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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
605/1675

青の月の三十一日②~最終日の夜~

2018.6/5 更新分 1/1

 屋台の商売を終えてルウの集落に戻ってみると、そこには嬉しい驚きが待ちかまえていた。

 2軒の家屋の再建作業が、ついに完了していたのである。


 それに気づいたマイムは「わあ」とはしゃいだ声をあげながら荷台を飛び降りると、新しい家の前で待ちかまえていたバルシャの胸もとに飛び込んだ。


「すごいすごい! ついに完成したのですね!」


「ああ、ちょうどついさっき、かまどや石窯の組み上げも終わったところだよ。どうだい、立派なもんだろう?」


「はい! 以前より立派になったと思います!」


 そのように応じてから、マイムは隣に立っていたミケルにも笑いかけた。


「ね、すごいね、父さん! これでまた、4人で暮らせるね!」


「ふん。どこの家で暮らそうとも、居候であることに変わりはないがな」


 すると、ジドゥラの荷車から降りたシーラ=ルウも、そちらに近づいていった。


「では、寝具や荷物などを移動させなければいけませんね。バルシャにおまかせしてしまっても大丈夫でしょうか?」


「ああ、もちろん。それぐらいの仕事は、どうってことないさ。ミケルやマイムも、かまど番の仕事に取りかかっておくれよ」


「仕事があるのは、こいつだけだ。俺は、そちらを手伝おう」


「いいっていいって。まだ足だって本調子じゃないんだから、ここはあたしにまかせておきな」


 相変わらず、仲睦まじい3名であった。

 すると、荷台から降りてきたマルフィラ=ナハムが、「あ、あの」と呼びかけてくる。


「あ、あ、あの3名は、べつだん家族というわけではないのですよね?」


「うん。ミケルとマイムは親子だけど、バルシャは違うね」


「そ、そ、そうですよね。で、でも、何だかみんな家族であるように思えてしまいます」


「そうだね。もう7ヶ月ぐらいは同じ家に住んでるはずだから、その間に家族同然の絆が芽生えたんじゃないのかな」


 豪放なバルシャに、無愛想なミケルに、無邪気なマイム。ここにジーダが加わっても、決して調和が乱れることはない。まったく異なる生を歩んできたそれぞれの家族であるが、そこには確かな絆が感じられた。


(そういえば、マイムとジーダはなかなかお似合いに見えたしな。いずれは本当の家族になっても、おかしくはないさ)


 そんな感慨を胸に、俺は本家のかまど小屋を目指すことにした。

 かまど小屋の周囲は、無人である。そこでギルルらを荷車から解放していると、頭上からティアの声が降ってきた。


「アスタ! 無事に戻ったのだな!」


 それと同時に、小さな姿がひらりと飛び降りてくる。どうやら、木登りのさなかであったらしい。


「ただいま、ティア。足の調子はどうだい?」


「うむ! まったく力は入らないが、骨はすっかり繋がったようだぞ!」


 ティアは本日の朝方から、ついに添え木を外すことを許されたのだった。

 ワンピースの裾から覗く右足は、左足よりわずかに細いように思える。もともと細いのでわかりにくいが、やっぱりずいぶんと筋肉が落ちてしまったようなのだ。


 それに、ティアはすねの骨を折ってしまったために、膝も足首も添え木で固定されてしまっていた。このひと月あまり、関節をまったく動かしていなかったので、そちらもずいぶん強張ってしまっているとのことである。それらが完全に回復するのに、あとふた月ばかりが必要なのだという話であるのだった。


「くれぐれも無茶をしないようにね。まあ、自分の身体のことは、自分が一番わかってるだろうけどさ」


「うむ! ティアにまかせておけ!」


 ティアは嬉しそうに、にこにこと微笑んでいた。思わずこちらもつられてしまいそうになる、屈託のない笑顔である。窮屈な添え木を外せたことが、よほど嬉しいのだろう。


 ともあれ、ギルルたちを木に繋ぎなおしたら、かまど小屋へと足を向ける。

 そこで待ちかまえていたのは本家の面々、レイナ=ルウ、ララ=ルウ、リミ=ルウ、ティト・ミン婆さんである。今日は、ミーア・レイ母さんがお休みであるらしい。屋台の当番であったシーラ=ルウやヴィナ=ルウたちも加わって、下ごしらえの仕事を開始する。


