森辺の家長会議⑤~これからの道~
2018.4/6 更新分 1/1
「……では、次の議題に取りかかりたいと思う」
ダリ=サウティがそのように述べたのは、わずかばかりの小休止を終えたのちのことであった。
俺がいつまでも泣きやまないので、そのような処置を取られることになってしまったのである。なんとか平常心を取り戻すことのできた俺は、大いなる気恥かしさを胸に、その言葉を聞いていた。
「肉を売る商売に関しても、まだまだ話し合わねばならない部分が残されてはいるが、うかうかしていると日が暮れてしまいそうだからな。そちらに関しては、他の議題を片付けてから、あらためて時間を作りたいと思う。それで異論はないだろうか?」
異論を唱える家長はいなかった。
アイ=ファもまた、ぶすっとした面持ちでダリ=サウティの言葉を聞いている。ダリ=サウティの言葉に不満があるわけではなく、俺がいらぬ心配をかけてしまったために、ご機嫌を損なってしまったのだろう。それに関しては、あとでもういっぺん謝らせてもらうしかなかった。
「まず気にかかるのは……ルウの集落に滞在している客人たちについてであろうかな。マサラの狩人たるバルシャとジーダ、トゥランの民たるミケルとマイム、この4名はもう長らく客人としてルウの集落に留まっているが、いまだそれぞれの家に戻る予定は立っていないのだろうか?」
ダリ=サウティの言葉に、ドンダ=ルウが「うむ」とうなずく。
「ミケルとマイムに関しては、トゥランという土地の安全が確保できるまでは、うかうかと帰せない状態にある。それに関しては、領主の息子であるメルフリードが衛兵どもの尻を叩いているさなかであったのだが……今はあの男も、ジェノスを離れてしまっているのでな」
「ふむ。それでは、バルシャとジーダに関しては? ジーダはギバ狩りの仕事にも加わっているそうだが、そのままルウ家の家人となることを願っているのだろうか?」
「さあ、どうだかな。少なくとも、俺はそのような話を持ちかけられたことはない」
すると、ジーンの家長が両者の会話に割って入った。
「ジーダにバルシャという者たちが客人となってから、すでに1年近い時間が経っているはずだ。そこまで長きに渡って集落に留まる客人などいるものだろうか? いっそそやつらを家人として迎えるつもりだと聞かされたほうが、まだしも筋は通っているように思えるのだが」
「ふん。ジーダというのは、ルウの血族の力比べで勇者となるほどの力を持った狩人だ。あいつを森辺の家人として迎えることに、異を唱える人間などはそうそういないのかもしれんな」
そう言って、ドンダ=ルウは針金のように硬そうな顎髭をまさぐった。
「だが、俺はジーダを狩人として導いてほしいとバルシャに願われただけだ。その用事が足りたかどうかを判ずるのは、バルシャだろう。……ジーダはいまだ15歳の身であるので、俺としてはことさら急き立てるつもりもない」
「15歳という若さでルウ家の勇者に選ばれるというのは、かなりの力量だな。それでもまだ、魂は育ちきっていないということか?」
「同じ15歳で、ジーダよりも未熟な狩人もいれば、成熟した狩人もいるだろう。しかしまあ……底が見えていないという意味では、まだまだ育ちきってはいないだろうな」
「そうか。家人として迎えるのもやぶさかではないという相手であるならば、俺もむやみに急き立てる必要はないように思うが……皆は、どう思うだろうか?」
ダリ=サウティが問いかけると、ラッツの家長がそれに答えた。サウティに次ぐ大きな氏族の家長でありながら、ダリ=サウティよりもなお若い、いかにも勇猛な面立ちをした男衆である。
「森辺の民の害になるような相手でないならば、ドンダ=ルウの判断に任せてかまわないと思う。ただ、できれば顔ぐらいは拝ませてほしいところであったな」
「そうか。リリンの家のシュミラルや、ドムの女狩人の件もあったので、これ以上は余計な人間を連れてくるべきではないと考えていた。次に同じような機会があれば、客人たちにも同行してもらうことにしよう」
それでとりあえず、話は一段落したようだった。
ダリ=サウティは、「さて……」と下顎をさする。
「では、次は……6氏族によって行われた収穫祭について話を聞かせてもらおうか。リッド、ディン、フォウ、ラン、スドラ、ファの6氏族は、数日前にもともに収穫祭を行ったそうだが――今後もそれを続けていく心づもりなのだろうか?」
