②事前説明
2014.9/12 更新分 2/2
2014.9/13 誤字修正
2014.12/14 誤字修正
そうして、俺の仕事は始まった。
最初の仕事は、血抜きのレクチャアである。
ルウ家やルティム家の男衆に、血抜きの手順を解説するのだ。
男衆は中天にはもう森へと出立してしまうから、料理の研究よりもまず先にその仕事を片付けなければならないのだった。
「どうせ大変な仕事なんだから、最初に辛い思いをしておいたほうが、のちのち楽だよ?」という神の采配である。
いつか俺でも天国に召される日が訪れるなら、そのときこそ神様をぶん殴ってやろうと思う。
何せ、自分から話を持ちこんできたガズラン=ルティムの率いるルティムの男衆ばかりでなく、このような仕事には反発しかねないルウの男衆までを相手取らなくてはならないのだ。
胃の痛くなりそうなお仕事である。
「よお、アスタ。これで全員、集まったみたいだぜー?」
そんな中、俺にとっては唯一の心の癒しとなりえるルド=ルウ少年が、呑気たらしい口調でそう告げてくれた。
俺の目の前に立ちはだかるのは――あの、6日ほど前に見た、ルウの眷族の男衆17名を含む、20名ばかりのむくつけき森辺の狩人たちである。
ルウの家の前に広がる大広場にて、獣の匂いを発散させる男たち。
若いのもいればほぼ老人ぐらいの者もいるが、いずれ屈強の狩人たちだ。
しかも森に出陣する直前なので、みんなギラギラと殺気立っている。
「……まずは最初に私から挨拶をさせていただきたい」
と、ガズラン=ルティムが俺のかたわらに進み出た。
「ルティム本家の長兄、ガズラン=ルティムだ。すでに事情は通達されているはずだが、このたびは、5日後に控えたこのガズラン=ルティムとアマ=ミンの婚儀の宴の前準備を手伝っていただくために、各々方にはお集まりいただいた。子たるルティムの願いを快く承諾してくれたルウ本家の家長ドンダ=ルウとその眷族に、まずは感謝の言葉を述べさせていただきたい」
そのドンダ=ルウは、集団の右端で腕を組み、不動。
本当にこの男が、よくもこのような話に許可を与えたものだと思う。
それとも、子からの願いは断れない親の立場でもあるのだろうか。
「私は婚儀のかまどの番を、このファの家のアスタにお願いした。アスタはルティムと縁もないファの家に属する人間であったため、代価を支払い、その一夜の力を買ったのだ。どうしてこのような森辺の習わしにあてはまらぬ行動に出たのか、それはとうてい言葉では言い表せないような事柄なので、くどくどと述べはしない。ただ、私はルティム本家の長兄としての立場から、此度の決断をしたのだとだけ述べさせていただく」
男たちは、ざわめきもしない。
不満に思っているのか、どうなのか――ただ、解き放たれる前の猛獣のごとく、静かに双眸を光らせるだけである。
この中には、ドンダ=ルウの弟なども混ざっているらしい。
その子どもたちもいるらしい。
なおかつ、ドンダ=ルウの親の弟――つまりは叔父やその家族までもが含まれているらしい。
それを思うと、空恐ろしい気分になってくるが……しかし、裏を返せば、それらはみなジバ=ルウを根とする眷族であり、みんなリミ=ルウらの親戚でもある、ということだ。
「それで、宴の前準備についてだが――アスタは、宴でふるまうギバの肉に、彼が生まれ故郷で得た技術を使い、特別な加工を施したいと言っている。それは、ギバの生命を完全に絶つ前に行わなくてはならないそうなので、その内容を、これからアスタに説明していただく」
ようやく出番だ。
俺はうなずき、前に進み出る。
「ファの家のアスタです。俺の申し出にご協力いただき、感謝しています。――さっそく説明させていただきますが、みなさんにお願いしたいのは、『血抜き』という作業です。ギバを捕らえたら、とどめをさす前に、血を抜く。言ってみれば、これだけです。場所は、胸と首の中間、やや胸寄りですかね。心臓の上に太い血管が走っていますので、それを刀で切り、血を抜きます。成功すれば大量に血が噴きだしますのでわかると思います。心臓や、あるいは咽喉を切り裂いてギバを絶命させてしまわないように気をつけてください」
沈黙。
不動。
「えーと……肝要なのが、この『絶命させてしまわないように』というところなのです。たとえば頭を砕いたりしてギバを仕留めても、肉体のほうはまだしばらく生きています。そうして心臓が動いているうちに心臓付近の太い血管を切れば、すみやかに『血抜き』をおこなえる、ということなのですね」
「はーい、質問」とルド=ルウが手を上げた。
ぞんぶんに心を癒されつつ、「何でしょう?」と応じる。
「それってギバの首をかき切るんじゃいけねーの? 俺はいっつもそうやって仕留めてんだけど。血なんて、それだけでもドバドバ出るじゃん?」
「それだとやっぱり血が出きる前に絶命してしまうことが多いようですね。運良く呼吸器官を傷つけないまま頚動脈だけを切断できていれば良いんですが、そうでないと、筋肉中の毛細血管に血が残ってしまうようなのです」
「……何言ってんのか、よくわかんねー。つまりは駄目ってこったな。ふーん。咽喉も駄目、心臓も駄目ってなると、出会い頭で仕留めるのはちっと無理っぽいな」
「そうですね。くれぐれも無理だけはしないでください。宴に必要な肉なんて、ほんの数頭だけですし、そもそも肉の加工のために生命を張るなんてのは馬鹿げています」
