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異世界料理道  作者: EDA
第三十四章 三つの縁
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森辺の家長会議②~会の始まり~

2018.4/3 更新分 1/1 ・2018.4/16 文章を修正

 それから一刻と少しぐらいの時間が過ぎると、各氏族の家長たちが続々と集結した。

 俺とアイ=ファはバードゥ=フォウらと一緒に祭祀堂へと足を踏み入れて、敷物の上に腰を下ろす。


 1年ぶりの、祭祀堂である。

 四方に出入り口があり、そこの帳はいずれも大きく開かれていたものの、屋内はずいぶんと薄暗い。しかし、内部の様相を見て取るのに不自由なほどではなかった。


 上座には、古びた木材で組み上げられた祭壇が設えられている。

 そこに高々と掲げられているのは、巨大なギバの頭骨である。おそらくは、以前にアイ=ファたちが仕留めた森の主と同じぐらいの巨大さであろう。


 その祭壇と向き合う格好で、すでに七十名を数えようかという狩人たちが静かに座していた。

 三十七にも及ぶ氏族の家長たちと、そのお供の狩人たちである。


 ルウとその眷族、ルティム、レイ、ミン、マァム、ムファ、リリン。

 ザザとその眷族、ドム、ジーン、ハヴィラ、ダナ、ディン、リッド。

 サウティとその眷族、ヴェラ、ドーン、フェイ、ダダ、タムル。

 フォウとその眷族、ラン、スドラ。

 ラッツとその眷族、ミーム、アウロ。

 ラヴィッツとその眷族、ナハム、ヴィン。

 ベイムとその眷族、ダゴラ。

 ガズとその眷族、マトゥア。

 ダイとその眷族、レェン。

 そして、眷族を持たないスンとファを加えて、三十七氏族だ。


 前回の家長会議では、4つもの氏が絶えたという旨が告げられていたが、本年はそういった変事を迎えることなく、すべての氏族が顔をそろえることができていた。


 ただし、家人が増えすぎたために、新たな氏を立てて家を分けたという報告もない。森辺においては、ザザの家からジーンが分かたれて以降、もう数十年にも渡って氏は減る一方であるという話であったのだった。


 それにしても、これだけの狩人が一堂に会するというのは、壮観である。

 祭祀堂というのはもともと天井が高い上に、竪穴式の造りであるために、これだけの人数が集結しても、それほど圧迫感は感じられない。ただ、その広々とした空間に、狩人たちの有する猛烈な生命力みたいなものが満ちみちているように感じられた。


 それにやっぱり、誰もが少なからず張り詰めた面持ちで、会の開始を待ちかまえているように見受けられる。楽しげに談笑しているのは、ごく一部の陽気な狩人たち――ダン=ルティムやラウ=レイやラッド=リッドぐらいのもので、大半の人々は黙然と座しているばかりであった。


(だけどやっぱり、みんな肝が据わってるよな。ティアの姿が目に入っても、顔色ひとつ変えようとしないし)


 俺がそんな風に考えていると、ずっと静かにしていたティアがこらえかねたように口を寄せてきた。


「この場に集まった狩人は、みんなかなりの手練であるようだな。ティアは背中がぞくぞくとしてきたぞ」


「うん。それはまあ、各氏族の家長とそのお供に選ばれた狩人たちだからね」


 こうして家長が家を離れる際は跡継ぎの長兄が家を守る、という習わしであったので、お供に選ばれるのはおおよそ本家の次兄なのではないかと思われた。

 ただし、家長が未婚であったり、子供がまだ狩人ならぬ年齢であった場合は、家長に近しい分家の長などが選出されるのだろう。ラウ=レイのお供は叔父であるという話であったし、ライエルファム=スドラのお供は分家の長であるチム=スドラであった。


 それに、サウティでは今回も長老のモガ=サウティが姿を見せている。ダリ=サウティの子はまだ幼いとはいえ、狩人ならぬ人間をお供としているのはサウティとファぐらいであるようだった。


 なおかつ、その場には、お供とは別枠で来訪した人間が3名いた。

 その内のひとりはティアで、もうひとりはシュミラルである。

 そして最後のひとりは、レム=ドムであった。

 女衆の身でありながら見習いの狩人として働くことになったレム=ドムもまた、顔見せをする必要に迫られたそうなのだ。


 いまだ自分の手でギバにとどめを刺したことのないシュミラルとレム=ドムは、狩人の衣も纏わぬままに、ただ座している。狩りの際には借り物のマントを纏うようであるのだが、それをこういう場で纏うことは禁じられているのだという話であった。


