森辺の家長会議⑦~晩餐の終わり~
2018.4/8 更新分 1/1
「お、お待たせいたしました。こちらが、ザザとフォウのかまど番が準備した料理となります」
鉄鍋を抱えたトゥール=ディンがそのように宣言すると、男衆は歓声で応えていた。
トゥール=ディンとともに鉄鍋を運んできたのはスフィラ=ザザであるが、何も声をあげようとはしない。やはりこの仕事の取り仕切り役はあくまでトゥール=ディンである、ということなのだろう。事情を知らない男衆の中には、どうしてトゥール=ディンのように幼い娘が挨拶の声をあげているのかと、不思議そうにしている顔がいくつか見受けられた。
そんな中、他の女衆も次から次へと鉄鍋を運んでくる。その鉄鍋の数に、男衆のひとり――たしかタムルの家長である人物が、ぎょっとしたように声をあげていた。
「何だかものすごい鉄鍋の数だな。さっきの倍以上もあるように思えるのだが」
「は、はい。今日はシャスカという特別な料理を準備したので、これだけの鉄鍋が必要になったのです」
鉄鍋の半数近くは、すべてシャスカであるのだろう。本日は、親睦の祝宴のときよりもさらにたくさんのシャスカを準備しているのである。ひとり頭の分量でいえば、軽く3倍にはなるはずであった。
「シャスカというのは、シムから届けられた食材です。あちらでは、フワノやポイタンではなく、このシャスカを毎日食べているそうです。よって、これから先の料理には焼きポイタンの準備をしていませんので、どうかご了承ください」
見ているこちらが心配になるぐらい緊張しきった面持ちで、トゥール=ディンが懸命に声をあげていた。
そうして誰かが鉄鍋の蓋を開けたらしく、『ギバ・カレー』の刺激的な芳香が一気にあふれかえる。それでまた、何名かの男衆が非難がましい声をあげていた。
「またずいぶんと辛そうな匂いだな。俺はまだ、さきほどの料理で少し舌が痛んでいるのだが」
すると、ずっと無言でいたスフィラ=ザザが、そちらに鋭い視線を差し向けた。
「この料理にもシムの香草が使われてはいますが、さきほどの料理に比べれば辛みは強くないはずです。どうぞご安心してお食べください」
口調そのものは丁寧であるが、勇猛と名高いザザの血族であり、その身分に相応しい迫力を有したスフィラ=ザザである。それ以降は、文句の声をあげる男衆も現れなかった。
まずは副菜である『タウ油仕立てのギバ・スープ』と、生野菜のサラダが回されていく。だけどやっぱり、人々の関心はシャスカ料理に注がれているようだった。
「親睦の祝宴で出されたという、かれーしゃすかというやつか。チムやユンから話は聞いていたので、俺は楽しみにしていたぞ」
と、俺のかたわらではライエルファム=スドラがそんな風に言ってくれていた。
その間に、木皿に盛られた『カレー・シャスカ』が次々と回されていく。
スフィラ=ザザの言う通り、『ギバ肉の香味焼き』に比べれば、この『カレー・シャスカ』のほうがまだしも辛さは控えめであるはずだった。
俺の知るカレーの度合いでいうと、甘口と中辛の中間ぐらいのものであるだろう。今日は初見の人も多いので、いっそう辛さは控えることになったのである。
(きっとシュミラルなんかは、もっと辛いほうが好みに合うぐらいなんだろうな)
しかしそれでも、辛いだけがカレーの美点ではないはずだ。森辺でも宿場町でも城下町でも人気を博することのできた『ギバ・カレー』であるのだから、俺は何も心配していなかった。
(そもそも、これを家長会議で出してほしいって言いだしたのは、ダリ=サウティだしな)
これでもしも『カレー・シャスカ』を非難する声があがっても、ダリ=サウティがフォローしてくれることだろう。
が――そんな心配も、けっきょくのところは杞憂であった。おっかなびっくり木匙を取った人々も、最終的には喜びと驚きの声をあげていたのである。
「何なのだ、これは? 何にもたとえようのない味だな!」
「上に掛けられている煮汁も不思議だが、この下の白いやつはもっと不思議だ。これが、シャスカとかいう料理なのか?」