「そういえば、最近めっきりサティ・レイ=ルウの姿を見ないね」


 こちらも同じ仕事に取りかかりながら俺が呼びかけると、レイナ=ルウが「はい」と答えてくれた。


「どうもコタが母親に甘えたい盛りみたいで、なるべくサティ・レイが家に残るようになりました。それに……あ、もう言っていいんだよね?」


 レイナ=ルウが振り返ると、ティト・ミン婆さんが笑顔でうなずいた。

 それを確認してから、レイナ=ルウがにこりと微笑む。


「実は、サティ・レイがふたり目の子を宿したようなのです」


「あ、そうだったの? それは、おめでとう! あとで挨拶をさせてもらおうかな」


「はい。サティ・レイも、きっと喜びます。ちょうど昨晩、わたしたちもサティ・レイに告げられたのです」


 すると、ネェノンのソースを煮込んでいたリミ=ルウも「うふふー」と声をあげた。


「赤ちゃん、すっごく楽しみだね! 早く産まれないかなあ。待ち遠しいなあ」


「本当だね。俺も待ち遠しいよ」


 ルウの本家は、7人兄弟であったのだ。きっとジザ=ルウも、同じぐらいたくさんの子供を授かりたいと願っていることだろう。


「だけどその前に、まずはルティムの家だよね! アマ・ミン=ルティムのおなか、こーんなにおっきくなってたもん! もうすぐ産まれるんじゃないかなあ?」


「そうだね。予定では、白の月の半ばらしいけど。いつ産まれてもおかしくないんじゃないのかな」


 早産で産まれたスドラ家の双子も、すくすくと育っている。コタ=ルウもアイム=フォウも見るたびに成長しているようであるし、ここにルティム家の赤子も加わる日が、心から待ち遠しくてならなかった。


(俺たちが切り開いた道を、その子供たちも歩いていくんだ。気を引き締めて、正しい道を切り開かないとな)


 そんな風に考えられることが、俺にとっては何よりの幸せであった。

 おめでたい話があったためか、ルウ家の人々も普段以上に浮き立っているように感じられる。そんな中、マルフィラ=ナハムがおずおずと声をあげた。


「サ、サ、サティ・レイ=ルウというのは、本家の長兄の嫁ですよね? ぞ、族長筋の本家の長兄に新たな子が産まれるというのは、ほ、本当におめでたい話です。こ、心から祝福いたします」


「ありがとうねえ。でも、あんたはサティ・レイと顔をあわせたことがあったのかい?」


 ティト・ミン婆さんがそのように呼びかけると、マルフィラ=ナハムは「は、はい」とせわしなくうなずいた。


「い、い、一度だけご挨拶をさせていただきました。こ、こちらのかまど小屋に向かう途中、お、幼子をあやしているところに出くわして……」


「そうだったのかい。一度きりしか会っていないのに名前を覚えてくれるなんて、ありがたい話だねえ」


「ぞ、ぞ、族長筋の方々に失礼があっては大変ですから、と、と、当然のことです」


 すると、ララ=ルウが「ふーん?」と顔を寄せてきた。


「だったら、あたしの名前とかも、わかるの?」


「も、も、もちろんです。ほ、本家の三姉の、ララ=ルウですね?」


「へーえ。それじゃあ、こっちのちっこいのは?」


「ま、末妹のリミ=ルウです。お、おふたりはご一緒に宿場町まで下りることも多いのですから、な、なおさら忘れたりはいたしません。……も、もちろんティト・ミン=ルウやミーア・レイ=ルウの名を忘れたりもしませんが」


