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異世界料理道  作者: EDA
第三十四章 三つの縁
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森辺の家長会議⑥~晩餐の始まり~

2018.4/7 更新分 1/1

 そうして細々とした話を重ねていく内に、ついに太陽は西に没した。

 家長会議が開始されて、およそ四刻。ついにその終わりのときが訪れたのである。


「まだまだ語り尽くせていない部分もあるように思えるが、今日のところはこれまでとしよう。あとは三族長の間で言葉を交わす時間を作り、皆のもとにも使者を走らせようと思う」


 それがダリ=サウティによる、閉会の言葉であった。

 さしもの頑健なる家長たちも、よほど疲れていたのだろう。祭祀堂のあちこちで、脱力気味の息がつかれている気配が感じられた。


「ああ、ようやく終わったな。とりあえずはすべての話が丸く収まって、何よりだった」


 そのように述べながら、バードゥ=フォウが身を寄せてくる。ライエルファム=スドラもランの家長も、チム=スドラを始めとするお供の男衆も、みんな温かい眼差しで俺とアイ=ファを見つめてくれていた。


「ファの家の行いが間違っていなかったと認められたのも、すべてはバードゥ=フォウらのおかげであろう。心から感謝の言葉を述べさせてもらいたい」


「何を言っているのだ。アイ=ファたちは、最初から正しい行いをしていた。俺たちは、それを見届けただけのことだ」


 バードゥ=フォウがそのように答えたとき、出入り口から見慣れた女衆の姿が覗いた。ルウ家の側の取り仕切り役、レイナ=ルウである。


「家長のみなさまがた、お疲れさまでした。晩餐をお持ちしてもよろしいでしょうか?」


「おお、いつでも持ってきてくれ! さんざん頭を使ったので、もう腹ぺこだ!」


 真っ先に答えたのは、ダン=ルティムであった。

 レイナ=ルウは「承知しました」と答えてから、姿を隠す。

 それからすぐに、他の女衆が鉄鍋やお盆を手に現れると、そこかしこから歓声があがった。誰もがダン=ルティムと同じ心情であったのだろう。


 それにまぎれて、ティアとレム=ドムも入室してくる。ティアは器用に松葉杖を使いつつ、家長たちの間をすいすいとぬって俺たちのほうに近づいてきた。


「アスタ、ようやく話し合いが終わったのだな! 食事の間は、ともにいることも許されるのだろう?」


「うん、ずいぶん長々と待たせちゃったね」


「それは森辺の習わしなのだから、しかたのないことだ。でも、アスタのそばに戻ることができて、とても嬉しく思う」


 ティアはこれ以上ないぐらいにこにこと笑いながら、俺の隣に腰を下ろした。男女がみだりに触れ合うのは禁忌であると教えられているために、肌が触れ合うぎりぎりの位置である。


