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異世界料理道  作者: EDA
第三十四章 三つの縁
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大神の見えざる手③~崩落~

2018.4/25 更新分 1/1

 ジェノスを襲った大地震がおさまった後も、俺たちはしばらく宿場町で足止めを食ってしまっていた。

 屋台を出していた主街道は、救助活動に励む兵士たちの行き来が激しく、それ以外の通行を禁じられてしまったのである。


 しかしそれも、やむをえない処置であるのだろうと思われた。

 露店区域の北端にあるスペースは怪我人を収容する場所となり、そこには何十名もの人々が担ぎ込まれることになってしまっていたのだ。


 また、南側の宿屋が立ち並んでいる区域や、西側の居住区域では、いくつか白い煙があがってしまっていた。木造りの家屋が多い宿場町で大規模な火災など起きてしまったら、それは生命取りである。護民兵団の兵士たちも、まずはその火災を食い止めることを最優先にしているはずであった。


 ともあれ、森辺の一行に負傷者などは出ていなかったが、とうてい救助の手伝いを申し出られるような雰囲気ではなかったし、街道が封鎖されてしまっては森辺に帰ることもできない。横倒しとなった屋台や荷車を引き起こして、地面にぶちまけられてしまった料理の片付けなどを済ませたのちは、忸怩たる思いで兵士たちの奮闘っぷりを見守ることしかできなかった。


「アスタ、ひとつご提案があるのですが――」


 と、血族のかまど番たちと何やら言葉を交わしていたレイナ=ルウが、リミ=ルウを引き連れて近づいてきた。


「このままでは、しばらく森辺に戻ることもできそうにありません。ルウの血族とそれ以外の血族から、ひとりずつでも森辺に戻るべきではないでしょうか?」


「森辺に? でも、まだしばらくは街道を使うこともできそうにないようだけど」


「こちらの雑木林の裏を抜けていけば、森辺への道に出られるはずです。荷車を引かせずに、トトスだけを連れていけば、雑木林を抜けることもできるでしょう? そうやって、1頭のトトスとふたりの人間が森辺に戻るのです」


 そのように述べるレイナ=ルウは、いつになく凛々しい面持ちになっているように感じられた。


「集落の家族たちは、わたしたちの身を案じているはずです。商売の終わる時間が過ぎても戻らなければ、なおさらでしょう。それに、わたしたちも自分の家が心配なのです。よほど古い家でなければ、さきほどの地震いで崩れたりもしないとは思うのですが……とにかく、家族の安全を確かめたいのです」


「うん、わかったよ。それじゃあ、その後で荷車を引かせるために、ここまでまたトトスを連れてくればいいんだね?」


「はい。そのトトスが到着するまで、わたしたちはこの場で待っています。こちらが無事ということを伝えられさえすれば、いくら帰りが遅くなってもかまいませんので」


 そう言って、レイナ=ルウは妹の赤茶けた髪に手を置いた。


「こちらからは、もっともトトスの扱いの上手なリミを出します。そちらからは、どうしますか?」


 俺がみんなを振り返ると、ユン=スドラが進み出てきた。


「こちらからは、アスタが戻るべきだと思います。ファの家はずいぶん古い造りであったので、心配でしょう?」


「うん、だけど、ユン=スドラだって心配だろう? スドラの家には、ふたりも赤ん坊がいるんだし……」


「スドラの本家は、まだいくらか新しいので、そうそう崩れたりはしないと思います。それにわたしたちは、トトスに乗ることにも慣れていません」


 そのように述べながら、ユン=スドラは胸の前で両手を組み合わせた。


「ご足労ですが、どうぞお願いします。わたしたちは無事であると、家族たちに伝えてきてください。そして……家族たちが無事であると、わたしたちに教えてください」


 その他の女衆も、みんな祈るような眼差しで俺のことを見つめていた。

 俺は「わかったよ」とうなずいてみせる。


「ひと通りの家を巡ったら、トトスを連れて戻ってくる。また余震があるかもしれないから、みんなも気をつけてね」


「よしん? とは、何でしょうか?」


「大きな地震の後に、小さな地震が起きることだよ。俺の故郷では、それを余震と呼んでいたんだ。これぐらい時間が経っていれば、もう大丈夫だとは思うんだけどね」


「そうですか……あのように大きな地震いは初めてです。あれが《アムスホルンの寝返り》というものなのですね」


「《アムスホルンの寝返り》? ……ああ、この大陸は、大神アムスホルンそのものなんだっけ」


「はい。大神が寝返りを打つと、大地は激しく揺れ動くと聞きます。さきほどのギバやトトスたちは、それを予見して騒いでいたのでしょうね」


 俺とユン=スドラがそのように語らっている間に、オウラ=ルティムがトトスのルウルウを引き連れてやってきた。オウラ=ルティムのかたわらには、ツヴァイ=ルティムがぴったりと取りすがっている。