 そうして重苦しい静寂の中で待つ内に、いよいよ森辺の三族長が入室する。

 三族長が祭壇の前に腰を下ろすと、そのお供である3名が進み出て、それぞれの家長のななめ後方に座した。ダルム=ルウとモガ=サウティ、そしてザザ家の若い狩人だ。


「これで全員、集まったようだな。それでは、家長会議を始めようと思う」


 ゆったりとした声音で宣言したのは、ダリ=サウティであった。


「ルウ、ザザ、サウティの三家が新たな族長筋と定められてから、これが初めての家長会議となる。混乱を避けるために、取り仕切り役は毎年ひとりずつが交代で受け持つことにした。今回の取り仕切り役は俺となったが、異論のある者はいるだろうか?」


 すると、最前列に陣取っていたジーンの家長が挙手をした。背丈はほどほどであるが、ものすごく幅と厚みのある体格をした、壮年の狩人である。


「異論があるわけではない。しかし、ダリ=サウティが選ばれた理由があるなら、聞かせてもらいたい」


「ああ、俺はこの中で一番の若年であるし、血族の数も少ないからな。本来であれば、ドンダ=ルウかグラフ=ザザにその座を譲りたいところであったのだが……知っての通り、今日の会議ではファの家の行いの是非が問われる。ならば、これまで中立の立場を取ってきたサウティの長である俺が取り仕切るべきだろうという話に落ち着いたのだ」


 ジーンの家長は重々しくうなずきながら、「了承した」と述べた。

 ダリ=サウティは落ち着いた笑みを浮かべつつ、その場に集まった家長たちを見回していく。


「では、会議に先立って、簡単な報告を済ませておくことにしよう。ここ最近では変事が生じるたびに、トトスと荷車を使ってすべての氏族に話を回していたので、おおよそはすでに知れ渡った話になってしまうことだろうが……まず、ルティムとヴェラでは家長が交代することになったので、その挨拶をしてもらいたい」


「うむ! 俺はギバ狩りの最中に深手を負って、しばらく休むことになってしまってな! それを機に、長兄のガズランに家長の座を受け渡すことになったのだ!」


 元気いっぱいの声で言いながら、ダン=ルティムが立ち上がる。それを追いかけるようにして腰を上げたガズラン=ルティムは、普段通りの穏やかな表情で一礼した。


「見ての通り、俺も今ではすっかり回復して、狩人の仕事に励んでいるがな! 家長会議に顔を出すのは、これが最後となろう! 今後はガズランをルティムの長として、よろしく頼むぞ!」


「いまだ父ダンには及ばぬ身ですが、ルティムの家長として皆とともに森辺の行く末を担っていきたく思います」


 その言葉を聞く他の家長たちは、それぞれ厳粛な面持ちで目礼を返していた。

 そうしてルティム家の両名が腰を下ろすと、今度はヴェラの家長と先代家長が立ち上がる。こちらの先代家長は杖を使わなければ歩けないような状態であったため、その息子である家長が横から手を貸していた。


「残念ながら、俺は狩人としての力を失ってしまったために、家長の座から退くことになった。すでに皆も知らされている通り、サウティの狩場に現れた森の主に、腰をやられてしまったのだ。今後は俺の息子をヴェラの家長として、よろしく頼みたい」


 ヴェラの両名も、年齢はルティムの親子とさして変わらないぐらいに見えた。

 生命を落とすことも珍しくはない森辺の狩人にとって、生命ある内に我が子へと家長の座を託すことができるのは、まだしも幸福なことなのだろう。ヴェラの先代家長も、ダン=ルティムに劣らず清々しげな表情をしているように感じられた。


「ルティムとヴェラの新たな家長に、あらためて祝福を捧げたい。……そして次の報告だが、フォウとスドラが血の縁を結ぶことになったそうだな」


 ダリ=サウティの言葉を受けて、今度はバードゥ=フォウとライエルファム=スドラが立ち上がった。


「親筋はフォウであり、スドラはフォウの眷族となる。それで間違いはないな、フォウの家長よ?」


「うむ。スドラとは近々、もうふたつの婚儀をあげる予定となっている。この先も力をあわせて、狩人としてのつとめを果たしていくつもりだ」


「心から祝福させてもらおう。……そういえば、森辺に変事が生じた際、すべての氏族にすみやかに触れを回すべしという話を俺たちに提案したのは、フォウやスドラの家であったな」