「ううむ。奇妙だ。……奇妙だが、美味だな」
気づけば、誰もが夢中で『カレー・シャスカ』をかきこんでいた。
これが二度目の体験となるバードゥ=フォウやチム=スドラも、満足そうに吐息をついている。
「ああ、やはりこいつは見事な料理だ。早く俺の家でもシャスカというものを買いつけたいものだな」
「うむ。この前の祝宴ではわずかな量しか口にできなかったので、とても残念に思っていたのだ」
親睦の祝宴では、『カレー・シャスカ』も『ギバ・カツ丼』も、それぞれ半膳ぐらいしか準備されていなかったのである。本日は、男衆が一膳で、女衆が半膳という分量であるはずだった。
そして、男衆が舌鼓を打っている間に、トゥール=ディンとモルン=ルティムがひたすら『ギバ・カツ丼』の調理に取りかかっている。卵を半熟に仕上げて料理を完成させるこの仕事は、この両名にしか果たすことがかなわなかったのだった。
(レイナ=ルウやシーラ=ルウだったら、難なくこなせるんだけどな。やっぱりそこまでは手を借りられなかったのか)
それでも、モルン=ルティムがトゥール=ディンの班に割り当てられたのは僥倖であっただろう。モルン=ルティムは、ルウの血族でもかなりの腕前を持つかまど番であったのだ。
そして、シャスカの盛りつけを担当していたのは、ユン=スドラであった。
勉強会で使えるシャスカはわずかであったが、その希少な機会を活かして、ユン=スドラがこの日のために修練を積んだのだ。その修練の甲斐あって、シャスカは綺麗にふっくらと盛られていた。
女衆は自分の晩餐を後回しにして、次々に木皿を配っていく。そうして『ギバ・カツ丼』が回されると、また新たな賞賛の声が響きわたることになった。
今度はもう、ひっきりなしに「美味い」という声が聞こえてくる。『ギバ・カツ』もまた、多くの人間にとっては初のお披露目であるのだ。ドンダ=ルウやジザ=ルウさえもが初見で美味であると認めていた『ギバ・カツ』は、ここでも多くの男衆を魅了できたようであった。
「ティアはかれーのほうが好きなのだが、肉はこのかつどんという料理のほうが美味いと思えるぞ」
木匙を逆手に持って『ギバ・カツ丼』を食していたティアが笑顔でそのように述べたてると、アイ=ファが横目でそちらをねめつけた。
「お前は香草を使った料理を好むというだけのことであろうが? お前の言葉は、あてにならん」
「うむ。この美味い肉がかれーに入っていたら、ティアは一番美味いと思う」
「あ、俺の故郷にも、そういう食べ方はあったよ」
すると、「そうなのか?」という声があちこちからあがった。
とはいえ、俺たちの会話が耳に届くのは、フォウの血族の人々ぐらいである。6名の狩人たちは、それぞれびっくりまなこで俺のほうを見つめていた。
「は、はい。名前もそのままで、『カツ・カレー』というんですけどね。それがどうかしましたか?」
「いや、かれーもぎばかつも別々の料理と考えていたので、そのような食べ方は想像していなかったのだ」
「なんだか味の想像がつかないな。どちらも美味なる料理であるのだから、美味であることに間違いはないと思うのだが……」
「それに、かれーもぎばかつもずいぶん前から完成していた料理であるのに、そのような食べ方は女衆にも手ほどきしていないのであろう?」
「はい。その食べ方は、焼きポイタンよりシャスカのほうが合うと思うのですよね。だから今までは、試す気持ちになれなかったのです。シャスカが普通に買えるようになったら、試してみようと考えていました」
「では、どうして今日試さなかったのだ? ……あ、いや、この場にいる人間の大半は、かれーもぎばかつも初めて口にするのだったな」
「ええ。まずはそれぞれの料理の美味しさを知ってほしかったので、別々に食べてもらうことにしました。カレーは味が強いので、カツの味をかすませてしまう可能性がありますからね」
そのように述べながら、俺はちらりとアイ=ファのほうを見た。
黙々と『ギバ・カツ丼』を食していたアイ=ファは、「何だ?」といぶかしげに見返してくる。
「いや、何でもない。シャスカを気軽に食べられる日が待ち遠しいよ」
