大神の見えざる手⑨~再生~
2018.4/30 更新分 2/2
・本日は2話同時更新ですので、読み飛ばしのないようにお気をつけください。
・今回の更新はここまです。更新再開まで少々お待ちください。
そして、翌日――青の月の20日である。
その夕暮れ時に、ファの家はついに完成することになった。
朱色がかった夕陽に、新たなファの家が照らしだされている。俺はアイ=ファと横並びになって、その姿を見上げやっていた。
こまかい部分では、色々と差異もあるのだろう。しかし、こうして眺めている分には、大きさという様式といい、以前のファの家がそのまま再生されたかのようなたたずまいであった。
「どうだい、立派なもんだろう? もう大神がどれだけ寝返りを打ったって、アスタたちの孫の代まで崩れることはないはずだぞ」
地べたに座り込んでいたアルダスが、陽気な声でそう述べたてた。ファの家はたったいま完成したところであったので、建築屋の面々も満足そうな眼差しで自分たちの仕事の成果を見上げていたのだった。
「あの、中を確認してみてもいいですか?」
「もちろんだ。俺たちは後片付けをしておくから、何か問題がないか確認してみてくれ」
俺は、アイ=ファとともに玄関へと向かった。松葉杖をついたティアも、ひょこひょことついてくる。
玄関の戸板も、俺たちのよく知る様式であった。
建築屋の面々は他の氏族の家屋を検分して、なるべく以前の姿を再現できるようにと苦心してくれたのだ。
アイ=ファが戸板に手をかけると、それはスムーズに開かれた。
土間に上がると、これまで以上に圧倒的な木材の香りが鼻に飛び込んでくる。
土間は、以前よりも少しだけ広く造られていた。
この場で眠る家人たちが窮屈な思いをしないように、アイ=ファがそのように要請したのである。それでいて室内の間取りも狭くはなっていなかったので、家屋の大きさはやや増しているはずだった。
入ってすぐは、広間である。
まだ家財は持ち込んでいないので、板張りの床がむき出しだ。綺麗に磨かれたその床は、窓から差し込む夕陽に照り輝いていた。
左右の窓には木の格子が嵌められており、向かいの壁には3つの戸板が設置されている。それも、以前のままの姿であった。
俺とアイ=ファは広間に上がりこみ、裸足の足を洗うすべのないティアは、手と左の膝を使ってついてくる。
右手側の窓のそばに、二メートル四方ほどの、くぼんだ空間があった。
そこの床だけ板が張られておらず、その代わりに茶色い粘土が敷きつめられている。ここにかまどを設置するのは、建築屋ではなく俺たちの仕事であった。
その横を通りすぎて、アイ=ファは左端の戸板を引き開ける。
奥ゆきが3メートル、横幅が2メートルほどの、物置きだ。
6畳もないていどの個室であるが、物を置いていないと、とても広く感じられる。向かいの壁には、やはり格子つきの窓が切られていた。
中央と右端の戸板を開いてみても、造りはみんな一緒である。
が、それは以前の様相と、ひとつだけ異なる点があった。もともと右端の部屋は食料庫として使われており、そこだけは窓が存在しなかったのだ。
その右端の部屋にも、今回は窓が設置されている。もう食料庫はかまど小屋のほうで用事が足りていたので、母屋のほうには必要なしとアイ=ファが判断したのだった。
「どの部屋も問題ないみたいだな。家財を移すのが楽しみだよ」
「うむ」とうなずいてから、アイ=ファは戸板を閉めた。
そうして、また広間のほうに視線を差し向けていく。
こちらも敷物や棚などが存在しないためか、ひどく広々と感じられた。
視線を上に向けてみると、剥き出しの梁や天井裏がうかがえる。これも、以前の様式のままである。
検分を済ませた俺たちは、連れ立って家の外に出た。
もう後片付けは済んだらしく、作業員たちは荷車に乗り込み始めている。その中で、おやっさんとアルダスとメイトンだけが、こちらに近づいてきた。
「どうだ。何か不備はあったか?」
「いや、見事な出来栄えだった。まるでファの家がそのまま生まれ変わったかのようで、心から満足している」
そのように応じてから、アイ=ファは物入れの袋を引っ張り出した。
「これが代価だ。本当に、銀貨9枚でかまわぬのか?」
「仕事は3日で終わったし、必要な材料はすべてこの場でそろえることができた。何も上乗せする必要はない」
「そうか」とうなずき、アイ=ファは代価をおやっさんに手渡した。
その袋の中身を確認してから、おやっさんも大きくうなずく。
「俺たちのほうこそ、この3日間は食事の世話してもらったからな。特に昨日と一昨日の晩餐などはあれほど豪勢な料理を準備してもらい、銅貨を払わずに済ませるのが心苦しいほどだ」
「何も気にする必要はない。それに、南の民と絆を深めることができて、みなも喜んでいることであろう」
「それは、こっちの台詞だよ」
と、メイトンが気恥かしそうに微笑んだ。
「昨日はみっともない姿を見せちまったけど、去年から抱え込んでたものを吐き出すことができて、すごく楽になれたんだ。俺をルウ家の最長老に引きあわせてくれて、とても感謝しているよ」
