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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
611/1675

白の月の二日④~祝宴~

2018.6/11 更新分 1/2

 フォウの女衆が中心となってこしらえた『ギバの角煮』を堪能してから次のかまどに向かうと、その手前でひときわ盛り上がっている一団がいた。かまどの横に敷かれた敷物の上で、ぞんぶんに果実酒を酌み交わしている。それは、ダン=ルティムやラッド=リッドやラッツの家長を含む一団であった。


「どうも。ダン=ルティムたちは、こちらにいらしたのですね」


「おお、アスタにアイ=ファではないか! そちらは今日も、かまどを巡っているのか? 俺たちは、この場で客人との絆を深めさせていただいているぞ!」


 確かにその場には、建築屋のメンバーも5名ほど加わっていた。これはたしか、オウラ=ルティムたちが案内役を任されていた班である。


(なるほど。こちらは腰を落ち着けて料理を楽しむ、ルティムの流儀にならったということだな)


 オウラ=ルティムやラッツとミームの女衆、それにおそらくはミームの男衆と思しき若き狩人もその輪に加わっている。では、ツヴァイ=ルティムはどこにいったのかと視線を巡らせかけた俺は、ダン=ルティムの巨体の陰で木皿の中身をすすっている小さな人影を発見した。


「あ、ツヴァイ=ルティムはそこにいたのか。うわあ、何だか見違えたね」


「やかましいヨ。まったく、どいつもこいつも、何だってのサ」


 ツヴァイ=ルティムは、下唇を突き出しながら、文句を言った。

 そんな表情をするのがもったいないぐらい、今日のツヴァイ=ルティムは可愛らしい姿をしている。あの、いつもきゅうきゅうに引っ詰めている髪を下ろして、たくさんの髪飾りをつけられていたのだ。


「こやつはいっこうに飾り物を買ってこようとしないので、アマ・ミンのものを借りつけてきたのだ! なかなか似合っているであろう?」


「ええ、本当ですね。とても可愛らしいと思います」


 すると、アイ=ファが小声で「おい」と言いたててきた。


「言葉を間違えるのではないぞ、アスタ。ツヴァイ=ルティムとて、10歳を超えた女衆であるのだからな」


「え? ああ、そうか。ごめんごめん、うっかりしてたよ」


 女衆の外見を迂闊に褒めそやすのは、森辺において禁忌であるのだった。たぶんそれは、求愛行動に類する行為になってしまうのだ。「似合う」はよくても、「可愛らしい」は不適切であるのだろう。

 ただし、ツヴァイ=ルティム本人は知らん顔で、木皿の中身をすすっている。すると、建築屋のひとりがおやっさんたちに「よお」と呼びかけてきた。


「おやっさんたちは、そこの料理をもう食べたのかい? これも宿場町では見かけない、たいそう珍しい料理だったぞ!」


「そうなのか。それじゃあ、さっそくいただこう」


 アルダスにうながされて、俺たちはかまどのほうに回り込んだ。

 そこで待ちかまえていたのは、レイナ=ルウを筆頭とするルウの血族のかまど番たちである。シーラ=ルウにヴィナ=ルウと、レイ、ミン、ムファの女衆まで勢ぞろいしている。


「おお、ルウ家の娘さんたちか。ここでは、どんな料理を出しているんだ?」


「はい。こちらは城下町で売られている『黒フワノのそば』という料理です。アスタの屋台で出されている、ぱすたと似た料理ですね」


 そんな風に答えながら、レイナ=ルウが鉄鍋の中に具材を投じ入れた。

 とたんに、油の弾けるパチパチという音色が響きわたる。


「へえ、そっちは揚げ物か。フワノの料理と揚げ物を一緒に食うのか?」


「はい。こちらは、てんぷらという料理です。どちらも宿場町では売られていない料理ですので、よろしければどうぞ」


「もちろんだよ! 是非、食べさせてくれ!」


 レイナ=ルウとシーラ=ルウがふたつの鉄鍋で天ぷらを揚げている間に、ヴィナ=ルウたちがそばを茹でている。本日は、冷たいつけそばではなく、温かいかけそばであるのだ。なかなか手間のかかる料理であるために、6人がかりで取り組んでいるのだろう。


