青の月の二十四日①~朗報~
2018.5/17 更新分 1/1
翌朝である。
目を覚ますと、アイ=ファはいつも通りのアイ=ファに戻っていた。
仕事の時間にマルフィラ=ナハムが姿を現しても、とりたてておかしな様子を見せることなく、凛然と挨拶を返している。マルフィラ=ナハムのほうは、今日も恐縮しきった様子でぺこぺこと頭を下げていた。
(まさか、マルフィラ=ナハムの存在がアイ=ファの心をかき乱すことになるなんてなあ)
当然のこと、俺がマルフィラ=ナハムにおかしな気持ちを抱くことなどは一切ありえなかった。
その才覚の片鱗には興味を引かれるし、とても誠実そうな娘さんだなという好感は抱いている。それに、そのひょろひょろとした長身や、せわしなく視線を泳がせる姿も、見慣れてくると愛嬌があって好ましいように思えたが、それが特別な感情に発展することなどはありえなかった。
(それに何となく、最初から喋りやすいとは思ってたけど、その理由もわかったぞ。マルフィラ=ナハムは、ちょっとロロに似てるんだ)
ロロというのは、《ギャムレイの一座》に属する旅芸人のひとりである。復活祭の夜には革の甲冑を纏って、驚くべき曲芸を披露してくれた、あの娘さんだ。
あのロロも、身長は俺と同じぐらいはあったし、ひょろひょろに痩せていた。それに、めっぽう気弱そうな様子で、いつもオドオドとしていたのだ。それでいて、妙に愛嬌のあるところが、マルフィラ=ナハムと少し似通っていたのだった。
(それに、人並み以上の力量を持ってるのに自信なさげなところも似てるのかな。あのロロなんて、森辺の狩人を力比べで負かせるような娘さんだったもんなあ)
何にせよ、俺がロロやマルフィラ=ナハムに抱くのは、どこにも後ろ暗いところのない友愛であった。俺は断固として、男女間に友情は成立すると信じている人間なのである。
(俺がそういう人間に育ったのは、玲奈のおかげなのかな)
俺が幼馴染の玲奈に抱いていたのは、友愛よりも家族愛に近い感情であった。
しかしそれでも、恋愛感情とはかけ離れた感情であったことに変わりはない。玲奈はとても可愛らしくて、さぞかし異性にも人気なのだろうなあと思いつつ、俺が恋愛感情を抱くことにはなりえなかったのだ。
(レイナ=ルウやヴィナ=ルウやユン=スドラだって、同じことだ。だいたい俺は……彼女たちと出会う前に、アイ=ファと出会っちゃってたからな)
いまや俺の恋愛感情をつかさどる部分は、アイ=ファへの想いで埋め尽くされてしまっている。友愛や家族愛をも包括した、強くて熱っぽい情愛が、アイ=ファに対してのみ、激しくかきたてられるのである。アイ=ファと出会って1年と少しが過ぎた現在も、その気持ちは高まるいっぽうであったのだった。
(もしもアイ=ファが出会ったばかりの男衆のことを熱心に語っていたりしたら、俺だって不安になっちゃうかもしれないもんな。昨晩のことは、俺のほうこそ考えが足りていなかったんだ)
俺はそのように思ったが、周囲には常に第三者の目があったので、なかなか昨晩の話を蒸し返すことは難しかった。
それにまあ、平常心を取り戻したアイ=ファにそのようなことを告げても、きっと足を蹴られるだけだろう。いつかまた、ふたりきりになるチャンスが訪れることを、俺はこっそり待ち受けることになったのだった。
そんなわけで、今日も元気にお仕事である。
マルフィラ=ナハムに手ほどきをしつつ、朝の下ごしらえを終えた俺たちは、ルウの集落に向かうことになった。
そこで待ちかまえていたのは、シュミラルだ。
広場の入り口付近で作業中であったルド=ルウやシン=ルウらと語らっていたシュミラルは、俺に向かってゆったりと頭を下げてきた。
「どうしたのですか、シュミラル? ルウ家の手伝いに来たのですか?」
「いえ。城下町、招かれたのです」
「やっと新しい猟犬が届いたんだってよー。昨日の夕方、城下町の使者がそいつを伝えてくれたんだってさ」
そのように述べるルド=ルウは、心から嬉しそうな顔をしていた。
「今回は何頭ぐらい届いたんだろうなー。50頭ぐらいいりゃいいのになー」
「いくら何でも、それは望みすぎだろう。猟犬というのは、しつけるのに長い時間と手間がかかるという話なのだからな」
そのように述べるシン=ルウであるが、その切れ長の目にも期待の光が輝いているように思えた。森辺の狩人は、誰もが十分な数の猟犬を家に迎えることを心待ちにしているのである。
「シュミラルが最初に買ったのが6頭で、その次に買ったのが12頭だっけ? それっぽっちじゃ、足りるわけねーよなー。森辺には、何百人も狩人がいるんだからよー」
「はい。どれだけの猟犬、届いたか、楽しみです」
シュミラルがそのように答えたとき、広場の奥から荷車と何名かの女衆が近づいてきた。
「お待たせしました。今日もよろしくお願いいたします、アスタ」
今日のルウ家の当番は、シーラ=ルウとヴィナ=ルウであった。
シュミラルがやわらかく微笑みかけると、ヴィナ=ルウは頬を染めてそっぽを向いてしまう。両者の微笑ましい関係性も、相変わらずのようであった。
(ギラン=リリンは、シュミラルに氏を与える日もそう遠くはないって言ってたもんな。早くその日がやってきてほしいもんだ)
ともあれ、宿場町に出発である。今期はファの家が2台の荷車を出す日取りであったので、ルウ家の屋台を手伝う女衆を何人かこちらで同乗させることになった。
「ああ、そうだ。実は荷車のことで相談があったのですよね。今後は毎日、ファの家が2台の荷車を出そうかと思うのですが、どうでしょう?」
俺がそのように呼びかけると、御者台に上がろうとしていたシーラ=ルウが「え?」と振り返ってきた。
「何故でしょう? 理由をお聞かせ願えますか?」
「はい。俺も今日の朝に気づいたのですけれど、ディンの家が新しい屋台を出したことによって、こちらは毎日8名のかまど番が宿場町に下りることになったのですよ。だから、ルウ家まで出向く際にも2台の荷車を出す必要が出てきてしまったのです」
これまではヤミル=レイがルウ家で合流していたので、ファの近在から出向くかまど番は6名のみだった。が、トゥール=ディンを手伝うリッドの女衆と、ファの家の日替わり要員が1名増えたことによって、総勢8名となってしまったのだ。なおかつ、現在はマルフィラ=ナハムが研修中であるので、さらに1名がプラスとなっていた。
「荷車の数は、こちらのほうがゆとりもありますしね。毎日2台を出すことも負担にはなりません」
「そうですか。承知いたしました。でも、わたしの一存で決められることではありませんので、ミーア・レイ=ルウにそのお言葉をお伝えさせていただきますね」
「はい、よろしくお願いします」
そんなやりとりを終えてから、俺たちはルウの集落を出立した。今日はシュミラルの荷車も含めて、合計4台である。
宿場町に到着したら、シュミラルは真っ直ぐ城下町に向かい、ユン=スドラは他の宿屋に向かう。俺たちは《キミュスの尻尾亭》で屋台を借り受けて、いざ露店区域だ。
本日も、商売の滑り出しは順調であった。
本日の日替わり定食は『ロースト・ギバ』であり、そちらはヤミル=レイにおまかせする。俺はマルフィラ=ナハムおよびフェイ=ベイムとともに、『ギバまん』と『ケル焼き』の屋台を受け持つことにした。
