大神の見えざる手⑥~訃報~
2018.4/28 更新分 1/1 ・10/13 誤字を修正
翌日の、青の月の18日である。
その日、アイ=ファは水場での仕事を片付けると、ギルルにまたがって宿場町へと下りていった。
本日から、ジャガルの建築屋の手によって、ファの家の再建作業が開始されるのだ。初日である今日は、おやっさんたちをファの家まで案内するために、アイ=ファが出迎えに行く必要が生じたのだった。
「べつだん、いつまででもフォウの家を頼ってくれてかまわなかったのだが……アイ=ファにしてみれば、そういうわけにもいかなかったのだろうな」
フォウの家を建てなおすために早起きをしていたバードゥ=フォウは、そのように述べていた。
「まあ、南の民と絆を深めるいい機会でもあるのだろう。今日の晩餐は俺も楽しみにしているぞ、アスタよ」
「はい。どうぞよろしくお願いします」
そうして俺はフォウの女衆と森の端で薪拾いに励み、その仕事を終えてファの家に出向いてみると、すでに再建作業は開始されていた。
20名を数える作業員が、ほとんど総出でファの家の周囲の樹木を切り倒しにかかっている。その中で、バランのおやっさんとアルダスだけが、瓦礫の山の前でアイ=ファと顔を突き合わせていた。
「どうもみなさん、お疲れさまです。さっそく仕事を始められているのですね」
「おお、アスタ! ここにはなかなか立派な木が生えそろっているみたいだな。これなら、立派な家が建つぞ」
俺のほうを振り返って、アルダスが豪快に笑う。そのグリーンの目が、ティアの姿を認めて、丸く見開かれた。
「それで、その娘っ子が赤き野人というやつか。聞いていた通り、見かけは普通の人間と変わりないんだな」
ティアはいつも通りの真面目くさった面持ちで、ぺこりと頭を下げている。おやっさんたちは大事な客人であると告げておいたので、粗相をすることもないだろう。
おやっさんと語らっていたアイ=ファも、俺のほうを振り返って、口を開く。
「いま、アスタの描いた見取り図というものを見せていたのだ。これならば、3日ていどで建てなおせるという話であったぞ」
その見取り図は、おやっさんの手にあった。
真剣きわまりない様子でそれを見つめていたおやっさんが、「ふん」と鼻を鳴らす。
「下手くそな見取り図だが、まあおおよその内容は伝わった。それに、ここに来る前に他の家も拝見させてもらったが……本当にお前さんたちは、南の様式で家を建てていたのだな」
「はい。宿場町でも、同じような様式の家は見かけますもんね」
「ふん。しかし、古臭い様式だ。いまどき、新しい家を片流れの屋根にしようなどと考える人間はおらんだろうな」
「しかし、できるだけ以前と同じ形の家に仕上げてほしいのだ。どうかそのようにお願いしたい」
アイ=ファが凛然とした面持ちでそう答えると、おやっさんもまた職人の顔つきでそれをにらみあげた。
「依頼主がそう望むのならば、俺たちに断る理由はない。必ず満足のいく家に仕上げてみせよう」
「うむ。お願いする」
そこでアルダスが「だけどさ」と口をはさんだ。
「これを機会に、家を大きくしようとは考えなかったのか? いまはふたりきりだからいいけど、いずれ子が増えたら手狭になるだろう?」
とたんに、アイ=ファの凛々しい面に血がのぼった。
「……問題はない。私は両親と3人で暮らしていたこともあるのだ」
「他に兄弟はなかったのか? 子供が3人も4人も増えたら、きっと窮屈な思いをするぞ」
アイ=ファは、わなわなと肩を震わせている。このような際でなかったら、きっと怒鳴り散らしていたところであろう。
「依頼主がこれでいいと言っているのだから、文句をつけるな。俺たちも作業を始めるぞ」
「ああ、了解。アスタはもう宿場町に下りるのか?」
「いえ。屋台で配る料理の下ごしらえです。みなさんの分は、中天になったらフォウの人たちが温めなおしに来てくれますので」
「そいつは嬉しいね。いっそうやる気が出てくるってもんだ」