「それにしても、黒フワノっていうのは聞いたことがないな。城下町でしか売られていないフワノなのか?」


「いえ。宿場町でも注文をすれば買いつけることはできるのですが、普通のフワノよりも値が張るために、ほとんど買い手がつかないようです。ポイタンであればいっそう安く済むので、なおさら高値に感じてしまうのでしょうね」


「ああ、なるほど。ジャガルでも黒フワノなんてのは聞いたことがないから、こいつはいい土産話になりそうだ」


 レイナ=ルウもそのように考えたからこそ、これほど手のかかる料理をお披露目することにしたのだろう。簡易型かまどで揚げ物の火力を維持するのも、けっこう大変な作業であるのだ。


 それに、海草と干し魚の出汁というのも、これまた値が張るために、なかなか宿場町では口にできる機会の少ない食材である。それでいて、味のメインはタウ油であるから、南の民であれば抵抗なく口にすることができるだろう。レイナ=ルウはさまざまな観点から鑑みて、この料理を宴料理に選出したのだった。


 じきにそばが茹であがると、木皿に注がれた熱いつゆの中に投じ入れられる。さすがに冷水でしめる手間ははぶいた、釜揚げそばの作法である。それらの木皿が客人がたの手に行き渡ると、鉄鍋の面倒を見ていたレイナ=ルウがまた笑顔で人々を見回した。


「てんぷらは、手前のほうからお取りください。揚げたばかりのてんぷらは、油が落ちるのを待たなくてはいけませんので」


「へえ、何だか色々な具材が準備されてるみたいだな。ギバの肉は、こっちで使っているんだろう?」


「はい。ですが、どのてんぷらも美味だと思います」


 森辺において、あまり天ぷらが主流にならなかったのは、ギバ肉が主体でないためであった。そのために、ギバ肉の使い道の多いパスタのほうが、もてはやされることになったのだ。


 しかし、ジャガルの人々であれば、ギバ肉にこだわることもない。それに、ギバ肉の使い道に関しても、俺たちは勉強会で研鑽を重ねていた。レイナ=ルウは、その成果をここでお披露目しているのだ。


「さあ、どうぞ。アスタやアイ=ファもお食べください」


「うん、ありがとう。どれを食べるか迷ってしまうね」


 天ぷらは、6種類が準備されていた。

 品目は、タケノコのごときチャムチャムと、ズッキーニのごときチャン、シイタケモドキとブナシメジモドキ、そしてかき揚げとギバ肉だ。


 かき揚げには、タマネギのごときアリアとニンジンのごときネェノン、それにアマエビのごときマロールの身が使われていた。

 はっきり言って、これひとつでも『黒フワノのそば』を完食できるぐらい、充実した内容である。森辺ではあまり食べる機会のないマロールの味わいと、熱が通ってやわらかくなったアリアおよびネェノンの食感が、さくさくとした衣の中で素晴らしい調和を果たしている。


 しかしそれでも、メインはあくまでギバ肉なのだろう。

 以前に城下町でお披露目したときは、薄く切ったバラ肉でタラパと乾酪を包み込むという風変わりな手法を取っていたが、今回はバラ肉そのものに味付けをほどこしていた。天ぷらに合うギバ肉の味付けというものを、俺たちはこつこつ研究していたのだ。


 その結果として採用されたのは、やはり和風の味付けであった。タウ油と砂糖、ニャッタの蒸留酒をベースにして、隠し味にはほんの少しのケルの根とホボイの実を使っている。それらの調味料で下味をつけた小間切れのギバ肉を、きゅっと小さく丸めて、天ぷらのタネに仕上げたのである。