「いや、最初に言い出したのは、ライエルファム=スドラだ。俺はその言葉を正しいものだと感じたので、他の氏族にも話を回して、族長たちのもとに駆けつけることになっただけのことだ」


 バードゥ=フォウは穏やかな声で言い、ライエルファム=スドラは仏頂面をしていた。そんな両者の姿を、ダリ=サウティは微笑とともに見比べている。


「フォウの家長は三族長の集まりにも加わっているので、俺にとってもよく見知った相手だ。そして、スドラの家長がどれだけ明敏で思慮深い人間であるかは、その口からさんざん聞かされている。そんなフォウとスドラが血の縁を結んだというのは、心強いことだな」


「……バードゥ=フォウは俺のことを買いかぶっているのだ。俺など、そんなたいそうな人間ではない」


「しかしスドラの家長は、6氏族で行った力比べでも、2度続けて勇者となっているのだろう? 明敏なだけでなく狩人としてもそれほどの力を有しているというのは、大したものだ」


 そうしてライエルファム=スドラをいっそう苦々しげな顔にさせてから、ダリ=サウティは両名に着席をうながした。


「そしてもうひと組、血の縁を交わした氏族がある。ラヴィッツの家長とヴィンの家長も、挨拶を願いたい」


 遠くのほうで、ふたつの人影が立ち上がった。

 しかしその片方は、この距離でも見間違えることのない、独特の風貌をした人物であった。ダン=ルティムと同じく禿頭で、さらに髭も眉毛もない、ラヴィッツの家長デイ=ラヴィッツである。


「そちらはラヴィッツを親筋として、ヴィンが眷族となるそうだな。ヴィンもスドラと同じく滅びに瀕していたという話であったので、それが救われたことを祝福しよう」


「ふん。ヴィン家を疎んでいたスン家が力を失ったので、ようやく血の縁を結ぶことがかなったのだ。そうでなければ、ヴィン家もこの家長会議の前に滅びを迎えていたことだろう」


 そのように述べながら、デイ=ラヴィッツは光の強い目でスンの新たな家長をにらみつけた。


「それとも、スン家はいまだにヴィン家を疎んでいるのかな? そのときは、親筋の家長として俺が相手をするしかなかろう」


「ヴィン家を疎んでいたのは、先代家長のズーロ=スンだ。もちろん今のスン家はヴィン家に悪心など持ってはいない」


「ふん。それが本心なら、幸いだ」


 それだけ言い捨てると、デイ=ラヴィッツはさっさと着席してしまった。

 どうやらせっかちな性分は相変わらずのようである。彼は調理や血抜きの手ほどきをされていた際も、俺やアイ=ファにさんざん憎まれ口を叩いていた人物であるのだった。

 ダリ=サウティは、苦笑をこらえているような面持ちで頭をかいている。


「この1年で血の縁を結んだ氏族は、以上だな。次は……ドムの家長に、話を願おうか」


 ディック=ドムが、のそりと立ち上がった。

 レム=ドムもまた、しなやかな挙動でそれに続く。


「ドムの家では、女衆であるレム=ドムに見習いの狩人として働くことを許した。見習いの狩人は2年をかけてその力を示すべしという習わしがあるので、その2年でレム=ドムの力を見極めようと考えている」


 妹の身であるレム=ドムに氏をつけて呼んでいるのは、これが公式の場であるためなのだろう。ダン=ルティムとは対照的な振る舞いだ。

 ダリ=サウティはきわめて印象的な風貌をしたドムの兄妹の姿を見比べながら、「ふむ」と下顎を撫でている。


「確かにファの家長アイ=ファによって、女衆でも優れた力を持つ狩人が存在するということは証しだてられた。しかし。森辺の習わしを重んじる北の一族からそのような話が持ち上がり、俺たちはたいそう驚かされたものだぞ」


 ダリ=サウティが楽しげにも聞こえる声でそう述べると、ディック=ドムはギバの頭骨の下で黒い瞳を光らせた。


「すべての女衆にファの家長アイ=ファと同じような力が備わっているなどとは、俺も考えてはいない。このレム=ドムが狩人に相応しい人間であるか否かは、俺がドムの家長として厳しく見極めたいと願っている」


「……もしもこの2年間で力を示すことができなかったら、わたしも女衆としてのつとめを果たすわ。家長ディックはわたしが狩人になることなんてこれっぽっちも望んではいなかったのだから、誰よりも厳しい目でわたしの行いを見守ってくれるはずよ」