「『ギバまん』はこの蒸籠の中に入ってるからね。それで、一番上の段が空になったら、一番下に新しい『ギバまん』を詰めた蒸籠を補充するんだ。で、補充をしたときは、必ずこの砂時計をひっくり返しておく。上の3段が売り切れる頃には一番下の分も熱が通ってるはずだけど、万が一にも熱の通りきっていない『ギバまん』を食べさせてしまったら大変だからね。この砂時計の砂が落ちきるまでは、絶対に一番下の段の『ギバまん』を出したらいけないよ?」
「は、はい。承知いたしました」
「仕事の分担は、銅貨を受け取る係と、『ギバまん』を渡す係だ。蒸籠の補充をするのは『ギバまん』を渡す係が受け持って、補充の作業をしている間は、もう片方がひとりで屋台の番をする。とりあえず今日は、俺とマルフィラ=ナハムが『ギバまん』を渡す係を担当しよう」
一から新しい仕事を教えるというのは、おそらくマトゥアとミームの女衆を招いて以来であったので、とても新鮮であった。あれはたしか、雨季の到来と同時に研修を始めたはずであったから――もう半年近くも前の話になるのである。
(そう考えたら、リリ=ラヴィッツはもう半年以上も屋台で働いてるのか。なんだかんだで、長いつきあいだな)
その他の、フェイ=ベイムやガズやラッツやダゴラの女衆などは復活祭の直前ぐらいから働いているので、さらに長い。おそらく、8ヶ月以上は経過していることだろう。
(もうすぐ青の月も終わるから、白、灰、黒、藍、紫で……太陽神の復活祭まで、もう5ヶ月を切ってるのか。何だか、信じられないや)
そして本日は、青の月の24日。
この日に何か、思い出などはあっただろうかと思案して、俺はひとつだけ思い至った。たしか昨年の今日という日は、俺がアイ=ファに拾われてから2ヶ月の記念ということで、ちょっと豪勢な晩餐を準備していたのである。
(それはたしか、ララ=ルウの生誕の日に触発されたんだよな。ってことは、明日がララ=ルウの生誕の日ってことか)
ルウ家においては、いちいちファの人間を呼びたててはキリがないということで、生誕の日は家人のみで祝われることになった。例外は、ジバ婆さんとリミ=ルウの生誕の日のみである。
だから、明日は俺たちがルウ家に招かれることもないだろう。それでも顔をあわせたらララ=ルウに「おめでとう」の言葉を届けるのだと、俺は心に刻みつけておくことにした。
「あ、あ、あの、一番上の蒸籠が空になってしまいました」
と、マルフィラ=ナハムがあたふたと声をかけてきた。
俺もいちおう我を失っていたわけではないので、「うん」と慌てず応じてみせる。
「それじゃあ、そこに置いてある蒸籠を、一番下に補充してね。上のやつは熱いから、気をつけるんだよ?」
マルフィラ=ナハムはおっかなびっくり、その作業に取り組んだ。
しかし、力と器用さをあわせもったマルフィラ=ナハムであるので、まったく不備は見られない。その手が砂時計をひっくり返すのを確認してから、俺は「よし」とうなずいた。
「それじゃあ今度は、空になった蒸籠の補充だ。フェイ=ベイム、しばらくお願いします」
俺とマルフィラ=ナハムは荷車に移動して、木箱の『ギバまん』を蒸籠に移しかえた。
「この木箱の分まで売り切ったら、『ギバまん』はおしまいだ。その後は、鉄鍋を鉄板に交換して、『ケル焼き』を始めるからね。だいたいいつも、中天を少し過ぎたぐらいで『ギバまん』は売り切れるはずだよ」
「しょ、承知いたしました。……あ、あの、どうしてぎばまんとけるやきだけ、途中で料理を変えているのですか?」
「『ギバまん』は、大量の挽き肉を準備して、それをフワノの皮で包まなきゃいけないから、下ごしらえに時間がかかるだろう? だから、この数を作るのが精一杯なんだよ。それで足りない分を、『ケル焼き』で補ってるっていう感じだね」
「ああ、な、なるほど……い、一日中ぎばまんを売るとしたら、いまの倍ぐらいの量を準備しなければならないのですものね。そ、それを準備するのは、大変そうです」
「うん。ルウの家でも同じ理由で、『ギバ・バーガー』と『ギバの香味焼き』を同じ屋台で売ってるよ」
新たな『ギバまん』を補充した蒸籠を抱えつつ、マルフィラ=ナハムは熱心にうなずいていた。
「りょ、了解いたしました。こ、このような話でアスタをわずらわせてしまい、も、申し訳ありません」
「何も申し訳ないことはないさ。疑問があったら、何でも遠慮なく聞いておくれよ」
そうして俺たちが屋台に戻ろうとしたとき、同じように蒸籠を抱えたトゥール=ディンがやってきた。
「やあ、トゥール=ディンも補充かな? リッドの女衆は、ひとりで大丈夫?」
「はい。まだ2日目ですが、ずいぶん手馴れてきたようです」
「それはよかったね。売れ行きのほうはどうなのかな?」
「そうですね。昨日よりはずいぶん勢いがあるように思います。建築屋の方々が、他の南の民に声をかけてくれたのでしょうか。それにつられて、西や東のお客も足を向けてくれているようです」
トゥール=ディンは、気恥かしそうに微笑んでいた。
その目が、ふっとマルフィラ=ナハムをとらえる。
「あ、あの、そちらの調子はいかがですか?」
「え? あ、は、はい。ま、まだまだ何のお役にも立ててはいませんが、懸命に取り組ませていただいています」
ふたりして、おどおどと目を泳がせている。人見知りさんの相乗効果である。
「こっちも何とかやれているよ。トゥール=ディンの抜けた穴は大きいけれど、マルフィラ=ナハムは物覚えがいいから助かってるよ」
「と、とんでもありません」という言葉が異なる口から同時に放たれることになった。
外見上はまったく似ていないものの、どこか似通ったところの多い両者である。
「あ、仕事の邪魔をしちゃってごめんね。それじゃあ、トゥール=ディンも頑張って」
「は、はい。ありがとうございます」
トゥール=ディンは、リスのような素早さで荷車のほうに駆け去っていった。
こちらは屋台に戻りながら、マルフィラ=ナハムはふっと息をついている。
「あ、あのトゥール=ディンという女衆は立派ですね。あのような幼さで屋台の商売を取り仕切るなんて、わ、わたしには考えられないことです」
「そうかな。1年後ぐらいには、マルフィラ=ナハムもそれぐらいの力をつけているかもしれないよ」
「お、お、恐れ多いお言葉です」
そうして屋台に到着すると、ちょうど建築屋の面々が姿を現したところであった。
「あ、どうも。今日もお早いお越しでしたね」
「ああ、まあな。今日も中天の後に、仕事がぎっしりだからさ」
その言葉に、俺は少なからず不安感をかきたてられることになった。
「それはやっぱり、俺たちのために3日も予定を空けてくださったからですよね。みなさんのお心づかいには、本当に感謝しています」
「何を言ってるんだ。だいたい、予定を組んでるのはおやっさんなんだから、礼を言うならおやっさんに頼むよ」
「礼などいらん。余計な気を回すな」
おやっさんは、ぶすっとした顔で『ギバまん』をかじっていた。並んでいるのは『ロースト・ギバ』の屋台であったので、空腹に耐えかねてしまったのだろう。
「ありがとうございます、おやっさん。……それであの、重ねがさね恐縮なのですが、ちょっと建築に関してお話をうかがうことはできませんか?」
「何だ。聞きたいことがあるなら、何でも言ってみろ」
「それが、少し込み入った話なのですよね。よかったら、後で食堂のほうにおうかがいさせてもらえませんか?」
無愛想だが親切なおやっさんは、「好きにしろ」と言ってくれた。
俺は「ありがとうございます」と頭を下げてから、隣の屋台のヤミル=レイを振り返る。
「はいはい、またそちらの面倒を見ればいいのね? どうぞお好きにしてちょうだい」