虚言にならないていどに、俺は本心を隠させていただいた。
俺の念頭にあったのは、もちろん『ハンバーグ・カレー』である。俺はその料理をアイ=ファに供する日を心待ちにしているのだった。
「次の料理が、最後の料理となります」
トゥール=ディンの宣言と同時に、最後のシャスカ料理が届けられてきた。
これは、甘辛いタレで焼きあげたギバ肉をシャスカに載せた、シンプルな『ギバ丼』である。これは『ギバ・カツ丼』ほど難しい献立ではないので、フォウとランの女衆も調理に加わっていた。
いわゆる豚丼を参考に考案した料理であるが、牛丼の派生である豚丼ではない。北海道で古くに生み出された豚丼のほうを参考にしていた。
聞きかじりの知識であるが、北海道ではうな丼の代替料理として、豚丼が開発されたらしい。薄く切り分けた肉を煮込むのではなく、それなりの厚みを持つ肉を甘辛いタレで焼き上げるのだそうだ。
まあ俺としても、親父が手慰みで作った豚丼を参考にしているだけであるので、本場の豚丼がどのようなものであるのかはわからない。とりあえず、肉はロースを使い、タレのほうは砂糖、タウ油、ミャームー、ケルの根を使用していた。
というか、そういったアイディアをひねり出しただけで、後のことはすべてトゥール=ディンに託してしまったのである。
俺としては、ひと品ぐらいはトゥール=ディンの調理センスに託すべきではないかと考えたのだ。
よって、調味料の配合なども、すべてトゥール=ディンに一任している。前述の4品の他に調味料が使われていれば、それはトゥール=ディンの判断によるものであった。
「ふむ。かれーやぎばかつに比べれば、これはずいぶん普通の料理であるようだな」
手もとに『ギバ丼』の皿が回されてくると、バードゥ=フォウはその中身をしげしげと見つめながら、そう述べていた。
が、それを口に運ぶと、満足そうに微笑んだものである。
「しかし、文句のつけようもなく、美味だ。なんというか……これぞギバの肉という料理だな」
「うむ。かれーやぎばかつに驚かされた者たちも、同じような心地なのではないだろうか」
ライエルファム=スドラも、そのように述べていた。
そんな両者の声を聞きながら、俺もトゥール=ディンの心尽くしを口に運ぶ。
タレの味付けは、俺の提案から大きく外れてはいないようだった。
ただ、甘さがずいぶん控えられており、その代わりに、豊かな風味が感じられる。きっと赤ママリアの果実酒を使っているのだろう。甘辛いタレに果実酒を使うというのは、ずっと昔からの定番でもあった。
ミャームーとケルの根は、隠し味ていどに抑えられている。それでも、ニンニクとショウガに似たそれらの食材は、確かな存在感で味を支えていた。
そして、何といってもギバ肉のロースである。
焼きあげた肉であるので、噛み応えもしっかりとしている。しかし、硬すぎることはまったくない。筋切りをして、あるていど叩いてもいるのだろう。この見事なギバ肉を際立たせるための、甘辛いタレであるのだ。
もちろん、甘辛いタレが白米に似たシャスカと相性がいいことは言うまでもない。『ギバ・カツ丼』ほど凝った料理ではないゆえに、肉とタレとシャスカの相性がいっそう強く感じられるようだった。
ごくシンプルに、なおかつダイレクトに、美味である。ラードを使用した『ギバ・カツ』は、ギバの旨みを凝縮したかのような鮮烈さを有しているが、こちらはもっと原初的な美味しさ――森辺の民の生命の糧である、ギバの肉の味を真正面に押し出した料理であった。
「おお、これも美味いな! いいかげんに腹は膨れていたはずなのに、いくらでも食えてしまいそうだ!」
バードゥ=フォウらの向こう側で、ダン=ルティムが高笑いをあげている。
ルウ家の準備した晩餐をたいらげて、シャスカの料理も三膳目であるのに、もてあましている人間などはひとりもいなそうだ。俺より小さな身体をしたライエルファム=スドラでも、それは同じことであった。
ちなみに俺は女衆と同じ量にしてもらっており、アイ=ファは男衆と同じ量をたいらげている。かくも、森辺の狩人の食欲というやつは底なしであるのだ。