「うむ。俺たちはそのように考えている。血族ならぬ相手と収穫祭を祝うというのは森辺の習わしにそぐわない行いであろうが、俺たちはそうすることによって、これまで以上の大きな喜びを抱くことができたのだ」
そのように答えたのは、バードゥ=フォウであった。
ダリ=サウティは、「ふむ」とうなずいている。
「族長筋の人間とベイムの人間が、その収穫祭をひとたびは見届けている。血族ならずとも森辺の同胞であるのだから、喜びを分かち合うことに問題はないように思えるが……しかし、休息の時期を合わせるには、いくばくかの手間がつきまとうはずだな?」
「ああ。6つの氏族の狩場から、いっせいにギバが消え失せるわけではないのでな。しかしそれは、族長筋のように眷族の多い氏族も同じことであろう?」
「うむ。狩場の恵みをギバに食い尽くされてしまった眷族は、別の眷族の仕事を手伝うことによって、休息の時期を合わせている。そちらでは、手の空いた狩人をスン家の狩場に送ることによって、時期を合わせていたそうだな」
「その通りだ。スドラはもともとスンの仕事を手伝っていたし、また、そこにはジーンの狩人も加わっていたので、血族であるディンとリッドが出向くことにも不都合はなかった。それだけの狩人が手を貸しても、スンの狩場のギバを狩り尽くすことはできなかったようだしな」
バードゥ=フォウの言葉を受けて、ダリ=サウティはジーンの家長に目を向ける。
「ジーンの家は、スンの人間にギバ狩りの手ほどきをするために狩人をよこしていたのだったな。それから1年近くが経ったわけだが、そちらの仕事に関してはどうなのだろうか?」
「スンの狩人たちも、それなりに力を取り戻すことはできたと聞いている。……しかし、スンの狩場にはギバの数が多いので、いまだにスンの狩人だけでは手に負えないのではないかという話だ。スンの人間は、もともとの人数の半分ていどしか集落に残されていないのだからな」
図太い身体を揺すりながら、ジーンの家長は周囲の血族たちを指し示した。
「だから今では、ダナやハヴィラの狩人も数名ずつが仕事に加わっている。スンには1頭の猟犬がいるので、その扱いを学ぶためにも都合がよかったのだ」
「そうか。これもトトスと荷車の恩恵だな。そうでなくては、そのようにあちこちの氏族がスンの集落に集まることはできなかったはずだ」
「うむ。スン家はまだしばらく余所の氏族と血の縁を結ぶことも許されないのだろうから、こうして俺たちが力を添えてやるべきだろう。……それに、スンの集落に出向いていた連中からは、リッドやディンやスドラの狩人と絆を深めるいい機会だったという言葉を聞かされている」
「ほう、血族であるリッドやディンばかりでなく、スドラともか?」
「ああ。スドラというのは俺たちと異なる作法でギバを狩っているようでな。猟犬の力も相まって、普段以上の収穫をあげられているそうだ」
ダリ=サウティに目を向けられると、ライエルファム=スドラも「うむ」とうなずいた。
「俺たちもジーンの狩人の勇猛さには感じ入っていたし、ダナやハヴィラの狩人たちとも絆を深められたことに喜びを感じていた。これまでは、なかなか縁を結ぶ機会もなかった相手であるからな」
そのように述べてから、ライエルファム=スドラは少し居住まいを正した。
「ところで、血族ならぬ相手と収穫祭を祝うという行いに関しては、他の話と同時に論ずるべきではないだろうか?」
「他の話? とは、何のことだ?」
「それは、ドムとルティムの婚儀にまつわる話についてだ。その話も、今日の内に是非を問うのであろう?」
ジーンの家長の隣で巨大な石像のように座していたディック=ドムが、分厚い肩をぴくりと震わせた。
その正面に座したグラフ=ザザは、うろんげにライエルファム=スドラをねめつけている。
「むろん、その話も是非を問わねばなるまい。しかし、それが収穫祭の話とどのように絡んでくるのだ?」
「その前に確認させてもらいたい。ルティムの家長は、各々の氏族が独自に血の縁を結ぶことを許すべきではないか、と言いたてたのだな?」
「はい。ルティムとドムが、それぞれの親筋や血族とは関わりなく血の縁を結ぶ。そういった婚儀を認めてほしいと、私は三族長に提案しました」