 ふっくらとしたフワノの衣を噛み破ると、小間切れのギバ肉がほどけて豊かな旨みを口の中に広げてくれる。こちらも天ぷらの具材としてはかなり味が強いので、そばが進んでしかたがなかった。


「いやあ、こいつは美味いな! これだけで腹いっぱい食いたいぐらいだよ!」


 メイトンが大きな声でそう述べたてると、レイナ=ルウは「ありがとうございます」と微笑んだ。


「ひとり2杯は食べられるぐらいの量を準備していますので、よかったらまた後でお食べになってください」


「そいつはありがたいな! それじゃあ、こっちの茸なんかも、後でいただくことにしよう。いやあ、俺は茸が好物なんで、ジェノスでも食べられるようになったのが嬉しいよ!」


 ジェノスで売られている茸は、のきなみジャガル産であるのだ。他の建築屋の人々も、みんな笑顔で『黒フワノのそば』をすすっていた。汁物としての麺類は初めての体験であろうが、パスタであればさんざん屋台で食していたので、何とか滞りなく食せている様子である。


「揚げ物だと交代できる相手が少なくて大変だね。レイナ=ルウとシーラ=ルウは、なかなかここを離れられないんじゃないの?」


 俺がこっそり呼びかけると、レイナ=ルウは「いいのです」と微笑んだ。


「今日のわたしたちの役割は、美味なる料理でジャガルの客人をもてなすことだと考えています。わたしやシーラ=ルウはリミやララほど言葉が巧みではないので、こうしているほうが絆を深められるような気がするのです」


「レイナ=ルウとシーラ=ルウなら、言葉を交わすだけで十分に絆を深められると思うけど……でも、その心がけは、立派だね」


「ありがとうございます」と、レイナ=ルウはいっそう嬉しげに目を細める。シーラ=ルウも、そのかたわらで静かに微笑んでくれていた。


「よし、それじゃあ次のかまどだな! ルウ家の娘さんがた、また後でな!」


「はい。どうぞ祝宴をお楽しみください」


 次なるかまどを目指しつつ、アルダスたちはすっかり上機嫌であった。行く先々で新しい果実酒の土瓶を取り、もう何本目なのかも数えられないほどだ。

 ちなみに建築屋の面々は、手土産と称して果実酒を樽ごと持ち込んでくれていた。昨年は、俺個人に高価な蒸留酒を準備してくれていたが、今回は森辺のみんなに感謝の念を示すべく、そのように取り計らってくれたのである。


「いやあ、本当に、何を食べても美味くてたまらないなあ。屋台の料理も十分に美味いのに、それ以上だと思えてならないよ」


「屋台の料理では、あまり高値の食材が使えませんからね。それでもみなさんに喜んでいただけるように、いつも頭を悩ませているのですけれども」


「十分に喜んでるよ! ただ、この祝宴の料理はそれ以上ってことさ! 明日からは干し肉をかじる日が続くのかと思うと、泣けてくるね!」


 そのように述べながら、アルダスたちは満面の笑みである。

 おやっさんは仏頂面であるものの、さきほどからしきりに視線を巡らせている。料理ばかりでなく、この広場に満ちみちた熱気や賑わいを満喫しているのだろう。


 総人数の4分の1までもが町からの客人であっても、やはり森辺の祝宴の勢いに変わりはない。轟々と燃える儀式の火を取り囲み、誰もが生の喜びを謳歌していた。

 それにまた、ジャガルの人々も元気さでは森辺の民に負けていないのだ。野生のごとき生命力というのは森辺の民独自のものであったとしても、感情を隠さないことを美徳とする南の民は、心からの喜びをぞんぶんにさらけ出してくれていた。


