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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
603/1675

青の月の二十八日③~甘やかな時間~

2018.5/21 更新分 1/1

・今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。

・5月下旬に書籍第14巻とコミックス第1巻が発売されます。5/19付けの活動報告に店舗特典の詳細を記載しましたので、ご興味のある方はご参照ください。

 そうして中天の鐘を合図に、3種の菓子が貴婦人がたに届けられることになった。

 本日は味比べを行わないために、料理人もその場に立ちあうことになる。調理助手である俺はアイ=ファとともに身を引いて、みんなの奮闘を見守らせていただくことにした。


「まあ、どれも不思議な形をした菓子ばかりね。口にする前から、心が躍ってしまうわ」


 エウリフィアを筆頭に、みんな瞳を輝かせている。オディフィアとアリシュナは無表情であるものの、内心では同じ気持ちであるのだろう。


「どれから手をつけるか、迷ってしまうわね……この菓子の色合いなんて、とても素敵じゃない?」


「はい。わたくしはこちらからいただくことにいたしましょう」


 そう言って、リッティアが1枚の皿を手もとに引き寄せた。

 1枚の皿に、ひと口サイズの菓子がいくつか載せられている。それは、シリィ=ロウの準備した菓子であった。


 鐘が鳴る前にすべての菓子は完成されていたので、俺たちはすでにおたがいの試食を済ませている。シリィ=ロウの準備した菓子は、前回のお茶会で準備された菓子よりも美味で、なおかつ不思議な味わいをしていた。


 形状としては、パイ生地のような土台の上に、クリームのようなものがふわりと載せられている。実際にそれは、カロンの乳をホイップして作製したクリームのようなもので、果実のソースが練り込まれているために、淡いピンク色をしていた。


 銀色のフォークでそれを皿からすくい上げて、口に運んだリッティアは、「まあ」と目を丸くした。


「こんなに優しい色合いをしているのに、とても鮮烈な味わいであるのね……それに、なんて不思議な口あたりでしょう。まるで、泡のようだわ」


 確かにそのピンク色のクリームは、ものすごくきめが細かくて、舌に触れるそばから消えていくような食感であった。

 それでいて、果実の甘さが濃厚に溶け込んでいる。それも、さまざまな果実をブレンドさせて作りあげた、天上の果実のごとき味わいである。ベリー系の酸味と、柑橘系の風味と、モモ系のまろやかさの複合というのは、前回の菓子でもお目見えされていたが、その配合加減はまた異なるのだろうと思われた。


 そして、そこにさらなる彩りを加えるのは、クリームの内に隠された食材の存在である。

 それに気づいたらしいメリムが、「あら」と声をあげた。


「上のふわふわとした部分とフワノの生地の他に、まだ何か使われているのですね。厨の見学をさせていただいていたのに、ちっとも気づきませんでしたわ」


「これは何かの果実であるようね。でも、まったく覚えのない舌ざわりであるようだし……これは、いったい何なのでしょう?」


 リッティアが料理人たちのほうを振り返ると、シリィ=ロウが一礼した。


「そちらは、バルドという土地から運ばれてきた、レミロムという食材になります。区分としては、果実ではなく野菜ということになるのでしょう」


「レミロム? それは初めて聞く名前ねえ……こんなに甘いのに、果実ではなくて野菜なのかしら?」


「はい。レミロムはもともと強い風味を持つ食材でありますため、長きの時間をパナムの蜜に漬け込み、そののちは果実の汁で煮込んでいます」


 レミロムは、ブロッコリーのごとき食材である。俺は何度か口にした経験があったものの、さきほどの試食ではそれがレミロムであるということに気づくことはできなかった。

 ちょっと独特の食感を持つレミロムが、シリィ=ロウの調理によって、さらに不思議な食感へと仕立てられていたのだ。花芽の一粒ずつが瑞々しくて、ぷちぷちと微かに弾けるような食感であり、そしてそこから蜜と果汁の甘さがほとばしるかのようであったのだった。