ようやく配膳を終えた女衆も、自分たちのシャスカ料理を食し始めている。その姿を見回しながら、ダリ=サウティは満足そうに微笑んでいた。
「どれも見事な料理だった。ザザとフォウのかまど番を取り仕切ってくれたのは、ディンの家のトゥール=ディンだったな?」
「あ、は、はい。わたしはその、決められた通りに仕事を果たしただけですが……」
「うむ。しかし、ここまで見事にアスタの代わりがつとまるかまど番など、そうそういないことだろう。その幼さで、本当に大したものだ」
そのように述べてから、ダリ=サウティは俺のほうにも目を向けてきた。
「さて、大役を果たしてくれた女衆らはまだ食事のさなかであるので、アスタに美味なる料理についての言葉をもらいたく思うのだが、どうだろうか?」
「あ、はい。俺でよろしければ」
ちょうどすべての料理を食べ終えたところであった俺は、恐縮しつつ立ち上がらせてもらうことにした。
「本日準備された料理は、どれも見事な出来栄えであったと思います。辛みの強い料理には驚かされた方もいらっしゃるかもしれませんが、シムの香草というのは、非常に滋養があると聞きます。食べなれれば美味しく感じると思いますので、よければチットの実などからお試しください」
「うむ。驚かされはしたが、決して不味いとは思わなかったぞ」
どこかの男衆がそのように答えてくれたので、俺は「ありがとうございます」と笑顔を返してみせた。
「また、今日は修練の成果を見せるべきだという話をダリ=サウティからいただいていたので、手間や銅貨を惜しまない献立が選ばれることになりました。これほどの手間や銅貨をかけなくとも、美味なる料理を作りあげることは可能ですので、ファの家とルウの家でそのお手伝いをさせていただければと考えています」
「では、今まで縁のなかった家の女衆にも手ほどきをしてくれるのか?」
「もちろんです。今後、肉を売る商売でこれまで以上の富を得ることができれば、少し値の張る食材を買いつけることも可能になるでしょう? それを扱うための手ほどきを、ファとルウの家で受け持とうと考えています」
俺がドンダ=ルウに視線を向けると、それはそのままレイナ=ルウにパスされてしまった。まだ食事の途中であったレイナ=ルウは、木皿を置いて立ち上がる。
「ルウの家も、いまだにアスタに手ほどきを受けています。ですが、それは1日置きの話ですので、アスタのいない日にルウの家を訪れていただければ、わたしどもが手ほどきをいたします。ルウの家から遠いサウティやダイの方々は、南寄りにあるルティムやミンやリリンの家でも、手ほどきをすることは可能ですので」
「しかし、どのような女衆でもこれほどの料理を作れるようになるものなのだろうか? かまど番とて、狩人と同じように、力量の差というものは生じるのだろう?」
そのように述べたのは、ベイムの眷族であるダゴラの家長であった。
「俺の家でもひとりだけ、屋台の仕事をしながら、アスタに手ほどきをしてもらっている女衆がいるのだが……それほど際立った力は身についていないようなのだ」
「それは、家で使える食材に限りがあるからではないでしょうか? 今後、さまざまな食材を買いつけることができるようになれば、きっとこれまでの知識や経験が活きてくるはずです」
俺は、そのように答えてみせた。
「それに、ダゴラの女衆が勉強会に参加していたのは、数日に1度のことでしたからね。屋台の商売がない日にも、勉強会に参加するようになれば、いっそう力はつけられるはずです」
「うむ。まあ確かに、その女衆ももっと手ほどきを受けたいと嘆いていたようだ。しかし俺たちは、あくまでファの家の行いを見定めるという名目を掲げていたために、屋台の商売のない日にまで女衆を送りつけることはできなかったのだ」
そう言って、ダゴラの家長は親筋たるベイムの家長を振り返った。
ベイムの家長は、「ふん」と鼻を鳴らしている。