 そんな中、ちょっと毛色の違う賑やかさが、前方から伝わってくる。

 見ると、次のかまどの手前で、人だかりができていた。森辺の男女たちが、いくぶん興を削がれた面持ちで、中央の騒ぎを見守っている様子である。

 その人垣にとてもよく見知っている顔を見つけた俺は、急ぎ足でそちらに近づいていった。


「ルド=ルウ、いったい何の騒ぎだい?」


「よー、アスタ。なんか、客人同士でもめ始めちまってさ。よかったら、アスタが面倒を見てやってくれよ」


 ルド=ルウのかたわらにはリミ=ルウと、それにラウ=レイとヤミル=レイの姿もあった。リミ=ルウは心配げな面持ちで眉を下げており、ラウ=レイは愉快げな笑顔、ヤミル=レイは普段通りのポーカーフェイスだ。


 輪の中心にいたのは、ディアルとラービスであった。

 ディアルがラービスに向かって、怒声を叩きつけていたのである。


「もう、ラービスの意地っ張り! どうしてラービスは、そんなに石頭なのさ!」


「……もって生まれた気性ですので、如何ともし難く思います。自分のことなどは気にせず、ディアル様は祝宴をお楽しみください」


「だーかーらー! ラービスがそんなだったら僕だって楽しめないし、そもそも森辺の人たちに失礼でしょ!?」


 ラービスのほうは、常と変わらぬ仏頂面であった。

 俺はアイ=ファをともないつつ、輪の中心へと歩を進める。


「やあ、どうしたんだい、ディアル? いったい何を騒いでいるのかな?」


「あ、アスタ、聞いてよ! ラービスがさ、せっかくの祝宴だってのに、ひとつも料理を食べようとしないんだよ!」


 ディアルはエメラルドグリーンの瞳に怒りの火をたたえながら、地団駄を踏んでいた。


「ここまで来てギバの料理を食べないなんて、そんなの失礼じゃん! それなのに、ラービスったら――」


「わたしの仕事は、あくまでディアル様をお守りすることです。食事などは、仕事の後に済ませれば十分かと思います」


「宴の後に、どうやって食事をするのさ!? 宿だって、とっくに厨の火は落としちゃってるよ!」


「ならば、持参した干し肉で済ますのみです」


 ディアルはいよいよ物騒な面持ちになりながら、ラービスに詰め寄ろうとした。

 そこに、アイ=ファが「まあ待て」と声をかける。


「何もそこまで騒ぎたてるような話ではあるまい。それよりも、祝宴の場で怒声をあげているお前のほうが、よほど礼儀を欠いているとは思わんか?」


「えーっ! ラービスじゃなくって、僕のほうがおかしいっての? そんなの、納得できないよ!」


「何につけ、お前は声が大きすぎるのだ。そして、怒ると周囲のことが目に入らなくなるようだな。お前が騒げば騒ぐほど、事態は悪くなるのだとは思わんか?」


 アイ=ファがしなやかな腕で周囲を指し示してみせる。

 それにつられて視線を動かしたディアルは、怒り顔のまま、がりがりと頭を掻いた。


「えーと……お騒がせしちゃったんなら、ごめんなさい。僕たちのことは気にせずに、宴を楽しんでおくれよ。こっちのことは、こっちで片付けるからさ」


「そうですね。後は俺が見届けますので、みなさんは祝宴を楽しんでください。ジャガルのお客人は他にもたくさんいらっしゃいますので、そちらのお相手をお願いいたします」


 いちおう本日は俺が取り仕切り役であったためか、多くの人々がその言葉に従ってくれた。

 居残ったのは、ルド=ルウたち4名と、おやっさんたち5名である。その中で、ひとり笑顔であったラウ=レイが発言した。


「それにしても、たいそうな剣幕だったな。森辺でも、お前ほど声の大きな女衆はなかなかいないように思うぞ、客人よ」


「うん、ごめんなさい。あなたたちも、祝宴を楽しんでよ」


「しかし、お前たちの案内をしていたのは、俺たちだからな。アスタにすべてを押しつけてしまうのは、あまりに不義理というものだ。本当に騒ぎが収まるのかどうか、この場で見届けさせてもらおう」


 どうやらラウ=レイたち4名が、ディアルおよびラービスの案内をしていたらしい。ルド=ルウは、ディアルとラービスの姿を見比べながら、「うーん」と首をひねっていた。


「とにかくさ、そんなに大騒ぎするような話じゃねーと思うぞ? 料理を食べないって言い張るんなら、好きにさせりゃいいと思うしな」


「えー、どうして!? そんなの、失礼じゃない?」


「でも、そいつは護衛役だってんだろ? 俺たちだって、護衛役として城下町とかに行ったときは、何も食わずに帰ることはあるしな。ほら、あんたも参加してた茶会とかでも、そうだったろ?」


「だけど、それは貴婦人のお茶会だったから……ラービスがこの場で何も食べないのは、ギバ料理を嫌がってるみたいで、失礼じゃん!」


「その客人は、ギバ料理を嫌がってんのか? そうだとしても、別にかまわねーけどよ」


「どうしてかまわないのさ! これは、森辺の民と南の民が絆を深めるための祝宴なんでしょ!?」


「だからって、客人に無理やり食わせることなんてできねーよ。あんたが絆を深めてくれれば、それでひとまずは十分なんじゃねーの?」


 こういう部分は、意外にドライなルド=ルウである。情感豊かな少年ではあるものの、人は人、我は我、という意識がわりあいに強いのだ。

 そしてそれは、アイ=ファやラウ=レイも同様であるようだった。もしかしたら、護衛役には護衛役としてのつとめがある、というラービスの言葉に同調しているのかもしれない。リミ=ルウは、「どうしよう?」と言わんばかりの眼差しを俺に向けてきている。


 しかし、俺が口を開くよりも、先に発言する者があった。

 誰あろう、バランのおやっさんである。


「なるほど、だいたいのいきさつはわかった。だったら、俺が口出しをさせてもらおう」


 そう言って、おやっさんは強い眼光をディアルとラービスに差し向けた。


「ゼランドのディアルよ。これまで名前も知らなかったお前さんに参席を許したのは、俺たちだ。これはもともと俺たちが森辺の民と取りつけた約束であり、お前さんたちは後から割り込んできた身だということはわきまえているな?」


「うん、もちろんだよ。こんな騒ぎを起こしてしまって、ごめんなさい」


「謝られても、容認できん話はある。少なくとも、俺はギバの料理を嫌うような人間に、この場にいてほしくはない。護衛役だの何だのという話など、俺の知ったことではないからな」


 おやっさんの目に、ますます強い光が灯った。


「そもそも、お前さんがギバ料理を嫌っているなどという話を最初から聞かされていれば、俺が参席を許すことはなかった。お前さんには、この場から出ていってもらおう」


「……わたしは特別にギバ料理を嫌っているわけではありません。ただ、仕事の最中に食事をするべきではないと考えているだけです」


「だから、お前さんの仕事のことなど、知ったことではないと言っているだろうが? そこのディアルの言う通り、このような場で料理を食べようとしない礼儀知らずに、参席を許すことはできん、と言っているのだ」


「……ディアル様だけをこの場に残して、出ていくことはできません」


「ならば、お前さんも出ていけ」


 おやっさんの目が、ディアルのほうに向けられた。

 一瞬、身体をのけぞらしてから、ディアルは「うん」と大きくうなずいた。


「わかったよ、ネルウィアのバラン。やっぱり、それが筋ってもんだよね」


「その通りだ。そんな頑固者をこの場に連れてきたのは、お前さんの責任なのだからな」


「うん」と、ディアルはまたうなずいた。

 ラービスは、眉をひそめてそちらを振り返る。


「何を仰っているのですか、ディアル様。ここから徒歩で町に下りることなど、できようはずもありません」


「できなくても、するんだよ。途中でギバに襲われたら、それが南方神の御心ってことさ」


 ディアルはおやっさんに負けないほどの、強い眼光をたたえていた。


「僕とラービスは、おたがいに気持ちを見誤っていたようだね。危険な道を進まなくてはならなくなったのは、その報いだよ。無事に町まで辿り着けるように、父なる南方神に祈るとしよう」


