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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
610/1682

白の月の二日③~宴の始まり~

2018.6/10 更新分 1/1

・明日は2話更新です。読み飛ばしのないようにご注意ください。

 そうして太陽が没する頃には、フォウの集落にすべての参加者が集結していた。

 総勢は、22名の客人を含めて、86名である。それは、実に錚々たる顔ぶれであった。


 屋台の商売に参加しているかまど番たちと、その付き添いたる狩人たち、あとはこの場所を貸してくれたフォウの人々を合わせて、その人数だ。フォウの家人は若衆を合わせても18名であり、あとは客分のマイムを除けば、実に45名が異なる氏族の人間であるのだった。


 屋台に関わっている氏族は、ルウ、ルティム、レイ、ミン、ムファ、ファ、スドラ、ガズ、マトゥア、ラッツ、ミーム、ベイム、ダゴラ、ラヴィッツ、ナハム、ディン、リッド。それに、族長筋からザザとサウティが加わって、なんと19の氏族が集ったことになり、フォウの家も加えれば、20の氏族だ。家長会議を除けば、これほどさまざまな氏族の人間が一同に会するのも初めてであるはずだった。


 そんな大がかりな祝宴であるためか、付き添いとして参上した狩人の中には、本家の家長の姿も多数、見受けられた。俺がよく知る相手としては、ダリ=サウティ、ラウ=レイ、ラッド=リッド、デイ=ラヴィッツ、ベイムの家長、ラッツの家長、という顔ぶれであった。それに、先代家長としては、ダン=ルティムも姿を現している。ルウ家から参上したのは、今回もジザ=ルウとルド=ルウだ。


(まあ、ダン=ルティムやラウ=レイやラッド=リッドなんかは、責任云々じゃなくて、純粋に祝宴を楽しみたいだけなのかもしれないけどな)


 理由はどうあれ、これは森辺の歴史に刻まれるような快挙であるはずだった。

 そして、そんな能書きなど関係なく、フォウの広場にはむせ返るような熱気と活力が満ちみちていた。


「今日はこれほどに多くの客人をフォウの集落に迎えることになり、とても喜ばしく思っている。……とはいえ、フォウの家は屋台の商売に手を貸すことができなかったので、この場を取り仕切る立場にはない。あとの挨拶は、ファの家のアスタに受け持ってもらおうと思う」


 儀式の火の前にたたずんだバードゥ=フォウが、よく通る声でそのように宣言した。

 そのかたわらに控えていた俺は、大いなる緊張感とともに、前に進み出る。


「ええと、俺のような若輩者が取り仕切り役を担うのは恐縮なのですが、最初に宿場町での商売を始めて、南の民の方々との縁を結んだ人間としての責任を果たすために、ご挨拶をさせていただきます」


 言うまでもなく、俺がそのような役目を果たすのは、これが初めてのことであった。土台、かまど番というものは、あくまで裏方を担う立場なのである。


「昨年の、緑の月の終わり頃に、俺は屋台の商売を始めました。そうして屋台を開いた2日目に、建築屋の方々と縁を結ぶことになったのですね。それから青の月が終わるまでの1ヶ月、建築屋の方々は毎日、俺の屋台に通ってくれて……その間に、確かな絆を結んでいただくことがかないました」


 最前列に立ち並んだ建築屋の人々は、みんな笑顔で俺の言葉を聞いてくれていた。

 ただひとり、バランのおやっさんだけは仏頂面であったものの、いくぶん目をすがめて、ひどく真剣な眼差しを向けてくれている。


「それから1年が経って、再びジェノスにやってきた建築屋のみなさんは、祭祀堂とファの家を立て直す仕事を受け持ってくれました。そうして今日は、みなさんと祝宴をともにすることができて……心から嬉しく思うと同時に、この祝宴でいっそう絆を深められるように願っています」


 あまり長々と喋っていると、俺は涙腺が緩んでしまいそうだった。

 それにみんな、祝宴の開始を待ちわびているのだ。その期待に応えるべく、俺はしめくくりの言葉を発することにした。


「仕事を取り仕切っている7名の方々は、明日にはジェノスを出立することになっていますが、また来年、おたがいに元気な姿を見せられるように、それぞれの神に祈りましょう。あと、今日は普段からお世話になっている鉄具屋の方々もお招きしていますので、そちらも分けへだてなく、絆を深められたらと思っています。それでは……西と南の友誼に!」


