宴の前に①~勃発~
2018.6/25 更新分 1/1
・今回の更新は全7話です。
建築屋の人々を招いた祝宴の日の翌々日、白の月の4日である。
間に休業日をはさみつつ、その日も俺たちは屋台の商売の下ごしらえに励んでいた。
本日から、屋台の当番については新しいローテーションが発動されている。トゥール=ディンが独自に菓子の商売を始めたために改変された、新しいローテーションだ。
見習いであったマルフィラ=ナハムも正規の従業員と認められて、今後はこのローテーションの中に組み込まれることになる。8名いるかまど番がそれぞれの血族とペアになって、1日置きに出勤するのだ。記念すべき初日の組み合わせは、リリ=ラヴィッツとマルフィラ=ナハム、そしてラッツとミームの女衆であった。
「ただ、これだと毎回同じ顔ぶれになってしまうので、5日間の営業日が終わるたびに、組み合わせを変えていこうと思います。次の周期では、ラッツとラヴィッツの血族であるみなさんが、ガズかベイムのどちらかの血族と一緒に働くことになる、ということですね」
仕事を進めながらそのように説明してみせると、リリ=ラヴィッツが「なるほど」と反応した。
「しかしそうすると、北側の遠方から訪れるのはミームの御方ひとりだけ、という日も出てくるわけですね。まあ、これまでにもそういう日はいくらでもあったのでしょうが……」
「はい。そういう日には、下ごしらえの仕事でもミームの女衆に何名か来ていただこうと思います。そのほうが、トトスも運び甲斐があるでしょうしね」
そのように答えてから、俺は横目でリリ=ラヴィッツの様子をうかがった。
「あるいは、ラヴィッツの血族から人手をお借りする、という手もあるのですが……そのあたり、デイ=ラヴィッツはどのようにお考えでしょうね?」
「家長は、まだしばらく様子を見たいとお考えのようです。どのみち、目新しい食材の扱いのわからないラヴィッツの血族では、とうていアスタのお役には立てないでしょうからねえ」
「でも、マルフィラ=ナハムはこの10日ばかりで、あっという間に戦力になってくれました。誰でも最初は初心者なのですから、ご心配はいらないと思いますよ」
「ラヴィッツの血族は、宿場町で肉を売る仕事を学んでいる最中です。そちらが一段落するまでは、なかなか人手を出すことも難しいのでしょう」
お地蔵様のように微笑みながら、リリ=ラヴィッツはそう言った。
「ともあれ、ラヴィッツの血族が自分たちでも目新しい食材を扱うようになる日をお待ちいただきたいと思います。そうしたら、家長もファの家で手ほどきを受けるべきだと考えるやもしれません」
「そうですね。そのときは、是非よろしくお願いします」
あまりしつこくしても申し訳なかったので、俺はそこで勧誘活動を打ち切ることにした。
先日の祝宴で、俺もアイ=ファもデイ=ラヴィッツたちと絆を深められるように色々と言葉を交わしてみたのだが、いまのところ大きな進展は見られない。料理の感想を求めても、それだけ銅貨を費やしていれば美味なのが当然だと一蹴されてしまったのだ。
(まあ、一歩ずつ地道に進んでいくしかないよな。こうして言葉を交わす機会が増えただけでも、大きな進展だ)
そんな俺たちのかたわらでは、マルフィラ=ナハムが一心にギバ肉をミンチにしている。研修期間を終えて初の出勤ということもあって、彼女の仕事にもいっそうの熱が込められているようだった。
日々は平穏に過ぎながら、やはり毎日が変化の連続である。バランのおやっさんたちはジェノスを出立し、マルフィラ=ナハムは正規の従業員となり、ファの家の屋台も新体制で本格的にスタートを切ることになった。どれだけ平穏でも、1日として同じ日はないのだ。白の月も4日目を迎えて、俺はいよいよそういった気持ちを深めていた。
そしてまた、新たな変化が来客たちによって告げられることになった。
肉の市場で仕事を果たしてきたラヴィッツとナハムの女衆が、ファの家を訪れてくれたのだ。
「失礼いたします。とりあえずは無事に仕事を終えることができましたので、それをお伝えに参りました」
アイ=ファの案内でかまど小屋を訪れた両名が、深々と頭を下げながら、そのように述べていた。