 まったく物怖じもしていない口調で述べてから、レム=ドムはにっと唇を吊り上げた。


「それでもし、どこかの女衆が狩人になりたいなどと言い出したら、わたしのもとに寄こすことね。アイ=ファがそうしてくれたように、今度はわたしがその女衆の力を見てあげるわ」


「……見習い狩人の分際で何をほざいているのだ、お前は」


 ディック=ドムが底光りする目でねめつけると、レム=ドムはいっそう愉快げな顔つきをした。


「だって、わたしよりも力のある女衆だったら、見習いの狩人になる資格はあるっていうことでしょう? そんな女衆がいるのだったら、お目にかかりたいところよね」


「今のところ、レム=ドムに挑みたいと願う女衆は現れていないようだ。ドムの家長には、正しく家人を導いてほしいと思う」


 ダリ=サウティが苦笑まじりの声をあげると、ドム家の兄妹はそれぞれ腰を下ろした。


「そして次は、リリンの家のシュミラルだな。シュミラルは、ルウ本家の長姉との婚儀を願い、森辺の家人となることが認められた。それも以前に伝えられた通りだ」


 シュミラルとギラン=リリンが立ち上がった。

 シュミラルは無言で頭を垂れ、ギラン=リリンはのんびりとした笑みをたたえている。


「シュミラルはリリンの家の家人となったが、いまだ氏は与えられていない。シュミラルが森辺の民に相応しい人間であると認められたときに、リリンの氏が与えられて、ルウの家との婚儀も認められるだろう。……もっとも、ルウ本家の長姉たるヴィナ=ルウが、その話を受けるかどうかはまた別の話であろうがな」


「はい。まずは、リリンの氏、いただけるように、力、尽くしたいと思います」


 各氏族の家長たちは、静かにシュミラルの姿を見守っていた。

 これといって非難がましい視線は感じられないので、俺はほっと胸を撫でおろす。シュミラルが自分の想いを果たすために神と故郷を捨てた件や、猟犬の存在を森辺にもたらしたということも、すべての氏族に余すところなく伝えられているはずであった。


「シュミラルもまだ一人前の狩人とは認められていないそうだが、しかし、猟犬の扱いに関しては誰よりも長けているという話だったな」


 ダリ=サウティが言うと、ギラン=リリンは「うむ」とうなずいた。


「シュミラルに狩人の衣が与えられていないのは、その手でとどめを刺す機会がなかったためだ。しかし、シュミラルが扱う猟犬の力で、リリンの家はこれまで以上の収穫をあげることができている。ある意味では、俺よりも優れた狩人であると言えるぐらいだろう」


「ふむ。それでも、リリンの氏を与えるには及ばないという判断なのか?」


「ああ。俺が見ているのは、狩人としての力ではなく、その心のありようだ。シュミラルは本当に同胞として迎えるべき存在であるかどうか、それを見届けようと思っている」


 そのように述べてから、ギラン=リリンは目を細めて微笑んだ。


「そうしてシュミラルをリリンの家に迎えてから、間もなく半年が経とうとしている。ドムの家長に負けないぐらい、俺は厳しい目でシュミラルを見守っているつもりだが……そろそろ結論を出してもいい頃かと考えているぞ」


「そうか。それはリリンやルウの家が決めることであるので、余所の氏族の人間が口をはさむ必要はないだろう。……しかしそのシュミラルは、森辺の民として生きながら、商団というものの仕事を続けるつもりである、という話だったな」


「うむ。ひとたびジェノスを離れれば、半年ほどは戻れぬそうだ。1年を森辺で過ごしたら、半年は旅に出る。そういう生活の繰り返しになる、という話であったな」


 そこで初めて、家長たちがいくぶんざわめいた。

 その話も伝達はされているはずであるが、あらためて、その特異性を取り沙汰しているのだろう。


「それはずいぶんと、森辺の習わしにそぐわない話であるといえるだろう。……しかしシュミラルは、それでも他の狩人に劣らぬ収穫をあげるために、猟犬というものを連れてきたのだという話だったな」


「ああ。実際その力は、とてつもないものであっただろう。それはシュミラル本人のみならず、すべての氏族に力を与える行いであったのだからな」


 ギラン=リリンは楽しげに目を細めながら、家長たちの姿を見回した。


「その力がどれほどのものであったかは、すでに皆も知っている通りだ。シュミラルが森辺にもたらした力は、あまりにも大きい。……しかしそれでもなお、俺とドンダ=ルウはシュミラルが同胞に相応しい人間であるかどうかを厳しく見極めようと考えている。その上で、俺たちがシュミラルを同胞として迎え入れたなら……どうか皆も、心から祝福してやってほしいと願う」


