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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
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白の月の二日②~宴の下準備~

2018.6/9 更新分 1/1 ・7/7 一部文章を修正

 宿場町の商売を終えた俺たちは、ディアルとラービスを引き連れて、森辺の集落へと帰還した。

 まずはルウ家に辿り着くと、そちらでは新たな荷車と4名の女衆が待ちかまえている。普段、ローテーションで屋台の商売に参加しているメンバー――つまりは、本日の祝宴に参席するメンバーである。


「お待ちしていました。今日はどうぞよろしくお願いいたします、アスタ」


 その代表であるレイナ=ルウが、笑顔で頭を下げてくる。本日の祝宴の主催者は、いちおう俺ということになっているのである。


「こちらこそ、どうぞよろしくね。……いやあ、フォウの集落でルウ家のみんなと祝宴が開けるっていうのは、やっぱり新鮮だね」


「はい。わたしは以前にも収穫祭の見届け役として出向くことを許されましたが、そのときだって、ララにはずるいずるいと言われていたものです」


「だって、こういうときはいっつもリミとかレイナ姉ばっかりだしさー! ようやく機会が巡ってきたって感じだよ!」


 文句の声をあげつつも、ララ=ルウもきわめて楽しげな面持ちをしていた。その隣では、ヴィナ=ルウが静かに微笑んでいる。

 ルウの血族で屋台の商売に参加しているのは、ルウ本家の4姉妹とシーラ=ルウ、ツヴァイ=ルティム、オウラ=ルティム、そして、レイ、ミン、ムファの女衆だった。その10名から、毎日6名ずつが宿場町に下りているのだ。


 これで夜を迎えたら、ルウから2名、ルティム、レイ、ミン、ムファから1名ずつの男衆が、フォウの集落にやってくる手はずになっている。森辺の大きな氏族において、眷族の祝宴などに少人数の家人を送りつける際は、男女の組とする習わしがあったので、それを参考にさせてもらった結果であった。


「こちらの荷車は4名だけですので、何名かおあずかりしますよ、アスタ」


「あ、それはどうもありがとう。それじゃあ、ヤミル=レイとマイムをお願いしようかな」


 そのように答えてから、俺はティアがもの問いたげな視線を向けてきていることに気づいた。


「ああ、ごめん。俺の荷車にはお客人を乗せてしまっているから、ティアは別の荷車に乗ってもらえるかな?」


 これはポルアースからの申し入れではなく、ラービスの心情を思いやった上での提案であった。南の民が赤き野人を恐れる理由はないものの、ラービスであれば個人的に警戒心をかきたてられるのではないかと思い至ったのだ。同じ理由で、俺はゲオル=ザザたちも帰りはファファの荷車に移ってもらっていた。


「なんとなく、そのように言われるのではないかと思っていた。ティアは、どこに乗ればいいのだ?」


「それじゃあ、リミ=ルウの乗っているジドゥラの荷車にお願いしようかな。ティアとリミ=ルウならふたりでひとりぶんぐらいの重さだろうし。……お願いできるかな、レイナ=ルウ?」


「はい。きっとリミは喜ぶと思いますよ」


 レイナ=ルウは、笑顔でそう答えてくれた。

 が、ティアはいくぶんすねたような面持ちで、まだ俺の顔を見上げている。


「……あちらに着いたら、祝宴が始まるまではアスタとともにあることも許されるのだな?」


「うん。仕事の間は、いつもと一緒だよ」


「わかった。あちらに着くまで、アスタの身に災厄が近づかぬことを祈っている」


 ティアは一歩ずつ慎重に歩を進めて、ジドゥラの荷車に乗り込んでいった。

 これで、ようやく出発である。3台の荷車が出立するのを見届けてから、俺もギルルに革鞭を当てた。


 俺の運転する荷車に同乗しているのは、ディアルとラービス、マルフィラ=ナハムとリリ=ラヴィッツ、そしてマトゥアの女衆という顔ぶれであった。

 道中でディアルのお相手をしてくれていたのは、さきほどルウルウの荷車に移ったマイムと、あとはマトゥアの女衆である。明朗な気性をしたふたりのおかげで、ディアルはとても楽しげな様子を見せていた。また、意外にリリ=ラヴィッツも会話に加わることが多く、南の王国の習わしや生活などについて質問を発しているようだった。


