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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
602/1675

青の月の二十八日②~再会~

2018.5/20 更新分 1/1

 小宮の庭園に設置されたお茶会の会場に案内されると、そこには前回と同じ顔ぶれが待ち受けていた。

 メルフリードの伴侶であるエウリフィア、その息女オディフィア、トゥラン伯爵家の当主リフレイア、ダレイム伯爵家のリッティアとメリム――それに、俺たちに一歩先んじて席についた、ディアルとアリシュナである。


「おひさしぶりね、森辺の皆様がた。今日もわざわざ足を運んでいただき、とても感謝しているわ」


 まずはこの席の招待主であるエウリフィアが、ゆったりと微笑みながら、そのように挨拶してくれた。

 そのかたわらで、オディフィアはじっとこちらを見つめている。その視線の先にあるのは、もちろんトゥール=ディンだ。トゥール=ディンはこらえかねたように微笑みながら、その真っ直ぐな眼差しを受け止めていた。


「わたくしどもは、本当にひさかたぶりとなってしまいましたわね。みなさまがお元気なようで何よりだわ」


 そのように述べたのは、ポルアースの母君であるリッティアであった。ポルアースの伴侶であるメリムともども、そちらにもお変わりはない様子である。


「今日のお茶会は、心待ちにしておりました。どのような菓子を出してくださるのか、とても楽しみにしておりますよ」


「はーい! 喜んでもらえたら、嬉しいです!」


 元気に答えるリミ=ルウと、恐縮しきった様子で頭を下げるトゥール=ディンである。

 すると、自分の順番を待っていたかのように、リフレイアも声をあげた。


「わたしも今日の集まりは、心から楽しみにしていたわ。……あと、アスタ。先日は仕事の最中に時間を取らせてしまって、ごめんなさい」


「いえ、とんでもない。わざわざリフレイアが足を運んでくださって、俺はとても嬉しかったです」


 本日は他の貴婦人がたの目があったので、俺も丁寧な言葉で返事をさせていただいた。

 喪服ではなく、白いドレスを纏ったリフレイアは、とても穏やかな眼差しで俺を見つめている。


「あれから数日が過ぎたけれど、わたしの気持ちに変わりはないわ。どうぞこれからもよろしくね」


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 このやりとりを静かに見守っていたエウリフィアが、「あら?」と首をななめにする。


「そちらの殿方は、初のお目見えであるようね。ルウ家の御方なのかしら?」


「いえ。俺はランの分家の長兄で、ジョウ=ランと申します。以前、王都の人々と会合をされたときにも、護衛役を申しつけられました」


 普段と変わらぬ屈託のない表情で、ジョウ=ランはそう答えていた。

 エウリフィアは、「そう」と微笑んでいる。


「ルウ家の方々にも負けない、立派な殿方ね。年頃の貴婦人を招いていたら、また大変な騒ぎになっていたかもしれないわ」


 そのように言われても、ジョウ=ランは「そうですか」と涼しい顔をしていた。なかなか頼もしいマイペースっぷりである。

 そのとき、小姓に連れられて、別の料理人が参上した。俺たちとともに厨を預かることになった、シリィ=ロウだ。


「貴婦人のみなさまにご挨拶をさせていただきます。本日、茶会の厨を預からせていただく、シリィ=ロウです」


 白い調理着を纏ったシリィ=ロウは、優雅に一礼した。

 ただ、褐色の髪が汗で湿って、額や頬に張りついてしまっている。彼女はすでに、厨で下ごしらえを始めていたのだろう。


「ああ、シリィ=ロウ。本日もどうぞよろしくね。またあなたの菓子を味わえるのを楽しみにしていたわ」


「過分なお言葉、恐縮です」


 相変わらず、シリィ=ロウは貴族を前にしても如才がない。

 そして彼女はきわめて真剣な目つきをしており、横に並んでいる俺たちのほうには視線を向けてこようとしなかった。


「それでは、菓子の準備を進めてもらいましょう。ただ、その前にひとつだけお伝えしておきたいのだけれど……今日は味比べをしないことになったので、そのおつもりでよろしくね」