「西と南の友誼に!」という言葉とともに、果実酒の土瓶が振り上げられた。

 乾杯の言葉に関してはさんざん頭を悩ませたのだが、ここは森辺の民ではなく西の民として振る舞うべきであろう、というダリ=サウティの助言もあって、この言葉が選出されたのであった。


 ともあれ、祝宴の開始である。

 果実酒を酌み交わしているおやっさんたちのほうに移動しようとすると、どこからか音もなく忍び寄ってきたアイ=ファが、ぴたりと俺に寄り添ってきた。


「アスタよ、今日は南の民たちと行動をともにするのだな?」


「うん。配膳の仕事は、他の人たちが受け持ってくれたよ。俺はこの祝宴の取り仕切り役だから、おやっさんたちをもてなす仕事を受け持つべきなんだってさ」


「そうか」とうなずくアイ=ファは、きらめくような宴衣装の姿であった。

 その金褐色の長い髪には、かつてティアが倒壊した家屋から持ち出してくれた透明の花の髪飾りも輝いている。その姿にうっとりと見惚れそうになりながら、俺はアイ=ファとともにおやっさんたちのもとに近づいていった。


「みなさん、今日は本当にお疲れ様でした。祭祀堂の骨組みも無事に完成したとのことで、何よりです」


「よお、アスタ! 幕を張らないことにはどうにもならないが、それでも立派な骨組みに仕上がったと思うぞ! ひまがあったら、アスタも見てやってくれ!」


 土瓶を掲げたアルダスが、真っ先に返事をしてくれる。そちらに向かって、俺は「はい」と笑顔を返してみせた。


「明日は仕事も休みなので、スンの集落まで拝見しに行こうと考えています。でも、まずは祝宴ですね」


「ああ、もう腹ぺこで腹ぺこでぶっ倒れちまいそうだよ! どんな料理を準備してくれたのか、楽しみにしているからな!」


 そのように述べてから、アルダスはきょとんと目を丸くした。


「あれ、そちらの娘さんは……もしかして、去年しょっちゅう屋台のほうにも顔を出していた、アスタの家の狩人さんかい?」


「はい。ファの家の家長、アイ=ファです。今年はあまり顔をあわせる機会もありませんでしたね」


 アイ=ファは、無言で目礼をしていた。

 とたんに、周囲の人々も感嘆の声をあげる。


「へえ、こいつは見違えたな! あんたが本当に、あの女狩人さんなのかい?」


「いやあ、もともと別嬪だとは思っていたが、こいつは驚かされたなあ。見ろよ、あのきらきらとした髪!」


「うーん。森辺の女衆ってのはシムの民みたいに浅黒くて、あんまり心を動かされることもなかったんだけど……ここまで別嬪だと、そうも言ってられねえなあ」


 当然のこと、アイ=ファは硬質的な無表情を保っていた。文句の声をあげなかったのは、客人に対するせめてもの配慮であったのだろう。

 アルダスは苦笑を浮かべつつ、賑やかな同胞たちを見回していった。


「おい、あんまり囃し立てるなよ。どんなに別嬪さんでも、森辺の狩人なんだからな。お前らなんぞ、片手でひねられちまうぞ?」


「何を言ってんだい。よりにもよって、アスタの大事なお人に悪さなんてするわけがねえだろう?」


「そうだよ。どんなに酔っ払ったって、そんな不義理な真似をするもんかい」


「でも、アスタたちはまだ婚儀もあげてないってんだろ? 子供でも産まれたら、お祝いさせてくれよな!」


 善意に満ちあふれた、人々の声である。

 もちろん、アイ=ファばかりでなく俺まで顔を赤くすることになったのは言うまでもなかった。


「えーと、あれ? ディアルたちはご一緒じゃなかったですか?」


「ああ。あの娘っ子なら、ルウ家の一番小さな娘さんが引っ張っていったよ。ずいぶん仲良さげな感じだったな」


 ディアルは4時間ばかりもあちこち見回っていたので、きっとリミ=ルウとも親睦を深めることがかなったのだろう。ディアルとは明日以降も顔をあわせることができるので、心置きなくリミ=ルウにおまかせすることができた。


(それに、リミ=ルウのそばにはルド=ルウもいるはずだ。いちおうラービスとルド=ルウは顔見知りのはずだから、初めて顔をあわせる狩人よりは交流を深めやすいだろう)