ガズラン=ルティムが穏やかな表情で応じると、ライエルファム=スドラは「うむ」とうなずいた。
「森辺の民はこの80年ばかりで、氏族の数がずいぶん少なくなってしまった。このままでいくと、婚儀の相手を探すのにも不都合が生じてしまうため、習わしを改めるべきではないかと考えた――という話であったな?」
「はい。たとえばルティムとドムが血の縁を結ぼうとすると、ルウとザザのどちらかが親筋となり、どちらかが眷族とならなければなりません。親筋というのは眷族の行く末を担うべき存在であるのですから、どちらも易々と親筋の座を譲ることはできないことでしょう」
そう言って、ガズラン=ルティムはにこりと微笑んだ。
「またそれは、ルウやザザほど大きな氏族でなくとも、同じことです。サウティ、フォウ、ガズ、ラッツ、ベイム。ラヴィッツ、ダイ――いずれの親筋の氏族でも、そう簡単に親筋の座を譲る気持ちにはなれないはずです。しかし、スドラとヴィンがそれぞれフォウとラヴィッツの眷族となった今、眷族を持たない氏族はスンとファしか残されていません。これから先は、血族の中だけで血の縁を深めていくか、親筋の座を譲ってでも余所の血族と血の縁を交わすしかなくなってしまうのです」
「ふむ。それでもしばらくは、血族の中だけでも婚儀の相手に困ることはないのであろうが……ルティムの家長は、さらにその先を見据えた上で、そのように述べたてているのだな」
「はい。それが10年後なのか、50年後なのか、100年後なのかは、私にもわかりません。しかし、いずれは必ず訪れる未来です。これはもう、民の数がここまで減ってしまった時点で決された運命であるのでしょう」
言いながら、ガズラン=ルティムはやわらかい視線を他の家長たちにも差し向けていく。
「我らの祖がモルガの森辺に移り住んだ時、民の数は1000名を超えていたと聞きます。また、黒き森で暮らしていた頃は、さらに数多くの同胞が存在したのでしょう。黒き森が戦火に焼かれた際と、ジャガルから遠く離れたモルガの森に向かう道行きでも、数多くの同胞が魂を返したはずなのです。もともとの人数は、2000名ほどもあったのではないでしょうか」
「うむ。そして、現在の森辺の習わしは、その時代から受け継がれてきた習わしであるということだな」
「はい。その頃には正しく機能していた習わしが、現在では正しく機能しなくなってしまった……つまりは、そういうことなのだと思います。民の人数がそこまで異なれば、それもしかたのないことなのでしょう」
「ああ。だからルティムの家長は、これまでの習わしに縛られず、新たな習わしを作るべきだと考えたのだな」
そこで、ライエルファム=スドラのかたわらに座していたバードゥ=フォウが発言した。
「ドムとルティムが婚儀をあげても、親筋や他の血族に血の縁は及ばない。ただ、ドムとルティムだけが血族となる。……つまりは、そういう話であるのだな?」
「はい。もちろん他の血族との縁を絶つわけではなく、ルティムはルウの子のまま、ドムはザザの子のまま、新たな血族を得るのです」
「ふむ。しかし、これまでの習わしをすべて打ち捨てるわけではないのだろうな?」
「はい。たとえば、ルウとザザがどちらかを親筋として、血の縁を結ぶ。そういう婚儀の有り様も、私は間違った習わしだとは考えていません。そうしていずれはすべての氏族が血の縁を結び、唯一となった親筋が族長筋として同胞を導いていく――それもまた、ひとつの理想であるように思えるのです」
あくまで沈着な表情のまま、ガズラン=ルティムはまた微笑んだ。
「ですから、これまでの習わしも残したまま、新たな習わしを加えたい。私はそのように考えています。余所の血族と婚儀をあげる際は、どちらの習わしに従うか、自分たちで正しいと思える道を選ぶのです」
「うむ。いささかならずややこしい話ではあるが、俺にも理解できたと思う。ライエルファム=スドラ、話を続けてくれ」
「うむ。もしもその新しい習わしが認められるのならば、血族ならぬ相手と収穫祭を祝うという行いにも、新たな意味が生まれると思うのだ。……というか、そうして収穫祭でもともにしない限り、なかなか余所の氏族と縁を深める機会もないだろうからな」
「それはつまり――」と、グラフ=ザザが底ごもる声をあげた。
