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異世界料理道  作者: EDA
第三章 ルティムの祝宴
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④食肉加工(上)

2014.9/13 更新分 2/2

 それから数時間が経過して、中天の陽が斜めに傾きかけた頃――時ならぬ騒乱の気配が、かまどの間に急接近してきた。


 何だ何だと思っていると、換気のために開け放たれていた入り口から、小さな人影が飛び込んでくる。


「よお! 調子はどうだよ、かまど番!」


「うわあ、びっくりした! ……ル、ルド=ルウ、その姿はどうしたんだい?」


 それはまぎれもなく、森に向かったはずのルド=ルウであった。

 しかし、狩りに出かけた男衆が戻るのはもっと夕暮れ時が近づいてからのはずであるし、しかも、ルド=ルウは――全身が、赤い血にまみれてしまっていた。


 黄褐色の髪も、ギバのマントも、まだ少し線の細い顔も、腕も、足も、血みどろである。


 その血みどろの顔で、少年はにやりと笑った。

 瞳には、まだ狩人の火がくすぶっている。


「こいつは全部、ギバと他の人間の血だよ。俺が傷なんて負うもんか! 見当外れの心配してんじゃねーよ、かまど番」


「他の人間って……誰の?」


「分家のリャダ=ルウ。……ありゃあもう駄目かもしんねーな。ギバの角に足をぐっさり刺されちまった。たとえ生き永らえても、もう森には出られねーだろ」


 たぶん俺は、顔面蒼白になってしまっていたのだと思う。

 そんな俺を見て、またルド=ルウは獣のように笑う。


「だから、見当外れの心配してんじゃねーって言ってんだろ! あんたに頼まれた仕事とは関係ねーよ! 普段は群れねえギバどもが3頭まとめて突っ込んできて、それでリャダ=ルウはやられちまったんだ。俺も弓をへし折られて死にそうになったから、咽喉笛をこいつでかき切ってやった。即効でくたばってたから、あの肉は使いもんになんねーな」


「そうか……」としか答えようがない。

 見ると、ともに鉄鍋を煮立てていたサティ・レイ=ルウとララ=ルウは、ひどく静かな面持ちで家族の姿を見守っている。


 それは、ルド=ルウの無事を喜んでいるようでもあり、眷族の不幸を哀れんでいるようでもあり――何にせよ、俺なんかとは覚悟の違う、森辺の人間の力強さを感じさせる静けさだった。


 ルド=ルウは、血に濡れた頬を手の甲でぬぐいながら、「ふん!」と面白くもなさそうに笑う。


「ま、おかげでたっぷり牙と角は収穫できたけどな。リャダ=ルウを家に運ばなきゃいけねーから、5人だけ先に帰ってきた。……何だかなあ。確かに収穫の周期なんだけど、ギバの数が多すぎんよ! アスタ、ファの家はもうちょい北側だったよな? そっちの森は、最近どうなんだ?」


 ようやくかまど番からアスタに戻った。

 たぶん、けっこうな興奮状態にあったのだろう。獣の目をした狩人が、だんだんいつもの小生意気な少年の表情に変化していく。


「そ、そうだなあ。森の様子なんて俺にはわからないけど、確かにいきなり捕獲の頻度が上がってきた気はするね。えーと……この10日ぐらいで、もう4頭は仕留めてるはずだ」


「は?」


「え?」


「ファの家ってのは他に家族もいねーんだろ? たったひとりで10日で4頭って何の冗談だよ、アスタ?」


「うーん? 計算を間違えたかな? えーと、最初にルウの家から帰ってきて、その翌日からかまどを作り始めて――うん、12日か13日ぐらいかもしれない。で、4頭」


「一緒だよ!」


 凄い勢いで突っ込まれてしまった。

 だけど、かまどの完成した翌日から3頭連続で、その後に1頭追加、という計算なので、あんまり考え違いの起こしようがない。


「あんた、本気で言ってんのか? たったひとりじゃ囲い込みもできないんだから、罠にひっかかるやつを待つか、今日みたいに興奮したやつと出会い頭でぶつかるしか、狩る方法はないんだぜ? それで10日で4頭とか絶対無理だろ」