 シュミラルは、再び深々と頭を垂れた。

 ざわめきはやんで、異論を唱える人間もいない。ダリ=サウティは大きくうなずきながら、両名に着席をうながした。


「リリンの家長とドンダ=ルウがどのような決断を下すのか、そのときが訪れるのを楽しみに待たせてもらおう。では……最後に、赤き野人に関してだな」


 アイ=ファがティアをうながしつつ、立ち上がった。

 家長たちは、これまで以上に鋭い目つきでその姿を振り返る。やっぱりこれは、レム=ドムやシュミラルよりも一段重い案件であるのだ。


「緑の月に、フォウの人間が森辺で赤き野人を拾うことになった。赤き野人はモルガの山でマダラマの大蛇と争っている内に、ラントの川に落ちて、森辺にまで流れつくことになったと……そういう話であるそうだな」


「うむ。こやつは自らの意思で山を下りたわけではないし、また、それはかつて王都の兵士たちが山と森の境にまで足を踏み入れて、赤き野人の警戒心をかきたてたという影響もあっての行いだった。それゆえに、傷が癒えるまでは森辺の集落に留まることを許し、そののちにモルガの山に帰すことになったのだと、私は聞いている」


「ああ。そのように決めたのは、他ならぬ俺たちだ。ファの家には、余計な苦労をかけることになってしまったな。本来であれば、族長筋の氏族が身柄を預かるべきだったのだろうと思っているぞ」


「……べつだん族長たちに責任のある話ではないし、運が悪かったと思うしかないのだろう」


 アイ=ファは凛然とした面持ちで、そのように答えていた。

 まさかこのアイ=ファが、当初は駄々っ子のようにそれを嫌がっていたなどとは、誰も思わないことだろう。


 そのかたわらで、ティアは気負うことなく背筋をのばしている。

 髪と肌は不思議な赤レンガ色に染めあげられており、頬と手の甲と足の甲には奇妙な紋様の刻みつけられた、きわめて印象的な姿だ。12歳という年齢よりも幼く見えて、右足は包帯でぐるぐる巻きにされているものの、その小さな身体からは野生の精気ともいうべき生命力があふれかえっている。


「しかし、ファの家に居座りたいというのは、赤き野人の勝手な言い分なのだろう? ファの家が迷惑だと考えているのならば、無理にそれを聞き入れる必要はないように思えるのだが」


 と、そのように発言する者があった。

 俺にはあまり馴染みのない、ガズの家長である。ガズの家長は、うろんげに眉をひそめながら、ティアの姿をねめつけていた。


「そやつはアスタへの罪を贖いたいと言い張っているそうだが、そもそもそのような罪を犯したのも野人のほうだ。ファの家に非のある話でもないのに、どうしてそのような言い分に従うことになったのだ?」


「それは、赤き野人の気持ちをねじ伏せるのは忍びなかったゆえ、であるそうだな」


 ダリ=サウティがうながすと、アイ=ファは「うむ」とうなずいた。


「むろん、我々がその申し出を断ることもできただろう。私とて、最初は不本意に思っていたし、今でもそれを喜ばしく思っているわけではない。……ただ、こやつにとっては、それもまた軽んじることのできない掟であるという話であったので、やむなく承諾することになったのだ」


「それでも、ファの家が苦労を背負ういわれはないように思うが。ふたりの家人しかないファの家では、そやつを預かるのも大きな苦労であろう?」


「苦労が小さいとは言わん。しかし、こやつが抱える苦しみに比べれば、まだしも苦労は小さいのだろうと思ったまでだ」


 あくまでも静かな声音で、アイ=ファはそう言った。


「こやつはアスタと引き離されるぐらいであれば、すぐにでも魂を返したほうが楽だとまで言っていたからな。そこまでの言葉を聞かされては、無下に追い出すこともできん。これも森の導きなのだと思うしかあるまい」


「そうか。アイ=ファたちが納得しているのならば、それでかまわんのだ」


 ガズの家長はそう言って、口を閉ざすことになった。

 ガズの家はファの家とも縁が深いので、きっと俺たちが迷惑をしているのではないかと慮ってくれたのだろう。


「いらぬ苦労を担ってくれたアイ=ファとアスタには感謝している。……では、赤き野人の扱いについて、もうひとたび確認しておきたい」


 ダリ=サウティが、口調をあらためてそのように述べたてた。


「ジェノスの法によって、赤き野人を人間と見なすことは禁じられている。四大神ならぬ神を崇める赤き野人は、決して王国の民とは相容れぬ存在であるそうだ。……よって、王国の民に他ならない俺たちも、赤き野人を友や同胞として扱うことは許されない。そやつは人間の言葉を解するが、あくまで野の獣として扱わなければならないのだ」


 反問する者はいない。

 ダリ=サウティはひとつうなずいてから、さらに続けた。


「ただし、ジェノスの領主マルスタインも、俺たちの決定に異を唱えることはなかった。友や同胞と見なすことは許されないが、敵として見なす必要もない、という話であったのだ。こやつが森辺の掟や王国の法を犯さない限り、むやみに害する理由はない。各自、そのように心に留めてくれ」


 やはり、反問する者はいない。

 ダリ=サウティは満足そうにうなずいてから、またアイ=ファのほうに視線を戻した。


「それで、そやつの傷が癒えるのに、100日ほどの日が必要であるという話であったな?」


「うむ。すでに半月ほどが過ぎているので、残りは三ヶ月ほどだ。折れた骨が繋がって、もとの力を取り戻すまでに、それだけの日が必要であるらしい」


「足の傷は、厄介だからな。こればかりは、時が満ちるのを待つしかないだろう。……では、他に何か不明なことはあるだろうか?」


 それは、すべての家長たちに向けられた言葉であった。

 とりたてて、声をあげようとする者はいない。

 すると――当のティアが、「いいだろうか?」と声をあげた。


「うむ? お前には、べつだん言葉を求めてはいないぞ」


「それでも、少しだけ語らせてほしい。ティアは森辺の民に、深く感謝している」


 そう言って、ティアはぺこりと頭を下げた。

 家長たちは、ややざわめきながら、その小さな姿を見守っている。


「モルガの山を離れてしまったティアは、魂を返すしかないと考えていた。そんなティアに温情を与えてくれた森辺の民に、ティアは心から感謝している。だから、森辺の民の言いつけには決して逆らわないと、ここでもう一度誓いたい」


「うむ。俺たちはその言葉を信じたからこそ、お前が森辺に留まることを許したのだ。お前はお前の誇りに懸けて、正しく生きるがいい」


「必ず、そうしてみせよう。そして、アスタのもとに留まることを許してくれたことにも、深く感謝している。アスタの身に災厄が近づいたときは、ティアがこの生命を使って守ってみせる。だからこれからも、アスタのそばにあることを許してほしい」


 そうしてティアは、その小さな顔いっぱいに無邪気な笑みをひろげた。


「あと、ティアは森辺の民のことを、とても好ましく思っている。外界の人間はみんな魂が腐っていると聞いていたのに、それは間違いであるということがわかった。赤き民と外界の人間は、決して友にも同胞にもなれはしないが……それでもティアは、森辺の民と出会えたことを、とても嬉しく思っている」


 さきほどとはちょっと毛色の異なるざわめきがあがった。

 この薄暗がりでも、ティアの無邪気な笑顔と、そして純真なる眼差しが届いたのだろう。ダリ=サウティも、つられたように微笑を浮かべていた。


「では、赤き野人については、ここまでだな。同胞ならぬお前は、しばらく別の場所で控えていてもらおう」


「うむ。アスタのそばから離れるのは苦しいが、ティアは森辺の族長の言葉に従う」


 すると、レム=ドムが立ち上がった。


「それじゃあ、しばらくはわたしが野人を預かろうかしら? 会議の間は外に出ていろと、意地悪な家長に言いつけられてしまっているのよ」


「そうか。ならば、レム=ドムに預けよう。スン家の幼子や老人たちにとっても、そのほうが心強いだろうからな」


 ティアは俺とアイ=ファに笑いかけてから、レム=ドムとともに祭祀堂を出ていった。

 それを追いかけるように、シュミラルも一礼してから退室していく。会議の公平を期すために、お供でない人間は同席を禁じられているのだろう。

 それらの姿が完全に見えなくなってから、ダリ=サウティは「さて」と声をあげた。


「ここまでは、すでに通達されている話の再確認に過ぎなかった。是非を問わねばならない議題について、ぞんぶんに話し合うこととしよう」


 まだいくぶんざわめいていた人々が、それでぴたりと押し黙った。

 ここからが、家長会議の本番であるのだ。

 俺はアイ=ファと目を見交わして、どくどくと高鳴る心臓の辺りに手を置きながら、ダリ=サウティの次なる言葉を待ち受けた。

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