「フォウの血族がディンやリッドと血の縁を結ぶことも容易くなる――という意味か?」
「うむ、まさしくそういう意味だ。しかし、北の一族はディンやリッドと血の縁を深めようとしているさなかであるのだろう? それに先んじて、フォウの血族が出張ることはない」
「ああ。そもそも俺たちとて、スドラを新たな眷族に迎えたばかりであるからな。べつだん、婚儀の相手に困っているわけではないのだ」
バードゥ=フォウも取りなすと、グラフ=ザザは「ふん」と鼻息をふいた。
「ならば、お前たちが血族ならぬ相手と収穫祭を祝う甲斐もないのではないか? スドラの家長は、新たな意味がどうとか述べていたようだが」
「それは、俺たちの話ではない。俺たち以外の氏族も、血族ならぬ相手と収穫祭を祝ってみてはどうかと言おうと思っていたのだ」
すると今度は、ダリ=サウティがけげんそうに首を傾げた。
「他の氏族とは、どの氏族のことを言っているのだ? やはり、族長筋ならぬ氏族のことであるのだろうか」
「ああ。たとえば、ガズとラッツとベイムは、それなりの近在に住まっている。ダイの家は、ルウとサウティの眷族と近在であろう。ラヴィッツは……たしか、ラッツの眷族の近在ではなかったか?」
「うむ。俺の家は、ラヴィッツの近在だな」
そのように声をあげたのは、ラッツの眷族であるミームの家長であった。ミームの家はファの近在の6氏族よりも北側にあり、ラッツの家は南側にある。小さき氏族にしては珍しく、ずいぶん遠距離の位置関係であったのだ。
「それだけ家が離れているということは、ミームとラッツは収穫祭をともにしていないのではないか?」
「ああ。昨年までは、メイの家と収穫祭を祝っていた。しかし、メイの人間は数が少なくなってしまったので、氏を捨ててミームの家人となったのだ。それ以降は、ミームの家のみで収穫祭を祝っているな」
「ふむ。それはそれで幸福なのだろうがな。しかし、大勢の人間で収穫祭を祝うというのも、楽しいものだぞ」
そう言って、ライエルファム=スドラは子猿のように顔をくしゃくしゃにした。
「俺たちスドラの家も、これまでは自分たちだけで収穫祭に取り組んでいた。わずか9名の家人であっても、それは大きな喜びだった。……しかし、6つもの氏族が寄り集まって行う収穫祭は、それ以上の幸福を俺たちにもたらしてくれたのだ」
「ふむ。俺たちとて、婚儀の祝宴などでは数多くの血族たちと喜びを分かち合っている。それがどれほど幸福なことかは、ぞんぶんに知っているつもりだが……しかし、血族ならぬ相手と収穫祭を祝うというのは、どうなのだろうな」
そう言って、ミームの家長はデイ=ラヴィッツのほうをちらりと見た。
デイ=ラヴィッツは「ふん」と鼻を鳴らしている。
「相手が俺たちでは面白くもないと言いたげだな。同じ言葉をそのまま返してやろう」
「そのように頭から否定するものではない。余所の氏族と力比べに取り組むというのは、なかなか昂揚するものであるのだぞ」
同じ表情のまま、ライエルファム=スドラはそう言いたてた。
「俺たちは新たな血族たるフォウやランばかりでなく、ファやディンやリッドとも力比べを行うことになり、大いに奮起することになった。余所の血族に遅れを取りたくないという気持ちもあるし、余所の氏族の強靭さを思い知らされたという気持ちもある。それはどちらも、狩人として生きる俺たちに新たな力を与えてくれるはずだ」
「おお、それは確かにな! これまでは余所の狩人と力比べをする機会などなかったから、俺も大いに奮起させられたぞ!」
と、遠い位置からラッド=リッドが賛同を示すと、ライエルファム=スドラは「そうであろう」とうなずいた。
「また、新たな婚儀の習わしが許されるようになれば、余所の血族と絆を深める行いにも新たな意味を見出すことができる。だからこれは、同時に話を進めるべきではないかと考えたのだ」
「なるほどな。スドラの家長の言い分はわかったように思う。では……ドムの家長の言葉を聞かせてもらおうか」
ダリ=サウティがそのようにうながすと、ディック=ドムはギバの頭骨の下で鋭く双眸を光らせたようだった。
「俺が、どうしたと? いったい何を語るべきなのだろうか?」
「まず、ドムはルティムの申し出について、どのように考えているかだな。嫁入りを願っているルティム本家の末妹は、もう長きに渡ってドムの集落に滞在しているのだろう?」