「いや、12、3日……」


「だから、一緒だっての! ……まさかあいつ、『贄狩り』でもしてんのか?」


 その少年のいつになく重々しい声の響きに、俺の心臓が不規則な動きをみせた。


「ル、ルド=ルウ? 何だいその『贄狩り』ってのは? それはまさか、森辺の禁忌とかじゃないんだろうね……?」


「いんや? 今どきじゃあ誰もやらねーような古いやり方ってだけのこったよ。気になるんなら、家長さまに直接聞いてみな」


 わかった。必ずそうさせてもらう。


 そのとき、サティ・レイ=ルウが落ち着いた声で「ルド=ルウ」と呼びかけた。


 ルド=ルウは、片眉を吊りあげてから、後方を振り返る。


「あれ? もう来たのかよ? リャダ=ルウはどうなった?」


 いつのまにやら、ルド=ルウが立ちはだかっていた入り口の外側に、何人かの男衆が立ちはだかっていた。


 その内のひとり、一番小柄で年も若そうな人物が、ルド=ルウの前に進み出る。


「父リャダは一命をとりとめた。しかし、足の筋を切られたようだ。もう森には入れないだろう」


「ふーん。そしたら明日っからはお前さんが家長ってこったな、シン=ルウ?」


「ああ。俺が父の家を継ぐ」


 そう応じたのは、ルド=ルウと大して年齢も変わらなそうな――つまりは、俺よりも年少に見える男衆だった。


 黒褐色の長い髪と、色の濃い茶色の瞳。ルド=ルウよりも大人びた表情はしているが、体格はさほど変わらない。


 ルド=ルウは、その少年の顔を横合いから覗きこむようにして、言った。


「すました面してんなあ。たったひとりで5人の家族を食わせてくわけだろ。いよいよ崖っぷちじゃねーか、おい?」


「問題ない。あと2年もすれば弟が育つ。……それまでは力を貸してほしい」


「それまでもその後も、俺らはずっと眷族だろうがよ?」


 怒ったように、ルド=ルウがその肩を突き飛ばす。

 すると、シン=ルウと呼ばれたその少年は、口もとに不器用そうな微笑を浮かべた。


「父リャダが生命を落とさずに済んだのはお前のおかげだ、ルド=ルウ。お前が眷族であることを俺は誇りに思っている」


「そういうんじゃねーんだよ! 鬱陶しいぞ、お前!」


「……それよりも、ファの家人、アスタ」


「え? はい?」


「ギバを1頭、連れてきた。仕留めた3頭のうち、うまく『血抜き』ができたと思えるのは、今のところこの1頭だけだ。俺たちは、この先の仕事はアスタの命じるままに、とドンダ=ルウから聞いている」