これが初めての来訪であるのに、アルダスやおやっさんたちに気後れしている様子はまったくなかった。もともと南の民というのは、ジャガルを捨てた森辺の民を裏切りの一族として忌避していただけで、モルガやギバに恐れの感情を抱いたりはしていなかったのだ。
(それにしたって、まさか本当におやっさんたちのお世話になる日が来るなんてなあ)
そんな思いを胸に、俺も自分の仕事に取りかかることにした。
せっかくなので、建築屋の面々には汁物料理も準備しておくことにする。シンプルな『タウ油仕立てのギバ・スープ』であるが、ジャガル産のキノコ類などもたっぷり使って、少しでも喜んでもらおうと思う。
しばらくすると、手伝いの女衆も大挙してやってきたので、それらの人々とまた500食分の料理を作りあげて、俺はルウの集落へと向かった。
ルウの集落でも、もちろん再建の作業は継続されている。というか、現在はどの氏族でも同じような有り様であるのだ。休息の期間でもなければ、中天からは狩人としての仕事が控えているので、みんな早起きを余儀なくされているのである。
「あ、アスタ。どうもお疲れさまです」
本日、真っ先に挨拶をしてくれたのは、建設中の家屋のかたわらにたたずんでいたマイムであった。そのすぐ近くでノコギリを引いていたのは、ジーダとバルシャである。
「やあ、マイム。今日もこっちのお手伝いかな?」
「はい。わたしでは何のお役にも立てないので、料理のお手伝いをしているだけですけれど」
「いやいや、昼から立派な料理を食べられるのは、ありがたいこったよ。今日も楽しみにしているからね、マイム」
バルシャは男ものの装束で作業に励んでいた。生半可な男衆よりも大きな身体をしたバルシャであれば、十分以上の戦力になるに違いない。
そして、森辺の民というのはしっかりとした昼食をとる習慣はなかったが、この際は普段以上の料理を準備しているらしい。そうでなくては、ギバ狩りの仕事の前に力が尽きてしまうのだろう。
「この家なんて、あたしらが住んでなかったら、建てなおす必要もなかったんだからさ。少しはお役に立たなくっちゃね」
バルシャがそのように述べたてると、マイムは「はい」と切なげに眉を下げた。
「またバルシャたちと4人で暮らせる日を心待ちにしています。……あ、もちろん、いまだって何不自由なく暮らせているのですから、決して文句を言うつもりはないのですが……」
「うん。だけどやっぱり、他の人らに窮屈な思いをさせるのは忍びないよね。あたしらなんてダルム=ルウの家のお世話になってるから、なおさらさ」
ダルム=ルウの家は家人がふたりしかなかったので、客人4名をいっぺんに預かることになったのだそうだ。新婚夫婦の家のお世話になるというのは、それは心苦しいことだろう。
それにしても、ダルム=ルウにジーダにミケル、シーラ=ルウにバルシャにマイムというのは、なかなかに男女でくっきりと色分けされている感がある。あまり感情を表に出さない男性陣に、女性陣がそれぞれの作法で華を添えている光景が、ありありと目に浮かぶかのようだった。
「アスタ、お待たせいたしました。こちらも準備が整いましたので、出発いたしましょう」
そのシーラ=ルウが率いるかまど番も姿を現したので、俺たちは本日も宿場町に向かうことになった。
本来であれば本日は休業日であったのだが、城下町の依頼を受けての臨時開業である。昨日と一昨日は同じメニューにしてしまったので、本日はファの家が『ミャームー焼き』を、ルウの家が『カロン乳仕立てのギバ・スープ』を準備していた。
「あ、そういえば昨日、北の集落からスフィラ=ザザが族長の言葉を届けに来てくれたのです」
と、宿場町に向かう途中で、トゥール=ディンがそのように述べてきた。
「菓子の屋台を出すことを、許していただくことができました。もちろん、この地震いの騒ぎが収まってから、ということになりましたが……」
「そっか。それはよかったね。トゥール=ディンの菓子だったら、きっと大評判になるに違いないよ」
「い、いえ、ですが、あまり値の張る食材を使ってしまいますと、菓子の値段も高くなってしまいますし……わたしがどのような菓子を作るべきか、いずれ相談に乗っていただけますか……?」