「ふーん、すごいね。あんただったら、あの文字ってやつもすぐに覚えられそうだね」


 そう言って、ララ=ルウは壁に張られている食材名と料理名の一覧表や九九の計算表を指し示した。マルフィラ=ナハムは、また「は、はい」とうなずいている。


「な、な、何とかそこに張られている分だけは、記憶できたように思います。わ、わたしなどが覚えたところで、まだまだ役には立たないことばかりですが……」


「え? これを全部、覚えたっての? まっさかー! まだ10日も経ってないのに、それはないでしょ!」


「あ、え、で、ですがその……きょ、虚言は罪ですので……」


 マルフィラ=ナハムは、いっそう慌ただしく目を泳がせ始めた。

 ララ=ルウはうろんげに眉をひそめながら、その姿を見返している。


「こいつを全部覚えきったのは、レイナ姉とシーラ=ルウぐらいなんだよね。あたしなんて、まだ半分も覚えられてないしさ」


「は、は、はい。そ、そうなのですか……」


「……これは、なんて書いてある?」


「は、はい。そ、それは、カロンの乳脂と書いてあります」


「それじゃあ、こっちは?」


「そ、それは、ギバのべーこんとギャマの乾酪とタラパをのせた、ポイタンの石窯焼きと書いてあります」


 ララ=ルウは、真っ赤なポニーテールを揺らして、姉のほうを振り返った。


「ねえ、いまので合ってたっけ?」


「うん、合ってるよ。あなたはすごいですね、ええと……ごめんなさい、わたしのほうはまだあなたの名前を覚えていませんでした」


「わ、わ、わたしの名前など覚える必要はありません。ナ、ナハムの人間ということだけ覚えていただけたら、それで十分です」


 そのように述べてから、マルフィラ=ナハムは切なげに眉を下げた。


「そ、そ、それにわたしは、そこに書かれている料理の大半を、口にしたこともないのです。そ、そんなわたしが名前を覚えたところで、あ、あまり意味はないように思います」


「そんなことはないと思います。というか、食べたことのない料理の名前まで覚えられることに驚かされてしまいます」


「は、は、はい。こ、これはどういう料理なのだろうと想像するだけで、む、胸が高鳴ってしまって……そ、それで名前が頭に刻みつけられたのかもしれません」


 レイナ=ルウは感服しきった様子で、俺のほうを振り返ってきた。


「失礼ですが、アスタはすでにこれらの文字をすべて覚えているのでしょうか?」


「いやあ、恥ずかしながら、さっぱりだね。食材なんかはなるべく意識して覚えるようにしているんだけど、それでもまだまださ」


 そこで俺は、ひとつの事実に思い当たった。


「そういえば、マルフィラ=ナハムは銅貨の計算なんかも得意そうだったもんね。ひょっとしたら、この九九の計算もすでに習得済みなのかな?」


「は、は、はい。そ、それは商売に必要な知識だと聞かされていたので、ま、真っ先に覚えることになりました」


 確かに、そのように説明したのは俺である。が、俺は数字の読み方や九九の韻などを、ざっと教えただけのことだった。


「……赤銅貨3枚の料理を24個売ったら、いくらになるかわかる?」


 マルフィラ=ナハムはぴたりとすべての動きを止めて、しばし黙考してから、「な、72枚でしょうか?」と答えた。


「すごい、合ってるよ。それじゃあ、赤銅貨150枚のギバ肉を13箱売ったら、いくらかな?」


「え、ええ? ええとええと……65と、130で……せ、1950枚でしょうか?」


 俺が「合ってるね」と言うと、一気に人々がざわめいた。


「ほ、本当に合っているのですか? そのように早く計算できるのは、アスタとツヴァイ=ルティムだけだと思っていたのですが……」


「うん、合ってるはずだよ。でも、九九を覚えただけじゃ、ここまで早く計算はできないよね?」


 さすがに俺もいぶかしく思って聞いてみると、マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げ始めた。


「は、は、はい。い、いまはラヴィッツとナハムの女衆も、町で肉を売る仕事の手ほどきをしてもらっているさなかでありますので、そ、その者たちから、計算のコツというのを教えてもらったのです」


「計算のコツ?」


「は、はい。さ、さっきの計算は、いったん白銅貨15枚に置き換えました。あ、あと、その銅貨を10枚と5枚に分けて、それぞれに13を掛けてから、合計を足したのです」


「なに言ってんのか、全然わかんない! レイナ姉、わかる?」


「うん。15と13を掛けるのは難しいから、10と13、5と13を掛けて、その答えを足すんだよ。ツヴァイ=ルティムが他の女衆に教えてるやり方だね」


「……話を聞いてるだけで、頭が痛くなってきちゃった」


 ララ=ルウはげんなりとしたお顔になっており、ヴィナ=ルウなどは最初から試合放棄している様子であった。

 そんな中、リミ=ルウが「ほんとだー!」と声をあげる。


「違うやり方なのに、同じ答えになるんだね! おもしろーい!」


「なに、あんた、計算できたの?」


「うん! 普通のやり方だと頭がこんがらがっちゃうから、ここに書いてたの」


 見ると、リミ=ルウの前にある作業台の表面が、水で濡れていた。水瓶の水に浸した指先で、俺が直伝した掛け算の筆算に取り組んでいたらしい。


「でも、ツヴァイ=ルティムのやり方だと、頭の中だけで計算できたよ! 5と13を掛けるのが、ちょっぴり難しかったけど!」


「やっぱり計算に関しては、ツヴァイ=ルティムが頼りになるね。サウティやラヴィッツの人たちも、だいぶ身についてきたって話だし」


 しかしそれよりも驚きであるのは、マルフィラ=ナハムであった。彼女は又聞きの情報だけで、フォウやダイの人々にも負けない計算能力を身につけた様子なのである。


「あなたは料理の手際だけではなく、そのような才覚まで持ち合わせていたのですね。何だか、羨ましくなるほどです」


 シーラ=ルウがそのように述べたてると、マルフィラ=ナハムはぶんぶんと首を横に振り始めた。


「め、め、滅相もありません! わ、わたしなど、いまだにみなさんの足を引っ張るばかりですし」


「マルフィラ=ナハムに足を引っ張られた覚えはないなあ。こんなに物覚えのいい人を見たのは初めてだよ」


 俺も便乗すると、マルフィラ=ナハムはいっそう困惑した様子で目を白黒とさせていた。

 その場にいる人々は、みんな感心しきっている様子である。文字の読み書きや計算を習得する難しさは、みんな身にしみて理解しているのだ。


「……あなたはかまど番としても、とても優秀のようですしね。あなたが今後どのような料理を作りあげていくのか、とても楽しみです」


 そのように述べるレイナ=ルウの青い瞳には、ごく純然たる対抗心の芽生えみたいなものも感じられた。

 が、やっぱりマルフィラ=ナハムは、恐縮しきった様子で頭を下げるばかりである。


(驚いたなあ。こんなにあれこれの才能を持ち合わせた女衆なんて、本当に初めてかもしれないぞ)


 そんな感慨を胸に、俺は中断されていた下ごしらえの仕事を再開させることにした。


                   ◇


「……っていう具合でな。マルフィラ=ナハムには、あらためて色々と驚かされたわけだよ」


 夜、ファの家において晩餐をとりながら、俺がそのように報告してみせると、アイ=ファは無表情に「そうか」と応じた。


「えーと……別に気分を害したりはしてないよな?」


「おかしな気をつかうな、うつけ者め」


 アイ=ファはわずかに頬を赤らめつつ、俺をねめつけてくる。

 その可愛らしい仕草に安堵しつつ、俺は言葉を重ねてみせた。


「まあ何にせよ、文字の読み書きや計算なんかも、かまど番の仕事に活かせるはずだ。ますますマルフィラ=ナハムの今後が楽しみになってきたって感じかな」


「ふむ。そのためにこそ、お前はあちこちの家でそれらの手ほどきをしたのだろうしな。私にはよくわからんが、あの女衆にそれほどの才覚が秘められていたというのなら、喜ばしい話だ」


「うん。きっと彼女は、ラヴィッツの血族にいい影響を与えてくれると思うよ」


 俺がそのように答えたとき、隣のティアがすっくと立ち上がった。


「煮汁を食べ尽くしてしまった。もう一杯、食べてもよいか?」


「うん、いいよ。自分でできるかな?」


「うむ。こうして動くのも、力を取り戻す役に立つはずだ」


 ティアは膝がくだけてしまわないように気をつけながら、慎重な足取りでかまどに向かっていった。

 それを見送りつつ、アイ=ファもクリームシチューをすする。


「ところで、カミュア=ヨシュの話だが……あやつはまたずいぶんと、頓狂なことを言い出したものだな」


「ああ、うん。ザッツ=スンの呪いだの何だのなんて、俺たちは考えもしなかったよな」


「無論だ。死してなお同胞に害を為す森辺の民など、いようはずもない。ザッツ=スンやテイ=スンの魂は、母なる森に還されたはずだ」


 そのように述べてから、アイ=ファはふっと息をついた。


「だいたい、サイクレウスやシルエルといった大罪人はまだしも、あやつが子であるズーロ=スンを呪う理由などあるまい。ザッツ=スンが死ぬ間際に恨みを燃やしていたのは、我々やルウ家の人間であるはずだ」


「ああ、そうだよな。だからこんなのは、偶然に決まってるよ」


「うむ。人間の怨念が、あのように大きな災厄を生み出せるはずもない。カミュア=ヨシュも、いらぬ心配をしたものだ」


 アイ=ファがまったく平気な顔をしているので、俺はいっそう安心することができた。

 その間に帰還したティアは、また旺盛な食欲を発揮して料理を食べ始める。何だか今日は、普段以上の食べっぷりであるようだ。


「あとは、ズーロ=スンの無事を願うばかりだな。死よりも苦しい罰のさなかであったとしても、あやつは魂を返すことなく、10年の苦役をやり遂げて、森辺の集落に戻ることを願っていたはずだ」


