂面で、リリ=ラヴィッツはお地蔵様のように微笑みながら、そのさまを見守っている。

 そうしてサムス家との最初の会談は、やりきれない空気の中で終わりを迎えることになってしまったのだった。


                 ◇


「……それで、明日にはジョウ=ランをも引き連れて、《西風亭》に向かうことになったというわけだな?」


 晩餐の焼き餃子を頬張りながら、アイ=ファがそのように反問してきたので、俺は「うん」とうなずき返してみせた。


「ジョウ=ランだけじゃなくって、フォウの血族の家長たちも一緒にな。やっぱり婚儀っていうのは家と家の問題でもあるわけだから、バードゥ=フォウも自分たちが出向く必要があるって考えたんだろう」


「ふむ。婚儀が決まったわけでもないのに、ずいぶん大仰な話になってしまったものだな。まあ、それだけユーミの親にとっても、これは由々しき話であったということか」


 しかつめらしく述べながら、アイ=ファが木皿のスープをすする。今日は溶き卵とアリアをふんだんに使った、中華風を意識したスープである。


「しかし、わざわざ同胞ならぬ人間を嫁に迎えるというのも、ティアには酔狂な話に思えるぞ。余所の血が混じってしまったら、狩人としての力が弱まったりしてしまうのではないだろうか?」


 アイ=ファに負けないペースで食事を進めながら、ティアも発言する。すると、アイ=ファは威厳のこもった眼差しでそちらをねめつけた。


「ジバ婆の考えが間違っていなければ、森辺の民というのはお前たちと根を同じくする一族と東の民の混血であるのだ。我々は、お前たちよりも力のない狩人だと思うのか?」


「ふむ。獣を狩る力という意味なら、森辺の民は赤き民に劣らぬ力を持っていると思える。だけどやっぱり、失われた力も多いのだと思うぞ」


「失われた力? 何のことだ?」


「たとえば森辺の民は、ヴァルブの狼やマダラマの大蛇と心を通い合わせることはできないと思うのだ。それは外界の民と血の縁を結んでしまったことで、大神の子としての力が失われてしまったのだろうと思う」


「待て。お前はヴァルブの狼のみならず、マダラマの大蛇とも心を通い合わせることができるのか? お前たちは、マダラマの大蛇を敵として、その肉を喰らっているのであろう?」


「うむ。マダラマを友とする一族ほどではないが、どのような気持ちを抱いているかぐらいは読み取ることができる。それに、ティアたちにとってマダラマは友でなく獲物だが、決して敵ではない。マダラマの力はそれを喰らったティアたちの力となり、モルガを守る力となる。赤き民もヴァルブもマダラマも、等しく大神の子であるのだ」


「そうか……確かに我々も、ギバに対しては同じような思いを抱いている。しかし、我々の祖は、黒猿の肉を喰らおうとはしなかった。それはおそらく、人間をも喰らう獣の肉は口にしないという、外界の法ゆえであったのだ。おそらくは、東の民と血の縁を結んだ際に、黒猿を喰らう習わしを捨て去ったのであろうな」


「それでは、力の連鎖が絶たれてしまう。大神の子としての力が失われるのも、当然だ。喰らうつもりのない獣を殺めるというのは、赤き民にとっては大きな禁忌だぞ」


「それでも黒猿を狩らぬ限り、我々の祖は平穏な生活を手にすることができなかったのだろう。黒猿を喰らわなかったのは、聖域の民としてではなく、四大神の民として生きていくことを決意した、ということなのであろうな」


 そう言って、アイ=ファは考え深げに目を細めた。


「我々は、トトスや犬たちとは心を通い合わせることができていると思う。しかし、それらはいずれも人間に飼いならされた獣であり、ギバやムントやギーズなどとは、いっさい心を通い合わせることができぬのだ」


「うむ。それこそが、森辺の民がすでに外界の民であるという証なのだろう。森辺の民は、野に生きる獣と心を通い合わせる力を失ってしまったのだ」


 真面目くさった面持ちで、ティアはそのように述べていた。

 新しい餃子に手をのばしつつ、俺は「でもさ」と言葉をはさむ。


「血統を守ることで得られる力も大きいんだろうけど、新たな血の縁を結ぶことで得られる力もあるんじゃないのかな。森辺の民が赤き民より大きな身体をしているのは、きっと東の血が入ったからなんだろうしさ」


「しかし、森辺を訪れる町の人間というのは、みんなひ弱に感じられるぞ。あのような者たちと血の縁を結んで、得られる力などあるのだろうか?」


「もちろんさ。町の人間には町の人間ならではの、力や技術というものが存在するからね。身体能力では森辺の民にかなわなくても、きっと何か新しい力をもたらしてくれるはずだよ」