「リミ=ルウ、手綱をどうぞ。……ルティムの家人たちにも、よろしくお伝えください」


「うん! ルウとルティムとレイとミンの家に伝えればいいんだね!」


「ルウの集落に着いたら、他の女衆を眷族の家に走らせて、リミはアスタに付き添ってあげるんだよ? それで、全部の家を巡ったら、宿場町に戻ってくるの。戻ってくるときは、リャダ=ルウかバルシャに交代してもらってもいいからね」


 レイナ=ルウが諭すように言うと、リミ=ルウは「わかったー!」と手を上げた。

 そこにマイムが、必死な面持ちで俺に取りすがってくる。


「アスタ、父さんのことも、くれぐれもよろしくお願いします。わたしたちが借りていた家は、ルウの集落でも一番古びていたはずですので……」


「うん、わかった。ミケルはきっと大丈夫だよ。気をしっかりもって、待っててね」


 そうして俺は、足もとに置いておいた革作りの鞄を持ち上げた。

 倒れた荷車の中から回収した、小ぶりのトランクケースである。この中に、俺は三徳包丁を始めとする調理器具を収納して、いつも持ち歩いていたのだ。


「トゥール=ディン、これを預かっておいてもらえるかな? こんな騒ぎだと、荷車の中に置いておくのも心配なんだ」


「……この中には、アスタの父親の刀も仕舞われているのですよね?」


 トゥール=ディンは緊張した面持ちでそれを受け取ると、ほっそりした両腕で大事そうに抱え込んだ。


「アスタとまたお会いできるときまで、決して手もとから離しません。アスタ、どうぞお気をつけください」


「うん、みんなもね。それじゃあ、行ってきます」


 そうして俺とリミ=ルウは、ルウルウを引き連れて雑木林に足を踏み出すことになった。

 もともと人間が通るような場所ではないので、足もとは悪い。しかしまた、宿場町の民や屋台の人間が薪拾いをするのを許されている場所でもあるので、歩くのに困難なほどではなかった。


「ファの家では、ジルベがおるすばんしてたんだよね? きっとひとりぼっちで怖がってると思うよ」


 ルウルウの手綱を引きながら、リミ=ルウがそのように呼びかけてきた。

 枝葉ごしに宿場町の様子をうかがいつつ、俺は「うん」とうなずいてみせる。


「それに、森に入っていた狩人たちも心配だよね。大丈夫だとは思うんだけど……」


「大丈夫だよ! あんなに地面が揺れたらギバもびっくりして逃げちゃうだろうから、絶対に大丈夫!」


 リミ=ルウはさっきから、怒っているかのように眉をきゅっと吊り上げていた。

 きっと、内心の不安や動揺を懸命に押し殺しているのだろう。こんなに幼くとも、彼女は猛きルウ家の家人であるのだ。


「ターラやドーラの親父さんたちは、俺たちと同じように露店区域にいたはずだから、きっと大丈夫だね」


「うん! 大丈夫!」


「ああいう地震のときは、家の中にいる人たちのほうが危険なんだろうけど……集落のみんなや宿屋の人たちも、きっと大丈夫だ」


「大丈夫だよ! 森と西方神が守ってくれるから!」


 俺とリミ=ルウは自分に言いきかせるように「大丈夫」を連呼しながら、雑木林を進み続けた。

 見る限り、主街道沿いの大きな宿屋が火の手に包まれている様子はない。ここからは確認することのできない裏通りの《玄翁亭》や《西風亭》も、きっと大丈夫だ。


 そうしてしばらく進む内に、ようやく見覚えのある場所に出た。

 森辺へと続く道の前に作られた、小さな空き地である。

 その場所も緊急の避難所とされており、敷物の上で何名もの人々が介抱されていた。


「何だ、お前たちはどこから現れたのだ?」


 その場を取り仕切っていたらしい衛兵が、ぎょっとした様子で問い質してくる。


「露店区域から雑木林を通って、こちらまで出てきました。森辺の集落の様子を見に帰りたいのですが、許していただけますか?」


 衛兵は小さく手を振って、「行け」と言い捨てた。

「ありがとうございます」と頭を下げてから、俺とリミ=ルウはルウルウの上に這いのぼる。騎手はリミ=ルウで、俺はお荷物だ。


「よーし! アスタ、しっかりつかまっててね!」


 緑の深い小道に分けいるなり、リミ=ルウは勢いよくルウルウを走らせた。

 荷車を引かせているときとは段違いのスピードである。俺にしてみても、これを体感するのはけっこうひさびさのことであった。


 通いなれた道であるためか、ルウルウは惑うことなく道を走り抜けている。普段であれば15分ばかりもかかる道を、ルウルウは10分足らずで走破していた。


「それじゃあ、まずはルウの家に向かうからね!」


 その勢いのままに、リミ=ルウはルウルウを北へと走らせる。ルウの集落までは文字通り、あっという間に到着することができた。


「あ、リミ! それに、アスタじゃん! やっと帰ってきたんだね!」


 ルウの集落に足を踏み入れるなり、そんな言葉がぶつけられてくる。集落の広場では大勢の女衆が慌ただしく行き来しており、その内のひとりであったララ=ルウが俺たちの姿に気づいて駆け寄ってきたのだ。


 しかし俺は、とっさに言葉を返すことができなかった。

 ルウの集落で、出入り口に近い場所にある一軒の家屋が、ぺしゃんこに潰れてしまっていたのである。

 それは――ミケルやマイムたちが暮らしていた家屋であるはずだった。


「ラ、ララ=ルウ! ミケルは? それに、バルシャも無事なのかい?」


「うん。ミケルもバルシャもあたしたちと一緒に、本家のかまど小屋にいたからね。でも、ミケルが転んで手と膝をすりむいちゃったから、今は本家でその手当をしてるの」


 俺は、めいっぱいの力で安堵の息をつかせていただいた。

 ルウルウにまたがったまま、リミ=ルウは集落の様子をきょろきょろと見回している。


「あーっ! あっちの家も、ぐしゃってなってる!」


「うん。あっちの家も柱が折れちゃったみたいだね。でも、大きな怪我をした人間はいないよ。……それも、ティアのおかげなのかな」


「ティアの?」と俺が反問すると、ララ=ルウは「うん」とうなずいた。


「ギバの遠鳴きが聞こえてきたとたん、ティアが騒ぎ始めてさ。大地が揺れるぞ、気をつけろ、ってね。あたしは意味がわかんなかったけど、地震いが起きるなら家の中にいるのは危ないってミーア・レイ母さんが言いだして、みんなを外に出したんだよ。そうしたら、本当にあんな騒ぎになっちゃったってわけ」


「そうか……とりあえず、大きな怪我をした人はいないんだね?」


「うん。ジバ婆もすぐに外に出したから、何も危ないことはなかったよ。ミケルとか分家の女衆とかが、ちょっと転んだりしちゃったぐらいだね」


 そう言って、ララ=ルウはじろりと俺たちを見上げてきた。


「それで? そっちは何なわけ? レイナ姉たちも、無事なんでしょ?」


 俺たちが答えようとしたとき、広場のほうから別の人影が駆け寄ってきた。ミーア・レイ母さんと、ティアである。


「アスタ、無事だったのだな! ティアはずっとこの場でアスタの無事を祈っていたぞ!」


 俺たちの足もとまで到着すると、ティアは左足一本で跳躍し、ルウルウの鞍の上にまで飛び込んできた。

 俺は「うわあ」と慌てふためきながら、なんとかその小さな身体をキャッチする。俺の胴体を抱きすくめつつ、ティアは歓喜の表情であった。


「アスタが魂を返してしまっていたらどうしようと、ティアは不安でたまらなかったのだ! アスタが無事であったことを、ティアは心から喜んでいる!」


「う、うん。ティアも無事でよかったよ」


「ティアは大神の子なのだから、大神の寝返りで潰されることはない。でも、アスタは大神ならぬ神の子だから、心配だったのだ!」


「え、それじゃあやっぱり……ティアたちが崇めているのは、大神アムスホルンなんだね」


「だから、そのような名前は知らない。大神は、この世でただひとつの正しい神だ」


 そのように言ってから、ティアはいきなり「あーっ!」と大声をあげた。


「嬉しさのあまり、アスタの身に触れてしまった! これでは、アイ=ファにまた叱られてしまう! アスタ、どうしよう?」


「まったく、騒がしい娘っ子だねえ。ちょっとは落ち着いたらどうだい?」


 ルウルウの下からこの様子をうかがっていたミーア・レイ母さんが、ティアの放り出した松葉杖を拾いあげながら、苦笑まじりの声をあげた。


「でもまあ、ルウの人間はみんなティアに感謝しなくちゃいけないからねえ。……で、どうしてリミとアスタだけが戻ってきたんだい? 他のみんなは、どうしちまったのさ?」


 それで俺とリミ=ルウは、ようよう事情を説明することになった。

 すべてを聞き終えたミーア・レイ母さんは、「なるほどね」と腕を組む。


「あいにく、ジドゥラはリャダ=ルウが使ってるんだよね。眷族の家が無事かどうか、様子を見に行ってもらったのさ。……ララ、悪いけど、ルティムまでこの話を届けに行ってもらえるかい?」


「うん、わかった。ルティムでトトスを借りて、レイとミンにも話を回してくればいいんだね?」


「ああ。それでリミとアスタが他の氏族の様子を見て回ってきたら、誰かが宿場町にトトスを届けるってことでいいんだよね?」


「はい。よろしくお願いします」


 そうして俺は、俺とリミ=ルウの狭間にちょこんと居座っているティアの姿を見下ろした。


「えーと……それじゃあ、ティアはまたここで待っていてもらえるかな?」


「えっ! ティアはまたアスタと離れなければならないのか?」


 ティアは心からショックを受けた様子で、身体をのけぞらせた。

 それを見て、ミーア・レイ母さんが笑い声をあげる。


「宿場町にトトスを届ける役目はこっちで引き受けるからさ。その娘っ子はもうアスタにお返ししておくよ。その娘っ子はずうっとアスタの身を案じていたんだから、これ以上引き離すのは気の毒さ」


「そうですか。……じゃあ、一緒に行こうか」


 俺がそのように呼びかけると、ティアは満面の笑みをたたえつつ、身体をひねってリミ=ルウの腰にしがみついた。


「では、アスタはティアの身に触れぬように気をつけてほしい。面倒だが、森辺の掟は守らなければならないからな」


「うん、そうだね」


 俺はティアの肩ごしにリミ=ルウの左肩をつかみ、右手は尻の下の鞍に添えることにした。3人乗りというのは初めての体験であったが、ティアとリミ=ルウは身体が小さいので、ルウルウの負担になることもないだろう。

 ティアの松葉杖は俺の腰帯に差し込んで、いざ出発である。


「えーと、最初はどの家に行けばいいの?」


「南から、順番に巡っていくことにしよう。ベイム、ガズ、ファ、スドラ、ディン、ミームの順番だね」


 本日、リリ=ラヴィッツが屋台の当番でなかったのは、不幸中の幸いであった。かなり北寄りに家をかまえているラヴィッツの家は、トトスを使ってもなかなかに遠いのだ。

 リミ=ルウはベイムやガズの家の場所を知らないので、それは俺がナビゲートする。最初の家は、ベイムの家だ。


「ああ、アスタ、ご無事であったのですか」


 ベイムの家に到着すると、フェイ=ベイムの母親――つまりは家長の伴侶たる女性が笑顔で出迎えてくれた。


「フェイは、無事なのでしょうか? ダゴラの娘は心配ないと言っていたのですが……」


「はい。屋台の商売というのは屋外でやっているので、それほど危険なことはありませんでした。フェイ=ベイムも他の人たちも、かすり傷ひとつありません」


 家長の伴侶は、ほっと息をついていた。

 そして、他の女衆は途方に暮れた様子で、潰れた家屋を取り囲んでいる。こちらでも、一軒の家屋が倒壊してしまっていたのだ。


「わたしたちも無事であったのですが、ベイムとダゴラでひとつずつ家が潰れてしまいました。古い家であったのでしかたがないのですが……まあ、なんとかするしかありませんね」