「え?」と、シリィ=ロウが心外そうな声をあげた。


「そうなのですか? 茶会においては、味比べの余興を行なうのが通例であると考えていたのですが」


「ええ。だけど今日は、事情があって……実は、オディフィアが厨の見学をしたいと言い出したのよ。そうしたら、リフレイアとメリムも名乗りをあげたので、そちらの3名に見学をさせてあげてほしいの」


 そう言って、エウリフィアはにこりと微笑んだ。


「そうして厨を見学したら、誰がどの菓子を作ったかもわかってしまうでしょう? それでは味比べを行っても興ざめだから、今日は取りやめることにしたのよ」


「そうですか。承知いたしました」


 そんな風に答えながらも、シリィ=ロウはやっぱり無念そうな面持ちであった。そして、初めて俺たちのほうを、ちらりと見やってくる。


(そうか。前回はトゥール=ディンに負けちゃったから、その雪辱に燃えていたのかな)


 しかし、俺はどちらかというと味比べの余興には苦手意識を持っていたので、今回の措置もありがたく思えるぐらいの話であった。

 もちろんトゥール=ディンは、俺以上に安堵している様子である。前回はシリィ=ロウが悔し涙を流す姿を見せつけられて、トゥール=ディンは慌てふためくことになったのだ。


「それでは、菓子の準備をよろしくね」


 そのように言いながら、エウリフィアは卓に置かれていた銀色の呼び鈴を鳴らした。

 図太い石柱の陰に潜んでいた侍女と兵士たちが、こちらに寄ってくる。侍女は2名で、その片方はシフォン=チェルだ。シフォン=チェルはたおやかな足取りでリフレイアのもとに向かいつつ、俺のほうにさりげなく微笑みかけてくれた。


「わたくしたちは、こちらで待たせていただくわ。オディフィア、トゥール=ディンの邪魔をしては駄目よ?」


「うん」とひとつうなずくと、オディフィアは床に降り立った。リフレイアとメリムも、貴婦人らしい優雅さで立ちあがる。


「それでは、厨までご案内いたします」


 シェイラが主人であるメリムのエスコートをしながら、先頭に立って歩き始めた。リフレイアのかたわらにはシフォン=チェルが、オディフィアのかたわらには年配の侍女が付き添って、その後に続く。そうして護衛役の武官をはさんで、俺たちは最後尾を歩くことになった。


「……お会いするのは、祝宴以来ですね。先日の地震で、何も被害はありませんでしたか?」


 俺が小声で問いかけると、シリィ=ロウは「ありました」と言い捨てた。


「食料庫の棚が崩れてしまい、貴重な酒の壺などが割れてしまったのです。ヴァルカスはもう、目もあてられないぐらい悲嘆に暮れていましたね」


「そうですか。それは災難でしたね」


「……あなたがたは、何も被害などなかったのですか?」


「はい。いくつかの家が倒壊してしまいましたが、大きな怪我をする人間はいませんでした。俺が住んでいた家も潰れてしまったので、新たに建てなおすことになったのですよ」


 俺がそのように答えると、シリィ=ロウはぎょっとした様子で目を見開いた。


「それは、大変な騒ぎではありませんか。本当に大丈夫であったのですか?」


「はい。新しい家も、無事に完成しましたので。……心配をしてくれて、ありがとうございます」


「べ、別に心配などしていません」


 と、シリィ=ロウがわずかに唇をとがらせると、横合いからジョウ=ランが「あの」と声をかけてきた。


「俺は、森辺の民のジョウ=ランといいます。ユーミがあなたによろしく伝えてほしいと言っていましたよ、シリィ=ロウ」


「ユ、ユーミというのは、あの宿場町の民のことですか? どうして森辺の民であるあなたが、そのような言伝を頼まれているのです?」


「俺も先日の祝宴に招かれていたので、そこでユーミと縁を結ぶことになったのです。あなたの姿も、何回か見かけていました」


 そう言って、ジョウ=ランはにこりと微笑んだ。


「ユーミはもっとあなたと頻繁に顔をあわせたいと願っているようです。また何か機会があるといいですね」


「はあ……」と応じつつ、シリィ=ロウはとても複雑そうな面持ちになっていた。彼女も決して社交的なタイプではないので、森辺の狩人らしからぬ無邪気さを持つジョウ=ランに、ちょっと辟易しているのかもしれない。