「それも、森と四大神の導きであろう。西方神と南方神が、そのような運命をもたらしたのだと思う」
「それに、寝返りを打った大神アムスホルンもだな。はた迷惑な寝返りだけど、こんな運命をもたらしてくれることもあるから、馬鹿にはできねえや」
俺は思わずティアのほうを見下ろしたが、彼女は素知らぬ顔をしていた。
大神がモルガの外でどのような名で呼ばれ、どのように扱われようとも、ティアには関わりのないことなのだろう。
だけど俺も、メイトンと似たような心情であった。
少なくとも、大神アムスホルンが寝返りを打っていなければ、昨日、リフレイアとメイトンが涙を流すことにはならなかったのだ。
(運命ってのは、そういうものなんだろうな。占星師でもない俺たちには、それを読み解くことなんて決してできないけれど……だからこそ、手探りで、一番正しい道を進んでいくしかないんだ)
それを大なり小なり読み解くことのできてしまう占星師という人々は、いったいどのような心地でこの世界を生きているのだろう。
想像すると、少しおっかない気持ちになってしまった。
(シュミラルの同胞である占星師は、アイ=ファのことを猫の星と言っていた。そして、三頭の獅子の星のかたわらに、猫と猿と鷹の星が瞬けば、森辺の未来はいっそう明るくなる、なんて言ってたんだよな)
その猿と鷹の星というのが誰と誰のことを指していたのか、いまの俺には大体の見当をつけることができてしまっている。
しかし、あの占星師はそんな彼らと顔をあわせたことすらないのだ。その事実を思うと、俺は慄然としてしまうのだった。
(そして俺は、関わる人間の運命を大きく変転させる、『星無き民』か。……アリシュナは、俺の運命だけは読み解くことができないって言ってたけど、そんなものは読み解けないほうが幸いだと思えちゃうな)
アリシュナのおかげで、ジェノスの人々は大地震の被害を最小に食い止めることができたのかもしれない。
それでもやっぱり、星読みの力を重んじすぎるのは、危険なことであるのかもしれなかった。
「それじゃあ、俺たちは宿場町に引き上げるよ。明日も、屋台は開いてくれるんだよな?」
アルダスの言葉で、俺は我に返ることになった。
「あ、はい。明後日が休業日で、その次からは通常の営業です。銅貨をいただく代わりに、また色々な料理をお出しできますよ」
「楽しみにしてるよ。それに、月の終わりの祝宴ってやつもな」
アルダスとメイトンも、荷車に乗り込んでいく。それを追いかける前に、おやっさんがじろりと俺をねめつけてきた。
「それではな。俺たちの造った家を、大事に使えよ」
「ええ、もちろんです。本当にありがとうございました」
「ふん、礼を言われるような筋合いではない。……お前さんの子や孫までもが俺の建てた家で暮らすのかと思うと、愉快な心地だ」
目もとだけで優しげに笑ってから、おやっさんも荷車に乗り込んだ。
そして、ファの家の敷地を出て、森辺の道を南に下っていく。その姿が樹木の陰に消えてから、アイ=ファは深々と息をついた。
「最後まで、余計な言葉を残していきおって。どうして南の民にまで、このような辱めを受けねばならんのだ?」
「あはは。きっと俺たちは、誰から見ても似合いのふたりってことだよ」
俺は冗談でまぎらわそうと考えたのだが、どうやら逆効果だった。アイ=ファはいっそう顔を赤くして、強めに俺の足を蹴ってくる。
「お前は何も余計なことを言うのではないぞ、ティア!」
「うむ。アイ=ファに蹴られたくないので、ティアは何も言わない」
そう言って、ティアはお腹のあたりに手を置いた。
「そして、ティアは空腹になってしまった。今日はどの家で食事をするのだ?」
「今日はフォウの家だよ。その後で、ファの家に移るのかな?」
「うむ。荷物などはたかが知れているのだから、晩餐の後でも難しくはあるまい。明日まで待つ必要はなかろう」
そうして俺たちも、荷車に繋がれたギルルのもとまで向かうことになった。
ひょこひょこと後をついてくるティアのことを気にしながら、アイ=ファがそっと口を寄せてくる。
「……フォウの家から荷物を移しても、以前よりは家を広く使えるであろうな」
「うん。今後は食料庫も物置きとして使えるもんな。それともいっそ、他の家みたいにあの部屋を寝所にしてみたらどうだろう?」
「それはどちらでもかまわん。何にせよ――」
と、アイ=ファの声がいっそう小さくなった。
「……この先、少しぐらい家人が増えても、手狭になることはあるまい」
「え? それはつまり、俺とアイ=ファが――」
「たとえばの話だ! 言葉を重ねる必要はない!」
アイ=ファがいきなり大声を出したので、俺は鼓膜に痛撃を受けることになった。
キーンという耳鳴りに耐えながら視線を向けると、アイ=ファは赤い顔でそっぽを向いている。
俺とアイ=ファがどのような行く末を迎えるのか、それを読み解くことはできない。
だから俺たちは、もっとも正しいと思える道を、懸命に探すしかないだろう。
その行く末が幸福で満ち足りたものであることを信じながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせた。