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異世界料理道  作者: EDA
第三十五章 青の終わり、再び
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青の月の二十三日①~八番目のかまど番~

2018.5/14 更新分 1/1

・今回の更新は、全8話です。

 朝――俺が目を覚ますと、アイ=ファの寝顔が真っ先に視界に飛び込んできた。

 どうやら本日も、アイ=ファより早く目を覚ますという幸運に見舞われたらしい。

 おもいきり手をのばせば届きそうな距離で、アイ=ファは健やかなる寝息をたてていた。


 金褐色の長い髪が頬にまでもつれかって、アイ=ファの寝顔を彩っている。普段の凛々しい表情からは想像もつかないぐらい、アイ=ファの寝顔というのは幼げで、可愛らしいのだ。


 そして、俺がアイ=ファの寝顔を見つめていると、数秒ていどでその長い睫毛が持ちあげられていく。これも、いつものことだった。


「朝か。……最近のお前は、私よりも早く目を覚ますことが増えたようだな、アスタよ」


「うん、そうみたいだな」


 寝起きの放埒な気分にひたりながら、俺はぼんやりと答えてみせる。

 が、アイ=ファのほうはさっさと身を起こして、くるくると髪を結いあげ始めてしまう。アイ=ファはオンオフのスイッチがついているのではないかと疑わしくなるぐらい、ものすごく寝起きがいいのだ。


「何をしている。身支度をするので、お前は外に出よ」


 ここはファの家の広間ではなく、個室であった。ジャガルの建築屋に新たな家を建てなおされて以来、俺たちは個室で眠るようになったのだ。

 かつては食料庫として使われていた、右端の部屋である。縦は3メートル、横は2メートルほどのささやかな空間であるので、3名分の寝具を敷くともうほとんどいっぱいになってしまう。俺はアイ=ファが髪を結いあげる姿をしばしうっとりと見つめてから、反対側の寝具に向きなおった。


「ティア、朝だよ。起きれるかな?」


「うむう……アスタは健やかな眠りを得られたか?」


「うん。今日もぐっすりだったよ」


「そうか……アスタの安息を喜ばしく思う……あふう」


 意外というか何というか、この3名の中でもっとも寝起きが悪いのは、ティアであった。ティアも本来は日の出とともに目を覚ます生活に身を置いていたようであるのだが、現在は深い手傷を負っているために、身体が眠りを欲しているらしい――というのは、本人の談である。


「ティアはまだ眠そうだね。俺たちが洗い物を片付けてくるまで、寝ていてもいいんだよ? そのほうが、身体も早く回復するんだろう?」


「ティアは、アスタとともにあらねばならんのだ……アスタが森辺を離れている間にまた眠ることができるのだから、大事ない……」


 などと述べながら、ティアの目はとろんと半開きになっており、いまにも夢の中に舞い戻ってしまいそうだった。

 ティアが寝床にしているのは、俺とアイ=ファが雨季の間に掛け布団として使っていた毛布である。やわらかい毛布に片方の頬をうずめながら、むにゃむにゃと口もとを動かしているその姿は、とても愛くるしく、なおかつ幸福そうでもあった。


「こやつのことは気にするな。お前は仕事の準備を進めておくがいい」


「はいはい、了解であります」


 俺は起き上がり、ひとりで寝所の外に出た。

 そこに待ち受けているのは、広間である。12畳はあろうかという、大きな広間だ。

 一部、かまどのためにスペースを取られているものの、それでも十分に広い。先日の地震で家財が減ってしまったために、いっそう広々と感じられてしまう。


 そしてその場には、まだ強く木の香りが漂っていた。

 本日は、青の月の23日。この新たなファの家が完成して、ようやく4日目であるのだ。


 俺は胸いっぱいにその香りを吸ってから、洗い物の詰め込まれた鉄鍋を玄関口へと移動させた。

 玄関の前の土間では、ギルルとブレイブとジルベが眠っている。俺が近づいていくと、ギルルを除く両名がぱちりと目を開いた。


「おはよう、ブレイブにジルベ。悪いけど、かんぬきを外してもらえるかな?」


 戸板は横に開く様式であるので、かんぬきは棧を通して地面に差し込まれている。ジルベは「ばうっ」と元気に答えてから、顔を横にしてかんぬきをくわえ込み、それを見事に引き抜いてくれた。