「すみません。蒸籠の補充のときにだけ、手伝いをお願いします。仕事を見届けてもらうだけで十分ですので」
マルフィラ=ナハムがこれほど優秀でなければ、つきっきりの見届けをお願いしていたところであろう。
俺はおやっさんたちが必要な料理を獲得して青空食堂に向かう姿を確認してから、屋台を離脱させていただいた。
「お食事の最中に申し訳ありません。実はちょっと、みなさんに助言をいただきたいのです」
それで俺は、祭祀堂にまつわる相談を打ち明けさせていただいた。
卓の上に広げた数々のギバ料理を頬張りながら、おやっさんは無言で聞いている。同じ席についたアルダスやメイトンらは、興味深そうにうんうんとうなずいていた。
「100人の人間が入れるぐらいの天幕か。そいつは、ちょいと大ごとだと思うぞ」
ひと通りの話を終えると、まずはアルダスがそう言った。
「それだけの大きさとなると、柱や骨組みもかなり頑丈に造り込む必要があるんだ。何せ、革ってやつは重いからな。下手な仕事をすると、幕を張っている間にみんな崩れちまうだろう」
「そうですか。やっぱり無理のある話なのでしょうか?」
「うーん。そもそも天幕ってのは、張りっぱなしにするようなもんでもないからなあ。アスタの言う旅芸人って連中も、半月やそこらでジェノスを出ていったんだろう? それだけ大きな天幕だと風にあおられやすいし、なおさら張りっぱなしにするのは向いていないのさ」
どうやら俺の思いつきも、あえなく四散してしまいそうだった。
すると、水筒の水で咽喉を潤していたおやっさんが、俺のことをじろりとねめつけてきた。
「俺の言いたいことは、あらかたこいつが言ってくれたようだな。しかもその祭祀堂というやつは、1年にいっぺんしか使わんのだろう? それでは、天幕を張りっぱなしにする甲斐もあるまい」
「ええ、そうですね……」
「だから、使う日の前日にでも張ればいい」
そう言って、おやっさんは豊かな顎髭をまさぐった。
「とりあえずは、柱と骨組みだけを建ててしまえばいいのだ。あとは毎年、使う日の前日にでも幕を張ればいい。そいつを使うのは、来年の青の月なのだろう?」
「ええ、いまのところは、その予定です」
「ならば、そのときまでにギバの毛皮をためておけ。1年もあれば、それぐらいの毛皮を準備するのもわけはないだろう」
「え、あ、ギバの毛皮をその天幕に使うということですか? 俺は、カロンの革でも買うべきかと考えていたのですが……」
「馬鹿を抜かすな。それだけ大量の革など買ったら、どれほどの銅貨がかかると思うのだ? 自前で準備すれば銅貨もかからんのに、わざわざダバッグの連中を喜ばせる必要はあるまい」
言われてみれば、その通りであった。ギバの毛皮は雨季でも狩人の衣や外套として使われているのだから、天幕で使用しても問題はないはずだ。
「では、柱や骨組みさえ準備しておけば、それで十分なのですね。それは森辺の民だけでも準備できるようなものなのでしょうか?」
おやっさんの大きな目が、くわっと見開かれた。
「お前さんは、俺たちに仕事の依頼をしていたのではないのか? そのように大層なものを、素人に建てられるわけがなかろうが!」
「す、すみません。でも、おやっさんたちもこれ以上は予定外の仕事をする時間は残されていないでしょう?」
おやっさんは卓の隙間に頬杖をつくと、難しい面持ちで思案し始めた。
それを横目に、アルダスたちは食事を進めている。
「確かに青の月の31日までは、俺たちも手一杯だな。でも、俺たちはおやっさんの言葉に従うよ」
アルダスがそのようにうながしても、おやっさんはしばらく考え込んでいた。
その末に、再び俺をにらみつけてくる。
「今回は、何かこまかい注文などあるのか? それとも、ただ100人を収める天幕が張れれば、それでいいのか?」
「はい。こまかい注文などはありません。可能であるなら木造りにしてしまおうかという話が持ち上がっていたぐらいですから、形も様式も自由です」
「ふん。そんな大きな建物を木造りでこしらえたら、途方もない値段になってしまうぞ」
そのように言い捨てると、おやっさんは太くてたくましい指を2本、俺に突きつけてきた。
「2日だな。見積もりに半日で、作業に1日半。それだけあれば、骨組みをこしらえることぐらいはできよう」
「2日ですか。家を建てるよりも、短い期間で済んでしまうのですね」
「天幕の骨組みなど、たかが知れているからな。厄介なのは、柱を埋め込むための穴を掘ることぐらいだ。それだけ大きな建物で毛皮を張り巡らせるとしたら、かなりの重さとなってしまうので、柱だけは頑丈に仕上げなければならんのだ」
それでも実働2日間ならば、ファの家の建設費よりも安くあがったりするのだろうか。
「そうすると、代価はどれほどになるのでしょう? いちおうルウ家の方からは、銀貨9枚までなら出すつもりがあると聞いているのですが」
「……白銅貨40枚だな」
「え、40枚!?」と、思わずのけぞってから、俺は別なる驚きに見舞われることになった。
「いやあの、銀貨じゃなくて白銅貨ですか? それではあまりに、安すぎるような……」
「俺たちは、月の終わりまで手一杯だ。新しい依頼を受けるとしたら、そのぶんジェノスに長く居残ることになる。その2日分の宿賃で、白銅貨40枚だ」
建築屋の総勢は20名なので、《南の大樹亭》の宿賃は一泊でひとり白銅貨1枚である、ということなのだろうか。
それはともかくとして、俺は混乱するいっぽうであった。
「宿賃が必要なことは承知しました。それであの、仕事の代価のほうは――?」
「俺たちは、森辺の祝宴に招かれることになっている。世話になるいっぽうでは、筋が通るまい。だから、その仕事の代価は不要だ」
そのように言ってから、おやっさんは短くて太い腕を組んだ。
「お前さんの家を建てなおすのは、れっきとした仕事であったから、代価をいただいた。また、森辺の民の中で、おまえさんの家だけに得をさせるのは筋が通らんだろう。しかし今回の仕事は、すべての森辺の民に関わる話であるのだから……祝宴の礼とするにもちょうどよかろう」
「ほ、本当にそれでよろしいのですか? 今回の仕事だって、2日がかりの大仕事なのでしょう?」
「ふん。お前さんがたが、それに見合う祝宴を開いてくれれば、誰も文句など言うまいよ」
そのように述べながら、おやっさんは俺に顔を近づけてきた。
「祝宴の日取りは青の月の31日から白の月の2日にずれこむことになるが、そちらにも文句はなかろうな?」
「も、もちろんです。だけどやっぱり、あまりに申し訳ない気がしてしまうのですが……」
「そんなことはないさ」と言ったのは、アルダスであった。
「他の連中だって、森辺の祝宴に招かれたことを、たいそう喜んでいるんだよ。おやっさんがそのために身体を張ろうって決めたんなら、誰も文句を言ったりはしないさ。なあ、メイトン?」
「ああ。森辺の民は、南の民とも絆を深めるべきだって考えてくれたんだろう? それなら、俺たちだってその気持ちに応えなきゃな」
メイトンは、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。
「どうか俺たちに、その仕事をさせてくれ。立派な骨組みを作ってみせるからさ」
「わかりました。このことは、すぐに族長たちにもお伝えさせていただきます。……本当にみなさん、ありがとうございます」
俺は心から、そのように言ってみせた。
アルダスとメイトンは笑顔で、おやっさんは仏頂面であったが、その瞳に浮かぶ優しげな光に変わりはなかった。