(まあ、こいつはブロッコリーそのものではないわけだもんな。俺の知らないレミロムならではの特性を持ち出されたら、お手上げだ)


 何はともあれ、シリィ=ロウの作りあげた菓子は、美味であった。

 貴婦人がたも、みんな満足そうにその菓子を食している。

 が、その中で、オディフィアはひとり黙々と別の菓子を頬張っていた。それに気づいたエウリフィアが、「ふふ」と笑い声をあげる。


「察するところ、それがトゥール=ディンの菓子なのね。ギギの葉が使われているようなので、そうなのかとは思っていたのだけれど」


 オディフィアは熱心に口を動かしつつ、こくこくとうなずいている。その口の周りは、ギギのクリームだらけになってしまっていた。


 厨で宣言していた通り、トゥール=ディンがこしらえたのはギギの葉を使った新作のケーキであった。

 クリームにも、スポンジケーキにも、生地のコーティングにも、のきなみギギが使われている。ギギづくしのチョコケーキであるのだ。


 ただし、ガトーショコラほど、どっしりとはしていない。スポンジケーキはふわりとやわらかく焼きあげられており、クリームも甘さはひかえめだ。それをコーティングするチョコのソースがぞんぶんに甘いために、それぞれ砂糖の分量が緻密に計算されているのだった。


 また、クリームにはピーナッツのごときラマンパの実を砕いたものが散りばめられており、それが別なる食感を加えている。さらに、黒一色では華やかさに欠けるということで、上部にはちょこんと純白のクリームが飾られている。ここのところ、ギギの葉にかかりきりであったトゥール=ディンの、それは集大成ともいうべき仕上がりであった。


「ああ、これも美味ね。トゥール=ディンにはたびたびギギの葉を使った菓子を作っていただいているけれど……これは一番の美味しさかもしれないわ」


 そう言って、エウリフィアはアリシュナのほうに目をやった。


「いかがかしら? たしかこのギギの葉というのは、シムから届けられたものであるはずよ」


「はい、美味です。これほど美味な菓子、他に知りません。……ディアル、いかがですか?」


「ええ、美味ですね。さすがはシムの食材というべきでしょうか?」


 口調は丁寧だが、ちょっとすねているようなお顔になっている。それを見返すアリシュナのほうは、やはり完璧なまでの無表情であった。


「ですが、この菓子、ジャガルの砂糖、使われているのでしょう。シムとジャガル、両方の食材、そろってこその、味であるのです。このような菓子、口にできる、セルヴァならでは、思います」


「……そうかもしれないですね」


 ディアルはいくぶん閉口している様子である。シムとその地に住まう民を嫌う身としては、色々と複雑な心境であるのだろう。


(でも、前からアリシュナはディアルに友好的だったもんな。もうひと押しすれば、ディアルと友誼を結ぶこともできるんじゃなかろうか)


 何せアリシュナは、故郷に帰れぬ身であるのだ。なおかつ、ジャガルとの戦にはまったく関わっていない立場であるのだから、彼女たちが西の地において友となることに弊害はないように思われてならなかった。


「本当に、どちらの菓子も前回より格段に美味であるようね。心から感服してしまうわ」


 そのように述べながら、リッティアが最後の皿に視線を落とした。


「それで、こちらはあなたがこしらえたものなのよね、ええと……あなたは、リミ=ルウだったかしら?」


「はい、リミ=ルウです! 美味しいと思ってもらえたら、嬉しいです!」


 リミ=ルウの笑顔につられたように、リッティアも優しげに微笑んだ。


「これはこの中でもいっそう不思議な見た目をしているようね。味の想像がまったくつかないわ」


「はい! アスタに教えてもらった、新しいお菓子です! えーと……なんて名前だったっけ?」


「俺の故郷では、『ぼたもち』や『おはぎ』と呼ばれていた菓子になりますね」


 そう、俺は残りわずかなシャスカを使って、リミ=ルウにそれらの作り方を伝授してみせたのだった。

『ぼたもち』と『おはぎ』の違いについては、俺にしてみてもあまり理解しきれていない。ともあれ、小豆に似たブレの実と、タウの豆を挽くことで作製できるきな粉によって、それらの菓子を作ることは難しくなかった。