本日は、白の月になって初めての市場であったのだ。彼女たちに仕事を引き継いだフォウとランの女衆も、笑顔でそのかたわらに控えていた。
「あたしたちも見届けさせてもらったけどね、もう何も心配はいらないと思うよ。あたしたちが初めて仕事を果たした日なんて、そりゃあもう散々な有り様だったからねえ」
「そんなことはありませんよ。みなさんが最初の苦労を担ってくださったからこそ、仕事の手順をきっちり確立することができたのです」
「アスタにそんな風に言ってもらえたら、あたしたちも誇らしいよ。ツヴァイ=ルティムには、最後まで叱られっぱなしだったからねえ」
そんな風に述べながら、フォウとランの女衆は満ち足りた面持ちで微笑んでいた。黄の月の終わりから始まった大仕事を、このふたりは無事にやりとげることになったのだ。予想よりはずいぶん短い期間であったにせよ、彼女たちの果たした役割は大きかったはずだった。
「それじゃあこれで正式に、市場の仕事はサウティとラヴィッツの血族に引き継がれるわけですね?」
「ああ。今日なんかは、護衛の狩人もそっちのお人らだったからね」
すると、その声に応じるかのように、新たな人影が入り口に出現した。
女衆の頭ごしに、その骨ばった面長の顔が覗いている。とたんに、マルフィラ=ナハムが「に、兄さん」と声をあげた。
「そ、そうか。護衛役は、兄さんだったんだもんね。お、お仕事、お疲れ様でした」
細身のモアイ像を思わせる男衆が、のろのろとうなずいている。彼は先日の祝宴で顔をあわせることになった、ナハム本家の長兄であった。
印象的な顔立ちをしている上に、金色の巻き毛と水色の瞳が、なかなかのインパクトだ。マルフィラ=ナハムとは、長身痩躯と髪の色合いの他に似たところはない。
「わ、わたしもしっかり仕事に励んでいるからね。と、父さんたちにも、そう伝えておいてね」
実の兄が相手であっても、マルフィラ=ナハムはあたふたとしている。そちらにもう一度うなずき返してから、ナハムの長兄はすうっと後ずさっていった。
先日の祝宴でも彼とはけっこう長い時間をともにしていたのであるが、俺はいまだにその声を聞いていなかった。ファの家を忌み嫌っているわけではなく、極端に無口なのだという話である。
「それでは、わたしたちも失礼いたします。銅貨はすべて、ファの家長に預けておきましたので」
「はい、どうもお疲れ様でした。今後も頑張ってください」
そうしてラヴィッツの血族は姿を消したが、フォウとランの女衆はまだ居残っていた。
「アスタ、これでフォウの血族は仕事が一段落したからさ。予定通り、白の月の8日に祝宴をあげることになるはずだよ」
「あ、ランとスドラの婚儀の祝宴ですね。それはおめでとうございます」
「うん、ありがとうねえ。……ユン=スドラ、そういうわけだから、宿場町のユーミにもその話を伝えてもらえるかい?」
「はい、わかりました。彼女も楽しみにしていると思います」
収穫祭の前から延期に延期を重ねていた婚儀の祝宴が、ついに開かれるのだ。このたびは、スドラの家にランの女衆が嫁入りをする婚儀で、その後には、スドラの女衆がフォウに嫁入りする婚儀も控えているのだった。
「ま、ま、また町の人間が祝宴に招かれるのですね。あ、あのユーミという女衆は、本当にランの家に嫁入りすることになるのでしょうか?」
フォウとランの女衆が姿を消すと、マルフィラ=ナハムがそのように問いかけてきた。
俺は、「どうだろうね」と首を傾げてみせる。
「いまのところは、そういう可能性があるっていうだけの話なんだよ。ただ、本当にそうなる可能性があるなら、ユーミがどういう人間であるかを知っておかないといけないから、そのために祝宴に招待するんだっていう話だね」
「そ、そ、そうですか。ひ、東の民であったシュミラルが森辺の家人になったことを思えば、それほど驚くことではないのかもしれませんが……そ、それでもやっぱり、やたらと胸が騒いでしまいます」
「あはは。それを言ったら、俺なんてこの大陸の生まれですらないからね」
俺がそのように答えると、マルフィラ=ナハムはこくこくとせわしなくうなずいた。
「そ、そうですね。で、ですが、わたしはもうアスタの存在しない森辺の集落などは、そ、想像がつかないほどです。ア、アスタが森辺の家人となってくれたことを、心から祝福したいと思います」