「うん、もちろん。この騒ぎが収まったら、一緒に考えよう」
俺は手綱を握っていたので振り返ることができなかったが、トゥール=ディンの「ありがとうございます」という声には切々たる感情がにじんでいるように思えた。
そうして宿場町に到着し、《キミュスの尻尾亭》を訪れると、出迎えてくれたのはレビである。
レビはまだ頬のあたりがいくぶんやつれていたが、目の下の隈は消えたし、無精髭もなくなっていたので、昨日の荒んだ印象はすっかり払拭されていた。
「よお、アスタ。昨日は世話になっちまったな」
レビは照れくさそうに笑いながら、俺に頭を下げてきた。
俺は心から嬉しく思いつつ、「いいんだよ」と返してみせる。
「親父さんの調子はどうだい? 昨日は荷車で移動するのも、ずいぶん辛そうだったけど」
「痛み止めの薬を飲ませてやったから、もう大丈夫だよ。人の苦労も知らないで、いまも眠りこけてやがるぜ」
「そっか。レビも顔色がよくなったみたいだし、これでひと安心だね」
聞くところによると、レビは聖堂で親父さんを預かってもらう代わりに、怪我人を介抱する仕事を受け持っていたという話であった。
その場ではきちんと食事もふるまわれていたが、将来への不安で食べることも眠ることもできずに、ひたすら打ちひしがれていたらしい。それでは、身も心もまいってしまうのが当然であった。
「とりあえず、親父がひとりで歩けるようになるまでは、昼間も宿の仕事を手伝うことになったんだ。この宿も地震いのせいであちこち痛んじまったから、しばらくは建築屋や組立屋の真似事だな」
「それじゃあ、いずれは人足の仕事に戻るのかい?」
「そりゃそうさ。ちっとでも稼いで、ミラノ=マスに恩を返さないとな」
そう言って、レビははにかむように微笑んだ。
「なあ、アスタはずっと前からミラノ=マスと懇意にしてたんだろ? あの人は……立派な人だな」
「うん。俺も心から、そう思うよ」
「同じ親父でも、こうも違うもんかね。テリア=マスも、立派に育つはずだぜ」
レビがそのように言ったとき、テリア=マスが2階から降りてきた。
「ああ、森辺の方々がいらっしゃったのですね。レビ、こちらをお願いします」
テリア=マスが、鍵の束をレビに差し出す。それを見て、レビは「え?」と目を丸くした。
「な、何だい、こいつは? これで俺に、どうしろってんだ?」
「裏の倉庫から屋台を出して、アスタたちに引き渡してください。料金は前払いで受け取っていますので、屋台を渡すだけでけっこうです」
「でも……こんな大事なもんを、俺なんかに預けちまっていいのかい?」
テリア=マスは、「いいのです」と微笑んだ。
「屋台を渡した後は、しっかり鍵を掛けなおしてくださいね。仕事が済んだら、わたしか父さんに鍵を戻してください」
レビは真剣な表情でテリア=マスの笑顔を見つめ返してから、その鍵を受け取った。
「わかったよ。テリア=マスの信頼を絶対に裏切ったりはしない。西方神に誓ってみせるよ」
「はい。わたしは、レビを信じています」
そうして俺たちは、レビの手から屋台を受け取ることになった。
レビは何度も鍵の確認をしてから、大事そうに鍵束を仕舞い込む。この倉庫には、お客から預かっているトトスや荷車なども保管されているのだった。
「この宿の人たちは、どうして俺みたいなもんを信用してくれるんだろうな。俺にはさっぱり、わけがわかんねえよ」
「そうかな。俺だって、レビが俺を裏切ったりはしないと信じてるけどね」
「だってそいつは、1年以上も顔を突き合わせてるからだろう? テリア=マスやミラノ=マスとは、つい最近顔をあわせたばかりだってのに――」
そこまで言って、レビはふいに口をつぐんだ。
そして、俺の顔をまじまじと見つめてくる。
「もしかしたら……ふたりが俺を信用してくれるのは、俺がアスタや森辺の民とつるんでるからなのかな」
「え? それはどういうことだい?」
「だって、森辺の民は悪党とつるんだりしないだろ? 俺だって、森辺の民とつるんでるやつなら、たいていの人間は悪党じゃないって信じることができるからな」