 すると今度はブレイブが戸板に前肢をかけて、それをするすると開いてくれる。斯様にして、ファの家人たちはみんな賢い上に勤勉なのである。


 革のサンダルをつっかけて、俺は家の外に鉄鍋を下ろす。

 その足もとをすり抜けて、ブレイブとジルベも外に飛び出してきた。ブレイブは軽やかに、ジルベは力強く、それぞれ元気に家の前を走り回り始める。


「ふう。今日もいい天気だな」


 俺はのんびりと、家の周囲を見回した。

 この家を新設するために、周囲の樹木はずいぶんな量が伐採されて、やたらと見晴らしがよくなってしまっている。これならもう、ちょっとした広場と称せるほどであろう。


(100人……は無理だとしても、6、70人ぐらいは集まれそうだよな)


 そのようにも思うが、いまのところは客人を招く機会もない。もうしばらくしたら建築屋の面々を祝宴に招待する予定になっているが、あれは森辺の側にも参加希望者が多いので、6、70人では収まらないことだろう。

 収穫祭にしても、同じことだ。6氏族の全員が集まれるほどのスペースではない。そうなると、このせっかくの広場もなかなか使い道がなさそうだった。


(いつの日か、ここで婚儀の祝宴を開けたら……なんてな)


 俺は自分の妄想に照れ笑いを浮かべることになった。

 その後頭部を、後ろからぺしんと叩かれてしまう。


「何を呆けている。どうしてギルルを外に出さんのだ」


「あ、ああ、早かったな。いま、出そうと思ってたんだよ」


 振り返ると、アイ=ファがギルルの手綱を手に立ちはだかっていた。

 松葉杖をついたティアも、そのかたわらであくびを噛み殺している。逆側の手に丸めた衣服の一式を抱え込んでいるので、無事に着替えを済ませた様子だ。


「お前もさっさと身支度を整えろ。ぐずぐずしていると、置いていくぞ」


「はいはい、承知いたしました」


 胸中の幸福感にそっと蓋を閉めながら、俺も着替えに取りかかることにした。

 そうしてその日も、至極平穏にファの家の1日は開始されたのだった。


                    ◇


 水場における洗い物、および薪拾いと香草の採取を終えたら、商売のための下ごしらえである。

 その日も定時になると、あちこちから女衆が集まってくれた。

 その中で、俺はトゥール=ディンに「やあ」と笑いかけてみせる。


「どうだい、トゥール=ディン。そちらの下ごしらえも無事に完了したのかな?」


「は、はい。ディンとリッドの女衆が朝から集まってくれたので、予定通りの量を準備することができました」


 トゥール=ディンは、とても張り詰めた面持ちになっていた。

 本日から、トゥール=ディンは屋台で菓子を売る予定なのである。

 屋台の料理の無料配布は一昨日に終了したので、昨日の休業日を使って菓子の内容を練り込み、本日ついにお披露目となったのだ。本日はお試しの販売であったものの、トゥール=ディンの気性であれば緊張しないわけがなかった。


 それでもトゥール=ディンは、こうしてこちらの下ごしらえも手伝ってくれる予定になっている。営業後の勉強会に関しても、また然りである。新たな菓子の屋台を取り仕切りつつ、営業時間の前後はこれまで通りの仕事に従事するという、それがトゥール=ディンにとっては一番の望みであったのだった。


「でも、本当に助かるよ。俺にしてみても、トゥール=ディンがこちらの仕事を手伝えなくなったら、大打撃だからさ」


「と、とんでもありません。わたしのほうこそ、まだまだ学ぶ立場であるのですから……」


 いまだ賞賛の言葉に弱いトゥール=ディンは、すぐに赤くなってうつむいてしまう。すると、その隣に立っていたリッドの若い女衆が、トゥール=ディンににこりと笑いかけた。


「頑張りましょうね、トゥール=ディン。何か至らぬところがあったら、遠慮なく叱りつけてください」


「あ、は、はい。叱ることなんてできませんけれど……どうぞよろしくお願いします」


 トゥール=ディンの屋台の商売を手伝うのは、このリッドの女衆であった。これは、ザザの血族であるディンとリッドが独自に行なう商売なのである。


 これで屋台の商売は、ファの家が3台、ルウの家が2台、ルウ家の客人であるマイムが1台、ディンの家が1台で、合計7台で取り組むことになる。これほど大がかりな規模で軽食の販売に取り組む勢力は、他に存在しないはずだった。