「…………」
「この期間で、両家の絆は深まったのだろうか? まずは、そこから聞かせてもらいたい」
ディック=ドムは重々しく、「いや」と応じていた。
「ドムとルティムの家は遠いので、これといって大きな変化はない。ただ、ルティムの末妹は何回か自分の家に戻っていたので……それを迎えに来たルティムの家人とドムの家人が、いくばくか言葉を交わしたぐらいだな」
「それに関しては、私からもよろしいでしょうか」
と、ガズラン=ルティムが声をあげた。
「今はまだ新たな習わしが認められたわけではないので、私たちも軽はずみな真似をしないように自重していました。もしも新たな習わしが正しい行いであると認められたときは、絆を深める機会を自分たちで作りたいと考えています」
「ふむ。絆を深める機会というのは?」
「まずは、おたがいの家人を行き来させるべきでしょう。以前の、血抜きやかまど仕事の手ほどきのときと同じように、おたがいの家に家人を預けるのです。それに……許されるならば、収穫祭の折にも何名かの人間を客人として招くことができればと考えています」
「収穫祭か。しかし、これは他の血族とは関わりのない行いであるのだろう? ルティムの収穫祭にはルウの血族が、ドムの収穫祭にはザザの血族がともに加わっているはずだ」
「はい。ですが、ルティムとドムが絆を深めるには、おたがいの血族のことも知るべきだと思うのです。ドムの血族にしてみても、ルティムというのがどのような氏族であるかを知っていないと、心が休まらないことでしょう」
すると、グラフ=ザザが鋭い目つきでガズラン=ルティムをにらみすえた。
「ルティムが力を持つ氏族だということは、お前と先代家長を見ているだけで、あるていどは想像がつく。……しかしこれは、ザザにとって何ら得にならぬ話であるのではないだろうか?」
ガズラン=ルティムは、落ち着いた眼差しをグラフ=ザザに差し向けた。
グラフ=ザザは、ギバの毛皮のかぶりものの下で、爛々と双眸を燃やしている。
「ドムの家長ディック=ドムは、ザザの血族において、一、二を争うほどの狩人だ。その強き血を余所の氏族に奪われては、ザザの力を損なうことにもなりかねないはずだ」
「はい。よりにもよってドム本家の家長にこのような申し出をしてしまったことは、非常に心苦しく思っています。ただ、ドムの家は嫁を迎える立場です。ドムとルティムの間に子が生されても、それはザザの血族となるのですから、その力を損なうことにもならないのではないでしょうか?」
「それはそうかもしれんが――」
「また、ディック=ドムに嫁入りを願っているのは、他ならぬ私の妹です。先代家長ダン=ルティムの血を受け継いだ末妹モルン=ルティムであれば、またとなく強い子を生せるはずだと、私は信じています」
ガズラン=ルティムは、気負う様子もなく微笑んでいた。
そのかたわらで、ダン=ルティムもにんまりと笑っている。
「そして私は、心からひかれあった男女が子を生すことこそが、もっとも正しい道だと考えています。末妹モルン=ルティムは、ザザの血族であるディック=ドムに想いを寄せてしまったことを、何ヶ月にも渡って思い悩み――その末に、嫁入りを願ったのです。それだけの強い気持ちがなければ、私も家長として妹の申し出を受け入れることはなかったと思います」
「ふむ。ルティムの側としては、当然そうなのだろう。しかし、ドムの側としては、どうなのであろうかな?」
と、ダリ=サウティがまたディック=ドムのほうに目をやった。
「ルティムの末妹がドムの集落に滞在して、もう三ヶ月ほどが経ったはずだ。ドムの家長は現在、どのような心情であるのだろうか?」
「……どのような、とは?」
「それはもちろん、その末妹を嫁として迎える気持ちにあるかどうかだ。……このような場で問い質すのは無粋なことであるとわきまえてはいるが、いちおう聞いておかねばなるまい」
ディック=ドムは、底光りする目でダリ=サウティを見返した。
「……この会議で新しい婚儀の習わしが認められない限り、俺がルティムの女衆と婚儀をあげることは許されない。だから、迂闊に心を寄せてしまわないように、自分を戒めていた」
「ふむ。今のところは、是も非もないということか。しかし、自分を戒める必要にかられるぐらいの相手ではあったのだな」