「それはあまりに、俺たちのことを過大評価しすぎだよ。森辺の民だって、時には判断を誤ることもあるさ」
そんな風に答えてから、俺は自分の発言に驚くことになった。
以前の俺であったなら、自分も第三者の目線でレビの言葉に同意していたのではないか――と、そのように思えてしまったのである。
(俺もようやく、自分が森辺の民だっていう本当の自覚を持つことができたってことなのかな)
そんな思いを胸に、俺は露店区域へと向かうことになった。
本日も、青空食堂の周辺にはたくさんの人々が待ちかまえてくれていた。
そこに城下町からの使者がやってきたのは、中天を過ぎた頃である。
2頭引きのトトス車でやってきたその使者は、2名の武官とともに屋台のほうに近づいてきた。
「ジェノス侯爵は、もう3日ほど屋台で食事を配布してほしいと仰っています。この依頼を受けていただけますか?」
それと相対するのは、屋台の取り仕切り役の俺とシーラ=ルウである。シーラ=ルウは、穏やかな表情で「はい」と応じていた。
「こちらの無理にならない限りは、ジェノス侯爵のお言葉に従うようにと、族長からはそのように言い渡されています。無料で料理を配るのは、あと3日でよろしいのですね?」
「はい。こちらは3日分の代価となります」
どの料理も通常であれば赤銅貨3枚をいただくぐらいの分量であったので、それが1000食分で代価は1日銀貨3枚である。3日分なら、銀貨9枚だ。
もちろんここから食材費や人件費が差し引かれるわけであるが、やっぱりこれと同額で家が建つというのは割安に思えてならなかった。
「そして……この場でひとつ、お伝えしておきたいことがあるのですが」
と、使者の男性は声をひそめて言葉を重ねた。
「これからわたしどもは、宿場町の広場に出向いて、触れを回します。それまでわずかな時間でありますが、他言無用にてお願いいたします」
「何でしょう? 森辺の民に関わりのあるお話なのでしょうか?」
「直接的に関わりのあるお話ではないのですが……本日の早朝に、トゥラン伯爵家の前当主サイクレウスが魂を返しました」
俺には一瞬、その言葉を理解することができなかった。
それから、ゆっくりと押し寄せてくる津波のように、得体の知れない感覚が胸中に広がってくる。
「い、いま何と仰いました? あのサイクレウスが……魂を返したと仰ったのですか?」
「はい。サイクレウスは終身の禁固刑に服しておりましたが、先日の地震いで牢獄の壁が崩れ落ち、大きな手傷を負うことになったのです。もともと病魔に冒されておりましたので、その痛手を乗り越えることができず……本日の未明、西方神に魂を返しました」
俺は、言葉を失ってしまった。
シーラ=ルウも、愕然とした様子で息を呑んでいる。
「かの者は大罪人でありましたため、ごく限られた親族のみで葬儀を行う予定になっております。森辺の族長にも、そのようにお伝えください」
「ま、待ってください。リフレイアは……リフレイアは、大丈夫なのですか?」
使者は、実直そうな面持ちでうなずいた。
「リフレイア姫はサイクレウスの死に立ちあうことを許されましたが、最後まで気丈に振る舞っておいででした。森辺の民にあらぬ怒りを向けることもないだろうと、ジェノス侯爵はそのように仰っております」
「そうですか……」
俺もそれ以上は言葉を重ねることができなかった。
使者は一礼して、武官とともに町の南側へと立ち去っていく。その後ろ姿を見送りながら、シーラ=ルウは深く息をついた。
「もとより長い生命ではないと聞かされていましたが、いざ魂を返したという話を聞かされると……やはり、居たたまれなくなるものですね」
「ええ……はい……そうですね……」
「罪人の魂は、死後に四大神のもとで裁かれるのだと聞きます。それがどのような裁きであるのかはわかりませんが……わたしは、残された人間たちの安息を願いたいと思います」
俺にはまだ、何をどう受け止めればいいのかも、よくはわかっていなかった。
別人のようにやつれ果てて、己の罪を告白し、そしてリフレイアと静かに語らっていた、サイクレウスの姿――それは俺の心の奥底に、いまでもくっきりと焼きつけられていたのである。