「あれ? ラヴィッツとナハムの家からは、まだ来ていないのですか?」


 周囲をきょろきょろと見回しながら、ユン=スドラがそのように問うてきた。確かに集まっているのは、ガズとマトゥアを中心とした女衆ばかりである。


「うん。まだ三の刻には早いからね。リリ=ラヴィッツが遅刻したことはないから、そろそろ到着するんじゃないかな」


「あ、あれではないでしょうか?」


 マトゥアの若き女衆が、のびあがって道のほうを見ている。以前よりも樹木が少なくなったので、荷車の接近も視認しやすくなっていた。

 そうして姿を現したのは、確かにラヴィッツの家に預けていたトトスと荷車であった。手綱を握っているのは、小さなお地蔵様のような風貌をしたリリ=ラヴィッツだ。


「お待たせいたしました。少し遅れてしまいましたでしょうか?」


「いえ、そんなことはないと思います。お忙しい中、ありがとうございます」


「これも仕事なのですから、礼の言葉は不要です」


 リリ=ラヴィッツは、意外な身軽さで地面に降り立つ。

 すると、その背後から、別の人影もぬうっと出現した。


「こちらが今日からお世話になる、ナハムの女衆です。アスタとは、初めての対面となりましょう」


「そうですね。どうぞよろしくお願いします」


 俺が頭を下げてみせると、ナハムの女衆もおずおずと頭を下げてきた。

 ナハムは、ラヴィッツの眷族である。トゥール=ディンがファの家の屋台から外れてしまうために、俺は新たな人材を雇うことになったのだ。


 むろん、まっさらな新人にトゥール=ディンの代わりはつとまらない。というか、トゥール=ディンの代わりがつとまる人間など、そうそういようはずもないのだ。今後は俺とユン=スドラとヤミル=レイを3つの屋台の責任者として、残りの4名の枠を日替わり要員の女衆でまかなう予定でいた。


 そこでナハムの女衆を雇うことにしたのは、もちろんラヴィッツの血族と絆を深めたいがゆえであった。

 しかし、そればかりが理由であるわけではない。これまでは7名の日替わり要員を3名ずつという不規則なローテーションであったので、8名の要員を4名ずつとして、なおかつそれを血族のペアリングで構成することにしたのである。


 これまでのメンバーは、ガズとマトゥア、ラッツとミーム、ベイムとダゴラという顔ぶれであり、ちょうどラヴィッツ以外は血族でペアにすることができる。そこで、8番目のメンバーはラヴィッツの血族から選出しようと思い至ったわけであった。


 ただし俺は、ラヴィッツの血族とほとんど面識がない。よって、人選はラヴィッツ家に一任していたのであるが――なかなかに、ユニークな外見をした人物が選出されたようだった。


(いや、人を見かけで判断するわけじゃないけど……でも、森辺では珍しいタイプだよな)


 その女衆は、とても背が高かった。

 俺よりも長身であるので、170センチ以上ということになるだろう。今のところ、森辺で俺よりも長身の女衆は、レム=ドムに続いてふたり目であった。


 なおかつ、多くの女衆がそうであるように、すらりとした体格はしていない。ひょろひょろと縦に長くて、痩せ細っているのだ。そんなに弱々しい感じはしないものの、ちょっと均整を欠いた身体つきではあった。


 顔も面長で、きょろんと大きな目をしており、それがきょときょととせわしなく動いている。細長い首の右側で束ねた髪はごく淡い栗色で、日に透かすと金褐色に見えなくもなかった。


(そっか。ファとラヴィッツはもともと血族だったんだから、そっちの血筋には金褐色の髪がいてもおかしくはないんだよな。森辺では、けっこう珍しい色みたいだし)


 ともあれ、今日からこの人物がファの家の屋台で働くのだ。

 俺はラヴィッツの血族と正しき縁を結べるようにと願いながら、明るく笑いかけてみせた。


「ファの家のアスタです。どうぞ今日からよろしくお願いします」


「あ、は、は、はい。ナ、ナハムの家の、マルフィラ=ナハムと申します。ど、ど、どうぞよろしくお願いいたします」


 マルフィラ=ナハムと名乗ったその女性は、目を泳がせながら、また一礼してきた。身長差のおびただしいリリ=ラヴィッツは、その長身を見上げながら、静かに笑っている。


「マルフィラ=ナハムは、ナハム本家の三姉となります。年齢は16で、いささか気の弱いところもありますが、力は強くて手先も器用なので、アスタにご迷惑をかけることはないかと思います」