 そうして俺たちがささやかな交流を結んでいる間に、厨へと到着した。

 武官の手によってその扉が開かれると、メリムが「まあ」と弾んだ声をあげる。


「『白鳥宮』にも、このように立派な厨が存在したのですね。それに、とっても素敵な香りですわ」


 厨には、すでに甘ったるい香りが充満していた。その出処であるかまどの前に立っていた人物が、ちょっと慌てた様子で白覆面を脱ぎ捨てる。


「これは失礼いたしました。何かご用事でしょうか、貴婦人のみなさま?」


 それは、料理人のロイであった。本日も、シリィ=ロウの手伝いをするために同行していたのだろう。

 一礼するロイに向かって、リフレイアが「頭をお上げなさい」と呼びかける。


「今日はオディフィア姫の提案で、わたしたち3名が厨の見学をさせてもらうことになったの。邪魔をしないように心がけるから、わたしたちのことは気にせずに仕事をお続けなさい」


「は……承知いたしました」


 ロイがちょっと目をぱちくりさせていると、リフレイアはけげんそうに小首を傾げた。


「あら……あなたは見かけたことがあるような気がするわ。もしかしたら、あなたもかつてトゥラン伯爵邸で働いていたのかしら?」


「はい。自分は使用人の食事を任されておりました。名は、ロイと申します」


「使用人の? ……それじゃあ、わたしがアスタに不埒な真似をしてしまったとき、その面倒を見ていたのは、あなたであったのかしら?」


 ロイは何とか平静を取りつくろいつつ、「はい」とうなずいた。

 リフレイアは遠くを見るような眼差しになりながら、「そう……」と応じる。


「あのときは、あなたにも迷惑をかけてしまったわね。そんなあなたがこの場にいるということは、ヴァルカスのもとで働くことになったということなのかしら?」


「は……いえ、いまはまだ見習いの身の上で、ヴァルカスのお弟子の仕事を手伝わせていただいております」


「そうなのね。ちっとも知らなかったわ」


 穏やかな声で述べながら、リフレイアはシリィ=ロウのほうを振り返った。


「仕事を続けなさいと言っておきながら、長々とごめんなさい。どうぞあなたも仕事を始めてちょうだい、シリィ=ロウ」


「承知いたしました」


 シリィ=ロウは一礼してから、卓の上に置かれていた白覆面を装着する。目と鼻と口のところにだけ穴の空いた、布製の奇妙な覆面である。ロイも覆面をかぶりなおすと、メリムが「まあ」と笑い声をたてた。


「あなたがたは、そのようなものをかぶって厨の仕事に取り組んでいるのですね。わたしの知る料理人は、帽子ぐらいしかかぶっていなかったように思うのですけれど」


「はい。汗がこぼれぬように、ヴァルカスが考案したものとなります」


「まるで仮面舞踏会のようですね。暗がりで出くわしたら、悲鳴をあげてしまいそうです」


 ポルアースの伴侶であるメリムは、とても小柄で幼げに見える貴婦人である。ころころと笑い声をたてても、皮肉っぽい感じはまったくしない。シリィ=ロウは「恐縮です」と一礼してから、ロイのほうに近づいていった。


「よーし、それじゃあ、リミたちも始めよー!」


 こちらの準備した食材は、すでに作業台の上に並べられている。護衛役としてはアイ=ファだけが扉の前に居残り、ジョウ=ランは武官のひとりとともに外で待機することになった。