「あ、そうだ。この荷車だけ、ちょっと俺の家に寄らせてもらうからね」


「え、アスタの家に寄るの? わー、見たい見たい!」


「うん。実は家に番犬を残しているんで、それを連れていかなきゃいけないんだ。……ディアルは犬とか、大丈夫?」


「大丈夫に決まってるじゃん! 僕のゼランドの家だって、番犬ぐらい置いてるよ。でも、森辺にも番犬なんているんだねえ。猟犬を使い始めたって話は聞いてたけどさ」


「ああ、番犬のことは言ってなかったっけ。実はあの、王都の監査団のお人から譲り受けることになったんだよ」


 そのような説明をしている間に、ファの家に至る横道が見えてきた。

 最後尾を走っていた俺は、列から離れてそちらにギルルを向かわせる。すると、ディアルが御者台の横から顔を出してきた。


「あれが、アスタの家? へー、あの大地震で建て直したって話なのに、ずいぶん古めかしい様式だね!」


「うん。森辺ではあの様式が一般的だから、それに合わせてもらったんだよ。うちの家だけ様式が違ったら、悪目立ちしちゃうからね」


「ふふーん。様式は古くても、アスタが南の民の建てた家で暮らしてるって、なんか嬉しいな」


 振り返らずとも、その笑顔が想像できるようなディアルの声であった。

 俺が荷車を停止させると、左右に首を動かしたディアルが「うわあ」と声をあげる。


「どっちを向いても、木ばっかりだね! これが森辺の集落かあ」


「あはは。集落を訪れた町の人は、たいてい同じようなことを言うね」


「そりゃーそうでしょ! でも、ギバやムントが潜んでるとは思えないような、綺麗な森だね!」


 そのギバに迷信的な恐れを抱いていないディアルは、とてもにこやかな面持ちで微笑んでいた。聖域たるモルガの山の伝承も、災厄の象徴とされていたギバも、南の民にとっては恐怖の対象たりえないのだ。


「それじゃあ、ちょっと待っててね」


 俺はひとりで地面に降り立ち、玄関口に近づいていった。

 戸板を開くと、「ばうっ!」という声とともに、ジルベが飛び出してくる。とたんに、ディアルが「うわ!」と声をあげた。


「それって、獅子犬じゃん! どうして獅子犬なんかが、森辺にいるの?」


「だから、監査団のお人にいただいたんだよ」


「へー! 獅子犬なんて使うのは、よっぽどの豪商か貴族ぐらいだよ! 王都の貴族って太っ腹なんだねえ」


 そのように述べてから、ディアルも地面に下りてきた。たちまち、ラービスもそれを追いかけてくる。


「お待ちください、ディアル様。迂闊に近づくのは、危険です」


「大丈夫だよ。この獅子犬も、きちんとしつけられてるんでしょ?」


「うん。俺がそばにいれば、大丈夫なはずだけど……でも、むやみに触らないほうがいいかな?」


「大丈夫だってば! セルヴァに犬をもたらしたのは、ジャガルなんだよ?」


 ディアルは俺の横に屈み込むと、間近からジルベの顔を覗き込んだ。ジルベのほうは、けげんそうにディアルを見返している。


「初めまして、僕はディアルだよ。……ねえ、アスタ、この子は何ていう名前なの?」


「名前は、ジルベだよ。名前を呼んであげると、安心するはずだね」


「だから、そのために聞いたんだってばー。ジルベ、よろしくね」


 ディアルがゆっくりと、軽く握った拳をジルベの鼻先に近づけていった。

 その拳を、ジルベが大きな紫色の舌で、ぺろりとなめる。それを見届けてから、ディアルはいっそうゆっくりと、ジルベの咽喉もとに右手を近づけた。


 ディアルの小さな拳は、やがてジルベの豊かな毛皮の中に埋もれてしまう。それでもジルベが動かずにいると、ようやくディアルは咽喉もとをまさぐり始めた。


「わー、可愛いなあ。僕もいつか、獅子犬を家に置きたいって思ってたんだよねー」


「そっか。確かに獅子犬ってのは可愛いよね」


 俺もその場にひざまずいて、ジルベの頭を撫でることにした。上下からの愛撫を受けて、ジルベはぱたぱたと尻尾を振り始める。


「さて、それじゃあ移動しようか。フォウの集落はすぐ近くだけど、それまでジルベをよろしくね」


「うん! 行こう、ジルベ!」


 ジルベが荷台に乗り込むと、マトゥアの女衆も嬉しげな声をあげた。ラービスは、普段以上の仏頂面である。


 もちろん俺が、他の荷車に先んじて乗員を6名に戻させていただいたのは、このジルベを乗せる予定があったためであった。このジルベは、下手をしたらゲオル=ザザと同じぐらいの重量があるのだ。