「あ、あ、足を引っ張ってしまわないように、け、懸命につとめます。よ、よろしくお願いいたします」


 俺は「はい」と笑い返してみせた。

 あれほど内気で人見知りであったトゥール=ディンでも、いまや屋台の取り仕切り役を任されるほどに成長したのだ。このマルフィラ=ナハムだってどのような才能を開花させるか、行く末が楽しみなぐらいであった。


「それでは、さっそく下ごしらえに取りかかりましょう。こちらのかまど小屋にどうぞ」


 俺たちは連れ立って、裏手のかまど小屋に移動した。

 そこではアイ=ファが、薪割りの仕事に勤しんでいる。その姿を目にするなり、マルフィラ=ナハムはぺこぺこと頭を下げ始めた。


「は、は、初めまして。ファの家の家長アイ=ファですね? わ、わ、わたしはマルフィラ=ナハムと申します。ほ、ほ、本日からアスタに仕事の手ほどきをしていただくことになっております」


「ナハムの女衆か。よろしく頼む」


 アイ=ファは額の汗をぬぐいつつ、目礼を返した。

 そのかたわらを通りすぎて、かまど小屋に向かいながら、マルフィラ=ナハムはほうっと溜息をつく。


「あ、あ、あれがアイ=ファという御方なのですね。お、お、女狩人と聞いていたので、も、もっと厳つい容貌を想像してしまっていました」


「あはは、そうですか」


「は、は、はい。あ、あまりに優美な姿なので、驚いてしまいました。わ、わたしよりも、背が小さいぐらいでしたし……」


 気が弱いと評されていたマルフィラ=ナハムであったが、無口な気性ではないようだ。まあ、おしゃべりな仕事仲間は大歓迎である。


「どうかうちの家長とも、絆を深めてみてください。俺たちは、ラヴィッツの血族と正しい縁を結びなおせるように願っていますので」


「は、は、はい。こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そうして俺たちは、下ごしらえの仕事に取りかかることにした。

 朝方の下ごしらえは、なかなかに忙しい。なおかつ、今日から5日間はファの家が宿屋に卸す料理を準備する担当であったので、その忙しさもひとしおであった。


 宿屋に卸すのは、『ギバの角煮』、『ギバのソテー・アラビアータ風』、『ロール・ティノ』の3種。屋台で販売するのは、『ギバの回鍋肉』、『ギバまん』、『ギバのケル焼き』、そして新メニューである『ミートソースのパスタ』の4種であった。


「そ、そ、そんなにたくさんの料理を作るのですか? や、屋台で売られている料理は3種類と聞いていたのですが……」


「正確に言うと、3つの屋台で4種類の料理を売っています。『ギバまん』が売り切れたら『ギバのケル焼き』をお出しする、という形ですね。あとの3種類は、宿屋に渡す料理となります」


 かまど小屋には、10名以上の女衆が詰めかけている。その過半数はもう熟練の顔ぶれであるので、危なげなく作業を進めてくれていた。

 その中に、数名だけ初心者のかまど番も含まれている。マルフィラ=ナハムと同様の、見習い調理助手たちだ。先日まではリッドとディンの女衆を鍛えあげており、今日から5日間はガズとマトゥアの新人さんたちに仕事を覚えてもらう手はずになっていた。


「それじゃあマルフィラ=ナハムには、ミートソースの挽き肉の準備を手伝っていただきますね。肉を細かく刻んだ経験はおありですか?」


「あ、は、はい。以前にラヴィッツの女衆から、に、肉団子という料理の手ほどきを受けましたので……」


 それをラヴィッツの女衆に手ほどきしたのは、前々回の休息の期間だ。その技術がきちんと眷族のかまど番にまで伝えられているのは、幸いであった。


「それでは、こちらの肉でお願いします。まずは、お好きなように刻んでみてください」


「りょ、りょ、了解いたしました」


 マルフィラ=ナハムは肉切り刀を引っつかむと、なかなか力強い手さばきで肉を刻み始めた。

 確かにこれはけっこうな力持ちで、なおかつ手先も器用であるらしい。他の女衆と比べて豪快な挙動であるのだが、力まかせな感じはまったくしなかった。


「ああ、いいですね。その調子でお願いします」


「ほ、ほ、本当ですか? ど、どこか至らぬところがあったら、な、何でもご遠慮なく仰ってください」


「いえ、ばっちりですよ。どこにも問題は見られません」


 マルフィラ=ナハムは恐縮しきった面持ちで、次々にギバ肉をミンチにしていった。

 その向かい側でアリアをみじん切りにしていたリリ=ラヴィッツが、俺にやわらかく笑いかけてくる。


「アスタ、その娘はアスタよりも年少です。どうぞ年長の男衆らしい態度で手ほどきをお願いいたします。……そのほうが、マルフィラ=ナハムも気持ちがやわらぐかと思いますので」