(リフレイアは、本当に大丈夫なんだろうか……それに、サンジュラも……)
惑乱しきった俺の心の中で、言葉にできるのはそのような思いだけだった。
◇
その夜である。
俺たちは約束通り、フォウの家でおやっさんたちと晩餐を囲んでいた。
けっきょく建築屋からは3名を招待することになり、それを迎え撃つ森辺の民は12名である。フォウ家の広間もそれなりの広さを有していたものの、キャパ的にはけっこう限界ぎりぎりであった。
「ジャガルの客人をフォウの家に迎えることができて、心から嬉しく思っている。どうか俺たちとも、友としての絆を結んでもらいたい」
その場の取り仕切り役であるバードゥ=フォウが、謹厳なる面持ちでそのように述べていた。
フォウの本家で暮らしているのは、8名。家長たるバードゥ=フォウとその伴侶、長兄とその伴侶とその幼子、そして末弟とその伴侶とその幼子――サリス・ラン=フォウとアイム=フォウである。それに、客分たるアイ=ファと俺、さらにはランの家長とライエルファム=スドラを加えて、総勢12名であった。
建築屋のほうは、棟梁であるバランのおやっさんと、副棟梁のアルダス、そしてメイトンという人物だ。名前を知ったのは初めてであるが、この人物も昨年の段階から俺たちの屋台に通ってくれていたことは記憶に留めていた。南の民らしく、小柄で骨太の体格をした、壮年の男性である。
そして、どちらの側にも属さない存在として、ティアもちょこんと俺のかたわらに控えている。南の民であれば赤き野人と顔をあわせてもかまわないという話をマルスタインからもらっていたので、同伴させていただいたのだ。
それも含めれば、広間に集った人数は16名。その内の2名が年端もいかない幼子でなければ、たぶんキャパオーバーを起こしていたことだろう。
すでに自己紹介は済んでいるし、料理の皿も並べられている。最初の挨拶を済ませると、バードゥ=フォウは早々に食前の文言を唱え始めた。本日のかまど番を受け持ったのは、3名の女衆と俺である。
ジャガルの面々は何も唱えようとはせず、ただ腹のあたりに片手を置いて、まぶたを閉ざしていた。それがジャガル流の食前の儀式であるらしい。
「では、かまど番の心尽くしを味わってもらいたい」
「ああ、こいつは美味そうだ。1日の苦労が報われるよ」
やはりジャガルの側でもっとも明朗であるのは、アルダスであるようだった。
ただ、メイトンという人物も陽気な気性であるので、にこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
おやっさんたちを招待するにあたって、俺たちは腕によりをかけてご馳走を準備していた。
まずは、南の民から大好評である『ギバの角煮』、そして、屋台の商売でもまだ売りに出したことのない『ギバ・カツ』と『タラパ仕立てのモツ鍋』、副菜としてはたっぷりの生野菜サラダと、キミュスの半熟卵をトッピングしたギーゴとシィマのサラダ、ホウレンソウのごときナナールのおひたし、そして山積みの焼きポイタンであった。
「へえ、こいつは宿場町で売られているやつと、衣が違うみたいだな」
アルダスが最初に手をのばしたのは、『ギバ・カツ』であった。その簡易版である『ギバの揚げ焼き』との差異を述べているのだろう。昨年には『ギバ・カツサンド』を売りに出していた時期もあったが、その頃にはもう彼らも故郷に帰ってしまっていたのだ。
そうして『ギバ・カツ』をかじったアルダスは、「美味い!」と顔を輝かせた。
「こいつは美味いぞ! アスタには悪いが、屋台で売られているあの料理よりも美味いみたいだ!」
「何も悪くはありませんよ。その料理も、俺が作ったものなのですからね」
「何? それじゃあどうして、こっちを売りに出さないんだ?」
「それは調理に手間がかかるので、屋台で出すのが難しいのです。あと、ギバの脂を準備するのも大変ですしね」
屋台の日替わりメニューで出される『ギバの揚げ焼き』にはレテンの油が使われているので、ギバのラードを使った『ギバ・カツ』とはその部分でも大きな違いが生じていることだろう。オリーブオイルを思わせるレテンの油も決して質が悪いわけではないのだが、やっぱりラードで揚げた料理というのは格別であるのだ。