誰よりも大きなディック=ドムの身体が、みしりと軋んだように感じられた。
ダリ=サウティは、それをなだめるように微笑する。
「いや、本当に無粋な話であったな。俺も族長として自分の仕事を果たさなければならなかったので、どうか容赦してもらいたい」
「…………」
「さて、どうしたものだろうな。ここで決を取るのは早すぎるようにも思えるし……かといって、これ以上は何を取り沙汰するべきなのか……」
すると、ライエルファム=スドラが「いいだろうか?」と発言した。
「そもそもルティムとドムは、いまだに深い絆を結んだわけでもないのだ。相手がどのような氏族で、どのような家人を抱えているか、それを知らぬ内に、婚儀の話を進める気持ちにはなれないように思う」
「ふむ。それはもっともな話だな。では、どうするべきであろうか?」
「さきほどルティムの家長が言っていた通りのやり方で、絆を深めていけばいいと思う。俺たちスドラの家も、そうしてフォウやランの家と絆を深めながら、血の縁を結ぶべきかどうかを見極めたのだ。そこは、古きよりの習わしを重んずるべきであろう」
誰よりも小さな体躯をしたライエルファム=スドラは、物怖じすることなく、そのように言いたてた。
「その上で、ドムの家長はルティムの末妹が伴侶に相応しい女衆であるかを見極めればいいし……それ以外の家人の間でも、思慕の気持ちがつのることもあるかもしれん。けっきょくは、婚儀をあげたいと願う人間が現れない限り、新しい習わしもへったくれもないのだからな」
「おお、俺たちはいつでも家人を送りつける準備があるぞ! ……と、そうであったな、ガズランよ?」
「はい。そうして一歩ずつ進まぬことには、新しい道を切り開くこともかなわないでしょう」
そう言って、ガズラン=ルティムは静かに微笑んだ。
「私はスドラの家長が提唱していた、血族ならぬ相手と収穫祭を行うという話にも、全面的に賛同します。これらの新しい習わしが、森辺の民にとって毒となるか薬となるか――やはりそれは、実際に足を踏み出さないことには、見極めることも難しいのではないでしょうか?」
「そうだな……町で商売を行うという話も、アスタが実際に手を出す前に決を取っていたら、おそらくすべての家長が異を唱えていたことだろう」
ダリ=サウティは大きくうなずいてから、家長たちを見回していった。
「それではここで、いったん決を取りたいと思う。新しい婚儀の習わしに取り組むことを、是とするか非とするか……これで是と認められたとしても、実際に取り組んだのちに何か問題が生じたときは、あらためて是非を問う。そのような形でどうだろうか?」
「……これで意見が分かれたとしても、おたがいが納得いくまで論じ合うのであろうな?」
ラッツの家長がそのように尋ねると、ダリ=サウティは「むろんだ」とうなずいた。
「これほど大きく習わしを改めようという話であるのだから、すべての家長が納得するまで論じ合うべきだろう。各自、そのように考えてほしい」
「…………」
「…………」
「…………」
「それでは、決を取る。新たな婚儀の習わしに取り組むことを、是とするか非とするか――非とする家長は立ち上がり、その理由を述べてもらいたい」
俺はそれなりに胸をどきつかせながら、周囲の様子を見回すことになった。
立ち上がろうとする家長は――いない。
「……では、血族ならぬ相手と収穫祭をあげたり、おたがいの家人を預けて絆を深めたりする行いを、非とする家長はあるだろうか?」
三十七名の家長たちは、やはり誰ひとりとして立ち上がろうとしなかった。
ダリ=サウティは、少なからず驚いた様子で、グラフ=ザザを振り返る。
「まさか、反対の声がひとつもあがらないとは考えていなかった。グラフ=ザザも、それでよいのか?」
「……どうして俺にだけ、そのような言葉を向けるのだ?」
「それはまあ、北の一族はどの氏族よりも古い習わしを重んずると聞いているし……眷族であるドムの家も関わる話であるしな」
「ふん。何か問題があったときは改めて是非を問うと述べていたのはお前だぞ、ダリ=サウティよ。ならば、今から文句を言いたててもしかたあるまい」
そのように述べてから、グラフ=ザザはガズラン=ルティムのほうをねめつけた。