「アイ=ファにアスタ、お疲れさま。野人の娘は、確かに返したわよ」


 少し遅れてやってきたレム=ドムが、立ったまま俺たちに笑いかけてくる。その引き締まった顔は上気していて、何だかむやみに艶めいていた。


「そちらこそ、ずいぶんくたびれ果てているようだな。何か鍛錬にでも励んでいたのか?」


「ええ、時間を無駄にすることはできないからね。その娘にも、ちょっぴりだけ力を貸してもらったわ」


 そう言って、レム=ドムは色っぽく息をついた。


「その娘の力は驚くべきものね。棒引きの勝負でも木登りの勝負でも、まったく歯が立たなかったわ」


「なに? 足の折れているこやつと力比べなどに興じていたのか?」


「ええ。アイ=ファだって、的当ての力比べに興じていたそうじゃない。何も無理はさせていないから、心配はご無用よ」


 アイ=ファにじろりとにらまれても、ティアは屈託のない笑顔のままであった。


「ティアもたくさん身体を動かせたので、楽しかった。足の骨が繋がる日を待ち遠しく思う」


「足の骨が繋がったら、闘技の力比べにも挑ませてほしいものね。まあ、やっぱりわたしでは相手にならないのでしょうけれど」


「森辺の族長やアイ=ファが許すなら、ティアはかまわない」


 アイ=ファは溜息を噛み殺しつつ、レム=ドムに向かって手を振った。


「いいから、血族のもとに戻るがいい。晩餐が済むまでは、血族とともにあるのが習わしであろうが」


「ええ、晩餐が終わったら、ともに果実酒を楽しみましょうね」


 そうしてレム=ドムが姿を消す頃には、晩餐の準備もすっかり整っていた。

 とはいえ、鉄鍋の料理はこれから配膳であるので、俺たちのもとに届けられたのは木匙や焼きポイタンの皿だけだ。


「これから料理を配りますので、少々お待ちください」


 壁際には4つのかまどが設置されているので、そこに載せられた鉄鍋から料理が回されていく。77名の人間に対して、かまど番の数は30名ぐらいにも及んでいたので、作業に滞りはないようだった。

 ただし、かまど番の10名ぐらいはスン家の女衆であるので、この配膳が済んだのちには、それぞれの家に戻っていく。今宵はスン家の家人たちにも、これらと同じご馳走が準備されているはずであった。


「お待たせー! いーっぱい食べてねー!」


 と、大きなお盆を手に、リミ=ルウがよちよちと近づいてくる。

 そこに載せられていたのは、ルウ家自慢の『ギバ肉の香味焼き』と『クリームシチュー』、そして肉じゃがならぬ『肉チャッチ』であった。


 俺にしてみると、それはエスニック料理と洋食と和食のチャンポンであるように思えてしまうものの、他の人々にしてみれば疑問の抱きようもない献立である。むしろレイナ=ルウにしてみれば、さまざまな味わいの料理で人々に喜びを与えようという思いであるのだろう。


 また、俺のすぐそばにいるフォウとルウの血族たちにとっては、どれも目新しい料理ではない。しかし、その輪の外にいる人々の多くは、驚きの声をあげているようだった。


「ふむ。これは前回よりもいっそう凝った料理であるようだな」


「この白くてどろどろとした煮汁は、ポイタン汁なのだろうか? それにしては、ずいぶん美味そうな匂いをあげているが」


「こちらの料理は、すごい香りだな! 食べる前から、汗が出てきてしまったぞ」


 驚きの度合いは、どれだけファやルウと交流があるか――そして、普段どれほどの銅貨を食材にかけられるかで、大きく異なってくるはずだった。


 たとえばガズやラッツの血族であれば、ファの家と交流が深く、銅貨にも困っていないので、いずれの料理も口にした経験があるに違いない。『ギバ肉の香味焼き』はちょっと馴染みが薄いやもしれないが、『クリームシチュー』や『肉チャッチ』であれば、ファの家の勉強会でもぞんぶんに手ほどきされているはずであるのだ。


 いっぽう、ベイムとラヴィッツの血族は、ごく少数の女衆しかファの家に関わらせていないし、肉を準備する仕事にも加わっていないので、あまり高値の食材に手を出す財力を有していない。ベイムの家では、砂糖やタウ油やカロン乳などをわずかに買いつけるぐらいである、と俺は聞いていた。


 そしてダイの家はこのふた月でたくさんの銅貨を手にすることになったものの、勉強会の類いにはほとんど参加していない。以前の休息の期間に、ごく限られた調理法を手ほどきされたぐらいである。


 さらにサウティは、はるかな昔に手ほどきをされたていどで、町での商売にもいっさい関わっていないので、目新しい食材にも触れる機会は少なかったことだろう。森の主の一件で大きなダメージを負ったために、経済面ではそれなりに苦しい立場であるはずだった。


(そう考えると、ファ、ルウ、フォウの次に舌が肥えているのは、ザザの血族ってことになるんだな。何せ、祝宴のたびにトゥール=ディンを引っ張り出していたんだから)