 とたんに、ルド=ルウが飛びあがる。


「ちょっと待てって! こんな格好で仕事なんて続けられっかよ! 水場で身体を洗ってくっから、待っとけ!」


 と、シン=ルウの身体を邪険に押しのけつつ、俺を振り返る。


「いいか! 先に始めるんじゃねーぞ! 始めたら全員ぶっとばすかんな!」


 そうして血みどろの少年は駆け去っていった。

 残された少年と男たちは、建物の外から、じっと俺のことを見つめやっている。


「えーと、それじゃあ、皮剥ぎの準備だけしておいてもらえますか? ここを片付けたら、俺もすぐに向かいますから」


「――了承した」


「では、わたしがご案内します」とサティ・レイ=ルウが表に出ていく。


 そうして俺とふたりきりになると、ずっと黙りこくっていたララ=ルウが「あーあ」と息をついた。


「リャダ=ルウもギバにやられちゃったか。これでリャダの家には、女衆と子どもしかいなくなっちゃったから、シン=ルウは大変だあ」


「……その人たちは、ララ=ルウたちにとってどういう関係にあたる血筋なのかな?」


「んー? リャダはドンダ父さんの末の弟だよ。シンの他には母親と姉と2人のちっちゃな弟しかいないから、ギバを狩れる男衆はもうシンしかいなくなっちゃうわけ」


 何やら神妙な顔つきであるし、口調も素直である。

 シン=ルウという少年の行く末を心から案じている様子だ。


「とっとと姉に婿でも取らせるか、さもなきゃ家族ごと他の家に入っちゃったほうが利口だよ。たった16歳で家長になって、5人の家族を守るなんて、絶対無理」


 余所者の俺が口を出せるような問題ではなさそうだった。

 それでも、ルド=ルウやララ=ルウのような親族がすぐそばにいるなら、あの静かな表情をした少年が苛烈な運命におし潰されることはない――と信じたい。


「それじゃあ俺は、向こうに行ってくるよ。ちょっと時間がかかるかもしれないから、今のうちに晩餐で食べるポイタンでも焼いておいてもらえるかな?」


「……こっちのこれは、どうするわけ?」


 丸太を組んだ作業台の上では、この2時間ばかりにおける研究の成果が湯気をたてたりたてなかったりしている。


 ララ=ルウの提示してくれたギーゴを中心に、さまざまな野菜を組み合わせて煮立てたポイタンベースの煮汁たちである。

 はっきり言って……半分以上は、ゲテモノ料理の域にまで達しかけている代物だ。


「うん。あんまりひどかったやつはもっと煮詰めて乾かして、焼きポイタンに仕上げてしまおう。……さすがに捨てるわけにもいかないしねえ」


 焼いたところで味は変わらないが、俺としてはまだ固形物のほうが食べやすい。


「あんた、すごいよね。こんな風に食べ物をゴミみたいに扱う人間は初めて見たよ」


「俺が未熟なのは認めるけど、ゴミあつかいはやめてあげて! きちんと俺が胃袋に収めてみせるから!」


 俺だって、危険そうな組み合わせのやつは3人にそれぞれ2口サイズぐらいのサンプルしか作らなかったのに、まさかそれでも持て余す羽目になろうとは思っていなかったのだ。


 そして、俺の悶絶ぷりにララ=ルウが試食を拒絶したのがその主たる原因であるのだから、罪はわかちあいたいものだとも思う。この森辺にじゃんけんでも流行らせてくれようかな。


「だけどまあ、ララ=ルウのおかげで大元はできあがったんだから、もうひと押しだよ。この後も、よろしくね?」


「ふん!」と、そっぽを向くララ=ルウを残し、俺は食糧庫をはさんでその隣りにあるギバの解体室へと向かった。

 入れ替わりに出てきたサティ・レイ=ルウに挨拶をして、足を踏み込む。


「うわ……これは大物だな」


 天井の梁から、90キロ級のギバが吊るされていた。

 体長は、俺の身長ぐらいもあるだろう。角も牙も見事な湾曲を描いてそそり立った、オスのギバだ。

 すでに毛皮は洗われているのだろう。黒褐色の毛がじっとりと濡れている。


 この解体室は外から覗いたことしかなかったが、壁に大小の刃物や蔓草で編んだ綱などが掛けられただけの、殺風景な一室である。


 小さな鍋を煮立てるための小さなかまどがひとつ。その他に調度らしい調度はない。


 そこに立ち尽くしていた4名の男衆が、静かに俺を見返してくる。


 ひとりは、シン=ルウだ。

 それに、初老の男がひとりと、壮年の男がふたり。

 シン=ルウ以外は、みんながっしりとした体格をしており、そして無言で俺の言葉を待っている。


「ご苦労さまです。……では、最初に皮を剥いでしまいましょう。じきにルド=ルウも戻るでしょうから、そうしたら肉の解体に取りかかりたいと思います」


 男のひとりがうなずいて、腰から厚刃の小刀を引き抜く。


「待て。……皮剥ぎの仕事は俺にまかせてはもらえないだろうか?」


 そう声をあげたのは、シン=ルウだった。


「父リャダはしばらく動けない。その間、俺はひとりで皮剥ぎの仕事をつとめなければならない。もちろん手順はわきまえているが、それがどれほどの労苦をともなうか、知っておきたい」