「そんなもんに生命を張るのはあんたぐらいだよ、アスタ。……つーか、なんで俺に対してまでそんな喋り方なんだよ。気色わりいな。蹴るぞ?」
「蹴らないでください。……あとはギバを持ち帰り、毛皮を剥いでからの工程になりますので、その説明はまた後で。俺からは、以上です」
ルド=ルウ以外は完全なる静寂を保ったまま、男たちの大半が俺に背を向けた。
別れの挨拶も何もない。5日前のように鬨の声をあげようともしない。ドンダ=ルウやジザ=ルウを先頭に、17名のルウ家の男衆たちは、無言のまま広場の外へと歩き始めた。
「そんじゃーな。美味い飯作って待ってろよ、アスタ」
と、最後に俺を振り返ったルド=ルウの瞳にも、獣じみた火が宿っている。
けっこう可愛らしい顔立ちをしている小柄な少年が、一瞬の内に狩人の顔になる。それはいつ見ても心が寒くなるような、それでいて奇妙に心をひきつけられるような瞬間だった。
「ありがとうございました。とてもわかりやすいお話でした」
と、ガズラン=ルティムが笑いかけてくる。
その場に居残ったのは、彼を含めて5名。いずれもルティムに縁ある男衆である。ルティムの集落は少し離れたところにあるので、俺から直接に食肉加工を学ぶ精鋭部隊を結成したらしい。
「あの、俺が心配することではないんでしょうけど、ルウの人たちは大丈夫なんでしょうか? これでルティムとルウの関係がこじれたりはしないんですか?」
「こじれる? よくわかりません。私はルティムの人間としてルウに協力を願い出た。家長のドンダ=ルウが承諾したので、男衆はそれに従う。どこにも問題は生じていません」
「はあ。でも、個人個人の胸の内は謎ですよね?」
「個人の感情は個人のものです。それと家は関係ありません。家長の決断に従い、眷属は仕事をする。彼らはきっと自分たちの仕事をまっとうするでしょう。ルウの力は強大なので、私は何の心配もしていません」
「そうですか……」
「それよりも、私はあなたにお話したいことがあります、アスタ」
と、ただでさえ実直そうなガズラン=ルティムの顔に、さらに真摯な表情が浮かぶ。
「今日、ルド=ルウにファの家とルウの家の関わりについて、その詳細を初めて聞きました。あなたがたはそもそも食の細っていたジバ=ルウを救うためにルウの家へと招かれたそうですね。それで、見事にジバ=ルウの魂を救った……それは真実なのですか?」
「ええ、まあ、俺の料理は喜んでいただけたみたいです」
「そうですか。確かにあの夜のジバ=ルウは、話に聞くよりもうんと元気そうでいらした。――ありがとうございます、アスタ。その件については、私からも感謝の言葉を述べさせていただきます」
「え? どうしてですか?」
「ご存知ありませんでしたか。ルティムの家は、ジバ=ルウの娘が嫁入りすることによって、ルウの家と縁を得たのです。6つの氏族のうちでは、もっとも古く縁の深い家なのです」
そうなのか。
と、いうことは――本家の跡取り息子であるガズラン=ルティムもまた、ジバ婆さんの曾孫ということになるのだろうか。
「はい。ジバ=ルウの娘の子が、私の父ダン=ルティムです。私の身には、ジザ=ルウやルド=ルウと同じ濃さでジバ=ルウの血が流れているのです」
「そうだったんですか……」
仕事に、私情は禁物だ。
だけど――ジバ婆さんの血を引くというこの青年の婚儀を心から祝福したい、と思うぐらいはかまわないだろう。
「縁も恩もない間柄と申しましたが、私はアスタに恩があったのですね。そんなあなたとこのような形で関われたことを、私は心から嬉しく思っています」
そんな風に言いながら、ガズラン=ルティムは何故かまた首飾りを外し始めた。
昨日も差しだされた首飾りが、再び鼻先に突きつけられる。
「アスタ。お受け取りください。代価の半分、ギバ10頭分の牙と角です。残りの半分は、宴の後に」
見ると、ガズラン=ルティムの逞しい胸板には、ほんの5、6本だけ牙や角を連ねた首飾りが残されていた。
きっと律儀に10頭分だけ分けてきたのだろう。その律儀さは実にこの青年らしかったが、俺は手を振って固辞した。
「お代はすべての仕事が済んでからでけっこうですよ。もしかしたら、俺なんて――そう、調理中に焼け死んで仕事をまっとうできなくなる可能性もあるんですから」
いつ異世界に引き戻されるかもわからないから――とは言い出せなかったので、そんな風におちゃらけてみせたのだが、ガズラン=ルティムの真剣な面持ちに変化はなかった。
「それを言うならば、私こそがいつ森で生命を落としてもおかしくない身です。それゆえに、今これを渡すのです。これは、私からの依頼を受けてくださったアスタへの、信頼の証しです。どうぞ受け取ってください」
おちゃらけたことを、後悔した。
真実を話せないのは俺の都合であり、そんな自分の都合をうやむやにするために不真面目な態度を取るなんて――少なくとも、この生真面目な青年を相手にするべきではない。
「わかりました。お受け取りします。――その信頼に応えられるよう、励みます」
ガズラン=ルティムはにこりと笑い、俺に首飾りを渡してきた。
たとえギバ10頭分、牙と角あわせて40本分の首飾りとはいえ、重さなどは大したことはない――が、それは実際以上の重みでもって、俺の手にじゃらりとからみついてきたのだった。