「そのような話は、とうてい受け入れられません。ディアル様を無用な危険にさらすわけには――」


「だったら、お前さんも客人として宴を楽しめ。それが、そんなに難しいことか?」


 おやっさんが、ぶっきらぼうな声でラービスの言葉をさえぎった。


「護衛役として酒を楽しむことはできんというのは、まだわかる。しかし、食事を口にしない理由にはなるまい。そういうところが、礼儀知らずだと言っているのだ」


「いや、しかし――」


「しかしではない。客人として宴を楽しむか、主人とふたりでこの場を出ていくか、道はふたつにひとつだ。無理に町まで下らんでも、その辺りの家で大人しくしていれば、帰りは俺たちの荷車に乗せてやろう」


「そんなの駄目だよ。これ以上、あなたや森辺の人たちに迷惑をかけることはできないからね」


 ディアルが強い口調で、そう述べたてた。


「行こうよ、ラービス。僕も君も同じぐらい馬鹿だったんだから、何が起きたって恨みっこなしだ。銅貨を払って、誰かに燭台でも売ってもらおう」


 ラービスもまた、食い入るようにディアルを見つめ返した。

 ディアルが本気であるのかどうか、見定めようと考えているのだろうか。しかし、俺の知る限り、ディアルは心にもないことを口に出すような気性ではないはずだった。

 そうしてたっぷり10秒間は押し黙ってから、ラービスは分厚い肩をがっくりと落とした。


「……わたしがこの場で料理を食べれば、思い留まっていただけるのですか?」


「料理を食べるだけじゃなくて、宴を楽しむんだよ。僕はこれで、やっとラービスもアスタたちと仲良くなれるかもって、すっごく楽しみにしてたんだからね!」


 ディアルの目に、じんわりと涙が浮かんでいた。

 ラービスは、困り果てたように顔をしかめている。


「わかりました。わたしもわたしなりに礼儀を尽くすとお約束しますので……どうかお泣きにならないでください」


「泣いてなんかいないよ! ラービスの馬鹿!」


 ひときわ大きな声で言ってから、ディアルは手の甲で乱暴に目もとをぬぐった。

 そこに、新たな人影が近づいてくる。


「あ、あの、どうかされましたか? 新しい料理が焼きあがったのですが……」


 それは、大きな盆を掲げたトゥール=ディンであった。盆に乗せられているのは、ほかほかと湯気をたてているピザである。

 その後ろからは、リッドの女衆にザザ姉弟も追従してくる。どうやら石窯で仕上げた料理を運んできたところであるらしい。


「おお、こいつは美味そうだ! ジャガルの茸もどっさりだな!」


 その場にたちこめていた重苦しい空気を振り払うように、メイトンが大きな声をあげた。トゥール=ディンは、おずおずと微笑んでいる。


「はい。きのこというのはジャガルの食材だと聞きましたので、普段以上にたくさん使っています。よかったら、お食べになってください」


「ああ、もちろんさ。みんな、いただこうぜ!」


 メイトンを筆頭に、建築屋の人々が熱々のピザをつまみあげた。

 おやっさんは、ラービスのことをじろりとにらみつけている。


「新しい料理が届いたようだぞ。お前さんは、どうするのだ?」


 ラービスは眉間に深い皺を刻んだまま、トゥール=ディンのほうに近づいてきた。

 そこからピザをふた切れつまみ上げると、その片方をディアルに差し出す。


 ディアルは涙目でそれを受け取りつつ、ラービスの顔をじっと見上げた。

 ラービスは、無言でピザをかじり取る。

 とたんに、その目がくわっと見開かれた。


「あ、あつ、熱いです」


「……馬鹿だなあ。持ってるだけでこんなに熱いんだから、溶けた乾酪はもっと熱いに決まってるじゃん」


 ディアルはちょっと照れくさそうな面持ちで、ようやく微笑んだ。


「でも、美味しいでしょ? 見るからに美味しそうな料理だもんね」


「あ、熱くて、まだよくわかりません」


 そんなふたりのやり取りを見守ってから、おやっさんもピザを取り上げた。具材はアリアとギバ・ベーコン、それにブナシメジモドキとマッシュルームモドキがふんだんに使われており、味付けはタウ油がベースの照り焼きソースとマヨネーズだ。さらにはカロンの乾酪もトッピングされている、贅沢に仕上げた新型のピザである。