 俺がそんなことを考えている間に、すべての人々に料理が届けられたようだった。

 そこで、ダン=ルティムが「むむ!」と声をあげる。


「料理は、これしか準備されていないのか? これでは腹が膨れる前に食べ終えてしまいそうだぞ!」


「これは、ルウの血族が準備した料理となります。皿の置く場所に限りがありますので、これを食べ終えたのちに、ザザとフォウの血族がこしらえた料理を運んでくる手はずになっています」


 レイナ=ルウが笑顔で応じると、ダン=ルティムもぱあっと表情を輝かせた。


「では、これで半分の量なのだな? うむ、それならば十分だ!」


「いちいちやかましい野郎だな。家長の座を退いたんなら、少しは身をつつしみやがれ」


 親筋の家長であり昔年の朋友でもあるドンダ=ルウが、仏頂面で声をあげる。族長たちも、それぞれの血族の輪に加わっているのだった。

 ラウ=レイの隣にはヤミル=レイが、ダルム=ルウの隣にはシーラ=ルウが座し、そして、リミ=ルウがしきりにヴィナ=ルウの腕を引っ張っている。おそらく、姉をシュミラルの隣に座らせようと奮闘しているのだろう。なんとも微笑ましい光景である。


 あと、ガズラン=ルティムに耳打ちされているモルン=ルティムが、うつむきながら頬を赤らめている姿が見えた。

 きっと、家長会議の結果を伝えられているに違いない。彼女の一途な想いが報われることを、俺は陰ながら祈らせてもらうことにした。


 そうしてすべての女衆が血族のもとに落ち着いたのを見計らって、ダリ=サウティが最後の仕事とばかりに声を張り上げる。


「あらためて述べさせてもらうが、今日の晩餐の準備をしてくれたのは、ルウ、ザザ、フォウの血族とスンの女衆であり、食材の準備をしてくれたのは、ルウとファの家だ。なおかつ、その代価はすべてルウ家が族長筋の責任として支払ってくれた。次回からは、ザザとサウティがその責任を負わねばならないだろうな」


 そういえば、前回の家長会議においては、各氏族から晩餐の代価が徴収されていたのである。銅貨を貯め込むことに腐心していたスン家は、以前から同じ真似に及んでいたのだろう。


「聞くところによると、最初に出されたこれらの料理は、すべて宿場町で売られているものであるらしい。宿場町の民は、これらの料理を口にすることによって、ギバの肉に価値を認めたのだ。それを頭の片隅に留めながら、美味なる料理を楽しんでもらいたい」


 そのように述べてから、ダリ=サウティはまぶたを閉ざした。


「森の恵みに感謝して、火の番をつとめたルウ、ザザ、フォウ、スンの血族の家人に礼をほどこし、今宵の生命を得る」


 90名ぐらいにも及ぶ人々が、食前の文言を復唱する。

 それを終えると同時に、人々はいっせいに木皿を取った。

 そうしてまた、あちこちから驚きや感心の声が響きわたる。


「うむ。ティアはこの料理が大好きだ」


 と、ティアも満面の笑みを浮かべつつ、『ギバ肉の香味焼き』を頬張っていた。ティアはとにかく、香草の使われた料理を何よりも好んでいるのである。

 しかし、初めてこの料理を口にする人々の中には、悲鳴のような声をあげている者もいた。シムの香草はそれなりに値の張る食材であるので、馴染みの少ない人間も多いのだろう。


「ううむ、辛い! これは舌がどうにかなってしまいそうだぞ!」


「ああ、ミャームーをそのままかじっても、ここまで舌が痛むことはないだろうな」


「……しかし何故だか、ついつい口に運びたくなってしまうな」


 森辺において、食事を残すことは許されない。その習わしを逆手に取って、レイナ=ルウはこの刺激的な献立を取り入れたのかもしれなかった。

 それにやっぱり、そういう人々のために、ずいぶんと辛みは抑えられているのだろう。宿場町で売られている料理に比べれば、口あたりはかなりマイルドであるように感じられた。