「それはこっちの台詞だよ。俺みたいに得体の知れない人間を同胞として迎えてくれて、森辺のみんなには心から感謝しているよ」
「は、は、はい。ア、アスタは本当にさまざまなものを、森辺にもたらしてくれました。あ、あの祝宴の料理を思い出すだけで、わ、わたしは恍惚となってしまうのです」
祝宴の夜、俺とアイ=ファがデイ=ラヴィッツらと絆を深めるべく言葉を交わしていた間、マルフィラ=ナハムはずっと涙をこぼしながら宴料理を食べ続けていたのだ。手間と銅貨を惜しまずに作りあげた数々の宴料理は、彼女にかなりの衝撃をもたらしたようだった。
「わ、わ、わたしもあのように素晴らしい料理を作りあげられるように、な、なけなしの力をふるいたいと思います。き、きっとアスタには大変なお手間をかけさせてしまうでしょうが……ど、どうか見捨てずに、手ほどきをお願いいたします」
「うん。俺もマルフィラ=ナハムが今後どんな料理を作ってくれるのか、とても楽しみにしているよ。どうかこれからもよろしくね」
そんな言葉を交わしている内に、下ごしらえの仕事は完了した。
それらを荷車に詰め込んだら、いざ宿場町に出発だ。
ルウ家の人々と合流して、まずは《キミュスの尻尾亭》を目指す。ユン=スドラは、その場でも自分の仕事を果たすことになった。
「テリア=マス、フォウ家の祝宴は4日後に開かれることに決定いたしました。ユーミには今日の内に伝えるつもりですが、テリア=マスも問題はありませんか?」
「あ、はい。ついに祝宴が開かれるのですね。わたしまで招いてくださるなんて、本当に嬉しく思います」
さすがにユーミもひとりでは心細かろうということで、1名の同伴者が許されることになったのだ。嬉しげに微笑むテリア=マスの隣では、レビがちょっとすねたような顔をしていた。
「なあ、テリア=マスは、またユーミのやつから宴衣装を借りるのかい?」
「ええ? いえ、そんなつもりはないですけれど……う、宴衣装を纏っていないと、何か失礼になってしまうでしょうか?」
テリア=マスが慌てた様子で振り返ると、ユン=スドラは「うーん」と可愛らしく首をひねった。
「そうですね。これは婚儀の祝宴ですので、未婚の女衆は宴衣装を纏うのが習わしなのですが……でも、テリア=マスは町からの客人ですし、森辺に嫁入りしようという考えもないのでしょうから、無理に宴衣装を纏う必要はないように思います」
「そ、そうですか。失礼にならないなら、わたしはこの格好で参席したいと思います」
「わかりました。いちおうフォウの家長にも確認しておきますね」
ユン=スドラがそのように答えると、レビはほっと息をついた。
「テリア=マスまで嫁入りを願われちまったらどうしようって、それだけがちょいと心配だったんだよ。ユーミの宴衣装を纏ったテリア=マスは、森辺の女衆に負けないぐらい、色っぽかったからなあ」
「そ、そんなことはありません! わたしなんて、いつも年齢より幼く見られてしまいますし……」
「いやいや、本当の話さ。なあ、アスタ?」
「ああ、うん、えーと……森辺の民は異性の容姿をむやみに褒めそやすことを禁じられているので、発言は差しひかえさせていただくよ」
「つまりは、褒めるしかないってことだよな。ま、当然の話だよ」
そう言って、レビはもっともらしくうなずいた。
「とにかくさ、テリア=マスまでユーミにつられて、森辺に嫁入りしたいなんて言いださないでくれよ? そんなことになったら……」
「そ、そんなことになったら……?」
「……大事な跡取り娘を失っちまって、ミラノ=マスが途方に暮れちまうだろ」
顔を赤くしかけていたテリア=マスは「まあ」と言って、そっぽを向いてしまった。
「そうですか。もういいです」
「な、何だよ? 俺、なんかおかしなこと言ったか?」
「もういいですってば。アスタたちに屋台をお渡ししてください。倉庫の鍵は、さきほどお預けしましたよね」
そのように言い捨てて、テリア=マスは厨のほうに引っ込んでしまった。
レビは唇をとがらせつつ、「何をいきなり怒ってんだよ」と頭をかいている。
(うーむ。レビは本当に、テリア=マスの気持ちに気づいていないんだろうか?)
それとも本当に、自分のような人間はテリア=マスに相応しくない、と思ってしまっているのか。俺としては、いささか心配なところであった。
(だけどまあ、こればかりは黙って見守るしかないか)
レビはレビで、《キミュスの尻尾亭》という新しい環境で、新しい自分を構築しているさなかであるのだ。その過程で、貧民窟の生まれであるという負い目を払拭することができれば、また道も開けるのではないかと思われた。
「そういえば、今日はレイトはいないのかな?」
裏手の倉庫に向かいながら、俺がそのように尋ねると、レビは「ああ」と肩をすくめた。
「あの連中は、宿場町と城下町を行ったり来たりだな。うちの宿に泊まるのは、だいたい1日置きぐらいだよ。昨日なんかは、領主様と晩餐会だなんて言ってたぜ」
「そっか。もともとカミュアは、領主と深いおつきあいがあったようだからね」
「あんなとぼけたおっさんなのに、わかんねえもんだよな。だけどまあ、剣の腕一本で身を立てるなんて、大したもんだとは思うよ。俺みたいに取り柄のない人間には、とうてい真似できない芸当だな」
そう言って、レビは屈託なく笑った。
「だけどまあ、そんな俺でもこうして明日の心配をすることなく、美味い食事と温かい寝床にありつけてるのは、みんなマス家の人たちのおかげだよ。もちろん、マス家の人たちに俺なんかを引きあわせてくれたアスタにも、めいっぱい感謝してるからな」
「それを言うなら、レビやユーミが俺なんかと仲良くしてくれたおかげさ。俺たちを引きあわせてくれた西方神に感謝だね」
「ふふん。たまには祈りでも捧げてやるべきかね。……じゃ、ちょっと待っててくれよな」
倉庫の鍵を開けたレビが、7台もの屋台を順番に運び出してくる。俺たちはそれぞれの屋台を受け取って、露店区域に向かうことにした。
宿場町は、普段と変わりなく賑わっている。復活祭や雨季でもやってこない限りは大きな変化のない宿場町であるが、旅人や行商人はひっきりなしに顔ぶれを入れ替えるので、やはり毎日が変化の連続だ。遠方からやってくる人々の中には、これが初めてのギバ料理だと珍しがる人も、いまだに少なくはなかった。
そうして朝一番のピークを終えると、ユーミがルイアなどの女友達を引き連れて、屋台にやってきた。
マルフィラ=ナハムとともに『ギバまん』の屋台を受け持っていたユン=スドラは、ユーミに商品を手渡しつつ、こっそり祝宴の件を伝えていた。
「ユーミ。フォウとスドラの祝宴は、白の月の8日に開かれることになりました。テリア=マスにはさきほどお伝えしましたが、ユーミも大丈夫でしょうか?」
楽しげに微笑んでいたユーミの顔が、とたんに真剣な表情を浮かべる。
「そっか、ついに決まったんだね。……うん、ちゃんとその日は空けておいたよ。迷惑をかけないように気をつけるから、どうぞよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。でも、わたしたちはユーミと絆を深めて、おたがいのことをよく知り合いたいと願っているだけですので、あまり思いつめないでくださいね?」
「うん、そんな風に言ってもらえるのは、心からありがたく思ってるよ。だから、あたしも――」
と、ユーミが何か言いかけたところで、ルイアがひょいっと割り込んできた。
「ねえ、まだ行かないの? みんな、せっかくの料理が冷めちゃうって騒いでるよ」
ユーミとジョウ=ランの一件を知っているのは、テリア=マスとレビだけであるのだ。ユーミはいくぶん慌てた様子で、両手の『ギバまん』を掲げてみせた。
「ああ、いま行くよ。それじゃあ、ユン=スドラ、またその内ね」
「あ、はい。どうぞごゆっくり」
ルイアに背中を押されるようにして、ユーミは青空食堂のほうに引っ込んでいく。その姿を見送りつつ、ユン=スドラは小首を傾げていた。
「ユーミは、どうしたのでしょうね。もっと無邪気に喜ぶかと思っていたのですが……何やら難しげな面持ちでした」
「うん、やっぱりちょっとは緊張しちゃうんじゃないかな。ユーミにしてみれば、森辺に嫁入りするのに相応しい人間であるかどうかを、フォウの血族のすべての人たちに見定められるんだっていう思いもあるだろうしね」