「うむ、美味いな。こいつも実に見事な料理だ」


「あ、ありがとうございます。あちらの台に置いておきますので、ご自由にお食べください」


 そうしてトゥール=ディンが通りすぎていくと、残りの3名もそれに続いた。ゲオル=ザザまでもが両手に盆を掲げているのが、なかなかに微笑ましい。


「くそ。どうして俺が、荷運びなどせねばならんのだ?」


「文句を言わずに、運びなさい。ずっとトゥール=ディンにまとわりついていたのだから、これぐらいの仕事を果たしてもおかしくはないはずです」


「お、俺は族長の代わりに、血族の仕事を見守っていただけだぞ!」


 リッドの女衆は、くすくすと笑っている。こういう光景も、彼女にはお馴染みであるのだろうか。

 ともあれ、その一団が通りすぎてくと、ラービスの手を引いたディアルがおやっさんに近づいてきた。


「バラン、どうもありがとう。それに、あれこれ迷惑をかけちゃって、ごめんなさい」


「ふん。騒ぎが収まったのなら、ことさら謝るような話ではない。詫びたいのなら、アスタに詫びておけ」


「いや、丸く収まったのなら、何よりだよ。……ラービスに関しても、俺の配慮が足りなかったのでしょう。俺もあなたと絆を深められることを楽しみにしていたので、事前に少しでもお話ししておくべきでした」


 ラービズは、ふてくされたような仏頂面である。しかし、普段よりは人間くさい表情であるように思えた。


「よかったら、この後もご一緒しましょう。ルド=ルウたちも、それでいいよね?」


「あー。それじゃあ、かれーを食いに行こうぜー。さっきから、あの匂いが気になってしかたがなかったんだよ」


 ルド=ルウは、何事もなかったかのように笑っている。リミ=ルウもようやく笑顔になって、アイ=ファのしなやかな腰にまとわりついた。


「リミも、かれー食べたい! アイ=ファ、一緒に行こう?」


「うむ。かれーは、あちらのかまどか」


 ピザに群がる人々を横目に歩を進めると、カレーの香りがいよいよ強まってきた。

 配膳を担当しているのは、フォウの女衆である。作りあげたのはユン=スドラの班であったが、難しい作業ではないので彼女たちが受け持つことになったのだ。


「ちょうど敷物が空いていますね。だいたい広場は一周できたと思うので、そろそろ腰を落ち着けますか?」


「ああ、そうだな。腰を据えて、果実酒もいただくか!」


 客人と男衆は先に座っていただき、残りのメンバーが食事を受け取ることにした。

 そうして木皿を運んでいくと、アルダスが「あれ?」と目を丸くする。


「ポイタンはないのか? こいつは好きな料理だが、ポイタンがないと食べにくいだろう」


「これは、ポイタン抜きでも食べやすいように細工をしてあります。底のほうまでさらって、お召し上がりください」


 自分も腰を下ろしつつ、俺はそのように説明してみせた。

 首を傾げながら木匙を差し込んだアルダスは「おお」と声をあげる。


「何だこりゃ。下には、タウの実がびっしりだな!」


「はい。タウの実にカレーをからめて食べてみてください。そうすれば、ポイタンはいらないと思います」


 タウ油の原料でもあるタウの実は、大豆に似た食材である。これは、適度に煮込んだタウの実をライスに見立てた『ギバ・カレー』であったのだった。

 本来であれば『カレー・シャスカ』をお披露目したいところであったのだが、あいにく祝宴で使えるほどの量を調達することはできなかった。ならばと、このような策を講じてみせたのだ。