 しかし、マイムを降ろそうと、ジルベを乗せようと、ギルルの足取りに変化はない。このていどの距離を移動するのに、人間ひとりぶんの重量など、実はギルルには関係のない話なのかもしれなかった。


 その真偽はさておき、数分ていどでフォウの集落に到着する。

 そこでは、またさらなる女衆が待ちかまえていた。本日の当番から外れていた、ファの家の屋台のメンバーたちである。

 荷車に乗って帰還したメンバーと合わせれば、その人数は11名だ。俺、ユン=スドラ、ヤミル=レイ、フェイ=ベイム、リリ=ラヴィッツ、マルフィラ=ナハム、ガズ、マトゥア、ラッツ、ミーム、ダゴラの女衆――さらに、トゥール=ディンとリッドの女衆を加えれば、13名。これらの氏族からも、それぞれ1名ずつの狩人がやってくる手はずになっていた。


 ともあれ、現在この場にそろっているのは、かまど番ばかりである。ルウの血族とマイムも加えて、総勢は24名。その大半は日替わりで屋台の当番をつとめているので、その全員が顔をそろえるのは、おそらく初めてなのではないかと思われた。


「いやあ、何だか壮観だね。復活祭の頃よりも、ずいぶん人数が増えてるし」


「はい。これならば、次の復活祭も心配なく仕事を果たすことができますね」


 ファファの手綱を握ったユン=スドラが、笑顔でそのように答えてくれた。

 そこに、俺たちの到着に気づいたバードゥ=フォウの伴侶が近づいてくる。


「フォウの家にようこそ、客人がた。お手数ですが、それぞれお名前をよろしくお願いいたします」


 彼女が普段以上にお行儀よく振る舞っているのは、その場に族長筋の人間が多数含まれているためであった。

 まずはそちらの人々から、順々に名乗りをあげていく。真っ先に名乗りをあげたゲオル=ザザは、さすがにこれだけのかまど番に囲まれて、いくぶん辟易している様子であった。

 ザザ姉弟にディアルとラービス、それにティアまで加えれば、総勢29名である。その全員が名乗りをあげるだけで、なかなかの時間が必要とされた。


「ありがとうございます。それでは、鋼をお預かりいたします」


 ゲオル=ザザとラービスの下げていた刀が、バードゥ=フォウの伴侶に手渡された。

 事前に話を通していたので、ラービスがそれにあらがうことはなかったが、心持ち不本意そうな面持ちである。やはり護衛役の立場としては、丸腰になることに抵抗を覚えるのであろうか。


「確かに、お預かりいたしました。では、かまどの間にご案内いたしましょう。客人がたは、どうなさいますか?」


「俺たちは、血族の仕事っぷりを拝見させていただこう」


「えーと、僕も最初は、アスタの仕事を見学させてもらおうかな」


「それでは、ご一緒にどうぞ。ルウの血族の方々は、あちらの女衆がご案内いたします」


 ルウの血族の10名は、総がかりで1種の料理と1種の菓子を受け持つことになっていた。

 いっぽうこちらはフォウの女衆をまじえつつ、4つの班に分かれる段取りになっている。それぞれの班長は、俺、ユン=スドラ、トゥール=ディン、そしてバードゥ=フォウの伴侶であった。


「アスタ、どうぞよろしくお願いしますね!」


 と、マイムが俺の顔を見上げながら、にっこり微笑んだ。

 ルウのほうは10名もそろっているので、マイムを俺のほうに貸し出してくれたのである。これほど心強い援軍はなかった。

 あとはリリ=ラヴィッツとマルフィラ=ナハムも俺の班であり、ヤミル=レイはユン=スドラの補佐とした。スフィラ=ザザはもともと頭数に入ってはいなかったのであるが、トゥール=ディンを手伝う気まんまんである様子だ。