(アイ=ファやルウの人たちだって、初めてチットの実を食べたときは同じような反応だったからな。……あ、いや、アイ=ファはうっかり辛さの強い俺の分を口にしちゃって、大騒ぎすることになったんだっけ)


 あのときのアイ=ファのように、のたうち回っている人間はいない。これならば、刺激的な味付けに理解を得られることも期待できそうだった。


 そして、『クリームシチュー』と『肉チャッチ』である。

 こちらに関しては、非難がましい声をあげている人間もいっさい見受けられなかった。


 リミ=ルウの手によって洗練させられた『クリームシチュー』と、もう1年ぐらいは作り続けてきた『肉チャッチ』であるのだ。すでに食べなれている俺にしてみても、それらの料理の完成度は申し分なかった。


「ううむ、さすがにルウ家の女衆というのは、大した腕を持っているのだな。いささか、悔しく思えてしまうほどだ」


 少し離れた場所でそのように述べていたのは、ラッツの家長であった。

 ラッツの家は何人ものかまど番を勉強会に送り込んでいるし、どのような食材でも買いつけることのできる豊かさも有している。が、ルウ家に比べると、どうしても調理技術の差を思い知らされてしまうのだろう。


 それはきっと、レイナ=ルウやシーラ=ルウのようなかまど番が存在するかどうかで生まれる差なのではないかと思われた。俺から手ほどきを受けるばかりでなく、それを自分たちなりにアレンジできる、彼女たちはそういう存在であるのだ。俺が不在の日にはレイナ=ルウたちが血族に手ほどきをしているのだから、調理の技術も飛躍的に底上げされているはずだった。


「確かにこれは、美味ですね。……でも、わたしたちの料理で落胆させることにはならないはずですので、ご安心ください」


 ともに晩餐を囲んでいたフォウの女衆が、小声でバードゥ=フォウに呼びかけていた。バードゥ=フォウは、「そうか」と笑顔を返している。


「べつだんルウ家と張り合う必要はないが、そのような言葉を聞けるのは心強いことだな」


「はい。それもこれも、アスタとトゥール=ディンのおかげなのですけれどね」


 そのトゥール=ディンは、ザザの血族と晩餐を囲んでいた。グラフ=ザザやディック=ドムといった魁偉なる狩人の姿が目立つ一団の中で、レム=ドムとスフィラ=ザザにはさまれた小さな後ろ姿が見え隠れしている。


「ねえねえ、いっぱい食べてるー?」


 と、俺とアイ=ファの間から、にょきんと赤茶けた頭が生えた。

 ちょうど『クリームシチュー』をすすっていたアイ=ファは、そちらに「うむ」と優しげな眼差しを向ける。


「この料理はリミ=ルウがこしらえたのだろう? とても美味だぞ」


「えへへ、ありがとー! キミュスの骨ガラは家で煮込んで、それをここまで持ってきたんだー」


 アイ=ファの身体にぴったりと寄り添いながら、リミ=ルウはにこにこと微笑んでいる。その笑顔を見やりながら、ティアが不思議そうに首を傾げた。


「リミ=ルウはもう食べ終えたのか? 食事の最中はむやみに動くものではないと、ティアは叱られたことがあるのだが」


「うん! アイ=ファとおしゃべりしたいから、急いで食べてきたの! ほんとはアイ=ファの隣に座りたかったなあ」


 そのように言ってから、リミ=ルウは俺に向きなおってきた。


「ダン=ルティムとかラウ=レイとかも、早くアスタとおしゃべりしたいって言ってたよ! この前の祝宴では時間が足りなかったから、今日が楽しみだったんだって!」


「そっか。そんな風に言ってもらえるのは、とても嬉しいよ」


 こちらはフォウの血族とご一緒しており、女衆も加わったので、なかなかの大所帯になってしまっている。それでルウの血族のほうはさらなる大所帯であるために、隣り合わせでもけっこう距離ができてしまっているのだ。