「だが、ひとつだけ確認させてもらおう。もしもディック=ドムとルティムの末妹が婚儀をあげたのちに、この新しい習わしが間違ったものであると断じられた場合は、どうする心づもりであるのだ、ガズラン=ルティムよ?」
「何があろうとも、いったん交わした婚儀の契をなかったことにはできません。そのときは、ルティムの家がモルン=ルティムと血の縁を絶つ他ないでしょう。モルン・ルティム=ドムが、モルン=ドムとなるのです」
「その覚悟が、すでにできているというのだな?」
「はい。私やモルン=ルティムばかりでなく、ルティムの家人全員が、その覚悟を固めた上で、モルン=ルティムをドムの集落に送り出したのです」
そのように述べてから、ガズラン=ルティムはふわりと微笑んだ。
「むろん、そのように悲しい未来が訪れないことを、私たちは信じています。そのために、これからはいっそうドムの家と正しい絆を深めていきたいと考えています」
「ならばいい」と、グラフ=ザザは口をつぐんだ。
そのかたわらで、ダリ=サウティもようやく笑顔になっている。
「それにしても、これだけ大きな変化をすべての家長がすみやかに受け入れるとは考えていなかった。俺たちは、この結果を大いに寿ぐべきだろう。……そうは思わぬか、ドンダ=ルウよ」
「ふん。べつだん、驚く気にはならんがな。失敗しても取り返しのつく話であるならば、まずは道を進むべきだろう。どれほど素っ頓狂な話でも、それがいずれは大きな喜びや力を生み出すこともある……というのは、ファの家がその身をもって示した事実であるのだからな」
そのように述べながら、ドンダ=ルウはにやりと笑った。
「俺たちは、かつてのザッツ=スンとは異なるやり方で、これまで以上に強く、正しくあらねばならない。この場にいる全員が、それを忘れていなかったということだ」
ドンダ=ルウのその言葉は、俺の心を大いに揺さぶってやまなかった。
森辺の民は全員がその胸に、ザッツ=スンという巨悪を生み出してしまったという原罪を抱えて生きているのである。
(俺はザッツ=スンと言葉ひとつ交わしたことはないし、決してその罪を許すこともできないけれど……でも、ザッツ=スンがあそこまで道を大きく踏み外したからこそ、森辺の民は新たな道に足を踏み出す決意を固めることができたんじゃないだろうか)
ザッツ=スンはあれでも、森辺の狩人として正しく生きたいと願っていた人間であるのだ。
そうであるからこそ、森辺の民に不自由な生を強いるジェノスの人間を激しく憎み――そうして道を踏み外すことになってしまったのだ。
もしも城下町で選出された調停役がサイクレウスではなく、メルフリードのように誠実な人間であれば、ザッツ=スンももっと別の道を歩むことができたのではないだろうか。
ジェノスの民を憎むのではなく、同胞として手を取り合うこともできたのではないだろうか。
(南方神ジャガルに災いあれ、西方神セルヴァに呪いあれ。我々は、二度までも仕える神を間違えてしまったのだ――ザッツ=スンは、そんな風に叫んでいた)
だけど今の森辺の民は、西方神セルヴァの子として、正しく生きようと懸命に努めている。森辺の民としての力と誇りをなくさぬまま、どのように生きていくべきかを懸命に模索している。その覚悟が、さまざまな変化を受け入れようという決断につながったのだろう。
(ザッツ=スン……それに、テイ=スンも……恨みや憎しみや悲しみの中で死んでいった人たちの魂は、母なる森に返されて……今も同胞の姿を見守っているんだろうか)
俺がそんな風に考えたとき、「おい」と肩を揺さぶられた。
振り返ると、アイ=ファが怖い顔で俺をにらみつけており――そして、その顔がいくぶんぼやけて見えた。
「どうしてまた涙を流しているのだ。何もお前が心を乱すような話ではなかったはずであろうが?」
どうやら俺は、知らず内にまた涙を流してしまっていたようだった。
ダリ=サウティが何か語っているのを遠くに聞きながら、俺はアイ=ファに笑いかけてみせる。
「ごめん。落ち着いたつもりだったけど、そうでもなかったみたいだ。何も心配する必要はないよ」
「……お前が涙を流しているのに、心配せずにいられるか」
アイ=ファはいっそう怖い顔をしながら、詰め寄ってくる。
頬を濡らす涙をぬぐいながら、それでも俺は笑顔を返すことしかできなかった。