 そんな風に考えながら、俺はあらためて建築屋の面々に向きなおった。


「それじゃあ、みなさんは俺が案内しますね。ただ、全員だと人数が多いので……ああ、こっちだよ。どうもありがとうね」


「うん! あたしらも、お客人の案内をするからね!」


 それは、屋台の商売を受け持っている女衆たちであった。さまざまな氏族が入り乱れており、声をあげたのはララ=ルウである。

 配膳の仕事に関しては、なるべくフォウの人々が受け持って、屋台のメンバーは客人をもてなす仕事を果たすのだ。それでも、技術的な理由から、レイナ=ルウやトゥール=ディンといった主要メンバーは、かまどのほうを受け持ってくれていた。


「とりあえず、お客人も5人ずつぐらいに分かれてくれる? そしたら、あたしらがそれぞれ案内するからね!」


「あれ……お前さんは、あの赤毛の娘さんか。へえ、髪をおろしてるから、わからなかったよ」


「本当だな。こっちも別嬪さんだ」


 宴衣装に身を包んだララ=ルウは、ほっそりとした腰に手をあてながら、ジャガルの人々を見回していった。


「なんでもいいから、5人ずつに分かれてくれる? ぼやぼやしてると、森辺の男衆にせっかくの宴料理を食べ尽くされちゃうよ?」


「そいつはいけねえや。おおい、適当に班を作れ。この後も、森辺のみなさんがたに迷惑をかけるんじゃないぞ?」


 おやっさんが黙りこくっているために、さきほどから指示を出しているのは、ずっとアルダスであった。

 そんなアルダスとおやっさん、それにメイトンを含む5名の客人は、俺が案内を引き受けることになった。なおかつ、俺の補助役として、マトゥアの女衆が同行してくれるそうだ。


「それでは、参りましょう。いつも俺は、かまどを巡ってひと通りの料理を楽しむようにしているのですが、それでかまいませんか?」


「ああ、そいつは楽しそうだな。何にせよ、森辺の流儀に従うよ」


「これは森辺の流儀ではなく、俺の流儀なのですよね。本来の森辺の流儀ですと、取り仕切り役のみなさんは敷物で腰を落ち着けてもらい、あちこちから料理が運ばれてくるようになっていたと思います」


「腰を落ち着けるのは、ひと通りの料理を楽しんだ後で十分さ! とにかく、ギバ料理を楽しませてもらおう!」


 アルダスはがぶがぶと果実酒をあおっていたが、陽気なのは普段通りであるので、まだこれといった変化は見られなかった。

 メイトンたちも広場を練り歩きながら、とてもご満悦の様子である。ということで、俺はずっと静かにしているおやっさんへと声をかけることにした。


「おやっさん、大丈夫ですか? 何か意に沿わないことがあったら、ご遠慮なく言ってくださいね」


「うむ? どうしていちいち、そのようなことを述べたてるのだ?」


「いや、何だかお元気がないように見えたので……仕事でお疲れなのでしょうか?」


「馬鹿を抜かすな。これしきのことでへたばるような俺ではない」


 あくまでもむっつりとした面持ちで、おやっさんはそう言った。


「あえて言うなら、腹が減りすぎて胃袋がねじきれそうだ。とっとと料理を食わせるがいい」


「はい、もちろんです。こちらは、俺が受け持った料理ですね」


 もっとも手近なところにあった簡易型かまどに、ようやく到着した。

 そこで働いていたのは、リリ=ラヴィッツとマルフィラ=ナハムである。マルフィラ=ナハムはアイ=ファの姿を目にするなり、「ふわあ」とおかしな声をあげた。


「ア、ア、アイ=ファ、お、お美しい姿ですね。い、いったいどこの女衆かと、目を見張ってしまいました」


「……お前はかまど仕事を受け持っていたのだな、マルフィラ=ナハムよ」


「は、は、はい。わ、わたしは屋台を手伝っている人間の中で、もっとも客人がたと縁が薄いので、案内役は他の女衆に譲るべきだと考えました。そ、それに、わたしはなるべく、かまど仕事の修練を積みたいと願っていましたので。こ、この仕事の後に、みなさんの宴料理を口にできればと思っています」


 おどおどしているのに、能弁なマルフィラ=ナハムである。

 しかしそれも、アイ=ファの質問になるべく正確に答えようという気持ちのあらわれであるのだろう。アイ=ファは溜息をこらえているような表情で、客人がたのほうを指し示した。