「ああ、やっぱりこの料理は最高だな。宿に戻った連中が聞いたら、さぞかし羨ましがることだろう」
そのように述べるメイトンは、『ギバの角煮』を頬張っていた。そちらは《南の大樹亭》でも6日に1度しか売りに出されることのないメニューだ。
「……普段お食べになっている料理よりも味が落ちて、落胆させることにはなりませんでしたか?」
ひかえめに微笑みながらサリス・ラン=フォウが尋ねると、メイトンは「うん?」と小首を傾げた。
「べつだん、味が落ちるとは思わんな。宿で食べる料理と同じぐらい美味いと思うぞ」
「それは光栄なお言葉です」
サリス・ラン=フォウは、ほっと胸を撫でおろしていた。この『ギバの角煮』は、フォウ家の女衆だけで作りあげたものなのである。
そんなやりとりを横目に、おやっさんも黙々と食事を進めている。無言ではあるものの、『ギバの角煮』をかじったり、『タラパ仕立てのモツ鍋』をすすったりするたびに、深々と息をついている。ある意味では、おやっさんが一番満足そうにしているようにも見えなくはなかった。
「……それにしても、わずか1日で家の土台が完成していることには驚かされた。さすがに家を建てることを生業にしているだけはあるな」
同じように食事を進めていたライエルファム=スドラが、会話の間をぬってそのように発言した。
おやっさんは、口の中身を呑みくだしてから、そちらをじろりとねめつける。
「人間も道具もそろっていたのだから、あれぐらいの仕事はわけもない。もう少し腕の立つ人間がそろっていれば、もっと手早く進められただろうにな」
「ふむ。20名の内、ジャガルから出向いてきたのは7名のみという話だったか。しかし、全員が南の民であるのだろう?」
「ああ。他の連中は、普段からセルヴァの領内をうろついて仕事を探している。シムの民さながらの風来坊どもだ」
確かにそれらの人々は、おやっさんたちが故郷に戻っている間も、たびたび俺たちの屋台を訪れてくれていた。ときおり数ヶ月単位で姿を見せないこともあったが、そういうときは別の土地で働いているのだ。
「では、あなたがたは東の民ほど、長く故郷を離れるわけではないのか。東の民というのは、故郷で過ごすよりも旅をしている時間のほうが長いぐらいの人間もいるのだと聞いているのだが」
バードゥ=フォウも会話に乗っかると、アルダスが「そりゃそうさ」と答えていた。
「そりゃあ俺たちも注文があればあちこち出かけるが、ここまで長居をするのはジェノスだけだよ。というか、セルヴァの領内で仕事を受けているのは、このジェノスぐらいだな」
「ふむ。あとはジャガルの領内で仕事をしているということか」
「ああ。俺たちの故郷であるネルウィアから、セルヴァの領内で一番近いのは、このジェノスだからな。ここからさらに足をのばしたって、なかなかジェノスぐらい豊かな町はないから、長旅をする甲斐もないんだよ」
そう言って、アルダスは広間の様子を見回した。
「ネルウィアっていうのは、建築屋の町なんだ。そんなネルウィアの人間がたびたび訪れるから、ジェノスでは南の様式が根付いたんだろう。この家は、あんたたちが建てたのかい?」
「うむ。この家が建てかえられたのは、俺が幼子のときだったな。俺の父やその同胞が仕事に取り組んでいたさまを、うっすらと覚えている」
「それじゃあ、もう30年や40年は経ってるってことか。それであの地震いでも崩れることはなかったんだから、立派なものだ」
「ああ、本当にな。これだけの腕があれば、建築屋で食っていけるかもしれんぞ」
アルダスとメイトンは、屈託がなかった。
ただやっぱり、おやっさんは口数が少ない。いつも通りといえばいつも通りであったのだが、いささか心配なところではあった。
「うむ? 何だ、お前さんは?」
と、そのおやっさんがうろんげな声をあげた。
あぐらをかいたその膝に、アイム=フォウがのしかかっている。さっきまで母親のもとでモツ鍋をすすっていたはずなのに、いつのまにか遠征したらしい。