 むろん、大豆のごときタウの実では、白米の代用たりえない。それでも、タウの実はジャガルの食材であるし、こんな食べ方も喜んでもらえるのではないかと頭をひねった結果であった。


 また、こちらのカレーにもブナシメジモドキとマッシュルームモドキをふんだんに使っている。定番のアリアやネェノンやチャッチはひかえめにして、俺なりのジャガル風カレーにこしらえたつもりであった。


「うん、ポイタンをつけて食べるのとは、またずいぶん気分が変わるもんだな。これも美味いよ、アスタ」


「ありがとうございます。喜んでいただけたのなら、何よりです」


 こっそり様子をうかがうと、ディアルは満面の笑みで『ギバ・カレー』を頬張っていた。そのかたわらでは、ラービスが初めて口にするカレーの味に目を白黒とさせている。彼には早く、『ギバの角煮』あたりのオーソドックスなギバ料理を味わってもらいたいものであった。


 しかし何にせよ、ルド=ルウにラウ=レイという陽気なコンビも加わったので、その場はずいぶんと盛り上がっていた。リミ=ルウやマトゥアの女衆もそこに華を添えており、アイ=ファとヤミル=レイは静かにそれらの様子を見守っている。


 そしてもうひとり、静かにしている人物がいた。

 俺の隣でかつかつと食事を進めている、バランのおやっさんである。


「いかがですか? タウ豆とカレーは相性もいいように思うのですが」


「ふん。お前さんたちがぞんぶんに頭をひねってくれたのだから、不出来なわけがあるまい」


 おやっさんは、低い声でそう言った。


「どの料理を口にしても、お前さんがたがどれだけ心を尽くしてくれたかが感じられる。骨組みを建てるぐらいでは、とうてい返しきれんだろうな」


「そんなことはありません。おやっさんたちに喜んでいただけたら、それでもう十分です」


 おやっさんは食べかけの木皿を置いて、果実酒の土瓶を手に取った。

 それをぐびぐびとあおってから、俺の顔をにらみつけてくる。


「……お前さんは、やっぱり酒を飲まんのか?」


「あ、はい。お酒を楽しむのは、20歳になってからと決めましたので……不調法で、申し訳ありません」


「……それでお前さんは、18歳になったという話だったな。酒が飲めるようになるのは、2年後か」


 おやっさんの緑色をした目が、間近から俺を見つめてくる。

 その目の光が、ふっと優しげにやわらかくなった。


「さっきのアルダスたちの言葉ではないが、来年もその次の年も、俺たちはジェノスにやってくる。俺は足腰が立たなくなるまで、この仕事をやめる気はないからな」


「はい。俺もそれを、心からありがたく思っています」


「心からありがたく、か……それは、こちらの台詞だな」


 おやっさんの拳が、俺の胸をどんと突いてきた。

 俺よりも小柄であるのに、俺よりも大きくて、力強い拳だ。


「この1年で、お前さんは見違えるほど、たくましくなった。来年には、いっそうたくましくなっていることだろう。俺は、何だか……家を出た息子の成長でも見守っているような心地だ」


 そう言って、おやっさんは口もとをほころばせた。

 おやっさんが滅多に見せることのない、笑顔である。


「来年も、次の年も、ジェノスにさえ来れば、お前さんと顔をあわせることができる。そんな愉快な運命を、西と南の神々に感謝するとしよう。……お前さんと酒を酌み交わせるようになる日を心待ちにしているぞ、アスタよ」


「はい……俺も、心待ちにしています」


 思わず俺は、声をうわずらせてしまった。

 しかし、このような場に涙は似合わないだろう。涙をこぼさないように気をつけながら、俺は精一杯の思いを込めて、笑ってみせた。

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