 かまど小屋の数には限りがあるので、俺たちの班はトゥール=ディンの班とともに、分家へと案内される。よって、ゲオル=ザザとラービスもここで席を同じくすることになったわけであるが、祝宴の前に少しでも交流が深まれば幸いであった。


「さー、いよいよ調理かあ。本当はこの前のお茶会だって、姫君たちと一緒に厨の見学をさせてもらいたかったんだよねー」


 俺のかたわらを元気に歩きながら、ディアルはそのように述べていた。


「ふーん、そうだったの? だったら、見学を願い出ればよかったのに」


「そうしたら、きっとあのアリシュナってやつも同じことを言いだして、席に残る人間のほうが少なくなっちゃうじゃん。貴族とつきあいを続けるには、色々な礼儀ってものがあるんだよ!」


「そっか。あの場だと、ディアルも姫君のひとりに見えちゃうけどね」


「やだなー! あんまり気恥ずかしいこと、言わないでよ!」


 ディアルはわずかに頬を赤くしながら、俺の背中をバンバンと叩いてきた。

 こういう部分は、宿場町の友たるユーミとあまり変わらないディアルである。


 そうしてかまど小屋に到着すると、たちまちディアルは「くさーい!」と悲鳴をあげた。


「な、何これ? 本当にここが厨房なの?」


「あはは。これは、ギバの骨ガラを煮込んでいる香りだよ。サリス・ラン=フォウ、どうもお疲れ様です」


「ああ、フォウの家にようこそ、アスタ。他の方々も、どうぞよろしくお願いいたします」


 朝から下ごしらえの仕事に取り組んでくれていたサリス・ラン=フォウが、穏やかな微笑みを向けてくる。かまど小屋の入り口に立ったまま、ディアルは鼻をつまんでしまっていた。


「こ、これがギバの料理の臭いなの? そりゃあギバってのは臭くて固くて食べられたもんじゃないって評判だったけど、アスタたちの作る料理はみんな美味しかったじゃん!」


「ギバの骨ガラを煮込むと、どうしてもこういう匂いが出てしまうんだよ。でも、きちんと臭み取りをしているから、食べるときには絶品の料理に仕上がっているはずだよ」


 作製するのに膨大な時間がかかるギバ骨スープは屋台で扱うことができないので、この献立は真っ先に宴料理として採用されることになったのだ。ディアルは鼻をつまんだまま、とても情けないお顔になってしまっていた。