 小刀を抜いた男が、初老の男を振り返る。

 初老の男はひとつうなずき、男は小刀を革鞘に収めた。


「感謝する」と言い置いて、今度はシン=ルウが小刀を抜く。


「ファの家のアスタよ。皮剥ぎは、これまで通りのやり方でかまわないのか?」


「えーっとですね。なるべく脂が肉の側に残るようにお願いできますか? 毛皮を傷つけない範囲でかまいませんから」


「――了承した」


 ギバは、右の後ろ足に縄をかけられて吊るされている。

 その股ぐらから首の下までを、シン=ルウは巧みな刀さばきで、ずっ、ずっと切り開いていった。

 さらにはそこから四肢への道を作っていき、蹄の手前で、足首にぐるりと切れ目を入れていく。


 手順としては、俺のやり方と大差はない。

 刃物についた脂を溶かすための湯も用意されているし、やはり「皮を剥ぐ」という同じ目的のためなら、違う文化の出身でも同じような結論にいきつく、ということか。


 もしもギバが異常繁殖などを起こさずに、食肉のために狩られていたなら――きっと同じように、「美味い食べ方」というものが研究され、俺の世界と大差のない食べ方が考案されていたのだろう。


 南の森ではトカゲや虫しか食べてはおらず、モルガの森では牙と角のため、田畑の安全を守るためにギバを狩っていた森辺の民が、いま、食肉の文化を進化させようとしている。


 それは、「美味いものを食べたほうが幸福だ」などという、異世界人の俺からもたらされた価値観に基づいた進化なわけであり――そう考えると、ちょっと背筋が寒くなってくる。


 それは正しいことなのだ、それは素晴らしいことなのだ、などと認めてくれる絶対者は存在しない。ちっぽけな見習いの料理人であるに過ぎない俺なんかが、総勢500名を数える森辺の民の食文化にそこまでの影響を与えるなんて、本当に許されることなのだろうか?


(……許されないんだったら、俺をあの火事現場の中に戻してくれ)


 そうでないのなら、俺はやっぱりこんな風に生きていくことしか、できない。


 自分の存在をおし殺し、美味いとも思えないポイタン汁をすすり、ひたすら香草や薪を集めるだけの人生なんだったら――それは俺の人生ではない。それならば、それこそあのまま焼け死んでしまっていたほうが、マシだった。


 俺の料理を「美味い」と言い、「好きだ」と言い、俺に「消えないでほしい」と願ってくれた、俺がこの世界に存在することを許してくれた人間とともに、俺は、俺として生きていきたいのだ。


 そんなことを考えている間に、ギバはじわじわと毛皮を剥がされていき、その内の白い肉体をさらし始めていた。

 やはり若いとはいえ、森辺の民である。俺なんかとは腕力が違うから、作業スピードも断然に速い。


 気づけば、いつのまにかルド=ルウが俺の隣りに立ち、腕を組んで、眷族の姿を見守っている。


 四肢はあらかた剥ぎ終わった。

 だけど、これからが本番だ。

 何せ相手は90キロ級である。俺だったら軽く2、3時間はかかってしまう作業だ。森辺の狩人の腕力でも、決して楽な作業ではないだろう。


 しかし、それでも口を出したり席を外そうとする人間はおらず、俺たちはただ黙って、明日から家長の座を得る少年が汗だくになりながらギバの皮を剥いでいく姿を、見守った。

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