「でも、それだけファの家が他の氏族と仲良くなれたってことだもんね。ギル=ファもぜーったい喜んでるよ!」


 リミ=ルウが笑顔でそう言うと、アイ=ファはいっそう目を細めて「そうだな」とうなずき返した。

 無言で食事を続けていたライエルファム=スドラが、その言葉で振り返る。


「ギル=ファというのは、先代の家長か。俺は家長会議ぐらいでしか顔をあわせる機会もなかったが、あれは立派な狩人であったな」


「ああ。ギル=ファは底知れない力を持つ狩人だった。あのような若さで魂を返したのが信じられぬほどだ」


 バードゥ=フォウが神妙な面持ちで相槌を打つと、アイ=ファは「そうか」と口もとをほころばせた。


「ライエルファム=スドラやバードゥ=フォウにそのように言ってもらえるのは、とても光栄なことだ」


「ああ。俺も以前は、ギル=ファと小さからぬ縁を結んでいたからな。このような話は、アイ=ファにとって不愉快かもしれないが……フォウの女衆を嫁にする気はないかと持ちかけたこともあったほどであるのだ」


「ふむ。それは、私の母メイが魂を返したのちの話であろうか?」


「その前も、その後もだ。俺がファの家と縁を結んだとき、すでに家人はギル=ファとメイ=ファしかなかったので、それぞれがフォウの血族と血の縁を結んではどうかと持ちかけた。しかしギル=ファは、メイ=ファと婚儀をあげる道を選んだのだ」


 そう言って、バードゥ=フォウは遠くを見るように目をすがめた。


「そうしてメイ=ファが魂を返したのちにも、俺は婚儀の話を持ちかけた。アイ=ファはすでに13歳にまで育っていたが、ギル=ファほどの狩人であれば、婚儀を受け入れようという女衆もいなくはなかったのでな。……しかし、それも断られた。自分は魂を返すその日まで、メイ=ファだけを想い続けると言われてしまったのだ」


「ああ……父ギルであれば、そのように答えるであろうな」


「うむ。そしてギル=ファはファの氏を捨てる気もなかったようなので、俺は血の縁を結ぶことをあきらめた。そして……二度までも婚儀の話をはねのけられて、少なからず心が離れてしまったのだろうと思う」


 同じ目つきのまま、バードゥ=フォウは視線を下げた。


「そして、ギル=ファまでもが魂を返し……アイ=ファがスン家と悪縁を結んだことによって、俺はファの家との絆を完全に断ち切ってしまった。そのような道を選ぶことしかできなかった自分を、今でも恥じている」


「何を言っているのだ。当時のスン家は暴虐であり、バードゥ=フォウは数多くの血族の行く末を担っていた。バードゥ=フォウの判断は、何も間違っていなかったはずだ」


 そのように述べてから、アイ=ファは「ああ」とうなずいた。


「もしかしたら、ラヴィッツの家長の言葉を気にしているのか? 余所の氏族と上手く縁を結べなかったのは、私や父ギルが偏屈者であったためだ。何もバードゥ=フォウが気にするような話ではない」


「いや、ギル=ファがどれほど立派な狩人であったかは、誰もが知っている。それを受け入れることができなかったのは、俺たちが狭量であったためなのだろう」


 バードゥ=フォウは顔を上げると、楽しげに食事を進めている人々の姿を見回していった。


「どうしてもこのような日には、ギル=ファのことを思い出してしまうな。ファの家はどの氏族よりも家人が少なく、長きに渡って滅びに瀕していたのに、ギル=ファは何も恥じることなく、堂々と家長会議に加わっていた。スン家の人間たちにどれだけ侮蔑の言葉を向けられても、決して屈することもなかったのだ」