「そうですか。でも、怪我がなかったのなら何よりです」


「はい。時間さえかければ家は戻りますので、わたしたちも母なる森に感謝しています。……あ、父なる西方神にもですね」


 そうして俺たちは挨拶もそこそこに、ベイムの家を後にした。

 お次は、ガズの家である。

 こちらでも、なかなかの騒ぎが生じていた。ガズの家は無事であったのだが、眷族たるマトゥアの家が3軒も潰れてしまったそうなのだ。


「しばらくは、ガズの家でマトゥアの家人を預かるしかないねえ。まあ、血族と絆を深めるいい機会だと思うことにするよ」


 ガズ本家の家長の伴侶は、笑いながらそのように述べていた。が、その頭には包帯が巻かれており、こめかみのあたりにはうっすらと血がにじんでいる。家の中で草籠を編んでいた彼女は、自分の幼子を守るために、倒れてきた棚に頭をぶつけてしまったそうなのだ。


「ガズとマトゥアで一番ひどい怪我を負ったのはあたしだろうからね。他の家人が無事だったんなら、なんてことないさ。ほら、早く他の氏族にも家人の無事を伝えてあげておくれよ」


「はい。どうぞお大事に」


 ガズの家も後にして、再びルウルウを走らせる。

 次は、いよいよファの家である。


「古い家はみんな潰れてしまったのだな。ファの家も古いので、潰れてしまったのだろうか?」


 遠慮という概念のないティアが、俺のほうに首をねじ曲げながら、そのように述べていた。

 俺は内心の不安をねじふせながら、「そうかもね」と答えてみせる。


「でも、ファの家にいたのはジルベだけだから、ジルベさえ無事ならよしとするしかないよ。あとは、アイ=ファとブレイブの無事を祈るだけだね」


「アイ=ファは強いので、大神の寝返りに潰されたりはしないだろう。ブレイブもきっと大丈夫だろうから、ジルベが潰されていないことを祈るべきだとティアは思う。あいつは図体ばかり大きくて、幼子のように気弱だからな」


 吹きすぎていく風を頬に感じながら、俺はふっと息をつく。


「ねえ、ティアはどうして地震が起きるのを事前に知ることができたんだい?」


「じしんというのは、寝返りのことか? 赤き民ならば、誰でも知ることができるはずだ。ただ、これほど大きな寝返りは初めてだった」


「そっか。ギバやトトスも、それを感じ取ることができてたみたいなんだよね。……だからジルベも、きっと大丈夫さ」


 そのような言葉を交わしている間に、ついにファの家へと至る横道が見えてきた。

 リミ=ルウは少しだけ減速して、そこにルウルウを乗り入れる。とたんに、「ばうっ!」という声が聞こえてきた。


「ジルベ、無事だったんだね!」


 黒い塊が、猛烈な勢いでこちらに駆け寄ってくる。ルウルウがそれを嫌がるように背中を揺らしたので、リミ=ルウは手綱を絞って動きを止めさせた。

 俺は地面に降り立って、ジルベを迎え撃つ。

 ジルベはいささか力の加減を失っているようで、体当たりをくらった俺は尻餅をつくことになった。

 そのままの体勢で首筋を撫でてやると、ジルベは甘えた声をあげて鼻先をすり寄せてくる。とりあえず、どこにも怪我などはないようだった。


「ジルベが無事でよかったね! ……でも……」


 ルウルウにまたがったリミ=ルウの声が、途中から小さくなってしまった。

 その理由はもう、俺にだってわかっている。ジルベの大きな身体を抱え込みながら、俺もその光景をまざまざと見せつけられていたのだった。


 ファの家が、倒壊している。

 まるで巨人に踏み潰されたかのごとく、ぐしゃりと潰れてしまっていたのだ。

 俺が深々と溜息をつくと、ジルベがとても申し訳なさそうな眼差しを向けてきた。


「いや、これは誰にも防ぎようのないことさ。ジルベがきちんと逃げ出してくれて、俺は嬉しいよ」


 俺が頭を撫でてやると、ジルベは「くうん」と元気のない声をあげた。


「ふむ。寝る場所は潰れてしまったが、食事を作る場所は無事なようだな」


 俺たちのかたわらにひらりと飛び降りてきながら、ティアがそう言った。


「うん。かまど小屋は最近建てられたものだからね。母屋のほうは……よくわからないけど、ずいぶん古いものだったんだろうなあ」


 倒壊した母屋の向こう側には、かまど小屋が変わらぬ姿で立ちはだかっているのが見て取れたのだ。そのかまど小屋と比べると、母屋のほうはもとの半分ぐらいの高さにまで縮んでしまっているようだった。