「そうですか。以前であれば、そもそも森辺に嫁入りしたいと願うような人間もいなかったのに、不思議なものですね」
ユン=スドラがそんな風に言ったとき、賑やかな一団がどやどやと接近してきた。
「よお、アスタ。今日も美味そうな匂いをさせてるな! そいつは、何の料理なんだ?」
「あ、どうも。こちらは新しい献立の、『ギバ肉の焼き餃子』という料理です。以前に食べていただいた餃子を、鉄板で焼いたものですね」
それは建築屋の中で、ジェノスに居残った面々であった。
故郷に戻った7名の他にも、何名かは別の土地に移ってしまい、ここで顔をそろえているのは、およそ10名ていどだ。その内の1名が、「へえ」と目を輝かせた。
「さっそくあの料理を屋台で出したのか。だけどやっぱり、煮込むのと焼くのとじゃあ、ずいぶん味も違ってくるんだろうな」
「はい。こちらは水餃子よりも、ミャームーやペペの葉を増やしています。それで、こちらのタレをつけて食べていただくことになりますね」
餃子のタレはタウ油をベースとして、白ママリアの酢とホボイの油をブレンドしている。餃子本体は、食べごたえを重視して、かなり大ぶりに仕上げていた。
「お値段は、赤銅貨1枚で3個、2枚で6個になっています。よろしければ、お試しください」
「もちろんだよ! まずは3個だけいただこうかな」
「俺は6個だ! 日替わりの料理は、次にいつ食べられるか、わからねえからな」
その場に集まった面々の、半数は6個で注文してくれた。となると、作り置きの分では足りなくなってしまうので、俺は新たな餃子を焼きあげることになった。
「少々お待ちくださいね。すぐに焼きあげますので」
こちらの屋台はパスタのときと同じ細工で、ふたつの火元を同時に扱えるようにしていた。片方は保温用の鉄板で、もう片方は調理用の片手鍋、つまりはフライパンである。
フライパンに餃子をぎっしりと敷きつめて、まずは焼き目がつくまで中火で熱を通す。あとは、水瓶の水を適量投入して、蒸し焼きだ。
その間に、相方のリリ=ラヴィッツが作り置きの餃子を木皿に取り分けて、待ちわびている人々に手渡してくれた。笑顔で青空食堂に向かっていくお仲間の姿を見送りながら、ひとりが「ちぇっ」と舌を鳴らす。
「腹ぺこの仲間を置き去りにするなんて、薄情なやつらだぜ。でも、こんなのは作りたてのほうが美味いに決まってるよな?」
「あはは。きっとそうだと思いますよ」
バランのおやっさんたちが帰郷してしまったのは寂しい限りであるが、それでも残った人々がこうして屋台を訪れてくれるので、俺はずいぶんと救われていた。
「みなさんは、まだしばらくジェノスで仕事をされていくのですか?」
「ああ。先月の派手な寝返りのせいで、こまかい仕事があれこれ入ってな。こんなことなら余所の仕事を詰めておくんじゃなかったって、ジェノスを出ていった連中は嘆いているだろうさ」
他の町に移動した人々は、また別の建築屋のサポートをするべく、旅立っていったのである。そうして町から町を流れて仕事を続ける、彼らは流浪の仕事人であるのだった。
いっぽう、ジェノスに居残ったこの10名ていどの方々は、固定のメンバーとして常に行動をともにしているらしい。あの、森辺を来訪する際に使われていた荷車の片方を所持しているのが、この一団であるのだ。
こちらの一団も流浪の仕事人であることに変わりはないが、なにせ10名という大所帯である。これだけの人数と機動力と技術力をあわせ持った南の建築屋というのはたいそう重宝されるらしく、セルヴァ中のあちこちから仕事の依頼が持ちかけられるのだという話であった。
「俺たちも、年に1度や2度は故郷に戻ってるんだけどな。復活祭ぐらいは家族と祝わないと、本物の風来坊になっちまうからなあ」
「ああ。年に1度や2度だったら、うるさい嬶や餓鬼どもも可愛く思えるもんさ。ずっと家にこもってたりしたら、きっと血を見る騒ぎになっちまうよ」
なかなかに物騒な発言であるが、きっとジャガル流のジョークであるのだろう。みんな楽しげに笑いながら、どこか望郷の眼差しになっているように見えなくもなかった。