「ならば、仕事を果たすがいい。客人らは、宴料理を心待ちにしていたのだ」


「は、は、はい。い、いますぐに」


 マルフィラ=ナハムは大あわてで、台の上の木皿をつかみ取った。そうして手際よく、鉄鍋の中身を木皿によそっていく。リリ=ラヴィッツもお地蔵様のように微笑みながら、同じ仕事に従事した。


 ちなみに、マルフィラ=ナハムも未婚の女衆であるのだが、宴衣装は纏っていない。親筋の家長たるデイ=ラヴィッツから、「必要なし」と諌められたのだそうだ。

 まあ、もともと森辺の女衆が着飾るのは婚儀の祝宴のみであったし、こういった場で着飾るようになったのは、ユーミの提案がきっかけであったのだ。宴衣装を強要するのもおかしな話であったので、デイ=ラヴィッツの言葉が退けられることにはならなかった。


(まあ、時間をかければ理解を深めることもできるだろう。祝宴に参加してくれただけでも、上出来だ)


 俺がそんなことを考えている間に、木皿は行き渡ったようだった。

 その中身を覗き込みながら、アルダスが「へえ」と感心したような声をあげている。


「こいつはなかなか、強烈な香りだな。屋台でも宿でも口にしたことのない料理みたいだ」


「はい。これは俺たちの、とっておきの宴料理なのですよ。ギバとキミュスの骨ガラを使った、汁物料理です」


 それはディアルが悲鳴をあげていた、お馴染みのギバ骨スープであった。半日をかけて煮込んだ骨ガラの出汁に、タウ油ベースのタレを配合した、6氏族の祝宴で定番の宴料理である。

 ただし今回、パスタは使用していない。具材はキャベツのごときティノと、ホウレンソウのごときナナール、モヤシのごときオンダ、そしてキクラゲのごときジャガルのキノコがメインであり、チャーシューすら準備していなかった。


「こちらに焼きポイタンも準備していますが、まずはそのままお食べください。まだ屋台や宿では出していないギバ料理も隠されていますので」


「ああ。見た感じ、ギバの肉が見当たらないもんな。どんな仕掛けがあるのか、楽しみだ」


 メイトンが笑いながら、木匙を木皿に差し入れた。

 その目が、不思議そうに丸くなる。


「うん? なんだか、ぐにゃぐにゃしたものが沈んでいるな。こいつが、アスタの仕掛けなのか?」


「はい。俺の故郷で、水餃子と呼ばれていた料理です」


 汁物料理に肉入りワンタンを使うのも、俺にとっては定番の手法であった。今回はそれをさらに一歩押し進めて、水餃子にチャレンジした次第である。

 ワンタンと同じように、フワノ粉をメインにしてもっちりとした皮を作製し、その中に、ギバの挽き肉とニラのごときペペの葉とティノのみじん切りを封入している。味付けは、塩とタウ油とピコの葉と、ニンニクのごときミャームー、ショウガのごときケルの根、ゴマ油のごときホボイ油だ。


 料理の主体は、あくまで水餃子となる。それをギバ骨スープと複合させることによって、普段のパスタ料理にも負けない宴料理に仕上げたつもりであった。


 メイトンやアルダスたちは、火傷をしないように口をはふはふとさせながら水餃子をかじっている。その顔が喜色に染まっていくさまを、俺はほっとしながら見守ることになった。


「こいつは美味いな! ギバ肉はもちろん、とにかく煮汁が美味い! ええと、ギバとキミュスの骨ガラを使っているんだっけ?」


「はい。これは半日も煮込まないといけないため、屋台では出すことができない料理なのです。だから、どうしてもみなさんにこの場で味わっていただきたかったのですね」


 俺は、そのように答えてみせた。


「あと、そちらのギバ料理のほうは、いずれ屋台で出そうと思っていた料理なのです。でも、青の月が終わるまでに間に合わなかったので、それもみなさんに食べていただきたいと思っていました」