「駄目ですよ、アイム。……申し訳ありません。客人が来るというのは、珍しいことであったので……アイム、こちらにいらっしゃい」
サリス・ラン=フォウがそのように呼びかけても、アイム=フォウは深い青色の瞳で、おやっさんの顔をじっと見上げている。
しばらく無言でその姿を見下ろしていたおやっさんは、食べかけの木皿を敷物に置くと、職人らしい分厚い手の平でアイム=フォウの頭を撫でた。
「お前さんは、アイム=フォウというのか。賢そうな顔をした幼子だな」
どちらかといえばおっとりとした気性であるアイム=フォウであるが、そこまで人見知りではないらしく、髭もじゃで強面のおやっさんににこりと笑顔を返していた。
とたんに、おやっさんの立派な眉が、いままで見たこともない角度にまで下がっていく。
「うむ。賢そうなばかりでなく、実に愛くるしい幼子だ。女児のように優しげな面立ちだが……手足の先もしっかりしているし、きっと立派な男に育つだろう」
「バランは、幼子を好いているのだな」
バードゥ=フォウがそのように述べたてると、おやっさんは眉のあたりを慌ただしく上下させながら、そちらを振り返った。
「幼子を嫌う人間などおるまい。子は、宝であろうが?」
「もちろんだ。そのアイムは俺の孫であるのだから、誰よりも慈しんでいるつもりだぞ」
「ふん」と鼻を鳴らしてから、おやっさんは名残惜しそうにアイム=フォウの頭を撫でた。
「さ、お前さんも食事の続きをしろ。たくさん食わんと、大きくなれんぞ」
その言葉を理解したのかどうか、アイム=フォウはとてとてと母親のほうに舞い戻っていった。
もうひとりの幼子は4歳ぐらいの女の子で、こちらはお行儀よくギバの肉をかじっている。むくつけき壮年の男性が多いこの場において、この幼子たちが空気をなごませる役割を果たしていることに疑いはなかった。
「……それでお前さんは、何をそのように辛気臭い顔をしているのだ?」
と、いきなりおやっさんの目が俺のほうに向けられてきた。
「え? お、俺ですか? いや別に、いつも通りにふるまっているつもりなのですが……」
「どこがいつも通りなのだ。宿場町から戻ってから、ずっと上の空ではないか」
俺が返事に窮してしまうと、ずっと無言でいたアイ=ファが声をあげた。
「家人の無作法を許してもらいたい。アスタはおそらく、サイクレウスの死に心を乱しているのだろう」
「サイクレウス? って、誰だっけ? 何か聞き覚えはあるような気がするんだが」
アルダスとメイトンはきょとんとしており、おやっさんはうろんげに眉をしかめている。それらの様子を見回しながら、アイ=ファはさらに言葉を重ねた。
「サイクレウスというのは、森辺の民が悪縁を結んでいた貴族だ。そのサイクレウスが魂を返したという触れが、宿場町で回されたのだと聞いている」
「ああ、大罪を暴かれて牢獄送りになったっていう貴族か! ナウディスから話は聞いてたよ。へえ、そいつがくたばっちまったとはねえ」
そのように述べてから、アルダスはけげんそうに首を傾げた。
「でも、そいつはひどい悪さをした大罪人だったんだろ? 俺たちがネルウィアに帰った後、アスタをさらったのも、そいつの娘だったって話じゃないか。そんな悪党がくたばったからといって、どうしてアスタが心を乱すことになるんだ?」
「それはその……俺もサイクレウスとは、複雑な縁があったもので……」
アルダスは納得のいった様子でもなかったが、「そうか」と大らかに笑ってくれた。
「何にせよ、その死を悲しみたいなら、好きに悲しめばいいと思うぞ。大罪人の魂は四大神に裁かれるんだから、残された人間があれこれ思い悩むことはない。自分のありのままの気持ちで、死者の魂を見送ってやればいいのさ」
「ええ、そうですね」と答えながら、俺はやっぱり自分の気持ちを見定められずにいた。
サイクレウスが魂を返したと聞いて、俺は自分がどのような気持ちを抱いているのか。それすらも把握しきれていなかったのだった。
ともあれ――建築屋の面々と過ごす最初の夜は、そんな感じに過ぎ去っていった。