 シャスカはもともとの餅米っぽい特性を活かして、もっちりと炊きあげている。それをさらに、粒がやや残るていどに潰して、ブレの実の餡やきな粉をまぶしたのだ。

 なおかつ、ブレの実のほうはつぶ餡とこし餡の両方を準備している。それにきな粉をまぶしたものも加えて、3種の菓子が準備されていた。


「あら、意外と硬いのね。……いえ、硬いというよりは、弾力がすごいと言うべきなのかしら」


 そんな風に言いながら、エウリフィアがこし餡の『ぼたもち』をナイフとフォークで切り分けた。他の貴婦人がたも、オディフィア以外は同じ作業に取りかかった様子である。

 それを口に運び、真っ先に驚きの声をあげたのは、やはりエウリフィアであった。


「まあ、これは……本当に不思議な味わいね。何で作られているのかも、さっぱりわからないわ」


「それは、シャスカだよ! ……あ、シャスカです!」


 リミ=ルウが元気に答えると、エウリフィアは楽しげな視線を差し向けた。


「リミ=ルウ、あなたもお兄様のように、好きに喋ってかまわないのよ。……でも、そう、これがシャスカなのね。アスタの手によって、シャスカは本来とは異なる食べ方が考案されたと聞いていたけれど……これは本当に、シャスカとは思えない味わいね」


「あ、エウリフィアもすでに、本来のシャスカは口にされていたのですね」


 俺が後ろから口をはさむと、エウリフィアは「ええ」と微笑んだ。


「ジェノス城でも、いくらかのシャスカをいただいたのよ。料理長のダイアが、それは見事な料理に仕上げてくれていたけれど……これは、まったく異なる料理であるように思えるわ」


「すごく不思議な味わいですね。でも、とても美味だと思います」


 そのように述べるメリムもリッティアも、満足そうに微笑んでくれていた。

 そのかたわらで、ディアルはひとりだけ眉を曇らせている。


「シャスカという名は聞いたことがあります。これも、シムの食材なのですね」


「うん! だけど、そっちのきな粉はタウの豆でできてるんだよ! タウの豆は、ジャガルの食材でしょ?」


「え? これがタウの豆なのですか?」


 ディアルが目を丸くすると、リミ=ルウは「うん!」とうなずいた。


「それに、ジャガルの砂糖もいーっぱい使ってるからね! シムの食材もジャガルの食材も、どっちも大事なの!」


「うふふ。それを両方ともぞんぶんに味わえるのがジェノスの強みであると、ポルアースはそのように語らっていたらしいわね」


 エウリフィアが、今度はきな粉の『ぼたもち』を口に運んだ。


「ああ、こちらも美味しいわ。ジェノスに生まれたことを感謝したくなるような美味しさよ。ジャガルとシムのお客人にも、ジェノスを訪れたことを幸いと思っていただけたら、嬉しいわ」


「はい。幸い、思います」


「……そうですね。ずっとジャガルに留まっていたら、このような菓子を口にする機会はなかったのでしょう」


 アリシュナは無表情に、ディアルはしかたなさそうに、それぞれ答えていた。その姿を見届けてから、エウリフィアは俺のほうに向きなおってくる。


「アスタ、こういったシャスカの扱い方も、すでに城下町には伝えられているのよね?」


「はい。ダレイム伯爵家の料理長ヤンを通じて、お伝えさせていただきました。ただ、シャスカはまだ十分な量がないので、あまり城下町にも行き渡っていないそうですが」


 そんな中、森辺の民は2回の祝宴で使う大量のシャスカを買いつけさせていただいたのである。それは、シャスカの販売ルートを最初に切り開いたヴァルカスと、流通の管理に関わっているポルアースの厚意によるものであるはずだった。


「きっとシャスカは、城下町でも数多くの人間が欲することになるでしょう。それを見越して、ポルアースはシムに使者を送ったそうよ」


「え? 使者ですか?」


「ええ。例の、森辺に切り開かれた道を使ってね。荷台を引かせずにトトスを走らせたそうだから、その言葉はひと月もかからずにシムへと伝わるのじゃないかしら」


 エウリフィアは、とても満足そうな面持ちで微笑んでいる。


「また、その前からヴァルカスはもっとたくさんのシャスカが欲しいと、シムの商人たちに伝えていたようだし……新たなシャスカの届けられる日が、楽しみね」


 俺は心から「はい」と賛同することができた。

 エウリフィアはひとつうなずいてから、リフレイアのほうに向きなおる。


「ところで、あなたはずっと静かね、リフレイア。今日の菓子には、満足してもらえたのかしら?」


「ええ、もちろんよ。どの菓子もあまりに美味しいものだから、ついつい夢中になってしまったわ」


 取りすました面持ちで、リフレイアはそのように答えていた。確かに、皿の上の菓子は誰よりも早く減っている様子である。


「味比べなどをしていたら、きっと大変な騒ぎになっていたでしょうね。わたしなんて、すべての菓子にすべての星を投じたいと願っていたと思うわ」


「ああ、それは確かにその通りね。わたしだったら……目新しさで、リミ=ルウに投じていたかしら」


「あら、ですけどトゥール=ディンとシリィ=ロウの菓子だって――」


 と、そのように言いかけたメリムが、恥ずかしそうに口もとをほころばせた。


「……と、こんな風に騒ぐことになっていたのでしょうね。本当に、勝ち負けなどつけられないような美味しさでしたわ」


「ええ、本当に。森辺のおふたりはもちろん、シリィ=ロウだってこれほどお若いのに、驚くべき手腕でありますわね」


 そのように言ってから、今度はリッティアが俺のほうに目を向けてきた。


「いずれはまたギバの料理をふるまってほしいと願っているわ。わたくしとメリムは、いまだアスタの料理を口にしたことがないので、その日を心待ちにしているのですよ」


「はい。いずれダレイム伯爵家の厨をお預かりすることができたら、光栄です」


「リフレイア姫は先日、森辺の祝宴に招かれたのですものね。その話を聞いて、わたくしはとても羨ましく思っていましたわ」


 と、メリムも笑顔で声をあげてくる。


「そういえば、今度はジャガルの民を森辺にお招きするのでしょう? ええと、たしか建築屋の方々であるとか?」


「あ、はい。去年からお世話になっている方々で、今年などは家の建てなおしをお願いすることになったのです」


 俺がそのように答えたとき、カシャンと軽やかな音色が響いた。

 目をやると、ディアルがお茶のカップを皿の上に置いたところであった。どうやら目測を誤って音をたててしまったらしく、「失礼しました」と軽く頭を下げてから、俺に強めの視線を突きつけてくる。


「アスタ、ジャガルの民を森辺にお招きするのですか? それは、初耳です」


「あ、はい。最近、ようやく本決まりになったのです。それまでは、口外しないほうがいいかと思いまして」


「……リフレイア姫が森辺にお招きされたとき、わたしはジャガルの民であることを理由に、参席をあきらめるように諭されました。それで今度は、ジャガルの民を森辺にお招きするのですか」