「ずいぶん嬉しいことを言ってくれるじゃないか。それじゃあ、来年の喜びを先取りだな!」


「はい。ですがその料理は煮込むだけじゃなく、焼いたり揚げたりしても美味しい料理ですので、それは来年にお楽しみください」


 アルダスは大きくうなずきながら、無言のおやっさんを振り返った。


「どうだい? こいつも刻んだ肉を使った料理だけど、おやっさんにも文句はないだろう?」


「……だから、いちいち古い話を持ち出すなというのに」


 眉間に皺を寄せながら、おやっさんはがつがつと食事を進めている。食べる速度は、誰よりも速い様子である。

 そして、明るいグリーン色の目が、俺をじろりとねめつけてきた。


「お前さんは、見守っているだけなのか? そちらの娘などは、空きっ腹を抱えているように見えるぞ」


 振り返ると、マトゥアの女衆が顔を赤くしながら、「とんでもありません!」と手を振っていた。もちろん彼女も宴衣装であるので、普段以上に可愛らしい。


「ごめんね。俺たちもいただこう。同じ料理で同じ喜びを分かち合うのが、祝宴の正しい姿だろうからさ。……マルフィラ=ナハム、俺たちにも一杯ずつもらえるかな?」


「は、はい。しょ、少々お待ちください」


 俺とアイ=ファとマトゥアの女衆の手にも、無事に木皿が行き渡った。

 臭み取りをしてもなお強烈なギバ骨スープの香りが、鼻に抜けていく。もともと豚骨ラーメンを好む俺にとっては、たまらない香りである。


 乳化するまで煮込んだ骨ガラのスープは、とろりとしていて濃厚だ。そこにひたされていた水餃子を口に運ぶと、ぷりぷりとした食感の後に、肉汁がほとばしる。ペペやミャームーやケルの根にも負けないギバの肉の味が土台となって、きわめて満足のいく味わいであった。


「どうだい? 水餃子には、ギバ骨スープが合うだろう?」


 俺がこっそり呼びかけると、アイ=ファは「美味い」とうなずいた。

 きりりとした凛々しい面持ちであるが、その青い瞳にはやわらかい光が灯されている。それでまた、俺は大いなる充足感を抱くことができた。


「……ふん。そのようななりをしていると、まるきり普通の女衆だな」


 と、どこからともなく、聞き覚えのある声が響く。

 驚いて振り返ると、かまどの後ろからてらてらと照り輝く禿頭が出現した。


「あ、デイ=ラヴィッツ、こちらにいらしたのですね」


「血族のそばに控えるのは当然のことだ。これだけ数多くの見も知らぬ人間が押しかけた祝宴の中で、か弱き女衆から目を離すことはできまい」


 デイ=ラヴィッツはすでに、その額を皺だらけにしていた。最初から彼の存在に気づいていたらしいアイ=ファは、すました面持ちで目礼をしている。


「家長会議以来だな、デイ=ラヴィッツよ。お前が自ら祝宴に足を運んでくれたことを、私はとても喜ばしく思っている」


「ふん。このように大それた試みに、親筋の家長が参じぬわけにはいくまい。家長ならぬ家人をよこす氏族のほうが、どうかしているのだ」


 アルダスたちは、不思議そうにそのやりとりを見守っていた。


「よくわからんが、あんたはこの人らの家族なのかな? このふた月は、俺たちもすっかりお世話になっていたよ」


 デイ=ラヴィッツは、ひょっとこのような顔つきでアルダスたちの姿を見回していく。


「……南の民を客人として招くのは、家長会議で決められた行いなので、文句を述べたてるつもりはない。しかし、俺は同胞ならぬ人間と語るべき言葉は持ち合わせておらんぞ」


「そんな堅苦しく考える必要はないさ。よかったら、果実酒でも酌み交わそう」


 アルダスの言葉に、メイトンも「そうだよ」と声をあげる。


「俺の話した言葉は、もう森辺のみんなに伝わっているんだろう? これまでジャガルの民は、森辺に民にいわれなき怒りをぶつけていた。俺の祖父たちが犯した罪を贖うためにも、どうか絆を深めさせてほしい」


「……悪いが、この夜に酒を口にするつもりはない。俺の仕事は、女衆を無事に家まで連れ帰ることだからな」


 すると、アイ=ファが見かねたように口を開いた。


「申し訳ないが、このデイ=ラヴィッツは私に劣らぬ偏屈者であるのだ。絆を深めるのには、長き時間をかけていただきたく思う」


「誰が偏屈者だ。お前にだけは、言われる筋合いはないぞ」


「その言葉がすでに、お前の偏屈ぶりを表しているではないか」


 このやりとりに、アルダスが愉快そうな笑い声をあげた。


「何だ、森辺のお人らというのはみんな仲睦まじいと思っていたのだが、そうでもないんだな」


「うむ。ファの家とラヴィッツの家は、ただいま絆を深めているさなかであるのだ。見苦しい姿を客人に見せてしまい、申し訳なく思っている」


「何も申し訳なく思うことはないさ。ジャガルの民だって、王国の全員と仲良くやってるわけではないだろうからな」


「ああ。それに、出会ったばかりの人間がすぐに絆を深められるわけはないさ。俺はどれだけ長い時間がかかっても、森辺のお人らと絆を深めさせていただきたいと願っているよ」