 人との縁というものを何より重んじている俺としては、そんな風に主張せずにはいられなかった。


「たとえばこの家だって、外界の民と縁を結んだからこそ、作り方を学ぶことができたんだ。森辺の先人たちが外界の民との交流を拒絶し続けていたら、こういう技術を手に入れることもできなかっただろう? 町の人たちは獣を狩る力を持っていない代わりに、さまざまな技術を備え持っているんだよ」


「そうか。そういえば、アスタもひ弱な町の人間だったな。アスタはとても弱いが、食事を作る才覚は誰よりも優れているとティアは聞いている」


 ティアは大きくうなずくと、その小さな顔に無邪気な笑みをたたえた。


「アスタとアイ=ファがまぐわえば、食事を作る才覚と狩人の才覚をあわせもった子供が生まれるかもしれない。それが、アスタの言う新しい力か」


 アイ=ファは顔を赤くしながら、腕をのばしてティアの頭をひっぱたいた。

 ティアは頭をさすりながら、不本意そうにアイ=ファを見つめる。


「アイ=ファは力が強いので、叩かれるととても痛い。ティアが間違ったことを言ったのなら、まずは言葉で叱ってほしいと思う」


「……やかましい」


「でも、アスタとアイ=ファの間で子を作れば、きっと立派な人間に育つと思うぞ」


「やかましいと言っているのだ!」


 アイ=ファが再び腕を振り上げると、ティアは観念した面持ちで首をすくめた。たぶんティアの反射神経であれば、アイ=ファの攻撃をかわすことも可能であるはずであるのだが、大恩ある森辺の民に逆らってはいけないという思いが先にあるのだ。


 で、反射的に手を出してしまうことはあっても、こんなに従順なティアをおいそれと叩けるほど、アイ=ファも非情な人間ではない。アイ=ファは振り上げた手をぷるぷると震わせながら、赤い顔で「ふん!」と鼻息をふいた。


「婚儀にまつわる話は口にするなと、何度も何度も言いつけてあるであろうが? 痛い思いをするのは、お前が迂闊であるためだ」


「うむ。だから、婚儀の話はしていない。ティアは、子作りの話をしているのだ」


「こ、婚儀と子作りは同じ話であろうが! まだ痛い思いをしたいのか!?」


「痛い思いをしたい人間などいない。でも、ティアがアイ=ファの気持ちを害してしまったのなら、その罰は甘んじて受けたいと思う」


 アイ=ファは憤懣やるかたない様子で、ティアの頭をぐしゃぐしゃにかき回した。


「それは、痛いのか心地好いのか、よくわからない。アイ=ファは怒っているのか? それとも、喜んでいるのか?」


「誰が喜ぶか! 怒っているに決まっているであろうが!」


「そうか。ならば、ティアを叩くといい。痛いのは嫌だが、ティアは決して罰から逃げたりはしない」


 アイ=ファはティアの小さな頭を両手でわしづかみにすると、間近からその顔をにらみつけた。


「私とて、むやみにお前を叩いたりはしたくないのだ。だから、お前が言葉に気をつけろ」


「うむ。気をつけているつもりではあるのだ。しかし、アイ=ファの気持ちはマダラマよりもわかりにくい」


「おかしなことを抜かすな! 私がそこまで道理のない人間だというのか?」


「うむ。アイ=ファはこれほどアスタのことを慈しんでいるのに、子作りの話になると怒りだす。愛しい相手と子を生すのは、何よりの喜びであるはずなのに……痛い痛い痛い、それはとても痛い。叩かれるよりも、もっと痛い」


 アイ=ファの怪力によって頭蓋をぎりぎりと圧迫されたティアは、無事なほうの左足だけをバタバタと動かしていた。

 さしものティアが涙目になったところで、アイ=ファはようやく手を離して、どかりと座り込む。さきほどよりも顔を赤くしながら、アイ=ファは横目で俺をにらみつけてきた。


「……お前はずいぶん涼しい顔をしているな、アスタよ」


「ん、ああ、ごめん。ちょっと他のことに気を取られていたもんで」


「ほう……私がこれほどの辱めを受けている間に、お前は別のことを考えていたというのか」


「ご、ごめんってば。頭を叩くつもりなら、皿を置くまで待ってくれ」


「それではまるで、私が無法者のようではないか! お前たちが余計なことを言うから、私はつい手が出てしまうのだぞ!」


 座ったまま、アイ=ファがドタドタと床を踏み鳴らす。その愛くるしい姿を見返しながら、俺はもう一度「ごめんな」と伝えてみせた。

 俺の頭によぎっていたのは、もちろん昼間の騒ぎについてである。はからずも、アイ=ファの言動が俺にサムスの行いを連想させていたのだった。


(……サムスだって、ユーミを叩きたくて叩いたわけじゃないはずだよな)


 そんな風に考えながら、俺は新たな餃子を口に運んだ。

 明日の会談は、いったいどのような結末に終わるのか。俺もその場に同席して、見届けさせていただく所存であった。

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