 ディアルはにこやかに微笑んでいたが、その口もとはぴくぴくと引きつっていた。土台、心情を隠すのが苦手なジャガルの民なのである。


「それはもしかして、わたしも屋台で顔をあわせたことのある、あのネルウィアの方々なのでしょうか?」


「あ、はい、そうですね。ジェノスで雇い入れた方々も多数いらっしゃいますが、みんなジャガルのお生まれであるようです」


「今回は西の民ではなく、南の民と交流を深めよう、という行いであるわけですね?」


 ついにディアルは、わなわなと肩を震わせ始めてしまった。

 メリムとリッティアは心配そうに眉をひそめており、エウリフィアは笑いをこらえているような顔つきで、オディフィアの口もとをぬぐってあげている。


「えーと……ディアルは森辺の集落にご興味があるのでしょうか?」


「……興味がなければ、先日の祝宴においても声をあげることはなかったでしょう」


「ああ、それはそうですね。では、ディアルも一緒にお招きできるかどうか、建築屋の方々と相談してみましょうか?」


 すると、アリシュナがディアルのほうを見た。


「私、とても羨ましい、思います。このたびも、東の民、招くこと、許されないでしょう」


「……あなたは先日、《銀星堂》という場所に招かれたそうではないですか。あのときは、東の民のための晩餐会であったのでしょう?」


「はい。ですが、森辺の集落、招かれる、羨ましいです」


 夜の湖を思わせるアリシュナの瞳が、俺のほうにすうっと向けられる。

 取りすました黒猫に、美味なる食事をせがまれているような心地である。


「さ、さすがに今回は難しいですね。東と南の方々は、ちょっと複雑な関係性にありますし……」


「わきまえています。ただ、羨ましい、思います」


「オディフィアもうらやましい」


 と、いきなりオディフィアも発言した。

 エウリフィアは、困ったように口もとをほころばせる。


「オディフィアは、トゥール=ディンと会いたいだけなのでしょう? 今日もこうして顔をあわせることができたのに、まだ足りていないのかしら?」


「……オディフィアは、もっともっとトゥール=ディンといっしょにいたいの」


「だったらそれは、トゥール=ディンを城下町にお招きしましょうね。……トゥール=ディン、また近い内に、あなたをお招きさせてもらえるかしら?」


「は、はい、もちろんです! ……絆を深めるための行いでしたら、きっと族長たちもお許しになってくれると思います」


 そのように述べながら、トゥール=ディンはオディフィアに微笑みかけた。

 オディフィアは、椅子の上でうずうずと身体を揺らしている。


「ごめんなさいね。父親がジェノスを離れているために、オディフィアもずいぶん人恋しくなってしまっているようなの。……まあ、あなたのことを求めているのは、もとからなのだけれどね」