 メイトンが、力のこもった声でそのように言いたてた。

 デイ=ラヴィッツは感じ入った様子もなく、「ふん」と鼻を鳴らしている。


「何にせよ、森辺の民は客人を歓迎すると決めた。俺などにはかまわずに、祝宴を楽しむがいい。……ああ待て、ファの家のアスタ。お前に、こいつを引き合わせておく」


 その言葉を合図に、また新たな人影が薄暗がりから現れた。

 180センチを超える長身で、妙に骨ばった体格をした、それは若い男衆であった。


「これは、ナハム本家の長兄だ。お前に預けた三姉の兄で、次代のナハムの家長となる男衆だな」


「ああ、マルフィラ=ナハムの……初めまして、ファの家のアスタです」


 ナハムの長兄は、ゆらゆらとした動きでうなずくばかりであった。

 淡い水色の瞳をしており、髪は北の民のような金色の巻き毛である。肉の薄い面長の顔には表情らしい表情も浮かべられておらず、ただ無機的な眼差しを俺に向けてくるばかりであった。


「お前が三姉の扱いを間違えれば、こいつがファの家を訪れることになる。もちろん親筋の家長として、俺も黙ってはおらんからな。そのつもりで仕事に励むことだ」


「はい、承知いたしました」


 いずれの氏族の女衆であっても、俺は最大限の敬意を払って仕事を任せようと心がけている。だから、デイ=ラヴィッツの言葉にも胸を張って応じることができた。

 そんな中、マルフィラ=ナハムは泡を食った様子で兄の姿を見上げている。


「に、に、兄さん、な、何も心配はいらないからね? ア、アスタはとても誠実で、お、お優しい人だから」


 それでもやっぱり、ナハムの長兄の無表情に変わりはない。

 なんというか、細身のモアイ像とでも評したくなるようなたたずまいであった。


「さて、みんなここの料理は食い終わったみたいだな。俺たちが陣取っていると他の人らが近づけないみたいだから、そろそろ移動しようか」


 と、アルダスがふいに陽気な声をあげた。

 俺も気を取り直して、「そうですね」とうなずいてみせる。


「それじゃあ、次のかまどに移動しましょう。デイ=ラヴィッツ、よかったらまた後でゆっくりお話をさせてください」


「ふん。俺の側には、もう用事などないぞ」


 俺はマルフィラ=ナハムとリリ=ラヴィッツにも声をかけてから、その場を離れることにした。

 歩きながら、アルダスはまだ楽しげに笑っている。


「あれはずいぶん、手ごわそうなお人らだな。ひと通りの料理を楽しんだら、俺もまたお相手をさせてもらいたいもんだ」


「ありがとうございます。お気を悪くさせませんでしたか?」


「こんなていどで気を悪くしたりはしないさ。ああいう正直なお人らを嫌う理由なんて、南の民は持ち合わせていないよ」


 そう言って、アルダスは豪快な笑い声を響かせた。


「それに、メイトンが言ってたのも、もっともだ。たったひと晩ですべての森辺のお人らと絆を深めようだなんて、虫のいい話さ。来年も、その次の年も、俺たちは何度だってジェノスにやってくるんだから、そのたびに絆を深めさせてもらおうと思うよ」


「ああ。俺も、同じ気持ちだよ」


 メイトンは、真剣そうな面持ちでうなずいていた。

 すると、ずっと静かにしていたおやっさんが、「ふん」と鼻を鳴らす。


「何でもかまわんが、まずは腹ごしらえだろうが? 俺はますます腹が減ってきてしまったぞ」


「違いない。お次はどんな料理で楽しませてくれるんだ?」


「はい。次のかまどは、たしか『ギバの角煮』ですね。ジェノスで過ごす最後の夜なのですから、こちらもぜひ召し上がってください」


 最初から思わぬ事態に見舞われてしまったものの、宴は始まったばかりである。

 おやっさんたちが満ち足りた気持ちで帰路を辿れるように、俺は心を尽くしてエスコートさせていただく所存であった。

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