 確かに立派な厨ではあるが、これだけの人数が集まると、なかなかの人口密度である。3名の貴婦人はそれぞれの侍女を従えつつ、壁際にずらりと立ち並んでいた。

 鼻歌まじりに作業を始めようとしているリミ=ルウを横目に、トゥール=ディンは貴婦人がたのほうに向きなおる。


「あ、あの、オディフィアは元気におすごしでしたか?」


 オディフィアは無表情のまま、「うん」とうなずいた。

 その灰色の瞳は、最初からトゥール=ディンにロックオンされている。


「トゥール=ディンも、げんきだった?」


「はい。先日の地震いで、分家の家がひとつ潰れてしまいましたが……家人に大きな怪我はありませんでしたし、わたしもご覧の通りです」


 その話は、すでに使者を通してオディフィアにも伝えられているはずだった。

 オディフィアは、やはり無表情のまま、「うん」とうなずいている。


「さいしょのよるは、すごくしんぱいだったの。トゥール=ディンがぶじでいるように、せいほうしんにおいのりしてたの」


「ありがとうございます。わたしもオディフィアの無事を、森と西方神に祈っていました」


 トゥール=ディンが、慈愛に満ちみちた顔で微笑んだ。

 とたんに、オディフィアがそわそわと身体をゆすったので、かたわらの侍女が掣肘の声をあげる。


「お邪魔をなさってはいけませんよ、オディフィア姫。彼女はこれから、オディフィア姫のためにお仕事をなさるのですからね」


 オディフィアは、また「うん」とうなずいた。

 心なし、子犬がぺたりと耳を下げているような風情である。本当は、トゥール=ディンのもとに駆けつけて、ぎゅっとその身体をハグしたいのではないだろうか。


「……オディフィア、数日前からお届けしている屋台の菓子は、気に入ってもらえましたか?」


 トゥール=ディンがさらに呼びかけると、オディフィアはぴょこんと面を上げた。


「うん。とってもおいしかった。かあさまもおじいさまもおいしいといってた」


「ありがとうございます。オディフィアに喜んでいただけたら、すごく嬉しいです」


 今度はオディフィアが、見えざる尻尾をせわしなく振っているように思えてしまった。どうもこの幼き姫君は、透明の耳と尻尾を持つ子犬のように思えてやまないのである。


(ふたりが顔をあわせるのは、ひと月とちょっとぶりか。あとでゆっくり言葉を交わせる時間があればいいな)


 そのように考えながら、俺は仕事を始めることにした。まずは、トゥール=ディンのお手伝いである。

 トゥール=ディンの指示に従って、フワノやポイタンやカロン乳などを取り分けていく。トゥール=ディンがそれらの食材を使って調理を進めていく姿を、オディフィアは一心に見つめていた。


 そちらが一段落したら、今度はリミ=ルウのお手伝いだ。すでに下準備は完了していたので、鉄鍋に水を汲み、それを火にかける。こちらでは、火の番を受け持つ段取りになっていた。


「やはり誰もが見事な手際ですね。リミ=ルウやトゥール=ディンはあんなに幼いのに、感心してしまいます」


 メリムがそんな風に述べている声が聞こえてきた。おそらくは、リフレイアあたりに語りかけているのだろう。


「わたくしは自分の家でも、ときたまこうして厨での仕事を覗かせてもらっているのです。数々の食材がどのような手際で料理に仕上げられていくか、それを見ているだけでも楽しいものですよね」


「ふうん。わたしは厨を覗いたことなんて、一度もなかったわ。焼きあげる前の肉なんて、あまり目にしたいとは思えなかったもの」


「あら、そうなのですね。それじゃあ今日は、肉を使わない菓子作りだから、見学を願い出たのですか?」


 しばしの沈黙の後、リフレイアは「いいえ」と言った。


「わたしは森辺の方々と正しく絆を深めていかなければならないから、見学を願い出たの。そうすれば、少しでも長く時間をともにすることができるでしょう?」


「ああ、そうだったのですか。でも、仕事の最中にはあまり口をきくこともできないでしょうし……それなら、アイ=ファにお話をうかがったら、いかがでしょう?」


 その言葉に、俺も思わず振り返ってしまった。

 メリムはにこやかに微笑みながら、リフレイアごしにアイ=ファのほうを見つめている。リフレイアは、そんなメリムの横顔をいぶかしげに見上げていた。


「あなたは、彼女と懇意にしていたの? それはちょっと、意外だったわ」


「はい。ダレイム伯爵家では森辺の方々と親睦を深めるための舞踏会を開いていたので、そのときにご挨拶をさせていただいたのです」


「ああ、なるほど……そういえば、以前のお茶会でも彼女の召し物がどうとかいう話が出ていたものね。あれは、あなたが貴婦人の宴衣装を纏ったという意味だったのかしら?」


 扉の前に立っていたアイ=ファは、仏頂面で貴婦人らのほうを振り返った。


「それは確かにその通りだが、いまさら取り沙汰するような話でもあるまい」


「ふうん。何だか想像がつかないわね。でも、それほど秀麗な容姿をしているのだから、貴婦人の宴衣装なんて、さぞかし似合うのでしょうね」


「それはもう、光り輝くような美しさでありましたわ。義母のリッティアもまた森辺の方々を祝宴に招きたいと、かねがね申しているのです」


 そう言って、メリムはにこりと微笑んだ。


「それにはまず、王都の方々のご理解をいただく必要があるのでしょうね。森辺の方々を気兼ねなく城下町にお招きできる日が来ることを、わたくしもリッティアも心待ちにしておりますわ」