「うん……こればっかりは、森と西方神に祈るしかないよな」


「うむ。しかし、あやつもスン本家の家長であったのだ。その身には強き狩人の血が流れているのだから、その力さえ取り戻していれば、やすやすと魂を返すことにもなるまい」


 俺も、そのように信じたかった。

 10年の苦役の刑をつとめあげれば、ズーロ=スンは森辺に帰ることが許されていたのだ。スン家の罪を一身に背負って、王国の法に裁かれることを自ら願ったズーロ=スンの覚悟が、わずか1年足らずで潰えることになるなどとは思いたくなかった。


「まあ、いまから思い悩んでも詮無きことだ。ズーロ=スンが無事であるかどうかは、いずれ知らされるのであろう?」


「うん。王都経由で知らされるみたいだから、ずいぶん時間がかかりそうだけどな」


「では、その日を待つしかあるまい。すべては森が導いてくれよう」


 アイ=ファは厳粛な面持ちで、大皿に盛りつけられた煮付けの料理に手をのばした。

 が、それよりも一瞬早かったティアが、取り分け用の木匙でごっそりと具材をすくいあげていく。出鼻をくじかれた格好になったアイ=ファは、いくぶんとげのある視線でティアをにらみつけた。


「おい、ずいぶんな食べっぷりであるようだな。これはお前だけの食事ではないのだぞ」


「うむ。身体が食事を求めているようなのだ。ティアが力を取り戻すのに必要な行いであるので、どうか勘弁してほしい」


「まったく、そのように小さな身体の、どこにこれほどの食事が収まるのだ」


 アイ=ファはぶちぶちと言いながら、大皿に残されていた煮付けの料理を木皿に取り分けた。


「それで、ジャガルの民たちは、無事に自分たちの仕事を終えることができたのか?」


「あ、うん。かなり立て込んでるみたいだったけど、何とかなりそうだって話だよ。明日の朝には、森辺に来てくれるはずだ」


「そうか。まずは、ファの家を訪れるのだな?」


「うん。ここからスンの集落に案内するっていう段取りだな」


 明日から白の月となり、いよいよ祭祀堂の再建作業が開始されるのである。そして、予定通りに行けば、明後日の夜はフォウの集落で祝宴だ。

 ただ、その祝宴は、送別会も兼ねている。これでまたおやっさんたちとは長きの別れになってしまうのかと思うと、俺は残念でならなかった。


「おやっさんたちは2ヶ月も逗留していたはずなのに、何だかあっという間だったよ。次に会えるのが10ヶ月後って考えると、気が遠くなっちゃうなあ」


「別れを惜しむには、まだ早かろう。……そして、10ヶ月という時間も、過ぎ去ってしまえばあっという間のことだ」


 そう言って、アイ=ファはわずかに口もとをほころばせた。


「この1年も、あっという間だったではないか? その反面、たった1年しか経っていないのかという気持ちにもなるがな」


「うん、そうだな。去年のこの日はおやっさんやシュミラルたちと別れて……それに、ジーダに襲われたりもしたんだよな。たしか、《玄翁亭》からの帰り道か何かでさ」


「うむ。私も居合わせたので、よく覚えている。シン=ルウがジーダに不覚を取り、手傷を負ってしまったのだったな」


「ああ、そうそう。そこで助けてくれたのが、サンジュラだったんだ」


 その頃のサンジュラはサイクレウスの送りつけた密偵であり、ジーダは森辺の民を父親の仇としてつけ狙っていた。そんな両者とも、いまは確かな絆を結ぶことができている。


「生々流転ってやつだよな。ファの家なんて、家人がこんなに増えたしさ」


「ふん。家人ならぬ者もまじっているがな」


 アイ=ファがそのように言ったとき、ティアがすっくと立ち上がった。


「煮汁がなくなってしまった。もう一杯、食べてもいいだろうか?」


「待て! お前だけの食事ではないと言っているだろうが!」


「アイ=ファだって、もう二杯は食べているだろう? ティアには、食事が必要なのだ」


 ティアがひょこひょことかまどに近づいていくと、アイ=ファは自分の木皿をひっつかんで、それを追いかけた。


「待たんか! 私が先だ!」


「でも、ティアのほうが先に着いたぞ」


「やかましい! 私は家長なのだぞ!」


 アイ=ファとティアの賑やかな声を聞きながら、俺は自分の食事を再開させた。

 やっぱりどこかに、しんみりとした気持ちが残ってしまっている。それは、おやっさんたちとの別れが刻々と近づいているためなのか、あるいはズーロ=スンの身が心配であるためなのか――それも俺には判然としなかったが、明日からは気持ちも新たにまた頑張ろう、と自分を励ますしかなかった。

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