「ねえ、アスタは家の様子を見ておきたいでしょ? スドラとディンとミームの家は、リミだけで見てくるよ!」


「え? だけど、家の場所がわからないだろう?」


「フォウの人に聞くから、大丈夫! お話が終わったら、すぐに戻ってくるからね!」


 それだけ言い残して、ルウルウに乗ったリミ=ルウは駆け去ってしまった。フォウの集落は祝宴で出向いたことがあるので、リミ=ルウも場所をわきまえているのだ。


 俺はもう一度ジルベの頭を撫でてから、ファの家まで歩を進めることにした。

 近づいてみると、いよいよ家屋の惨状がよく見て取れる。どうやら向かって右手側の柱が折れてしまったらしく、家はななめに傾いてしまっていた。


 というか、森辺の家屋はその多くが、ななめに屋根を設置されているのである。で、本来は右手側が高くなっているはずであるのに、それが平行よりもさらに低いぐらいの位置にまで下がってしまっている。右手側の壁などは、もうめしゃめしゃに潰れて原型を留めていないぐらいであった。


「これは……一から造りなおすしかなさそうだなあ」


 そのとき、背後から「アスタ!」という声が聞こえてきた。

 びっくりして振り返ると、アイ=ファとブレイブがものすごい勢いでこちらに駆け寄ってきている姿が見えた。

 そうして数秒後には、俺はアイ=ファにものすごい力で抱きすくめられることになった。


「無事だったのだな、アスタ。ここまで戻る間、ずっとお前の身を案じていたのだぞ」


「うん。アイ=ファも無事でよかったよ」


 最初の驚きが消え去ると、俺の胸にもとてつもない勢いで安堵の思いがつきあげてきた。

 みしみしとあばらが軋んでいるような気がしなくもないが、そんな痛みもどうということはない。アイ=ファが無事であったことを、俺は心から森と西方神に感謝することになった。


 そんな俺たちの足もとでは、ジルベがブレイブに身を寄せている。自分よりも大きな図体をした弟分に甘えられながら、ブレイブは穏やかに黒い瞳を瞬かせていた。


「ティアもさきほど、うっかりアスタの身に触れてしまったのだ。アスタの無事を喜ぶゆえの行いであったので、あまりアイ=ファが怒らないでくれることを願う」


 ティアのそんな言葉で、アイ=ファは我に返ったようだった。

 最後にぐりぐりと俺の頬に頭を押しつけてから、何事もなかったかのように身を離して、毅然とした面をこしらえる。


「ジルベとティアも無事であったか。しかし、ギルルの姿が見当たらぬようだな」


「ギルルはまだ宿場町なんだ。しばらく街道が使えなくなっちゃったから、俺とリミ=ルウだけルウルウに乗って様子を見に戻ったんだよ」


 俺が手短に事情を説明すると、アイ=ファは「そうか」と息をついた。


「どの家にも大きな手傷を負った人間がいなかったのなら、幸いだ。あのように大きな地震いは、わたしも聞いたことがなかったからな」


「うん。……おかげで、家が潰れちゃったな」


 アイ=ファは倒壊した家のほうに目を向けたが、その凛然とした表情に変化はなかった。


「この家は古かったので、放っておいてもあと数年で建てかえることになっていただろう。家人が全員無事であったのだから、何も嘆くことはない」


「ああ、そうだよな。でも……家財道具は、あきらめるしかないのかな」


「家財道具?」


「うん。シュミラルにもらった硝子の酒杯とか、ラダジッドたちにもらった硝子の大皿とか……あと、アイ=ファの飾り物とか……」


 アイ=ファは、きゅっと眉をひそめた。


「ここまで崩れてしまっては、家の中に入ることもできまい。どのみち、新しい家を建てるために、この場は片付けねばならんのだから……その際に、必要なものを拾い集めるしかなかろうな」