「ファの家の行いは正しいと認められたのだから、今後は俺たちも好きなだけ女衆を勉強会とやらに送り込むことが許されるのだろう。……しかし、ファの家では今でもかまど小屋いっぱいに女衆が訪れているのだろうが? これ以上、ベイムやダゴラの女衆を預かることなど、可能であるのか?」
「でしたら、ルウの血族を頼ってはいかがでしょう? 北寄りにあるムファやマァムの家でしたら、ベイムの家からも遠くはないのではないですか?」
レイナ=ルウが、笑顔で言葉をはさんでくる。
「今ではムファやマァムでも、優れたかまど番が育っています。だいたいの食材の扱い方は、手ほどきをできる状態にあるはずです」
「そうか。族長筋の眷族を頼るというのは、なかなか心苦しいものであるが……かといって、ファの家ばかりに重荷を担わせるわけにもいかんのだろうな」
「はい。ルウ家の家長が認めていることなのですから、どうぞご遠慮はなさらないでください」
レイナ=ルウはドンダ=ルウに視線を向けたが、今度はムファとマァムの家長にそれはパスされることになった。
「ああ。俺たちの家も長きの時間をかけて、ルウ家の女衆から手ほどきを受けたのだ。今度はその恩を、別の氏族に返そうと考えている」
「血の縁はなくとも森辺の同胞であるのだから、何も気に病む必要はないぞ」
マァムの家長はジィ=マァムの父親であるので、かなり厳つい風貌をした大男である。が、その強面に浮かべられているのは、非常に大らかな笑みであった。
「ラヴィッツの家も、ベイムやダゴラと同じような状況であるはずだな。ラヴィッツの家からムファやマァムに通うのは難儀であろうから、ファの家に通うがいい」
と、いきなりアイ=ファがそのような声をあげた。
デイ=ラヴィッツは、額に皺を寄せて振り返ってくる。
「何だ、お前らがラヴィッツの家を気にかける理由はあるまい?」
「そのようなことはない。お前とて、美味なる料理には大きな価値を見出しているのだろうが?」
アイ=ファは真剣きわまりない面持ちで、そのように言葉を重ねた。
「また、ラヴィッツとファの間に悪い縁があったのならば、それを打ち消すために力を尽くすべきであろう。お前が心の平穏を得るためには、私やアスタがどのような人間であるかを見定める必要があるはずだ」
「ふん。知れば知るほど、心の平穏が失われてしまいそうなところだがな」
「……だったらそれを試してみよ、と申し出ているのだ」
デイ=ラヴィッツが口をつぐんでしまうと、思わぬところから声があがった。血族の輪の中心で果実酒をあおっていた、グラフ=ザザである。
「ラヴィッツの家長よ。ザザの家は、スンの家と血の縁を絶った。しかし、スンの家が正しき道を進めるように、ギバ狩りの手ほどきをしているのだ。たとえ血の縁を絶とうとも、森辺の同胞であることに変わりはないのだから、ことさら忌避する理由にはなるまい」
「…………」
「逆に言うならば、悪縁が生じた相手を忌避しても、正しき道が開けることはない。かつての俺たちとルウ家の関係を考えれば、それは明白であろうが? 俺たちは、20年も前に生じた悪縁にとらわれて、手を携えることがかなわなかったのだからな」
その言葉に、ダン=ルティムがガハハと笑い声をあげた。
「ああ、20年前には、俺やドンダ=ルウがこのスンの集落に押しかけたのだったな! 北の一族が邪魔立てしていなければ、あの夜の内にルウとスンは刃を交えていたかもしれんぞ!」
「ああ。あれは確かに、スン家の側に非があったのだろう。それでもザッツ=スンの言葉を信じていた、俺たちが愚かであったのだ」
グラフ=ザザは、重々しい声でそう言った。
「ザッツ=スンが族長の座を退いたときに、俺たちはルウ家と和解するべきだった。しかし俺たちはルウ家を忌避し続けて、さらなる悪縁を重ねていったのだ。過去の悪縁にとらわれて、目の前にいる相手から目を背けても、何も解決はしないということだ」
「…………」
「ファの家から、目を背けるな。お前の祖父が忌避したファの人間は、すでにひとりとして生き残ってはいない。かつての眷族の末裔がどのような人間であるのかを、お前はお前の目で見定めるがいい」
デイ=ラヴィッツは溜息をついてから、つるりとした頭を撫でさすった。