 アイ=ファは礼を失してしまわないように、無言で目礼だけを返していた。アイ=ファにしてみれば、窮屈な宴衣装を纏わなくてはならない城下町の祝宴は、それほど心のひかれるものではないだろう。


(だけど、あのドレス姿はすごく似合ってたもんな。俺としては、何度でも拝見したいところだ)


 内心でひとりごちつつ、俺はかまどに薪を追加した。

 シリィ=ロウたちは、まだ鉄鍋と格闘している様子である。いったいどのような菓子をこしらえているのか、そちらからは果実の香りが強く感じられた。


「では、こちらも窯で焼きあげますね」


 と、巨大な耐熱皿を抱えたトゥール=ディンが、それを鉄製のオーブンにセットする。そうしてそちらから新たな香りがあふれだすと、ずっと無言でいたオディフィアが「あ」と声をあげた。


「ギギのにおい……きょうもギギのおかしなの?」


「はい、そうです。最近はギギの葉を使うことが多かったので、別の菓子のほうがよかったでしょうか?」


 トゥール=ディンがいくぶん心配そうに言うと、オディフィアはぷるぷると首を振った。


「ギギのおかし、いちばんすき。がとーしょこら、すごくおいしかった」


「ありがとうございます。今日の菓子も気に入っていただけたら、とても嬉しいです」


 トゥール=ディンがほっとしたように微笑むと、オディフィアはまたもじもじと身体をゆすっていた。トゥール=ディンが微笑むたびに、飛びつきたい衝動に駆られている様子である。


「よーし、できたー! ね、アスタ、味見してくれる?」


 と、隣のかまどで下ごしらえに励んでいたリミ=ルウが、木皿と木匙を差し出してきた。

 俺は快く承諾して、小さめの鉄鍋で煮込まれていたものの味見をする。出来栄えは、申し分ないようだった。


「うん、いいんじゃないかな。あとはこっちの鍋が仕上がるのを待つだけだね」


「うん! そっちはこのままアスタにお願いしてもいい?」


「もちろんさ。この鍋の扱いに関しては、俺のほうが慣れてるしね」


「ありがとー! それじゃあ、お願いね!」


 そのように言い残すと、リミ=ルウは貴婦人がたのほうにてけてけと駆けていった。


「あの、わたしはルウの家のリミ=ルウです! あっちの鍋ができあがるまで、リミとお話ししてくれませんか?」


 3名の貴婦人がたは、それぞれ不思議そうにリミ=ルウの笑顔を見返していた。その中で、メリムが優しげな笑みを浮かべる。


「あなたのお話をうかがえたら嬉しいですけれど、でも、仕事のほうは大丈夫なのですか?」


「うん! あと半刻ぐらいは、やることがないの」


「それなら、是非お話をうかがわせてください。実はさきほどから、リミ=ルウの作っている菓子のことが気にかかっていたのです。いったいどのような菓子を作ろうとしているのか、さっぱり見当もつかなかったので……」


「えへへ。アスタに新しいお菓子の作り方を教えてもらったんだよ! きっとみんな、びっくりするんじゃないかなあ」


 これでしばらくは、貴婦人がたを退屈させることにもならないだろう。そしてリミ=ルウであれば、ジェノスの貴族と正しき縁を紡ぐための大きな一助になれるはずだった。


(公式の場で貴族と対面できるのは、立場のある男衆ばっかりだったもんな。こういう交流だって、それに負けないぐらい大事なはずだ)


 もしもシリィ=ロウより先に菓子を仕上げることができれば、トゥール=ディンもその輪に加わることができる。そうしたら、オディフィアもさぞかし喜ぶことになるだろう。

 そんな風に考えながら、俺は引き続き火の番をつとめさせていただくことにした。

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