「何か、取り戻したいものがあるのか?」


 ティアが不思議そうに俺たちを見上げてきた。


「ティアは身体が小さいので、ここの隙間から中に入れると思うぞ。取り戻したいものがあるならば、ティアが集めてこよう」


「いや、この状態では、いつ崩れ落ちるかもわからん。まずはその心配をなくすために、家を崩しきる必要がある」


「だけどそうしたら、アスタとアイ=ファの大事なものも壊れてしまうのではないか?」


 ティアは、にっこりと微笑んだ。


「アスタが言っているのは、あのきらきらと輝く器のことだな? ティアが探して、拾い集めてこよう」


「い、いや、それは危ないよ。途中で家が崩れたら、ティアが怪我をしてしまうかもしれないし……」


「ティアの生命は、アスタのために使わなければならないのだ。たとえこの身の傷が癒えても、アスタに犯した罪を贖わない限り、ティアはモルガの山に帰ることができない。これはきっと、大神が罪を贖う機会を与えてくれたのだと思うのだ」


 ティアは地面に身を伏せると、かつて玄関口であった平たい空洞を覗き込んだ。


「どうかティアに罪を贖わせてほしい。ティアにとっては、それが喜びであるのだ」


「いや、やっぱり駄目だよ。ティアにそんな危険な真似はさせられない」


 俺は、断固とした口調でそう言いきってみせた。

 たとえどれほど大事な品があったとしても、そのために生命を懸けたりしてしまっては、駄目なのだ。


(俺はそうやって、本当に生命を失っちまったんだからな)


 親父の三徳包丁は、宿場町でトゥール=ディンに託してきた。しかし、たとえその三徳包丁がこの家の中にあったとしても、ティアの無謀な行いを見逃すことなどできようはずもなかった。


「俺の言ったことは、忘れてくれ。まずはアイ=ファの言う通り、家を崩してしまおう」


 ティアは地面に這いつくばったまま、またあどけなく微笑んだ。


「ティアは自分の意思で、この下に潜ろうと考えたのだ。これは、森辺の禁忌に触れる行いであるのか?」


「え? いや、禁忌とかそういう話じゃなくって――」


「ならば、アスタに命令されるいわれはない。外界の法に触れぬ限り、ティアの魂は自由であるのだ」


 そのように言い捨てるなり、ティアの身体はするりと空洞の中に消えてしまった。

 とっさにアイ=ファが手をのばしたが、それはぎりぎりのところで間に合わなかった。アイ=ファは、無念の表情で舌打ちをする。


「なんと無茶な真似をするのだ! 本当に魂を返すことにもなりかねないのだぞ!」


「うん……俺が余計なことを言わなければよかったよ。アイ=ファの言う通り、家人が無事だったんだから、それで満足するべきだったんだ」


 するとアイ=ファは、無念の火の渦巻く瞳で、俺をじっと見据えてきた。


「そのようなことはない。かけがえのない品を失いたくないと願うのは当然のことだ。……しかし、こちらの言うことを聞かずに勝手な真似をする、あやつが大うつけであるのだ」