「そうですか。了解いたしました」


 むやみに背が高くて、ちょっと年齢のつかみにくい風貌をしていたものの、16歳であればユン=スドラと同い年である。相手が望むのであれば、くだけた言葉づかいで接することに異存はなかった。


「たまたまだけど、今日は挽き肉を使う料理が3種もあるからさ。こっちの肉もおまかせしようかな」


「は、は、はい。承知いたしました」


 マルフィラ=ナハムは、一心不乱に肉切り刀をふるい続けた。

 やっぱり明らかに、他の女衆よりもペースが速い。近くで同じ仕事に従事していた女衆らも、みんな感心している様子であった。


(ミンチの作業だけで判断はできないけど、これはなかなかの逸材かもしれないな)


 少なくとも、ことさら資質の足りない人間を押しつけられたわけではないと確信できて、俺は安堵することになった。そんなタチの悪い嫌がらせをされると考えていたわけではないが、何せラヴィッツの長はデイ=ラヴィッツであるので、ほんのちょっぴりだけ不安が残されてしまっていたのだ。


 その後、別の作業に移行しても、俺の評価が変わることはなかった。

 マルフィラ=ナハムは力持ちで、手先が器用である。それは、厳然たる事実であるようだった。

 森辺の女衆はみんな力持ちであるのだが、マルフィラ=ナハムはその中でも際立った力を有していたのだ。なおかつ、手先が器用であるために、その怪力が裏目に出ることもない。これでしっかりとした味覚まで有していたら、本当に逸材と呼べる存在にもなりえそうであった。


「よし、これで作業は完了ですね。みなさん、お疲れさまでした」


 およそ2時間が経過して、すべての下ごしらえが完了した。

 完成した料理が荷車に運搬されていくのを横目に、俺はマルフィラ=ナハムを呼び止める。


「あ、マルフィラ=ナハム、これを試食してもらえるかな?」


「し、し、試食ですか?」


「うん。屋台の手伝いをしてもらう人たちには、まず自分たちの売っている料理の味を知ってもらわなきゃいけないからね。今日は俺の屋台を手伝ってもらうから、この料理を食べておくれよ」


 本日の俺の担当は、日替わりメニューである『ギバの回鍋肉』だ。

 ゴマ油に似たホボイの油を使って、本格的に味の調ってきたメニューである。俺はさきほど、それを半人前の量だけ仕上げておいたのだった。


 俺の差し出した皿を前にして、マルフィラ=ナハムは細長い身体をもじもじとよじっている。金魚を思わせる大きな目も、これまで以上に泳いでしまっていた。


「どうしたの? 馴染みの少ない食材がたくさん使われているから、心配なのかな?」


「い、い、いえ、決してそういうわけではないのですが……わ、わたしのように不出来な人間が、こ、こんな立派な料理を口にしてよろしいのでしょうか……?」


「マルフィラ=ナハムは決して不出来じゃないし、相手が誰でもこうして味見をお願いしているんだよ。これも仕事の一環と思って、食べてみてくれないかな?」


「はあ……」と頼りなげに言いながら、マルフィラ=ナハムはようやく木皿を受け取った。

 ほどよく焼きあげられたギバのバラ肉とティノを木匙ですくいあげ、おそるおそる口に運ぶ。

 そうして、その料理を咀嚼すると――たちまちマルフィラ=ナハムは、大粒の涙をこぼし始めた。


「お、お、美味しいです……アスタの料理は、こ、これほどまでに美味であるのですね……」


「そっか、ありがとう。気に入ってもらえたなら、嬉しいよ」


 すると、マルフィラ=ナハムはずいっと俺のほうに近づいてきた。

 涙に濡れた大きな目が、俺よりも高い位置から俺を見下ろしてくる。


「わ、わ、わたしはアスタのために、せ、誠心誠意、尽くしたいと思います……ど、ど、どうかよろしくお願いいたします」


「う、うん。こちらこそ、よろしく」


 ぬぼーっとした外見に反して、中身はなかなかの情熱家であるらしい。なんというか、やっぱりこれまでに出会ってきた森辺の女衆とは、色々な意味でタイプの異なる娘さんであるようだ。

 ともあれ、俺たちはこうして新たな仕事仲間を迎え入れることになったのだった。

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