「うむ。私もひとたびだけ、その姿を見ているぞ。15の年に、私を供として家長会議に連れてきてくれたからな」


 そう言って、アイ=ファはまたやわらかく微笑んだ。


「女衆を見習いの狩人として扱うことも、見習いの狩人を家長会議の供にすることも、森辺の習わしに背く行いであっただろう。しかし父ギルは、誰に何を言われようとも、平然としていたな」


「ああ。あれほど心の強い人間は、他にないはずだ」


「しかし、父ギルはその強さでもって、森辺の習わしを踏みにじってしまっていたのだ。私自身はその行いを嬉しく思っていたが、余所の氏族の人間にとっては忌々しく思えて然りであろうよ」


 バードゥ=フォウの顔を見つめながら、アイ=ファは静かに言葉を重ねていく。


「ラヴィッツの家長の言う通り、私も父ギルも森辺の厄介者であったのだ。そんな私たちと、それぞれ縁を結んでくれたバードゥ=フォウは、かけがえのない友だ。どうかこれからも、正しき絆を結んでもらいたく思っている」


「うむ……」とうなずいてから、バードゥ=フォウはふいに俺のほうを振り返ってきた。


「俺にもアスタの気持ちが少しわかってきたようだぞ。人間というのは、悲しくなくとも涙がこぼれそうになるものなのだな」


「はい。だけど、ここでバードゥ=フォウが涙を流してしまったら、俺も絶対にもらい泣きをしてしまいますよ」


「日に三度も泣く人間があるか。お前はもっと心を強く持て」


 アイ=ファがぶすっとした顔で言うと、ライエルファム=スドラやランの家長が笑い声をあげた。

 そんな中、リミ=ルウも「えへへ」と笑っている。


「リミも何だか泣きそうになっちゃった。みんなと仲良くなれて良かったね、アイ=ファ!」


「うむ。……それもこれも、リミ=ルウが私のような偏屈者を見捨てずにいてくれたおかげなのであろうがな」


「そんなことないよー」と応じながら、リミ=ルウは子猫のようにアイ=ファの肩に頭をこすりつけた。

 そんなアイ=ファたちの姿を眺めながら、ティアはまた首を傾げている。


「何だか色々とややこしいのだな。そういう部分は、赤き民とずいぶん異なっているようだ」


「赤き民は、余所の氏族とみんな仲良しなの?」


 リミ=ルウが反問すると、ティアは逆側に首を傾けた。


「みんなではない。マダラマを友とする一族とは仲が悪いので、近づかないようにしている。同胞と生命を奪い合うのは禁忌だが、顔をあわせればおたがいを傷つけることになってしまうからな」


「ふーん。赤き民も、みんな仲良しになれればいいのにね!」


 リミ=ルウがそのように述べたとき、遠くのほうからダリ=サウティの声が聞こえてきた。


「そろそろルウ家の準備してくれた晩餐も食べ終える頃合いだろう。ザザとフォウの血族に、次なる料理の準備を始めてもらいたいと思う」


 男衆は歓声のような声をあげ、女衆はしずしずと立ち上がった。ルウの血族も配膳には協力するらしく、リミ=ルウも名残惜しそうに立ち上がる。


「よかったら、俺も手伝おうか?」


 俺がそのように申し出ると、ユン=スドラに笑顔で「駄目です」と言われてしまった。


「今日のアスタは、アイ=ファの供としてこの場にいるのでしょう? わたしたちがトゥール=ディンのもとでどれだけの仕事を果たすことができたか、どうぞお見守りください」


「うん、わかったよ。それじゃあここで、みんなの料理を味わわせてもらうね」


「はい。どうぞ期待していてください」


 空になった鉄鍋や木皿を抱えて、女衆が祭祀堂の外に出ていく。

 俺は大きな期待感を胸に、料理が届けられるのを待たせていただくことにした。

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