「あの、僕はさ、普段通りの料理で全然文句はないからね? 普段と違う料理だと、美味しいと思えるかどうかわからないし……」


「大丈夫だってば。町の人たちだって、この料理を嫌がったりはしなかったんだから。ね、マイム?」


「はい! わたしもルウの集落でギバの骨ガラの扱いを学ばせてもらっていますけれど、これはキミュスやカロンにも負けない、素晴らしい出汁が出ると思います!」


 ディアルは、とても疑わしげな目でマイムを見ていた。


「あんたのお父さんは、城下町で料理人をやってたって話だったよね。でも、城下町でもけっこうとんでもない料理を出す人が多いからなあ……」


「そうですか? でも、わたしの父はアスタと作法が似ているようですよ」


 マイムは無邪気に、にこにこと笑っている。

 すると、トゥール=ディンの姿を目で追っていたゲオル=ザザが、うるさそうにこちらを振り返った。


「何にせよ、文句は食べてからにすることだな。食べる前から文句をつけたところで、意味はあるまい?」


「うん、まあ、それはそうなんだろうけど……」


「あとな、そちらの連れの男衆にも、一言だけ言わせてもらおう。おたがいに刀を預けた身であるのだから、むやみに殺気を撒き散らすな」


 ラービスは、無言でゲオル=ザザを見返した。

 俺には、殺気の有無などわからない。ただ、ラービスは普段以上に鋭い目つきをしているように思えた。


「どうやらお前は、森辺の狩人をひどく警戒しているようだが、夜には各氏族の狩人たちがこの場に集うのだ。俺ひとりにそんな気を張っていては、とうてい心がもたんぞ」


「ラービス、気を張ってるの? 森辺の狩人は決して無法な真似をしたりはしないって、城下町の人たちも言ってたじゃん」


 ディアルがきょとんとした面持ちで、ラービスを振り返る。


「だいたいさ、森辺の祝宴ってのがそんなに危ないものだったら、リフレイアだって参席を許されなかったでしょ。何も心配する必要はないってば」


「……しかしその際は、数十名の武官が同行したと聞きました」


「だからそれは、森辺の外から無法者が近づかないようにでしょ? そうだったよね、アスタ?」


「うん。何せリフレイアは、トゥラン伯爵家の当主だからね。武官たちは、広場の外で警護してくれてたんだよ」


「ほらね。森辺の人たちが僕らに悪さをする理由なんてないんだから、ラービスもちょっとは気を休めなよ」


 ラービスは、仏頂面でまた口をつぐんでしまう。

 ディアルは小さく溜息をついてから、ゲオル=ザザのほうに向きなおった。


「ごめんなさい。ラービスは、こういう気性なんだ。決して自分から騒ぎを起こすような人間ではないから、どうか気にしないでもらえるかな?」


「ふん。俺はそいつの身を案じてやっただけだ。どうせ――」


 と、ゲオル=ザザはそこで言葉を呑み込んだ。

 どうせラービスがどのように振る舞おうとも、森辺の狩人の敵ではない――とでも言おうとしたのだろうか。


「……ともあれ、今日は南の民と絆を深める祝宴だと聞いている。その中で、お前たちは後から割り込んできた身であるのだから、場を乱さぬように心がけることだな」


「うん、もちろんだよ。ラービスも、わかったね?」


「……ディアル様の身に危険が及ばない限り、わたしが騒ぎを起こすことはありません」


 それが、ラービスなりの答えであった。

 いくぶん重くなってしまった空気を払拭するべく、俺は「さて」と声をあげてみせる。


「それじゃあ、調理に取りかかりましょう。マルフィラ=ナハム、そっちのギバ肉を取ってもらえるかな?」


「は、はい。しょ、承知いたしました」


 他の女衆も、気を取り直したようにそれぞれの仕事に取りかかる。

 そんな中、まだ壁際に引っ込んでいなかったティアが、俺の服をくいくいと引っ張ってきた。内緒話を要請しているようなので、俺は腰を屈めてみせる。


「アスタよ、この時間、ティアがあのラービスという町の人間のそばにいることは、外界の法で許されるだろうか?」


「え? どうしてだい?」


「確かにあの者は、怯えた獣のような気配を放っている。怯えた獣はむやみに騒ぐことが多いので、用心するべきだと思うのだ」


「そっか。でも、本人が言っていた通り、ディアルの身に何か起きない限りは、決しておかしな真似はしないはずだよ」


「それでも、ああいう気配を撒き散らす存在が同じ場所にいるのは落ち着かない。何があってもアスタの身を守れるように、備えていたいのだ」


 俺は、「わかったよ」とうなずいてみせた。


「それでティアの気が済むなら、そうすればいい。ただ、ティアのほうがラービスを刺激しないように、気をつけてね?」


「うむ、心得ている」


 ティアは右足に負担をかけないように、ゆったりとした足取りでディアルたちのほうに近づいていった。

 そうして、ラービスから1メートルほどの距離を取りつつ、壁際にたたずむ。ティアの身体能力であれば、それぐらいの間合いで十分なのだろう。

 すると、今度はマイムが俺に顔を寄せてきた。


「わたしも赤き野人にここまで近づいたのは、初めてのことです。だけどやっぱりルウ家の人たちが言っていたように、とても善良そうに見えますね」


「うん。善良さでは、誰にも負けていないと思うよ。西の民と相容れないのは、あくまで仕える神の問題なんだろうからね」


 森辺の民と南の民ばかりでなく、ここにはトゥランの民であるマイムとモルガの住人であるティアまでそろっている。これはなかなかに、混沌とした顔ぶれであるのかもしれなかった。


(まあ、同じ王国の民である建築屋の人たちもやってきたら、少しはラービスの気もまぎれるかな。俺もラービスと少しでも打ち解けられるように、努力してみよう)


 そんな風に考えながら、俺は仕事を開始した。

 祝宴の始まりまで、残すは4時間足らずである。

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