「でも、本当だったら、復活祭もジェノスで祝いたいところだよな。アスタたちなんて、さぞかし盛大に商売をしてるんだろう?」
「そうですね。あの青空食堂を始めたのも、ちょうど復活祭の時期だったんです。あれでは席がまったく足りなくて、地面に敷物を敷くことになりました。……ああ、あと、ギバの丸焼きをふるまったりもしましたね」
「ギバの丸焼き! そいつは是非、お目にかかりたいもんだなあ」
「この前の祝宴でお出しできたらよかったのですけれどね。あれは小ぶりのギバでないと火を通すのが大変なので、収穫の時期が合わないとお出しできないんです」
そんな楽しい語らいをしている内に、鉄鍋の水もすっかり飛んだようだった。
蓋を開けて、皮を破いてしまわないように気をつけながら、保温用の鉄板に移す。あとは、リリ=ラヴィッツがなかなかの手際で処置をしてくれた。
(こいつは初めての料理なのに、まったく危なげなところもないな。リリ=ラヴィッツもずいぶん腕をあげたもんだ)
銅貨と引き換えに、リリ=ラヴィッツが木皿を受け渡していく。建築屋の面々は、みんな幸福そうな笑顔になっていた。
「こいつは美味そうだ! それじゃあ、またな。そろそろ混み合いそうな時間だから、こいつの感想は明日伝えさせてもらうよ」
「はい、ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」
朝一番のピークを終えたら、すぐに中天のピークがやってきてしまうのだ。こうしている間にも客足は復活しつつあったので、俺はさらなる餃子を鉄鍋に投入することにした。
慌ただしくも、平和なひとときである。
その平和な時間が打ち破られたのは、建築屋の面々も立ち去って、中天のピークのど真ん中に差しかかったときであった。
「おい! お前らは、いったいどういうつもりなんだ!?」
並んだお客をかきわけて、大柄な人影が怒声をあげながら接近してくる。それは、《西風亭》の主人であるサムスであった。
「サ、サムス? いったい、どうされたのですか?」
「どうされたもへったくれもあるか! お前ら、うちの娘をたぶらかしやがって……最初から、そんな目論見でうちの宿に近づきやがったのか!?」
サムスは、顔を真っ赤にして激怒していた。
もともとは荒事を生業にしていた、強面のご主人なのである。屋台に並んでいた人々は、眉をひそめながらサムスを遠巻きにしていた。
「……それは、ユーミとジョウ=ランの一件ですね? お話は、ジョウ=ランの血族であるわたしがうかがいます」
と、俺が呆気に取られている間に、ユン=スドラが声をあげていた。
サムスのめらめらと燃える目が、射抜くようにそちらをにらみつける。
「おお、説明してもらおうじゃねえか! うちの大事な一人娘を森辺にかっさらおうたあ、いったいどういう了見なんだ!?」
「あの、すぐそちらに参りますので、どうかお気を静めてください。これでは、衛兵を呼ばれてしまいます」
「衛兵なんざ、知ったことか! 俺がそんなもんにびくつくと思ったら、大間違いだぞ!」
すると、新たな人影が風のように忍び寄ってきて、その勢いのままにサムスの後頭部をひっぱたいた。
「この馬鹿親父! 先走るのもいいかげんにしなよ! こんな往来で馬鹿でかい声をあげて、どういうつもりさ!」
当然というか何というか、それはつい半刻ほど前に姿を消したユーミであった。
サムスはそちらを振り返り、いっそうの怒声を響かせる。
「誰のせいで、でかい声を出してると思ってやがる! そもそもは、手前が全部悪いんじゃねえか!」
「だったら、あたしに怒鳴りゃいいだろ! 森辺の人らに迷惑かけるんじゃないよ!」
「そうはいくか! こいつらにだって、きっちりけじめはつけてもらうからな!」
「あの! お願いですから、もう少し穏便にお願いいたします!」
ユン=スドラの声まで入り混じり、その場にはいっそうの喧騒が満ちることになった。
かくして、俺たちはフォウ家の祝宴を迎える前に、《西風亭》の人々と相互理解を果たすべく、尽力することになったわけである。