 ジルベとブレイブが、心配そうにアイ=ファの足もとに寄ってきた。

 それらの頭を撫でてあげながら、アイ=ファはティアの消えていった空洞の前で膝を折る。


「おい、ティア! 無事であるのか?」


「大丈夫だ。どの器も割れていなかったぞ。アスタの願いが聞き届けられていたのだな」


「ならば、さっさと戻ってこい! 何かおかしな音がするのだ!」


 アイ=ファがそのように述べたとき、家がみしりと蠢いた。

 ティアが侵入したために、何かの均衡が失われてしまったらしい。


「早くしろ! 本当に魂を返すつもりか!?」


「せまいので、そちらに向きなおることができないのだ。でも、きっと大丈夫だぞ」


「何が大丈夫なものか! いいから、早く――!」


 アイ=ファの声が、みしみしという音色にかき消された。

 今度は左手側の壁が崩れ始めたのだ。


「ティア、急いで! もう家がもたないよ!」


 ぼぎんと、嫌な音がした。

 それと同時に、ただでさえ低い位置にあった屋根が、めりめりと沈み始める。平たく口を空けていた玄関は、それで完全にふさがれてしまった。


「ティア――!」


 ファの家は完全に倒壊し、その勢いで砂塵が舞う。

 ティアは、姿を現さなかった。

 呆然と立ち尽くす俺の腕を、アイ=ファが横からつかんでくる。


「アイ=ファ……俺のせいで、ティアが……」


「いや、違う。あれを見よ、アスタ」


「え?」


 アイ=ファの指し示す先は砂塵でかすんでいたが、けほけほと咳払いをする声が聞こえてきた。


「うー、たくさん砂を吸ってしまった。ティアは、水が欲しい」


「ティア! 無事だったのか!」


 俺はまろぶような足取りで、そちらに駆け寄っていった。

 完全に倒壊したファの家の裏手で、かまど小屋の壁にもたれかかったティアが、にこりと笑顔を返してくる。


「どの器も無事だったぞ。アスタも自分の神に感謝するといい」


 ティアは、丸くふくらんだギバの毛皮を抱え込んでいた。それに包んで、酒杯と大皿を持ち出してきたようだ。


「もう、無茶な真似をしないでくれよ! 俺たちがどれだけ心配したと思ってるんだ?」


 俺とアイ=ファはティアのもとに屈み込んで、左右からその笑顔をにらみつけてみせた。

 しかし、ティアはにこにこと笑ったままである。


「ティアの身を案じてくれるのはありがたいが、ティアは友でも同胞でもないのだぞ? それよりも、大事な品が無事であったことを喜ぶべきだと思う」


「そんなこと言ったって、心配せずにいられるわけがないだろう?」


「そうだろうか? 森辺の族長なら、ティアの言葉を正しいと言うと思うぞ」


 そんな風に言いながら、ティアは毛皮の包みをほどき始めた。

 が、硝子のきらめきは生まれない。そこから出てきたのは、見覚えのある白い生地であった。


「あれ? ティア、それはもしかして――」


「うむ。この装束も、アスタにとっては大事なものなのだろう? ついでに、拾ってきたのだ」


 それは、俺が故郷で着用していた調理着の一式であった。ご丁寧に、かかとのすりきれたデッキシューズまでくるまれている。


「この装束の仕舞われていた部屋に窓があったので、そこから外に出たのだ」


 その調理着の下に、ふたつの酒杯と大皿が隠されていた。

 硝子でできたそれらの品が無事であったのは、ほとんど奇跡であっただろう。日差しを受けてきらきらと輝く酒杯と大皿は、どこにも傷ひとつないようだった。

 それらを地面に並べてから、ティアがもぞもぞと調理着の内側をまさぐる。


「それと、これはアイ=ファにだ。これも、大事な品なのだろう?」


 俺は思わず、「あっ」と声をあげてしまった。

 それはおそらく、アイ=ファにとってのかけがえのない品――俺が生誕の日に贈った、玉虫色の髪飾りであったのだ。

 アイ=ファは何とも言いようのない表情でそれを受け取ると、やがてこらえかねたようにそれを胸もとに押し抱いた。


「それに、このギバの毛皮も、アイ=ファのものだ」


 中の調理着を俺に押しつけてから、ティアは毛皮を広げてみせた。

 それは2枚の毛皮であり、どちらも狩人の衣であった。

 ただし片方は、もう片方の半分ぐらいの面積しかない。それは、幼いギバの毛皮で作られた、かりそめの狩人の衣であったのだった。


「お前は……どうして、そのようなものを……」


「アイ=ファはあの部屋で装束を着替えるとき、いつもこれらの毛皮を大事そうに見つめていたではないか。だから、持ち出してきたのだ」


 小さなほうのマントは、アイ=ファが幼少期に作ってもらった、かりそめの狩人の衣である。

 そしてもう片方は、他ならぬ父親ギル=ファの形見である。

 アイ=ファはまたもや感情の定まらぬ面持ちでティアを見つめることになった。


「しかし……その場には、お前の狩人の衣もあったはずだ。どうしてそちらは持ち出さなかったのだ?」


「マダラマの革は丈夫なので、家が崩れた後に引っ張り出せばいい。それよりも、これらの品を先に持ち出すべきだと考えたのだ」


「何故だ? アスタはともかく、私に贖いをする必要はなかろう?」


「アイ=ファが喜べば、それはアスタの喜びとなる。そうしてティアの行いでアスタが喜べば、それがティアの贖いとなるのだ」


 無邪気な笑みをたたえたまま、ティアはそう言った。


「これで腕一本ぐらいの贖いができたと思う。これまでは爪の先ほどの贖いしかできていなかったので、ティアはとても嬉しく思っているぞ」

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