「どのみち、ラヴィッツの家ではアリアとポイタンしか買ってはいない。かまど番の手ほどきなど、肉を売る商売で銅貨を手にするまでは無用の長物だ」
「では、ラヴィッツの家に肉を売る順番が回る日を待たせてもらおう」
それだけ言ってアイ=ファが口をつぐむと、トゥール=ディンが意を決したように立ち上がった。
「あ、あの、女衆もだいたい食事を終えたようですので、菓子を配ってもよろしいでしょうか?」
「なに? 菓子まで準備してくれたのか?」
ダリ=サウティが応じると、トゥール=ディンは「はい」とひかえめに微笑んだ。
「ルウ家のレイナ=ルウと相談して、ひと品ずつ準備いたしました。量は、ささやかなものですが……」
「では、それを配ってもらおうか。果実酒を酌み交わすのは、その後だな」
すでに果実酒を口にしていた男衆は多数存在したので、口直しのチャッチ茶も人数分配られることになった。
そののちに配膳されたのは、トゥール=ディン自慢の『ガトーショコラ』と、リミ=ルウ自慢の『チャッチ餅』である。
ただし、スンの集落には石窯が存在しないので、普段通りの『ガトーショコラ』ではない。鉄板で焼きあげてもぎりぎり焦げつかないていどにギギの分量を抑えて、形状も平たくした、チョコ風味のホットケーキのような仕上がりであった。
生クリームのトッピングはなく、その代わりに落花生のごときラマンパの実を砕いたものを生地に練り込んでいる。俺は先日に試食させていただいていたが、普段の『ガトーショコラ』よりは食感がやわらかく、それでいて濃厚な甘さと風味をあわせ持つ、素晴らしい出来栄えであった。
いっぽう、リミ=ルウの指揮で作製された『チャッチ餅』は、今回もタウの実でこしらえたきなこと黒蜜のトッピングであった。
半透明の餅にまんべんなくきなこがまぶされており、その上に黒い蜜がとろりと掛けられている。以前はギギの葉やカロン乳でアレンジしていたリミ=ルウであるが、最近ではこのトッピングがお気に入りであるらしい。
そして、それらの菓子はどちらも男衆を大いに驚嘆させていた。
初見の人間にしてみれば、見た目からして驚きに値したことだろう。また、甘い菓子を食するという習慣を持っていなかった森辺の民であるのだから、その味わいにはなおさら驚かされるはずであった。
「以前にも伝達した通り、トゥール=ディンは貴族からじきじきに声をかけられて、この菓子というものを城下町に売っている。俺たちには馴染みのない味であるが、美味であることに疑いはないのだろう」
ダリ=サウティが、そのように述べていた。
「それに、ルウの末妹リミ=ルウもまた、トゥール=ディンとともにその腕を買われて、城下町の茶会というものに招かれている。この菓子というものに関しては、アスタよりもトゥール=ディンたちのほうが巧みに作れるのだという話であったな」
男衆がどよめきをあげると、トゥール=ディンは恐縮しきった様子で縮こまり、リミ=ルウは「えへへ」と笑っていた。
「できれば青の月の間に、また両名を城下町に招きたいという話であったぞ。ルウとザザの家に異存がなければ、貴族たちとの絆を深めるために尽力してもらいたい」
「は、はい! 族長と家長の許しをいただけるのなら、わたしは是非ともお引き受けしたいと思います」
小さく縮こまりながら、トゥール=ディンは懸命に答えていた。
リミ=ルウは元気いっぱいに「はーい!」と手をあげている。
「では、これにて晩餐も終了だな。どの料理も、きわめて美味であったと思う。ルウ、ザザ、フォウの血族の女衆には、重ねて礼の言葉を述べさせてもらいたい。この場にいる家長たちも、あらためて美味なる食事を口にする喜びを噛みしめることができたことだろう」
ダリ=サウティは、笑顔で家長たちの姿を見回していった。
「あとは眠りに落ちるまで、好きな相手と果実酒を酌み交わすとしよう。女衆も、片付けを終えたらそれに加わるがいい。家長らも、異存はなかろうな?」
おおっ、と威勢のいい声があがる。
とても長かった今日という日も、いよいよ最終段階に差し掛かったようだった。