「こ、光栄に思います。わたしも、その……オディフィアと絆を深められることは、とても嬉しく思っていますので」


 数メートルの距離を置いて、トゥール=ディンとオディフィアはおたがいのことだけを見つめ合っていた。

 その姿をしばらく見やってから、リフレイアが俺に呼びかけてくる。


「ねえ、アスタ。これであなたがたの仕事はおしまいなのでしょうけれど、すぐに帰らないといけないのかしら?」


「え? それは……こちらのふたりがギバ狩りの仕事を控えているので、それ次第になりますが」


 リフレイアの目が、俺から2名の狩人たちへと移動された。

 アイ=ファは、けげんそうに小首を傾げている。


「今日の城下町での仕事は、下りの一の刻までと聞いているので、その刻限には森辺に戻りたいと願っている」


「それなら、まだ半刻ほどは残されているはずね。エウリフィア、それまでは彼女たちも、この場に腰を落ち着けてもらってはどうかしら?」


「腰を落ち着ける? 座席を用意するということ?」


「ええ。この場にいる誰もが、森辺の民と絆を深めることを願っているようなのだもの。せっかくの機会なのだから、腰を落ち着けて語らってもらったらいいのじゃない?」


「護衛役である我々に、椅子などは不要だ」


 と、アイ=ファが落ち着き払った様子で口をはさんだ。


「椅子は、かまど番にのみお願いしたい。我々は、その背後に控えていよう」


「そうね。それじゃあ、椅子を運ばせましょう」


 エウリフィアはあっさりとそう言って、シリィ=ロウのほうに目を向けた。


「もちろんあなたも、加わっていただけるわよね? あなたも約束は、下りの一の刻までだったのだから」


「はあ……ですがわたしは、森辺の民ではありません」


「だからあなたも、森辺の民と絆を深めたいのじゃない? あなたなんて、森辺の祝宴には2度も招かれているのでしょう? そのお話も、ぜひ聞かせてもらいたいわ」


 そうしてエウリフィアは呼び鈴を鳴らすと、小姓たちに追加の椅子を運んでくるように言いつけた。


「格式張った晩餐会などでは、料理人を席に座らせるというのも、なかなか許されないのでしょうけれど、今日はお茶会ですもの。何も堅苦しく考える必要はないわ」


「ええ、森辺の方々とゆっくり語らえるなら、とても嬉しく思います」


 メリムとリッティアも、嬉しそうに笑ってくれている。

 そしてこちらでも、トゥール=ディンとリミ=ルウが笑顔になっていた。


 そんな中、オディフィアは卓の下でぱたぱたと足を動かしている様子である。そうして小姓たちの手によって新たな椅子が運び込まれてくると、幼き姫君はリフレイアのほうを振り返った。


「リフレイア、ありがとう」


「何かしら? あなたにお礼を言われる覚えはないのだけれど」


「トゥール=ディンとおしゃべりできるから、オディフィアはとてもうれしいの」


「そう」と、リフレイアは微笑んだ。

 親睦の祝宴以来の、穏やかな笑顔である。


「それなら、ぞんぶんにおしゃべりするといいわ。わたしも、そうさせてもらうから」


「うん」と、オディフィアはうなずいた。

 エウリフィアの指示で、椅子のひとつがそのかたわらに近づけられる。


「さあ、トゥール=ディンはこちらにどうぞ。アスタはリフレイアのそばでいいかしら?」


「はい、ありがとうございます」


 椅子は左右にふたつずつ並べられたので、俺とシリィ=ロウがリフレイアの近くに陣取ることになった。俺たちの背後にはアイ=ファが、トゥール=ディンとリミ=ルウの背後にはジョウ=ランが、そっと立ち尽くす。


 オディフィアは身体ごとトゥール=ディンに向きなおって、その姿を見つめていた。

 トゥール=ディンはやわらかく微笑みながら、それを見返している。

 これだけたくさんの人がいる中で、そこにだけ特別な空気が生まれているように思えてならなかった。


(ジェノス侯爵家のオディフィアと、族長筋の眷族であるトゥール=ディンが、これだけ親密になれたのはおめでたいことだ……なんて、そんな風に考えるのも無粋に思えてきちゃうな)


 ふたりはおたがいの身分など関係なく、これだけ心を通い合わせることがかなったのだ。美味なる菓子を喜ぶオディフィアと、オディフィアが喜ぶことに幸福を見出すトゥール=ディン――かつての俺とアイ=ファだって、始まりはただそれだけであったはずだった。


 そうして俺とアイ=ファが絆を深めることで、森辺には大きな変革がもたらされることになった。ならば、トゥール=ディンとオディフィアが絆を深めることで、ジェノスにも大きな変革がもたらされるのではないだろうか。

 俺はそのようにも思ったが、それもまた無粋な話だった。俺とアイ=ファだって、何も大それた真似がしたくて、絆を深めたわけではないのだ。


(心のおもむくままに、仲良くすればいいよ。そうしたらきっと、森と西方神が幸福な行く末に導いてくれるはずさ)


 俺はそんな風に考えながら、リフレイアや他の貴婦人と絆を深めることにした。

 その半刻は、まるで黄金色の光に包まれているような時間だった――と、トゥール=ディンが恥ずかしそうに語ってくれたのは、森辺へと帰る道中においてのことであった。

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